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クマザサ [2011年11月30日(Wed)]

 クマザサ(いね科)は、写真ように冬になると葉の縁に白い隈どりが出来るのでその名があります。万葉歌では、ささ(原文は、小竹・佐左・左左などと表記)として詠まれています。次の歌は、柿本人麻呂の「石見相聞歌」(長歌と反歌2首からなる)で、反歌に詠まれているものです。
【歌】 笹の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば (A-133)
【口語訳】 笹の葉は 全山さやさやと 風に吹かれ乱れているが それでもわたしは妻のことを思う 別れて来たので
 題詞によれば、人麻呂が石見国から妻と別れて上京してくる時のもので、この妻は、人麻呂が石見国に滞在していた間に通った現地妻と考えられています(依羅娘子か)。この後に、人麻呂の妻、依羅娘子(よさみのおとめ)が人麻呂と別れる時の、次の歌が載せられています。
【歌】 な思ひそと 君は言ふとも 逢はむ時 いつと知りてか 我が恋ひざらむ (A-140)
【口語訳】 思うなと あなたがおっしゃっても 今度いつ逢えると 分かっていたら こんなにまでも恋しくは思いません
 なお、この依羅娘子については、石見国で娶った女とする説の他、河内国に依羅の郷名があることより、その地の女とみる説があります。
Posted by katakago at 13:27
晩秋に咲くナデシコ [2011年11月29日(Tue)]

 秋の七種(ななくさ)の一つカワラナデシコ(なでしこ科)が今も咲いています。万葉歌には26首詠まれており、うち11首は大伴家持の歌です。家持は特にこの花を愛したようです。5/30、7/18にも家持の歌を紹介しています。
 天平11年(739)6月、家持が22歳の時に、亡くなった妾(おみなめ)を悲しんで歌(亡妾挽歌)を詠んでいますが、その中でなでしこが詠まれた歌を紹介します(なおこの時家持には正妻に当たる妻はいなかったようです)。
【歌】 秋さらば 見つつ偲へと 妹が植ゑし やどのなでしこ 咲きにけるかも (B-464)
【口語訳】 秋が来たら 見てわたしを偲んでくださいと言って 妻が植えた庭のなでしこの 花が咲きはじめた
 「秋さらば見つつ偲へ」について、『新編日本古典文学全集 万葉集』には、亡妾は自らの死を予想してこう言ったのであろう」とあります。
 なお、ナデシコは春に蒔く場合と秋に蒔く場合がありますが、この歌では春に蒔いて発芽後その苗を植えたものと思われます。
 

Posted by katakago at 13:00
御手前を愉しむ [2011年11月27日(Sun)]

 毎月第四日曜日の午後は、地元自治会主催の「ふれあい喫茶」が開かれます。自治会員が気軽に立ち寄ってコミュニケーションを図るのが狙いです。昨年度自治会長になった当初は、福祉担当の副会長に実施してもらっていましたがあまり人が集まらず、何か工夫が求められました。以前は平日に設定されていたのを日曜日に変更し、毎月毎にイベントを企画するようにしました。昨年、その一つとして、地元におられる茶道の先生にお願いして、「御手前を愉しむ」を実施しましたが、今年度も新しい役員さんによって2回目が実施され、筆者も自治会顧問としてその様子の見学も兼ねて参加しました。小学生を含み昨年以上の方(20名以上)の参加がありました。最初の写真は、参加した子供さんたちが、御手前の作法を教えてもらっているところです。


 参加した大人も作法を教えていただきながら御茶をいただきました。


 裏方としてお手伝いいただいたのは、地元福祉担当の組長さん方です。ご苦労様でした。

 当自治会では、年々会員数が減少しています(近隣自治会もそうですが)。その要因の一つとして、組長の順番が回って来ると、高齢では役割分担が大変だからと退会される方が増えているからです。そこで、今年度の組長さんからは、高齢の方には出来るだけ負担の少ない分野を担当していただけるように、仕組みを一部改変して提案し、実施してもらっています。
Posted by katakago at 15:45
サネカズラ [2011年11月27日(Sun)]

