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ともか
孫のピアノ発表会 (08/01) ともか
孫のピアノ発表会 (08/01) 悟史
アジサイ (06/16)
飛鳥を愛する会 秋季現地講座(淡路・讃岐・吉備の旅) [2016年10月06日(Thu)]
 10月2日から3日間、飛鳥を愛する会の現地講座に参加しました。今回は南海道の淡路国・讃岐国と、吉備南部の万葉故地と史跡を巡りました。
 以下主な見学の行程と、見学地の写真を簡単なメモとともに載せておきます。
【1日目】
 新大阪 → 大川公園・貴船神社遺跡(淡路市北淡町)→ 五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(国史跡、淡路市黒谷)→ 飼飯の海 万葉歌碑(南あわじ市松帆)→ 淡路国分寺塔跡(国史跡、南あわじ市八木国分)→ 淳仁天皇陵(南あわじ市賀集)→ 南あわじ市福良泊
【2日目】
 富田茶臼山古墳(国史跡、さぬき市大川町)→ 石清尾山(いわせおやま)古墳群(国史跡、高松市鶴市町ほか)→ 屋島城(やしまのき)跡(高松市屋島)→ 讃岐国分寺跡(国特別史跡、高松市国分寺町)→ 網の浦 万葉歌碑(香川県綾歌郡宇多津町)→ さみねの島 万葉歌碑・柿本人麻呂碑・ナカンダ浜遺跡(坂出市沙弥島)→ 岡山県玉野市渋川泊
【3日目】
 神島 万葉歌碑(笠岡市神島(こうのしま))→ 行路死人歌 万葉歌碑(日光寺、笠岡市神島外浦)→ 箭田大塚古墳(国史跡、倉敷市真備)→ 多麻の浦 万葉歌碑(瀬戸内市邑久町、道の駅「一本松展望園」)→ 新大阪

【1日目】 
 貴船神社遺跡(弥生時代末期から奈良時代の製塩遺跡)
万葉歌にも、「名寸隅の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海人娘子 ありとは聞けど ・・・・」(E‐935 笠金村)とある。公園内の野島海人像(写真右後方)の台座正面にこの歌が張り付けられている。
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 五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(弥生時代後期の国内最大級の鉄器製作遺跡)
写真中央の小屋は復元された鉄器工房(手前の田んぼには古代米が稔っていました) 
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 復元された建物内の様子(直径10.5m、柱の数は10本の大型建物)
工房跡の地面中央には、高熱で赤く変色している炉跡が発見されている。
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 飼飯(けひ)の海 万葉歌碑(南あわじ市松帆)
柿本朝臣人麻呂の羇旅の歌八首のうちの最後の歌 
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【歌】 飼飯の海の 庭良くあらし 刈り薦の 乱れて出づ見ゆ 海人の釣船 (B‐256 柿本人麻呂)
【口語訳】 飼飯の海は 良い漁場らしい (刈り薦の) 乱れて漕ぎ出すのが見える 海人の釣り船が

 1日目は、夕食後10時過ぎまで約2時間の講義がありました(この旅行は密度が濃い)。
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【2日目】
 富田茶臼山古墳
四国最大の前方後円墳(写真左が後円部、右が前方部で全長139m、築造は4世紀末と推定されている。
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 石清尾山(いわせおやま)古墳群(石清尾山の尾根上に築かれている、時期は4世紀中ごろから後半)
 石船積石塚(古墳の全長は約57mの前方後円墳)を見学。安山岩角礫を積み上げて築かれており積石塚と呼ぶ。後円部墳頂に刳り抜き式割竹形石棺(写真中央)があり、棺身には造り付けの枕がある。
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 後方部で岡崎先生の説明を聞く。
積石塚の築造年代は古墳時代で、香川のほか徳島・長崎・長野・山梨の一部地域に分布
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 屋島城(やしまのき)
『日本書紀』天智6年(667)11月条に、「倭国の安城(たかやすのき)・讃吉(さぬき)国の山田郡の屋嶋城・対馬国の金田城を築く」とある。白村江の敗戦後、中大兄皇子は唐・新羅軍の侵攻に備え、北部九州から瀬戸内海にかけて多くの山城を築いた。
復元整備された城門地区 
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 復元された城壁の前で木下先生の解説を聞く。
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 讃岐国分寺跡
講堂跡に建つ現本堂の手前には32個の金堂の礎石群が残る。
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 境内に残る塔礎石(中央が心礎)
心礎の中央には約40pの枘(ほぞ)穴が穿たれ、礎石の配置と心礎の大きさから、4間(約10m)四方の七重塔であったと推定されている。 
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 当時の伽藍配置は、中門・金堂・講堂が南北一直線に並び、中門と金堂を結ぶ回廊で囲まれた区画の東側に塔を置く「大官大寺式」(写真は高松市教育委員会設置の説明板より)。南海道諸国の国分寺では、春の講座で訪れた紀伊国分寺も同じ大官大寺式(塔は七重塔と推定されている)。
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 僧房跡(覆屋内で露出展示されている)
東西88m、南北16mで国分寺僧房としては最大級
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 網の浦 万葉歌碑(綾歌郡宇多津町、うだつ臨海公園内)
讃岐国安益郡(あやのこほり)に幸せる時に、軍王(いくさのおほきみ)、山を見て作る歌
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【長歌】 霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むら肝の 心を痛み ぬえこ鳥 うらなけ居れば 玉だすき かけの宜しく 遠つ神 我が大君の 行幸の 山越す風の ひとり居る 我が衣手に 朝夕に かへらひぬれば ますらをと 思へる我も 草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 網の浦の 海人娘子らが 焼く塩の 思ひそ燃ゆる 我が下心 (@‐5)
【反歌】 山越しの 風を時じみ 寝る夜落ちず 家なる妹を かけて偲ひつ (@‐6)
 この歌については、1日目の夜の講義で坂本先生から詳しい話がありました。特に、長歌の「かけの宜しく」の「カク」の解釈に関して解説されました。集中の「口にかける」用例(6首7例)と「心にかける」用例(22首24例)をあげられ、「カク」の表現として「口にかく」に比べ「心にかく」のほうが一般的な表現であることを指摘され、特に「玉だすき かけの宜しく」のように「玉だすき」という枕詞で導かれる「カク」の用例は、「心にかく」の例(上記24例の中の11例)にしか見られないことより、ここの解釈は通説の「口にするのが好ましい」ではなく、「心にかける」意と解すべきであるとされました。この個所、当日の理解不足を坂本先生が書かれた「軍王の山を見る歌」『セミナー万葉の歌人と作品 第一巻』を参考に補いました。

