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万葉古代学公開シンポジウム(歌木簡) [2012年09月29日(Sat)]
 午後から明日香村の奈良県立万葉文化館で公開シンポジウムがあり出かけて来ました。
 テーマは、「声から文字へ − 木簡に記された詩歌と古代東アジアの詩歌の場 − 」で、4人の研究者が発表されました(それぞれの演題は下記のチラシを参照)。

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 シンポジウムに先立ち、和田萃先生による「安騎野の”かぎろひ”」と題する基調講演が行われました。とり上げられた歌は、東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへりみすれば 月西渡(かたぶ)きぬ(@-48)で、題詞には、軽皇子の安騎野に宿りましし時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌とあり、長歌と反歌4首からなる歌群の三首目の反歌です。軽皇子の安騎野の旅宿りは、この一連の歌から、即位を前にして亡くなった父草壁皇子(日並皇子)の追悼慰霊にあったとみられています。ところでこの”かぎろひ”は、晴天の冷え込んだ夜が明ける前、東の空が赤く染まる現象(オーロラのように)とされ、東京天文台によってこの歌が詠まれた時期が持統6年(692)11月17日午前5時50分ごろと算出されているそうです。これに基づき毎年「”かぎろひ”を見る会」が大宇陀かぎろひの丘で開催されているそうです。和田先生によると、はっきりと見えたのは40回ほどのうち2回ほどだったそうです(地元の方によると2月頃の方がよく見えるとのこと)。

 近年、万葉歌が書かれたとみられる木簡が発見され(石神遺跡、宮町遺跡、馬場南遺跡出土の3点)、これまでも関連シンポジウムが開催されています。京都府木津川市馬場南遺跡出土(2008年8月)の歌木簡に関するシンポジウムには出席し、昨年8/20の記事の中でもふれています。
 今回の研究報告は、万葉古代学研究所の委託共同研究(『万葉集』と歌木簡ー東アジアにおける詩歌の場と記録メディアの展開ー)の成果発表です。
 興味深かったのは、秋田城遺跡出土の『文選』木簡と呼ばれているものです。『文選』巻十九に収められる「洛神賦」の一部が書かれたものです。当時の軍事的拠点であった秋田城から、極めて高尚な中国の文学作品を書写した木簡が出て来た理由については、次のような考えが示されました。当時の日本海側は、中国・朝鮮半島・渤海国といった文化の進んだ国々との玄関口で、出羽国は、対蝦夷の最前線であると同時に、海外交渉の窓口の一つでもあり、そのため当時の東アジアの共通言語である中国語に堪能な人材も派遣されていたとみられています。外国使節が漂着することもあったようです。『続日本紀』巻三十九延暦5年(789)9月甲辰条に、海難に遭った渤海国の大使が出羽国の海岸に漂着したと記されています(国際日本文化研究センター・多田伊織氏の報告より)。

 明日香路はヒガンバナが真っ赤に咲いていました。写真はシンポジウムが始まる前に橘寺方向に向かって撮影したものです(後方右が橘寺)。

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Posted by katakago at 22:46
妻の水墨画(山百合) [2012年09月28日(Fri)]
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 妻は朝日カルチャーセンター川西教室でボタニカル(植物画)と水墨画を習っていますが、今回、水墨画の講師(林芳辰さん)が主宰される「芳辰会」の合同水墨画展に出品しました(作品は「山百合」)。昨年の「蓮」(記事は10/3)に続き二回目です。
 午前中にカルチャーセンター(中之島)で、毛利正守先生の「古事記にみる出雲神話〜大国主神と歌の物語」を受講した後、水墨画展に立ち寄って来ました。植物を題材にしたものは少なく(他にはコスモス、蓮、ヒマワリ)、ほとんどは風景画でした。講師の作品をはじめ、これまでに大きな賞(文部科学大臣賞)を受賞されている方の作品もあり、墨一色で表現される独特の世界(墨線だけではなく墨を面的に使用し、暈しで濃淡・明暗を表すなど)を味わってきました。
 10/3まで、エルおおさか(大阪府立労働センター)で開催されています。
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Posted by katakago at 17:10
畦道に咲くヒガンバナ [2012年09月27日(Thu)]
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 9/17の記事では、果樹園わきの畦道でヒガンバナの花茎が伸び始めたと報告しましたが、今開花の真っ盛りです。
 万葉歌に、いちし(原文は壱師と表記)と詠まれている植物をヒガンバナとみる説があり、昨年9/18の記事に歌の解説と共に、牧野富太郎博士の考え(「いちしろく」は、「灼然」と表記されており燃えるがごとくの意で、目覚めるばかりの花と解釈すると赤いヒガンバナが相応しい)を紹介しています。ここでは、歌を原文と共に再録しておきます。
【歌】 道の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は (J-2480)
【原文】 路辺 壱師花 灼然(いちしろく) 人皆知 我恋孋
【口語訳】 道のほとりの いちしの花のように はっきりと 人々は知ってしまった 私の恋しく思っている妻のことを (『萬葉集全歌講義』より)
Posted by katakago at 15:21
ムラサキ(紫草)の種 [2012年09月26日(Wed)]
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 秋になりこれまで花を楽しませてくれた草花が種を付けています。写真はムラサキ(紫草)の種です。
 花の写真と万葉歌は、昨年6/11と今年5/3の記事に載せています。

