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裏山で咲く野の花 [2013年08月31日(Sat)]

 先週に続き昨日も雨が降り、乾ききっていた裏山も一息ついた感じです(一部枯れてしまった草木もありますが)。今朝キツネノカミソリとセンニンソウの花が咲いているのを見つけました。
 キツネノカミソリ(ひがんばな科) 
 和名の狐剃刀は葉の形に由来するそうです(花茎は葉が枯れて後に立ち上がる)。
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 センニンソウ(きんぽうげ科)
 蔓性の多年草で、和名は白い毛の密生する宿存花柱を仙人の髭に譬えたと言われています。
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Posted by katakago at 16:35
早くも秋の果実が [2013年08月30日(Fri)]
 第一果樹園では、早生の栗のイガがはじけ柿も色づきました。8月に収穫できるのは初めてです。
 丹沢(早生)
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 早秋(極早生)
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Posted by katakago at 19:40
桜井市夏季大学(8/25) [2013年08月29日(Thu)]
 この一月ほどブログの写真アップの操作が快適に行われなくなり(8/23までは何回か試みてやっと掲載)、ここ数日は何度試みてもうまく出来なくなり、また写真添付のメールも送信されなくなりました。そこでプロバイダーのJ:COMに電話して原因を調べてもらいました。上りの速度が規定値を大きく下回っていることが分かり、屋外のケーブル接続箇所の点検で、経年劣化した接続箇所を交換をしてもらったところ、上記の不具合が解消されました。毎日使用するパソコン操作が不調だと気分も滅入りがちでしたが、原因も分かってこれでまたブログも更新してゆけます。

 8/25に大神神社(大礼記念館)で第52回桜井市夏季大学が開催され参加してきました。坂本信幸先生が「万葉歌のはじまり桜井」と題して、午後からは木下正史先生が「よみがえる古代磐余の世界」と題して講演されました(お二人は「飛鳥を愛する会」の副会長と会長でもある)。あいにくの天候でしたが主催者によると130名ほどの参加者があったそうです。
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 坂本先生の講演では、桜井の地との関連で、巻一冒頭の次の歌を中心に話されました。以下は当日の講演と資料より、内容未消化ながらメモを残しておきます。
 泊瀬朝倉宮に天下治めたまひし天皇の代 大泊瀬稚武天皇
  天皇の御製歌
 籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は 押しなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそ居れ 我こそば 告らめ 家をも名をも (@-1)
 大泊瀬稚武天皇は雄略天皇で、泊瀬朝倉宮はその皇居のあった所で、桜井市脇本遺跡灯明田地区と推定されています。「家告らせ 名告らさね」は求婚の意思の表明。
 『万葉集』巻一の一番歌では「告る」、二番歌では「見る(国見歌)」、三番歌では「聞く(豊かな狩りの祈り)」が詠まれ、いずれも天皇の国土支配儀礼の歌が巻一の初めの部分に置かれていることを指摘され、その最初の歌の作者が雄略天皇に仮託された理由について解説されました。
 「名を告る」は、『古事記』の雄略天皇条の葛城の一言主大神との出会いの場面でのみ登場します。童女に名を問う話は、雄略記に引田部赤猪子の話が載せられています。「采女」については、同じく雄略記に「三重の采女」の話が出て来ます(采女の制度が始まったのは雄略朝か)。地方豪族から貢進される采女の手によって、御饌が供進される服属の証としての儀礼があったと推定されています(岡田精司『古代王権の祭祀と神話』)。祈年祭(としごいのまつり)の祝詞にも「・・・この六つの御県に生り出づる、甘菜・辛菜を持ち参ゐ来て、皇神孫の命の長御膳・遠御膳と聞し召すが故に・・・」の一節があります。雄略天皇以外に「告る」歌の作者はいなかったとのお考えです。

 木下先生の講演では、磐余池堤跡の発掘、吉備池廃寺の発掘(寺名は百済大寺と確定)、山田寺跡の発掘などの成果について話されました。山田寺について、1982年に最古の回廊建物が発見され、その時出土の連子窓を含む復元回廊が飛鳥資料館に展示されています。
 

 前日(8/24)から待望の雨が降り、この日は阪神地区に大雨警報が出ていました。早朝に家を出て大神神社には9時前に到着できました。講演会開始まで十分時間があったので久しぶりに訪れた境内を散策しました。
 大神神社拝殿(後方の三輪山が神体山)
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 巳の神杉(大物主大神の化身の白蛇が棲むとことから名付けられたご神木)
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 日本書紀歌謡の歌碑(揮毫は故和田嘉寿男先生)
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【歌】 此の神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久 (15)
【口語訳】 この神酒は私が醸造した神酒ではありません。倭国を造られた大物主の醸造された神酒です。幾世までも久しく栄えませ、栄えませ
 『日本書紀』崇神天皇八年十二月条にでてくる歌謡です。神託により大田田根子に大物主大神を祭らせると、それまでの疫病も途絶え、五穀も稔り百姓は豊穣になったとあります。この歌は、大神神社の社殿で祝宴が催された時に、大神の掌酒(さかびと:神酒を神に献る職掌の人)活日(いくひ)が神酒を天皇に献上して詠んだ歌です。
Posted by katakago at 11:56
ノカンゾウ [2013年08月23日(Fri)]
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 ノカンゾウの花が咲き始めました。2年前に苗を購入して植えているものですが、昨年よりほぼ一月近く早い開花です。万葉歌で、わすれぐさ(原文は萱草と表記)と詠まれている植物は、このノカンゾウやヤブカンゾウ(八重咲きで6月下旬に開花)と考えられています。
 ノカンゾウの関連記事
     ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/468

