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晩秋の植物園で(その2) [2012年11月30日(Fri)]
 裏山の植物園では木の実も色づきました。
 マユミ(にしきぎ科)は実がはじけて、中の種があたかも赤い花を咲かせたように見えています
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 万葉歌は昨年の11/20の記事に載せています。

 ヤブコウジ(やぶこうじ科)の実も赤く色づきました。
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 万葉歌では、”やまたちばな”として詠まれており、昨年の11/21、今年の1/4の記事に載せています。

 次の写真は万葉植物ではありませんが、この時期赤い果実が目立つフユイチゴ(ばら科)の集合果です(食べられます)。果実が冬に熟すことからこの名前がついています。
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Posted by katakago at 17:10
橘寺で万葉歌碑の除幕式 [2012年11月26日(Mon)]
 昨日(11/25)明日香村の橘寺で万葉歌碑の除幕式があり出かけて来ました。主催は「飛鳥古京を守る会 事後処理委員会」で今回が最後の行事となりました。なお、この会は40年に渡る役割を終え、昨年より「飛鳥を愛する会」として再出発しています。

 この橘の地は聖徳太子の誕生地とされ、橘寺は聖徳太子建立の七ケ大寺の一つとされています。
 川原寺前から撮った橘寺 
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 境内のイチョウが鮮やかに紅葉していました。万葉歌では”黄葉・黄変”(もみつ)と表記されますが(11/22の記事参照)。
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 山崎馨会長の挨拶の後、橘寺住職・明日香村村長ほか来賓らにより歌碑の序幕が行われました。(歌碑の製作は石工の左野勝司さん)
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 『万葉集』に一首だけ「橘の寺」が出て来ます(巻十六)。その歌が選ばれました。
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【歌】 橘 寺之長屋尓 吾率宿之 童女波奈理波 髪上都良武可 (O-3822)
【読み下し】 橘の 寺の長屋に 我が率寝し 童女放りは 髪上げつらむか
【口語訳】 橘寺の長屋に私が連れて行って共寝をした放り髪の少女は、もう髪を結い上げたであろうかなあ。 (『萬葉集全歌講義』より)
 この歌の「童女放(うなゐはな)り」については、当時女子は14,5歳頃まで頭髪を伸びるままにしており、ここはその髪型でその年齢の少女を呼んだもので、今の時代なら犯罪に当たるかもしれませんが、当時も、「俗人が寺の僧坊で女と共寝をするなどあり得ない」と考えた人物がいました。『万葉集』では、この歌の後に次のような左注と歌が続いています(以下、『萬葉集全歌講義』より)。
 右の歌について、椎野連長年が診断して言うには、そもそも寺院は、俗人の寝る所ではない。 また若い女性を、「童女放り」という。第四句に「童女放り」と言っているから、第五句に重ねて「髪を結いあげただろうか」などと言うべきではないのではないか、と言う。修正して言うには、
【歌】 橘之 光有長屋尓 吾率宿之 宇奈為放尓 髪挙都良武香 (O‐3823)
【読み下し】 橘の 照れる長屋に 我が率寝し 童女放りに 髪上げつらむか
【口語訳】 橘の実の照っている長屋に、私が連れて行って共寝をした少女は、今は放り髪に結い上げたであろうかなあ。

 前の歌(3822)について『万葉集全釈』では、「全く民謡風の作品である。野趣横溢。寺の神聖を冒涜するなどと、憤慨するのは野暮である。こんなことは随分あったであらう。純粋な直情径行的作品」と評されています。
 なお、これらの歌が収められた巻十六は、歌の背景となる物語が題詞や左注に詳しく書かれたものや、笑いと機知の強調された宴席歌、物の名が詠み込まれた技巧的な歌等が集められた異色の巻です。