 来月の現地見学会(案内記事は8/23)では、草花の種の採取も予定しています。ムラサキの他ヒオウギ(ぬばたま)・カワラナデシコ・キキョウ・オミナエシ・ハマユウ・古代米・コナギ等の種が得られるものと思われます。これら以外に、ベニバナとハスは既に採種しています。
Posted by katakago at 09:20
ノカンゾウの花 [2012年09月25日(Tue)]
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 ノカンゾウ(ゆり科)の花が咲きだしました。昨年秋に2株購入して植えていたうち、1株は蕾が落ちてしまい、もう一株が花を咲かせました。
 万葉歌で、わすれぐさ(原文は萱草と表記)と詠まれている植物は、先に紹介しているヤブカンゾウ(6/29の記事)やこのノカンゾウと考えられています(いずれもゆり科のワスレグサ属)。万葉歌には4首詠まれており、昨年6/30の記事(B-334、C-727)、今年6/29の記事(K-3062)に掲載しています。先に紹介しているように、当時、漢籍(『文選』の「養生論」)に基づき、わすれぐさを身に付けると憂苦を忘れるという俗信があり、わすれぐさが詠まれた4首中3首が、恋の苦しさから逃れるための具として詠まれています。

 次も真剣な辛い恋をしている歌です。
【歌】 忘れ草 我が紐に付く 時となく 思ひ渡れば 生けりともなし (K-3060)
【口語訳】 忘れ草を わたしの紐に付ける 絶え間なく 思い続けていると 人心地もない

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Posted by katakago at 09:14
稔りの秋(古代米) [2012年09月24日(Mon)]
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 ミニ水田で育てている古代米(紅吉兆)の稲穂が垂れてきました。6/10に苗を移植したもので、9/5にはイネの花が見られました。

 昨年8/29の記事にイネが詠まれた万葉歌(東歌M-3459)を掲載していますので、ここでは別の歌(巻十の風を詠む)を紹介します。
【歌】 恋ひつつも 稲葉かき別け 家居れば 乏しくもあらず 秋の夕風 (I-2230)
【口語訳】 家を思いながら 稲葉をかき分けて 小屋にいると しきりに吹いている 秋の夕風が
 当時は、稲刈りの前後、一時的に自家を離れて持ち田の周辺に小屋を造り、ここで暮しながら農作業に従事したようです。C-723歌の題詞には、「大伴坂上郎女が跡見(とみ)の庄から家で留守番をしている娘の大嬢に下さった歌一首」とあり、農繁期には貴族であっても農作業の監督に荘園に出かけていたようです。
 『萬葉集全歌講義』には、「周囲が一面の稲田で、収穫直前の成熟し切った稲は、吹く風を受けて、穂も葉もざわざわと動き、その稲田の上を渡ってくる夕風は、都を吹く風とはひと味異なる感興を覚えさせたであろう」とあります。

 2枚目の写真はお隣の田んぼの稲の様子です。畦道にはヒガンバナが咲きだしました。
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Posted by katakago at 15:16
西国街道から「いましろ大王の杜」を巡る [2012年09月23日(Sun)]
 大阪モノレールハイキング ー 西国街道から「いましろ大王の杜」を巡る ー に参加してきました。朝方まで雨が降っており開催が危ぶまれましたが、電話で確認したところ実施するとのことで、集合場所(豊川駅)に到着の頃には幸い雨も上がっていました。このところ天気には恵まれています。
 今日のコースは、モノレール豊川駅 → 椿の本陣 → 太田茶臼山古墳 → 闘鶏野(つげの)神社 → ハニワ工場公園 → 上の池公園 → 今城塚古墳(今城塚古代歴史館)までの約10kmです。受付でコースの地図をもらってそれぞれのペースで歩きました(今日の参加者は196名だったそうです)。なお、今城塚古墳は昨年5/28にも訪れ記事にしています。 

 郡山宿本陣跡(正門脇に五色の椿の大樹があったことから椿の本陣と呼ばれた)
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 京都と西宮を結ぶ西国街道沿いには、かつて山崎・芥川・郡山・瀬川・昆陽の五つの宿駅があり、郡山本陣は、その中央にあって重要な役割を果たしたそうです。現在の建物は享保6年(1721)に再建され、国の史跡に指定されています。宿帳からは、摂津・備前・備中・美作・讃岐などの大名が宿泊したことが分かっています。

 太田茶臼山古墳(宮内庁により継体天皇陵に指定、継体天皇三島藍野陵)
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 ただし、この古墳は墳丘の形状や、円筒埴輪の年代測定から5世紀の中頃に築造されたものと考えられており、『日本書紀』に記された継体天皇の没年(西暦531年)よりも一世紀ほど古いものとみられています。
 考古学界では、今回最後に訪れた今城塚古墳(6世紀築造)が継体天皇陵であると考えられています。

 ハニワ工場公園(18号ハニワ窯)
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 継体天皇陵と考えられている、史跡今城塚古墳の埴輪を焼いた窯の一つとされています。全国には300以上のハニワ窯が見つかっているなかで、大王の古墳の埴輪を焼いたことが分かっているのは唯一こことされています。

