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ともか
孫のピアノ発表会 (08/01) ともか
孫のピアノ発表会 (08/01) 悟史
アジサイ (06/16)
孫のピアノ発表会 [2011年07月31日(Sun)]

 娘夫婦が転勤で東京から奈良に来て4年になります。二人の孫娘も今年は小4と小2になりました。今日は、大和西大寺のNARAFAMILY秋篠音楽堂で、上の孫のピアノ発表会があり聴きに行ってきました。今年で4回目の参加となり、曲目は、「風の谷のナウシカよりレクイエム」で、落ち着いて弾いていました。下の孫は、クラシックバレエを習っており、こちらも先月「けいはんなプラザ」で発表会がありました(残念ながら撮影は不可でした)。二人とも楽しみながらお稽古を続けているようです。
 演奏会と言えば、息子のお嫁さんがバイオリンをやっており、毎年秋に出身大学のオーケストラに参加して演奏会をやっているそうです。横浜なので未だ出かけたことはありませんが、機会を見つけて一度聴きに行ければと思っています。
 11月には、筆者が習っている尺八の演奏会があり、課題曲の暗譜演奏に向け毎日の練習が欠かせません。


 今晩、月下美人が咲きましたので、その写真を載せておきます。
Posted by katakago at 21:02
越中万葉の世界 [2011年07月30日(Sat)]

 今月26日から、高岡市万葉歴史館の「万葉故地交流展」が、大阪の音楽サロンTSUBAICHIで開催されています。今日の午後は、「万葉うたがたりミニコンサートと記念講演会」が開催され参加してきました。はじめにサロン代表の岡本三千代さんから挨拶があり(2枚目の写真)、

 続いて、岡本さんが作曲した越中ゆかりの万葉歌が、うたがたり会のメンバーにより歌われました(3枚目の写真)。


 4月から万葉歴史館の館長になられた坂本信幸先生が、「越中万葉の魅力」と題して講演されました。特に、大伴家持が越中赴任中に詠んだ歌の、「春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子 (R-4139)」の解釈で、これまで二句切れ(春の園が紅に輝いている)とみるか、三句切れ(春の園の紅色に咲いている桃の花)とみるかで説が分かれているなかで、二句切れとみる観点から、詳細な解説がなされました。三句切れ説の拠り所の一つとして挙げられている漢語の「紅桃」については、漢籍では、緑と紅の対で使用されているが、この歌ではそのような対句での表現ではなく、「紅にほふ」は連体格として「紅桃」と三句切れになるのではなく、二句切れで解するのが良いとの考えであったように思います(十分理解できたか?)。


 今回は、越中万葉を紹介するパネルと、万葉歴史館収蔵の故犬養孝名誉館長の書も2点(「立山の賦」と「かたかごの花」)が展示されていました。次の写真は、高岡市伏木の勝興寺北西隅にある「かたかご」万葉歌碑のもとになった書です。読み下し文は、「もののふの 八十娘子らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花」です。かたかご(カタクリ)は、高岡市の花となっています。
Posted by katakago at 19:54
多太神社夏季例祭 [2011年07月29日(Fri)]

 今日は、近隣の住民が氏子となってお世話している、多太神社の夏季祭礼が取り行われました。昨年は自治会長として、今年は矢問地区の宮総代として参列しました。この神社には専任の宮司がいないため、神事は多田神社の神官により行われました。祝詞奏上では、適度に雨が降り乾きすぎることもなく風の被害もなく、秋の稔が祈念されていました。
 多太神社は、『延喜式』摂津国川辺郡所属の式内小社とされ由緒は古いようです。この神社は、川西市平野(旧川辺郡多田庄平野村)にあります。『川西市史』によると、摂津国神別の主な氏族の中に、神人(みわひと)氏がみえ(『姓氏録』に)、大国主命の五世の孫、大田田根子(オオタタネコ)命の子孫と記され、その居住地は、川辺郡大神(おおむち)郷(『和名抄』にみえる、現在の川西市多田あたり)であり、多太神社は、神人氏の祖先大田田根子命を祭神とみる考えが示されています。多太は、タダまたはオオタと読み、オオタタネコの大田が多田となり、後世タダと呼ばれるようになったとみられています。