 サネカズラ(もくれん科)の液果が赤く色付きました。8月下旬から9月にかけて黄白色の五弁の花を咲かせ(8/17写真参照)、晩秋に液果が写真のように色づきます。葉は厚手で光沢があり、落葉しないまま色づきます(2枚目の写真)。古名のさなかづらは、滑り葛の意味で、枝の皮の粘液を水に浸出して整髪に用いたので美男葛の一名があります。万葉歌では、さなかずら(原文は狭根葛・核葛と表記)として詠まれています。
【歌】 あしひきの 山さな葛 もみつまで 妹に逢はずや 我が恋ひ居らむ ( I-2296)
【口語訳】 (あしひきの) 山さなかずらが 赤く色づくまでも あの娘に逢わずに わたしは恋し続けることよ
 「もみつ」は、草や木の葉が色づくことで、この歌でも原文では、「黄変」と表記されています。カツラ((11/11)、イロハモミジ(11/24)で紹介した歌と同様、紅葉する意で中国(六朝から初唐にかけて)で用いられた字(黄葉)が使われています。
 周囲の植物の、季節の推移による変化に目を留めて、妻と逢えないまま過ごす月日の長さを思い嘆いている男の歌です。

 なお、多くの注釈書では、サネカズラの葉が色づくと解釈されています。サネカズラは常緑蔓性植物ですが、実際次の写真のように色づいてきます。ただし、液果の鮮やかな赤色に比べれば、それほど綺麗な紅葉とは思えません。液果の色づきと見てもよいのではと思っています。



 この件(「もみつ」の用例)、あらためて気になりましたので、『萬葉集電子総索引(CD−ROM)』(塙書房)で検索しましたところ、実が色づくのに「もみつ」の表現を用いた例は万葉歌にはありませんでした。やはり、注釈書のように解されるのでしょう。
Posted by katakago at 11:05
イロハモミジ [2011年11月25日(Fri)]

 イロハモミジ(かえで科)が紅葉しています。万葉歌では、かへるて(原文は蝦手・加敝流弖と表記)として詠まれています。「かへるて」は、その葉の形がカエルの手に似ているところから名づけられたようです。
【歌】 我がやどに もみつかへるて 見るごとに 妹にかけつつ 恋ひぬ日はなし (大伴田村大嬢 G-1623)
【口語訳】 家の庭に 色づいたかえでを 見るたびに あなたのことを 恋しく思わない日はありません
 「もみつ」は紅葉するの意ですが、原文は「黄変」となっており、中国で用いられたモミチの用字がここでも使用されています(11/11のカツラの黄葉の記事参照)。この歌の題詞によれば、大伴田村大嬢が、異母妹の坂上大嬢(大伴坂上郎女の娘、家持の正妻)に贈った歌です。なお、「かけつつ」については、心に懸ける意とする説に対し、『新編日本古典文学全集 万葉集』では、「妹をかけつつのカクは、関連する意とし、坂上大嬢がほんのりと赤く輝くような容貌なので連想したのであろう」とあります。
Posted by katakago at 11:20
吉野路ウォーク(11/23) [2011年11月24日(Thu)]
 昨日(11/23)は、「ウォーク万葉たまづさ会」主催の吉野路ウォークに参加しました。ルートは次のとおりです。近鉄吉野駅(集合10:00)→金峯山寺蔵王堂→吉水神社→櫻本坊(天武天皇像拝観、昼食)→吉野・宮滝万葉の道(喜佐谷・象の小川)→桜木神社(赤人の万葉歌碑)→宮滝(万葉歌碑)→奈良交通バス(15:43発)にて大和上市駅→阿倍野橋行き特急乗車(16:09発)
 吉野は、大学一年の時(今から47年前)に、初めて犬養先生の万葉旅行に参加した場所であり、思い出の地でもあります。退職後、関西に引き上げてからこれまで3度訪れていますが、今回万葉仲間と共にあらためて晩秋の吉野路ウォークを楽しみました。
 吉野に宮が営まれたことは、『日本書紀』応神天皇(15代)条、雄略天皇(21代)条に記されていますが、吉野宮造営については斉明天皇(37代)二年(656年)の条に初めて記されています。発掘調査により、吉野町宮滝の吉野川に臨む地が、宮の跡地と推定されています。
 吉野の地は、天智天皇の亡くなる直前(671年)、近江宮を脱出した大海人皇子(後の天武天皇)がここに隠棲し、翌年挙兵して大友皇子と皇位継承を争ったいわゆる壬申の乱ゆかりの地です。この時妃の鸕野讃良皇女(後の持統天皇)も大海人皇子につき従いましたが、後に天皇に即位してから、在位中に吉野に31回の行幸を行っています。その吉野の行幸の折に柿本人麻呂が詠んだ歌(吉野讃歌)が『万葉集』に載せられています。 長歌では、「たくさんある国の中でも、山も川も美しい吉野に離宮が営まれたので、宮廷に仕える人々は船を並べて川を渡っている。その川の水が絶えないように、この山の高いように、永遠に高くそびえた吉野の滝の離宮は、いくら見ても見飽きない」と吉野の宮を讃美しています。反歌では次のように歌っています。
【歌】 見れど飽かぬ 吉野の川の 常滑の 絶ゆることなく またかへり見む (@-37)
【口語訳】 見飽きない 吉野の川の 常滑のように 絶えることなく また立ちかえって吉野を見よう
 次の写真は、宮滝付近の吉野川です。


