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孫娘を訪ねて鳥取へ [2019年03月24日(Sun)]
 去る17日に2年間組合長を務めてきた地元生産組合の総会が終わり、気分転換に鳥取の孫娘に会いに行って来ました。3泊4日の旅程で、初日は倉吉で合流し、市内白壁土蔵地区を散策したのち、三朝温泉に1泊してこのシーズン最後の蟹料理を堪能しました。
 倉吉白壁土蔵地区の公園で(孫娘は3歳3ケ月になり活発に動き回ります) 
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 以前、大仙寺の木田院碑の拓本採りでお世話なった「淀屋研究会」会長の毛利さんから、倉吉市にも豪商淀屋ゆかりの場所があると聞いていました。いつか機会があれば行ってみたいと思っていましたが、今回その一つの大蓮寺を訪ねる事が出来ました。
 淀屋清兵衛の墓
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 翌日は三徳山(みとくさん)三佛寺を訪れました(ここは国宝の投入堂が有名ですが、今回は三佛寺本堂まで)。
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 地蔵堂を遠望(昼食に立ち寄った谷川天狗堂駐車場より)
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 輪光院で(この日はお彼岸の中日で本堂では檀家さんが参集して法要が営まれていました)
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 三佛寺境内で
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 3日目、4日目は鳥取市内を案内してもらいました。
今回初めて鳥取砂丘の絶景を見る事が出来ました(昨年のNHK番組のブラタモリでも取り上げられていました)。
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 鳥取県立博物館を見学後、鳥取城跡を訪れました。桜の花は一部開花が見られたものの見頃となるのは今しばらく先のようです。
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 この日はたまたま、鳥取城跡擬宝珠橋の復元完成を記念したイベントが開催されていました。
山国隊軍楽保存会による行進(山国隊とは明治維新期に、丹波国桑田郡山国郷(京都市右京区京北)で結成された鳥取藩付属部隊で官軍に加わり戊辰戦争を戦った)
 帰りの時刻が迫る中、孫娘が興味を示しなかなかその場を離れようとせず焦ってしまいました。
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Posted by katakago at 14:30
五島列島への旅ーその2(潜伏キリシタン関連遺産を訪ねて) [2018年09月27日(Thu)]
 ここでは今回のツアーで訪れた潜伏キリシタン関連について写真とメモを残しておきます。
 はじめに、世界文化遺産の関係自治体が発行しているパンフレット「世界文化遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(ダイジェスト版)から以下引用させていただきました。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、キリスト教禁教による宣教師不在の中、神道や仏教などの日本の伝統的宗教や一般社会と関わりながら信仰を続けた潜伏キリシタンの伝統のあかしとなる遺産群である。それらは、国内に宣教師が不在となってキリシタンが潜伏したきっかけや、信仰の実践と共同体の維持のためにひそかに行った様々な試み、そして宣教師との接触により転機を迎え、潜伏が終わりを迎えるまでの歴史を物語る12の構成資産からなる。

 今回のツアーではこれら12の構成資産のうち、長崎市の大浦天主堂と新上五島町の頭ケ島集落・頭ケ島天主堂を訪れました。そのほか新上五島町、五島市にある教会も巡りました。
 
【長崎市】 
 長崎市の大浦天主堂(国宝、世界文化遺産登録)
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 信徒発見のレリーフ
 禁教令下で密かに信仰を守った潜伏キリシタンが、1865年3月17日、この大浦天主堂でプティジャン神父に信仰を告白する場面。潜伏が終わるきっかけとなり、以後カトリックに復帰した。
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 天主堂正面にある日本之聖母像(慶応元年3月17日信徒発見記念)
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 五島列島では、下五島地域の福江島(五島市)と上五島地域の中通島・頭島(新上五島町)の教会を巡りました。
長崎から福江島までは約100q(ジェットフォイルで1時間25分ほど)
 福江港(福江島)で見かけた世界遺産登録決定の看板
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【上五島地域】
(福江港から奈良尾港までジェットフォイルで30分ほど)
 車中から見かけた家御堂といわれる住宅を仮の教会とした建物
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 中ノ浦教会(海辺に姿が映る「水鏡の教会」と称される)
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 車中から見た頭ケ島の集落(新上五島町) 手前に頭ケ島天主堂が見える(この集落は世界文化遺産の構成資産の一つ)。
 「潜伏キリシタン遺産」のホームページ http://kirishitan.jp より関連個所を下記に引用しました。
 19世紀、外海(そとめ)地域から各地に広がった潜伏キリシタンの一部は、病人の療養地として人が近づかなかった頭ケ島を移住の適地として選び、仏教徒の開拓指導者のもとで信仰をカモフラージュしつつ(表向きは中通島に所在する仏教寺院に属して仏教徒を装う一方)、潜伏キリシタンの指導者(帳方)を中心としてひそかに自分たちの信仰を続けた。
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 天主堂の拡大写真
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 車中(上とは異なる場所)から見た頭ケ島の集落
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 頭ケ島天主堂(1917年に完成した石造の教会、国の重要文化財でもある)
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 頭ケ島集落にあるキリシタン墓地
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 車中から見た桐教会
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 高台にある桐教会からの眺望(美しい瀬戸を望める)
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【下五島地域(福江島)】
 福江島にある井持浦教会
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 日本最古のルルド(聖母出現の地であるフランスのルルドのマツサビエル洞窟を模して造られた)
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 今回の旅行をきっかけに、あらためて信仰について自らに問い直してみたいと思いました。
 
Posted by katakago at 15:07
カタクリ群生地(丹波市氷上町清住)を訪ねて [2018年04月04日(Wed)]
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 今日は、兵庫県内最大級といわれているカタクリの群生地(丹波市氷上町清住)に出かけてきました。バスの便がないため、JR石生(いそう)駅からタクシーを利用しました。平日だったので人出も思ったほどではなくゆっくり見学できました(かたくりまつりは4/8に開催)。
 斜面いっぱいにびっしりと咲いている様は壮観でした。このような光景は関東在住の頃、栃木県の三毳山や奥多摩の御前山で見たことがあります。
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 今月下旬には、全国万葉協会主催のお花見で葛城山のカタクリを見に行く予定です。今年は開花時期が早まっており、その時期まで咲いているか少し心配しています。

