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「両替商 銭屋佐兵衛」展 [2014年12月14日(Sun)]
 これまで何度か触れた大仙寺の木田院碑を建立した木田種重(没年は天明五年,1785)は、浪華で両替商を営んでいたことが分かっています(代々 鉄屋庄左衛門を名のる)。その関連でこのところ、古代史から江戸時代の大坂商業史にも関心の領域が広がって来ました。

 大阪歴史博物館では、先月から、特集展示「両替商 銭屋佐兵衛」展が開催されています(1月5日まで)。今日は、展示担当の学芸員(八木 滋さん)による展示解説があるというので出かけて来ました。
IMG_0374m.jpg

 銭屋佐兵衛(通称 銭佐)として両替商であった逸身家の古文書(逸身家文書)が平成15年に見つかり、その調査研究の成果が『両替商 銭屋佐兵衛』として東大出版会から刊行されたのを機に今回の展示が企画されたそうです。
 初代佐兵衛が延享元年(1744)に両替店を開き(島之内の石灰町)、その後は両替商のほか大名貸もおこない、明治になって逸身銀行となり、明治34年(1901)の取り付けによる解散で金融業を終えたそうです。
 明治新政府の方針で、天保十四年(1843)以前の旧藩債は古債として棒引き、弘化元年〜慶応三年のものは中債として無利子50年の年賦償還、明治元年〜五年のものは新債として四分の利息で25年の公債で償還と決められ、大名貸をしていた大坂の両替商の多くは致命的な打撃を受けて没落していったと言われている。そんな中で、逸身家はその影響が少なかった(古債が少なかったか)とみられています。

 今回の展示の中では、墓碑銘や過去帳、婚礼関係の資料(婚礼諸祝儀控)、銭佐日記、人別帳等の資料を組み合わせて、銭佐組織・関係図や逸身家系図が作成されており、大変興味深いものでした(この手法はプロソポグラフィーと言われる)。

 現在私も、岡山の木田家(鐡屋の子孫)と我が家の過去帳や両家に伝わる木田中村之本系図(正徳元年,1711作成)をもとに当時の系譜をたどるとともに、両替商 鐡屋庄左衛門に関する資料の収集を始めたところです。
 中之島図書館では、『十人両替諸記録』(鐡屋庄左衛門(木田氏)の旧記)の原本を閲覧することが出来ました(その全文は『大阪商業史料集成 第四輯』に収められており古書店より入手済み)。
 大名貸に関して、最近、小西新右衛門文書(小西家文書)の中に姫路藩に関わる文書の存在を知り、閲覧を申請しているところです。

  
Posted by katakago at 20:18
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