 今城塚古墳(手前に復元された埴輪祭祀場)
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 ここは、大王墓で唯一墳丘内に立ち入ることができるところです(宮内庁の陵墓指定を受けていないため)。
 埴輪祭祀場では、復元埴輪で古代王権の儀礼の場が再現されています。
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 隣接の今城塚古代歴史館には、出土した形象埴輪(高床の家・門・巫女・武人・水鳥・鶏・雄牛等)が展示されています(撮影はOKでした)。
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 後円部の発掘調査で、3種類の石棺材の破片が見つかっており(3基の家型石棺が存在した可能性)、それらは熊本の阿蘇ピンク石(馬門石)、兵庫の竜山石、二上山白石(いずれも凝灰岩)です。阿蘇ピンク石は海路を850km以上も運ばれて来た。
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Posted by katakago at 17:18
ススキの穂(初尾花) [2012年09月22日(Sat)]
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 ススキ(いね科)の穂が出てきました。万葉歌には、すすき(原文は須為寸・為酢寸などと表記)または、をばな(尾花)として詠まれています(昨年10/16の記事参照)。先に紹介した秋の七種(ななくさ)の一つです(8/22の記事)。

 ここでは、巻十の歌を紹介します。
【歌】 さ雄鹿の 入野のすすき 初尾花 いつしか妹が 手を枕かむ (I-2277)
【口語訳】 (さ雄鹿の) 入野のすすきの 初尾花(はつおばな)のように初々しい娘(こ) いつになったらあの娘(こ)の 手を枕にすることだろう
 「さ雄鹿の」は、鹿が野を分け入る、の意でかけた「入野」の枕詞で、「初尾花」は穂が出たばかりの尾花で、初々しい女性の姿のたとえとして用いられています。三句までが初々しい女性の比喩的序詞となっています。『萬葉集全歌講義』には、うら若いおとめとの結婚を早くと待ち望んでいる男の歌、とあります。


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Posted by katakago at 09:41
黒川ダリア園 [2012年09月21日(Fri)]
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 秋晴れの天気に誘われ、買い物のついでに市内にある「黒川ダリア園」に出かけてきました。ここ川西市黒川は「にほんの里100選」にも選ばれた自然豊かな土地で、園内には380品種1300株のダリアが植えられており、さまざまな形状、色とりどりの花が見頃を迎えていました。
 山形県川西町から、友好親善の一環として贈られたダリア279球から育成され、平成16年にこの地に開設されたそうです。


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Posted by katakago at 17:06
来園者(お茶を楽しむ会) [2012年09月20日(Thu)]
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 今朝は9月になって二組目のグループをお迎えしました。お茶を楽しむ”はごろも会”の16名の皆さんです。晴天に恵まれ気温も少し下がってきており、植物園の散策にはちょうどよかったです。
 いつものように自治会館でパワーポイントを用いて「万葉歌と植物」について説明を行いましたが、これを機に万葉歌に詠まれた植物に興味を持っていただければ幸いです。
 裏山では藪蚊を気にしながら急ぎ足で一巡した後、畑の分園に移動して「秋の七種(ななくさ)」をはじめ、ケイトウ・ハマユウ・アサザや開花し始めたナンバンギセル(2枚目の写真)も見ていただけました。ヒオウギの種やナツメの果実にも興味を示されていました(ナツメはリンゴのような味がします)。ここで採取された種によってヒオウギが他の場所でも殖えてゆくのは嬉しいことです。
 ナンバンギセル(万葉歌では思草)の写真は9/11に掲載していますが、今朝は次の写真のように花が開き始めていました。
【歌】 道の辺の 尾花が下の 思ひ草 今更々に 何をか思はむ (I-2270)
【口語訳】 道端の 尾花の陰の 思い草のように いまさら 何を思い迷いましょうか
『萬葉集全歌講義』には、迷わずに自分の恋を貫こうとする決意を詠んだ歌とあります(女の立場での歌)。
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 カワラナデシコは夏に花が咲き終わった後、茎を切り戻していた株で再び花を咲かせています。花に寄ってきたツマグロヒョウモンを見かけました。
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Posted by katakago at 15:11
ケイトウ(韓藍の花) [2012年09月19日(Wed)]
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 ケイトウはひゆ科の一年草ですが、昨年のこぼれ種から畑のあちこちで花を咲かせています。万葉歌には、からあゐ(原文は韓藍・鶏冠草などと表記)として4首詠まれており、昨年の7/28の記事(F-1362)、8/24の記事(B-384、I-2278)、今年の7/19の記事(J-2784)に紹介しています。ここでは次の歌を再度載せておきます。
【歌】 恋ふる日の 日長くしあれば 我が苑の 韓藍の花の 色に出でにけり (I-2278)
【口語訳】 恋しく思う 日数が積もったので 我が家の庭の 韓藍(からあゐ)の花のように 色に出てしまいました
 逢うことができないまま恋しい日々が続いたので、恋い慕う心がつい顔色や態度に表われてしまったことを詠んだ歌(『萬葉集全歌講義』より)。
 当時、花汁をうつし染めに用いたようで、その鮮やかな花の色を「色に出づ(恋の思いが表面に表われる)」の比喩として詠まれています。
Posted by katakago at 14:47
グループで来園 [2012年09月18日(Tue)]
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 今日お見えのグループは、シニア自然大学校での同期のお仲間です。シニア自然大学校関係では、今年5/19にも別のグループの方に来ていただいています。
 朝方まで雨が激しく降っていたため心配していましたが、自治会館での説明を終え園内を案内する頃には雨も上がり幸いでした。ちょうど秋の七種(ななくさ)のうち、クズ以外は同じ場所で見ていただけました。またヒオウギやムラサキの種にも興味を示され、採種されていました。

