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全国万葉協会のお花見ー琵琶湖岸(海津大崎)の桜クルーズ [2019年04月06日(Sat)]
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 全国万葉協会恒例のお花見は、今年は、琵琶湖岸(海津大崎付近)の桜を船上から眺めようとのことで、朝から出かけてきました。JR近江今津駅に集合し、今津港から乗船して80分ほどのクルーズを楽しみました。但し、お目当ての桜(ソメイヨシノ)の方は見ごろとなるのはもう少し先のようでした。
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 山の斜面に一本だけ花が咲いている桜の木を見つけました。 
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【歌】 山峡に 咲ける桜を ただ一目 君に見せてば 何をか思はむ (巻十七・3967 大伴池主)
【口語訳】 山あいに 咲いている桜を 一目でも あなたにお見せできたら 何を不足に思いましょう
巻十七には、越中赴任中に病気を患った家持と池主との歌のやり取りが書簡体の漢文を伴って載っています。これは池主が家持にあてた歌で、病苦の家持に見せてやれないことを残念に思って詠まれています。

 桜クルーズを楽しんだ後は、JRで唐崎駅まで戻り、唐崎神社と唐崎苑の万葉歌碑を訪ねました。
 唐崎神社から三上山(近江富士)を望む
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 唐崎神社境内では地元名物の御手洗団子もいただきました。
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 唐崎苑の歌碑の前で歌の解説を聴きました。
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 唐崎苑の万葉歌碑
 佐佐木幸綱先生揮毫
柿本人麻呂の近江荒都歌の反歌
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【歌】 楽浪の 志賀の唐崎 幸くあれど 大宮人の 船待ちかねつ (巻一・30)
【口語訳】 楽浪(ささなみ)の 志賀の唐崎は 昔と変わらずにあるが 昔の大宮人の 船が来るのを待ちかねている  

 中西 進先生揮毫
天智天皇崩御後、大殯(おおあらき)の時の挽歌
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【歌】 やすみしし わご大君の 大御船 待ちか恋ふらむ 志賀の唐崎 (巻二・152 舎人吉年)
【口語訳】 (やすみしし) わが大君の お船を 待ち焦がれていることだろうか 志賀の唐崎は

Posted by katakago at 21:28
まちかね祭(阪大豊中キャンパス) [2018年11月02日(Fri)]
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 今日から3日間、大阪大学豊中キャンパスで大学祭(まちかね祭)が開催されています。同窓会の案内でこの開催を知り、午後から出かけてきました。
 このまちかね祭には7年前に一度訪れ、その際、邦楽サークルの「銀簫会」の演奏を聴きました。今回もお琴と尺八の演奏会場をのぞいてみました。ちょうど「三段の調」(久本玄智 作曲)の演奏が始まる直前でした。この曲は、練習の初めの頃に習った曲で大変懐かしく聴きました。
 以下スナップ写真を載せておきます。
 メイン通路の両側には多くの模擬店が並び賑わっていました。
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 ジャグリング会場(旧浪高庭園そば)
高校2年の孫娘がジャグリングのクラブに入っているとのことで興味があり立ち寄ってみました。
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 ジャグリングサークルPatioのメンバーによるパフォーマンス
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 ステージ宙ではアカペラサークルの演奏
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Posted by katakago at 16:46
川西市仏教会主催の行事(寺院めぐり)に参加 [2018年10月26日(Fri)]
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 今日は、川西市仏教会主催の「第12回みんなで歩こう川西市寺院めぐり」が開催されました。この会は市内の33ケ寺が参加する宗派を超えた仏教ネットワークで、毎年秋の寺院めぐりのほか、夏には「ほーわの会」で所属寺院の住職による講演会も実施されています。
昨年の「ほーわの会」の記事は、http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1259

