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古市古墳めぐり [2013年02月24日(Sun)]
 藤井寺市から羽曳野市にわたる古市古墳群をめぐるウォーキングに参加してきました(2/23、主催:南大阪歩け歩け協会、後援:朝日新聞社)。
 コースは、近鉄藤井寺駅近くの仏供田公園(9:45集合) → 辛国神社 → 葛井寺 → 仲津姫陵 → 道明寺天満宮 → 石川河川公園・星の広場 → 誉田八幡宮 → 応神陵古墳 → 峯ケ塚古墳・峰塚公園(昼食)→ 清寧天皇陵 → 白鳥陵 → 安閑天皇陵 → 白鳥神社 → 近鉄古市駅(ゴール、14:30)までの約13km(次の地図は今回のコースを示す)。
 主催団体が“歩く会”でもあり歩き始める前に全員(参加者は160名位)でストレッチを行い、出発してからは皆ひたすらハイペースで歩いていました。古墳めぐりとなっていましたが、今回は歩くのが目的で途中での説明もなく通り過ぎたのが心残りでした。
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 昼食場所の峰塚公園にある展望広場から撮影したものです。峯ケ塚古墳(写真左手前)、中央に白鳥陵、右後方には二上山が写っています。
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 白鳥陵
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 『日本書紀』には、日本武尊(景行天皇の皇子)は東征からの帰途病に倒れ、伊勢の能褒野(のぼの、三重県亀山市)で崩じ、その後白鳥と化(な)って能褒野から飛び立ち大和の琴弾原(ことひきはら、奈良県御所市)へ、次いで河内の旧市邑(ふるいちのむら、羽曳野市)に留まり、この3か所に陵墓が造られ(号けて白鳥陵)、ついには天高く飛び去ったと記されています。


 今回のウォーキングでは、遺跡の解説などがなかったので、古市駅からの帰途、再び藤井寺駅で下車して展示施設のある藤井寺市生涯学習センターを訪ねました。
 
 藤井寺市立生涯学習センター(アイセルシュラホール)
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 古墳時代の巨石運搬機とみられる修羅(しゅら)と船形埴輪をモチーフにしたユニークな建物です。展示物の写真撮影は許可されていました。以下主なものを載せておきます。

 修羅(しゅら)、巨石運搬機
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 土師の里遺跡内の三ツ塚古墳の濠の中から掘り出された二股の木ゾリ(大と小の2点が出土)で、大修羅(アカガシで出来ており全長約8.8m)は以前に大阪府立近つ飛鳥博物館で見たことがあります。

 船形埴輪(岡古墳出土)
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 外洋航海に用いられた最も進んだ船をモデルにしたもので、船形埴輪としては日本最大のもの。

 西墓山古墳の鉄器出土状況の展示(写真右側に鉄製武器、左側に鉄製農工具)
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 鉄製武器は刀・剣・矛・槍先など200点以上、鉄製の農具や工具は2000点以上 

 野中古墳出土の武器(11組の甲と冑が見つかっている)
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 広瀬和雄氏(国立歴史民族博物館教授)は、『古市古墳群とその時代』(藤井寺市教育委員会)や『前方後円墳の世界』(岩波新書)の中で、古市古墳群の特徴について、以下のように考えられています。
@大量の鉄製武器・武具の副葬
 大和政権の政治的基盤は、膨大な武器の保有にあった(畿内以外の地域ではみられない)。初期大和政権は、古墳に副葬しても代替できるだけの鉄製武器再生産システムを構築していた。
A階層構成型古墳群
 前方後円墳同士でも大きさのばらつきがあり(方墳・円墳でも二重三重の格差)、主墳のまわりに陪冢とよばれる小さな古墳が多数随伴している(大和政権の地域首長の支配方式が変わったとの見方)。
B巨大古墳の環大阪湾シフト
 大阪湾北方からの進路(明石海峡)に五色塚古墳、大阪湾南方からの進路(紀淡海峡)に西陵古墳・宇度墓古墳、住吉津からの進路に百舌鳥古墳群、大和への進入口に古市古墳群を配置し、大和政権が西方の勢力(吉備や北部九州)や朝鮮半島の勢力に対し、自らの勢威を示すために造られた(これらの巨大古墳はその地域の勢力が造ったものではない)との見方。「荘厳性、威圧性、隔絶性にすぐれた巨大前方後円墳は、相互に連携しながら<可視的な前方後円墳国家>としての威力を存分なく発揮」と述べられています。