 なお、3年前の4月上旬に福井県大野市にあるカタクリ群生地(矢ばなの里)に出かけた時は、まだ咲き始めで開花株は僅かでした。その時の記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/970
Posted by katakago at 21:59
大雪の中 北陸旅行 [2018年01月14日(Sun)]
 この週末、大雪警報が出されている中、福井まで出かけてきました。吹奏楽アンサンブルコンテスト福井地区大会(13日開催)に、昨年に続き孫娘のチームが出場することになりその演奏を聴くためです。
 前日(12日)は、ホームページでサンダーバードが始発から運転取り止めとなっており、出かけるのは無理かなと思われました。その後臨時特急が運行されるとの表示が出されたため、大阪駅まで向かったところ、発車が遅れていた(予定より1時間以上の遅れ)臨時特急に幸いにも乗車できました。途中堅田駅で1時間近く停車があったりして、結局2時間以上の遅れで福井駅までたどり着くことが出来ました(沿線の雪景色を眺めながら)。

 車窓(武生から鯖江の間)から見た雪景色
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 車窓(鯖江から福井の間)から見えた演奏会場のハーモニーホールふくい(福井県立音楽堂)
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 当日(13日)の会場近くの様子
積雪60cm以上で、途中雪かきがしてあったものの、駐車場から会場入り口にたどり着くのに苦労しました。
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 中学校の部は41組が出場し、孫娘のチーム(フルート4重奏、ベルトミュー作曲「アルカディ」)は金賞で次の福井県大会に進むことになりました。二年生最後のチャンス、健闘を祈っています。
 演奏会場での写真撮影は許可されていましたが、SNSにはアップしないようにとの主催者の指示があり残念ながら掲載できません。

【1/29追記】
  昨日(1/28)開催された福井県大会で孫娘のチームは県代表に選ばれ、来月行われる北陸アンサンブルコンテストに出場することになりました。

 福井に来た場合の常宿にしているホテルでは、夕食は少し贅沢に越前の銘酒と越前蟹会席を堪能しました。
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Posted by katakago at 12:07
長男一家と大山(鳥取県)で過ごして [2017年08月11日(Fri)]
 台風が通り過ぎた8日から、2泊3日の旅行に出かけて来ました。昨年から鳥取勤務になった長男が大山にホテルをとってくれて、5月の連休以来3ヶ月ぶりに孫と一緒に過ごしました。1歳7ヶ月を過ぎ、口にする言葉の数も増え、動きも活発になっていました。乳幼児のペースにあわせて、車でホテル周辺の観光地を案内してもらいました。

 大山(だいせん、1729m)は、『出雲国風土記』意宇郡(おうのこほり)の郡総記の「国引き神話」に、火神岳(ひのかみだけ)として登場します。八束水臣津命(やつかみずおみづののみこと)が国引きのために引っ張った綱が、現在の弓ヶ浜半島や出雲の長浜で、その綱を繋ぎ止めた杭が、火神岳(大山)と佐比売山(三瓶山)とあります。
 荻原千鶴全訳注『出雲国風土記』(講談社学術文庫)の解説には、「長大な島根半島は、本土側から見た景観上も四つの大きな山塊に分かれている。その景観が、国引きによって四ブロックが造り合わされる半島形成の神話を生み出したのだろう。弓ヶ浜と園の長浜が東西対称の弧をなして半島部に連なり、東西のおさえとして大山と三瓶山の屹立するさまを、今日の私たちは航空写真などによって簡単に目にすることができるが、そうした地形の構成を、地面に張り付いた人間の五感で感じとり、国土創成の神話として語りだした想像力は、みごとというほかない」とあります。
 
 角磐山大山寺(天台宗別格本山)を参拝
養老2年(718)に出雲国玉造の依道により開かれ来年が開山1300年にあたる。
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 途中抱っこされながらも長い階段を上りました
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 本堂でお参り 
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 大山寺の御朱印を頂きました
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 大山寺の地蔵菩薩は「牛馬守護の仏」とされ、博労座の地名が残る大山寺では江戸時代には日本三大牛馬市の一つとして市が開かれていたそうで、本堂右脇の境内には、畜魂碑の「宝牛」の銅像があり、この日(9日)はお供え物がしてありました。本堂付近にはJA鳥取関係者が多数みられ、尋ねてみたところ、5年毎に開催される和牛品評会「第11回全国和牛能力共進会」の入賞祈願のため、この日は県推進委員会主催で平井知事も迎えて激励会が開かれるとのことでした。