 今回の行事の一部に私どもの万葉植物園の見学も組み入れていただきました。ルートは次の通りです。新田の法泉寺(浄土宗)→ 多田神社 → 多田院の西方寺 → 西多田の浄徳寺(真宗大谷派)→ 矢問の猪名川万葉植物園 → 鼓滝の西行歌碑
 最初に訪れた法泉寺(本尊は阿弥陀如来立像)では、檀信徒の尽力により昭和62年に建て替えられた立派な本堂で鈴木崇史住職の法話を拝聴しました(高野山高校時代の経験談も交え法然上人の浄土宗について)。
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 植物園の見学に先立ち途中会場(セレナス多田飛翔殿)で、パワーポイントによる説明をさせていただきました。  
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 畑では、ヒオウギの種(ぬばたま)や秋の七種(くさ)のうちフジバカマやまだ咲き残っていたキキョウ・オミナエシなども見てもらいました。
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 フジバカマの花は今が最盛期
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 裏山の植物園の前で記念の集合写真(一度にこれほど大勢の見学者は久しぶりです)
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 今回で植物園の大きな行事は終わり一先ずホッとしています。
明日は、地元多太神社の秋季大祭で矢問地区も太鼓台が宮入りします(2日目は町内巡行)。
 
Posted by katakago at 19:57
いちょう祭(阪大) [2018年04月30日(Mon)]
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 今日から二日間、大阪大学では「いちょう祭」が開催されています。豊中キャンパスと吹田キャンパスの各部局では、テーマを設けての展示や研究室の紹介も行われています。午前中、豊中キャンパスに出掛けてきました。福井にいる高二の孫娘が、理系のコースに進んでいるとのことで、参考になるような情報があればと基礎工学部の研究室を見てきました。人間型ロボットを研究している石黒研究室を訪れたところ、大勢の見学者が順番を待って列を作っていました。自律型対話アンドロイドをはじめ人とかかわるロボットに関する研究の紹介をしてもらえました。

 科学機器リノベーション・工作支援センター(全学共同利用の支援センター)も公開されており、ここでは、3Dプリンタ・3D加工機レーザーの加工実演も見ることが出来ました。この技術を用いていつの日か、大仙寺の木田院碑や裏山にある木田氏中興塔の縮小レプリカを作って保存できればいいなあと思いました。

 構内のメイン通路両側には学生のグループが出店した模擬店がびっしりと並び、大勢の若者で賑わっていました。
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Posted by katakago at 14:43
葛城山のかたかごと大和三山(全国万葉協会のお花見) [2018年04月24日(Tue)]
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 一昨日、全国万葉協会のお花見会があり出かけてきました。
午前中は大和三山をめぐり、午後はロープウエイで葛城山に登り、カタクリ(万葉歌では”かたかご”)の群生地に案内してもらいました。今年は開花時期が早まっており心配していましたが、まだ咲いている花を見ることができました。
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 斜面に咲いている花を下から撮影しました。
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 新緑の中、あちらこちらでコバノミツバツツジが咲いていました。
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 ロープウエイから眺めた大和三山(中央に畝傍山)
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 以下、今回訪れた万葉歌碑の写真を掲載しておきます。
 耳成山公園古池東端の万葉歌碑 
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【原文】 無耳之 池羊蹄恨之 吾妹子之 来乍 潜者 水波将涸 (巻十六・3788)
【読み下し文】 耳無の 池し恨めし 我妹子が 来つつ潜かば 水は涸れなむ
【口語訳】 耳無の 池は恨めしいぞ あの娘が 来て沈んだ時 水が干てくれたらよかったのに

 藤原宮跡で見かけたヤドリギ(万葉歌では”ほよ”)
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 醍醐池東堤の万葉歌碑(犬養先生揮毫)
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【原文】 春過̪而  夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山 (巻一・28 持統天皇)
【読み下し文】 春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山 
【口語訳】 春が過ぎて 夏が来たらしい 真っ白な 衣が干してある あの天の香具山 

