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季節外れのヒマワリ・タカサゴユリ [2013年10月31日(Thu)]
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 旅行から帰ってきたら、畑の片隅でヒマワリが咲いていました。夏に咲いた株の種が落ちて発芽したものですが、この写真の他にもこれから来月にかけて何株か咲きそうです。今年の夏に開花した時の写真は次のURLに載せています。
    ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/658

 自宅の庭では、この時期でもタカサゴユリが咲いています。通常、8月のお盆の頃に咲きますが、まれに晩秋にも花を咲かせる株があります。
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Posted by katakago at 13:00
「飛鳥を愛する会」現地講座(石見から出雲を巡る)その3−出雲大社公式参拝 [2013年10月29日(Tue)]
 現在の出雲大社本殿は延享元年(1744)に造営され、前回の修造遷宮は昭和28年(1953)で、今年は60年ぶりの「平成の大遷宮」が5月10日に行われました。
 今回の旅行では、新しく遷座された出雲大社への公式参拝(本殿瑞垣内での参拝)も目的の一つです(実現に際しては会長の木下先生が尽力されたそうです)。以下写真で出雲大社の紹介をします。なお、島根県立古代出雲歴史博物館では、展示物の写真撮影はストロボ不使用で許可されていましたので、関連の写真を掲載しました。

 出雲大社の参拝に向かう(この時あいにく雨が降ってきました)
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 新しくなった檜皮葺(右の建物が本殿、高さ24m)
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 公式参拝に向かう(襷をかけて)
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 瑞垣内で神官から遷宮の意味についても説明を受けました。本殿(国宝)をはじめ諸建造物の修造など形に表れること(技術継承も含め)にとどまらず、その形に籠もる先人より受け継がれてきた日本の心を継承し、後世に継ぎ伝えてゆくこととされています。
 代表参拝者(木下先生)に合わせて、2拝4拍手1拝で参拝しました(瑞垣内の撮影は禁止)。

 公式参拝記念品(本殿大屋根の檜皮古材)
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 発掘された宇豆柱(13世紀前半ごろのもの、古代出雲歴史博物館展示)
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 一本の直径が約1.35mのスギ材を3本組にしたもの、さしわたし約3mもある。

 宇豆柱跡の位置(赤い丸印)
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 巨大本殿の柱の図面(金輪御造営差図、古代出雲歴史博物館展示)
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 出雲大社の宮司を務める千家国造家に伝わる絵図で、境内出土の巨大柱と規模・構造・配列に共通する部分があり注目されています。

 平安時代中頃(970年)に書かれた『口遊(くちずさみ)』には、当時の大きな建物として雲太(出雲大社本殿)、和二(大和の大仏殿)、京三(平安京の大仏殿)が挙げられており、大仏殿の高さは15丈(約45m)で、出雲大社の本殿はそれ以上であったとみられています。

 復元模型の一つ(博物館展示)
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出雲大社関連記事(大出雲展と関連シンポジウム)は下記のURLに載せています。
       ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/415


 2日目の夕食は懇親会の場となりました(写真は全員で乾杯)。
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 「飛鳥を愛する会」の行事には出来るだけ参加するようにしています。今回は悪天候にもかかわらず46名の参加があったようです。神奈川・東京・茨城や九州からの参加者もあり、ホテルで同室の方とも知り合え、訪問場所の見学だけではなく充実した3日間でした。
 カルチャー仲間にも入会を呼びかけています。宿泊を伴う現地講座はこれまで同宿となっているようですが、若い人も気軽に参加できるように一人一室も考慮していただければと思っています。 