 さみねの島の万葉歌碑(坂出市沙弥島)
歌碑の前で坂本先生の解説を聞く 
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 歌碑の拡大
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題詞に、讃岐の狭岑の島にして、石(いは)の中の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷せて短歌 とある。
【歌】 玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月と共に 足り行かむ 神の御面と 継ぎ来る 中の湊ゆ 船浮けて 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺を見れば 白波騒く いさなとり 海を恐み 行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名ぐはし 狭岑の島の 荒磯面に 廬りて見れば 波の音 繁き浜辺を しきたへの 枕になして 荒床に ころ臥す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉桙の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは (A‐220)
反歌二首
【歌】 妻もあらば 摘みて食げまし 沙弥の山 野の上のうはぎ 過ぎにけらずや (A‐221)【歌】 沖つ波 来寄する荒磯を しきたへの 枕とまきて 寝せる君かも (A‐222) 

 柿本人麻呂碑(上記の歌を記念して建てられた)
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 沙弥ナカンダ浜遺跡
弥生時代後期から古墳時代後期にかけての製塩遺跡として知られる。岡崎先生から説明を聞くころには日没近くとなりました(17:24)。
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 瀬戸中央自動車道の与島(よしま)PA
きれいな夕焼けを見ることができました(17:54)。
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【3日目】
 神島の万葉歌碑(遣新羅使人歌、笠岡市神島)
 この歌碑は、先月参加した全国万葉フォーラム(鞆の浦)のショートクルーズでは船上から遠望しました。
 歌碑の前で坂本先生の解説を聞く
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 歌碑の拡大
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【歌】 月読の 光を清み 神島の 磯廻の浦ゆ 船出す我は (N‐3599)
【口語訳】 月の光が 清らかなので 神島の 磯辺の浦から 船出するよわれわれは

 日光寺の行路死人歌の歌碑(歌の解説を坂本先生が書かれている)の前で
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 箭田大塚古墳(倉敷市真備町)の横穴式石室内を見学
 両袖式横穴式石室で、石室の全長は19.1m、玄室は長さ8.4m、幅3m、高さ3.5〜3.9m(石舞台古墳の巨大石室と遜色のない規模)。奥壁(写真中央奥)は1枚の巨石(鏡石と呼ばれる)で構築されている。
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 多麻の浦の万葉歌碑(遣新羅使人歌、瀬戸内市邑久町)
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【歌】 ぬばたまの 夜は明けぬらし 玉の浦に あさりする鶴 鳴き渡るなり (N‐3598)
【口語訳】 (ぬばたまの) 夜が明けたらしい 玉の浦で 餌を求めて鶴が 鳴いて飛んでいる

Posted by katakago at 11:46
鳥取の万葉歌碑 [2016年05月22日(Sun)]
 せっかく鳥取まで来たので、因幡万葉歴史館や万葉歌碑・国庁跡・国分寺跡などを巡ってきました。
 鳥取市国府町庁195付近の万葉歌碑(大正11年建立) 
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 天平宝字三年(759)正月一日に、大伴家持(当時42歳)が因幡の国守として、国庁で国や郡の役人たちを饗応した宴のおりに詠んだ歌 ー『万葉集』最後の歌
 この饗宴は、規定による公的な行事で、儀制令に「凡そ元日には、国司皆僚属郡司等を率(ひき)ゐて、庁に向ひて朝拝せよ。訖(をは)りなば長官、賀を受けよ。宴設くることは聴(ゆる)せ」とある(岩波文庫『万葉集』より)。
【歌】 新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰 (S‐4516)
【読み下し文】 新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事 
【口語訳】 新しい 年の初めの 正月の 今日降る雪のように もっと積もれ良い事
 この日は19年に一度の歳旦立春にあたり、正月の大雪は豊年の瑞兆とされた。
 歌碑拓本の複製(国府文化協会より購入)の写真
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 因幡万葉歴史館中庭にある同じ歌の歌碑(揮毫は犬養先生)
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 因幡万葉歴史館では自転車の無料貸し出しがあり、これを利用して国庁跡や国分寺跡も巡りました。
 因幡国庁跡(正面の山は面影山)
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 因幡国分寺跡の礎石
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Posted by katakago at 22:07
奈良市内の万葉歌を訪ねて [2016年05月16日(Mon)]
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 先週の土曜日(5/14)は、毎日文化センターの学外講座(講師は市瀬雅之先生)でした。今回のコースは、近鉄新大宮駅 → 佐保川沿いの万葉歌碑を見学 → 聖武天皇陵・光明皇后陵 → 奈良県庁屋上(展望・昼食)→ 猿沢池・采女神社 → 元興寺極楽坊(万葉歌碑) → 元興寺塔跡(万葉歌碑)→ 近鉄奈良駅
(上の写真は、佐保川緑地公園の万葉歌碑での解説の様子)

 前半の佐保川沿いのコースは3/27に参加した全国万葉協会のお花見行事と重なるので、後半の万葉歌碑についてメモを残しておきます。
 奈良県庁屋上からの展望(左端に東大寺大仏殿、中央に若草山、その右に春日山、その手前が御蓋山、右端が高円山)
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 元興寺極楽坊本堂(国宝)の屋根瓦(飛鳥時代の瓦も残っている)
和銅三年(710)の平城遷都により、飛鳥の地にあった法興寺(飛鳥寺)が養老二年(718)に移転され元興寺となった。
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 境内にある万葉歌碑  元興寺の僧が自ら嘆いた歌(旋頭歌)
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【歌】 白玉は 人に知らえず 知らずともよし 知らずとも 我し知れらば 知らずともよし
 (E-1018)
【口語訳】 白玉は 人に知られぬ 知らなくてもよい 知られなくても わたしさえ知っていたら 知らなくてもよい 
この歌の左注には次のようにあります。「右の一首は、元興寺の僧で、独覚多識の者があった。世間に知られなかったので、人々が軽んじ侮った。そこでその僧はこの歌を作って、わが身の才の空しさを嘆いた、ということである。」