 吉野は多くの万葉歌人によって詠まれていますが、大伴旅人が大宰府に赴任中に詠んだ次の歌に、「夢(いめ)のわだ」が詠まれています。次の写真の中央、左上から白く水が流れ落ちている所(象の小川が吉野川に注ぐ所)が「夢のわだ」と伝えられています。
【歌】 我が行きは 久にはあらじ 夢のわだ 瀬にはならずて 淵にもありこそ (B-335)
【口語訳】 私の筑紫暮らしも もう長くなかろう 夢のわだは 瀬にならないで 淵のままであってくれ



 今回のルートでは、宮滝に到るには喜佐谷を下って行きました。

 喜佐谷を下る途中、象の小川の滝を見ることが出来ました。

 山部赤人は、次のように歌っています(この歌碑が桜木神社にありました)。
【歌】 み吉野の 象山の際の 木末には ここだも騒く 鳥の声かも (E-924)
【口語訳】 み吉野の 象山(きさやま)の谷間の 梢には こんなにもいっぱい鳴き騒いでいる 鳥の声よ

 吉野はまた、山岳信仰の場としても知られ、金峯山寺は奈良時代の役行者が開いたと伝えられ、蔵王権現信仰の聖地とされています。次の写真は、金峯山寺蔵王堂(世界遺産に指定)の遠望です。

Posted by katakago at 18:11
ヤブコウジ [2011年11月21日(Mon)]

 裏山の植物園では、ヤブコウジ(やぶこうじ科)が赤い実を付けています。万葉歌では、やまたちばな(原文は山橘・夜麻多智婆奈と表記)として5首詠まれています。ここでは次の歌を紹介します。
【歌】 あしひきの 山橘の 色に出でて 我は恋ひなむを 人目難みすな (J-2767)
【口語訳】 (あしひきの) 山橘のように 色に出して わたしは恋することにするが おまえも人目を気にしないがよい
 「色に出でて」は、この歌では、言語や素振りに出しての意で、『萬葉集全歌講義』によれば、「周囲の思惑も気にせず相手への恋心を鮮明にする男が、相手にも人目を気にせず自分の恋を承け入れるよう求めた歌」とあります。

 同様の表現の歌として、次の一首があります。
【歌】 あしひきの 山橘の 色に出でよ 語らひ継ぎて 逢ふこともあらむ (春日王 C-669)
【口語訳】 (あしひきの) 山橘のように 思いを口に出してしまえ 人が語り伝えてくれて 逢えることもあろう

 なお、上記二首の「あしひきの 山橘の」は「色」をひきだす序詞で、「山」にかかる枕詞(あしひきの)を含むので有枕序詞といわれます。
Posted by katakago at 19:02
マユミの実 [2011年11月20日(Sun)]

 マユミ(にしきぎ科)の実が裂けて、中から赤い種が花を咲かせたように見えます。
 万葉歌には、まゆみ(原文は檀・眞弓と表記)として詠まれています。眞弓は本来弓をほめて言う語ですが、弓材に適している、にしきぎ科の植物名にも用いられています。次の歌は、巻七の比喩歌に分類されているものです。
【歌】 南淵の 細川山に 立つ檀 弓束巻くまで 人に知らえじ (F-1330)
【口語訳】 南淵の 細川山に 立つ檀の木 弓にでき上がるまで 人に知られないようにしようね
 「弓束(ゆづか)巻く」は、弓束(弓を射る時に左手で握る部分)に、革や桜の樹皮等を巻き付けて弓を完成させることですが、ここは二人の愛が実り結ばれることのたとえとしています(『日本古典文学全集 万葉集』より)。この歌では檀は恋する女性の比喩で、心に決めたその女性と無事に結婚するまで、人に知られまいとする男の歌です。