 大神山神社へ参拝
 大山寺本堂左わきの分かれ道から更に階段を上ると、大神山神社奥宮にたどり着きました。
奥宮に上る階段前で記念写真(外国人観光客に撮ってもらいました)
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 参道でアサギマダラを見つけました
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 大山まきば ミルクの里(鳥取県西伯郡伯耆町)で
大山を背に記念写真(手前にはヒマワリが植えられ、その後方では乳牛が放牧されていました)
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 手入れが行き届いた草原で  
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 地蔵滝の泉(鳥取県西伯郡伯耆町)で
 かつては5メートルほどの滝が伊勢湾台風(昭和34年)の豪雨で崩壊し、現在は日量19.4万トンが湧き出る泉となっており、平成の名水百選に認定されています。
水遊びが好きのようです
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 近くで見かけたキツネノカミソリ(ひがんばな科)の群生
裏山の植物園でも2〜3株は見かけますが、このようの光景は初めて見ました。
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Posted by katakago at 15:48
永平寺参拝(7/23) [2017年07月26日(Wed)]
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 孫娘の演奏会に福井まで出かけた機会に、永平寺(曹洞宗大本山)を訪れました(あいにく雨天でしたが)。永平寺は、寛元二年(1244)に道元禅師によって開かれた坐禅修行の道場で、僧侶の育成と一般の人への布教教化が行われています(参篭や参禅研修などの修行体験もある)。
 かつて(47年程前)新入社員研修のカリキュラムの一つとして、鎌倉円覚寺(臨済宗)で数日間の坐禅修行(?)をしたことを思い出しました。今回は、諸堂拝観が目的です。禅宗寺院では、法堂(はっとう)・仏殿・僧堂・庫院(くいん)・山門・東司(とうす)・浴室を指して特に重要な伽藍「七堂伽藍」と呼ばれ、最初に大きな絵図を用いての説明を聞いてから、諸堂を拝観しました。
 拝観に先立つ説明の様子
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 傘松閣の絵天井の広間
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 諸堂は廊下でつながっていました(雨天時には好都合)。  
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 仏殿 
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 御朱印(中央の文字 承陽殿:道元禅師を祀る祖廟)
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Posted by katakago at 16:26
芦原温泉に一泊 [2016年05月05日(Thu)]
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 福井の娘夫婦が芦原温泉に一泊予約してくれたので、孫たちとも一緒に連休の一日を過ごせました。
 大阪から福井までは特急サンダーバードを利用し、福井からあわら湯のまち駅までは各駅停車のえちぜん鉄道で沿線の風景を楽しみながら移動しました。早くも田植えが終わっている田んぼも見られました。
 経由地のJR福井駅正面には恐竜の実物大モニュメントが設置されていました。解説版によれば、写真のモニュメントは、2007年夏に福井県勝山市北谷町で発見され、2010年6月出版の論文で日本で最初に学名が付けられた竜脚類フクイティタン(Fukuititan nipponensis)だそうです(時代は白亜紀前期、全長10m)。


Posted by katakago at 18:50
北国で見たカタクリ [2015年04月03日(Fri)]
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 引越しの手伝いで福井市に出かけた機会に、近くの大野市にあるカタクリ群生地(矢ばなの里)を訪れました(4/2)。3/21から”かたくりまつり”が開催中とのことで期待して出かけました。福井市からはJR越美北線牛ケ原駅が最寄りで、そこから徒歩約20分の所にありました。周りの山には雪が見られる中、田んぼでは早くも田起こしが行われていました。
 雪山(写真右後方)を背景にカタクリを撮ってみました。
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 花の時期としては少し早かったようです(多くは蕾)。
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 西の斜面では開花している株も見られました。
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Posted by katakago at 09:35
北陸へ2泊3日の旅 [2014年12月22日(Mon)]
 先週後半(18〜20)、JTBのツアーで北陸方面に出かけて来ました。「冬の味覚と温泉を愉しむ」をうたい文句にした企画ですが、私にはもう一つの期待がありました。行程表には富山県から石川県に移動するのに雨晴海岸を通過とあり、ここで海越しの立山連峰を眺められれば、これまでの念願が叶うからです(ここを訪れるのは4回目)。
 旅程の1日目:大阪 →(JR特急サンダーバード)→ 富山 →(富山地鉄)→ 宇奈月温泉(泊)
    2日目:宇奈月温泉 → いなみ木彫りの里 → 五箇山集落(菅沼)→ 雨晴海岸 → 和倉温泉(泊)
    3日目:和倉温泉 → 白米千枚田 → 輪島の朝市 → 門前 → 金沢 →(サンダーバード)→ 大阪

 この時期には稀な爆弾低気圧の影響で、出発前日の17日はサンダーバードが始発から全面運休となり、当日朝まで催行が危ぶまれましたが、幸いなことに始発から運行されツアーが実施されました。ただ、積雪と強風の影響で折り返し列車遅延のため、予定より1時間近く遅れての宿泊先到着となりました(車窓からは雪景色を楽しめましたが)。

 今回の旅行での最大の収穫は、期待していた雨晴海岸から雪を頂く立山連峰を眺めることが出来たことです(見ることが出来るのは年に数十回位とのこと)。スケジュール表では車窓見学となっていましたが、近くの駐車スペースにバスを停め、下車して海岸まで降りて写真撮影することが出来ました。
 海越しに雪を頂く立山連峰を遠望 
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 万葉歌に立山が詠まれた歌は五首ありますが、ここでは大伴家持の「立山(たちやま)の賦」と題する長歌と反歌二首(天平十九年(747)四月二十七日の作)のうちから、次の歌を載せておきます。
【歌】 立山に 降り置ける雪を 常夏に 見れども飽かず 神からならし (P-4001)
【口語訳】 立山に 降り置いた雪は 一年じゅう 見ても飽きない その神々しさのゆえであろう

 旅行前に『萬葉二千碑』(田村泰秀編)で、滞在場所近くにある万葉歌碑を調べていましたが、和倉温泉にあるのを見つけることが出来ました。ホテルで地図をもらって出発前の時間を利用して写真を撮ることが出来ました。
 越中守であった大伴家持が、天平二十年(748)春の出挙(すいこ)の巡行途次の作で、題詞に、能登郡で香島の津から船に乗って、熊来村をさして漕いで行った時に作った歌二首とあり、次の一首目は家持が詠んだ唯一の旋頭歌です。
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【歌】 とぶさ立て 船木伐るといふ 能登の島山 今日見れば 木立繁しも 幾代神びそ (P-4026)
【口語訳】 とぶさを立てて 船材を伐り出すという 能登の島山 今日見ると 木立が茂っている 幾代経てこうも神々しくなったのであろうか

 二首目は、
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【歌】 香島より 熊来をさして 漕ぐ船の 梶取る間なく 都し思ほゆ (P-4027)
【口語訳】 香島から 熊来をさして 漕ぐ船の 梶をしきりに動かすように絶えず 都が思われる