Posted by katakago at 10:07
「飛鳥を愛する会」現地講座(石見から出雲を巡る)その2−考古学編 [2013年10月29日(Tue)]
 この記事では考古学関連の見学場所について写真を中心に報告します(2,3日目)。なお、島根県立古代出雲歴史博物館ではストロボ不使用で展示物の写真撮影が許可されていましたので適宜掲載しました(見学場所を整理する上で大変ありがたいことです)。
 考古学関連の見学場所では、木下先生・岡崎先生から詳細な図面付きの資料とともに解説していただきました。
2日目(10/26)は、荒神谷遺跡・荒神谷博物館 → 出雲弥生の森博物館 → 西谷墳丘墓群
3日目(10/27)は、今市大念寺古墳 → 上塩冶築山古墳 → 岡田山古墳群・島根県立八雲立つ風土記の丘の資料館 → 山代二子塚古墳 → 山代郷北新造院跡

 島根歴史年表と訪問場所(筆者作成)
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 これは島根歴史年表(博物館図録を参照)に訪問遺跡の年代を重ねて作成してみました。弥生時代後期の荒神谷遺跡(多数の銅剣が埋納)・西谷墳丘墓群(巨大四隅突出型墳丘墓)から古墳時代後期の今市大念寺古墳・上塩冶築山古墳(出雲市)や山代二子塚古墳・岡田山一号墳(松江市)、さらに7世紀末から8世紀初めの山代郷北新造院跡を巡りました。

【荒神谷遺跡】
 荒神谷遺跡で木下先生の説明
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 銅剣358本ほか銅鐸・銅矛などの青銅器が埋納されていた。製作年代は弥生中期後半とみられ、使用痕跡がなく製作後期間を経ず埋納されたとみられています(その意味については未だ定説は無いようです)。

 銅剣の埋納状況(再現)
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 銅鐸・銅矛の埋納状況(再現)
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 出土銅剣の展示(島根県立古代出雲歴史博物館)
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 銅剣展示の拡大写真(同博物館)
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【西谷墳丘墓群】 
 四隅突出型墳丘墓の模型(出雲弥生の森博物館展示)
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 四隅突出型墳丘墓の形態は、方形墳丘の四隅を舌状に突出させ斜面には貼石がなされている。巨大四隅突出型墳丘墓は弥生後期後半(2世紀後半ごろ)出雲で突如として出現し、「出雲型銅剣」をシンボルとした出雲の社会に大きな変革が起こったとみられています(木下先生資料)。

 西谷墳墓群3号墓
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 墳丘上での説明(岡崎先生)
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 西谷墳墓群2号墓(復元)
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 6世紀中ごろ、出雲西部と出雲東部で大型古墳が出現(二大勢力が成立)。
  西部勢力:出雲市の今市大念寺古墳(91mの前方後円墳)
  東部勢力:松江市の山代二子塚古墳(94mの前方後方墳、出雲最大)
 その後、7世紀前半ごろ東部勢力が優位を占め、西部勢力を打破した可能性が強く、東部勢力の首長が出雲唯一の突出した首長へ成長し、以後東部勢力が盟主となって出雲が統一され、出雲国造としての地位を占めるようになったとみられています(以上、木下先生資料より)。

 【今市大念寺古墳】
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 石室内を見学(懐中電灯で照明)
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 【上塩冶築山古墳】
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 石室内の見学
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 【岡田山1号墳】
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 6世紀後半に造られた二段築成の前方後方墳で、東部勢力の王墓に次ぐ有力古墳とみられています。ここからは象嵌銘文の銀装円頭大刀が出土しています(1979年)。文字は「額田部臣」と読め、部民制の存在を示す最古の史料とされる。「額田部」は額田部皇女(後の推古天皇)の養育に携わる部民で、額田部臣はその支配豪族(出雲にのみ見える)。岡田山一号墳出土の大刀銘文からは、出雲の豪族がヤマト政権の支配組織に組み込まれつつ成長していったことがよみとれる(以上、木下先生の資料より)。

 墳丘前で岡崎先生の説明
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 石室内の様子
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 埋葬状況の説明板
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 【山代二子塚古墳】
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 墳丘上で岡崎先生の説明
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 墳丘の様子(前方後方墳)
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 【山代郷北新造院跡】
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 733年に完成した『出雲国風土記』意宇(おう)郡条には、山代郷(現在の松江市南郊)に南北2か所の新造院があったとあり、発掘調査の結果新造院跡と確かめられています。
 


