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箕面(みのお)の紅葉 [2014年11月30日(Sun)]
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 秋晴れに恵まれた今日、久しぶり(昨秋の会食以来)に万葉仲間と川波さん(「嘉摩万葉を学ぶ会」を主宰されていた)をお誘いして箕面(みのお)の紅葉を見に出かけて来ました。箕面大滝に至る山道を歩きながら素晴らしい紅葉を楽しむことが出来ました。このところ川波さんは外出される機会も少なかったそうですが、今日のハイキングを楽しんでいただけたようです。

 この場所は、昭和42年に「明治100年」を記念して、東京都の高尾山とともに国定公園に指定されています(明治の森 箕面国定公園)。
 箕面大滝(落差33m、日本の滝100選にも選ばれている)
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 裏山の植物園では撮影出来ない紅葉の写真を掲載しておきます(光線の加減で趣が異なります)。
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Posted by katakago at 17:24
秋の収穫(ラッカセイ・ヤーコン) [2014年11月24日(Mon)]
 連休中は天候に恵まれ、今日は畑仕事が捗りました。
最後まで残っていたラッカセイ3株と、ヤーコン1株を掘り上げました。

 ラッカセイ(これまでに数か所に送って来ました。一部は来年の種として保存)
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 ヤーコン(フラクトオリゴ糖が含まれています)
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 タマネギの生育状況(今年は時期を逃さず200本の苗を植え付けました)
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Posted by katakago at 17:51
五輪塔の拓本 [2014年11月23日(Sun)]
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 穏やかな秋の休日(カルチャーもお休み)を利用して、裏山にある五輪塔の採拓に取り組みました。この五輪塔はその側面に刻まれた碑文から、大仙寺にある木田院碑を見つけるきっかけになったものです。以前にも拓本を採ったことがありますが、5月に行った木田院碑の採拓の際、大橋さんに実地に教えていただいたこともあり、又、たくさん画仙紙を送っていただいていたので、あらためて行ってみました。
 正面には、木田氏中興塔と書かれ、上部左右には家紋(片連銭回三並)が配置されています。右側面の碑文(次の写真)と併せ、軸装にするつもりです。
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Posted by katakago at 20:33
「国宝 鳥獣戯画と高山寺」展 [2014年11月22日(Sat)]
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 昨日(11/21)、京都国立博物館で開催中の「国宝 鳥獣戯画と高山寺」展(上の写真は会場出口付近の撮影OKの場所で)を見るため、久しぶりに京都まで出かけて来ました(京都は今年になって2度目)。
 展覧会は終了間近(11/24)とあって、大勢の人がみえていました。約1時間近く館外で並んで待った末、入場制限のため数分毎に15人づつの入館となりました。鳥獣戯画の展示室では、さらに30分近く順番を待つことになりました。
 今回の展覧会は、国宝 鳥獣人物戯画四巻(甲巻・乙巻・丙巻・丁巻)の修復完成を機に開催され、四巻が同時に展示されており、教科書で見たことのあるこの有名な絵巻物をじかに見ることが出来ました(甲・乙巻は平安時代、丙・丁巻は鎌倉時代の作)。動物たち(ウサギ・サル・カエル)が遊ぶ様子(射的や相撲など)が描かれている甲巻は最も有名な巻であり、このコーナーだけは列に並んで鑑賞するようになっていました。

 写真は入館を待つ長い列
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Posted by katakago at 17:29
60周年と100周年 [2014年11月20日(Thu)]
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 今年は川西市制60周年(昭和29年に川辺郡川西町・多田村・東谷村が合併)にあたり、郷土出版社から記念の写真集が発刊されました(上の写真)。私のブログを見た出版社の担当者から、関連の資料があれば提供してほしいとのことで、多田村時代(幼稚園、昭和26年ころ)と川西市になってからの写真(お祭り、昭和29年ころ)を提供しました。先月そのお礼にと一冊送っていただきました。
 提供した多田村立多田幼稚園の写真
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 市制記念に児童(当時小学3年生)に配られた筆箱
60年経過していますが川西市のマークと1954.8.1の文字が残っています。
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 お隣の宝塚では、宝塚歌劇が100周年を迎え記念の催しも数多く行われているようです。阪急宝塚線ではこの春から不定期ですが、写真のような電車(宝塚歌劇トレイン)が走っています。梅田のカルチャーセンターに出かける際に何回か乗車しました。
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Posted by katakago at 10:03
晩秋の植物園で [2014年11月19日(Wed)]
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 畑に植えたヤマザクラの苗木の紅葉が朝日に照らされて鮮やかです。