 関西ではめったに見られない雪景色の写真を2枚載せておきます。
 宇奈月温泉の想影橋(おもかげばし)付近から撮影(流れは黒部川)
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 世界遺産 菅沼合掌造り集落にて
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 最後に見学した白米(しろよね)千枚田(日本初の世界農業遺産、2011年にFAO認定)
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Posted by katakago at 11:31
函館へ ー 孫たちと半年ぶりの再会 [2014年07月23日(Wed)]
 農作業にめどをつけ、先週末から北海道に出かけていました。函館に住んでいる孫たちに正月以来半年ぶりに逢うのが目的です(昨年夏も訪れました)。今回も娘の主人が運転する車で、函館市内や大沼国定公園(七飯町大沼町)などに案内してもらいました。

 函館の路面電車(函館市内と湯の川温泉の間を移動するには便利)
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 ベイエリアでは、観光遊覧船ブルームーンで函館港内を約30分かけて一周しました。港内にはかつての青函連絡船(学生時代に北海道に旅した時に乗船した)の摩周丸が係留されていました。
 船上から見た函館山(昨年は山頂から夜景を眺めました)
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 北海道にある唯一の国宝が展示されている場所を訪れました。
 函館市縄文文化交流センター(函館市臼尻町)にて(写真は展示室の説明パネル)
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 国宝 中空土偶(ストロボ不使用で写真撮影はOKでした)
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 説明パネルによると、中が空洞に作られた「中空土偶」で、縄文時代後期後半(約3500年前)の墓から出土(函館市内の著保内野遺跡)。中空土偶としては最大級のもので、造形的にも優れ土偶全体に幾何学的文様が施されており、2007年には国宝に指定された。
 1975年の夏、農作業をしていた地元の主婦によって偶然発見されたそうです。南茅部(みなみかやべ)の中空土偶という意味から、「茅空(かっくう)」の愛称でも呼ばれているようです。

 大沼国定公園では、園内の散策を楽しみました。
 記念写真(あいにく駒ケ岳は雲に隠れていました)
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 大沼湖のスイレン(後方)とコウホネ(手前)
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 スイレンの花
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 コウホネの花
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 函館市内の石川啄木ゆかりの場所を訪れました(明治40年に青森から函館へ)。
 立待岬にて
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 石川啄木一族の墓(写真中央)
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 墓碑の拡大写真
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  墓石碑には次の短歌が刻まれています(啄木自筆の歌稿ノートのペン字)。

 東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

 
Posted by katakago at 15:36
連休を息子夫婦と過ごして [2014年05月06日(Tue)]
 ゴールデンウイーク後半に、息子夫婦(川崎在住)と伊勢に出かけて来ました。二人は伊勢神宮は初めてだったので、外宮と内宮で御垣内特別参拝を行いました。私は式年遷宮後4回目になりますが、これまでで一番の人出でした。外宮から内宮への移動は、路線バスもタクシーも長蛇の列で、タクシーを40分ほど並ぶことになりました。

写真は外宮の正宮前と内宮の荒祭宮で
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 せんぐう館のまがたま池ではカキツバタが咲いていました。
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 内宮の五十鈴川御手洗で(二人はこの場所が気に入っていました)
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 前泊は賢島の浜島温泉で
ホテルの窓からは遠く紀伊半島が望めました。
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 温泉と海の幸の夕食を堪能しました。
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Posted by katakago at 14:20
宮島・岩国・長門・萩・津和野を巡る旅 [2014年02月22日(Sat)]
 JTBのツアーに参加して、宮島・岩国・長門・萩・津和野を巡って来ました。農作業で忙しくなる前に、例年この頃に短期の旅行に出かけています(旬の食材を用いた料理と温泉も楽しみです)。
1日目:宮島(厳島神社参拝)→ 城下町岩国の史跡(錦帯橋ほか)→ 長門湯本温泉(泊)
2日目:青海島(おおみじま) → 萩(松下村塾・松陰神社) → 津和野(殿町散策)

 厳島神社
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 御由緒によれば、祭神は天照大神と素戔鳴尊が高天原で誓約(うけい)をされた時に生まれた三柱の女神で、それぞれ市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)です。なお、これらの神々は『古事記』には宗像の三女神として記されています。
 社殿の創建は推古元年(593)によるものと伝えられ、その後の仁安三年(1168)に平清盛により、社殿を寝殿造として現在のように造営されたようです。
 境内では早くもアセビが咲いていました(当方の植物園では未だ蕾です)。
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 城下町岩国の錦帯橋(写真中央の山頂には岩国城)
錦川の堤に植えられた桜の花の頃は、一層すばらしい景観であろうと思われます。
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 長門市の青海島(海上アルプスと呼ばれる絶景が広がる、写真は十六羅漢付近)
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 なお、この島には我が国の夏ミカンの原木とされるものが残っているそうです。今回は時間の関係で訪れていませんが、『藤原流万葉集の歩き方』(藤原茂樹著)の橘の章(第七回)にもこの事がふれられています。 

 ヤブツバキが咲いていました(花の大きさは小さめです)。
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 椿といえば、今回はコースに入っていませんが、萩市の笠山椿群生林(約2万5千本)が有名だそうで、いずれ機会があれば訪れてみたいと思いました。

 松下村塾(国指定史跡)
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 塾生として、幕末から明治維新で活躍した久坂玄瑞・高杉晋作・伊藤博文・山県有朋などが知られています。
 吉田松陰の歌碑
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 親思う こころにまさる 親ごころ けふの音ずれ 何ときくらん
(歌碑の文字は、真跡を模写拡大したもので、寅二郎は通称)
 この歌は、安政の大獄に連座して江戸伝馬町の獄に投ぜられ、いよいよ処刑を覚悟した松陰が、安政六年(859)十月二十日に、郷里の両親に書き送った便りの中に書かれた一首です。
 処刑直前に塾生らにあてて書かれた遺書「留魂録」には、次の歌が記されています(松陰神社宝物館にて)。
 身ハたとひ 武蔵の野辺に 朽ぬとも 留置まし 大和魂

