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久しぶりの農作業 [2014年02月26日(Wed)]
 天気予報を気にしながら、カルチャーセンターの受講日程の合間を縫って、今日は今年初めての耕運作業を行いました。
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 温度が上がると草が一斉に伸び出すので、その前に夏の草花を播種するための畝立作業を行いました。一年生のベニバナ、カワラナデシコのほか、ヒオウギやキキョウの種も新たに蒔く予定です。別の畑では、引き続き夏野菜栽培のための準備も待っており、これから忙しくなりそうです。
 作業が終わった後の様子
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Posted by katakago at 18:01
難波宮発掘調査60周年記念講演会 ー 難波宮と大化改新 [2014年02月24日(Mon)]
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 今年は難波宮発掘調査が始められて60年にあたります(山根徳太郎博士が大阪市立大学退官後に調査を始めたのが1954.2.20)。これを記念して、昨日講演会とシンポジウムが開催されました。主催者(大阪市博物館協会・大阪市立大学・なにわ活性化委員会)によると、定員250名のところ1000人ほどの申し込みがあり参加者は抽選となったそうです。幸い私は抽選で選ばれて参加することが出来ました。
 4名の研究者による演題は次の通りです。
「大化改新と孝徳朝」 磐下 徹 氏(大阪市立大学講師)
「大化の薄葬令と古墳の終末」 岸本 直文 氏(大阪市立大学准教授)
「大化改新と宮殿建築の新しいカタチ」 李 陽浩 氏(大阪歴史博物館学芸員)
「周辺部の発掘成果からみた前期難波宮」 高橋 工 氏(大阪文化財研究所調査課長)

 難波宮の所在地は戦前までは不明であったが、それを突き止めたのが故山根徳太郎博士です。1953年、大阪城南側の法円坂住宅工事現場から鴟尾(しび)が発見されたのをきっかけに、1954年から発掘調査が行われました。宮殿遺跡は重なった2期のものに分かれ、地層の上下関係や遺構の重なり具合から先に作られた宮殿を前期難波宮、後の宮殿は後期難波宮と呼ばれています。前期難波宮は飛鳥時代(7世紀)中頃に造営され、後期難波宮は奈良時代(8世紀)前半に造営が開始されたと考えられています(大阪歴史博物館編『前期難波宮』より)。
 前期難波宮の北限の谷から見つかった木簡には、「戊申(ぼしん)年」と書かれ(国内最古の紀年銘木簡)、同じ場所から出土した土器が7世紀中ごろのものであることより、この年は648年と考えられ、前期難波宮は大化改新(645年)後の650年に造営が開始された、孝徳天皇の難波長柄豊碕宮であると考えられています。孝徳天皇の崩御(654年)により都は飛鳥に戻りますが、天武天皇の時代(天武十二年,683)に複都制の詔が出され難波宮が複都とされます。朱鳥元年(686)に、難波大蔵より出火・宮室罹災の記事が『日本書紀』に記されています。ここまでが前期難波宮で、後期難波宮は、聖武天皇が神亀三年(726)に難波宮再建に着手してから、延暦三年(784)に桓武天皇が長岡京へ遷都のため難波宮殿舎を解体、移築するまでとされています。

 講演内容未消化ながら、興味があった内容について当日の資料も参考にしながら以下メモに残しておきます。
(磐下氏の講演から)
「大化改新」は、645年6月の蘇我氏本宗家の滅亡(乙巳の変)に端を発する一連の国政改革で、大宝律令完成(701年)に象徴される中央集権国家体制成立の起点とされています。20世紀の「大化改新」論では、天智天皇や天武・持統天皇を8世紀の律令国家の起点として高く評価する一方、孝徳朝の評価は低くみられていました。
 その後新たな検討材料(王宮の遺構や一次資料としての木簡)をもとに、21世紀の「大化改新」論が展開されることになった(以下はその研究基点)。
・公民制の成立
 石神遺跡出土乙丑年(天智四年,665)木簡
  釈文:乙丑年十二月三野国ム下評
     大山五十戸造ム下ア知ツ 従人田ア児安
 →孝徳朝(大化五年,650)に全国的な「国ー評ー五十戸」制が施行(8世紀の国ー郡ー里制に通じる律令制的人民支配が成立)
・官僚制の成立
 前期難波宮(孝徳朝)の遺構に見られる整然とした朝堂・曹司域
 →「難波朝廷之立礼」等を実行した儀礼空間、執務空間の存在(冠位制、官司・官職大系の存在)

