CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
<< 2017年07月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
ともか
孫のピアノ発表会 (08/01) ともか
孫のピアノ発表会 (08/01) 悟史
アジサイ (06/16)
立命館大阪プロムナードセミナー(7/3) [2017年07月05日(Wed)]
IMGm.jpg

 立命館大阪梅田キャンパスでは大阪・京都文化講座が開講されており、前期のテーマは「大阪・京都の『一大事』ー災害・動乱・革新ー」で、一昨日はその最終回(第8回目)が開催され受講しました。今回の演題は「大塩事件ー鎮圧にかかわった武士ー」です(演者は京大人文科学研究所の岩城卓二教授)。

 大塩事件は、天保八年(1837)二月、大坂町奉行所元与力大塩平八郎が大飢饉に対して有効な策を講じない幕府に怒り、その門人らとともに挙兵するも幕府軍によって鎮圧された事件です。

 一昨年に『木田家のルーツを尋ねるー石碑の銘文に導かれてー』を自費出版した後も、関連情報の収集を続けていますが、その中で、大坂の両替商(鉄屋)がこの大塩の乱で被害に遭った記事を見つけていました(「長濱屋八之助が見聞の記」『浮世の有様 4(国史叢書)』)。「豪富の大家を目掛け、數十ケ所大筒を打込み廻候」とある中で、今橋通りの鴻池善右衛門・天王寺屋五兵衛・平野屋五兵衛などと共に、船場の鐵屋庄右衛門の名も出ています(鉄屋9代目の木田重興の頃か)。そのようなわけで今回の話題には関心がありました。

 この講演では、鎮圧で武功を立てその後の人生が大きく変わったひとりの武士ー水野正左衛門ーに焦点が当てられました(事件前の大坂鈴木町代官所の元締手代から反乱鎮圧後の天保8年10月には御勘定所普請役格(手付)に昇進、嘉永7年に亡くなった時は箱館奉行支配組頭永々御目見以上に昇進、嫡男が水野家を相続)。
 東京都文京区白山の蓮華寺には、「箱館奉行支配組頭水野君墓表」が建てられておりその履歴が刻まれているとのことです。大塩事件とこれに影響を受けて能勢郡で起こった一揆(能勢騒動)の鎮圧に水野が関わった仔細は、水野が書き残していた手紙の解読により明らかにされました(岩城教授のご研究)。水野は大坂鈴木町代官所に異動する以前は石見大森代官所の手代として赴任しており、その折り知り合った石見大森の商人熊谷三左衛門に宛てた手紙に大塩事件の事が書かれており、一次史料としての手紙を用いての講演は大変興味深いものでした。

Posted by katakago at 18:30
川西市仏教会の「法話の会」 [2017年06月24日(Sat)]
IMG_0001m.jpg

 一昨日、川西市仏教会主催の講演会があり参加しました。この会は、高野山真言宗・真言宗御室派・真宗大谷派・浄土宗・浄土真宗本願寺派・日蓮宗・法華宗真門流・曹洞宗・臨済宗妙心寺派の計33ヵ寺からなる宗派を超えた仏教ネットワークで、全国的に見ても珍しいとのことです。
 木田家のルーツを調べる過程で、先祖の一人木田種重が白隠禅師(臨済宗中興の祖と呼ばれている)を信奉し参禅していたことが分かり、これまで白隠関係のシンポジウムにも参加し、それがきっかけで広く仏教関係の講演にも興味を持つようになりました。
 今回は第11回目で、法話は「絵巻で見る親鸞聖人の生きた時代」(講師は浄土真宗本願寺派 常忍寺の葛野公明 師)と「忘れ去られた郷土の偉人 忍性菩薩」(講師は真言宗御室派 常福寺の向井恵峰 師)の二題でした。
 二つ目の話題の忍性(にんしょう)は、建保五年(1217)生まれの鎌倉時代の律宗(真言律宗)の僧で、房名(通称)は良観、嘉元元年(1303)に死去、嘉暦三年(1328)に後醍醐天皇により忍性菩薩の尊号を勅許された。貧民やハンセン病患者などの社会的弱者の救済に尽力したことで知られる。
 今年は生誕800年にあたり、映画「忍性」の上映も予定されています(9/20 みつなかホール文化サロン)。
 当日配布の資料によれば、15歳で仏門に入り後に西大寺叡尊の弟子となり(22歳)、42歳の時鎌倉幕府に請われ極楽寺を創建、建治元年(1275)58歳の時摂津多田院別当に就任し復興に努めたとあり、地元の多田院(現 多田神社)にも関係のある人物であることを知りました。
 