 元興寺東塔跡の万葉歌碑(大伴坂上郎女が元興寺の里を詠んだ歌)
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【歌】 故郷の 明日香はあれど あをによし 奈良の明日香を 見らくし良しも (E-992 大伴坂上郎女)
【口語訳】 故郷の 明日香の元興寺はそれなりによいが (あをによし) 奈良の明日香の新元興寺を 見るのは格別によいものだ  


関連記事(3/27開催の全国万葉協会のお花見)は、次のURLに載せています。
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1091
Posted by katakago at 20:11
萬葉学会一日旅行ー明日香を巡る [2016年05月08日(Sun)]
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 昨日は、萬葉学会主催の一日旅行があり出かけて来ました。上の写真は、集合場所(橿原神宮前駅東口広場)で挨拶される学会代表の坂本信幸先生。その右は学会誌『萬葉』編輯委員長の上野誠先生。
 講師陣には萬葉学会編輯委員の著名な先生方が同行され、学生(東大、奈良女子大、皇学館大、関西大)の参加もあり総勢80名程でした。萬葉学会は研究者だけではなく万葉愛好家なら誰でも入会できる開かれた学会で、特に若い方の参加が期待されています(10月には奈良大学で第69回全国大会が開催予定)。

 この日のコースは、橿原神宮前駅 → 剣池 → 甘樫丘 → 雷岳 → 飛鳥寺 → 伝板蓋宮跡 → 石舞台古墳 → 酒船石 → 万葉文化館で、各場所毎に同行の講師の先生から解説して頂きました(資料も配布)。

 剣池では、垣見修司先生の解説を聴きました。剣池が詠まれた万葉歌は、
【歌】 み佩かしを 剣の池の 蓮葉に 溜まれる水の 行くへなみ 我がする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寝ねそと 母聞こせども 我が心 清隅の池の 池の底 我は忘れじ 直に逢ふまでに (L-3289)
【口語訳】 (み佩かしを) 剣の池の 蓮の葉に溜まっている水玉が どこへも流れて行けないように 私がどうしていいか分からないでいる時に 逢うのが定めだと逢ったあなたなのに 一緒に寝てはいけないと お母さんはおっしゃるけれど (我が心) 清隅の池の 池の底のように清らかに澄んだ深い思いなの 決して私は忘れないわ あなたにじかに逢うまでは
 剣池は、橿原市石川町の「石川池」(孝元天皇剣池島上陵の周囲の池)で、北堤には辰巳利文揮毫の万葉歌碑があります。
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【歌】 軽の池の 浦廻行き廻る 鴨すらに 玉藻の上に ひとり寝なくに (B-390 紀皇女)
【歌】 軽の池の 岸辺を泳ぎ廻る 鴨でさえ 藻の上で ひとり寝しないのに

 甘樫丘へは、村田右富実先生の解説・小休止の後登りました。
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 甘樫丘の上では大和三山や飛鳥の地を眺望しながら上野先生の解説を聴きました。
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 犬養先生揮毫の最初の歌碑(先生の還暦記念に昭和42年に建立された)
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【歌】 婇女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久 (@-52 志貴皇子)
【読み下し文】 采女の 袖吹き返す 明日香風 京を遠み いたづらに吹く
【口語訳】 采女(うねめ)らの 袖を吹き返していた 明日香風は 都が遠のいたので むなしく吹いている
 歌碑の前で歌われる坂本先生と岡本三千代さん(作曲は黛敏郎、譜面は次に載せる)
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 犬養先生の還暦記念に黛敏郎により作曲された「萬葉歌碑のうた」(志貴皇子のうたによる)の譜面(黛敏郎は犬養先生の、神奈川県立横浜第一中学時代の教え子)
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 雷岳(いかずちのおか)では鉄野昌弘先生の解説を聴きました(東大教授でお話を聴くのは今回初めて)。次の写真に示した歌碑の歌は、持統天皇が雷の岡に出遊なさった時の人麻呂の作で、「大君は神にしませば」という表現は、壬申の乱以後に生まれてきた天皇神格表現。
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 明日香村雷の万葉歌碑(揮毫は犬養先生)
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【歌】 皇者 神二四座者 天雲之 雷之上尓 廬為流鴨 (B-235 柿本朝臣人麻呂)
【読み下し文】 大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬りせるかも
【口語訳】 わが大君は 神でいらっしゃるので 天雲の 雷(いかずち)の上に 仮宮を造っていらっしゃる

 飛鳥寺に到着(蘇我入鹿の首塚前)。ここでは乾 善彦先生の解説を聴きました。
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 飛鳥寺境内にある山部赤人の万葉歌碑(佐佐木信綱揮毫)
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【長歌】 みもろの 神奈備山に 五百枝さし しじに生ひたる つがの木の いや継ぎ継ぎに 玉葛 絶ゆることなく ありつつも 止まず通はむ 明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見が欲し 秋の夜は 川しさやけし 朝雲に 鶴は乱れ 夕霧に かはづは騒く 見るごとに 音のみし泣かゆ 古思へば (B-324)
【反歌】 明日香川 川淀去らず 立つ霧の 思ひ過ぐべき 恋にあらなくに (B-325)
【口語訳】 明日香川の 川淀を離れず 立つ霧のように すぐ消えうせるような わたしの恋ではないのだ

 伝飛鳥板蓋宮跡に到着し、ここでは村田右富実先生による解説
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 明日香村岡の万葉歌碑(揮毫は犬養先生)
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【歌】 大口能 真神之原尓 零雪者 甚莫零 家母不有国 (G-1636 舎人娘子)
【読み下し文】 大口の 真神の原に 降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに
【口語訳】 (大口の) 真神の原に 降る雪よ ひどくは降らないでおくれ 誰もいないのに 