 雨上がりの裏山では、足元が滑りやすくなっていました。
携帯用の蚊取り線香も用意しましたが、蚊は普段より少なかったようです。

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Posted by katakago at 13:14
彼岸花の花茎 [2012年09月17日(Mon)]
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 刈り取った畦道で、ヒガンバナ(ひがんばな科)の花茎が伸び出しているのを見つけました。花後に出て来た葉は晩春には枯れるため、花茎がいきなり伸びてきます。草刈り時期が遅れていれば他の雑草と一緒に刈り取っていたかもしれません。
 間もなく、畦道に咲く真っ赤なヒガンバナの花を、遠くからでも見られるものと思います。
 万葉歌に、いちし(原文は壱師と表記)と詠まれている植物をヒガンバナとみる説があります(牧野富太郎ほか)。牧野説については、万葉歌と共に昨年9/18の記事に紹介をしています。
Posted by katakago at 14:06
再びアサザの花が咲きだしました [2012年09月16日(Sun)]
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 蓮池にはアサザ(みつがしわ科)も植えています.
5月の初め頃から咲きだし、ハスの葉が繁茂するまでは池全面で黄色の花を咲かせていました。その後ハスの旺盛な生育と開花が見られた6月末から8月末頃までは、いったん消えていましたが再び花が咲き始めました(写真中央の黄色の花、右の青い花はコナギ)。昨年は、10月になっても花が見られました(10/18の記事)。
 アサザは万葉歌には、あざさ(原文は阿邪左と表記)として一首のみ詠まれています。「・・・蜷の腸 か黒き髪に ま木綿持ち あざさ結ひ垂れ・・・」の長歌(L-3295)の中で、父母の問いかけに対し、息子が自分の妻について打ち明ける箇所(あざさの花を黒い髪の飾りとして付けている娘)で詠まれています。長歌の全文と解説は昨年6/4の記事に掲載しています。
Posted by katakago at 08:49
畦道で咲くニラの花 [2012年09月15日(Sat)]
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 ヒガンバナの花茎が伸びだす前に畔の草刈りを済ませておこうと、第一優先で取り組みましたが、ニラ(ゆり科)の花が咲いていたのでそこだけは残しておきました(写真)。
 ニラは万葉歌では、くくみら(原文は久君美良と表記)として一首だけ詠まれており、昨年9/7の記事にその歌の解説を載せていますが、ここでも歌と口語訳を再度載せておきます。
【歌】 伎波都久の 岡のくくみら 我摘めど 籠にも満たなふ 背なと摘まさね (M-3444)
【口語訳】 伎波都久(きはつく)の 岡のくくみらは 私が摘んでも 籠いっぱいになかなかならないわ そんならあの人と摘みなさいな

 
Posted by katakago at 22:23
ヒオウギの種(ぬばたま) [2012年09月14日(Fri)]
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 ヒオウギ(あやめ科)の花の後に形成された刮ハがはじけて、中から黒い球形の種子が見られるようになりました。万葉歌で詠まれている、ぬばたま(原文では野干玉・奴婆多麻・烏玉・夜干玉などと表記)はこのヒオウギの種と考えられています。万葉歌には80首詠まれていますが、植物そのものを詠んだ例はなく、全て枕詞(黒・夜・暗・夢等にかかる)として用いられています。例歌は昨年9/16の記事(C-573、N-3732)と10/4の記事(C-639、J-2589)に載せていますが、ここでは別の歌を紹介します。

【歌】 現には 逢ふよしもなし ぬばたまの 夜の夢にを 継ぎて見えこそ (大伴旅人 D-807)
【口語訳】 現実には 逢うすべもありません (ぬばたまの) 夜の夢に ずっと見えてください
 この歌の前には次のような書簡が掲載されています(『新編日本古典文学全集 萬葉集』の口語訳より)。
 辱(かたじけ)なくもお手紙をいただき、お気持ちのほどよく分りました。その時ふと天の川を隔てた牽牛・織女のようなせつない気持ちをおぼえ、また恋人を待ち疲れて死んだ尾生(びせい)の気持ちと同じ心境になったのです。願わくは、離れていてもお互い無事で、いつかお目にかかれる日を待つこと、ただそればかりです。敬具。
 当時、大伴旅人は大宰帥(ださいのそち)として筑紫にあり、上記の「辱なくもお手紙をいただき」の手紙は、奈良に住む某知人から旅人あてに来たものですが、これは収載されていません。相手が異性であることを匂わす用語があるところから、旅人と歌を贈答したことのある丹生女王(にふのおおきみ)か、とする説があるようです。

 これに続いて大伴旅人の歌二首が載せられていますが、先に示した歌はその二首目で、一首目は次のような歌です。
【歌】 竜の馬も 今も得てしか あをによし 奈良の都に 行きて来むため (D-806)
【口語訳】 竜馬(りゅうめ)が 今もあればよいと思います (あをによし) 奈良の都に 行って来るため
Posted by katakago at 18:40
ハギの花(その2) [2012年09月13日(Thu)]
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 裏山で咲いているミヤギノハギ(まめ科)です。
 ハギは万葉歌に詠まれている植物では最も多く(141首)、これまでもいくつか紹介してきています。それらは、昨年8/20の記事(G-1541、1598、I-2205)、同じく9/20の記事(A-231、G-1557)、今年の8/22の記事(G-1538)に掲載しています。
 ここでは巻七の譬喩歌「花に寄する」から別の歌を載せておきます。
【歌】 見まく欲り 恋ひつつ待ちし 秋萩は 花のみ咲きて 成らずかもあらむ (F-1364)
【口語訳】 花が見たさに 恋しく思いながら待った 秋萩は 花だけ咲いて 実を結ばないのではなかろうか
 「秋萩」は自分が恋しく思っている女性で、「花のみ咲きて成らずかもあらむ」は、恋愛が成就して結婚にまでは至らないのであろうかと、心配している男の歌と解されています。
【歌】 我妹が やどの秋萩 花よりは 実になりてこそ 恋増さりけれ (F-1365)
【口語訳】 愛妻の 庭の秋萩は 花が咲いていた時より 実を結んでのちにこそ 恋しさが増したことだ
 「やどの秋萩」は相手の女性で、「花よりは実になりてこそ」は恋愛中よりも結婚してからの方がの意で、結ばれた後にかえって恋しさが増したと、結婚できて幸せいっぱいの気持ちを詠んだと解されています。