 津和野の鷺舞の像
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 鷺舞は弥栄神社に伝わる古典芸能神事(7月の例祭に供奉される)で、16世紀半ばに京都より山口へ、山口から津和野へ伝えられた(五穀豊穣・災厄防除を祈る)。本元は京都の八坂神社祇園会に伝えられたものですが、今では日本に只一つ残る鷺舞で、国指定の重要無形民俗文化財とのことです。
Posted by katakago at 15:35
地元生産組合の親睦旅行 ー 伊勢神宮特別参拝 [2013年12月09日(Mon)]
 この7、8日は、地元生産組合の親睦旅行で伊勢に出かけて来ました(親睦旅行が行われたのは久しぶりです)。

 矢問地区の生産組合員数は、今では全世帯の2%にも満たない12戸です。私は退職後こちらに戻ってから、親から引き継いだ畑を管理することになっため、組合員として活動に参加しています(水利組合員でもある)。農業者としての集まりであると同時に、地元自治会等が行う諸行事(秋祭り・餅つき大会など)の開催にも関わっています。

 今回の旅行は、遷宮が行われた伊勢神宮に特別参拝するのが第一の目的です。伊勢神宮には先月もカルチャーセンターの講座で訪れていますが、その時は一般参拝でしたので、このたびの特別参拝には関心がありました。

 特別参拝では、先ず神楽殿で御神楽奉納の後、御正宮に移動して参拝することになります。神楽は古くは「神遊び」ともいい、その起源は「記紀」に記された天照大神の天岩窟(あめのいわや)籠もりの故事に始まるといわれる。御神楽の内容は初穂料の額によって異なるようですが、今回は、祝詞奏上に続き、「倭舞」、「人長舞」と舞楽一曲が添えられました。撮影禁止で写真が無いため、大々御神楽(だいだいおかぐら)の説明書(神楽殿控室にありました)から、御神楽について以下に抜粋しておきます。
 倭舞(やまとまい)は、清和天皇(第56代)の御代に宮中の儀式で舞われ、後に神事に奏せられ、元は男子四人の舞が、明治五年に少女舞に改められたそうです。歌詞は神宮に古くから伝えられた次の歌です。
 みやびとの させる榊を われさして よろづよまでに かなで遊ばむ
舞人は、緋の長袴に白の千早(ちはや)を着け、紅梅をさした天冠(てんかん)をいただき、右手に五色絹を飾った榊を持って、上記の歌に合わせて舞います(伴奏するのは、笛・篳篥・笏拍子)。
 人長舞(にんじょうまい)では、舞人は、葦に千鳥の模様を青摺にした小忌衣(おみごろも)を着け、手には御鏡を擬した白い輪のついた榊を持ち、次の歌に合わせて舞います。
 そのこまぞや われにわれに 草こふ 草はとりかはん みづはとり 草はとりかはん

 御神楽奉納の後、御正宮に移動しました。
 正宮前の階段で撮影(これより内は撮影禁止)
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 神職の案内により外玉垣(とのたまがき)南御門内に参入して、お白石が敷き詰められた前方に真新しい檜の建物群を目の当たりにすると、しばし外界とは隔絶された神秘的な領域に入り込んだ気分に浸りながら特別参拝を行えました。


 2日目は、二見浦の夫婦岩・二見興玉神社(御祭神は猿田彦大神)などを訪れました。
 伊勢神宮や二見浦は数十年前に小学校の修学旅行で訪れた場所でもあり、参加者の間で当時の思い出話にも花が咲きました。
 二見浦の夫婦岩
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 先月の伊勢神宮参拝の記事は下記のURLに掲載しています。
       ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/732 
Posted by katakago at 21:55
カニと温泉の一泊旅行 [2013年11月22日(Fri)]
 日本海のカニ漁の解禁にあわせ、旅行会社のツアーのチラシが目立つようになりました。先日、ジパング倶楽部の企画旅行で京都府京丹後市丹後町間人に出かけて来ました。以前に日帰りのバス旅行で訪れたことがありますが、その時味わったカニをもう一度食するのと、温泉もゆったり楽しめるように一泊しました。この地の目玉は間人ガニ(たいざがに)です。間人ガニは、京都府の最北端経ケ崎の沖合を漁場として間人(たいざ)港に水揚げされるズワイガニに与えられた名前です(緑色のタグが目印)。夕食は間人ガニのフルコース(カニ刺し・茹でガニ・炭火焼・甲羅蒸し・カニみそスープ・カニすき・カニ雑炊)を賞味しました。
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 ところで、地名の間人(たいざ)に関しては、次のような伝説・伝承があります。丹後町古代の里資料館の展示図録には、『丹後旧事記』や『間人濫觴記録』(弘化三年)などの文書から、次のように紹介されています。6世紀末、仏教に対する立場の違い、皇位継承問題をめぐって蘇我氏・物部氏の争いが生じた時、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后(欽明天皇の皇女で用明天皇の皇后)は乱をのがれて、この大浜の里に逃れる。その乱もおさまり大和へ帰るが、この皇后の名をつけて、間人と名づける。読み方は、「はしひと」と呼ぶのは恐れ多いということより、大浜の里を退座したということで「たいざ」と名づけた、とあります(『記紀』には見られませんが)。

 丹後町間人の立岩(写真左)と穴穂部間人皇后と聖徳太子母子像(写真右)
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 立岩は周囲1km、高さ20mの柱状節理の安山岩で、丹後を代表する絶景の一つとされる。


 京丹後市網野町網野および浅茂川には浦島伝承が伝わっています。写真は浅茂川港に隣接する小さな丘にある嶋児神社(小さな祠ですが)。 
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 なお、浦島伝説は、今回訪れていませんが、与謝郡伊根町本庄に伝わるものが起源が最も古いといわれ、この地の宇良神社には浦島の絵巻物といわれるものが残っているそうです。
 『日本書紀』雄略天皇二十二年条に、「秋七月に、丹波国余社郡(よざのこほり)管川の人水江浦島子(みづのえのうらのしまこ)、舟に乗りて釣し、遂に大亀を得たり。便ち女(をとめ)に化為(な)る。是に浦島子、感(め)でて婦にし、相逐ひて海に入り、蓬萊山(とこよのくに)に到り、仙衆に歴(めぐ)り覩(み)る。語は別巻に在り」とあります。また、『丹後国風土記逸文』与謝の郡の条に、筒川の嶼子(しまこ)として出て来ます(これ、謂ゆる水江の浦の嶼子という者なり)。