 初夏に花を咲かせたノイバラは赤い果序を付けています。
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 ノジギクが今も咲いています。
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Posted by katakago at 10:10
マチカネワニ・サミット2014(大阪大学シンポジウム) [2014年11月17日(Mon)]
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 大阪大学豊中キャンパスの理学部建設現場から、大型ワニ「マチカネワニ」の化石が発見されて今年で50年になるのを記念して、昨日(11/16)、「大阪大学シンポジウム マチカネワニ・サミット2014」が開催され参加しました(場所は豊中市立アクア文化ホール)。

 発見されたのはちょうど大学に入学した年(教養部は同じ敷地内)でしたが、関心もなかったのか当時の記憶はほとんどありません。
 昨年、大阪大学総合学術博物館の展示を見る機会があり、40万年も前の大阪の地に、このような大きなワニ(体長6.9〜7.7m、体重1.3t)が生息していたことに興味を持ちました。それと、命名(Toyotamaphimeiya machikanensis)が『古事記』の神話に出てくるワニの化身とされる豊玉琵売に由来するのも関心を持った理由の一つです(神話のワニはサメと解釈されていますが)。
 昨年の関連記事は
     ↓
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/753

 この日のシンポジウムでは、講演者は全て大学院生から准教授の第一線の若手研究者でした。第1部で、クリストファー・ブロシュー博士(アイオワ大学准教授)が、「日本で発見されたトミストマ亜科マチカネワニの古生物地理学と進化における重要性」と題する基調講演をされました。久しぶりの外国人の講演でしたが、小林快次博士(北海道大学准教授)が分かりやすく通訳されたので、興味深く聴くことが出来ました。
 最古のトミストマ亜科は、ヨーロッパで5000万年〜5500万年前の始新世の地層から発見され、いくつかの原始的なトミストマ亜科は、アメリカの東海岸からも発見されており、海を渡る能力があったと考えられるとのことでした(この点は大変興味深く思われます)。

 第2部の林 昭次博士(大阪市立自然史博物館学芸員)の「骨の内部組織から探るマチカネワニの謎」と題する講演では、骨の内部にその動物の進化や生態を知るための情報が見られるとのことでした。骨を輪切りにするとその成長線の数より年齢が、その間隔から成長の速度を、ワニのうろこの骨の渦巻き状の有無よりオス・メスが分かるようです。ちなみに阪大のマチカネワニは、オスで、43歳くらいで死亡したと推定されるとのことでした。

 主催者によると、ワニは恐竜に比べ人気が低いのでどの程度の参加者があるか心配したとのことですが、小学生から年配者まで幅広い年代の多くの参加者が見られました。

 ロビーではマチカネワニの下あごの化石のレプリカが展示され、手で触れるようになっていました。
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 マチカネワニは、その後日本の各地で発見されており、その場所がパネルで展示されていました。
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 同じ大阪府内の岸和田市からは、マチカネワニと同じキシワダワニが1994年に発見されています(マチカネワニより約20万年古い)。
Posted by katakago at 20:20
『壁畫 阿騎野の朝』を入手 [2014年11月15日(Sat)]
 先日(11/8)、宇陀市の万葉公園(かぎろひの丘)を訪れた折の記事(http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/925)で、人麻呂の次の歌
【歌】 東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡 
【読み下し文】 東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ
が詠まれた時期について、澤瀉久孝著『萬葉集注釋』より引用しましたが、そこでは、画家の中山正實氏の説が採られていました。
 中山画伯は、昭和14年、当時皇紀2600年の記念事業として建設された大和国史館の萬葉室の壁画制作を委嘱され、その主題は、佐佐木信綱博士によって上記の柿本人麻呂作歌が選定され、画題は「阿騎野の朝」とされました。今回「日本の古本屋」のサイトで、中山画伯の著書『壁畫 阿騎野の朝』(昭和15年、私家版)を見つけて入手することが出来ました。この本で中山画伯の考証結果を直接知ることが出来ました。
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 この小冊子に添付されていた壁画の図(残念ながらモノクロ)
実物は現在宇陀市中央公民館大ホールに在るとのことで、是非見てみたいと思います。
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 この小冊子には、壁画制作の基礎となった種々の考証(地理的考証ー阿騎野の位置・軽皇子の宿営地・人麻呂作歌の地点など、歴史的考証ー阿騎野の御狩は持統天皇の何年か・その頃の狩猟と馬の大きさなど、天文学的考証ーかぎろひの研究・時期は何月何日かなど)経過が記されています。自序では、「何故これだけの考証を経なければならなかったか。それは作者にとっては、あらゆる考証が、この壁画を構成すべき造形的な要素として必要であったからである」と述べられています。