 藤原宮跡から眺めた香具山
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 香具山中腹の万葉歌碑(字は『元暦校本万葉集』より採られている)
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【歌】 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国そ あきづ島 大和の国は (巻一・2 舒明天皇)
【口語訳】 大和には 群山があるが 特に頼もしい 天の香具山に 登り立って 国見をすると 広い平野には かまどの煙があちこちから立ち上っている 広い水面には かもめが盛んに飛び立っている ほんとうに良い国だね (あきづ島) この大和の国は

 なお、カタクリの群生地については今月初め(4/4)、丹波市氷上町清住を訪れた記事を載せています。
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1353
Posted by katakago at 13:42
万葉の大和路を歩く会(470回)感謝祭 [2018年02月26日(Mon)]
 昨日、万葉の大和路を歩く会の第470回目の行事があり参加しました。この会は故犬養孝先生が選ばれた12のコースを中心に、37年間にわたって続けられてきましたが、今年度(来月の471回目)で終わることになり、その感謝祭として企画されたものです。この間、会の代表として頑張って来られた富田敏子さんを始め、ボランティアとして活動されてきた方々、それに講師の先生方への感謝を込めて開催されました。
 第一部の歩く会では、講師の山内先生とともに、飛鳥駅から高松塚古墳・万葉歌碑 → 檜隈万葉歌碑 → 鬼の俎板・雪隠 → 天武・持統天皇陵 → 亀石 → 明日香村中央公民館(講演会場)までを歩きました。
 高松塚古墳近くの犬養先生揮毫の万葉歌碑の前で、山内先生から除幕式当日(阪神大震災の翌日)のエピソードを聞きました。
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 第二部の講演会では、6名の講師の先生方がこれまでを振り返って話されました。山内先生は「万葉歌碑の行く末」、坂本先生は「思い出に残る大和路を歩く会のコース」、大森先生は「天皇と遷都」、影山先生は「わが、運命の万葉集」、垣見先生は「旅と恋と生活と」と題して講演され、最後に会の代表の富田さんが「わたしの万葉放浪37年余」と題して話されました。
 写真は講演される富田代表
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 第三部の交流会は橿原ロイヤルホテルに移動して行われ、ホテルのフレンチとお酒を飲みながら参加者全員がそれぞれの歩く会の思い出を語り合いました。
 乾杯の様子
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 最後に富田代表に感謝して(写真右は岡本さん)  
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Posted by katakago at 14:51
花響(はなゆら)コンサート [2018年01月08日(Mon)]
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 成人の日の午後、アステ川西のイベント広場では若手女性ユニット(箏・尺八・日本舞踊)によるコンサートが行われていました。
 尺八奏者の井本蝶山さんは、史上最年少(15歳)で都山流尺八の師範試験に登第されたそうです。この日は、「春の海」、「若水」、「涼流」、「さくらさくら」、「早春賦」の箏との合奏と曲に合わせて日本舞踊が披露されました。
 会場の様子
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Posted by katakago at 16:05
進学EXPO 2017 in Kansai [2017年09月16日(Sat)]
 今日は梅田まで出かけたついでに、梅田スカイビルで開催されていた「進学EXPO 2017 in Kansai」を覘いてきました。朝日新聞社メディアビジネス局主催で、高校生・受験生・保護者のための進学相談会と銘打って、このところ毎日のように新聞広告に出ていました。
 離れて住む高校生の孫娘のために役立つ資料があればと出かけたのですが、ビルのエレベーターと10F会場入り口で並ぶほどの盛況で、会場内には大学毎の相談ブースが設けられており、順番待ちの長い行列ができた大学もありました。今回はとりあえずパンフレットコーナーに並べられた各大学の入学案内の中からいくつか冊子を貰って帰りました。
 会場内の案内図と配布された資料の一部
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 会場となった梅田スカイビル(このビルへは今回初めて出かけました)
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Posted by katakago at 16:20
「飛鳥を愛する会」 総会と春の現地講座(4/22) [2017年04月23日(Sun)]
 昨日から「飛鳥を愛する会」の春の現地講座が開催され、わたしは総会と一日目の講座に参加しました。
 総会後、影山先生(演題は「明日香の春」)と岡崎先生(演題は『古代における「なわばり」「結界」』)による記念講演が行われました。
 午後の現地講座では、天武・持統天皇陵 → 鬼ノ俎・雪隠古墳 → 檜隈川万葉歌碑(揮毫は犬養先生)→ 高松塚古墳・万葉歌碑(揮毫は犬養先生)→ 檜隈寺跡 → キ トラ古墳壁画体験館・四神の館 → 特別史跡 キトラ古墳を訪れました。