 『万葉集』巻九には、題詞に「水江の浦の嶋子を詠む歌」とある高橋虫麻呂の長歌と短歌が載せられています(H-1740,1741)。ただし、虫麻呂の歌では場所が住吉、時期は春であり、丹後の国の伝説では亀の姿で現れた神女を、最初から神女の姿で舟に乗っていて出会ったかのような表現となっています。『萬葉集全歌講義』によれば、「恐らくはもとの形を知っていながら、虫麻呂は、天平時代の貴族の嗜好にあわせてあらためたのであろう」とあります。
Posted by katakago at 14:40
北海道の孫を訪ねて [2013年07月22日(Mon)]
 今月の植物園見学会も終え、先週の金曜日から北海道の孫の所に出かけていました(3泊4日で)。日々の農作業から一時解放されて、涼しい函館の地で娘の家族と半年ぶりに一緒に過ごしました。今回は函館市内の観光地を娘の主人が運転する車で案内してもらいました。

 一日目は夕方に到着したので、函館山からの夜景を楽しみました。
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 函館山からの眺望(2011年にミシュランの三つ星に認定、左は函館港、右は津軽海峡)
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【2日目】
 トラピスチヌ修道院(1898年創立、写真左は聖マリア像)
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 本館前で記念写真
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 五稜郭展望タワーで記念写真
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【3日目】
 函館市旧イギリス領事館で
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 ハリストス正教会(ロシア・ビザンチン様式のレンガ造りの建物)
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 金森赤レンガ倉庫群
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Posted by katakago at 20:54
相生の牡蠣と室津散策 [2013年02月20日(Wed)]
 JR西日本の駅長おすすめ駅プラン「相生かき三昧」に妻を誘って参加し、HOTEL万葉岬(相生市相生字金ケ崎)で牡蠣料理を味わい、室津の街を散策して来ました。新快速を利用すると尼崎から相生までは約80分ほどです(ホテルまでは送迎バスで更に20分)。中型の送迎バスは、カップルと中年女性のグループ(車中の会話からママ友の仲間か)で満席となっていました。

 室津へは、3年前に坂本先生の万葉講座の有志で出かけることになっていましたが、前日に高熱を発し欠席した経緯があります(その節は関係の方にご迷惑をおかけしました)。今回室津散策のオプションもあったので、牡蠣料理を味わうこともさることながら、万葉歌碑も訪ねられればと出かけた次第です。

 ホテル横の椿が植えられている場所に建てられた犬養先生揮毫の万葉歌碑(昭和58年建立)
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【原文】 室之浦之 湍門之埼有 鳴嶋之 礒越浪尓 所沾可聞 (K-3164)
【読み下し文】 室の浦の 瀬戸の崎なる 鳴島の 磯越す波に 濡れにけるかも
【口語訳】 室の浦の 瀬戸の崎にある 鳴島の 磯を越す波に 濡れてしまった
 室の浦は室津東南の藻振鼻(もぶりばな)から相生湾口の金ケ崎にかけての湾入部をさすとみられています。『犬養孝揮毫の万葉歌碑探訪』によれば、除幕式の時に先生は、「金ケ崎からの眺望は瀬戸内万葉の大パノラマであり、この地以外にこれほどの場所はない」と絶賛されたそうです。これを機に金ケ崎は「万葉の岬」と命名されその碑が建てられています。
 ホテル前からの眺望(眼下に浮かぶ鳴島、現在の君島)
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 ホテルから少し海岸のほうに降りてゆく途中にある澤瀉久孝先生揮毫の歌碑(亡くなられてから先生の書より採字して平成2年に建立)
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【原文】 繩浦従 背向尓所見 奥嶋 榜廻舟者 釣為良下 (山部赤人 B-357)
【読み下し文】 縄の浦ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 漕ぎ廻る船は 釣りしすらしも
【口語訳】 縄の浦から かなたに見える 沖の島を 漕ぎ廻っている船は 釣をしているらしい
 縄の浦は相生市那波(なば)の海岸とみられています。

 食事の後、希望者はホテルの送迎バスで室津散策に出かけました(次の図は配布された散策マップ)。
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 室津漁港の駐車場(室津かき直売所がある)で下してもらって、皆思い思いに約90分の散策に出かけました。室津海駅館・室津民族館や朝鮮通信使宿舎跡、賀茂神社など見学場所は多いのですが、私は真っ先に一番遠くの藻振鼻の万葉歌碑を目指しました。
 たつの市御津町室津の藻振鼻にある犬養先生揮毫の万葉歌碑(昭和54年建立)
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【原文】 玉藻苅 辛荷乃嶋尓 嶋廻為流 水烏二四毛有哉 家不念有六 (山部赤人 E-943)
【読み下し文】 玉藻刈る 辛荷の島に 島廻する 鵜にしもあれや 家思はざらむ
【口語訳】 玉藻刈る 辛荷の島で 魚を捕っている 鵜ででもあったら 家を思わずにいられることだろうか
 写真には歌碑後方に辛荷の島(地の唐荷・中の唐荷・沖の唐荷の三つの島)が写っています。

 近くの梅林ではもう花が咲き始めていました。
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Posted by katakago at 20:21
淡路島へ一泊旅行 [2013年02月08日(Fri)]
 妻の誕生日に合わせ、淡路島まで車で出かけてきました。このシーズンの淡路島3年とらふぐを食し温泉につかるのが主目的です。

 ところで淡路島は国生み神話の舞台でもあり、また万葉歌にも詠まれています。

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 宿泊先の洲本温泉に行く前に、慶野松原(南あわじ市松帆古津路)にある万葉歌碑を訪ねました。歌は柿本朝臣人麻呂の旅の歌8首のうちの一首です。
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【歌】 飼飯の海の 庭良くあらし 刈り薦の 乱れて出づ見ゆ 海人の釣船 (B‐256)
【口語訳】 飼飯(けい)の海は 良い漁場らしい (刈り薦の) 乱れて漕ぎ出すのが見える 海人の釣船が

