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にっぽん文楽 in 難波宮(10/19) [2015年10月20日(Tue)]
 自費出版本の最終ゲラの校正を昨日ようやく終え、朝日カルチャー(中之島)の担当者に届け、午後、難波宮跡公園で開催中の「にっぽん文楽」を鑑賞しました。今回の催しは、ユネスコの世界無形文化遺産にも登録されている文楽の価値を多くの日本人に再認識してもらう目的で、日本財団が立ち上げたプロジェクトの一環で、3月の東京六本木ヒルズでの開催に続き2回目とのことです(2020年まで全国での巡演が予定されている)。
 
 江戸時代の人々は、屋外(寺社の境内など)の仮設舞台で演じられるのを飲食しながら愉しんだのに倣って、今回の特徴は、難波宮跡公園に組み立てられた舞台(吉野産の檜を使用、1億円とも)で、「飲みながら、食べながら気軽に文楽を愉しむ」というものでした。
 開演前には、組立舞台の説明や、太夫の語り・三味線の演奏についての解説があり、これらは写真撮影可となっていました。更に、人形の操作についても詳しい説明と人形遣いの体験企画もありました。文楽人形の特徴は、一体の人形を三人で操作する三人遣いで、世界に類の無い様式といわれています。「主遣い」が左手で人形全体をささえ、右手で人形の右手を操作し、「左遣い」が右手で人形の左手を操作し、「足遣い」が両手で人形の両足を操作します。
 今回の演目は、「二人三番叟」と「本朝廿四孝 奥庭狐火の段」で、後者は、謙信からの追手の存在を勝頼に知らせようとする八重垣姫が、八百万の白狐の力を借りて、諏訪湖の氷上を渡るという場面が演じられました。人形浄瑠璃・文楽は今回が初めてでしたが大変貴重な体験でした。

 にっぽん文楽の幔幕(まんまく)とのぼり(NHK大阪放送局、大阪歴史博物館前)
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 会場入り口
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 開演前の解説(組み立て式舞台建設に携わった宮大工さんの話)
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 開演前の解説(太夫が語る義太夫節の語り口やそれに合わせた三味線の演奏について)
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 人形との記念撮影もありました
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Posted by katakago at 10:01
音楽劇「綺譚 生田川」を鑑賞 [2013年06月02日(Sun)]
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 昨日午後、兵庫芸文センター(阪急 中ホール)で上演された音楽劇「綺譚 生田川」を鑑賞しました(写真はそのプログラム表紙と朝日新聞に掲載された紹介記事)。

 摂津国菟原郡(現在の兵庫県芦屋市から神戸市の東部にかけての地)の東部、葦屋(あしのや)の辺りに住んでいた菟原処女(うないおとめ)にかかわる説話があります。美人であったため二人の男性 ― 千沼壮士(ちぬおとこ)と菟原壮士(うないおとこ)から求婚されますが、片方を選べばもう一方が悲しむので、自らは自殺したというものです。この伝説を題材にした文学作品がいくつか知られています。古くは『万葉集』の歌にも詠まれ、平安時代には歌物語である『大和物語』の第147段の「生田川」に取り上げられ、それをもとに室町時代には謡曲「求塚」がつくられ(観阿弥作)、明治時代には森鴎外の戯曲「生田川」があります。
 今回は謡曲「求塚」をもとに音楽劇に仕立てられました(作・演出は岡本さとる)。主演は元宝塚歌劇団の大和悠河で、菟原処女を熱演し見ごたえのある舞台でした。

 『万葉集』では、田辺福麻呂・高橋虫麻呂・大伴家持の三人が歌に詠んでいますが、ここでは伝説の内容が語られる、高橋虫麻呂の長歌を少し長くなりますが載せておきます。
【歌】 葦屋の 菟原処女の 八歳子の 片生ひの時ゆ 小放りに 髪たくまでに 並び居る 家にも見えず 虚木綿の 隠りて居れば 見てしかと いぶせむ時の 垣ほなす 人の問ふ時 千沼壮士 菟原壮士の 廬屋焼き すすし競ひ 相よばひ しける時には 焼き大刀の 手かみ押しねり 白真弓 靫取り負ひて 水に入り 火にも入らむと 立ち向かひ 競ひし時に 我妹子が 母に語らく 倭文たまき 賤しき我が故 ますらをの 争ふ見れば 生けりとも 逢ふべくあれや ししくしろ 黄泉に待たむと 隠り沼の 下延へ置きて うち嘆き 妹が去ぬれば 千沼壮士 その夜夢に見 取り続き 追ひ行きければ 後れたる 菟原壮士い 天仰ぎ 叫びおらび 地を踏み
 きかみたけびて もころ男に 負けてはあらじと 掛け佩きの 小大刀取り佩き ところづら 尋め行きければ 親族どち い行き集まり 永き代に 標にせむと 遠き代に 語り継がむと 処女墓 中に造り置き 壮士墓 このもかのもに 造り置ける 故縁聞きて 知らねども 新喪のごとも 音泣きつるかも (H-1809)
【口語訳】 葦屋の 菟原処女が 八歳の 子供の頃から 小放りに 髪を結い上げる年ごろまで
 近隣の 家にも姿を見せず (虚木綿の) こもりきりなので 見たいものと もどかしがって 取り囲んで 求婚した時のこと 千沼壮士と 菟原壮士が 小屋を焼いて 勢い込んで争い 共に求婚を したその時に 焼き鍛えた大刀の 柄を握ってのし歩き 白木の弓と 靫を背負って 水にでも 火にでも入ろうと 立ち向い 争った時 この処女が 母に語ることに 「(倭文たまき) 数ならぬわたしのために ますらおが 争われるのを見ると 生きていたとて 結婚できそうにありません (ししくしろ) 黄泉でお待ちしよう」と (隠り沼の) それとなく告げて 嘆き悲しみ その処女が死んでしまったところ 千沼壮士は その夜夢に見 引き続き あとを追って行ったので 先を越された 菟原壮士は 天を仰ぎ 叫びわめいて 地を蹴り 歯ぎしりして力み あいつめに 負けてなるものかと 肩に掛ける 長剣を取り佩き (ところづら) 追っかけて行ってしまったので 身内の者たちは 寄り集まって 永久に 記念にしようと 遠い未来まで 語り伝えようと 処女墓を 中に造り置き 壮士墓を その両側に 造って置いた そのいわれを聞いて 真実は知らないが 最近の喪のように 声をあげて泣いてしまったことだ 


 現在、神戸市東灘区御影塚町に処女塚(おとめつか)古墳があり、その東西に求女塚(もとめつか)古墳があります(東灘区住吉町と灘区都通)。処女塚は前方部を海に、東西の求女塚は処女塚の方に前方部を向けています。妻争いの伝説はこれらの古墳群を見て形成されていったとの考えもあるようです。虫麻呂の歌で墓が述べられる部分に下線を入れておきました。
 この場所へは昨年四月の「飛鳥を愛する会」の現地講座で訪れ、影山先生から説明を聞きました。その記事には田辺福麻呂の反歌を載せています。
      ↓
   URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/316




Posted by katakago at 12:46
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