 多太社の社号標石について、『川西市史』には、次のような解説が載せられています。享保当時、村人はこの多太社を平野明神とよんでいた。それを並河誠所(『五畿内志』の著者)が調査し史実を考証した結果、この社は『延喜式』の「神名帳」に記されている多太社と考えた。それにより、元文元年(1736)、寺社奉行大岡忠相の命で平野村に多太社の標石を建てることになったようです。その標石が次の写真です。

Posted by katakago at 14:04
ハスの花托 [2011年07月29日(Fri)]

 ハスの花弁が散った後、花托の中には実がぎっしり詰まって、蜂の巣のような形になっています。秋にこの種を採取すれは、翌年の春に種皮をヤスリで傷つけ発芽させて、ハス苗を育てられるようです。
 ハスの花は、今年は6月末からほぼ一月にわたって楽しめました。最後に咲いている二株が以下の写真です。


Posted by katakago at 13:05
キビの穂が出ました [2011年07月28日(Thu)]

 キビの穂が出ました。万葉歌には、きみ(原文は寸三と表記)として詠まれています。

 オミナエシは、7/9に紹介していますが、写真のように今満開の状態です。



 カワラナデシコは、一旦咲き終わり茎を刈り取り種を採取しています。刈り取った株元から新しい芽が出てきており秋の開花が期待されます。


 果樹園のミカンの葉で、羽化後間もないナミアゲハを見つけました。

Posted by katakago at 06:45
ケイトウ [2011年07月27日(Wed)]

 ケイトウは、ひゆ科の一年草で、わが国には染料(韓渡来の藍)として移入され、観賞用にも植栽さてていたようです。万葉歌には、からあゐ(原文は韓藍・鶏冠草などと表記)として詠まれています。
【歌】 秋さらば 移しもせむと 我が蒔きし 韓藍の花を 誰か摘みけむ (F-1362)
【口語訳】 秋になったら 移し染めにでもしようと 私が蒔いておいた けいとうの花なのに その花をいったいどこの誰が摘み取ってしまったのだろう (『萬葉集釈注』より)
 この歌は、巻7の比喩歌(花に寄せる)に分類されています。表の意味は、口語訳のようになりますが、裏の意味は、ころ合いをはからって見込みのある男と結婚させようと思い、丹精をこめて育ててきた娘をあらぬ男に取られてしまった母親の歌と解されています。
Posted by katakago at 13:07
ハマユウの花茎伸びる [2011年07月26日(Tue)]

 ハマユウの生育が例年に比べ遅れ気味で心配していましたが、花茎がやっと伸びて来ました。今のところ一株ですが、ひとまずは安心です。

 数株植えているヤマユリの最後の株が開花しています。9年前までは神奈川県に居住し、この時期近くの鷹取山(横須賀市)で、自生のヤマユリを目にしていましたが、こちら関西では未だ自生のものは見たことはありません。



 万葉歌には詠まれていませんが、裏山の園内でオトギリソウの花を見つけました。その茎や葉は、民間薬として切り傷の止血に用いられるようですが、和名の弟切草は、鷹匠の兄が秘密にしていた鷹の傷薬を、その弟が漏らしたために、兄が弟を切り殺したという平安時代の伝説に由来するようです。
Posted by katakago at 06:29
ヘクソカズラ [2011年07月25日(Mon)]