 マユミは、裏山の植物園には何本も生えています。おそらく鳥が種を運んで来たものかと思われます。

Posted by katakago at 13:08
タマネギ苗の植え付け [2011年11月18日(Fri)]

 このところ外出することが多くて、畑の仕事が滞っていました。
 韓国旅行から帰ってすぐにサツマイモを掘り上げ、その後にタマネギを植える計画でしたが、元肥えも入れて畝を準備するのが遅れてしまいました。近所の園芸店に苗を買いに行ったところ(11/16)、もう今年の分は終わりだと言われ焦りましたが、幸い他の店で最後の予約に間にあい今日入手することが出来ました。午前中は、芦屋のカルチャーで月一回の万葉集の講座があるのでこれに出席し、天気予報では午後から雨とのことで、昼食も急いで済ませて200本の苗を植え付けました。

 韓国旅行前に播種していたソラマメとエンドウは、発芽して写真のように育ってきました(左がソラマメ、右がエンドウ)。



 この時期収穫できる野菜は、ナス(僅かですが)のほか、ダイコンそれに今年初めて植えたハクサイです。ハクサイの他キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー(次の写真)は、防虫ネットを設置しなかったため、虫の害を受けてしまいました。
Posted by katakago at 18:53
晩秋のヒマワリ [2011年11月16日(Wed)]

 9月の初めに、畑の一角に蒔いたヒマワリが咲き始めました。草丈は夏に比べ低めですが、暫くは花を楽しめそうです(県道川西−篠山線沿い)。

 ヒマワリ畑でヒメアカタテハを見つけました。




 この時期紹介出来る万葉植物は、少なくなってしまいました。
 以前に紹介したもので、キキョウやカワラナデシコが未だ咲いています。




 それから、ハマユウの一株が花を咲かせています。11月に咲いたのは、数年前にこちらで栽培して以来これが初めてです。



Posted by katakago at 14:00
万葉植物のカレンダー [2011年11月14日(Mon)]

 来年(2012年)の万葉植物のカレンダーが出来上がりました。企画・制作は、「つらつら椿株式会社(代表は岡本三千代さん)」で、2011年に引き続き、植物の写真は筆者が植物園で撮影したものを提供しています。各月の植物と万葉歌を紹介しておきます。
[1月] まつ 
     たまきはる 命は知らず 松が枝を 結ぶ情は 長くとそ思ふ
[2月] かはやなぎ(ネコヤナギ) 
     山の際に 雪は降りつつ しかすがに この川柳は 萌えにけるかも
[3月] わらび
     石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも
[4月] すもも
     我が苑の 李の花か 庭に散る はだれのいまだ 残りたるかも
[5月] あやめぐさ(ショウブ)
     ほととぎす 厭ふ時なし あやめぐさ 蘰にせむ日 こゆ鳴き渡れ
[6月] あぢさゐ (アジサイ)
     あぢさゐの 八重咲くごとく やつ代にを いませ我が背子 見つつ偲はむ
[7月] ひし
     君がため 浮沼の池の 菱摘むと 我が染めし袖 濡れにけるかも
[8月] なでしこ(カワラナデシコ)
     野辺見れば なでしこが花 咲きにけり 我が待つ秋は 近づくらしも
[9月] をみなへし(オミナエシ)
     手に取れば 袖さへにほふ をみなへし この白露に 散らまく惜しも
[10月] たまばはき(コウヤボウキ)
     玉箒 刈り来鎌麻呂 むろの樹と 棗が本と かき掃かむため
[11月] かつら
     黄葉する 時になるらし 月人の 桂の枝の 色づく見れば
[12月] やまたちばな(ヤブコウジ)
     この雪の 消残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む

 お問い合わせ、ご注文は、下記の「つらつら椿株式会社」まで 

Posted by katakago at 10:57
尺八演奏会に出演 [2011年11月13日(Sun)]

