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第一回とっとり弥生の王国シンポジウムー倭人の食卓 [2017年03月20日(Mon)]
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 18日付けの日本海新聞朝刊で、第一回とっとり弥生の王国シンポジウム「倭人の食卓」がこの日の午後に開催されるとの記事を見つけ、折角の機会でもあり出かけてきました(鳥取県埋蔵文化財センターの主催)。鳥取市青谷町の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡(紀元前4世紀頃〜紀元3世紀の弥生時代)から出土した食材(植物種子、動物や魚の骨)を基に弥生人の食に関して講演とパネル討議が行われました。
 
 佐々木 由香さん(とっとり弥生の王国調査整備活用委員会調査研究部会委員)による「倭人の食卓ー弥生の青果」と題して行われた講演では、古人骨に残存するコラーゲン(タンパク質の一種)の化学成分分析により、何からタンパク質を得ていたかを判断できるとの発表は大変興味がありました。炭素と窒素に含まれる元素の同位体は食物の種類によって割合が異なる(海産物には重い同位体が多く、草食動物やイネなどのC3植物は少ない)。この分析手法によると、青谷上寺地遺跡の人々の食生活は、C3植物・草食動物と海生魚類の間に位置する(陸の資源と海の資源をバランスよく摂取していた)とのことでした。 

 シンポジウムの様子
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Posted by katakago at 20:22
近世呉服商経営(阪大21世紀懐徳堂講座) [2017年02月27日(Mon)]
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 昨日(2/26)、大阪大学21世紀懐徳堂講座が、「近世呉服商経営のダイナミズム〜ただ金銀が町人の氏系図になるぞかし」と題して開催され参加しました。自費出版本の執筆で江戸時代の両替商について調査したことがあるので、興味がありました。
 公開講座では、鈴木敦子さん(阪大大学院経済学研究科)が、「空前絶後の大安売りー三井越後屋改鋳奮戦記ー」と題して講演され、その後、鈴木さんと高田 郁さん(作家、著書に『銀二貫』,『あきない世傳 金と銀』等)による公開対談が行われました。

 鈴木さんの講演では、江戸中期(元禄〜元文期)の幕府による貨幣政策(度々貨幣改鋳が行われた)のもと、商業活動がどのように営まれたか、三井越後屋(呉服と両替)を例にして、どのように対応したかについて話されました。その一例をあげておきます。元文元年(1736)の改鋳では、増歩(ましぶ)が古金100両 → 新金100両+65両増歩となり、新旧貨幣の引き換えが始まる6月15日に、三井越後屋は現銀掛け値なしのセールを行った(この時、江戸・大坂で大量の配り札(チラシ)が配られ各店大盛況)。三井越後屋にとっては、販売で古金を多く回収できればその分、増歩で利益が得られることになる。大変興味深いお話でした。

 後半の対談は、水野晶子さん(MBSアナウンサー)の進行のもとに行われました。高田さんの時代小説は、入念な取材に基づいて時代考証がなされており、最新作の『あきない世傳 金と銀』も話題に、創作と学術的な研究活動について語られました。
Posted by katakago at 18:36
白隠禅師シンポジウム(2/18 東京) [2017年02月20日(Mon)]
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 一昨日(2/18)、東京で「白隠禅師シンポジウム」が開催され出かけてきました(大手町 日経ホール)。今年は日本臨済宗中興の祖と言われる白隠禅師250年遠諱にあたり、昨年も記念行事(京博と東博での特別展や龍雲寺でのシンポジウムなど)が開催され参加してきました。今回は「白隠さんと私」をテーマに、芳澤勝弘先生(花園大学国際禅学研究所顧問)が漢文語録の『荊叢毒蘂』について、横田南嶺老師(臨済宗円覚寺派管長)が仮名法語の『夜船閑話』について解説され、その後、細川晋輔師(龍雲寺住職)の司会でお二人の講師の対談が行われました。
 白隠禅師は本来の仏教の教えとされる「いかに生きるべきか」を示すために、一般庶民に向けては多くの禅画(1万点を超えるとも)を描き、弟子たちには漢文語録を残しています。
 以前の記事にも書いていますが、祖先の一人木田種重(鉄屋の六代目)が初代鉄屋庄左衛門(木田院月桂秋圓居士)の100年忌にあたり、白隠禅師に石碑の銘文を書いてもらっています(石碑は大阪谷町9丁目の大仙寺にある)。その碑文(木田院碑)が『荊叢毒蘂』の巻七に掲載されており、その訓読・口語訳についてこれまで芳澤先生にご教示いただいてきました(それらの内容は自費出版本『木田家のルーツを尋ねるー石碑の銘文に導かれてー』に掲載)。そのご縁で今回の講演も興味がありました。
 生前に自らの語録を出版し、それをテキストとして講義した例は白隠以外には例がないそうで、『荊叢毒蘂』の初版(含章亭蔵版)には、講義を聴いた人の書入れが残されており、芳澤先生によるとこれが訓読・口語訳する上で非常に役立ったとのことです。講演ではいくつか具体例を解説していただきました。