 「かぎろひの研究」では、東の野に立つ「かぎろひ」は、西に傾く月に対照した言葉で、黎明の太陽の光であるとし、昭和14年12月中に行った観測結果を次のように記しています。「晴れた日の朝、太陽が水平線上に現れる時刻より約一時間前に、東の空に、太陽光線のスペクトルが現れる。これが早朝、肉眼に映ずる最初の光明であって、しかも「かぎろひの立つ」といふ言葉に最もふさはしい美しさを以て現れるのである」

 「阿騎野の御狩りは何月何日か」については、自身の観測結果を踏まえ、当時の東京天文台に調査を依頼しています。 
 東京天文台(辻技師、寺田編暦技手)の回答個所の写し(右ページ)
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(条件)
 時 ー 持統天皇の六年初冬、太陽暦十二月頃
 場所 ー 東経135度55分46秒6
     北緯34度26分30秒3
(調査結果)
 ・持統六年は西暦692年也。
 ・西暦692年太陽暦十二月中にて十六夜の月が暁に沈む日は、持統六年陰暦十一月十七日なり。
  これを太陽暦にすれば西暦692年12月31日なり。
 ・質問の地点における上記の日付にて、午前六時五十分日の出の方向は、真東より南へ28度也。
  
 なお、『天文月報第70巻』9月号(1977年、p260)には、当時大宇陀町教育長の増岡清史さんの「『かぎろい』に寄せて」の記事で、『壁畫 阿騎野の朝』に書かれた中山画伯の壁画制作のための地理的・天文学的な考証経過が紹介されています。
 また、『北海道立理科教育センター研究紀要第12号』(2000年3月発行)には、中村隆信氏の「人麻呂が見た『炎(かぎろひ)』」の論文にも紹介されています。

 宇陀市の「かぎろひの丘」では、毎年陰暦11月17日の早朝、「かぎろひ」を見る会が催されているようです(次回は来年1月7日とのこと)。

 

Posted by katakago at 16:07
平城京天平祭ー大伴家持上京の旅到着セレモニー [2014年11月11日(Tue)]
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 奈良市平城宮跡では、今月1日から9日まで「平城京天平祭 秋2014」が開催されました。最終日の9日には、第一次大極殿前の特設ステージで「大伴家持上京の旅到着セレモニー」が行われ、出かけて来ました。この日は朝からあいにくの雨で、ステージには透明のビニールテントが張られていました。
 今回のイベントは、高岡万葉まつりで「万葉集全20巻朗唱の会」が25回を迎える記念事業として、家持の上京の旅を再現するもので、高岡から平城宮跡大極殿を目指して、10月5日を初日に9区間をリレー方式で行われ、11月8日に奈良に到着してこの日のセレモニーとなりました。

 到着セレモニーに先立ち、高岡市万葉歴史館館長の坂本信幸先生が「大伴家持と越中万葉」について話されました。
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 【当日配布の坂本先生の資料より】
『万葉集』の編簒に大きく関わった大伴家持は、天平十年(738)にはじめて内舎人(うどねり)として朝廷に出仕。その後、従五位下に叙せられ、天平十八年(746)三月に宮内少輔(くないしょうふ)となり、同年六月、越中守に任じられ、八月に着任してから、天平勝宝三年(751)七月に少納言に任じられ、八月に帰京するまでの五年間、越中国に在任していた(この間に223首の歌を詠んでいる)。