 朝日カルチャーセンター芦屋教室で尺八を習っていますが、講師の星田一山先生が主宰されている「都之雨社」の創立90周年記念演奏会が、本日午後に兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで開催されました(演奏中の写真は禁止されていました)。
 筆者も、芦屋教室のメンバーと一緒に初めて舞台での演奏に加わりました。曲目は「八千代獅子」で、尺八奏者は総勢43名で、約9分間の曲を全員暗譜で演奏しました。このように大勢で暗譜で演奏する試みは極めて珍しいとの事です。教室では、各自の練習曲とは別に、毎回全員で合奏練習を一年近く続けて来ました。自宅での練習も含めれば数百回以上この曲を練習し、直近は筝・三絃との合奏練習も3回参加してきました。それでも、本番では完璧とまではいきませんでした。これを機に、更に精進して行きたいと思っています。


 
 この演奏会には、先日(11/6)ホームカミングデイに出かけた折、「まちかね祭」での部活の催し(邦楽喫茶)でその演奏を聴いた、大阪大学銀簫会も出演していました(星田先生が指導されている)。

 ところで、今回の演奏会に際し、万葉の仲間にも声をかけていましたが、聴きに来てくれた方から思いがけなく写真のような花束を届けていただきました。あらためてお礼を申し上げます。
Posted by katakago at 19:55
カツラの黄葉 [2011年11月11日(Fri)]

 カツラ(かつら科)の葉が黄色く色づきました。万葉歌には二首詠まれています。原文表記は楓で、いずれも月の中の桂が詠まれています。
【歌 】 黄葉する 時になるらし 月人の 桂の枝の 色付く見れば (I-2202)
【口語訳】 紅葉する 時になったのであろう 月の中の 桂の枝が 色づいたのを見ると
 「月人」は、月を擬人化したもの。「桂の枝」については、月の中に桂の巨木があるという中国の六朝以来の俗信によっており、中国詩の影響下にある『懐風藻』にも月の桂が詠まれています。この歌も、漢詩文に通じた者の作と見られています。

 この歌の「黄葉(もみち)」ですが、『万葉集全歌講義』には次のような解説が載せられています。動詞「モミツ」に赤を当てた例が2例(I-2205、2232)あるのみで、他は仮名書き例を除けば、名詞は黄葉、動詞は黄葉・黄変・黄反・黄色等で表されています。この傾向は、中国の六朝から初唐までのモミチの用字の傾向と合致し、その文字の導入によると考えられています(この説は、小島憲之著『上代日本文学と中国文学 中』)。

 桂を詠んだもう一首は、
【歌】 目には見て 手には取らえぬ 月の内の 桂のごとき 妹をいかにせむ (湯原王 C-632)
【口語訳】 目には見ても 手には取れない 月の中の 桂のような あなたをどうしたらよかろう
 『伊勢物語』七十三段に、住所は知っているが消息を言い遣る方法がない女のことを思って詠んだ男の歌として、「目にはみて 手にはとらえぬ 月のうちの 桂のごとき 君にぞありける」が収められています(『新編日本古典文学全集 万葉集』より)。

 なお、漢詩の桂は肉桂ないし木犀をさすもののようですが、日本のカツラはかつら科の落葉高木をさすと考えられています。原文の「楓」は、『和名抄』によると、ヲカツラ(雄)を意味し、「桂」のメカツラ(雌)と字が異なりますが、さす植物そのものは同じと考えられています(『新編日本古典文学全集 万葉集』より)。
Posted by katakago at 10:29
ノジギクの花 [2011年11月09日(Wed)]

 久しぶりに植物園の写真をお届します。畑の一角の植物園分園では、いまノジギク(きく科)の花(白の他に黄色も)が咲いています。ノジギクは、本来近畿から九州の、海岸に近い山麓や崖に生える多年草です。万葉歌で、ももよぐさ(原文は母々餘具佐と表記)と詠まれている植物に、ノジギクを充てる説があります(ももよぐさを花弁の多い草との理解から菊の異名とする説)。ただし、他の植物(ツユクサ、ヨモギなど)を当てる説もあり定説はありません。万葉歌には次の一首のみ詠まれています。
【歌】 父母が 殿の後の ももよ草 百代いでませ 我が来るまで (壬生部足国 S-4326)
【口語訳】 父母の お住まいの裏庭の ももよ草の 百代もお達者でいなされや おれが帰って来る日まで
 『万葉集』巻二十には、天平勝宝七年(755)二月に難波に結集し、その後国ごとに船に乗って筑紫に派遣された東国の防人たちの歌が84首載せられており、これはその一首です。これらの歌は、時の兵部少輔大伴家持の命によって、東国諸国の防人部領使がそれぞれの国の防人歌を集め記して、家持に進上したものです。この歌は、佐野郡(さやのこおり、遠江国の旧郡名)の防人が、別れに臨んで父母の安全を祈って詠んだ歌です。上三句は、モモヨを起こす同音の序です。百代は長い年月をいう。