 2枚目の写真は畑で咲きだした白花のハギです。

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Posted by katakago at 09:03
柿も色づく [2012年09月12日(Wed)]
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 この一週間ほどで草刈りがとりあえず一段落しました。そのうちまた伸びて来るのでここ暫くは草との追っかけっこです。
 きれいになった果樹園では、朝と夕方クリ拾いをしていますが、早生のカキも色づき始めました。今週末には亡父の17回忌を営みますが、クリとカキもお供えできそうです。

 万葉歌に詠まれた果樹では、クリの他にナツメが収穫時期を迎えました。

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Posted by katakago at 10:03
ナンバンギセルの花茎伸びる [2012年09月11日(Tue)]
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 ススキの株元でナンバンギセルの花茎が伸びてきました。ナンバンギセルはススキ・ミョウガ・サトウキビなどに寄生する植物です。宿主のススキをポットに植え、それを地中に埋め込んで栽培管理しています。来週には二組の来園が予定されており、その頃にはちょうど花が開いているものと思われます。万葉歌には、おもひぐさ(原文は思草と表記)として一首だけ詠まれています(昨年は9/21に記事掲載)。

 蓮池では、今年最後の花が咲いています。9月に開花を見るのは初めてです。
水面にはアサザの葉が殖えてきました。これからまた花が咲きだします。

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Posted by katakago at 08:19
講座「箏のルネッサンス」 [2012年09月10日(Mon)]
 昨日(9/9)は草刈り作業も一日休んで、NHKカルチャー「箏のルネッサンス」を受講しました。医薬品流通の(株)スズケンが、身体の健康だけではなく、”心の健康”にも役立ちたいと、NHK文化センターと共催で開催されている講座(スズケン市民講座)の一つです。
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 講師は箏・三絃奏者の芦垣美穂さん(名古屋音楽大学客員教授)で、講演の合間に演奏も行われ、琴古流尺八奏者の芦垣皋盟さん、箏奏者の別所知佳さんも合奏されました。

 箏曲の歴史の中で、節目となる作曲者を四人あげられ、その業績についての解説と、それぞれの代表曲の演奏が行われました。
 その四人は、八橋検校、菊岡検校、吉澤検校、宮城道雄です。
ところで、「検校」とは、当時の盲人の互助組織である「当道座」の中で与えられる最高位の名前です(以下別当・勾当・座頭と続く)。 
 江戸時代初期に活躍した八橋検校(1614〜1685)は、楽器としての箏および箏曲を大成させた近代箏曲の祖といわれています。半音階をふんだんに使った(平調子)表現豊かな技巧的な奏法を考案し、純粋器楽曲の名作を残しています。「六段」と共にその代表作とされる「みだれ」を演奏して頂きました。
 江戸時代中期以降、器楽部分を重要視した地唄の楽曲形式「手事もの」が完成され、それに続き菊岡検校(文政・天保のころ)らが、京都地唄の曲を多数作曲し(京流手事もの)、これに八重崎検校が箏の手を加え、複雑な合奏を楽しめる箏曲として発展しました。菊岡検校の代表作として、「笹の露」が演奏されました。
 江戸時代後期に名古屋で活躍した吉澤検校は、雅楽からヒントを得て古今調子と呼ばれる調弦法を考案しました。曲の歌詞には『古今和歌集』の歌が使われています。その代表曲として、「千鳥の曲」が演奏されました(歌詞は『古今和歌集』と『金葉和歌集』の歌から採られている)。
 大正・昭和の時代になって、宮城道雄(1894〜1956)が伝統に根ざしつつ西洋音楽等の影響も受けた新たな曲を多数作曲しました。この講座では、14歳の時の処女作「水の変態」と代表作「春の海」の演奏を聴かせていただきました。なお、「春の海」は1930年の歌会始の勅題「海辺の巌」にちなみ1929年末に作曲されたものです。8歳で失明する前に祖父母に育てられて住んでいた瀬戸内の景勝地、福山市の鞆の浦の風景をイメージして作曲されたそうです。

 朝日カルチャー芦屋教室で尺八を習っていますが、箏との合奏曲を数多く練習してきています。星田先生から時々レッスンの合間に作曲者について聞かれることがありますが、あらためて箏曲の歴史の中で大まかに捉える事ができたかなと思っています。