 到着セレモニーの出演者と万葉うたがたり会の皆さん  
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 家持が越中で詠んだ次の歌を犬養節(故犬養孝先生は独特の節回しで万葉歌を朗唱された)で朗唱されました。
【歌】 もののふの 八十娘子(やそをとめ)らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子(かたかご)の花 (R-4143)
【歌】 春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子 (R-4139)
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 大極殿をバックに出演者の集合写真(傍らから撮らせてもらいました)
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 平城京天平祭についてはこれまで2回記事を載せています。
     ↓
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/438
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/502
Posted by katakago at 10:36
忍阪・宇陀を歩く(毎日文化センター学外講座) [2014年11月10日(Mon)]
 一昨日(11/8)、毎日文化センターの万葉学外講座(講師は市瀬雅之先生)があり参加しました。月一回の講座で、うち年二回の学外講座があります。
 コースは、近鉄大和朝倉駅(集合10:10)→ 忍坂山口坐神社 → 忍坂坐生根神社 → 玉津島明神 → 舒明天皇陵 → 鏡王女墓 → 大伴皇女墓 → 忍坂〜大宇陀(奈良交通バス) → 大宇陀道の駅(昼食)→ 阿騎野・人麻呂公園(中之庄遺跡)→ 万葉公園(かぎろひの丘)→ 阿紀神社 → 神楽岡神社 → 大宇陀〜榛原駅(奈良交通宇バス)→ 墨坂神社 → 近鉄榛原駅(16:40頃到着)

 
 忍坂の舒明天皇陵に向かう途中、大宇陀の方向を望む
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 生根神社の歌碑  
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【歌】 隠来之 長谷之山 青幡之 忍坂山者 走出之 宜山之 出立之 妙山叙 惜 山之 荒巻惜毛 (L-3331)
【読み下し文】 こもりくの 泊瀬の山 青旗の 忍坂の山は 走り出の 宜しき山の 出立ちの くはしき山ぞ あたらしき 山の 荒れまく惜しも
【口語訳】 (こもりくの) 泊瀬の山の (青旗の) 忍坂の山は 裾引きの 好もしい山で たたずまいの 見事な山だ もったいない この山の 荒れてゆくのが惜しい

 舒明天皇陵を過ぎて鏡王女墓に向かう山道で
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 鏡王女の万葉歌碑(揮毫は犬養孝先生)
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【歌】 秋山之 樹下隠 逝水乃 吾許曾益目 御念従者 (鏡王女 A-92)
【読み下し文】 秋山の 木の下隠り 行く水の 我こそまさめ 思ほすよりは
【口語訳】 秋山の 木陰をひそかに 流れて行く水のように わたくしの方こそ深く思っているでしょう あなたが思ってくださる以上に
 作者の鏡王女は、従来額田王の姉かとされたが、舒明天皇陵の域内に在ることより舒明天皇の皇女ではないかとする説があります。初め、天智天皇に愛されたが、のちに藤原鎌足の正室となっている(ちなみに興福寺の前身山階寺は鎌足病気のさい王女の発願により開基)。鎌足と結婚する前に、天智天皇との歌の贈答があり、これはその答歌で、天智天皇の歌は、
【歌】 妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる 大島の嶺に 家もあらましを(A-91) 
【口語訳】 あなたの家だけでも いつも見られたらよいのに 大和の国の 大島の嶺に あなたの家がありさえすればよいのに


 大宇陀では、柿本人麻呂の安騎野の万葉歌碑を巡りました。
 阿騎野・人麻呂公園で(写真後方中央は馬上の人麻呂像)
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 この場所(中之庄遺跡)は、平成7年度(1995)の発掘調査によって、弥生時代、飛鳥時代、中・近世の三時期にわたる遺構が見つかり、飛鳥時代のものとしては掘立柱建物跡(11棟以上)、竪穴住居跡(3棟)等が見出されています(遺構の時期は出土土器から7世紀後半〜末)。古代の狩猟の地であった安騎野の重要施設と推定されています(園内には掘立柱建物の復元と馬上の人麻呂像も)。
 