 畑でヒメアカタテハを見つけました。
Posted by katakago at 14:35
ホームカミングデイ(11/6) [2011年11月07日(Mon)]
 同窓会の連合会が出来て6回目のホームカミングデイ(11/6)に出かけました(例年5月のところ東日本大震災により秋に延期)。今年は大学創立80周年で、旧制浪速高等学校の建物(在学中は教養部イ号館)が大学会館として改装された会場で式典が行われました。
 はじめに、大学応援団による歓迎の演舞が披露されました。今年で50年目となる七大学戦(かっては七帝戦といわれていた)では、昨年に続き2連覇であったそうです。なお、写真には写っていませんが、応援団長は女子学生でした。
 新しく総長(第17代)に就任された平野俊夫先生から大学の近況報告がなされ、熊谷信昭連合会会長の挨拶の後、多田羅浩三先生(阪大名誉教授)による基調講演(「わが母校の伝統と教え」)が行われました。


 多田羅先生の講演は、大学の源流は、江戸時代に大坂の町人が町人の為につくった「懐徳堂」や緒方洪庵が設立した「適塾」にまでさかのぼり、その伝統や学燈が今に引き継がれているとのお話でした。

 式典の後、付属図書館下の生協食堂で懇談会が開かれました(西川善文さんが乾杯の音頭)。

 キャンパス内では「まちかね祭」最終日で賑わっていました。

人ごみに押されながら両側に模擬店のテントが並ぶ通りを歩いていると、邦楽喫茶の案内ビラを手渡され、箏と尺八の演奏をやっているとのことでのぞいてみました。曲目の中には、三段の調べ・六段の調べ・春の海など馴染みの曲の他、新曲もあり、女子学生が尺八を演奏しているのには驚きました。若い人が伝統音楽に取り組んでいるのに心強く思った次第です。
Posted by katakago at 07:10
国際なら・文化交流FESTA(11/3) [2011年11月06日(Sun)]

 11/3に、奈良県の大安寺で「奈良の源流に触れ、未来につなぐ国際交流フェスタ」と題して、講演会とコンサートおよび奈良県内の大学に通う留学生を中心とした「国際交流イベント」が開催され、これに出かけて来ました。
 まず、大安寺の河野良文貫主から挨拶がありました。大安寺は平城遷都にともない大官大寺が移された「天下泰平、万民安楽」護国の寺で、入唐僧道慈の活躍により奈良時代の仏教界に指導的役割を果たしてきました。また、インド、中国、韓国、ベトナム等からの来朝者もここに滞在した進歩的なお寺であったようです。現在も本堂や境内でこのような一般にも開かれた行事が行われるのは、そのような伝統を今も引き継ぐお寺だからでしょうか。


 
 講演は、上野誠先生(奈良大学教授)による「遣唐使群像」と題して行われました。『万葉集』に採録されている遣唐使(天平五年出発)の母の歌と、天平四年(732)に遣唐使に任命され翌年唐に渡り、苦難の末6年後に日本に帰り着いた平群広成の話(『続日本紀』聖武天皇条に記されている)をされました。
 万葉歌は、題詞には、天平五年癸酉、遣唐使の船難波を発ちて海に入る時に、親母の子に贈る歌一首併せて短歌とあり、先ず長歌は、
【歌】 秋萩を 妻問ふ鹿こそ 独り子に 子持てりといへ 鹿子じもの 我が独り子の 草枕 旅にし行けば 竹玉を しじに貫き垂れ 斎瓮に 木綿取り垂でて 斎ひつつ 我が思ふ我が子 ま幸くありこそ (H-1790)
【口語訳】 秋萩を 妻問う鹿こそ 一人子に 子を持つというが その鹿の子のように 一人子の我が子が (草枕) 旅に出かけて行くので 竹玉をいっぱい緒に通して掛け 斎瓮に 木綿を取り付けて下げ 慎み続けて わたしが大切に思う我が子よ 無事でいておくれ
 次にその反歌は、
【歌】 旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群 (H-1791)
【口語訳】 旅人が 仮寝する野に 霜が降ったら 我が子を羽でかばってやっておくれ 天翔る蔓の群よ
 この歌は、遣唐使の一員の母とだけで作者は不明であるが、長歌では、一年に一頭しか子を産まない鹿を引き合いに出し、遣唐使として旅立たせる一人子の為に、神祭りに精魂を傾けることにより、旅の安全を願う親の気持ちが詠われ、反歌では、天の鶴群れに呼び掛けて我が子を護って欲しいと歌われています。