 横田管長は、江戸時代にわが国で初めて「健康」という語句を用いた(初出は『於仁安佐美(おにあざみ)』)白隠禅師の仮名法語の『夜船閑話(やせんかんな)』をもとに、「内観の法」について話されました。
(以下、2/26追記)
 白隠禅師は『夜船閑話』序で、「もしこの法によっていくら長生きしたところで、ただ生きているだけならば、死骸のごとき肉体の番をしている幽鬼のようなものではないか。ふる狸が穴の中で眠りこけているようなものではないか。(中略) それよりは、四弘誓願による菩提心を奮い起こし、仏法の教えを説き、不生不滅、不退にして金剛堅固の真の法身を成就しようではないかと。」と述べています(芳澤先生の訳注より)。

なお、白隠禅師関連の記事は下記のURLに載せています。
自費出版本については、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1060 
京博特別展の記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1103
龍雲寺でのシンポジウムの記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1178
白隠禅師の書については、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1194


Posted by katakago at 18:54
講演会(万葉の道を歩く 17) [2017年01月28日(Sat)]
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 一昨日(1/26)、6年前から大阪府立大学で始まった講演会「万葉の道を歩く」の第17回目が開催され参加しました(会場が狭いため午前午後の二回に分けて開かれ私はその午前の部に出席)。今回は、「柿本人麻呂の亡妻挽歌をよむ」と題して、村田右富実先生(大阪府立大教授)が講演されました。
 題詞に「柿本朝臣人麻呂、妻が死にし後に、泣血哀慟して作る歌二首」とあることより、「泣血哀慟歌」と呼ばれ、第一歌群(巻二・207〜209)、第二歌群(210〜212)、第二歌群の異伝(213〜216)からなり、この歌群は多くの万葉研究者に取り上げられているようです(研究者の人気投票をするとNo.1にあげられるとのこと)。この歌群については、これまでも何人かの先生方の講演を聴いていますが、今日の講演では、第一歌群(長歌と反歌)を中心に詳しく分かり易く解説していただきました。

 講演会場の様子
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 今回の講演会では、本題とは直接関わらないのですが、前段で、万葉歌の表記と訓に関連する韓国の玩具「樗蒲(かりうち)」を紹介されました。
 写真は講演中に回覧された盤上遊戯「樗蒲」に使用される裏表のある4本の棒
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万葉歌では、「折木四、切木四」と書いて「かり」、「諸伏」と書いて「まにまに」、「一伏三起、一伏三向」と書いて「ころ、ごろ」、「三伏一向」と書いて「つく、づく」と読み解かれており、これは写真の4本の棒の目の出方に基づく。「万葉歌の表記と韓国の玩具 柶戯(ユンノリ)」について、以前(2015/1/28)の記事に載せています。
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/950

 『和名類聚抄』にある「樗蒲(ちょぼ、和名 かりうち)」は、現在も韓国で遊ばれているゲーム「ユンノリ」と関係が深いと考えられています。2年前の新聞記事(2015/5/22)は、平城京跡南側の遺構で1989年に見つかっていた土師器の皿(8世紀前半)が、その「ユンノリ」に似たゲーム盤に使われていた可能性があるとの、奈良文化財研究所の発表を報じています。万葉歌の研究成果と合わせ、古代日本に「樗蒲」というユンノリに似た盤上ゲームが行われていたと推定されています。詳細は、奈良文化財研究所ホームページの『古代の盤上遊戯「樗蒲(かりうち)の復元』に載っています。
http://repository.nabunken.go.jp/dspace/handle/11177/5571