(岸本氏の講演から)
 薄葬令(646年の旧俗改廃の詔)は改新諸政策の一つで、考古学的な立場から改新の実態解明に迫ろうとするもの。
 最有力墓(斉明天皇陵とみられる牽牛子塚古墳など)は別として、7世紀前葉の墳丘規模は12〜40尋(1尋=1.5m)で、7世紀中頃以降はほぼ15m以下になるとのことでした(薄葬令が実行されているとの見解)。

(李氏の講演から)
 『日本書紀』には数多くの造営記事がありますが、建物の姿にまで言及したものは難波長柄豊碕宮で、「秋九月に、宮を造ること已に訖りぬ。其の宮殿の状、殫(ことごとく)に論(い)ふべからず(その姿は言葉に出来ないほど素晴らしい)。」と記されています。建物や配置計画には、先進的・画期的な要素が認められるとのことです。以下はその特徴的な点。
・天皇の居住域(内裏)と官人達が参集し政務や儀式を行う空間(朝堂院)を明確に分離
 内裏は軒廊で繋がれた前殿と後殿からなり、このような配置は「工字殿」ともいわれ(東アジア的にみても最も早い部類)、天皇の出御方法と関連するとみられています。朝堂院は、中央に広大な庭(ここで儀式が行われ)と、その周囲に14堂(あるいは16堂)の朝堂があり場所ごとに建物規模が異なり、その規模の違いは着座する官人の冠位の違いを示している可能性があるとのことでした。
・中軸線(南北軸)と左右対称の建物配置
中軸線上に重要な建物が集中し、この線上を通ることが権力の中枢を通ることを意味し、空間的ヒエラルキーが政治的ヒエラルキーへと転化する様子を読み取れると述べられていました。
・建物類型(ビルディングタイプ)
古代建築・宮殿での最古の例として、八角殿・大型門・複廊(翼廊)・軒廊等
 孝徳天皇崩御後、都は飛鳥に戻りますが、そこでの宮殿はこのような先進的な考えは用いられておらず、藤原宮で継承されてゆくことになったようです。

 講演の後行われたシンポジウムの様子
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 後期難波宮大極殿の復元基壇と礎石(難波宮跡公園にて)
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 復元基壇と難波宮跡公園(大阪歴史博物館10階から撮影)
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 大阪歴史博物館は内裏西方官衙跡の上に建てられており、難波宮跡の傍には大阪城があります。
 博物館10階より眺めた大阪城(お城を上から眺めるには絶好の場所)
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 なお難波宮発掘60年記念行事はこのほか、大阪市立大学公開講座(「難波宮発掘60年と山根徳太郎博士」,3/3)や大阪歴史博物館の特別展(「大阪遺産 難波宮 ― 遺跡を読み解くキーワード ー」,6/21〜8/18)が予定されています。


Posted by katakago at 16:45
宮島・岩国・長門・萩・津和野を巡る旅 [2014年02月22日(Sat)]
 JTBのツアーに参加して、宮島・岩国・長門・萩・津和野を巡って来ました。農作業で忙しくなる前に、例年この頃に短期の旅行に出かけています(旬の食材を用いた料理と温泉も楽しみです)。
1日目:宮島(厳島神社参拝)→ 城下町岩国の史跡(錦帯橋ほか)→ 長門湯本温泉(泊)
2日目:青海島(おおみじま) → 萩(松下村塾・松陰神社) → 津和野(殿町散策)

 厳島神社
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 御由緒によれば、祭神は天照大神と素戔鳴尊が高天原で誓約(うけい)をされた時に生まれた三柱の女神で、それぞれ市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)です。なお、これらの神々は『古事記』には宗像の三女神として記されています。
 社殿の創建は推古元年(593)によるものと伝えられ、その後の仁安三年(1168)に平清盛により、社殿を寝殿造として現在のように造営されたようです。
 境内では早くもアセビが咲いていました(当方の植物園では未だ蕾です)。
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 城下町岩国の錦帯橋(写真中央の山頂には岩国城)
錦川の堤に植えられた桜の花の頃は、一層すばらしい景観であろうと思われます。
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 長門市の青海島(海上アルプスと呼ばれる絶景が広がる、写真は十六羅漢付近)
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 なお、この島には我が国の夏ミカンの原木とされるものが残っているそうです。今回は時間の関係で訪れていませんが、『藤原流万葉集の歩き方』(藤原茂樹著)の橘の章(第七回)にもこの事がふれられています。 

 ヤブツバキが咲いていました(花の大きさは小さめです)。
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 椿といえば、今回はコースに入っていませんが、萩市の笠山椿群生林(約2万5千本)が有名だそうで、いずれ機会があれば訪れてみたいと思いました。