 Bの見解は大変興味深く思われます。
なお、広瀬氏については昨年の朝日カルチャー(中之島教室)で、「壱岐島の巨石墳と新羅外交」と題した講座でも話されています。その時の記事は
                  ↓
  URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/daily/201202/10

五色塚古墳の写真は次の記事の中に載せています
                   ↓
  URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/daily/201204/22
Posted by katakago at 21:55
相生の牡蠣と室津散策 [2013年02月20日(Wed)]
 JR西日本の駅長おすすめ駅プラン「相生かき三昧」に妻を誘って参加し、HOTEL万葉岬(相生市相生字金ケ崎)で牡蠣料理を味わい、室津の街を散策して来ました。新快速を利用すると尼崎から相生までは約80分ほどです(ホテルまでは送迎バスで更に20分)。中型の送迎バスは、カップルと中年女性のグループ(車中の会話からママ友の仲間か)で満席となっていました。

 室津へは、3年前に坂本先生の万葉講座の有志で出かけることになっていましたが、前日に高熱を発し欠席した経緯があります(その節は関係の方にご迷惑をおかけしました)。今回室津散策のオプションもあったので、牡蠣料理を味わうこともさることながら、万葉歌碑も訪ねられればと出かけた次第です。

 ホテル横の椿が植えられている場所に建てられた犬養先生揮毫の万葉歌碑(昭和58年建立)
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【原文】 室之浦之 湍門之埼有 鳴嶋之 礒越浪尓 所沾可聞 (K-3164)
【読み下し文】 室の浦の 瀬戸の崎なる 鳴島の 磯越す波に 濡れにけるかも
【口語訳】 室の浦の 瀬戸の崎にある 鳴島の 磯を越す波に 濡れてしまった
 室の浦は室津東南の藻振鼻(もぶりばな)から相生湾口の金ケ崎にかけての湾入部をさすとみられています。『犬養孝揮毫の万葉歌碑探訪』によれば、除幕式の時に先生は、「金ケ崎からの眺望は瀬戸内万葉の大パノラマであり、この地以外にこれほどの場所はない」と絶賛されたそうです。これを機に金ケ崎は「万葉の岬」と命名されその碑が建てられています。
 ホテル前からの眺望(眼下に浮かぶ鳴島、現在の君島)
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 ホテルから少し海岸のほうに降りてゆく途中にある澤瀉久孝先生揮毫の歌碑(亡くなられてから先生の書より採字して平成2年に建立)
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【原文】 繩浦従 背向尓所見 奥嶋 榜廻舟者 釣為良下 (山部赤人 B-357)
【読み下し文】 縄の浦ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 漕ぎ廻る船は 釣りしすらしも
【口語訳】 縄の浦から かなたに見える 沖の島を 漕ぎ廻っている船は 釣をしているらしい
 縄の浦は相生市那波(なば)の海岸とみられています。

 食事の後、希望者はホテルの送迎バスで室津散策に出かけました(次の図は配布された散策マップ)。
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 室津漁港の駐車場(室津かき直売所がある)で下してもらって、皆思い思いに約90分の散策に出かけました。室津海駅館・室津民族館や朝鮮通信使宿舎跡、賀茂神社など見学場所は多いのですが、私は真っ先に一番遠くの藻振鼻の万葉歌碑を目指しました。
 たつの市御津町室津の藻振鼻にある犬養先生揮毫の万葉歌碑(昭和54年建立)
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【原文】 玉藻苅 辛荷乃嶋尓 嶋廻為流 水烏二四毛有哉 家不念有六 (山部赤人 E-943)
【読み下し文】 玉藻刈る 辛荷の島に 島廻する 鵜にしもあれや 家思はざらむ
【口語訳】 玉藻刈る 辛荷の島で 魚を捕っている 鵜ででもあったら 家を思わずにいられることだろうか
 写真には歌碑後方に辛荷の島(地の唐荷・中の唐荷・沖の唐荷の三つの島)が写っています。