 ヤブカンゾウの関連記事
     ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/385
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/82


Posted by katakago at 21:19
ヒオウギの花その後 [2013年08月22日(Thu)]
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 7月はじめより一月近く咲いていたヒオウギも、今は写真のような刮ハを付けています。秋にはこれが弾けて中から黒い球形の種子が見られます。万葉歌で”ぬばたま”とあるのはこの種子とみる説があります。
 この時期のヒオウギは生け花の材料としても使用されるそうで、最近業者の方が買い求めに来られました。100本単位ですがこの数年間でかなりの株数になっており、思わぬ臨時収入になりました。
 来月中旬には秋の見学会を予定しており、来られた方にはヒオウギの種も採集してもらえるかなと思っています。
 花の写真は次のURLに載せています。
       ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/662

 万葉歌の解説は次のURLを見てください。
       ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/457
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/188
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/170



Posted by katakago at 09:06
植物は夏から秋へ [2013年08月21日(Wed)]
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 猛暑日が続く中、早くもススキの穂が出て来ました。山上憶良の「秋の七種(ななくさ)」の歌に詠まれた7種の植物のうち、このススキ(をばな)の他、6月頃から咲きだしたカワラナデシコ・キキョウ(あさがほ)・オミナエシが今も咲き続け、ハギの花も咲き始めました。
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Posted by katakago at 11:38
秋の収穫が楽しみです [2013年08月18日(Sun)]
 連日の猛暑の中、第一果樹園(6年ほど前に苗木を植えた)では栗・柿・柑橘類が実を付けています。折角たくさんの実を付けているのに枯らしてしまうわけにはゆきません。こちらもホースを接いで(100mほど)水を遣っています。水遣り場所が何か所にもなるので、夕方の限られた時間帯に順繰りに行っています。秋の収穫を楽しみに。
 たくさんのイガを付けた栗の木
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 多種類栽培の柑橘類のうち写真は甘夏柑
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Posted by katakago at 15:13
一雨来て欲しいものです [2013年08月15日(Thu)]
 連日の猛暑で農作業を行える時間帯は限られます。早朝5時ごろから7時ごろまでと、夕方は6時前から7時過ぎまでです。畔の草刈りは草刈り機のエンジン音を気にしながらも早朝に行っています(草に追っかけられています)。

 このところ雨も1週間以上降っていないので、水遣りにも時間をとられることになりました(この作業は夕方)。裏山ではアジサイなどの葉が萎れていますがそこまで手が回りません。
 写真は第二果樹園での水遣りの様子です。近くの水路からポンプで水を引いてこられるので助かります(ここでは一面にバークを敷き詰めているので草は抑えられています)。
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Posted by katakago at 20:18
8月に咲く百合その2(タカサゴユリ) [2013年08月12日(Mon)]
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 裏山に生えているタカサゴユリが咲き始めました。図鑑によれば台湾原産で日本には大正12年に渡来したそうです。花はテッポウユリに似て筒状に横向きに開きます。種からの栽培も容易(播種後6〜8カ月で花を付ける)で、家の庭にもあちらこちらに生えています。毎年この時期(ちょうどお盆の頃)に花を咲かせます。

Posted by katakago at 21:48
ハマユウが次々咲いています [2013年08月10日(Sat)]
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 ハマユウが次々と白い花を咲かせています(写真は7/8、7/15にも掲載)。上の写真は9年前に播種したものです。8/6の和田先生の記事でも触れましたが、紀州へのバス旅行で立ち寄った旅館から種を送ってもらったものです。
 先月花を咲かせた株では刮ハが形成されています(次の写真)。新たに得られた種は毎年播種し、2代目の株も花を咲かせるようになりました。
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 関連記事は次のURLを
      ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/126

 

Posted by katakago at 19:44
8月に咲く百合(カノコユリ) [2013年08月07日(Wed)]
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 8月になってカノコユリが咲きだしました。上の写真は裏山に植えているものですが、畑では白のカノコユリも咲いています(次の写真)。
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 なお、黄カノコユリはこれらよりも一月早く咲きました(7/9の記事)。