Posted by katakago at 10:04
「飛鳥を愛する会」現地講座(石見から出雲を巡る)その1−万葉編 [2013年10月28日(Mon)]
 この25日から3日間、「飛鳥を愛する会」秋季現地講座に参加して、柿本人麻呂ゆかりの石見から出雲の史跡を巡ってきました。万葉編、考古学編と出雲大社公式参拝の三つに分けて報告します。
 ここでは万葉編の報告です(昨年9月にもほぼ同じ場所を訪れていますが)。
1日目(10/25)は、辛の崎 → 都野津柿本神社 → 高角山公園
2日目(10/26)は、浮布池 → 斉藤茂吉鴨山記念館・鴨山公園

 大崎鼻(江津市波子町)「辛の崎」万葉歌碑の前で坂本先生の説明
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 大崎鼻より海岸を臨む
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 都野津柿本神社境内の犬養先生揮毫の万葉歌碑の前で
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 高角山公園(江津市島の星町)の人麻呂と依羅娘子の像の前で
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 高角山中腹にある坂本先生揮毫の歌碑(昨年9月に除幕式)の前で
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以上の場所は昨年の記事にも載せていますので、歌の解説は下記を参照ください。
       ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/445
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/447

 浮布(うきぬ)の池(太田市三瓶町)の万葉歌碑(歌は次の柿本朝臣人麻呂歌集歌から)
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 写真後方の山は三瓶山(四峰からなる)
【歌】 君がため 浮沼の池の 菱摘むと 我が染めし袖 濡れにけるかも (F-1249)
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 題詞に「柿本朝臣人麻呂、石見国に在りて死に臨む時に、自ら傷みて作る歌一首」とある次の歌
【歌】 鴨山の 岩根しまける 我をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ (A-223)
から、人麻呂終焉の地とされる「鴨山」は石見国にあるとみられていますが、その所在については古来より諸説があります。斉藤茂吉は昭和5年以後7度石見国を訪れ実地踏査を行い、湯抱(ゆがかい)(邑智郡美郷町)の地に「鴨山」を発見し、ここを人麻呂終焉の地に比定しました。その「鴨山」を望む近くの丘には茂吉が詠んだ歌の歌碑が建てられています。
 鴨山記念館前の茂吉の歌碑
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【歌】 夢のごとき 「鴨山」戀ひて われは来ぬ 誰も見しらぬ その「鴨山」を
この記念館は、「鴨山」探索に情熱を注いだ茂吉の偉業を顕彰するために平成3年に開館されました。
なお、斉藤茂吉は、「柿本人麿研究」の業績により帝国学士院賞を授与されています(昭和15年)。

 茂吉が昭和12年5月に初めて湯抱を踏査した時に詠んだ歌の歌碑
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【歌】 人麿が つひのいのちを をはりたる 鴨山をしも ここと定めむ 

 この歌碑が建てられた丘から、茂吉が「鴨山」とした峰(写真中央の山)を望みながら坂本先生による説明
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 ところで、この「鴨山」の地については、茂吉の湯抱説の他諸説(益田市高津の鴨島・浜田市城山(亀山)・江津市神村・江津市恵良・浜田市国府付近説)があります。

 1日目夕食後、午後8時から10時30分までホテルの会議室で勉強会がありました(この会の現地講座では恒例になっています)。
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 坂本先生は、笹の葉はみ山もさやに − 「乱友」 − と題して講演されました。人麻呂の次の歌の「乱友」の読みについては、これまでいくつかの説がある中で、「さやげども」と「みだるとも」が主な説でした。
【歌】 小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆 (A-133)
 坂本先生は、「さやげども」と読む論拠について、澤瀉久孝『萬葉古径』の説を踏まえ、集中の多数の「とも」の用例と「ども」の用例を検討され、「とも」の終止は推量などの不確実な判断の呼応関係があり、「ども」は逆説の既定条件を示すもので、「我は妹思ふ別れ来ぬれば」という既定条件の結びと対応するとして自説を解説されました(30分では短かったのですが)。
【読み下し文】 笹の葉は み山もさやに さやげども 吾は妹思ふ 別れ来ぬれば
 先生揮毫のこの歌の歌碑は、あえて「さやげども」とひらがなで書かれています。