Posted by katakago at 15:30
講演会「猪名川上流域の遺跡」 [2016年12月28日(Wed)]
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 先日(12/25)、「新発見 猪名川上流域の遺跡ー新名神高速道路調査成果から―」と題して、講演会とミニシンポジウムが開催され(於 川西市中央公民館)、聴講しました。
 写真は「ヤマト政権成立時における猪名川ルートの重要性」と題して基調講演される福永伸哉先生(大阪大学大学院教授)。4世紀〜6世紀にかけて、猪名川流域とその近傍(長尾山丘陵、池田、待兼山丘陵、豊中台地、猪名野)には多数の首長墓が存在し、ヤマト政権はこれらの勢力と連携して、摂津から北上して日本海に至る南北ルート(半島から鉄を入手する経路として)を開拓していた可能性について触れられた。考古学的知見では、猪名川流域で突線鈕式銅鐸が多く出土しており(川西市の栄根遺跡からは1mを超える銅鐸が出土)、同じ形式のものが北近畿の由良川や円山川流域からも見つかっているとのことです。そこでこれらの地域は弥生時代後期から既に交流があったのではないかとみられています。今後、これらの中間にあたる丹波地方などでも銅鐸が発見されるか注目されます。
 
 新名神高速道路建設に伴う発掘調査は、(公財)兵庫県まちづくり技術センターにより続けられてきており、2年前にも途中経過の報告が川西市で行われています。調査地区が川西市北部と猪名川町にまたがることより、今回は両市の教育委員会の共催で開催されました。
 調査報告で興味があった点は、
・猪名川町の広根遺跡西側の観音寺遺跡から石器(刃器、石鏃)が出土(猪名川町最古の人類の痕跡)・・・報告は別府洋二氏
・石道才谷・堂ノ後遺跡が奈良時代に存在した官営牧場の「畦野牧」の可能性について・・・報告は久保弘幸氏(前回報告記事にも掲載)

 シンポジウムに参加された方々
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2年前の講演会の記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/893
福永先生の関連講演の記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/676
Posted by katakago at 19:34
平成28年度 瀬戸内海文化を考える会 [2016年11月15日(Tue)]
 先週後半(10−12日)、今年の「瀬戸内海文化を考える会」の行事(文化フォーラムと万葉ツアー)が、長崎県対馬市と壱岐市で開催され出かけてきました。一昨年の淡路島、昨年の太宰府市に続いての参加です。帰って翌日は来月10日に控えた尺八演奏会のリハーサルがあり、記事を書くのが遅くなりましたが、以下写真とメモを残しておきます。
【1日目 文化フォーラム】
  対馬交流センターで開催された文化フォーラムでは、お二人の先生が講演されました。
 山田洋嗣先生(福岡大学教授)の演題は「対馬宗家文庫本『歌枕名寄』の不思議」。『歌枕名寄』は、『万葉集』以下の和歌に詠まれてきた地名のすべてを網羅して作られ、対馬宗家文庫本のそれは、奥書によれば室町時代末の永禄十二年(1569)に書写されたもので、対馬の地名が詠まれた歌には、対馬の地誌を実地に知っている江戸期とみられる人の書入れがあり興味深いお話でした。
 内田賢徳先生(京都大学名誉教授)の演題は「壱岐・対馬の万葉集歌」。『万葉集』巻十五の前半には遣新羅使人の歌145首が置かれ、壱岐で詠まれた歌9首(3688〜3696)、対馬で詠まれた歌21首(3697〜3717)があり、それらの歌について解説されました。この時の遣新羅使は天平八年(736)で、壱岐島で一行の一人雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)が悪病に罹って亡くなり、新羅では使いの旨を拒否されるという侮辱的な扱いを受け、帰国途中に大使阿倍朝臣継麻呂が対馬で亡くなり、副使の大伴宿祢三中は病気に感染して入京が遅れた(『続日本紀』)。
 翌日以降の万葉ツアーでは、壱岐で詠まれた雪連宅満の死を悼む挽歌の歌碑や宅萬の墓とされる場所を訪れ、対馬でも歌が詠まれたゆかりの地と歌碑を訪ねました。 
 内田先生の講演の様子
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【2日目 万葉ツアー 対馬】
 万関橋北詰の萬葉歌碑(対馬市美津島町久須保)
【歌】 潮干なば またも我来む いざ行かむ 沖つ潮さゐ 高く立ち来ぬ (巻十五・3710)
【口語訳】 潮が干たら またわたしは帰って来よう さあ出かけよう 沖の潮鳴りも 音高くなってきた
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 万関橋からの眺め(この橋は旧日本海軍が明治33年に掘削した人工の瀬戸に架かり対馬の上下島を結ぶ)
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 竹敷の宇敝可多山(うへかたやま)の歌碑(対馬市美津島町竹敷)
【歌】 竹敷の 宇敝可多山は 紅の 八入の色に なりにけるかも (巻十五・3703 少判官)
【口語訳】 竹敷の 宇敝可多山は 紅染めの 八(や)しおの濃さに 染まったなあ 
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 平舘英子先生(日本女子大学名誉教授)による解説の様子
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 竹敷の浦の万葉歌碑(対馬市美津島町 上見坂展望台)
【歌】 竹敷の 浦廻の黄葉 我行きて 帰り来るまで 散りこすなゆめ (巻十五・3702 大判官)
【口語訳】 竹敷の 湾内の紅葉よ わたしが新羅へ行って 帰って来るまで 散ってくれるな決して
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 竹敷の浦に停泊した時に詠まれた歌は18首あり、これら2首の前に次の副使の歌がある。
【歌】 竹敷の 黄葉を見れば 我妹子が 待たむと言ひし 時そ来にける (3701)
【口語訳】 竹敷の 紅葉を見ると いとしい妻が お待ちしていますと言った その時が来たのだなあ
 他にも秋の帰国が予定されていたことを示す、「秋さらば相見むものを」(3581)や「秋風の吹かむその月逢はむものゆゑ」(3586)ながあり、いまだ新羅に向けて渡海できないでいるうちにその時が来てしまったことを嘆いている。