 松下村塾(国指定史跡)
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 塾生として、幕末から明治維新で活躍した久坂玄瑞・高杉晋作・伊藤博文・山県有朋などが知られています。
 吉田松陰の歌碑
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 親思う こころにまさる 親ごころ けふの音ずれ 何ときくらん
(歌碑の文字は、真跡を模写拡大したもので、寅二郎は通称)
 この歌は、安政の大獄に連座して江戸伝馬町の獄に投ぜられ、いよいよ処刑を覚悟した松陰が、安政六年(859)十月二十日に、郷里の両親に書き送った便りの中に書かれた一首です。
 処刑直前に塾生らにあてて書かれた遺書「留魂録」には、次の歌が記されています(松陰神社宝物館にて)。
 身ハたとひ 武蔵の野辺に 朽ぬとも 留置まし 大和魂

 津和野の鷺舞の像
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 鷺舞は弥栄神社に伝わる古典芸能神事(7月の例祭に供奉される)で、16世紀半ばに京都より山口へ、山口から津和野へ伝えられた(五穀豊穣・災厄防除を祈る)。本元は京都の八坂神社祇園会に伝えられたものですが、今では日本に只一つ残る鷺舞で、国指定の重要無形民俗文化財とのことです。
Posted by katakago at 15:35
瀬戸内万葉の旅 ー 家島・鳴島 [2014年02月17日(Mon)]
 昨日(2/16)、万葉の大和路を歩く会主催の第429回万葉旅行に参加して、家島(姫路市家島町)や鳴島(相生市金ケ崎)方面を訪ねました。前日とは打って変わって天候にも恵まれ、講師の坂本信幸先生(高岡市万葉歴史館館長)による解説を聴きながら、70名余りの参加者は瀬戸内の万葉の旅を愉しみました。

 姫路港では早めの昼食を済ませ、チャーター船(写真左)で西南18km沖にある家島に向かいました(家島本島の真浦港に到着)。
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 遣新羅使が帰途に詠んだ歌5首のうちの一首に、家島が詠まれておりその歌碑が家島神社に建立されています。
 天平八年(736)夏六月、大使阿倍継麻呂ら一行は武庫の浦を船出、瀬戸内海を西航し、苦難の末に新羅に到達したものの、彼の地では冷遇され、失意のうちに帰路につき、翌九年一月大使を対馬に失って入京。万葉集巻十五の前半に、往路の歌百四十首、帰路の歌五首が収められている(副碑より)。

 この時の遣新羅使については、『続日本紀』の聖武天皇条に次のような記事が記されています。
天平8年2月28日:従五位下阿倍朝臣継麻呂を遣新羅大使とす。
天平9年正月26日:遣新羅使大判官従六位壬生使主宇太麻呂、少判官正七位大蔵忌寸麻呂ら、京に入る。大使従五位下阿倍朝臣継麻呂、津嶋に泊りて卒しぬ。副使従六位下大伴宿禰三中、病に染みて京に入ることを得ず。
天平9年2月15日:遣新羅使奏すらく、「新羅国、常の礼を失ひて、使の旨を受けず」とまうす。
天平9年3月28日:遣新羅使副使大伴宿禰三中ら卅人拝朝す。

 万葉歌碑の前で坂本先生による解説
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 遣新羅使人の万葉歌碑(犬養先生揮毫)
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【原文】 伊敝之麻波 奈尓許曽安里家礼 宇奈波良乎 安我古非伎都流 伊毛母安良奈久尓 (N-3718)
【読み下し文】 家島は 名にこそありけり 海原を 我が恋ひ来つる 妹もあらなくに
【口語訳】 家島は名前だけであったよ。長い海の旅の間、私がずっと恋しく思いつつ来た、その妻もいないのだもの。
 瀬戸内海を航行する当時の旅人は、家族を意味する「家」の語をもったこの島の名を聞くだけで、家郷を思い妻を懐かしんだようです。
 題詞に、「筑紫に廻り来り、海路にて京に入らむとし、播磨国の家島に至りし時に作る歌五首」とある内の一首です。

 犬養先生揮毫の歌碑原本
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 割烹旅館「志みず」さんで、犬養先生揮毫の歌碑原本を見せていただきました。先代(高島軍治氏)が建立者で、現当主から歌碑除幕式(昭和61年7月19日)の様子なども聞かせていただきました。