 この日は同時に会津八一の歌碑の序幕も行われました(橘寺境内)。
 くろごま の あさ の あがき に ふませ たる
 をか の くさね と なづさひ ぞ こし
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Posted by katakago at 11:13
摂津の酒 ― 池田と呉春をめぐって ― [2012年11月24日(Sat)]
 大阪大学総合学術博物館では今、創立10周年を記念して第15回企画展が開催されています。「ものづくり上方”酒”ばなし ― 先駆・革新の系譜と大阪高工醸造科 ―」と題して、日本の酒造りを牽引してきた上方および大阪大学(前身は大阪高工醸造科)の位置について、技術・社会・文化など多方面にわたって各種資料が展示されています。
 次の写真はそのチラシです(会期は来年1/19まで)。
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 今日はこの特別展にちなんで特別講演会が開催されました(於大阪大学会館講堂)。冷泉為人氏(冷泉家時雨亭文庫理事長)が「摂津の酒ー池田と呉春をめぐってー」と題して講演されました。
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 江戸時代に池田(大阪府池田市)は酒と炭で大いに栄えたと言われています。得られた経済力でいわゆる壇那衆が生まれ、彼らが文人墨客の支援者となりました。この壇那衆の中には酒造家もあり、呉春は池田の酒造家では荒木李渓・山川星府、神戸大石灘の松岡士川(蕪村の弟子)らと交流することになります。。
 呉春は金座年寄役であった松村家の長子(1752年生れ)で、20歳前後で与謝蕪村に入門したと考えられています。30歳の時に師蕪村の勧めで、池田の川田田福(蕪村の俳諧の弟子)のもとに寄宿するようになり、翌年、池田の古名「呉服(くれは)」に因んで姓を「呉」とし、春に改名したので名を「春」として、姓名を「呉春」としたそうです。次の写真はその当時に画かれたものです。 
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 呉春の画風が文人画の蕪村風から応挙風(四条派)に変わってゆくのをスライドで説明して頂きました。
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 ところで、池田市には「呉春」の銘柄の酒造会社(呉春酒造株式会社)が一社だけ残っています。
Posted by katakago at 21:50
記紀フォーラム ― 壬申の乱と神武伝承、記紀が語る藤原京 [2012年11月24日(Sat)]
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 今年は古事記編纂1300年にあたり、これまでいくつかの記念行事が開催されています。昨日(11/23)も橿原市とクラブツーリズム(株)主催で記念イベントがあり(於かしはら万葉ホール)、午後から出かけて来ました。第一部は和田萃氏(京都教育大学名誉教授)による「壬申の乱と神武伝承」と題する講演、第二部は「記紀が語る藤原京〜天武天皇が目指した都〜」をテーマに和田氏と菅谷文則氏(橿原考古学研究所所長)との対談が行われました(コーディネーターは玉城一枝氏)。

 壬申の乱については、『日本書紀』巻二十八の天武天皇 上 に詳しく記されています。西暦672年に、天智天皇の弟である大海人皇子と天智の長子である大友皇子(近江朝廷側)とが天智死後の皇位継承をめぐって争った古代史上最大の戦乱です。大海人皇子が勝利して翌673年に飛鳥浄御原宮で即位し天武天皇となりました。
 大規模の戦闘範囲は近畿から東海地方のかなりの地域に及び、講演では『日本書紀』の記事やこれをもとに作成された大海人・近江(大友)両軍の行動図を参考にしながら話されました。
 吉野を出発してからの大海人軍の進路は場所と月日が記載されており、菅谷氏はかつて実際にこのルートを荷物を担いで歩く実地調査を行って移動の日程を確認されたそうです(対談で話されてました)。
 『万葉集』にも、天武天皇の長子である高市皇子が全軍を指揮して戦った様子が、柿本人麻呂により高市皇子の挽歌に詠まれています(A-199)。
 また、『日本書紀』によれば、この戦いのおり美濃国安八磨評の湯沐令(ゆのうながし)の多臣品治が、大海人軍の指示により不破道を塞ぐ役割を担ったとあります。なお、品治は『古事記』を撰上した太安万侶の父にあたるとされています。