 総会後の記念講座で講演される影山先生
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 整備された高松塚古墳
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 高松塚古墳近くの万葉歌碑(揮毫は犬養孝先生)
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【原文】 立念 居毛曽念 紅之 赤裳下引 去之儀乎 (巻十一・2550)
【読み下し文】 立ちて思ひ 居てもそ思ふ 紅の 赤裳裾引き 去にし姿を
【口語訳】 立っても思い 座っても思う 紅の 赤裳の裾を長く引いて 去って行ったあの娘(こ)の姿を
 歌碑の説明をこの会の役員でもある岡本三千代さん(犬養万葉記念館館長)から聞きました。この歌碑の除幕式が行われたのは平成7年(1995)1月18日で、阪神・淡路大震災の翌日だったとのことです。高松塚古墳の壁画に、裳裾引く女官像が描かれていたのでこの場所が選ばれたそうです。
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 キトラ古墳そばの「四神の館」で展示物を見学(このフロアーは写真撮影OK)
キトラ古墳は7世紀末〜8世紀初頭頃に造られた墳丘径13.8mの円墳で、石室の天井に天文図・日月図、四壁に四神図(青龍・朱雀・白虎・玄武)、獣頭人身十二支像が描かれている。
 横口式石槨の模型
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 館内で木下先生の説明を聞く
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 整備されたキトラ古墳(特別史跡)
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 キトラ古墳壁画発見三十周年記念シンポジウムの記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/661

 なお、秋の現地講座(10/3〜5)は、関東(東京都・埼玉県・群馬県)を訪れる予定とのことです。埼玉古墳群(稲荷山鉄剣の見学も)や上野三碑なども計画にあるそうで、スケジュールが合えば参加したいと思っています。
Posted by katakago at 17:49
万葉仲間でお花見 [2017年04月05日(Wed)]
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 昨日、かつて「嘉麻万葉を学ぶ会」を主宰されていた川波さんを誘って、万葉仲間でお花見の会があり参加しました。以前、万葉通信「たまづさ」の編集発行に携わっておられた岸本さんのご尽力により実現しました。
 豊中市内の桜塚公園、大塚古墳・大塚公園や天竺川沿いの咲き始めたサクラの花を眺めながら、久しぶりの散策を楽しみました。
 お昼は大塚古墳そばの大塚公園の桜の木の下で(サクラの花はまだ三分咲き程度)、皆でお弁当を食べながら、賑やかなひと時を過ごしました(上の写真)。2005年11月19日に、川波さんが中心となって飯塚市「嘉穂劇場」で開催された「全国万葉フォーラムin飯塚」の思い出話に花が咲きました。