 秋には(10/25)、「みんなで歩こう川西市寺院めぐり」(多田盆地の東半分を歩く)が計画されており、スケジュールが合えば参加してみたいと思います。
Posted by katakago at 20:02
万葉講座(猪名川万葉の会 公開講座) [2017年06月11日(Sun)]
 昨日参加した万葉講座(猪名川万葉の会主催)の記事を載せておきます。猪名川万葉の会(代表は野々村さん)では、岡本三千代さん(犬養万葉記念館館長)を講師に、毎月定例の講座が開催されていますが、今回は公開講座として、服部保先生(兵庫県立大学名誉教授)による講演会が開催されました。演題は、「万葉集の植物・植生と『ゐな』について」です。
 万葉歌には160種ほどの植物が生育地の記録と共に詠まれており(約1650首)、その解析(植物相、同じ歌に詠まれている種の組み合わせ、植物と生育地の組み合わせなど)により、植物生態学の視点から万葉時代の植生景観について考察しようとする内容で、大変興味深く拝聴しました。
  
 講演会場の様子
IMG_5764m.jpg
Posted by katakago at 15:08
大阪府立大学公開講座(万葉の道を歩く 18) [2017年06月06日(Tue)]
IMG_5740m.jpg

 先日(6/3)、大阪府立大学でシリーズ「万葉の道を歩く」の18回目の講演会があり聴講しました。「万葉の神々ー神話と歴史のあいだを読むー」と題して、村田右富実先生(この四月から関西大学教授)が講演されました。
 実質的な「万葉の時代」は、舒明天皇(即位は629年)から天平宝字三年(759)の大伴家持最後の歌までのほぼ130年間とされています。講演では、この間、「神」がどのように歌われているか、柿本人麻呂歌集(万葉歌の中でも古い歌が載っている)歌で詠まれた神(庶民の崇める自然神・地祇)について、人麻呂作歌の神(天皇神格化表現ー大君は神にしませばー)について、人麻呂の吉野讃歌(持統天皇の吉野行幸時)と笠金村の吉野讃歌(聖武天皇の吉野行幸時,725年)の表現の比較、万葉末期(家持の時代)に詠まれた神について、それぞれの歌を取り上げて解説されました。

 講演会場(なかもずキャンパスUホール白鷺)の様子
IMG_5742m.jpg

  
 柿本人麻呂の天皇神格化表現についてのメモを残しておきます。
【歌】 大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬りせるかも (巻三・235)
では、天皇神格化表現として「大君は神にしませば」とあり、他の作者も含めほかに4例(巻二・205、三・241、十九・4260、十九・4261)あり、その対象はいずれも天武・持統天皇と天武天皇の皇子(忍壁・長・弓削皇子)に限られています。
 持統天皇の吉野行幸の際の人麻呂の吉野讃歌(巻一・36〜39)に関し、『新編日本古典文学全集 萬葉集』の頭注によれば、「天武天皇の代に至って、天皇の政治的地位を高め、現人神として天下を支配する力を万民に認めさせるため、自ら天つ神の直系の子孫と称し、庶民の崇める自然神・国つ神(地祇)より上位に置いて、宗教面でも絶対的な地位にあることを示そうとした。この歌は、供奉する者の代表とその立場から、国つ神の奉仕するさまを述べて帝徳を讃えた柿本人麻呂の代表的な作品」とあります。
 人麻呂の「やすみしし我が大君神ながら神さびせすと(わが大君が神であられるままに神らしく振る舞われるべく)」から、聖武天皇の吉野行幸時の笠金村の吉野讃歌(巻六・920〜922)では天皇の行為を叙しその威徳を讃美する表現はなく、歌われている「神」も「天地の神をそ祈る」と天地の神(この世のすべての神様)に戻っています。

 
Posted by katakago at 11:09
第一回とっとり弥生の王国シンポジウムー倭人の食卓 [2017年03月20日(Mon)]
IMG_5411m.jpg

 18日付けの日本海新聞朝刊で、第一回とっとり弥生の王国シンポジウム「倭人の食卓」がこの日の午後に開催されるとの記事を見つけ、折角の機会でもあり出かけてきました(鳥取県埋蔵文化財センターの主催)。鳥取市青谷町の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡(紀元前4世紀頃〜紀元3世紀の弥生時代)から出土した食材(植物種子、動物や魚の骨)を基に弥生人の食に関して講演とパネル討議が行われました。
 