  
Posted by katakago at 16:40
柿いろいろ [2013年10月23日(Wed)]
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 柿の収穫時期を迎えています。上の写真は今朝採ったもので、果樹園で栽培しているもの(次郎・富有・太秋・禅寺丸・興津20号)と裏山に自生している甘柿と渋柿です。このほか、果樹園では黒柿(次の写真)が生っています。
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【柿品種の特徴】
・次郎:四角張った円形の完全甘柿(静岡県原産で1844年ごろから栽培)
・富有:完全甘柿の代表品種(岐阜県原産で1875年ごろから栽培)
・太秋:1994年品種登録の完全甘柿(大型)
・禅寺丸:授粉樹向きの不完全甘柿
・興津20号:極甘の完全甘柿(果頂面が汚れる)
・黒柿:光沢のある黒い果実の完全甘柿


Posted by katakago at 13:14
太鼓台お披露目大祭 [2013年10月20日(Sun)]
 矢問地区の太鼓台は135年前に作られたそうですが(私も今から50数年前に太鼓に乗ったことがあります)、このたび文化庁からの補助を受け修理がなされました。これについては自治会長の谷さんが大変尽力されました。今日は、そのお披露目の大祭が執り行われました。開始時点ではあいにくの空模様でしたが、後半は雨も上がり地区内各所の巡行も無事終わりました。今回の巡行コースの最難関の急な坂道では、昨年の大祭に続き担ぎ手に加わり、山までの登り降りを担ぎ終え、参加者一同とともに達成感を味わいました。
 このような地元の伝統行事が、自治会とともに若手の消防団や婦人会・シルバーアローズ(長寿会)などの協力により継続されることを願っています。
 以下地元行事の記録として写真をいくつか掲載しておきます。

 まず最初に神主による太鼓台のお祓い
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 太鼓台の前で記念写真(乗り子・消防団・婦人会ほか、前列中央は谷自治会長)
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 鏡割りのお酒
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 巡行に先立つイベント(太鼓集団「疾風」による演技)
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 矢問八幡様へ向けて出発
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 八幡様に到着
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 八幡様へお参り
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 地区内各所を巡行後自治会館前に無事帰着
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 消防団長の挨拶
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なお、三年に一度の多太神社秋季大祭(昨年)の記事は次のURLに掲載しています。
        ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/493






Posted by katakago at 21:12
フジバカマの花盛り [2013年10月19日(Sat)]
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 10月も中旬となり植物園の花も少なくなりましたが、先月下旬から咲き始めたフジバカマは今が最盛期です。山上憶良の詠んだ「秋の七種(ななくさ)」では、フジバカマに加え、ススキの穂(をばな)の他、キキョウ(あさがほ)・カワラナデシコ・オミナエシも未だ花を咲かせている株があります。

 花に飛んできたツマグロヒョウモン
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Posted by katakago at 15:16
コウヤボウキの花が咲き始めました [2013年10月17日(Thu)]
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 台風後の点検も兼ねて数日ぶりに裏山を巡回しました。枯れた竹がいくつも倒れかけていたので又片づけなければなりませんが、ここしばらくは行事が詰まっており冬の仕事に残しておきます。
 裏山に自生しているコウヤボウキ(きく科)は、前回見かけた時は蕾だったのが花を咲かせていました。万葉歌には、たまばはき(原文は多麻婆波伎・玉箒と表記)として詠まれています。大伴家持の次の歌の解説を下記のURLに載せています。
【歌】 初春の 初子の今日の 玉箒 手に取るからに 揺らく玉の緒 (S-4493)
           ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/201