  奈良県立万葉文化館に到着し、毛利正守先生(今回で編輯委員を退任される)の話
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 解散後に、岡本三千代さんが館長をされている犬養万葉記念館に立ち寄り、咲き始めたアサザの花を見て帰りました。

Posted by katakago at 14:25
「飛鳥を愛する会」春季現地講座ー紀路の万葉故地と史跡を巡る [2016年04月25日(Mon)]
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 先週末、「飛鳥を愛する会」の総会・記念講演会(4/23)と現地講座(4/24)があり、出かけて来ました。上の2枚の写真は、近鉄飛鳥駅から総会会場(明日香村の健康福祉センター「たちばな」)に向かう途中(欽明天皇陵近く)で見かけたレンゲ畑です(私の住んでいる所では見かけなくなりました)。

 総会後の記念講演は、相原嘉之氏(明日香村教育委員会 文化財課長補佐)が「飛鳥・藤原地域における近年の調査成果」と題して、大島信生先生(皇学館大学教授)が、「大宝元年(701)紀伊行幸歌群を巡って」と題して講演されました。

 2日目は、橿原神宮前駅 8:30出発で橿原に前泊しました(昨年までは2日間、明日香村に通っていたのですが)。万葉の真土(まつち)山、落合川をまたぐ飛び越え石、紀ノ川沿いの万葉の妹背山、国史跡 紀伊国分寺跡、国史跡 大谷古墳、特別史跡 岩橋(いわせ)古墳群などを訪ねました。
 以下に写真と共にメモを残しておきます。
 
【真土山】
 飛び越え石
真土山の山裾を流れる落合川の両岸にある(自然がつくった畳一枚ほどの平たい浸食岩)。二つの石をはさんで奈良県と和歌山県に分かれる(左が五條市、右手前が橋本市)
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 落合川古道の渡り場(飛び越え石)西岸にある歌碑の歌
【歌】 いで我が駒 早く行きこそ 真土山 待つらむ妹を 行きてはや見む (K-3154)
【口語訳】 さあ駒よ 早く行ってくれ 真土山 待っているであろうあの娘を 行ってすぐ見たい

 真土山が詠まれた歌碑(橋本市隅田町真土)
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【歌】 橡の 衣解き洗ひ 真土山 本つ人には なほ及かずけり (K-3009)
【口語訳】 橡(つるばみ)の 衣を解き洗って 又打ちー真土山の もとつ人ー古女房には やはり及ぶものがない

 石上乙麻呂卿が土佐の国に流された時に詠まれた歌の歌碑(橋本市隅田町真土)
(犬養先生の生前の原稿に拠る)
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【歌】 石上 布留の尊は たわやめの 惑ひに因りて 馬じもの 繩取り付け 鹿じもの 弓矢囲みて 大君の 命恐み 天離る 夷辺に罷る 古衣 真土山より 帰り来ぬかも (E-1019)
【口語訳】 石上 布留の君は たおやめ故の 迷いのために 馬のように 縄を掛けられ 鹿のように 弓矢で囲まれ 大君の お咎めを受けて (天離る) 遠くの国に流される (古衣) 真土山から すぐに帰って来ないものか

 犬養先生揮毫の万葉歌碑(橋本市隅田町真土)
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【歌】 朝毛吉 木人乏母 亦打山 行来跡見良武 樹人友師母 (@-55 調首淡海)
【読み下し文】 あさもよし 紀人ともしも 真土山 行き来と見らむ 紀人ともしも
【口語訳】 (あさもよし) 紀伊の人が羨ましい 真土山(まつちやま)を いつも行き来に見ているであろう 紀伊の人が羨ましい

 犬養先生の生前の原稿をもとに立てられた歌碑(橋本市隅田町真土)
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【歌】 あさもよし 紀伊へ行く君が 真土山 越ゆらむ今日そ 雨な降りそね (H-1680)
【口語訳】 (あさもよし) 紀伊へ行くあの方が 真土山を 今日あたり越えているはず 雨よ降らないでおくれ

【妹背山】 
妹背山を眺めて村瀬憲夫先生の解説を聴く(写真右の山を妹背山とする説(村瀬先生)と、右の山を背山、紀ノ川をはさんで左の山を妹山とする説がある)。
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 万葉歌には15首詠まれており、そのうちの一首を載せておきます。
【歌】 我妹子に 我が恋ひ行けば ともしくも 並び居るかも 妹と背の山 (F-1210)
【口語訳】 愛妻を 恋しく思いながら行くと 羨ましくも 並んで寄り添っているよ 妹と背の山は

【国史跡 紀伊国分寺跡】
 紀伊国分寺跡の塔の基壇上で木下正史先生の解説を聴く(各堂塔の基壇を瓦積みで化粧する瓦積基壇は紀伊の古代寺院の特徴)
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 史跡紀伊国分寺跡歴史公園そばの紀の川市歴史民俗資料館展示の古瓦(創建時の軒瓦は興福寺軒瓦が採用された)
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【国史跡 大谷古墳】 
大谷古墳の墳丘上で岡崎晋明先生の解説を聴く(全長約70mの前方後円墳で、鉄製馬冑や金銅製馬具などの副葬品が出土)
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【紀伊風土記の丘】
 特別史跡「岩橋(いわせ)千塚古墳群」(800基を越える古墳が集まる全国屈指の群集墳)の保存を目的に開設された(博物館には日本初例の両面人物埴輪・翼を広げた鳥形埴輪をはじめ、力士埴輪などの出土品を展示)。万葉植物園も併設されている。
 岩橋千塚古墳群では、緑泥片岩板石を持ち送りして積み上げ、石棚や石梁を架して大板石で天井を覆った特徴的な石室構造(岩橋型横穴石室と呼ばれる)を持つ。
 紀伊風土記の丘資料館に移築された前山B36号墳の石室(岩橋型横穴石室の特徴を持つ)
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 前山A46号墳
前山A地区最大の円墳。玄室は石棚と4枚の石梁があり、内部に入りその岩橋型横穴石室の構造を見学できる。
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Posted by katakago at 21:20
万葉の大和路を歩く会ー宇治川・平等院 [2016年03月14日(Mon)]
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 昨日(3/13)は、「万葉の大和路を歩く会」の451回目の例会があり参加しました。今回は「もののふの八十宇治川と平等院」で、講師は影山尚之先生です。
 コースを次に載せておきます。JR宇治駅を出発点に、橋姫神社 → 宇治橋下の宇治川河原 → 平等院・ミュージアム鳳翔館(見学・拝観)→ 中ノ島・朝霧橋 → 宇治神社 → 宇治上神社 → 源氏物語ミュージアム(拝観)→ 菟道稚郎子(うぢのわきいらつこ)皇子御墓 → 京阪三室戸駅 →(乗車)→ 京阪木幡駅 → 木幡神社 → JR木幡駅で解散(上の写真は宇治橋下の宇治川河原で影山先生の解説を聴いている様子)