 平群広成は、遣唐使(判官)として天平五年に唐に渡りましたが、翌年帰国に際しては、広成の乗船した船は崑崙国(ベトナム)に流され、広成ら4人のみが生き残り、その後かろうじて唐に戻ることが出来ました。唐に帰り着いて、阿倍仲麻呂の尽力により玄宗皇帝の許しと援助を得て、渤海国を経由して日本に帰国することが出来ました(天平十一年に帰国し聖武天皇に帰朝報告)。この帰朝報告の内容が、『続日本紀』聖武天皇天平十一年の条に記されています。

 コンサートでは、万葉うたがたり会(主催岡本三千代)による「海を越えて」をテーマに歌と演奏が披露されました。

Posted by katakago at 19:56
京都御所と正倉院展(11/2) [2011年11月04日(Fri)]
 この時期関西では、京都御所一般公開と正倉院展が開催されています。退職後こちらに戻ってからは、毎年正倉院展には出かけています。一昨年は、万葉歌にも関係のある「子日目利箒」が「子日手辛鋤」と共に展示され(関連記事は10/20)、昨年は、「螺鈿紫檀五絃琵琶」が出品され長い行列の末に、1200年以上も前のものとは思われない素晴らしさに感動しました。今年もその機会を探っていましたが、ちょうど読売旅行のバスツアーで、京都御所と正倉院展を見学する企画(11/2)がありそれに申し込んでいました。

 午前中は、京都御所の見学です。今回初めて訪れました。宜秋門 → 御車寄 → 諸大夫の間 → 新御車寄 → 紫宸殿 → 清涼殿 → 小御所 → 御学問所 → 御池庭 → 御常御殿 → 御三間 →清涼門 のルートで廻りました。次の写真は、新御車寄に飾られた五節舞姫(ごせちのまいひめ)の人形です。説明パネルによると、五節舞は天武天皇が創設した舞とされ、天皇が吉野宮で琴を弾かれた時に、天女が舞い降りて袖を五回翻して舞ったことを起源とするとあります(3日や6日には舞の実演があるようです)。

 各建物内の襖絵も見ることが出来ました。次の写真は、諸大夫の間(正式参殿の時の控えの間)の虎の絵(ここは公卿の間)です。

 次の写真は紫宸殿で、即位礼など重要な儀式が執り行われる最も格式が高い正殿です。向かって右側に「左近の桜」(写真には写っていない)、左側に「右近の橘」が植えられており(写真左)、前面の白砂の庭は「南庭(だんてい)」と呼ばれ儀式の場所としても使われたようです。紫宸殿の奥には、天皇の御座である「高御座(たかみくら)」と皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」が置かれている。
 なお、橘は、万葉歌にも詠まれ(5/24の記事参照)、『日本書紀』垂仁天皇条にも、非時香菓(ときじくのかくのみ)として出てきます。


 楽器を演奏している人形も飾られていました。パネルには、「管弦(かんげん)」について次のように説明がなされていました。管弦とは雅楽の一つで、楽器による奏楽で、「三管・両絃・三鼓」の楽器編成で演奏される。三管とは笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)の三種の管楽器(吹き物)を、両絃とは琵琶・楽筝(こと)の二種の絃楽器(弾き物)を、三鼓とは鞨鼓(かっこ)・太鼓・鉦鼓(しょうこ)の三種の打楽器(打ち物)のこと。代表的な曲に「越天楽(越殿楽)」があります。