 近くの梅林ではもう花が咲き始めていました。
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Posted by katakago at 20:21
ネコヤナギ(かはやなぎ) [2013年02月20日(Wed)]
 今朝はうっすらと雪が積もっていました。芽吹いたネコヤナギ(やなぎ科)も雪をかぶっていました。
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 ネコヤナギは、万葉歌では、かはやなぎ・かはやぎ(原文は川楊・河楊と表記)として詠まれています。次の歌では、山あいではなお雪が降っているが、平地では既に春が訪れている情景が詠まれています。
【原文】 山際尓 雪者零管 然為我二 此河楊波 毛延尓家留可聞 (I-1848)
【読み下し文】 山の際に 雪は降りつつ しかすがに この川柳は 萌えにけるかも
【口語訳】 山あいに 雪は降っている それなのに この川柳は もう芽が出たことよ





Posted by katakago at 20:06
多田小学校にある碑「稽古照今」 [2013年02月19日(Tue)]
 午前中多田小学校で会議があり出かけて来ました。退職後こちらに帰ってより何度も学校には来る機会があったのですが、あらためて正門前の校庭に建てられた碑の文字が目に留まりました。これまでは運動会、文化祭、盆踊りなど賑やかな行事の折りであまり気にしなかったのかもしれません。
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(碑の写真、下の校章は清和源氏ゆかりの笹竜胆に學の字)

 碑面の文字は「稽古照今」と書かれており、揮毫は当時(昭和53年)の兵庫県知事坂井時忠によるものです。多田小学校は昭和53年に創立百周年を迎えており、それを記念してこの碑が建立されました。
 「稽古照今」は『古事記』の序から採られています。序は三段からなり、第一段は神代からの天皇の歴史をふり返り、第二段は天武天皇のもとでの『記』の撰録の始まりが述べられ、第三段では元明天皇にいたってそれが完成したことが記されています。碑文の文字は、第一段終わりの次の個所から採られています。
【原文】 ・・・・雖歩驟各異、文質不同、莫不稽古以縄風猷於既頽、照今以補典教於欲絶。
【読み下し文】 ・・・・ 歩(あゆ)むと驟(うぐつ)くと各異(おのおのこと)にして、文(かざ)れると質(すなほ)なると同じくあらねども、古(いにしへ)を稽(かむが)へて風猷(をしへ)を既に頽(おとろ)へたるに縄(ただ)したまひ、今を照らして典教(のり)を絶えむと欲(す)るに補(おきぬ)ひたまはずといふこと莫(な)し。
【口語訳】 ・・・・ 治世に緩急あり、華美と質朴の差はあったけれども、いにしえに鑑みて風教道徳の既に崩れてしまったのを正しくし、今を照らして道と教えとの絶えようとするのを補わないということはなかった。
(以上、『新編日本古典文学全集 古事記』より)





Posted by katakago at 14:50
第23回にしのみや万葉セミナー [2013年02月19日(Tue)]
 2/17に夙川公民館で「にしのみや万葉セミナー」が開催され、山内英正氏の講演と岡本三千代さんの「万葉うたがたりコンサート」があり出かけて来ました。
 西宮市には西田公園万葉植物苑(1988年開設)があり、生前西宮市に住んでおられた犬養孝先生の選ばれた歌と植物の説明板も添えられ、大伴家持の「春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子」の歌碑(犬養先生45番目の揮毫)があります。この開設を記念して1990年から「にしのみや万葉セミナー」が毎年開催されて当初は犬養先生が講演を行われ、第8回目からは山内氏が担当されるようになったとのことです。私は今回初めて参加しました。

 山内氏の講演は、「歌聖・柿本人麻呂ー伝説と信仰ー」と題して行われました。
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 講演の前半では、人麻呂が石見国で死に臨む時に詠んだとされる歌とその関連歌および石見相聞歌について解説されました。後半では人麻呂が後の世になって信仰の対象になっていった話をされました。山内氏も関わられて、『神になった柿本人麻呂ー人丸信仰の調査と報告書』が刊行されています(発行は犬養万葉記念館に協力する会)。人丸信仰の神社・寺・塚などは全国に400ほど知られているようですが、山内氏ら(全国万葉協会の富田さん荒川さんほか)はそのうち121ケ所を調査されたそうです。歌聖として歌・芸事の上達やさらには学問・受験の神としても祀られ、火気の元、火止まる→火伏・防火の神、人生まる→安産の神としてや、産業興隆(紙漉き・鍛冶)などの神として祀られているところもあるそうです。  

 岡本さんのコンサートでは、西宮の万葉歌10首のうち3首に曲をつけて「西宮慕情」、人麻呂の羈旅歌4首を取り上げた「大和島見ゆ」、軽皇子が安騎野に宿られた時に人麻呂が詠んだ歌から「阿騎野寒暁」などが歌われました。
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ちなみに後ろの映像に使用していただいたワラビの写真は私が撮影したものです。