 宇治川右岸の朝霧橋東詰の万葉歌碑
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【歌】 宇治川は 淀瀬なからし 網代人 舟呼ばふ声 をちこち聞こゆ (F-1135)
【口語訳】 宇治川には 淀瀬がないと見える 網代人が 舟を呼ぶ声が あちこちに聞こえる

 仏徳山登り口広場(宇治上神社から源氏物語ミュージアムに至る途中)の万葉歌碑
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【歌】 そらみつ 大和の国 あをによし 奈良山越えて 山背の 管木の原 ちはやぶる 宇治の渡り 岡屋の 阿後尼の原を 千年に 欠くることなく 万代に あり通はむと 山科の 石田の社の 皇神に 幣取り向けて 我は越え行く 逢坂山を (L-3236)
【口語訳】 (そらみつ) 大和の国の (あをによし) 奈良山を越えて 山城の 管木(つつき)の原を過ぎ (ちはやぶる) 宇治の渡しの 岡屋(おかのや)の 阿後尼(あごね)の原を 千年も 欠けることなく 万代まで 通い続けようと 山科の 石田(いわた)の社の 神様に 幣(ぬさ)を捧げて 私は越えて行く 逢坂山を

 宇治川の堤防に植えられた桜の木にヤドリギ(落葉高木の幹や枝に寄生)が見られました。万葉歌では、”ほよ”として詠まれています。
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 ヤドリギの拡大写真
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 平等院鳳凰堂(国宝)
平等院は、関白藤原道長の別業(宇治院)を子の関白頼通が永承七年(1052)に寺院としたもので、翌年の天喜元年(1053)に、阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂が建立され、現在鳳凰堂と呼ばれている。
 鳳凰堂中堂の内側の長押(なげし)上の小壁には52体の雲中供養菩薩像が懸け並べられており、その一部を鳳翔館で見学できました(楽器を奏でる像が28体あり、楽器の種類は、琵琶・琴(きん)・竪箜篌(たてくご)・横笛・縦笛・洞簫(どうしょう)・笙(しょう)・排簫(はいしょう)・鼓・腰鼓(ようこ)・揩鼓(かいこ)・羯鼓(かっこ)・太鼓・鐃(にょう)・鉦鼓(しょうこ)・拍板など)。
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 平等院境内の源頼政の墓(宝篋印塔)
源頼政は保元・平治の乱で武勲をたて、源氏として初めて従三位に叙せられた(源三位頼政と称された)。治承四年(1180)に以仁王(もちひとおう)の令旨を奉じて平家追討の兵を挙げたが、宇治川で平知盛軍の追撃を受け、平等院の境内で自刃した。
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Posted by katakago at 18:25
万葉の大和路を歩く会ー恭仁京跡・紫香楽宮跡(12/6) [2015年12月09日(Wed)]
 先日(12/6)、万葉の大和路を歩く会の今年最後の行事があり参加しました。近鉄奈良駅前からバスで次のコースを訪ねました(講師は影山尚之先生)。木津川・恭仁大橋(いずみ公園) → 山城国分寺跡 → 恭仁宮大極殿跡 → 安積皇子墓、活道ケ丘公園 → 甲賀寺跡 → 紫香楽宮跡宮町遺跡 → ミホミュージアム→奈良駅(今回は万葉以外にミホミュージアムもコースに入っていました)

 大伴家持の万葉歌碑(木津川恭仁大橋北詰)
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【歌】 今造る 久邇の都は 山川の さやけき見れば うべ知らすらし (E-1037)
【口語訳】 今造営中の 久邇の都は 山も川も すがすがしいのを見ると ここに都を造られるのも当然であろう
 (天平十五年(743)に内舎人の家持が久邇の京を讃めて作った歌)

 山城国分寺跡 
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 恭仁宮大極殿跡
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 茶畑の間を安積皇子墓に向かう(相楽郡和束町、神上山の上に築かれた円墳)
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 影山先生による解説
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 聖武天皇には、藤原氏出身の光明皇后の生んだ安倍内親王(天平十年に立太子、後に孝謙天皇)と基王(神亀五年に夭折)、夫人(ぶにん)県犬養広刀自が生母の安積皇子がいたが、皇子は17歳で急逝した(天平十六年)。反藤原氏で結ばれた橘・大伴両氏は安積皇子に期待を寄せていたようで、皇子の死は家持にとって打撃であり、一連の挽歌(B-475ー480)を詠んでいます。
 そのうちの長歌と反歌を載せておきます。
【歌】 かけまくも あやに恐し 言はまくも ゆゆしきかも 我が大君 皇子の尊 万代に 食したまはまし 大日本 久邇の都は うちなびく 春さりぬれば 山辺には 花咲きををり 川瀬には 鮎子さ走り いや日異に 栄ゆる時に 逆言の 狂言とかも 白たへに 舎人よそひて 和束山 御輿立たして ひさかたの 天知らしぬれ 臥いまろび ひづち泣けども せんすべもなし (B-475)
(この歌に和束山が詠まれ、上の2枚の写真の場所が安積皇子の和束墓とされている) 
 大伴家持の万葉歌碑(相楽郡和束町、活道ケ丘公園)、上の長歌の反歌
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【歌】 我が大君 天知らさむと 思はねば 凡にそ見ける 和束杣山 (B-476)
【口語訳】 わが皇子が 亡くなられようなどと 思わなかったので 気にもとめずに見ていた あの和束の杣山を

