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ツガ [2011年05月18日(Wed)]

 ツガは、万葉歌では、つがのき・とがのき(原文では樛木・都賀乃樹・刀我乃樹などと表記)として詠まれています。多くは、「つがのきの いやつぎつぎに」のように、類音によって「つぎ」を起こす枕詞として用いられています。昨日は、飛鳥路を訪れたので、次の歌と口語訳を以下に紹介します。
【歌】 みもろの 神奈備山に 五百枝さし しじに 生ひたる つがの木の いや継ぎ継ぎに 玉葛 絶ゆることなく ありつつも 止まず通はむ 明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見が欲し 秋の夜は 川しさやけし 朝雲に 鶴は乱れ 夕霧に かはづは騒ぐ 見るごとに 音のみし泣かゆ 古思へば (山部赤人 3-324)
【口語訳】 神のいます 神奈備山に 枝を広げ 隙間なく生い茂っている つがの木の名のように つぎつぎに (玉葛) 絶えることなく このようにして 通って来たい 明日香の 古い都は 山は気高く 川も雄大である 春の日は 山が見事で 秋の夜は 川音がすがすがしい 朝雲に 鶴は乱れ飛び 夕霧に 蛙はしきりに鳴く 何を見ても 泣けてくる 当時のことを思うと
 題詞には、神岳に登りて、山部宿禰赤人が作る歌とあります。この神岳については、通説では、「雷岳」とされていたが、橘寺東南の「ミハ山」との説(岸俊男)が出されている。平城遷都により明日香は遠く離れたが、都人にとっては懐かしい”ふるさと”として意識され続けてきたようです。
 この歌の歌碑が、飛鳥寺境内にあります(揮毫は万葉学者の佐佐木信綱)。

Posted by katakago at 18:00
エゴノキ [2011年05月18日(Wed)]

 エゴノキが万葉歌では、「ちさ」と詠まれている植物と考えられています。その他の説では、きく科のチシャ説などがあります。原文表記は、知左となっています。少し長くなりますが、その長歌と口語訳を以下に示します。 
【歌】 大汝 少彦名の 神代より 言ひ継ぎけらく 父母を 見れば貴く 妻子見れば かなしくめぐし うつせみの 世の理と かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の児と 朝夕に 笑みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地の 神言寄せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りそ 離れ居て 嘆かす妹が いつしかも 使ひの来むと 待たすらむ 心さぶしく 南風吹き 雪消溢りて 射水川 流る水沫の 寄るべなみ 左夫流その児に 紐の緒の いつがり合ひて にほ鳥の 二人並び居 奈呉の海の 奥を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ (大伴家持 Q-4106)
【口語訳】 大汝と 少彦名の 神代から 言い伝えられたことには 「父母を 見れば貴く 妻子を見れば せつなくいとしい (うつせみの) 世間の道理だぞこれが」と このように 言ってきたのに これが世の人の 守る約束であるのに ちさの花の 咲いている盛りに ほやほやの その妻と 朝夕に 浮き浮きしたり時には沈んで 嘆いて 語ったろうことは 「いつまでも こうしていようか 天地の 神のご加護で 春花のような 栄の時もあろう」と 言って待った その真っ盛りだぞ今は 離れ住み 嘆く細君が いつになったら 使いが来るかと 待っていよう 心淋しく思いながら 南風が吹き 雪解け水が溢れ 射水川に 浮いて流れる水沫のように 寄るべとてなく 左夫流という名の遊女に (紐の緒の) くっつき合って (にほ鳥の) 二人並んで (名呉の海の) 奥底までも 了見違いをした 君の心の なんともすべなさよ
 題詞には、史生尾張少咋を教え諭す歌と記されています。越中国司大伴家持の部下である史生(国司の下にあって記録をつかさどる役)尾張少咋が、遊行女婦の左夫流という女性に心を奪われて正妻扱いにし、都の正妻を無視したことを説諭して詠んだ歌。1300年前に、部下の不倫(?)を諌める歌が詠まれて、しかもそれが残されているのは大変興味深い。越中在任中の作で、「射水川」や「名呉の海」のようにその土地の地名が詠みこまれています。
Posted by katakago at 14:09
初夏の飛鳥を巡る(5/17) [2011年05月18日(Wed)]
 昨日(5/17)、カルチャーセンターの日本書紀の講座を受講する仲間で、飛鳥に出かけました。このグループで“古代史ウォークに出かけるのは、前2回の山の辺の道に続きこれが3回目です(講師の先生も含め6名が参加)。今回は、行程の設定と現地での案内を担当しました。飛鳥へ出かけるのは、2月のMBSラジオウォーク、4月の若菜祭と今年になって3度目です。近鉄橿原神宮前駅に9:30集合で、まずバスで飛鳥資料館に向かいました。ここでは特別展「星々と日月の考古学」を見学しました。その後は、全て徒歩で、資料館→水落遺跡→甘樫丘(昼食)→飛鳥寺→伝飛鳥板蓋宮跡→亀形石造物→明日香民俗資料館(休憩)→石舞台→橘寺→亀石→鬼の俎板・鬼の雪隠→欽明天皇陵→近鉄飛鳥駅がゴール。途中、鬼の雪隠あたりで雨がぱらつき出したため、吉備姫王墓・猿石はスキップして、駅には16:15頃に到着。以下、いくつかの写真を掲載します。

 甘樫丘(標高148m)は、万葉ファンなら一度は訪れたことのある場所ですが、初めての方もいたのでここでは充分に時間をとりました。階段を登る途中に、犬養孝先生の最初の万葉歌碑(還暦を記念して建立)があり、ここで記念写真を撮りました。頂上からは、畝傍山・耳成山・香具山の大和三山をはじめ、畝傍山後方には二上山をのぞみ、東方眼下に、明日香村を一望できる素晴らしい場所です。周りの眺望を楽しみながら少し早めの昼食をとりました。歌碑の歌は、志貴皇子の、「采女の 袖吹き返す 明日香風 京を遠み いたづらに吹く」 (@-51)です。
 


                  畝傍山、後方に二上山

                  東方、眼下に明日香村

 飛鳥寺は蘇我馬子が発願し、推古天皇4年(596)に創建された日本最初の寺(寺名は法興寺)。本尊飛鳥大仏(釈迦如来坐像)は、鞍作鳥(止利仏師)の作で、日本最古の仏像(火災により後補を受ける)。
 


 亀型石造物、小判型石造物は石槽となっており組み合わせて導水施設を構成。この遺構は斉明天皇の時代に造営、その後何度か改修された(身を清め国家存栄を祈念する祭祀の場か)。



 



 
Posted by katakago at 10:20
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