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韓国歴史の旅1日目(10/23) [2011年10月29日(Sat)]
 10月23日から4泊5日の旅程で、「飛鳥を愛する会」主催の秋季現地講座(韓国歴史の旅 − 金海・慶州・公州・扶余・益山)に参加してきました。同行講師は、「飛鳥を愛する会」会長の木下正史先生(東京学芸大学名誉教授)で、事前に訪問予定先に関する資料が配布されており、現地ではこれをもとに詳しい説明をして頂きました。
 筆者は、万葉集歌の鑑賞から入って当時の歴史にも興味をいだき、『古事記』、『日本書紀』の講座を受講し、更に「魏志倭人伝」を読み解く講座にも参加してきました。『万葉集』にも唐や新羅に派遣された人の歌が残されていますが、時代をさかのぼって更に古い時代から、中国大陸や朝鮮半島の国々との交流が行われてきました(倭国の時代の国内遺跡からその影響を受けたものが多く出土しています)。
 今回は、金官伽耶、新羅、百済の遺跡と、その出土品が展示されている博物館(慶州・扶余・公州・中央の各国立博物館)を訪れました。行程順にブログで紹介して行こうと思います(自らの知識の整理のためにも)。

 1日目は、午後に金海空港到着後、まず金海大成洞古墳を訪れ、木下先生の説明を受けながら、大成洞古墳博物館を見学しました。


 
[倭国との交流を示す事例]
 金官伽耶(狗邪国)は洛東江周辺の鉄鉱床を利用して早くから製鉄業を発展させ、紀元3世紀ころには、楽浪や帯方、馬韓、倭などに輸出していたようで、大成洞古墳群の木槨墓から出土している鉄鋌と同類のものが、弥生後期の西日本各地で出土しているとの事です。
 大成洞1号出土の馬冑と類似のものが、和歌山県大谷古墳から出土しているとの事です。
 広形銅矛は、弥生時代の倭国(北部九州)では祭祀具として用いられるのに対し、良洞里遺跡では、広形銅矛が墳墓に副葬されており使用例が異なるが、半島と接する対馬でのみ副葬例がありこの地域との関係の深さが示唆されています。



 その後慶州に移動し、金庾信将軍墓を見学しました。金庾信は、660年に、唐・新羅連合軍が百済の王都(扶余)を攻撃し、陥落させた新羅の将軍です(この年に百済滅亡)。金庾信は673年に79歳で薨じた。

 墓の全体写真と外護列石および護石に陽刻された十二支神像の一つを示しておきます(新羅のお墓の特徴)。




Posted by katakago at 17:10
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