 帰りには、参加者全員にお土産として草花の鉢植えが配られました。西宮市のオリジナル植物である「エンジェルス・イヤリング」と命名されたフクシア(アカバナ科フクシア属)も入っていました。花が咲くのが楽しみです。なお、これらは西宮市植物生産研究センターで育成されたものです。




Posted by katakago at 14:45
天皇陵の成立ー八角墳成立の意味するもの [2013年02月18日(Mon)]
 朝日カルチャーセンター芦屋教室で、白石太一郎先生(大阪府立近つ飛鳥博物館館長)による、「天皇陵の成立ー八角墳成立の意味するもの」と題する講座があり聴講しました(2/16)。白石先生の講座は、一昨年(2011.12.1)の「考古学からみた斉明天皇陵」も聴講していましたので、興味がありました。

 次は、当日の配布資料より、『延喜式』巻二十一の諸陵寮の関連個所
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 右から順に、押坂内陵(舒明天皇)、大坂磯長陵(孝徳天皇)、越智崗上陵(皇極・斉明天皇)、山科陵(天智天皇)、檜隈大内陵(天武天皇)、同大内陵(持統天皇を合葬)、眞弓丘陵(草壁皇子、後に岡宮天皇と追尊)、檜前安占岡上陵(占は古の誤り、文武天皇)が記されています。

 陵の場所については宮内庁と学界で見解が異なるもの(舒明・斉明・文武など)がありますが、舒明陵となっている段ノ塚古墳(桜井市)、斉明陵と考えられる岩屋山古墳と牽牛子塚古墳(明日香村)、天智陵となっている御廟野古墳(京都市山科)、天武・持統陵とされている野口王墓古墳(明日香村)、文武陵と考えられている中尾山古墳(明日香村)はいずれも八角墳です。なお斉明天皇陵については、白石先生は、岩屋山古墳は天智時代に造営されたもので(『日本書紀』天智四年条の記事)、牽牛子塚古墳は文武時代に修造されたもの(『続日本紀』文武三年条の記事)と考えられています。
 上記のように7世紀中葉から8世紀初頭までの間の大王墓は、不明な点の多い孝徳陵(大阪府太子町上ノ山古墳)を除きいずれも八角墳が採用されていますが、その意味するところについても話されました。
 7世紀までの大王は首長連合の盟主的存在で、墳墓の形式は規模は違っても同じ前方後円墳であったのが、推古朝以降律令制の中央集権国家が樹立される過程で、一般の豪族層から超越した存在として、墳墓の造営においても違いを示すため大王(天皇)の墓ー八角墳が造られるようになったとのお考えでした。また、これら八角墳を造営した天皇は舒明から文武まで、蘇我氏とは関係のない(反蘇我または非蘇我系)勢力の天皇であったとの指摘もあり注目されます。
 
 八角墳をイメージするため天武・持統陵墳丘復元図(当日の資料にもありました)を掲載
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 白石太一郎編『天皇陵古墳を考える』に今尾文昭氏が「天武・持統陵(野口王墓古墳)の意義」と題する一章を載せられていますが、その中で、「八隅知之 我(吾)大王乃(之) やすみしし わがおほきみの」と詠われた万葉歌についても触れられています。その最初の例は、舒明天皇が宇智の野で狩りをされた時に、中皇命が間人連老に奉らせたもの(@-3)です(ほかにも持統天皇の吉野行幸時に柿本人麻呂が詠んだ長歌(@-36,38)などがある)。天皇の支配ー治政が国土の隅々(八隈)まで及ぶことを意味して詠われており、その最初の例が大王墓における八角墳採用の最初である舒明天皇に奉られた歌であることに注目されています。

 参考までに白石先生の前回の記事(2011.12.2)は
            ↓
URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/daily/201112/02


Posted by katakago at 14:30
スロージューサー [2013年02月11日(Mon)]
 柑橘類ではオレンジ系ミカンや八朔がたくさん採れました。ジュースにするのにスロージューサーが良さそう(TVの番組で紹介されていました)なので、購入して試してみました(SHARPのjuicepresso)。金属の刃を使わずに樹脂製のスクリューでゆっくりと食材を押しつぶす低速圧縮方式です。パンフレットには栄養素の減少を抑えてジュースが絞れるとあります。
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柑橘類は外皮をむいて小房に分けて投入します(種や薄皮を取らなくてもよい)。水を加えないので果汁100%のジュースが得られます。写真のサイズのもの3個でコップ2杯分のジュースが得られました。毎日絞りたてのジュースが飲めますが、装置を分解して後片付けが少し面倒です。