 ヘクソカズラは、あかね科の蔓性多年草で、この時期写真のような風鈴状の小花を付け、触れれば悪臭を放ちます。万葉歌には、くそかづら(屎葛と表記)として詠まれています。
【歌】 ざうけふに 延ひおほとれる 屎葛 絶ゆることなく 宮仕へせむ (高宮王 O-3855)
【口語訳】 さいかちに 這い広がった 屎かずらのように 絶えることなく 宮仕えしよう 
 題詞には、高宮王が数種の物を詠んだ歌二首とあり、これはその一首目の歌です。ここでは、「ざうけふ」、「屎葛」、「宮仕へ」がその数種の物に当たります。ざうけふは、まめ科のサイカチ(落葉高木)で、上三句(ざうけふに 延ひおほとれる 屎葛)は、「絶ゆることなく」を起こす序詞となっています。「絶えず」、「絶ゆることなし」を起こす序詞には、普通は「玉葛」や「葛」が用いられるのに、ここはわざと卑俗な植物を詠みこんでいるのは、物名歌であるとともに戯笑の気持からとみられています。
Posted by katakago at 15:58
イヌビエ [2011年07月24日(Sun)]

 今年造成の蓮池にイヌビエが生えていました。ヒエは万葉歌に二首詠まれています(原文は稗・比要と表記)。
【歌】 打つ田に 稗はしあまた ありと言へど 選らえし我そ 夜ひとり寝る (J-2476)
【口語訳】 田んぼに 稗はまだたくさん 残っているというのに よりによって抜き捨てられた私は 夜な夜なをただ独り寝ている (『萬葉集着注』より)
 この歌は、7/13の「ノキシノブ」で紹介した歌と同様、寄物陳思歌(物を媒介にして自己の恋情を述べる歌)で、柿本人麻呂歌集から採られています。かって(筆者の子供のころ)炎天下での水田の草取り(這いつくばってヒエを抜く)は大変な作業でした(近年は、有効な除草剤が開発されこのような光景を見ることもなくなりましたが)。田んぼのヒエを抜くという農作業の体験に即して歌が詠まれています。『萬葉集全歌講義』には、「人々がみなよき伴侶を得て夜を過ごしているのに、共に夜を過ごす人を得ることができず一人寝をすることになった男のやりきれない思いが、稲田の中で抜き取られる運命になった稗に自分をたとえている」とあります。この歌は、個人の創作歌というよりは、歌垣の場で集団で謡われた歌とみられています。類歌に、
【歌】 水を多み 上田に種蒔き 稗を多み 選らえし業そ 我がひとり寝る (K-2999)
【口語訳】 雨続きで 山田に籾を蒔いたら 稗が多くて 抜き捨てられたようなものだ 私が独り寝するのは
があります。
Posted by katakago at 10:15
アブラゼミの羽化 [2011年07月23日(Sat)]

 羽化間もないアブラゼミの写真です。羽が伸びて固まるまで動かずにいたので、近づいて写せました。万葉歌にもセミ(原文は蟬と表記)は詠まれています。
【歌】 石走る 滝もとどろに 鳴く蝉の 声をし聞けば 都し思ほゆ (大石蓑麻呂 N-3617)
【口語訳】 岩の上をほとばしり流れる 滝にもまして響き 鳴く蝉の 声を聞いていると 都が思い出される
 巻15には、天平8年(736)に派遣された遣新羅使人の歌145首(往路の歌140首、復路の歌5首)がおさめられています。『続日本紀』天平8年2月の条には、「従五位下阿倍朝臣継麻呂を遣新羅大使とす」と記され、『万葉集』の目録には夏6月の出発とあります。この歌は、題詞によれば、安芸国の長門の島の磯辺に停泊した時に詠まれたものです。「長門の島」は広島県呉市南の倉橋島と考えられています。『萬葉集釈注』には、難波津出発を6月1日と想定して遣新羅使人一行の行程図が示されています。それによると「長門の島」へは6月11日着で、この歌は翌12日(太陽暦7月25日頃)の作と推定され、蝉しぐれに都を偲んで詠まれたものとみられています。/span>
Posted by katakago at 20:07
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