 洲本温泉から車で30分ほどの所に、立川水仙郷があり、ちょうど見ごろとのことで出かけました。紀淡海峡を望む斜面いっぱいに、あたりに香りを漂わせながら白い花を咲かせていました(500万本も栽培されているとのこと)。
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 『古事記』では国生み神話のところで次のように書かれています(以下『新編日本古典文学全集 古事記』の口語訳より)。天つ神一同の仰せで、伊耶那岐命・伊耶那美命の二柱の神に、「この漂っている国土をあるべきすがたに整え固めよ」という詔命を下し、天の沼矛をお授けになって、委任なされた。それで二柱の神は天の浮橋の上にお立ちになって、その沼矛をさしおろし、かきまわしたところ、潮をカラカラとかき鳴らして、引き上げた時に、その矛の先からしたたる潮は積もって島になった。これを淤能碁呂島(おのごろしま)という。
 この”おのごろしま”だと言われている場所の一つが、南あわじ市の沼島です(今回は時間の都合で訪ねていません)。南あわじ市榎列下幡多には自凝島(おのころじま)神社があり、ここには立ち寄りました。
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 国生みの二柱の神を祀る伊弉諾神宮が淡路市多賀にありここも訪ねました(次の写真は本殿)。
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 境内には樹齢約九百年の”夫婦大楠”と呼ばれる御神木(元は二株の木が成長するにつれて合体し、一株に育ったと言われている)があり、夫婦円満、安産子授けなどの信仰で崇められているそうです。
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 帰途、北淡震災記念公園に立ち寄り、平成7年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)で動いた野島断層を見学しました(3年前にも自治会のバス旅行で来ています)。
 写真後方の地層ががせり上がる逆断層で、しかも右にずれています。
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 逆断層の断面の様子(右側の地層が上にずれている)
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 最近原発敷地内の活断層調査が話題になっていますが、実際に動いた断層の跡を見て、あらためてその危険性を思わないではおられません。
Posted by katakago at 20:40
ドライブで一泊旅行 [2012年11月17日(Sat)]
 植物園の来園者も11/4で今年の最後となり、畑の仕事もほぼ一段落したので、15,16の二日間旅行に出かけました。温泉と解禁になったばかりの松葉ガニを味わう目的で城ア温泉までドライブしました。関東(横須賀市)にいた頃は、箱根や伊豆半島に車でよく出かけたものですが、関西に戻ってから車で遠方まで出かけたのは今回が初めてです。昨年買い換えた車にナビとETCを搭載したので、知らない場所へ出かけるのも便利になりました。

 初日は天候に恵まれなかったため、宿泊場所まで直行して温泉につかり、夕食はカニ料理(茹でガ二、カニ刺し、カニ鍋)を堪能しました。
 城ア温泉の元湯
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 二日目は天候も回復したので観光地に立ち寄りながら帰って来ました。
城ア温泉ではロープウェイで大師山(231m)山頂まで登り、山頂駅付近の温泉寺奥の院や、温泉寺駅で途中下車して本堂を拝観しました。この温泉寺は城ア温泉開祖と伝わる道智上人が創建(天平10年)したお寺で、本尊は大和の長谷寺の観音と同木の十一面観音菩薩だそうです(秘仏)。
 奥の院付近の紅葉
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 豊岡市赤石にある「玄武洞」に立ち寄りました。解説書に依れば、玄武洞は160万年前に起こった火山活動で流れ出たマグマが冷え固まる際に、規則正しい割れ目を作り出し柱状に節理が形成されたとあります。この玄武洞の名前については、文化4年(1807)にこの地を訪れた儒学者柴野栗山が、洞の岩石が作りだす節理の形や断面の模様などから、中国の玄武(*)を連想して命名したそうです。中心にある玄武洞とその右側の青龍洞は天然記念物に指定され(1931年)、現在は、左側にある白虎洞と南北の朱雀洞とともに玄武洞公園として整備されています。
 (*)玄武:亀に蛇がからむ動物図で星宿の北の方向を表わす
 玄武洞
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 青龍洞
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 昼食場所として豊岡市出石に立ち寄り伝統の「出石皿そば」を味わった後、出石城跡を訪れました。
 出石城跡(出石藩主仙石氏の祖、権兵衛秀久公を祀る感応殿付近)の紅葉
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 辰鼓桜(明治4年に出石城大手門跡に建設された時計台)
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Posted by katakago at 22:26
再び札幌へ [2012年08月20日(Mon)]
 先週の金曜日(8/17)から2泊3日の旅程で札幌の娘のところに出かけていました。6月に続き2度目の訪問です。今回は2日目から息子夫婦も合流し、全員がそろったのは昨年のお盆(この時は川西の実家に集合、昨年8/14の記事)以来1年ぶりです。

 1日目は午後からの半日観光バスで、孫娘たちと一緒に大倉山ジャンプ競技場と羊が丘展望台を訪れました。
 大倉山到着時にはあいにく小雨が降り出し、リフトで展望台に登るのは断念し、ジャンプ台傍の「札幌ウインタースポーツミュージアム」で、展示の見学とウインタースポーツの擬似体験を楽しみました。次の写真は、大画面映像によるバーチャルジャンプ体験の様子です。この時の飛距離は96mでした。


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 羊が丘展望台のクラーク像でのスナップです。ここでは誰もがこのように右手を挙げたポーズで記念写真を撮っていました。
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 2日目は、富良野と美瑛に出かけ広大なお花畑を楽しみました。
 次は、「ファームと富田」(空知郡中富良野町)のお花畑の前での一枚です。花はサルビア(後方はブルーサルビア)で、ラベンダーの花はもう終わっていました。