 なお、この講座は大学生までは無料となっており、そのためか分りませんが、年配の方に混じって若い女性の参加者も見受けられました。邦楽器に興味を持つ若者が増えることを期待しています。
Posted by katakago at 10:39
アカネ [2012年09月09日(Sun)]
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 裏山の植物園では垣根に絡まってアカネ(あかね科)の花が咲いています。その根から緋色の染料が採られますが、万葉歌では植物そのものを詠んだ例はなく、13首全て紫・日・月・照・昼などにかかる枕詞として用いられています。
 昨年9/14記事では、日(K-2901)と紫(@-20)にかかる例をあげておきました。ここでは別の歌を紹介します。
【歌】 あかねさす 日並べなくに 我が恋は 吉野の川の 霧に立ちつつ (車持千年 E-916)
【口語訳】 (あかねさす) 幾日も経たないのに 家恋しさの嘆きは 吉野の川の 霧となって現れている
 行幸従駕の折に詠まれた長歌の(或る本の)反歌で、この歌の左注には作歌年月がわからないとあり、或本には、養老七年(723)五月に吉野の離宮に行幸(元正天皇)の折の作とあります。家郷を思うのは旅の歌の型式で、『新編日本古典文学全集 萬葉集』では、「霧に立ちつつ」は、恋しさが募り、嘆きがやまず、その嘆きが霧となって立ちあがったことをいう、と解説されています。

 
 「あかねさす日(昼)」と「ぬばたまの夜」がセットで詠まれている例もあります。
【歌】 あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠らく惜しも (柿本人麻呂 A-169)
【口語訳】 (あかねさす) 日は照らしているが (ぬばたまの) 夜空を渡る月が 隠れるのが惜しい
 草壁皇子の殯宮の時に人麻呂が詠んだ長歌の反歌で、皇子の薨去を月の隠れることにたとえて誅(しのびごと)としています。
Posted by katakago at 08:09
サネカズラの花 [2012年09月08日(Sat)]
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 裏山に自生しているサネカズラ(もくれん科)が花を咲かせていました。万葉歌には、さなかずら・さねかずら(原文は狭寝葛・核葛などと表記)として詠まれています。昨年11/27の記事に、赤く色づいた液果の写真と共に、I-2296歌を載せています。
 ここでは別の歌を紹介します。
【歌】 さね葛 後も逢はむと 夢のみを うけひ渡りて 年は経につつ (J-2479)
【口語訳】 (さね葛) 後にでも逢わせ給えと 夢占(ゆめうら)だけを 頼みにし続けて 年は過ぎてゆく
 サネカズラは山地に生える常緑の蔓性植物で、蔓が長く伸びて先でからまり合うので、この歌では「後も逢ふ」の枕詞として用いられています。同じ用例は、A-207、K-3073、L-3281歌等に見られます。
Posted by katakago at 18:35
栗の実 [2012年09月07日(Fri)]
 石見万葉旅行に出かけている間に、あちこちで草ががっくりするほど伸びていました。今月中旬には植物園の見学が二組あるので、気を取り直して草刈りに励んでいます。隣地との畔の草刈りを優先して、今日は果樹園の下草刈りです。炎天下の作業は危険なので、朝夕の2時間ほどの作業のため、ここだけでも2日がかりとなりそうです。

 作業中に、早くも栗のイガが落ちているのに気付き、周りをよく見渡すと草むらの中にクリの実が転がっていました。写真は今日拾ったものです。品種は丹沢で早生栗の代表種です。丹沢以外には、筑波・銀寄せ(収穫時期は9月下旬から10月上旬の中生栗)も植えています。
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 万葉歌にはクリは三首詠まれています。うち一首は山上憶良の「子等を思ふ歌」(D-802)に、「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ ・・・・」と詠まれています(昨年6/19のマクワウリの記事参照)。
 あとの二首は、「三栗の 那賀に向かへる」(H-1745)や「三栗の 中上り来ぬ」(H-1783)のように用いられています。これは、一つのいがの中に栗のの実が三つできる(写真)ことから、その真ん中に注目して、同音のナカにかけた枕詞として用いられています(昨年9/9記事参照)。  
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Posted by katakago at 19:58
秋の七種(ななくさ) [2012年09月06日(Thu)]
 万葉歌には山上憶良の「秋野の花を詠む歌二首」があり、七種類の草花が詠まれています。昨年の9/19の記事に解説を載せていますので、ここでは歌だけあげておきます。
【歌】 秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花 (G-1537)
【歌】 萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなへし また藤袴 朝顔が花 (G-1538)
 二首目は旋頭歌(5・7・7・5・7・7)で、七種類の植物が詠み込まれています。朝顔はキキョウと考えられています。
 このうちハギ(8/22)・クズ(8/12)・カワラナデシコ(5/25,8/10)・オミナエシ(7/2)・キキョウ(7/3)は、それぞれ既に記事(日付)に載せています。ススキの穂はまだですが、フジバカマが咲きだしました。
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 ハギ・オミナエシ・キキョウの写真も掲載しておきます。IMG_0859m.jpg

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Posted by katakago at 13:47
古代米の花 [2012年09月05日(Wed)]
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 蓮池の水の落ち口に設けたバットのミニ水田で、イネの穂が出て花が咲いています(白く見えるのがオシベ)。苗の移植は6/10に行いましたが、今年は古代米の種を取り寄せて栽培しています(品種は赤米の紅吉兆)。この品種は、地元で栽培されているヒノヒカリに比べ出穂時期は一週間ほど遅いようです。

 ミニ水田や蓮池のふちでコナギ(みずあおい科)が花を咲かせています。コナギは水田の雑草でもあり、これが密生するとミニ水田でも実際イネの生育が阻害されます。
 万葉歌にも詠まれており、歌は7/16の記事(東歌に詠まれた雑草)の中で、他の植物(スベリヒユ・ヒルムシロ)と一緒に紹介しています。

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Posted by katakago at 15:55
石見万葉旅行(人麻呂ゆかりの地を巡る) [2012年09月04日(Tue)]
 この記事では、3日間(8/31〜9/2)に訪ねた人麻呂ゆかりの地を万葉歌碑と共に紹介してゆきます。