 今月はこれからタカサゴユリも咲き始めます。


Posted by katakago at 16:02
和田嘉寿男先生のご冥福をお祈りします [2013年08月06日(Tue)]
 和田嘉寿男先生(元武庫川女子大学教授)がお亡くなりになり(享年84歳)、今日、奈良市正覚寺で営まれた告別式に参列しました。あらためてご冥福をお祈りします。

 和田先生は武庫川女子大学オープンカレッジで万葉集の講座を担当され(1992年開始)、私は2003年の春から受講し、先生が体調を崩されて閉講になるまで聴講させていただきました。学期の間には日帰りの小旅行も企画され、2004年夏には紀州に出かけました。白崎は 幸くあり待て 大船に ま梶しじ貫き またかへり見む (H-1668)と詠われた日高郡由良町の白崎海岸を訪れた思い出があります。この時昼食に立ち寄った旅館「黒島」から秋になってあらためてハマユウの種を送ってもらいましたが、今では大きな株になりこの時期毎年花を咲かせています。

 先生は8年半ほど前から透析を続けられながら、講義録をもとにシリーズ「万葉集を読む」の執筆を開始されました。巻一からはじめ(2004年9月)、2011年10月には『万葉集巻九を読む』を完成されました(写真)。毎回本が出来上がったとの連絡を受けると、万葉の同好の仲間の分も合わせて送っていただきました。一首ごとに歌の解説が分かりやすい言葉で書かれており、他の注釈書とともに読ませてもらっています。  
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Posted by katakago at 22:58
シンポジウム「邪馬台国時代の摂津と播磨」 [2013年08月05日(Mon)]
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 私が住んでいる川西市には、弥生時代中期の加茂遺跡(約20ヘクタールの大規模集落)があり、ことし開館20周年の川西市文化財資料館では「邪馬台国時代の摂津と播磨」をテーマに特別展が開催されています(7/6〜9/1)。
 昨日は、これを記念してシンポジウム「邪馬台国時代の摂津と播磨」が開催され参加しました(於 川西市中央公民館)。講演者の顔ぶれからか、主催者によると東京や岡山からの参加者もあったとのことです。

 4人の講師が基調講演を行われた後、会場内からの質問にも答える形で討論が行われました。基調講演では、まず岡野慶隆氏(市教育委員会)が「邪馬台国時代の川西とその周辺」について、森岡秀人氏(日本考古学協会)が「邪馬台国時代とその前史〜摂津と播磨の集落や人々・品々の動き」について、福永伸哉氏(大阪大学教授)が「邪馬台国時代の主流派 ー 摂津3地域と播磨 ー」について、最後に石野博信氏(兵庫県立考古博物館長)が「邪馬台国時代のヤマト・纒向王宮」について話されました。

 次の図は福永氏の配布資料(弥生後期の地域連合のシンボル)より
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 福永氏の講演では、女王卑弥呼が共立される邪馬台国以前の地域連合段階(1〜2世紀)では、地域ごとに政治連合が生まれ、特徴ある器物や墳墓などをシンボルとしたとされる。近畿・東海の政治連合では、「突線鈕式銅鐸」をシンボルとした。その他の地域では、九州の「広形銅矛」、吉備の「特殊器台」、出雲の「四隅突出型墳墓」が挙げられています(上図参照)。
 川西市内の加茂遺跡は邪馬台国時代をさかのぼる200〜300年前に営まれていた環濠に囲まれた集落跡で、近くの栄根(さかね)遺跡からは近畿連合のシンボルである突線鈕銅鐸(復元高114cm、東京国立博物館所蔵)が出土しています。この銅鐸は摂津3地域(三島・西摂・六甲)では、三島と西摂で出土が見られ、特に西摂の猪名川流域では、上記の栄根銅鐸の他、満願寺銅鐸、如意谷銅鐸、利倉・利倉南銅鐸片などが知られ、畿内北部における集中地の一つとなっており、大きな南北河川を持つ西摂は畿内地域連合の中で重要な位置を占めていたと考えられています。


 なお、邪馬台国について福永氏は大和説で邪馬台国がヤマト政権に発展していったとの見解でしたので、先月聴講した村井康彦氏の説についてはどのように考えられるのか質問メモを提出したところ、シンポジウムで簡単に触れられました。福永氏の説では、邪馬台国政権段階での政治的シンボルは、突線鈕式銅鐸に代わって画文帯神獣鏡(中国鏡)で、もし出雲勢力が邪馬台国を樹立し、それを九州の勢力が攻めてヤマト政権を立てた(神武東征説話)とするなら、その勢力の出身地である出雲や九州でも画文帯神獣鏡が出るはずが今のところ見られないとのことでした。邪馬台国論争については、考えの異なる研究者による討論を聞く機会が今後もあればと思っています。

 村井氏の公開講座の記事は次のURL
       ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/672



Posted by katakago at 17:01
ハスが未だ咲いています [2013年08月03日(Sat)]
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 8月になりましたが、ビオトープ池と蓮池では未だハスの花が咲いています。
 咲き終わったものは花托に種が出来ています。
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 今朝の蓮池の様子
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Posted by katakago at 10:06
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