Posted by katakago at 14:50
記紀・万葉リレートーク8(万葉集に詠われる遙か紀伊国へ至る道〜紀路) [2013年02月10日(Sun)]
 奈良県では平成24年の古事記撰上1300年を記念して、「記紀・万葉プロジェクト」が立ちあげられ、さまざまな関連行事が企画実施されています。このプロジェクトは、日本書紀完成1300年に当たる平成32に年に向けた9年間にわたる事業とのことです。この一環の行事として昨年10月から県内各地で「記紀・万葉リレートーク」が開催されています。昨日(2/9)第8回目が高取町で開催され出かけて来ました。

 今回は地元高取町在住の和田萃先生(京都教育大学名誉教授)が、「万葉集に詠われる遙か紀伊国へ至る道〜紀路」と題して講演されました。
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 講演では和田先生が『古代の地方史III』で作成された地図をもとに7世紀の紀路について話されました(時代によってルートは少し異なるようですが)。
 神亀元年(724)十月に聖武天皇が紀伊国に行幸された時に、お供の人に贈るために、笠朝臣金村がある婦人に頼まれて作ったと題詞に書かれている次の歌に、紀路の地名が詠まれています。長歌の初めの部分を載せておきます(下線は地名)
【歌】 大君の 行幸のまにま もののふの 八十伴の男と 出でて行きし 愛し夫は 天飛ぶや の道より 玉だすき 畝傍を見つつ あさもよし 紀伊道に入り立ち 真土山 越ゆらむ君は もみち葉の 散り飛ぶ見つつ むつましみ 我は思はず 草枕 旅を宜しと 思ひつつ 君はあるらむと ・・・・・(C-543)
 この歌にあるように、当時の紀路の出発点は軽(現在の近鉄橿原神宮前駅近く)であったと考えられています(古くから軽の市があった所)。


 講演終了後、午後から高取町観光ボランティアガイドの会主催の「記紀・万葉ウォーク」が予定されておりこれにも参加しました。
 今回のウォーキングは次のルートです(約4.5km)。会場の高取町リベルテホール → 森カシ谷遺跡 → 束明神古墳 → 岡宮天皇陵 → 紀の辻 → 薩摩遺跡 → 市尾墓山古墳 → 市尾宮塚古墳 → 近鉄市尾駅

 束明神古墳でボランティアガイドさんから説明していただきました。
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 ガイドさんが手にした石槨の写真(橿原考古学研究所付属博物館の前庭に実物大の展示があるとのこと)。
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 墳丘は八角形墳、石室は横口式石槨、棺は漆塗木棺で、石槨の変遷・棺の構造・須恵器などから築造年代は7世紀後半と考えられています。被葬者は草壁皇子(天武天皇の皇子)である可能性が大きいと言われています。近くの岡宮天皇陵(今回も立ち寄った)は宮内庁指定の陵墓でこれが草壁皇子の眞弓丘陵とされていますが(草壁皇子は即位することなく亡くなったが岡宮天皇と追尊された)。

 市尾墓山古墳(国指定史跡)
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 墳丘の長さ約70m、高さ10mの前方後円墳で、周濠と外堤をあわせると全長100mの規模。後円部から横穴式石室が検出され、家形石棺が確認されています。出土遺物(武器・馬具・玉類・土器など)などから築造年代は6世紀初めごろと考えられています(当時この地域で権力をもっていた豪族の墓とみられている)。
 石室と石棺の解説プレート(高取町教育委員会)
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 市尾宮塚古墳(国指定史跡)
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 墳丘は全長44m、後円部の直径は23m、高さは7mの前方後円墳で、後円部に横穴式石室があり、外から中の石棺(凝灰岩製のくりぬきの家形石棺)を見ることができました。6世紀中ごろの築造と見られています。
 写真は石室内の家形石棺
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Posted by katakago at 10:29
淡路島へ一泊旅行 [2013年02月08日(Fri)]
 妻の誕生日に合わせ、淡路島まで車で出かけてきました。このシーズンの淡路島3年とらふぐを食し温泉につかるのが主目的です。