 柿本朝臣人麻呂は、生没年未詳。『万葉集』以外に所伝はなく、持統・文武朝に作歌活動があったとみられ、石見の国で死に臨んだ時の歌があります。持統天皇の紀伊・吉野行幸などに従駕し多くの行幸儀礼歌を詠んでいます。また、地方における歌も多く、下級官人として地方に下向したとみられ、石見国で死んだ折、「死時」とあり六位以下の官人であったと考えられています。『万葉集』には人麻呂作歌85首、人麻呂歌集歌約365首が載せられており、『古今和歌集』の仮名序にも「歌の聖なりける」とあり、和歌史上屈指の歌人と評されています。

 後に民間信仰では、「柿本」から「火気の元」に、「人麻呂」は「火止まる」に通じることより「火伏せの神」として、また「人麻呂」の音から「人生まる」の意味を派生し(安産の神としても)全国各地に柿本神社、人麻呂神社が建てられるようになったようです(全国万葉協会で調査中とのこと)。

 
 1日目(8/31)は、戸田柿本神社(宝物殿で人麻呂像拝観)/人麻呂生誕の地/遺髪塚 ⇒ 万葉公園(人麻呂展望広場/万葉歌碑) ⇒ 高津柿本神社(万葉歌碑) ⇒ 割烹鈴蘭別館(夕食) ⇒ 石見の夜神楽見学 ⇒ 浜田泊

 戸田柿本神社(益田市戸田) この地では古くから火伏せの神として信仰されている
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 島根県立万葉公園(益田市高津町) 柿本人麻呂や万葉歌人の詠んだ歌の歌碑がある
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 公園内にある稲岡耕二揮毫の万葉歌碑 
【歌】 小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆 (A-133)
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 高津柿本神社(益田市高津町)
享保8年(1723)に朝廷から正一位柿本大明神の神位神階を贈られた(全国にある柿本神社の総本社)
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 高津柿本神社境内の万葉歌碑
柿本朝臣人麻呂が石見国にあって死期が近づいた時に、自ら悲しんで作った歌
【歌】 鴨山の 岩根しまける 我をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ (A-223)
【口語訳】 鴨山の 岩を枕に伏している わたしなのに 知らずに妻は 待っていることであろうか
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 梅原猛が人麻呂の終焉の地と考えた鴨島を望む碑(万葉公園内の和風休憩所裏にある)
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 割烹鈴蘭別館での夕食
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 石央文化ホールでの夜神楽鑑賞(演目:大蛇、須佐之男命の八俣のおろち退治)
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 2日目(9/1)は、浜田城跡(鴨山説) ⇒ 伊甘神社(国府跡碑) ⇒ 大崎鼻(辛乃崎)万葉歌碑 ⇒ 石見国分寺跡 ⇒ 石見畳ケ浦 ⇒ 全国万葉フェスティバルinしまね ⇒ 浜田泊

 伊甘神社境内にある石見国府跡の碑(浜田市下府町)
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 大崎鼻(江津市波子町)「辛の崎」の万葉歌碑(人麻呂の石見相聞歌の部分、揮毫は澤瀉久孝)
【歌の読み下し文】 つのさはふ 石見の海の 言さへく 辛の崎なる いくりにそ 深海松生ふる 荒磯にそ 玉藻は生ふる 玉藻なす なびき寝し児を 深海松の 深めて思へど さ寝し夜は いくだもあらず 延ふつたの 別れし来れば 肝向かふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船の 渡の山の もみち葉の 散りのまがひに 妹が袖 さやにも見えず 妻隠る 屋上の山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 天伝ふ 入日さしぬれ ますらをと 思へる我も しきたへの 衣の袖は 通りて濡れぬ (A-135)
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 歌碑の前で坂本先生との記念写真(同行の仲間と一緒に)
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 3日目(9/2)は、高角山公園(万葉歌碑・人麻呂と妻依羅娘子の像) ⇒ 坂本先生歌碑除幕式 ⇒ 二宮(依羅娘子生誕伝承の里碑・万葉歌碑) ⇒ 恵良の里(万葉歌碑) ⇒ 都野津柿本神社(万葉歌碑) ⇒ 真島(角の浦)

 高角山公園(江津市島の星町)の人麻呂と妻依羅娘子の像の前で坂本先生の説明を聴く 
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 高角山公園内にある高木市之助揮毫の万葉歌碑
【歌】 石見のや 高角山乃 木のまより わがふる袖を 妹みつらむか (A-134)
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 依羅娘子誕生伝承地、恵良の里(江津市二宮町)の清水克彦揮毫の万葉歌碑(人麻呂の妻、依羅娘子が人麻呂と別れる時の歌)
【歌】 勿念跡 君者雖言 相時 何時跡知而加 吾不恋有牟 (A-140)
【読み下し文】 な思ひそと 君は言ふとも 逢はむ時 いつと知りてか 我が恋ひざらむ
【口語訳】 思うなと あなたがおっしゃっても 今度いつ逢えると 分っていたら こんなにまでも恋しくは思いません
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 恵良の里より高角山を遠望
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 都野津柿本神社(江津市都野津町)境内にある犬養孝揮毫の万葉歌碑
【歌】 石見乃也 高角山乃 木際従 我振袖乎 妹見都良武香 (A-134)
【口語訳】 石見の国の 高角山の 木の間からも 私が袖を振るのを 妻は見ただろうか 
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 真島(江津市和木町)より、角の浦を望む
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 砂浜にはコウボウムギ(かやつりぐさ科)が群生する(この時期は枯れていた)。地元ではこれを筆に使用していたことがあり、それを人麻呂筆と呼んでいたそうです。
Posted by katakago at 07:17
石見万葉旅行(9/1全国万葉フェスティバルinしまね・交流会) [2012年09月03日(Mon)]
 2日目(9/1)の午後から、江津市総合市民センターで、「全国万葉フェスティバルinしまね」が開催され、これに出席しました。