 佐々木 由香さん(とっとり弥生の王国調査整備活用委員会調査研究部会委員)による「倭人の食卓ー弥生の青果」と題して行われた講演では、古人骨に残存するコラーゲン(タンパク質の一種)の化学成分分析により、何からタンパク質を得ていたかを判断できるとの発表は大変興味がありました。炭素と窒素に含まれる元素の同位体は食物の種類によって割合が異なる(海産物には重い同位体が多く、草食動物やイネなどのC3植物は少ない)。この分析手法によると、青谷上寺地遺跡の人々の食生活は、C3植物・草食動物と海生魚類の間に位置する(陸の資源と海の資源をバランスよく摂取していた)とのことでした。 

 シンポジウムの様子
IMG_5419m.jpg
Posted by katakago at 20:22
近世呉服商経営(阪大21世紀懐徳堂講座) [2017年02月27日(Mon)]
IMG_5404m.jpg

 昨日(2/26)、大阪大学21世紀懐徳堂講座が、「近世呉服商経営のダイナミズム〜ただ金銀が町人の氏系図になるぞかし」と題して開催され参加しました。自費出版本の執筆で江戸時代の両替商について調査したことがあるので、興味がありました。
 公開講座では、鈴木敦子さん(阪大大学院経済学研究科)が、「空前絶後の大安売りー三井越後屋改鋳奮戦記ー」と題して講演され、その後、鈴木さんと高田 郁さん(作家、著書に『銀二貫』,『あきない世傳 金と銀』等)による公開対談が行われました。

 鈴木さんの講演では、江戸中期(元禄〜元文期)の幕府による貨幣政策(度々貨幣改鋳が行われた)のもと、商業活動がどのように営まれたか、三井越後屋(呉服と両替)を例にして、どのように対応したかについて話されました。その一例をあげておきます。元文元年(1736)の改鋳では、増歩(ましぶ)が古金100両 → 新金100両+65両増歩となり、新旧貨幣の引き換えが始まる6月15日に、三井越後屋は現銀掛け値なしのセールを行った(この時、江戸・大坂で大量の配り札(チラシ)が配られ各店大盛況)。三井越後屋にとっては、販売で古金を多く回収できればその分、増歩で利益が得られることになる。大変興味深いお話でした。

 後半の対談は、水野晶子さん(MBSアナウンサー)の進行のもとに行われました。高田さんの時代小説は、入念な取材に基づいて時代考証がなされており、最新作の『あきない世傳 金と銀』も話題に、創作と学術的な研究活動について語られました。
Posted by katakago at 18:36
白隠禅師シンポジウム(2/18 東京) [2017年02月20日(Mon)]
IMG_0002m.jpg

 一昨日(2/18)、東京で「白隠禅師シンポジウム」が開催され出かけてきました(大手町 日経ホール)。今年は日本臨済宗中興の祖と言われる白隠禅師250年遠諱にあたり、昨年も記念行事(京博と東博での特別展や龍雲寺でのシンポジウムなど)が開催され参加してきました。今回は「白隠さんと私」をテーマに、芳澤勝弘先生(花園大学国際禅学研究所顧問)が漢文語録の『荊叢毒蘂』について、横田南嶺老師(臨済宗円覚寺派管長)が仮名法語の『夜船閑話』について解説され、その後、細川晋輔師(龍雲寺住職)の司会でお二人の講師の対談が行われました。
 白隠禅師は本来の仏教の教えとされる「いかに生きるべきか」を示すために、一般庶民に向けては多くの禅画(1万点を超えるとも)を描き、弟子たちには漢文語録を残しています。
 以前の記事にも書いていますが、祖先の一人木田種重(鉄屋の六代目)が初代鉄屋庄左衛門(木田院月桂秋圓居士)の100年忌にあたり、白隠禅師に石碑の銘文を書いてもらっています(石碑は大阪谷町9丁目の大仙寺にある)。その碑文(木田院碑)が『荊叢毒蘂』の巻七に掲載されており、その訓読・口語訳についてこれまで芳澤先生にご教示いただいてきました(それらの内容は自費出版本『木田家のルーツを尋ねるー石碑の銘文に導かれてー』に掲載)。そのご縁で今回の講演も興味がありました。
 生前に自らの語録を出版し、それをテキストとして講義した例は白隠以外には例がないそうで、『荊叢毒蘂』の初版(含章亭蔵版)には、講義を聴いた人の書入れが残されており、芳澤先生によるとこれが訓読・口語訳する上で非常に役立ったとのことです。講演ではいくつか具体例を解説していただきました。