 対馬グランドホテル玄関そばの万葉歌碑(対馬市美津島町鶏知甲)
【歌】 百船の 泊つる対馬の 浅茅山 しぐれの雨に もみたひにけり (巻十五・3697)
【口語訳】 多くの船が 泊る津の島ー対馬の 浅茅山は しぐれの雨で 紅葉してしまった
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 和多都美(わたづみ)神社(対馬市豊玉町仁位) 御祭神は彦火々出見尊と豊玉姫命
 珍しい三角形の鳥居と後方に社殿
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 海の中の鳥居
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 和多都美神社の奥にある磐座(いわくら)
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 万松院(対馬市厳原町)
対馬を統治した宗家の菩提寺で、寺号は19代義智(よしとし)の法号万松院に因る。
 墓所に至る石段(百雁木と呼ばれる)
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 中興の祖とも評される21代(三代藩主)義真(よしざね)と夫人の墓
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 壱岐に向かうフェリーから見た夕日
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【壱岐】
 2日目の夕食会場の様子
 懇親会の席では会の代表の坂本信幸先生が司会をされ、大村一郎氏(神奈川県立横浜第一中学校時代に犬養先生の授業を受けられた)や、星野和央氏(犬養先生の著書『万葉の旅』の編集担当者)などがそれぞれの思い出を話される中、私も坂本先生から指名され猪名川万葉植物園のPRをさせていただきました。参加者から見学希望の申し出もいただきました。
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【3日目 万葉ツアー 壱岐】
 壱岐島内を巡りました(萬葉公園の歌碑、雪連宅満の墓、河合曾良の墓、岳の辻展望台、折口信夫の歌碑)。
 萬葉公園の歌碑(壱岐市石田町本村触)
【歌】 石田野に 宿りする君 家人の いづらと我を 問はばいかに言はむ (巻十五・3689)
【口語訳】 石田野(いわたの)に 旅寝する君よ ご家族に どうしたのですかと 尋ねられたら何と言おうか
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 折口信夫(釈迢空)の歌碑(壱岐市郷ノ浦町 岳の辻展望台そば)
民間伝承採訪のため来島(大正10,13年)した折の作とされる。
【歌】 葛の花 踏みしだかれて 色あたらし この山道を 行きし人あり
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 壱岐から博多へ(ジェットフォイルで約一時間)
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一昨年(淡路島)と昨年(太宰府)での記事は次のURLに載せています。
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/918
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1057

