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韓国歴史の旅3日目その3 [2011年10月30日(Sun)]
 ここからは見学場所が慶州から公州に移動しました。
前期百済の王京はソウルにあったが、475年に高句麗の攻撃により一旦滅亡。文周が熊津(公州)に逃れて即位し、百済を再興。公山城(コンサンソン)は、文周元年(475)〜聖王16年(538)まで5代63年間の王城。


この山城は、北に錦江(白村江)が流れ(次の写真)、海抜100mの稜線に位置する天恵の要塞で、城壁は東西に約800m、南北に約400mの長方形を成している。

百済時代の土塁が南東部に部分的に残っている。

木下先生の説明を聴きながら見学。
Posted by katakago at 22:09
韓国歴史の旅3日目その2 [2011年10月30日(Sun)]

 統一新羅時代の王陵で東南部にある掛陵を訪ねました。元聖王(798年没)陵かと見られている。標高100mほどの丘陵南斜面に立地している(風水思想の典型例)。外護列石は切石を立てて並べ、十二支像(武器を持ち鎧を着た武人像)が陽刻されている(次の写真はその一例)。周囲に石欄干を巡らし、正面に石床が置かれている。

参道の両側には二対の石獣と二対の文武の石人像が配置されている(武人像は胡人の容貌)。

次の写真は参道から王陵を見た様子。
Posted by katakago at 21:35
韓国歴史の旅3日目その1 [2011年10月30日(Sun)]
 3日目(10/25)は、まず慶州市にある仏国寺(世界遺産に指定されている)を見学しました。

751年(景徳王10年)に、当時宰相であった金大城が創建した寺です。秀吉の壬辰の倭乱で建物が焼失し、石造物のみ残っていたが、1973年に復元された。中心伽藍は長さ92mの石壇上に築かれ(伽藍自体が仏国を象徴)、登壇するには二つの石階(青雲橋、蓮花橋)を登る。石階の下には精巧なアーチ型通路がある。

伽藍配置は統一新羅の典型的な双塔式伽藍で、大雄殿(金堂に当たる)の前に、多宝塔(東塔)・釈迦塔(西塔)、北には講堂に当たる無説殿が配置されている。
 次の写真は、釈迦塔


その次は多宝塔(石組技術を凝らした精緻な作り)

 安養門の奥(西区)にある極楽殿(準金堂に当たる)の額裏に金色の豚(韓国では十二支の亥は猪ではなく豚)の像が掛けられていました。現地のガイドさんによると、韓国では十二支の中で豚が一番で、600年(10運)毎に巡って来る亥年は大変おめでたい年(直近では4年前)で、この年に生まれた子供はお金に恵まれるとのことで、前年は結婚ラッシュであったとの事でした。

Posted by katakago at 16:05
韓国歴史の旅2日目その4 [2011年10月30日(Sun)]
 武烈王陵を見学しました。武烈王の没年は661年。「太宗武烈大王之碑」と書かれた石碑によって、その陵墓が武烈王のものであることが判明している数少ない例です。次の写真はその武烈王陵碑です。亀型の台の上には、本来あったはずの碑身(王の業績が書かれる)が無くなっていますが、その上の部分には、「太宗武烈大王之碑」という文字が陽刻されています。

王陵墓の写真です。自然石による外護烈石があるが、この時期は未だ十二支像を持っていません。


次に鮑石亭跡を訪れました。ここは新羅王室が祭事を執り行った場所で、現在は、曲水宴の痕跡である石の溝が残っています(次の写真)。


 次に訪れた九政洞方形墳は、統一新羅時代の方墳としては特異なもので、外護烈石は、長方形切石を三段に積んで葛石を乗せ、束石に十二支像が陽刻されています(写真)。


 2目の日程の最後に四天王寺の発掘現場を通り、下車して道路沿いで見学する機会を得ました。写真手前は、碑石の亀型台座(この上に碑身が乗る)。
Posted by katakago at 10:17
韓国歴史の旅2日目その3 [2011年10月30日(Sun)]
 皇南洞古墳公園(大陵園)は、5世紀を中心とした金氏一族の王陵群(味鄒王陵、皇南大塚、天馬塚、金冠塚、瑞鳳塚など23基)が密集しています(次の写真は表示板より)。

 味鄒王陵の写真。


 皇南大塚の写真。


 次の二点は王陵出土の金冠で、いずれも国立慶州博物館に展示されていました(ストロボを発光しなければ写真はOK)。山字形金冠は新羅の特徴。
一点目は、瑞鳳塚出土の金冠。


次は、金冠塚木棺内より出土の金冠。
Posted by katakago at 09:48
韓国歴史の旅2日目その2 [2011年10月30日(Sun)]
 新羅の王京の施設を見学しました。月城(ウオルソン)は新羅の王宮で、低い丘陵上にあり、南側は南川に沿って屈曲し半月状になり、「半月城」とも呼ばれる。次の写真は鶏林から見た月城です。


 雁鴨池は、674年に新羅の文武王が半島統一を記念して宮内に造られた園地です(次の写真)。出土品は、国立慶州博物館内の雁鴨池館に展示されていました。

ここには、日本の飛鳥京園地の石造水槽とよく似た導水の石造施設があります(次の写真)。


 瞻星台は月城の北にある石造の建築物で、天体観測と関連した施設と考えられています(次の写真)。善徳王時代(632〜647年)に築かれたようです(「授時頒暦は天子の大権」)。なお、パンフレットには、積み上げられた石の数は361個で陰暦の1年の日数と同じとありました。


 この地区一帯は世界遺産に指定されています。
Posted by katakago at 08:58
韓国歴史の旅2日目その1 [2011年10月30日(Sun)]
 2日目(10/24)は、新羅が存続していた間ずっと都があった慶州(新羅千年の都)の遺跡を訪ねました。写真掲載の制約(1ブログにつき5枚)があり、何回かに分けて報告します。

 寺院関係では芬皇寺跡と皇龍寺跡を見学しました。
芬皇寺は、善徳王3年(634)創建で、創建時の遺構は次の写真の石塔のみです。中国の磚塔を模倣して、壇上積基壇上に安山岩板石を積み上げて造られた石塔です(この中に舎利函が納められていた)。現在は三層に復元されています。



 芬皇寺の隣にある皇龍寺は、新羅仏教上、最重要で最大の寺院(完工は566年)で、再建伽藍は一塔三金堂式(中金堂、東西金堂、九重塔、中門、回廊、講堂)。次の写真は、中金堂基壇中央に残る丈六三尊像の石造台座と、木下先生による説明の様子です。


 次の写真は幢竿支柱


Posted by katakago at 08:01
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