 横田管長は、江戸時代にわが国で初めて「健康」という語句を用いた(初出は『於仁安佐美(おにあざみ)』)白隠禅師の仮名法語の『夜船閑話(やせんかんな)』をもとに、「内観の法」について話されました。
(以下、2/26追記)
 白隠禅師は『夜船閑話』序で、「もしこの法によっていくら長生きしたところで、ただ生きているだけならば、死骸のごとき肉体の番をしている幽鬼のようなものではないか。ふる狸が穴の中で眠りこけているようなものではないか。(中略) それよりは、四弘誓願による菩提心を奮い起こし、仏法の教えを説き、不生不滅、不退にして金剛堅固の真の法身を成就しようではないかと。」と述べています(芳澤先生の訳注より)。

なお、白隠禅師関連の記事は下記のURLに載せています。
自費出版本については、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1060 
京博特別展の記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1103
龍雲寺でのシンポジウムの記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1178
白隠禅師の書については、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1194


Posted by katakago at 18:54
講演会(万葉の道を歩く 17) [2017年01月28日(Sat)]
IMG_5290m.jpg

 一昨日(1/26)、6年前から大阪府立大学で始まった講演会「万葉の道を歩く」の第17回目が開催され参加しました(会場が狭いため午前午後の二回に分けて開かれ私はその午前の部に出席)。今回は、「柿本人麻呂の亡妻挽歌をよむ」と題して、村田右富実先生(大阪府立大教授)が講演されました。
 題詞に「柿本朝臣人麻呂、妻が死にし後に、泣血哀慟して作る歌二首」とあることより、「泣血哀慟歌」と呼ばれ、第一歌群(巻二・207〜209)、第二歌群(210〜212)、第二歌群の異伝(213〜216)からなり、この歌群は多くの万葉研究者に取り上げられているようです(研究者の人気投票をするとNo.1にあげられるとのこと)。この歌群については、これまでも何人かの先生方の講演を聴いていますが、今日の講演では、第一歌群(長歌と反歌)を中心に詳しく分かり易く解説していただきました。

 講演会場の様子
IMG_5291m.jpg

 今回の講演会では、本題とは直接関わらないのですが、前段で、万葉歌の表記と訓に関連する韓国の玩具「樗蒲(かりうち)」を紹介されました。
 写真は講演中に回覧された盤上遊戯「樗蒲」に使用される裏表のある4本の棒
IMG_5294m.jpg

万葉歌では、「折木四、切木四」と書いて「かり」、「諸伏」と書いて「まにまに」、「一伏三起、一伏三向」と書いて「ころ、ごろ」、「三伏一向」と書いて「つく、づく」と読み解かれており、これは写真の4本の棒の目の出方に基づく。「万葉歌の表記と韓国の玩具 柶戯(ユンノリ)」について、以前(2015/1/28)の記事に載せています。
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/950

 『和名類聚抄』にある「樗蒲(ちょぼ、和名 かりうち)」は、現在も韓国で遊ばれているゲーム「ユンノリ」と関係が深いと考えられています。2年前の新聞記事(2015/5/22)は、平城京跡南側の遺構で1989年に見つかっていた土師器の皿(8世紀前半)が、その「ユンノリ」に似たゲーム盤に使われていた可能性があるとの、奈良文化財研究所の発表を報じています。万葉歌の研究成果と合わせ、古代日本に「樗蒲」というユンノリに似た盤上ゲームが行われていたと推定されています。詳細は、奈良文化財研究所ホームページの『古代の盤上遊戯「樗蒲(かりうち)の復元』に載っています。
http://repository.nabunken.go.jp/dspace/handle/11177/5571