 なお、活道(いくぢ)の岡に登り、一本松の下に集って宴会をした時(天平十六年正月)に歌が二首詠まれています(市原王と大伴家持)。その一首(市原王の作)を故犬養孝先生の色紙(昭和59年4月1日喜寿記念に書かれた)で載せておきます。
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【歌】 一松 幾代可歴流 吹風乃 声之清者 年深聞 (E-1042 市原王)
【読み下し文】 一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 声の清きは 年深みかも
【口語訳】 一本松よ おまえは何年経たのか 吹く風の 声が清らかなのは 長い年月を経たからなのか
家持の歌は、
【歌】 たまきはる 命は知らず 松が枝を 結ぶ心は 長くとそ思ふ (E-1043)
【口語訳】 (たまきはる) 自分の寿命は分からないが 松の枝を 結ぶ心は 命長かれと願ってのことだ

 甲賀寺跡(大正十五年に紫香楽宮跡として国の史跡に指定されていたが、発掘調査の結果東大寺式の伽藍配置をとる寺院遺構であることが明らかとなっている)
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 紫香楽宮跡の宮町遺跡(現在は水田が広がる)を前に影山先生の解説
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 この宮町遺跡からは多数の木簡が出土しており、その中に次の万葉歌が書かれたとみられる物が見つかっています(平成20年)。
【歌】 安積香山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに (O-3807)
Posted by katakago at 21:47
山の辺の道を歩く(梅花万葉集友の会) [2015年11月07日(Sat)]
 昨日は、梅花万葉集友の会の屋外講座で山の辺の道のウオーキングを愉しみました(案内は講師の市瀬雅之先生)。今回のコースは、JR櫟本駅(集合)→ 和爾下神社 → 和爾下神社古墳 → 柿本寺跡 → 赤土山古墳 → 和爾座赤坂比古神社 → 楢神社 →(上ツ道)→ 天理市役所(歌碑)→ 石上神宮 → 布留の高橋 → 天理駅(歌碑)
 このコースは、今年の三月にも奈良学文化講座で出かけており、その時はあいにくの雨天でしたが、今回は天候にも恵まれ11月にも関わらず汗ばむほどの気温の中、2万歩以上の万葉ウオーキングでした。
 前回の記事は次のURLに載せています。
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/959

 ここでは、主に万葉歌碑の写真を掲載しておきます。
 和爾下神社境内の万葉歌碑
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【歌】 刺名倍尓 湯和可世子等 櫟津乃 檜橋従来許武 狐尓安牟佐武 (長忌寸意吉麻呂 O-3824)
【読み下し文】 さす鍋に 湯沸かせ子ども 櫟津の 檜橋より来む 狐に浴むさむ
【口語訳】 さす鍋で 湯を沸かせ皆の者よ 櫟津(いちいつ)の 檜橋(ひばし)からコンと鳴いて来るであろう 狐に浴びせてやろう
 この歌の左注には、「右の歌一首は、言い伝えによると、ある時大勢集まって宴会をした。その時、時刻も十二時ごろ、狐の声が聞こえた。そこで一同奥麻呂(意吉麻呂)をそそのかして言うには、『この鍋類に、雑器、狐の声、河の橋などの物に関連させて何か歌を作られよ』と言ったところ、即座にその注文に答えてこの歌を作った、ということである」とあります。巻十六には
このような物の名を詠み込んだ歌(物名歌)が載っており、意吉麻呂はこのような歌を得意としたようです。
 
 和爾下神社参道途中にある『日本書紀』武列天皇即位前期にある歌謡の碑の前で(歌碑の詳細は前回の記事に記載)
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 天理市役所構内にある万葉歌碑
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【歌】 吾妹児哉 安乎忘為莫 石上 袖振川之 将絶跡念倍也 (K-3013)
【読み下し文】 我妹子や 我を忘らすな 石上 袖布留川の 絶えむと思へや
【口語訳】 いとしい妻よ 私を忘れないでおくれ 石上(いそのかみ) 袖振るー布留川のように なんでわたしは途絶えるものか
「石上袖布留川の」のソデは、袖を振る、の意で布留川のフルに掛けた序詞的用法(布留川の流れが絶えないように、の意で第五句を起こす序)。

 石上神宮境内で
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 石上神宮参道北側の柿本人麻呂の歌碑の前で
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【歌】未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者 (柿本朝臣人麻呂 C-501)
【読み下し文】 娘子らが 袖布留山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき我は
【口語訳】 乙女が 袖を振るという名の布留山の 年を経た神垣のように 久しい前から 思っていたのだよわたしは
 「娘子らが袖布留山の瑞垣の」は、年を経ても変わらぬことを譬えた比喩の序で、更に、「娘子らが袖」がまた袖を振る、の意で地名「布留」を起こす序となっている。

 石上神宮外苑公園入り口の歌碑
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【歌】 石上 振乃神杉 神備西 吾八更々 恋尓相尓家留 (I-1927)
【読み下し文】 石上 布留の神杉 神びにし 我やさらさら 恋にあひにける
【口語訳】 石上の 布留の神杉でなないが 年古りた わたしがこの年になって あなたに恋をしてしまったよ
 石上神宮の神杉
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 この歌は、次の歌との問答歌
【歌】 春山の あしびの花の 悪しからぬ 君にはしゑや 寄そるともよし
【口語訳】 春山の あしびの花のように 悪しくない あなたとのことでならままよ 言い騒がれてもかまいません