 家島神社境内の白梅が咲き始めていました。
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 家島神社境内からの眺望(家島群島の一つの男鹿(たんか)島、砕石のため断崖絶壁が多い)
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 家島での散策の後、宮港より姫路港に戻り、バスで室津方面に向かいました。
相生市金ケ崎(万葉の岬)では、まず縄の浦の万葉歌碑に向かいました。
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 澤瀉久孝先生揮毫の万葉歌碑の前で坂本先生による解説
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 万葉歌碑の碑面(亡くなられてから毛筆原稿より採字して平成二年に建立)
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【原文】 繩浦従 背向尓所見 奥嶋 榜廻舟者 釣為良下 (山部赤人 B-357)
【読み下し文】 縄の浦ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 漕ぎ廻る船は 釣りしすらしも

 次いで、今回最後の目的場所である「HOTEL万葉岬」横の椿園にある鳴嶋万葉歌碑を訪ねました。
 歌碑の前で坂本先生による解説
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 海上には辛荷の島(左から地の唐荷・中の唐荷・沖の唐荷)とその後方右には家島群島がうっすら写っています。

 鳴嶋万葉歌碑(犬養先生揮毫)
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【原文】 室之浦之 湍門之埼有 鳴嶋之 礒越浪尓 所沾可聞 (K-3164)
【読み下し文】 室の浦の 瀬戸の崎なる 鳴島の 磯越す波に 濡れにけるかも

 鳴島(現在の君島、金ケ崎の「HOTEL万葉岬」前から眼下に臨む)
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なお、室の浦関連の歌碑の記事は次のURLに載せています。
      ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/538

ほかに遣新羅使人歌関連記事は、次のURLにも載せています。
      ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/260
Posted by katakago at 18:27
学校給食を試食(2/14)  [2014年02月15日(Sat)]
 昨日(2/14)、多田小学校で学校評議員会があり出席しました。校長先生から、1年間の取り組みの成果や課題・学校教育についての保護者アンケート結果について説明を受け、地域と学校の連携の視点から意見交換がなされました。
 今回、学校給食も話題に取り上げられ実際に試食させていただきました。川西市の全ての小学校では、各学校で調理したものが提供されています。栄養教諭と調理スタッフ6名で、600名ほどの給食を毎日準備していただくそうです。米飯を中心に、野菜はネギ・サトイモ・タマネギなど地元の食材も出来るだけ使用するようにしているとのことです。食アレルギー対応では、現在、卵を使わない除去食も作られているそうです(今回のメニューの鶏のから揚げでは最初の油で揚げられる)。また、煮物として用いない野菜については、70℃での熱処理を行っているとのことです(今回のメニューでは和え物用の大根)。
 学校給食というと、我々の世代は不味かった脱脂粉乳が先ず思い出されますが、今ではきめ細かな配慮がなされているようです。
  
 今回試食させていただいた昼食(白飯・牛乳・みそ汁・鶏のから揚げ・大根とシラス干しのあえもの)
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 鶏のから揚げは、メニューでは「ごまザンギ」となっていました。珍しい名前だったので調理法を転載しておきます(学校のホームページより)。北海道の料理とのことで、鶏肉をショウガ・ニンニクのみじん切りと調味料(醤油・酒・塩)・卵で下味をつけ、すりゴマと煎りゴマをまぶして粉をつけて油で揚げたもので、香ばしい味でした。
Posted by katakago at 12:13
雪つばき [2014年02月14日(Fri)]
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 先月、「佐藤太清展」で「雪つばき」の画を見てから、裏山のヤブツバキでこのような写真が撮れればと思っていました。前日からの天気予報で先週に続き降雪が期待されましたが、雪は午前中で、それも思ったほどは降らずに止んでしまいました。雪が少なかったのと開花している花が未だわずかで物足りなかったのですが、今朝撮影したのを載せておきます。次のチャンスを狙ってみます。
 うっすらと積もった裏山の様子
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 「佐藤太清展」の関連記事は次のURLに載せています。
      ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/761
Posted by katakago at 21:03
矢問川の河川改修工事 [2014年02月12日(Wed)]
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 先月末から、果樹園のすぐ脇で矢問川の河川改修工事が行われています。
 既設の護岸が一部劣化しているのと、本川である猪名川の河川改修計画では、洪水時の水位が矢問川の護岸よりも高くなっているため、この地区の治水対策として平成21年度より始められているものです。全体の施工延長は300m程ですが、予算が付かなかった年度もありこれまで3回に分けて実施されたのは計画の三分の二程度で、今年度の工事でようやく終了となる見込みです。