Posted by katakago at 15:30
講演会「猪名川上流域の遺跡」 [2016年12月28日(Wed)]
IMG_5123.jpg

 先日(12/25)、「新発見 猪名川上流域の遺跡ー新名神高速道路調査成果から―」と題して、講演会とミニシンポジウムが開催され(於 川西市中央公民館)、聴講しました。
 写真は「ヤマト政権成立時における猪名川ルートの重要性」と題して基調講演される福永伸哉先生(大阪大学大学院教授)。4世紀〜6世紀にかけて、猪名川流域とその近傍(長尾山丘陵、池田、待兼山丘陵、豊中台地、猪名野)には多数の首長墓が存在し、ヤマト政権はこれらの勢力と連携して、摂津から北上して日本海に至る南北ルート(半島から鉄を入手する経路として)を開拓していた可能性について触れられた。考古学的知見では、猪名川流域で突線鈕式銅鐸が多く出土しており(川西市の栄根遺跡からは1mを超える銅鐸が出土)、同じ形式のものが北近畿の由良川や円山川流域からも見つかっているとのことです。そこでこれらの地域は弥生時代後期から既に交流があったのではないかとみられています。今後、これらの中間にあたる丹波地方などでも銅鐸が発見されるか注目されます。
 
 新名神高速道路建設に伴う発掘調査は、(公財)兵庫県まちづくり技術センターにより続けられてきており、2年前にも途中経過の報告が川西市で行われています。調査地区が川西市北部と猪名川町にまたがることより、今回は両市の教育委員会の共催で開催されました。
 調査報告で興味があった点は、
・猪名川町の広根遺跡西側の観音寺遺跡から石器(刃器、石鏃)が出土(猪名川町最古の人類の痕跡)・・・報告は別府洋二氏
・石道才谷・堂ノ後遺跡が奈良時代に存在した官営牧場の「畦野牧」の可能性について・・・報告は久保弘幸氏(前回報告記事にも掲載)

 シンポジウムに参加された方々
IMG_5125m.jpg

2年前の講演会の記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/893
福永先生の関連講演の記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/676
Posted by katakago at 19:34
平成28年度 瀬戸内海文化を考える会 [2016年11月15日(Tue)]
 先週後半(10−12日)、今年の「瀬戸内海文化を考える会」の行事(文化フォーラムと万葉ツアー)が、長崎県対馬市と壱岐市で開催され出かけてきました。一昨年の淡路島、昨年の太宰府市に続いての参加です。帰って翌日は来月10日に控えた尺八演奏会のリハーサルがあり、記事を書くのが遅くなりましたが、以下写真とメモを残しておきます。
【1日目 文化フォーラム】
  対馬交流センターで開催された文化フォーラムでは、お二人の先生が講演されました。
 山田洋嗣先生(福岡大学教授)の演題は「対馬宗家文庫本『歌枕名寄』の不思議」。『歌枕名寄』は、『万葉集』以下の和歌に詠まれてきた地名のすべてを網羅して作られ、対馬宗家文庫本のそれは、奥書によれば室町時代末の永禄十二年(1569)に書写されたもので、対馬の地名が詠まれた歌には、対馬の地誌を実地に知っている江戸期とみられる人の書入れがあり興味深いお話でした。
 内田賢徳先生(京都大学名誉教授)の演題は「壱岐・対馬の万葉集歌」。『万葉集』巻十五の前半には遣新羅使人の歌145首が置かれ、壱岐で詠まれた歌9首(3688〜3696)、対馬で詠まれた歌21首(3697〜3717)があり、それらの歌について解説されました。この時の遣新羅使は天平八年(736)で、壱岐島で一行の一人雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)が悪病に罹って亡くなり、新羅では使いの旨を拒否されるという侮辱的な扱いを受け、帰国途中に大使阿倍朝臣継麻呂が対馬で亡くなり、副使の大伴宿祢三中は病気に感染して入京が遅れた(『続日本紀』)。
 翌日以降の万葉ツアーでは、壱岐で詠まれた雪連宅満の死を悼む挽歌の歌碑や宅萬の墓とされる場所を訪れ、対馬でも歌が詠まれたゆかりの地と歌碑を訪ねました。 
 内田先生の講演の様子
IMG_4877m.jpg

【2日目 万葉ツアー 対馬】
 万関橋北詰の萬葉歌碑(対馬市美津島町久須保)
【歌】 潮干なば またも我来む いざ行かむ 沖つ潮さゐ 高く立ち来ぬ (巻十五・3710)
【口語訳】 潮が干たら またわたしは帰って来よう さあ出かけよう 沖の潮鳴りも 音高くなってきた
IMG_4887m.jpg