 大塚古墳の墳丘上で
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 豊中市岡町・桜塚一帯には多数の古墳が存在し、桜塚古墳群と呼ばれています。その中で大塚古墳(国指定史跡)は東部を代表するもので、5世紀前半に造られた円墳(直径56m)で、三体が葬られていた。鉄製品を中心とした多くの武器・武具の他、方格規矩(きく)獣文鏡などが出土している。この大塚古墳から50mほど南には御獅子(おしし)塚古墳(国指定史跡)があり、こちらは5世紀前半の前方後円墳(全長55m)。
 御獅子塚古墳
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Posted by katakago at 16:23
祝日の奈良で [2016年11月03日(Thu)]
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 文化の日の今日、正倉院展を見に奈良に出かけてきました。会期は短いのですが、関西に戻って来てからは毎年欠かさず見に来ています。10時半頃着いたのですが、祝日とあって案の定長い行列ができていました。今年は、聖武天皇の遺愛品で『国家珍宝帳』に記された漆胡瓶(しっこへい)や、聖武天皇の一周忌法会で飾られた大幡残欠(大型の染織幡)も出品され、楽器では管楽器の笙と竽(う)の両方が展示されていました。

 正倉院展を見終わってから、博物館近くの春日大社や東大寺でこの日に開催されていたイベントも見ることが出来ました。
 春日大社神苑 萬葉植物園の浮舞台では、「萬葉雅楽会」が行われていました。管絃の部では「平調音取(ひょうじょうねとり)」・「甘州(かんしゅう)」が演奏され、続いて舞楽の部では「振鉾(えんぶ)」・「賀殿(かてん)」などが奉納されました(写真は四人舞の賀殿)。
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 この日の午後は、平城京天平行列の「東大寺参詣」が行われ、聖武天皇や光明皇后・従者の貴族に扮した華やかな行列が東大寺大仏殿に参詣する様子を見ることが出来ました。
 中門前に到着した一行(中央右が聖武天皇、左が光明皇后役)
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 中門前で記念撮影
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 大仏様にお参り
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 お参りを終えて
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Posted by katakago at 21:04
全国万葉フォーラム in 鞆の浦に参加 [2016年09月14日(Wed)]
 先週末から3日間、福山市鞆の浦で「全国万葉フォーラム」があり参加しました。地元の「鞆の浦万葉の会」(代表戸田和吉さん)主催(全国万葉協会ほか後援)で開催されました。
 初日(9/10)は、午前中に万葉歌碑の除幕式(沼名前(ぬなくま)神社境内)があり、午後から鞆公民館で講演会とシンポジウムが行われました。夕方からの全国万葉交流会(鞆町「鷗風亭」)では、沖縄から北海道まで多くの万葉ファンが参加して楽しいひと時を過ごしました。
 2日目(9/11)はショートクルーズ(笠岡神島・大飛島・阿伏兎観音)と鞆の街歩き(万葉歌碑と史跡めぐり)、3日目(9/12)はオプショナルクルーズ(鞆港→長井の浦遠望→御手洗→倉橋島→竹原港、バスで東広島市安芸津町の風早万葉歌碑)が行われこれらにも参加しました。
 講演会・シンポジウムや、交流会・クルーズでは大変充実した時間を過ごせました。実施に当たられた戸田代表はじめ「鞆の浦万葉の会」の皆さんのきめ細かな対応に感謝いたします。お世話になりました。
 以下、写真とともに記録を残しておきます。