 既設護岸の老朽化対策もあり河川の位置を畑側(写真右側)にずらして行われています(写真左後方の住宅側護岸はこれまでに工事が終了した個所)。
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 護岸改築工事は私の果樹園(写真中央)のすぐ脇で行われています。
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Posted by katakago at 13:53
複製された三角縁神獣鏡の記事(1/30付)をみて [2014年02月06日(Thu)]
 1月30日の朝日新聞朝刊に、複製された三角縁神獣鏡について興味ある記事が載っていました。次の写真は、朝日新聞の記事の写しです。
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 「精巧に復元された三角縁神獣鏡(古代の青銅鏡)のなめらかな鏡面(凸面)に光をあてると、反射光の壁の投影面に鏡の背面に描かれた文様が映し出された」というものでした。京都国立博物館の研究成果で、東之宮古墳(愛知県犬山市)出土の三角縁神獣鏡(同館所蔵)を分析し、同じ材料・成分の銅・錫などを用いて最新の3Dプリンターで精巧に複製され、それが今回の実験に用いられたそうです。記事には「魔鏡的な現象に古代の誰かが気づき、意識してこうした形状にしたのでは。太陽信仰との関係性もみえてくる」との談話が載せられていました。これまでは背面に描かれた文様や銘文(神原神社古墳出土には、「景初三年陳是作鏡・・・」)が注目されていましたが、このような鏡の機能にも注目して研究が進むものと思われます。

 三角縁神獣鏡については、「魏の皇帝が卑弥呼の使者に銅鏡100枚を贈った」と「魏志倭人伝」に記されている鏡との関連で、これまでいくつかの関連講演を聴いていますが、10年ほど前に、東大阪市の銅合金鋳造「上田合金」で、銅鏡作りが体験できる講座(実験考古学)に参加し、三角縁神獣鏡や海獣葡萄鏡等を作成したことがあります。その時の写真をいくつか載せておきます。
 工場内での作業の様子
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 鋳型の作製(木枠に詰めた特殊な砂の上に型を置いて)
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 約1200度で溶かされた銅と錫の合金(85:15)を流し込む(この作業は担当の社員が実施)
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 完成した三角縁神獣鏡の背面(表は耐水ペーパーなどで研磨)
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 その鏡を用いて試してみたのが次の写真です。
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 磨かれた鏡の表(凸面)に太陽光を当ててその反射光を居間の天井に投影してみましたが、この鏡でははっきりした文様の確認は出来ませんでした。鏡の厚さや磨き方にも違いがあるのかもしれません。

 なお、三角縁神獣鏡関連の記事は次のURLに載せています。
       ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/189

Posted by katakago at 15:02
立春が過ぎて [2014年02月05日(Wed)]
 昨日(2/4)は立春で暦の上ではもう春ですが、今朝はうっすら雪が積もっていました。
 裏山の植物園ではこれから春の花が咲き始めます。大きなヤブツバキの木で、早くも数輪花を咲かせているのを見つけました。上の方で咲いているので写真を撮るには脚立が必要でした。ちなみに今年の万葉カレンダーの2月はヤブツバキの写真を掲載しています。
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 白梅の蕾も膨らみ、ミツマタの蕾も薄く黄色みがかってきました。来月には花が見られるものと思われます。

 白梅の蕾
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 ミツマタ(ブータン大輪ミツマタ)の蕾
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Posted by katakago at 14:48
中山寺の節分会 [2014年02月03日(Mon)]
 午前中、中之島のカルチャーで万葉講座を受講した後、午後から阪急沿線の中山寺に立ち寄り、節分会の行事を見学しました(昨年は早朝より吉野の金峯山寺に出かけました)。中山寺はその縁起によると聖徳太子の創建と伝えられ、我が国最初の観音霊場で(本尊は十一面観世音菩薩)、西国二十四番札所になっています(紫雲山 中山寺の御詠歌は、のをもすぎ さとをもゆきて なかやまの てらへまゐるは のちのよのため)。幕末、明治天皇御平産祈願が行われたこともあって「安産の寺」としても知られています。
 午後3時からの2回目に間に合いました。本堂両サイドに仮設舞台がしつらえられ、追難式は右側で、豆まきは本堂と両サイドの舞台の3ケ所で行われました。中山寺の節分会にお参りして、今年も福を持ち帰れれば幸いです。 

 中山寺山門
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 追難式(ついなしき)の様子
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 1年の厄を払いその年の幸せを願う儀式で、宝塚歌劇団生徒が扮する観音様に、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の3匹の鬼が諭されて、福・禄・寿の善神に変わるさまが演じられました。昨年見学した金峯山寺蔵王堂内で行われた鬼の調伏式と比べ、ここでは現代風にアレンジされており、だいぶ趣が違っていました。

 除災招福豆まき式の様子
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 昨年お参りした金峯山寺の節分会の記事は次のURLに載せています。
       ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/530

Posted by katakago at 21:10
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