 藤原京は持統天皇が694年に遷都してから、710年に元明天皇が平城京に遷都するまでのわずか16年間の都でしたが、京域は大和三山を取り込む広大な区域で、都大路によって区画された日本最初の都城とされています。
 『万葉集』には、藤原宮の造営に関わる儀礼歌(藤原宮の役民が作る歌@‐50)が載せられています。この歌からは、宮殿造営の木材を近江の田上山(たなかみやま)から伐り出し、それを宇治川に流して運んだことが分かります。『萬葉集全歌講義』によれば、田上山からの木材運搬経路は、大戸川→瀬田川→宇治川→木津川(泉川)・・・佐保川→泊瀬川→明日香とみられています。 
Posted by katakago at 19:48
多田小学校の音楽会 [2012年11月23日(Fri)]
 今月は小学校でもいくつかの行事があり、案内をいただきましたので出かけました。この春から学校評議員を委嘱されているので、機会があれば学校に出かけることにしています。11/14にはオープンスクール(ふれあい集会)が開催されました。2〜6年の各クラスでは、それぞれ出し物を考え全員で役割分担をして実施します。自分たちの出し物の実施と他のクラスの出し物を見て回るのとを前半と後半に分かれて行い、学年を超えて交流を図ろうとする行事です。学校での子供たちの様子を参観する機会でもあり、各教室を巡回して子供たちが考えたクラス毎の出し物の様子を見させてもらいました。

 今日は音楽会が開催され、1年生から6年生まで、楽器の演奏と合唱を聴かせてもらいました。1年生の時から楽器(リコーダー)の演奏が出来るなど、私が小学生の頃(50数年以上前ですが)と比べて、音楽教育もずいぶん充実されてきているのだなあと思った次第です。
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 写真は6年生の演奏の様子です。演奏する楽器の種類も多くなっています。「こきりこ」の演奏では三味線も加わっていました。

Posted by katakago at 22:26
木々が色づきました [2012年11月22日(Thu)]
 植物園でも木々が紅葉しました。カツラは葉が黄色くなったと見る間に散ってしまいましたが、今、イチョウとイロハモミジが色づいています。

イチョウ
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 万葉歌で、ちちのみ(原文は知智乃実と表記)と詠まれた植物があり、チチの音が乳を連想させることより、乳房状の気根が下がるイチョウ、あるいは若い実や樹皮などを傷つけると白い汁が出るイヌビワに擬する説があります。イヌビワの写真と歌は昨年5/15と今年の8/4の記事に載せています。

イロハモミジ
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 万葉歌では、かへるて(原文は蝦手・加敝流弖と表記)として詠まれています。
【歌】 吾屋戸尓 黄変蝦手 毎見 妹乎懸管 不恋日者無 (大伴田村大嬢 G-1623)
【読み下し文】 我がやどに もみつかへるて 見るごとに 妹をかけつつ 恋ひぬ日はなし
【口語訳】 家の庭に 色づいたかえでを 見るたびに あなたのことを 恋しく思わない日はありません
歌の解説は、昨年11/25の記事に掲載しています。なお、万葉歌では、「もみつ」に赤を当てた例は2例のみで、他は仮名書き例を除けば、名詞は黄葉、動詞は黄葉・黄変・黄反・黄色などで表わされており、中国(六朝から初唐)で用いられたモミチの用字が使われています(昨年11/11のカツラの記事参照)。
Posted by katakago at 19:03
晩秋の植物園で(11/20) [2012年11月20日(Tue)]
 11月も下旬になりましたが、植物園ではまだ花を咲かせている植物があります。
 カワラナデシコは5月(記事は5/25)から咲き始め、今も花を咲かせている株があります(蕾も見られます)。
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 9月(記事は9/6)に咲き始めたフジバカマもまだ咲いています。
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 ノジギクは11/1の記事に載せていますが、今を盛りと咲いています。
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Posted by katakago at 14:01
高松塚古墳壁画発見40周年記念講演会 [2012年11月18日(Sun)]
 高松塚古墳石槨内部の漆喰上に描かれていた極彩色の壁画が発見されて今年で40年になります。これを記念して、発掘や保存に携わった関係者による講演とパネルディスカッションが、昨日(11/17)明日香村中央公民館で開催され出かけて来ました。
 なお、この講演会の詳細は、主催団体の一つの朝日新聞社が今月25日の紙上で報告するとのことです。
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「高松塚を見守り続けて」と題して講演される猪熊兼勝さん(京都橘大学名誉教授)
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 石槨内部の漆喰上に描かれていた壁画は、天井部の星宿(星辰)図と壁石に描かれていた日月像、四神と人物像です。四神は北壁の玄武(亀に蛇がからむ動物図、星宿の北の方向を表す)、白虎(星宿の西の方向を表す)、青龍(東の星座を示す動物図)で、南壁の朱雀は盗掘により残されていない。人物像は東西の壁の男子群像と東西の壁の女子群像で、特に西壁女子群像は多くの書籍や教科書にも掲載され記念切手にもなって「飛鳥美人」として有名です。