 先ず、オープニングでは江津市民混声合唱団の合唱と、「ごうつ万葉大使」(人麻呂と依羅娘子)による万葉歌朗唱(写真)が行われました。
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 引き続き、坂本信幸先生による基調講演(演題:柿本人麻呂の恋の歌)が行われました。
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 『万葉集』には、柿本人麻呂作歌は85首(長歌18首、短歌67首)、柿本人麻呂歌集歌は約365首採られています。
 人麻呂作歌の相聞歌は全五群で、うち三群が石見での歌であり、しかも長歌は人麻呂が石見国から妻(依羅娘子)と別れて上京する時に詠んだ「石見相聞歌」です。これらを含め石見の万葉歌のほとんどが人麻呂関係歌です(人麻呂の恋の歌と死の歌も石見に残されている)。
 石見相聞歌を中心に、人麻呂の複数の妻(石見の妻が依羅娘子、軽の妻)・恋人に関わる歌(挽歌を含む)も解説されました。

 その後のトークショーでは、コーディネーターには富田敏子さん(全国万葉協会会長)、パネラーには坂本先生の他、川島芙美子さん(郷土作家)・山口千代子さん(天平衣装制作・服飾家)が加わり、「人麻呂さんと石見」と題して行われました。

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 夕方、パレス和光で開催された「全国万葉ネットワーク交流会」に参加し、地元(江津市)の方によって準備された御馳走と飲み物をいただきながら、全国各地から集まった万葉ファンと交流を深めました。万葉の大和路を歩く会(64名)、高岡市万葉歴史館万葉を愛する会(34名)、太宰府万葉会(12名)、三豊万葉の会(香川県、6名)、坂出市万葉を歩く会(5名)、因幡万葉歴史館(4名)のほか地元の方々も含め168名の参加者がありました。
 次の写真は、万葉の大和路を歩く会の紹介の様子です。
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 最後に石見神楽(演目:大蛇緒)が上演され、その力強い舞を間近に見ることができました。
『古事記』のなかの出雲神話で有名な、須佐之男命(すさのおのみこと)が出雲の国で八俣のおろちを退治する舞です(写真はその一場面)
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 なお、「第17回全国万葉フォーラムin太宰府」は、平成25年2月16日〜18日の間、太宰府市中央公民館で開催される予定です。


Posted by katakago at 16:14
石見万葉旅行(9/2万葉歌碑除幕式) [2012年09月03日(Mon)]
 今年は『古事記』編纂1300年に当たり、島根県では出雲大社周辺を主会場に、「神話博しまね」が開催されています(7/21〜11/11)。島根(石見)はまた、万葉の世界では柿本人麻呂のゆかりの地でもあります。今回「万葉の大和路を歩く会」主催の「人麻呂の石見と万葉フォーラム」の旅行に参加して出かけてきました(8/31〜9/2)。
 3日間にわたって人麻呂ゆかりの地を訪ねるとともに、江津市で開催された「全国万葉フェスティバルinしまね」にも参加し(2日目)、今回同行の講師坂本信幸先生(奈良女子大学名誉教授・高岡市万葉歴史館館長)が揮毫された万葉歌碑の除幕式にも参列しました(3日目)。
 これらの様子を写真を中心に3回に分けて報告します。

 まず、昨日(9/2)行われた万葉歌碑の除幕式の様子を紹介します。
場所は江津市内を一望できる展望のよい高角山の中腹です。歌碑の歌は、柿本朝臣人麻呂が、石見国から妻と別れて上京する時に詠んだ「石見相聞歌」と称される長歌(A-131)の反歌(A-133)です。副碑に原文、口訳、解説が書かれていますが、次に示しておきます。

【原文】 小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆
【読み下し文】 笹の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば
【口訳】 笹の葉は、山全体がさやさやと風に騒いでいるけれども、私はただひたすら妻のことを思う、別れて来たので。

 坂本先生、江津市長らによる除幕の様子

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 除幕後の歌碑と副碑
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 笹の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば
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 なお、原文の「乱友」の訓については、「さやげども」と「みだるとも」の説がある中、坂本先生は、これまでの諸説に論証を加えた上で、澤瀉久孝説(『萬葉古径』)の「さやげども」の訓によるべきと述べられています。歌碑の文面もひらがなで「さやげども」と書かれています。詳細は、先生の論文「笹の葉はみ山もさやに−『乱友』考 −」(『萬葉』二百七号、平成22年9月)に述べられています。



 副碑に書かれた坂本先生の解説文を掲載しておきます。「み山」という表現には、高角山に対する畏れと謹みがうかがえる。その畏怖すべき山全体がざわめき騒いでいる中で、ただ一筋に妻のことを思うのは人麻呂の愛情の強さゆえである。
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 歌碑の序幕を終え挨拶される坂本先生
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 地元の江津市立高角小学校1,2年生により、「石見相聞歌」長歌、反歌の朗唱が行われました。
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 この除幕式には、地元の方はじめ、万葉の大和路を歩く会(64名)、高岡市万葉歴史館万葉を愛する会(34名)など多くの参列者があり盛大に行われました。
Posted by katakago at 14:06
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