 ところで淡路島は国生み神話の舞台でもあり、また万葉歌にも詠まれています。

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 宿泊先の洲本温泉に行く前に、慶野松原(南あわじ市松帆古津路)にある万葉歌碑を訪ねました。歌は柿本朝臣人麻呂の旅の歌8首のうちの一首です。
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【歌】 飼飯の海の 庭良くあらし 刈り薦の 乱れて出づ見ゆ 海人の釣船 (B‐256)
【口語訳】 飼飯(けい)の海は 良い漁場らしい (刈り薦の) 乱れて漕ぎ出すのが見える 海人の釣船が

 洲本温泉から車で30分ほどの所に、立川水仙郷があり、ちょうど見ごろとのことで出かけました。紀淡海峡を望む斜面いっぱいに、あたりに香りを漂わせながら白い花を咲かせていました(500万本も栽培されているとのこと)。
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 『古事記』では国生み神話のところで次のように書かれています(以下『新編日本古典文学全集 古事記』の口語訳より)。天つ神一同の仰せで、伊耶那岐命・伊耶那美命の二柱の神に、「この漂っている国土をあるべきすがたに整え固めよ」という詔命を下し、天の沼矛をお授けになって、委任なされた。それで二柱の神は天の浮橋の上にお立ちになって、その沼矛をさしおろし、かきまわしたところ、潮をカラカラとかき鳴らして、引き上げた時に、その矛の先からしたたる潮は積もって島になった。これを淤能碁呂島(おのごろしま)という。
 この”おのごろしま”だと言われている場所の一つが、南あわじ市の沼島です(今回は時間の都合で訪ねていません)。南あわじ市榎列下幡多には自凝島(おのころじま)神社があり、ここには立ち寄りました。
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 国生みの二柱の神を祀る伊弉諾神宮が淡路市多賀にありここも訪ねました(次の写真は本殿)。
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 境内には樹齢約九百年の”夫婦大楠”と呼ばれる御神木(元は二株の木が成長するにつれて合体し、一株に育ったと言われている)があり、夫婦円満、安産子授けなどの信仰で崇められているそうです。
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 帰途、北淡震災記念公園に立ち寄り、平成7年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)で動いた野島断層を見学しました(3年前にも自治会のバス旅行で来ています)。
 写真後方の地層ががせり上がる逆断層で、しかも右にずれています。
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 逆断層の断面の様子(右側の地層が上にずれている)
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 最近原発敷地内の活断層調査が話題になっていますが、実際に動いた断層の跡を見て、あらためてその危険性を思わないではおられません。
Posted by katakago at 20:40
金峯山寺の節分会(鬼火の祭典) [2013年02月03日(Sun)]
 今日は節分。早朝より吉野の金峯山寺に出かけて来ました。昨年から東大寺二月堂の修二会(お水取り)や薬師寺の花会式など古寺の伝統行事に出かけていますが、今回は金峯山寺の節分会を見学するのが目的です。こちらの節分会は「鬼火の祭典」として注目されているようです。

 蔵王堂内では、打ち鳴らす太鼓の音とともに般若心経を読誦する「日数心経」に始まり、続いて仏・菩薩の化現であり、我々の運命に影響を与える星を供養する「星供」が修法され、次いで鬼の調伏式(これが鬼火の祭典といわれる)が営まれました。堂内での撮影は不可のため、入口越しに何枚か撮影しました。
次の3枚の写真は鬼の調伏式の様子を外から写したものです。
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 カメラを高く掲げて一斉にシャッターがきられます。
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 参拝者も鬼に向かって豆を投げつけます。
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 他の寺社とは異なり「福は内、鬼も内」と唱え、全国から追われてきた鬼を迎え入れてやるというもので、その荒れ狂う鬼たちを経典の功徳や法力、信徒の撒く豆で平伏させ仏道に入らせるという儀式です。

 蔵王堂内での行事が終わった後、境内では採灯大護摩供と豆撒きが行われました。
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 採灯大護摩で罪や穢れを焼き清める。
天下泰平、万民安楽、五穀豊穣、東日本大震災からの復興などの祈願が行われました。
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 豆撒きの様子
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 この節分会にお参りして、小さな福でもひき寄せられれば幸いです。


参考までに 二月堂のお水取り
         ↓
     URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/270?1330898792
      
      薬師寺の花会式
         ↓
     URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/daily/201204/06



Posted by katakago at 19:49
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