Posted by katakago at 10:40
白隠さんと出会う(東京世田谷の龍雲寺で) [2016年10月23日(Sun)]
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昨日(10/22)は、21日から東京世田谷の龍雲寺(臨済宗妙心寺派)で2日間限りで開催された企画展とトーク講座「白隠さんと出会う」の2日目に参加してきました。翌日は地元の秋祭りのため日帰りの旅行でしたが、充実した一日でした。
 今年は臨済宗を開いた臨済義玄禅師の1150年遠諱(おんき)、来年は臨済宗中興の祖とされる白隠禅師の250年遠諱にあたり、特別展「禅ー心をかたちに」が春には京博で開催され、東博では現在開催中で、これに合わせて龍雲寺所蔵の白隠の書画52点の展示と講演会が企画されました。
 私は、昨年自費出版した本『木田家のルーツを尋ねるー石碑の銘文に導かれてー』の調査執筆過程で、祖先の一人木田種重(鉄屋庄左衛門 寂堂萬翁元照居士)が白隠を信奉し、白隠の漢文語録『荊叢毒蘂』の刊行に際し資金援助したことを知り、以来白隠に関心を持つようになりました。白隠と種重との関係について教えていただいたのは芳澤勝弘先生(当時花園大学教授)で、今回のトーク講座の講師のお一人でした。

 なお自費出版本については次のURLに載せています。
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1060 

 大澤山 龍雲寺の山門(世田谷区野沢)
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 本堂での講演 「白隠禅の声をきく」と題して講演される住職の細川晋輔師)
「衆生本来仏なり」で始まる「白隠禅師座禅和讃」について解説されました(自身のうちに宿る「幸せな心」に気付くための白隠からのメッセージ)。
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 「白隠禅の声をきく」と題して講演される芳澤勝弘先生
 白隠は禅の教えを説くために多くの墨蹟を残していますが、その画を通して何を訴えようとしているか素人にはなかなか分かり難い。この講演では、四つの画(雷神図、鳥刺し図、布袋お福を吹く図、布袋渡河図)を取り上げて解説されました。
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 布袋渡河図
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 龍雲寺所蔵の白隠書画(先代の住職細川景一師が収集された52点)はガラス越しではなくまじかに鑑賞できるように展示されており、有り難い事にはこの種の展覧会には珍しく写真撮影も自由でした(いくつか掲載させていただきます)。
 床の間に掛けられている様子
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 「達磨」
 画賛の「直指人心 見性成仏」は、「まっすぐに自分の心を見つめ、自身の心が仏心にほかならないことに気づきなさい」という達磨大師の教えを説いたもの  
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 「人丸」
 人丸は柿本人麻呂で、衣には文字絵で和歌(ほのぼのと あかしの浦の 朝霧に 嶋かくれゆく ふねをしぞ思ふ)がかかれている。左の画賛には、「焼亡は かきの本まで 来たれども あかしと云へは 爰(ここ)に火とまる」とある。
 歌聖とされた柿本人麻呂は平安時代末期には人丸影供(えいぐ)が行われていた(歌会に際し人麻呂像をかかげこれに香華供物を備える儀式)。また、「人丸=火止まる」から、人丸は俗信で火伏の神ともなった。
 芳澤先生は、『花園』(第66巻 9号)で、この画について解説されており、この火除けの賛はおまけで、大事なのは和歌だと次のように述べられています。「ほのぼのとしていて、見ることも聞くこともできない、それでいて、確かに在る”こころ”、本有の自性のありようを表したものが、人丸像です」と。
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Posted by katakago at 18:03
萬葉学会公開講演会(10/8) [2016年10月09日(Sun)]
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 昨日(10/8)から奈良大学で第69回萬葉学会全国大会が開催されています。初日の公開講演会に出席しお二人の先生の講演を聴講しました。
 鉄野昌弘先生(東京大学大学院教授)は、結節点としての「亡妾悲傷歌」と題して話されました。大伴家持は天平十一年(739)、22歳で妾(おみなめ)を亡くし、その悲しみを歌った歌群が「亡妾悲傷歌」(B-462〜74)と言われています。これらの歌には、先行作品(大伴旅人の亡妻挽歌、山上憶良の日本挽歌、柿本人麻呂の泣血哀慟歌や大伴坂上郎女、余明軍、沙弥満誓の歌)に類似した表現があることより、先人に導かれながらの習作との評価がされがちだが、本格的に過去の和歌史に向き合ってこの歌群を制作し、その先へ進もうとする家持の意欲を見て取るべきとの見方を示されました。
 講演される鉄野昌弘先生
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 寺崎保広先生(奈良大学教授)は、「木簡と文書の世紀」と題して話されました。日本古代の木簡出土点数は30万点を超え、時代によって大きな偏りがある。1万点に満たない飛鳥時代から、藤原宮期には出土量が増え(3.8万点)、奈良時代には平城宮・京跡で激増(28万点)しており、長岡京では減少に転じ、平安京では極端に少なくなるとのことです。大宝元年(701)に大宝律令が制定され律令国家がスタートし、それを支えたのが官僚の作成した文書による支配(文書行政)で、これと連動して木簡使用も増加したと考えられています。その一例として紹介された「考選制度」に関して、長屋王家に仕える下級役人の勤務評定の実例など興味深い話がありました。

