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モミジの若葉 [2011年05月14日(Sat)]

 
 モミジは、万葉歌では、かへるて(原文は蝦手、加敝流弖と表記)として詠まれています。
【歌】 子持山 若かへるての もみつまで 寝もと我は思ふ 汝はあどか思ふ(M-3494)
【口語訳】 子持山の 楓の若葉が 紅葉するまでも ずっと寝ようとわたしは思う おまえはどう思うかい
 巻14は、東歌が集められた巻で、このような大胆な表現の歌も多く見受けられます。この歌の歌碑が、群馬県北群馬郡子持村の子持神社にあります。万延元年(1860年)に建立されたもので、10年前に訪れたことがあります。
 
Posted by katakago at 17:15
ケヤキ [2011年05月14日(Sat)]

 
 雨上がりのケヤキの写真です。園内にはこれを含め3本の高木があります。万葉歌では「つき」(原文は槻と表記)として詠まれています。
【歌】 天飛ぶや 軽の社の 斎ひ槻 幾代まであらむ 隠り妻そも(J-2656)
【口語訳】 (天飛ぶや) 軽の社の 神木の槻のように いつまでこうして 忍び妻でいるのか
 『新編日本古典文学全集 万葉集』によれば、いつまでこんな隠り妻(人目を忍んで逢う仲の妻)でいなければならないのかと悲しんだ女自身の歌とみている。「斎ひ槻」は、人がみだりに手を触れないように囲いをしてある槻(ケヤキ)。この歌では、世間から隔絶した場所に住まわされている女のたとえ。
 槻(ケヤキ)は樹勢が盛んで大木となるため、落葉樹ですが古来から神聖視され、その樹下は聖域とされていた。『日本書紀』には、法興寺(現在の飛鳥寺)の槻の木の下では、重要な儀式や行事が行われたことが記されている。中大兄皇子と中臣鎌足だ出会ったのが、法興寺の槻の木の下で行われた蹴鞠の場であり、乙巳(いっし)の変の後、「天皇(孝徳)・皇祖母尊(皇極)・皇太子(中大兄)は、大槻の木の下に群臣を召集して、盟約を結ばせた」とある
Posted by katakago at 16:13
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