 万関橋からの眺め(この橋は旧日本海軍が明治33年に掘削した人工の瀬戸に架かり対馬の上下島を結ぶ)
IMG_4884m.jpg

 竹敷の宇敝可多山(うへかたやま)の歌碑(対馬市美津島町竹敷)
【歌】 竹敷の 宇敝可多山は 紅の 八入の色に なりにけるかも (巻十五・3703 少判官)
【口語訳】 竹敷の 宇敝可多山は 紅染めの 八(や)しおの濃さに 染まったなあ 
IMG_4900m.jpg

 平舘英子先生(日本女子大学名誉教授)による解説の様子
IMG_4904m.jpg

 竹敷の浦の万葉歌碑(対馬市美津島町 上見坂展望台)
【歌】 竹敷の 浦廻の黄葉 我行きて 帰り来るまで 散りこすなゆめ (巻十五・3702 大判官)
【口語訳】 竹敷の 湾内の紅葉よ わたしが新羅へ行って 帰って来るまで 散ってくれるな決して
IMG_4912m.jpg

 竹敷の浦に停泊した時に詠まれた歌は18首あり、これら2首の前に次の副使の歌がある。
【歌】 竹敷の 黄葉を見れば 我妹子が 待たむと言ひし 時そ来にける (3701)
【口語訳】 竹敷の 紅葉を見ると いとしい妻が お待ちしていますと言った その時が来たのだなあ
 他にも秋の帰国が予定されていたことを示す、「秋さらば相見むものを」(3581)や「秋風の吹かむその月逢はむものゆゑ」(3586)ながあり、いまだ新羅に向けて渡海できないでいるうちにその時が来てしまったことを嘆いている。

 対馬グランドホテル玄関そばの万葉歌碑(対馬市美津島町鶏知甲)
【歌】 百船の 泊つる対馬の 浅茅山 しぐれの雨に もみたひにけり (巻十五・3697)
【口語訳】 多くの船が 泊る津の島ー対馬の 浅茅山は しぐれの雨で 紅葉してしまった
IMG_4907m.jpg

 和多都美(わたづみ)神社(対馬市豊玉町仁位) 御祭神は彦火々出見尊と豊玉姫命
 珍しい三角形の鳥居と後方に社殿
IMG_4895m.jpg

 海の中の鳥居
IMG_4890m.jpg

 和多都美神社の奥にある磐座(いわくら)
IMG_4898m.jpg 

 万松院(対馬市厳原町)
対馬を統治した宗家の菩提寺で、寺号は19代義智(よしとし)の法号万松院に因る。
 墓所に至る石段(百雁木と呼ばれる)
IMG_4919m.jpg

 中興の祖とも評される21代(三代藩主)義真(よしざね)と夫人の墓
IMG_4923m.jpg

 壱岐に向かうフェリーから見た夕日
IMG_4963m.jpg

【壱岐】
 2日目の夕食会場の様子
 懇親会の席では会の代表の坂本信幸先生が司会をされ、大村一郎氏(神奈川県立横浜第一中学校時代に犬養先生の授業を受けられた)や、星野和央氏(犬養先生の著書『万葉の旅』の編集担当者)などがそれぞれの思い出を話される中、私も坂本先生から指名され猪名川万葉植物園のPRをさせていただきました。参加者から見学希望の申し出もいただきました。
IMG_4970m.jpg

【3日目 万葉ツアー 壱岐】
 壱岐島内を巡りました(萬葉公園の歌碑、雪連宅満の墓、河合曾良の墓、岳の辻展望台、折口信夫の歌碑)。
 萬葉公園の歌碑(壱岐市石田町本村触)
【歌】 石田野に 宿りする君 家人の いづらと我を 問はばいかに言はむ (巻十五・3689)
【口語訳】 石田野(いわたの)に 旅寝する君よ ご家族に どうしたのですかと 尋ねられたら何と言おうか
IMG_4975m.jpg

 折口信夫(釈迢空)の歌碑(壱岐市郷ノ浦町 岳の辻展望台そば)
民間伝承採訪のため来島(大正10,13年)した折の作とされる。
【歌】 葛の花 踏みしだかれて 色あたらし この山道を 行きし人あり
IMG_4993m.jpg

 壱岐から博多へ(ジェットフォイルで約一時間)
IMG_4997m.jpg

一昨年(淡路島)と昨年(太宰府)での記事は次のURLに載せています。
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/918
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1057

Posted by katakago at 10:40
| 次へ
プロフィール

katakagoさんの画像
カテゴリアーカイブ
リンク集
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/index2_0.xml