Posted by katakago at 15:21
秋の宝塚植木まつり [2013年10月14日(Mon)]
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 秋の宝塚植木まつりが開催中で、苗木を探しに出かけて来ました。第二果樹園に植えるため、ミカン(品種名 はるみ)の苗木を一本買い求めました。今月誕生日を迎える孫娘の名前と同じ品種名のものを選びました(中学生になる頃には収穫できるかな)。

 第二果樹園に植え付けたミカンの苗木”はるみ”
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Posted by katakago at 11:02
橘諸兄の故地をゆくー木津川東岸・井手町ー [2013年10月13日(Sun)]
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 昨日(10/12)JR東海「奈良学文化講座」の会員限定の特別講座があり参加しました(京都府綴喜郡井手町)。テーマは「奈良朝の左大臣橘諸兄の故地をゆくー木津川東岸・井手町ー」で、茨木敏仁氏(井手町教育委員会文化財技師・学芸員)が午前の解説と午後からの案内を担当されました。

 午後のコースは、井手町役場(12:05出発)→ 地福寺 → 橘諸兄旧跡 →(山背古道)→ 椿坂・大安寺旧境内附石橋瓦窯跡(国史跡) → 小町塚 → 地蔵禅院 → 玉津岡神社 → 井手町文化財展示室 → 井手(井堤)寺跡 → 玉水駅(15:15着)までの約6kmで、秋晴れの下ウォーキングも楽しみました。

 当時この地には、橘諸兄の別荘 ー 相楽別業(さがらかのべちごふ)があり、『続日本紀』聖武天皇天平十二年条には「天皇、右大臣の相楽別業に幸したまふ」とあります。また平成15年からの発掘調査により、橘氏の氏寺として創建されたと伝えられる井手(井堤)寺跡の遺構が見つかっています。なお、橘諸兄(臣籍に降りる前は葛城王)は『万葉集』に8首の歌を残しています。
 平安時代には、三十六歌仙の一人として知られる小野小町が「色も香も なつかしきかな 蛙鳴く 井手のわたりの 山吹の花」と詠い(小町集)、現在も町中を流れる玉川の堤には山吹が植えられています。各地に伝わる小町伝説の一つとして井手に住まいしたとの伝えもあり、この地に小町塚が建てられています。

 ウォーキングの様子
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 椿坂・大安寺旧境内附石橋瓦窯跡(国史跡)の説明板
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 石橋瓦窯跡から出土した軒瓦は大安寺(平城遷都で大官大寺が平城京に移されて造営)創建期の軒瓦と同笵と確認され、この窯跡は、天平十九年(747)の『大安寺伽藍縁起幷流記資財帳』にある大安寺所有の「棚倉瓦屋」であると推定されています(奈良時代初期の官寺の瓦生産地と供給地が文献史料と発掘調査両面から裏付けられた初めての例)。
 井手町文化財展示室での見学の様子(展示物の写真撮影も許可されました)
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 石橋瓦窯跡出土の軒平瓦(大安寺創建期のものと同笵)
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 ここで焼かれた瓦は、木津川を船で運ばれ、木津からは陸路で平城京まで運ばれたようです。

 今回最後に訪れたのが、橘氏の氏寺と考えられている井手(井堤)寺跡です。240m四方の広大な寺域が確定されているそうです(現在は水田・畑の下に遺跡が眠る)。出土瓦は平城京・恭仁京と共通するものが多いとのことです。棰先瓦は奈良三彩施釉線刻のものが出土していることからも、当時の権力者の関与が考えられています。 
 展示室で特別に見せていただいた奈良三彩施釉線刻棰先瓦(出土品)
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 井手(井堤)寺の柱跡の説明プレートに書かれた古絵図(「山城国井堤旧地全図」で原図は平安時代の1143年)の部分
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Posted by katakago at 17:10
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