 石上布留の高橋で
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 天理駅前の歌碑(石上布留の高橋が詠まれている)
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【歌】 石上 振之高橋 高々尓 妹之将待 夜曾深去家留 (K-2997)
【読み下し文】 石上 布留の高橋 高々に 妹が待つらむ 夜そ更けにける
【口語訳】 石上の 布留の高橋の 高々にーまだかまだかと あの娘が待っているに違いない 夜は更けてしまった
 「高々に」は、人の来訪をしきりに待ち望む気持ちを表す副詞(『新編日本古典文学全集 萬葉集』)。
Posted by katakago at 16:51
越中万葉の旅 [2015年11月01日(Sun)]
 先週末は、カルチャーセンターの万葉講座の受講者有志で富山県に出かけて来ました。半年前から計画を立て、小宮山氏の尽力によりようやく実現できました。講座の講師である坂本信幸先生は高岡市万葉歴史館の館長をされており、歴史館では直接先生に館内を案内して頂きました。更に、越中万葉故地の資料を用意して下さり、2日目は同行して現地の案内もして頂きました。
 『万葉集』編簒に大きく関わったとされる大伴家持は、天平十八年(746)に越中守として高岡市伏木にあった国庁に赴任し、天平勝宝三年(751)に少納言となって都に帰るまでの五年間に越中国で223首の歌を詠んでいます。今回の旅行では、射水市、高岡市、氷見市にある歌に詠まれたゆかりの地を訪れました。以下訪問場所の写真とメモを残しておきます。 

【1日目の見学場所】
 午後からジャンボタクシーをチャーターして故地を巡りました。放生津八幡宮 → 二上山 → 正法寺万葉植物園 → 氣多神社 → 越中国守館跡(高岡市伏木気象資料館)→ 勝興寺(越中国庁跡)→ 高岡市万葉歴史館 

 放生津(ほうじょうづ)八幡宮(射水市八幡町)
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 境内にある佐佐木信綱揮毫の歌碑
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【歌】 あゆの風<越の俗(くにひと)の語(ことば)に東の風をあゆのかぜといふ> いたく吹くらし 奈呉の海人の 釣する小舟 漕ぎ隠る見ゆ (大伴家持 P-4017)
【口語訳】 あゆの風(越の方言で東風をあゆのかぜという)が激しく吹いているらしい。奈呉の海人の釣りする小舟が、漕ぎ隠れるのが見える。
 『新編日本古典文学全集 萬葉集』には、「日本海沿岸の各地に「あゆの風」(または「あいの風」)という風位名が現在も残っており、その多くは北東ないし北西の方角から吹く北寄りの風をいう。この歌のそれも海から吹いてくる北寄りの風をさすのであろう。」とあります。
 奈呉(なご)之浦の碑(越中万葉名勝地) 奈呉の浦は高岡市伏木から放生津潟一帯にかけての海浜。 
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 二上山から眺めた小矢部川(万葉歌では射水川) 
富山、石川両県の大門山に源を発し全長は68Kmにおよぶ。下流部は複雑に蛇行する緩流河川。
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 二上山の大伴家持像
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 正法寺(高岡市伏木一宮)万葉植物園の万葉歌碑 
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【歌】 雄神川 紅にほふ 娘子らし 葦付<水松(みる)の類>取ると 瀬に立たすらし (大伴家持 P-4021)
【口語訳】 雄神川が紅色に輝いている。乙女らが葦付(水松)を採ると、瀬に立っているらしい。
 雄神川は現在の庄川。葦付は清流に自生する緑褐色で塊状の寒天様藻類とされており、『万葉集』のこの歌にのみただ一度登場する越中のことば(孤語)。
 
 氣多神社(高岡市伏木一宮)の万葉歌碑
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【歌】 馬並めて いざ打ち行かな 渋谿の 清き磯回に 寄する波見に (大伴家持 P-3954)
【口語訳】 馬を並べて、さあ揃って出かけよう。 渋谿の清らかな磯辺に寄せる波を見に。

 越中国守館跡(現在、高岡市伏木気象資料館がある)の碑
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 越中国守館跡の万葉歌碑
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【歌】 朝床に 聞けば遙けし 射水河 朝漕ぎしつつ 唱ふ舟人 (大伴家持 R-4150)
【口語訳】 朝の寝床で聞くと、遙かに聞こえてくる。 射水川を朝早く漕ぎながら唄う舟人の声だ。 

 勝興寺(高岡市伏木古国府)
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 境内の越中国庁跡の碑
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 境内の万葉歌碑(その一)
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【歌】 安之比奇能 夜麻能許奴礼能 保与等理天 可射之都良久波 知等世保久等曽 (大伴家持 Q-4136)
【読み下し文】 あしひきの 山の木末の ほよ取りて かざしつらくは 千年寿くとそ
【口語訳】 (あしひきの) 山の梢の ほよを取って 髪に挿したのは 千年の命を祝う気持ちからです
 ”ほよ”はやどりぎ科の常緑小高木ヤドリギの古名(落葉高木に寄生する)。『新編日本古典文学全集 萬葉集』によれば、「冬の間、落葉樹の林の中でこのやどりぎだけが鮮やかな色で茂っているさまに、永遠の生命を認めて、信仰の対象とする習俗が世界各地にある。ここもやどりぎの神秘的呪力を信じてこれを身に付けたのであろう」とあります。
 なお、ほよ(ヤドリギ)の写真は、次のURLに載せています。
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/948

 境内の万葉歌碑(その二)
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 陸奥国(みちのくのくに)に金(くがね)を出(い)だす詔書を賀(ほ)く歌(長歌)の一部
【歌】 ・・・ 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ ・・・(大伴家持 Q-4094)

 ”かたかご”の万葉歌碑(犬養先生揮毫)
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【歌】 もののふの 八十娘子らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花 (大伴家持 R-4143)
【口語訳】 (もののふの) たくさんの乙女たちが入り乱れて水を汲む、寺井のほとりのかたかごの花よ。

 高岡市万葉歴史館(高岡市伏木一宮)で
館長の坂本信幸先生に館内を案内して頂きました
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 記念の集合写真
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 敷地内にある犬養先生揮毫の万葉歌碑(二上山の賦)
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【読み下し文】 射水川 い行き巡れる 玉櫛笥 二上山は 春花の 咲ける盛りに 秋の葉の にほへる時に 出で立ちて 振り放け見れば 神からや そこば貴き 山からや 見が欲しからむ 皇神の 裾廻の山の 渋谿の 崎の荒磯に 朝なぎに 寄する白波 夕なぎに 満ち来る潮の いや増しに 絶ゆることなく 古ゆ 今の現に かくしこそ 見る人ごとに かけてしのはめ (大伴家持 P-3985)