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 午後は、上川郡美瑛町の「四季彩の丘」を訪れました。ここでは、広大なお花畑をトラクターに曳かれた乗り物(ノロッコ号)に乗って、色とりどりの花々が咲く広大な園内を見て廻りました。次の写真は途中下車して撮ったものです。
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 息子夫婦とは、ここ「四季彩の丘」で合流し、全員で記念の集合写真を撮りました。
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 3日目は、札幌の市場で地元の食材(ホタテ、ツブ、ホッキ、トウモロコシ、アスパラガスなど)を買い込んで、娘のところでバーベーキューを行い、賑やかに昼食を愉しみました。

 関西に比べ大変過ごしやすい3日間でしたが、これからまた暑さと雑草との格闘が待っています。


Posted by katakago at 16:05
孫を訪ねて札幌へ [2012年06月24日(Sun)]
 6/22(金)から今日まで札幌に出かけていました。この時期に二人で3日も家を空けることはこれまで滅多になかったのですが、昨年10月に父親の転勤で奈良(学園前)から札幌に引っ越した孫達に逢いに行きました。

 自宅から便利な伊丹発の新千歳行きは、便数も少なく1ケ月以上前からでも空席待ちの状態で、今回は往復とも関空発着便を利用することになりました(関空へは梅田からリムジンバスで約50分)。関空利用は昨年10月の「韓国歴史の旅」以来で、関西にに帰って来てから二度目です。朝出かける頃には雨もやみホッとしました。写真は搭乗機です。

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 二人の孫娘(小5と小3)は札幌の小学校に転校して8ケ月近くになりますが、札幌での生活にも慣れてきているようで、まずは一安心です。
 この土日は限られた時間を娘夫婦・孫達と一緒に過ごしました。昨日は娘の主人が運転する車で札幌市内観光の後、小樽に出かけ地元のネタの寿司を味わいました(ミシュランガイドにも取り上げられた伊勢鮨で)。小樽観光の後、夕方、定山渓温泉に向かい、昨夜はここで一緒に泊まりました。滞在したホテルも土曜日のせいか多くの観光客で賑わっていました。

 札幌市内の時計台(旧札幌農学校演武場)での記念写真です。

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 夕方6時過ぎに帰って来ました。早速、旅行中も気になっていた畑の野菜や植物園の草花を見て回りました。草がまた伸び出したので、今週はその対応に追われそうです。
Posted by katakago at 21:44
バスツアー(月ヶ瀬梅林とお水取り) [2012年03月12日(Mon)]
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 旅行会社のバスツアーで「月ヶ瀬梅林と東大寺お水取り」があり、これにも申し込んでいました。お水取りは3/2に朝日カルチャーセンター(中之島教室)の現地講座でも参加しましたが(3/4のブログ参照)、今日(3/12)はより大きな「籠たいまつ」が上がるとのことで再び見に行きました(今回のツアーにはお堂内での見学はなし)。

 ツアーの第一目的地の月ヶ瀬は関西では梅の名所として知られていますが、今年は開花が遅れているようでした。写真はようやく咲き始めた白梅です。添乗員によると、梅林全体では開花がまだ三分咲き程度との情報でツアーをキャンセルした方も多かったようです。おかげで車内はゆったり過ごせましたが。

 今日はお水取りの日程の中でも特別な日(籠たいまつが上がり、深夜に境内の若狭井から水が汲みあげられ本尊に供えられる)で、前回(3/2)より多数の参詣者が二月堂下の境内を埋めていました。たいまつが上がる3時間以上も前から、寒風の中配られた夜食を立って食べながら開始を待っていました。例年この日は3万人ぐらい来られるとのことですが、今日は少し少なかったようです。

 東日本大震災から一年が過ぎましたが、大地震が発生した時この二月堂で修二会が行われていました。それ以来、東大寺としても被災された方への独自の支援活動を行って来ているとのことです。今回の修二会でも亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、被災された方の安寧と被災地の復興を祈願しているとのことでした。たいまつを待つ間、我々も一緒にお祈りさせていただきました。

 前回見学できた場所も、今日は招待者しか入れませんでした。また、順番を待つ多くの方も見れるようにと、たいまつが2本上がる毎に警察官の指示により場所を移動することになり、写真もゆっくり撮れませんでした。

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Posted by katakago at 22:48
富士山 [2012年03月01日(Thu)]
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 先週末、旅行会社の「富士山一人旅」のツアーに参加しました。万葉歌にも詠まれた富士山の雄姿をあらためて写真に撮るのが目的でしたが、あいにく2日間の旅行中は天候に恵まれませんでした(添乗員によればこのようなこともままあるとのことでしたが)。忍野八海でかろうじて山頂の雲がわずかに切れる瞬間に出会えました(写真はこの時のもの)。

 万葉歌での「ふじ」の表記は、不盡・布自・布士・布仕・布時・不自が用いられています。「ふじ」を詠んだ歌では、次の山部赤人の歌が有名です。
【歌】天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ 行かむ 富士の高嶺は (B-317)
【口語訳】天と地が 別れた時から 神々しくて 高く貴い 駿河の国の 富士の高嶺を 大空はるかに 振り仰いでみると 空を渡る太陽の 姿も隠れ 照る月の 光も見えない 白雲も 進みかね 時ならず 雪は降っている 語り伝え 言い継いでゆこう この富士の高嶺は

 今回の旅行では、赤人が詠んだような富士山の写真が撮れませんでしたので、20年ほど前に羽田から福岡へ向かう機上から撮影した写真を掲載しておきます。  
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 富士山は、山部赤人の歌や、高橋連虫麻呂歌集に出ているもの(B-319〜321)のように都の官人が詠んだ歌のほか、巻14(東歌)には、土地の人が詠んだ歌も載せられています(駿河の国の歌4首)。そのうちの一つは、
【歌】富士の嶺の いや遠長き 山路をも 妹がりとへば けによはず来ぬ (M-3356)
【口語訳】富士の峰の やたらに遠い 山路でも おまえに逢うためなら 造作なく来た
富士の山道が妻の許へ通う道であるという、この地域に住む男の歌です。
この歌の歌碑が、山中湖近くの太陽の広場公園にあります(写真は以前に訪れた時のもの)。 

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Posted by katakago at 09:36
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