 午後は奈良国立博物館で開催中の正倉院展を見学しました。

 今年は「金銀鈿荘唐大刀」が人気の出品物の為か、このコーナーだけは近くで観るには長い行列で何十分も待たねばなりません。ここは時間の制約もあり図録で観ることにして、比較的見やすいコーナーを観て回りました。上野誠先生(奈良大学教授)によると、聖武天皇が出家後に使用されたと考えられている袈裟「七条織成樹皮色袈裟」が一番のお勧めとの事でした(宝物の献納目録である『国家珍宝帳』の筆頭に掲げられている品)。この他興味を魅かれたのは「紅布」で、蛍光分光分析の結果、赤色色素はベニバナであることが判明しているとの事でした。通常、ベニバナで染められた赤色は、茜とは異なり、光や空気中の酸素の作用により速やかに退色し、その彩りを失ってしまうそうですが、この「紅布」(南倉)は深い赤色をとどめており、正倉院での管理状態が良かったものと考えられています(図録より)。
 その他、今回は「黄熟香」(「蘭奢待」(らんじゃたい)ともいわれる」も出品されていました。図録には、足利義政や織田信長が一部切り取った有名な香木で、ジンチョウゲ科ジンコウジュ属植物の樹幹に、樹脂が沈着して出来た沈香の一種とありました。
Posted by katakago at 09:04
韓国歴史の旅5日目その2 [2011年11月01日(Tue)]
 旅の最終日(10/27)の午後、国立中央博物館を見学しました。これまで訪れた史跡からの出土品も見ることが出来ました。いくつかの展示品の写真を掲載しておきます(写真掲載の制限から次の5点)。

   金冠 皇南大塚(北)出土 (見学記事は2日目その3)



   冠帽 金冠塚出土 (見学記事は2日目その3)


 冠飾 皇南大塚(南)出土 (見学記事は2日目その3)


 金製冠飾 武寧王陵出土 (見学記事は2日目その4)


 金銅製半跏思惟像(三国時代)
今回の見学対象には入っていませんが、半跏思惟像は、日本の中宮寺や広隆寺でこのタイプの像を見ることが出来るので、同一文化圏での共通点からも注目しました。
 




 今回の「飛鳥を愛する会」の秋季現地講座(韓国歴史の旅)には41名(他に添乗員と現地ガイド)の参加者がありました。皆さんは熱心にメモを取り写真に収めたりされていましたが、筆者にとっても充実した現地見学と学習の機会となりました。
 今回訪問した史跡は、よく整備されており、特に古墳は日本で見られるように墳丘上に樹木が生えているようなところは無く、写真に示したように綺麗に管理されていました。また、出土品も金製品を含め素晴らしいものが多数存在し注目されますが、特に武烈王の墓碑や、武寧王とその妃の墓誌(裏面には買地券)の発見により、被葬者が確定していることに感銘を受けました。
 日本では、宮内庁管理の陵墓は発掘が行われていませんが、このような成果を目の当たりにすると、あらためて、学術調査が進められるようにと願わずにはおれません。

 木下先生によると、次の現地講座の構想も立てられているようなので、今後の企画が楽しみです。
Posted by katakago at 11:10
韓国歴史の旅5日目その1 [2011年11月01日(Tue)]
 5日目(10/27)は、扶余からソウルへ移動し、最初に百済前期(漢城時代)の古墳群を見学しました。扶余からソウルまでバスで3時間くらいかかったかと思いますが、移動中のバスの中の様子です。木下先生や、現地のガイドさん(韓明姫さん)から車中でも話を聞かせてもらいました。


 百済漢城時代の古墳群は、ソウル市内の漢江南岸地域に集中しており、今回は、石村洞古墳群(上限は4世紀初頭)で復元された積石塚を見学しました。次の2枚は、いずれも方形基壇式積石塚です。木下先生によると、日本でも長野・群馬など渡来系の人が入植した所には積石塚が見られるとの事でした。




 次いで、朝鮮王朝の歴代王族の王陵を訪れました。朝鮮王朝は、李成桂が高麗を滅ぼし1392年に建国された。国政は仏教を排斥し儒教の朱子学を主軸に運営され、518年間存続した。この王陵は1408年〜1966年にかけて造営され、40基が世界遺産に登録されています。今回は宣陵(第9代成宗の陵)を見学しました。
 次の写真は紅門(ホンサル門)から見た宣陵丁字閣です(紅門の上部には矢のような飾りと太極の模様がある)。この参道を通って陵に向かいます。


 次の写真は朝鮮王朝第9代王の成宗大王の墓です。
屏風石の面石には雲文の中に十二支神、地台石と満石には蓮華文、引石にはヒマワリ文と牡丹文が彫刻されており、裳石および欄干石がある。

Posted by katakago at 05:50
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