 
Posted by katakago at 13:03
万葉講座(古代の猪名・万葉の猪名) [2016年09月04日(Sun)]
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 今日の午後、隣町の川辺郡猪名川町で活動されている「猪名川万葉の会」主催の万葉講座があり出かけてきました。講師は大阪府立大学の村田右富実先生で、「古代の猪名・万葉の猪名ー山・川・野・みなと―」と題して話されました。
 最初に『住吉大社神代記』(平安時代初期の成立とみられる住吉大社の縁起)に記された河辺郡(かはへのこほり)の為奈山(ゐなやま)と為奈河(ゐながは)について解説され、そのなかで為奈河と武庫川の女(めがみ)が住吉の大神を巡って争った話が出てきました。万葉では一人の女性を巡って複数の男が争うのが通例ですが、この『住吉大社神代記』に出てくる話は古代では稀な例のようです。
 万葉関連では、猪名山、猪名川、猪名野、猪名のみなとが詠まれた歌を解説していただきました。それらの歌を載せておきます。
【歌】 しなが鳥 猪名山とよに 行く水の 名のみ寄そりし 隠り妻はも (J-2708)
【歌】 かくのみに ありけるものを 猪名川の 奥を深めて 我が思へりける (O-3804)
【歌】 我妹子に 猪名野は見せつ 名次山 角の松原 いつか示さむ (B-279 高市連黒人)
【歌】 しなが鳥 猪名野を来れば 有間山 夕霧立ちぬ やどりはなくて (F-1140)
【歌】 大き海に あらしな吹きそ しなが鳥 猪名のみなとに 舟泊つるまで (F-1189)



Posted by katakago at 18:30
大阪府立大学公開講座(万葉シンポジウム) [2016年08月28日(Sun)]
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 昨日(8/27)、大阪府立大学の公開講座(万葉シンポジウム)があり聴講しました。テーマは「額田王に向き合うー万葉表現の基層ー」で、三人の先生が講演された後、会場からの質問にも答えるかたちで額田王について討論がなされました。
 先ず、身ア 壽先生(北大名誉教授)が、「雑歌を通して見た歌人額田王」と題して基調講演され、続いて廣川晶輝先生(甲南大教授)が「額田王と相聞歌」、村田右富実先生(大阪府大教授)が「額田王と挽歌」と題して講演されました(ちなみに村田・廣川両先生は北大出身で共に身ア先生の門下)。
 身ア先生の講演を聴講するのは今回が初めてです。斉明朝に詠まれた「宇治のみやこの歌」(@-7)、「熟田津の歌」(@-8)、と中大兄称制時の「三輪山惜別の歌」(@-17,18)はいずれも左注に、山上憶良の類聚歌林にはそれぞれ大御歌、天皇の御製、御歌とあり、この時期の歌(いずれも雑歌)は、天皇の意を体して天皇になり代わって詠まれたとする見方があります(代作歌人)。天智朝になって(代作歌人から脱皮して)歌の内容が変わってきており、身ア先生は、額田王の作品・表現から、鮮明な個性の輝きを持つ一つの表現主体の存在をみとめ、額田王を和歌史における初めての歌人誕生とみられています。
 
 シンポジウムでの様子
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Posted by katakago at 17:57
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