【2日目の見学場所】
 越中国分寺跡 → つまま小公園 → 雨晴海岸 → 田子浦藤波神社 → 柳田布尾山古墳 → 十二町潟水郷公園(布勢の水海)→ 布勢神社 → 英遠の浦 → 松田江
越中国分寺跡(つままの大木が見られた)
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 つまま小公園(高岡市太田) ”つまま”は、くすのき科の常緑大高木のタブノキ
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 万葉歌碑 富山県内で最古(安政五年、1858)の歌碑
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【歌】 礒上之 都万麻乎見者 根乎延而 年深有之 神左備尓家里 (大伴家持 R-4159)
【読み下し文】 磯の上の つままを見れば 根を延へて 年深からし 神さびにけり
【口語訳】 磯の上の つままを見ると 根を張って 年を久しく経たらしい 神々しくなっている

 雨晴海岸で立山を眺望(この日は残念ながら見ることは叶わなかった)
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 田子浦藤波神社
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 フジの古木
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 大伴家持卿歌碑(この角柱の裏側に歌が刻まれている) 
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 万葉歌碑
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【歌】 藤奈美乃 影成海之 底清美 之都久石乎毛 珠等曽吾見流 (大伴家持 R-4199)
【読み下し文】 藤波の 影なす海の 底清み 沈く石をも 玉とそ我が見る
【口語訳】 藤の花が影を映している水海の底までが清く澄んでいるので、沈んでいる石も、玉だと私は見ることだ。

 柳田布尾山古墳(日本海側最大の前方後方墳)の展望台から二上山を遠望
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 萬葉布勢水海之跡の碑(犬養先生揮毫)
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 十二町潟水郷公園(布勢の水海)  
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 布勢神社の大伴家持御遊覧之地の碑
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 布勢神社境内奥の万葉歌碑
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【歌】 明日の日の 布勢の浦廻の 藤波に けだし来鳴かず 散らしてむかも (大伴家持 Q-4043)
【口語訳】 明日の日の 布勢の浦辺の 藤波に もしや来鳴かないで みすみす散らしてしまうのではないでしょうか

 英遠(あを)の浦(氷見市阿尾)
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 万葉歌碑
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【歌】 英遠の浦に 寄する白波 いや増しに 立ちしき寄せ来 あゆをいたみかも (大伴家持
 Q-4093)
【口語訳】 阿尾の浦に寄せる白波の立つのがいよいよ増して、しきりに寄せてくる。東風が激しいからであろうか

 松田江(渋谿の崎と氷見の江の間の長い砂浜) 
萬葉故地 「麻都太要能 奈我波麻」の碑(犬養先生揮毫) 
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 再び立山を遠望(?)
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今回は、海越しの立山連峰を見ることが出来なかったのですが、昨年訪れた時の記事と写真は次のURLに載せています。
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/940


Posted by katakago at 18:43
田原の里から柳生街道、春日野へ [2015年06月22日(Mon)]
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 昨日は、「万葉の大和路を歩く会」の444回目が開催され参加しました。
 今回のコースは、近鉄奈良駅前からバスで田原・ヘリポート前へ(万葉歌碑)→ 春日天皇陵(志貴皇子墓)→ 峠の茶屋 → 春日奥山・柳生街道滝坂道(下り石畳道)→ 首切り地蔵 → 朝日観音 → 夕日観音 → 寝仏 → 春日野・ささやきの小道 → 飛火野

 田原・ヘリポート前の万葉歌碑(犬養孝先生揮毫)
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【歌】 牟佐佐婢波 木末求跡 足日木乃 山能佐都尓 相尓来鴨 (志貴皇子 3−267)
【読み下し文】 むささびは 木末求むと あしひきの 山の猟夫に あひにけるかも
【口語訳】 むささびは 梢を極めようとして (あしひきの) 山の猟師に やられてしまった
 なお、この歌には寓意(高い地位を望んで身を滅ぼした人々のこと)が込められているとの説もあるようです

 春日天皇陵(志貴皇子墓)前で坂本先生から笠金村の挽歌の解説を聴く
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 志貴皇子(天智天皇の皇子)は、光仁天皇の父にあたり、光仁天皇即位後、春日宮天皇と追尊された(宝亀元年,770)。光仁天皇の田原東陵に対し田原西陵と呼ばれる。
 題詞に、「霊亀元年九月に、志貴親王が亡くなった時に作った歌一首と短歌」とある笠朝臣金村歌集(金村の作とみられている)の長歌は、 
【歌】 梓弓 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟み 立ち向かふ 高円山に 春野焼く 野火と見るまで 燃ゆる火を 何かと問へば 玉桙の 道来る人の 泣く涙 こさめに降れば 白たへの 衣ひづちて 立ち留まり 我に語らく なにしかも もとなとぶらふ 聞けば 音のみし泣かゆ 語れば 心そ痛き 天皇の 神の皇子の 出でましの 手火の光そ そこば照りたる
(A‐230)
 反歌は、
【歌】 高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに (A−231)
【歌】 三笠山 野辺行く道は こきだくも 繁く荒れたるか 久にあらなくに (A‐232)

 柳生街道滝坂道の磨崖仏(朝日観音)
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 朝日に良く映えるので朝日観音の通称があるが、中央が弥勒菩薩で左右が地蔵菩薩で、文永二年(1265)の刻銘(写真は午後に撮影したもの)。柳生街道は四十数年前に訪れたことがありますが、峠の茶屋は今でも営業されていました(名物の草餅は完売)。
 雨に濡れた石畳みの坂道を、足元を気遣いながら下りました
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 コースの最終地点(飛火野)に到着して
春日山(春日・御蓋・若草などの山々)を背に、坂本先生から春日野が詠まれた歌の解説を聴く
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【歌】 春日野の 浅茅が上に 思ふどち 遊ぶ今日の日 忘らえめやも (I‐1880)

Posted by katakago at 16:50
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