パネルディスカッションでの様子
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 発掘・調査には末永雅雄先生(発掘を指導)・網干善教先生(調査を指揮)をはじめ橿原考古学研究所・関西大学考古学研究室のグループが関わり、学生もたくさん参加したそうです。パネリストの一人森岡秀人さんも当時文学部史学科2回生で発掘調査に加わり、詳細な調査日誌を記されています。1972年3月21日の壁画発見に立ち会った時のことを熱く語って頂きました。

 「高松塚古墳調査の意義」と題する末永雅雄先生(当時、関西大学名誉教授・橿原考古学研究所所長)の記事が掲載された『関西大学通信第29号特集号』(昭和47年5月20日)の復刻版が当日会場で配られていました(写真の絵は石槨内西壁に描かれた女子群像)。末永先生はこの記事の中で、「今回の調査における学生の情熱的な研究態度を見るにつけて、関西大学将来のために、高松塚古墳調査で私が感じた、考古学とは別な大きな意義は実はここにある」と述べられています。
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 現在の高松塚古墳(墳丘に生えていた竹などは除かれ芝生で覆われている)
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 この日は墳丘前で、CGで復元された石槨内部の様子を360度のパノラマ映像で見ることができるバーチャルガイドが行われており、私もゴーグル型のヘッドマウントディスプレイで体験させてもらいました。明日香村では、このようなバーチャルガイドツアーが今月は甘樫丘展望台で予定されています。
 今回のパネリストとして参加された明日香村の森川村長は、文化財を活かした地域づくりとして「五感で感じる明日香まるごと博物館づくり」を進められています。

 壁画は発見後30年以上を経て劣化が見られたため、平成19年に石槨解体作業が始まり、仮設修理施設に移されて修理作業が行われています。古墳に隣接する高松塚壁画館では、石槨内部の模型と壁画の模写・模造が展示されています。
 墳丘と壁画館は午後からの講演会に先立ち見学してきました。

Posted by katakago at 14:10
ドライブで一泊旅行 [2012年11月17日(Sat)]
 植物園の来園者も11/4で今年の最後となり、畑の仕事もほぼ一段落したので、15,16の二日間旅行に出かけました。温泉と解禁になったばかりの松葉ガニを味わう目的で城ア温泉までドライブしました。関東(横須賀市)にいた頃は、箱根や伊豆半島に車でよく出かけたものですが、関西に戻ってから車で遠方まで出かけたのは今回が初めてです。昨年買い換えた車にナビとETCを搭載したので、知らない場所へ出かけるのも便利になりました。