 万葉公園(かぎろひの丘)で
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 以下は軽皇子が安騎野に宿られた時に柿本朝臣人麻呂が詠んだ歌(歌碑の写真とともに)
 万葉公園(かぎろひの丘)の歌碑(長歌) 
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【歌】 八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 神長柄 神佐備世須等 太敷為 京乎置而 隠口乃
 泊瀬山者 真木立 荒山道乎 石根 禁樹押靡 坂鳥乃 朝越座而 玉限 夕去来者 三雪落 阿騎乃大野尓 旗須為寸 四能乎押靡 草枕 多日夜取世須 古昔念而 (@-45)
【読み下し文】 やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 京を置きて こもりくの 泊瀬の山は 真木立つ 荒き山道を 岩が根 禁樹押しなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉かぎる 夕去り来れば み雪降る 安騎の大野に はたすすき 篠を押しなべ 草枕 旅宿りせす 古思ひて
【口語訳】 (やすみしし) わが大君の (高照らす) 日の神の皇子軽皇子は 神であるままに 神らしく振る舞われるべく 天皇のいらっしゃる 都をよそに (こもりくの) 泊瀬の山は 真木が茂り立つ 荒い山道だが 岩石や 邪魔な木を押し倒し (坂鳥の) 朝越えられて (玉かぎる) 夕方になると 雪の降る 安騎の大野に すすきの穂や 小竹を押し伏せて (草枕) 旅寝をなさる 日並皇子がここに来られた時のことを偲んで
 犬養孝著『万葉の旅 上』には、「草壁皇子(日並皇子)は、母持統天皇の三年四月に亡くなられた。この歌はその後に草壁皇子の遺児軽皇子が、宇陀の安騎野に狩に行かれたときお供をした人麻呂の作である。草壁皇子は生前、同じ宇陀に狩に出られた(巻二-191)。軽皇子の安騎野行は、けっしてただの狩猟ではなくて、「古思ひて」ともあるように、父君追慕の狩の旅である。時は、巻一の配列の順序から考えて、持統六年(692)の春以後、その年の冬の頃と推定される」とあります(六年とすると軽皇子は当時10歳で、15歳の時に持統が譲位して文武天皇となる)。 

 万葉公園(かぎろひの丘)の歌碑(反歌) 揮毫は佐佐木信綱(昭和15年建立)
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【歌】 東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ (@-48)
【口語訳】 東方の 野にかげろうの 立つのが見えて 振りかえって見ると 月は西に傾いている
 『万葉の旅 上』には、「この歌は、山野の草枕での回想に夜を徹してしまった荒涼と寒気と悽愴の黎明の感慨として理解されなければならない。(中略) このような事情のなかでの山野の夜明けであって、それだけに凄みも増し、東方の薄明るい光と、西方のまだ黒々とした中の薄暗い月光とのコンポジションは、かえって作者の感慨を拡大させ、遠くはるかに深々としみとおらせてゆくものがある」とあります。
 この歌に取材した壁画の作者中山正實氏は、この景観にあらわれる日時を中央気象台に問い合わせ、実地に攻究し、持統六年十一月十七日(692年12月31日)とし、その暁方、かげろひが東に立ち(日の出前1時間)、月が西に傾く時を、午前5時50分と推定した(澤瀉久孝著『萬葉集注釋』より)。

 阿紀神社の歌碑(反歌)
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【歌】 阿騎乃野尓 宿旅人 打靡 寐毛宿良目八方 去部念尓 (@-46)
【読み下し文】 安騎の野に 宿る旅人 うちなびき 眠も寝らめやも 古思ふに
【口語訳】 安騎の野に 仮寝する旅人は くつろいで 寝てなどいようか 故皇子のいらした当時を思うと 

 神楽岡神社の歌碑(反歌)
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【歌】 真草苅 荒野者雖有 葉 過去君之 形見跡曾来師 (@-47)
【読み下し文】 ま草刈る 荒野にはあれど もみち葉の 過ぎにし君の 形見とそ来し 
【口語訳】(ま草刈る) 荒れ野ではあるが (もみち葉の) 今は亡き皇子の 形見の地としてやって来られた

 反歌は次のもう一首があります(この歌の歌碑は今回のコースには無かった)。
【歌】 日並の 皇子の尊の 馬並めて み狩り立たしし 時は来向かふ (@-49)
【口語訳】 日並の 皇子の尊が 馬を並べて 狩りを催された 同じその時刻になった

 なお、この「安騎野のかぎろひ」に関しては、以前に和田萃先生の講演の記事で触れています。
      ↓
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/472


Posted by katakago at 15:40
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