 初日は天候に恵まれなかったため、宿泊場所まで直行して温泉につかり、夕食はカニ料理(茹でガ二、カニ刺し、カニ鍋)を堪能しました。
 城ア温泉の元湯
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 二日目は天候も回復したので観光地に立ち寄りながら帰って来ました。
城ア温泉ではロープウェイで大師山(231m)山頂まで登り、山頂駅付近の温泉寺奥の院や、温泉寺駅で途中下車して本堂を拝観しました。この温泉寺は城ア温泉開祖と伝わる道智上人が創建(天平10年)したお寺で、本尊は大和の長谷寺の観音と同木の十一面観音菩薩だそうです(秘仏)。
 奥の院付近の紅葉
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 豊岡市赤石にある「玄武洞」に立ち寄りました。解説書に依れば、玄武洞は160万年前に起こった火山活動で流れ出たマグマが冷え固まる際に、規則正しい割れ目を作り出し柱状に節理が形成されたとあります。この玄武洞の名前については、文化4年(1807)にこの地を訪れた儒学者柴野栗山が、洞の岩石が作りだす節理の形や断面の模様などから、中国の玄武(*)を連想して命名したそうです。中心にある玄武洞とその右側の青龍洞は天然記念物に指定され(1931年)、現在は、左側にある白虎洞と南北の朱雀洞とともに玄武洞公園として整備されています。
 (*)玄武:亀に蛇がからむ動物図で星宿の北の方向を表わす
 玄武洞
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 青龍洞
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 昼食場所として豊岡市出石に立ち寄り伝統の「出石皿そば」を味わった後、出石城跡を訪れました。
 出石城跡(出石藩主仙石氏の祖、権兵衛秀久公を祀る感応殿付近)の紅葉
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 辰鼓桜(明治4年に出石城大手門跡に建設された時計台)
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Posted by katakago at 22:26
平城京天平祭 秋2012 [2012年11月11日(Sun)]
 奈良市の平城宮跡では、昨日(11/10)から今月18日まで「平城京天平祭 秋2012」が開催されています(夏のイベントは8/24の記事に掲載)。
 今日はいくつかの興味あるイベントが開催されるので早朝から出かけて来ました。会場に着いた時にはあいにく雨が降り出していました。開始まで充分時間があったので、遺構展示館・東院庭園・第一次大極殿・朱雀門を見て回りました。
 第一次大極殿(9年の歳月をかけ平成22年に復元)
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 東院庭園(平城宮の東の張り出し部分で発見された庭園の遺構を復元)
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 朱雀門(平城宮の正門、平成10年に復元)
ここでは祭の期間中、朝(10:00)と夕方(15:30)に衛士隊による朱雀門の開閉が再現されています。
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 第一次大極殿前でのイベント(平成の歌垣)
雨天のため予定されていたミュージカルの一部のみ上演されました。万葉歌の歌唱と紹介のコーナーでは「万葉うたがたり会」の岡本さん・大岡さんも出演されていました。
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 天平の歌垣(写真は朱雀門傍の説明版にある絵)
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 『続日本紀』の聖武天皇天平六年二月一日の条に、朱雀門の広場で歌垣が行われた記事が載っています。宇治谷孟著『続日本紀(上)全現代語訳』より引用しておきます。「二月一日 天皇は朱雀門に出御して歌垣をご覧になった。参加者は男女二百四十余人で、五品(五位)以上の風流心のある者は、皆その中に入りまじった。正四位下の長田王・従四位下の栗栖王・門部王・従五位下の野中王らを頭として、本末を以て(首部と末尾に分けて)唱和した。難波曲(難波津に咲くやこの花冬ごもり・・・・といったような歌に節をつけたものか)・倭部曲・浅茅原曲・広瀬曲・八裳刺曲の音楽を奏し、都中の人々に自由に見させた。歓楽を極めて終わった。歌垣に参加した男女らに物を賜った。」

 なお、歌垣については、岩波書店の『新日本古典文学大系 続日本紀二』の注を載せておきます。「男女が集まり、相互に掛合歌を歌って求愛する習俗から発した行事。その習俗は現代、中国貴州省のミャオ族など、中国南部からインドシナ半島北部の諸民族の間にみえる。日本古代では、武列即位前紀にみえる大和の海柘榴市、万葉・常陸国風土記にみえる筑波山、肥前国風土記にみえる杵島岳の例などがある。」


 奈良国立博物館では今、第64回正倉院展が開催中で、聖武天皇・光明皇后ゆかりの宝物が多数出陳されています。私は5日に出かけましたが、螺鈿紫檀琵琶や瑠璃坏(るりのつき)を間近で見るには20〜30分ほど並ぶ必要がありました。
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 会期は明日(11/12)までです。
Posted by katakago at 18:41
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