【万葉フォーラム(9/10)】 
 講演会の様子 演者は下田 忠先生(元福山女子短期大学教授)
「瀬戸内の万葉」と題して講演されました。遣唐使や遣新羅使をはじめ、筑紫・内海に派遣される官人や防人もこの海上を旅した(万葉びとの重要な交通路であった)。講演では鞆の浦で詠まれた歌(大伴旅人や遣新羅使人の歌)とともに、瀬戸内海の船旅(敏馬→明石大門→印南の海→名寸隅→辛荷の島→牛窓→児島→玉の浦→神島→長井の浦→風早→長門の島→麻里布の浦→大島の鳴門→祝島→佐波の海)で詠まれた歌を解説されました。
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 シンポジウムの様子
 万葉歌に詠まれた「鞆の浦のむろの木」の”むろの木”はについては、現在のどの植物に当たるかについては、これまでネズやイブキ(いずれヒノキ科)説があります。服部保先生が植物生態学の立場から見解を述べられ(当時照葉樹林であったか里山であったかによって樹種が変わる)、坂本先生からは、旅人の歌の原文のむろの木は「天木香樹」と表記されており、この天木香樹は「涅槃経」には香木とあることが紹介されました。
 なお、鞆の浦の関連万葉歌碑のそばにはいずれもネズが植えられていました。
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 全国万葉交流会で同席の方と記念写真
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 交流会での箏曲演奏(ヴァイオリンとの合奏で「春の海」)
宮城道雄の「春の海」は1930年の歌会始の勅題「海辺の巌」にちなみ、1929年末に作曲されたものです。8歳で失明する前に祖父母に育てられて住んでいた鞆の浦の風景をイメージして作られたそうです。フランスのヴァイオリニスト(ルネ・シュメー)との合奏で世界的に有名になったそうです。
 ちなみに福山市は琴の生産の7割を占めているとのこと。
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【福山市の万葉歌碑】 
万葉歌碑の除幕式(9/10 沼名前(ぬなくま)神社で)
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【歌】 ま幸くて またかへり見む ますらをの 手に巻き持てる 鞆の浦廻を (F‐1183)
【口語訳】 無事でいて また来て見よう ますらおが 手に巻いて持つという名の 鞆の浦辺を

 大伴旅人の歌碑(福禅寺 対潮楼石垣下)
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【原文】 吾妹子之 見師鞆浦之 天木香樹者 常世有跡 見之人曾奈吉 (B‐446 大伴旅人)
【読み下し文】 我妹子が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人そなき
【口語訳】 我妻が 見た鞆の浦の むろの木は 今も変わらずにあるが これを見た人はいない

 大伴旅人の歌碑(鞆の浦歴史民俗資料館の庭)
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【歌】 鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘らえめやも (B‐447 大伴旅人)
【口語訳】 鞆の浦の 磯のむろの木を 見るたびに 共に見た妻のことが 忘れられようか
以上二つは、天平二年(730)十二月に、大宰帥大伴旅人卿が帰郷の途についた時に作った五首のうちの二首。

【ショートクルーズと鞆の街歩き(9/11)】
 岡山県笠岡市神島(こうのしま)日光寺の万葉歌碑 
備後国の神島の浜にして、調使首(つきのおみのおびと)、屍を見て作る歌。長歌(L‐3339)、反歌(L‐3343)
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 歌碑の裏面には坂本信幸先生の解説文がある。
旅の途上、飢えや病などにより死んだ人の屍を見て詠んだ歌を、行路死人歌と呼ぶ。歌に詠むことにより異郷に果てた人の魂を鎮めることは、自己の旅の安全を祈ることであった(解説文より)。

天気に恵まれ船上デッキに出て瀬戸内の風景を楽しみました。 
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 海上から眺めた阿伏兎観音(磐台寺観音堂 国重要文化財)
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 大飛島(おおびしま)の祭祀遺跡
奈良時代から平安時代にかけて海神に宝物を捧げる祭祀が行われていた(笠岡市教育委員会)。
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 鞆の港の常夜燈(安政六年(1859)に建てられた)と船着き場の階段状の雁木
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 福禅寺の対潮楼(朝鮮通信使の迎賓館)から眺めた仙酔島
1711年朝鮮通信使の李邦彦が「日東第一形勝」と称賛した。
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 宮城道雄の銅像(鞆の浦歴史民俗資料館の庭)
 鞆町出身の菅国治郎の長男として神戸に生まれた(この像は宮城道雄の偉徳と功績を讃え1990年に建てられた)。生誕祭には、この街歩きを案内してくれた鞆小学校の児童(琴クラブ部員)もこの場所で演奏するとのことです。
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【オプショナルクルーズ「島めぐり」(9/12)】
GPSのモニター(倉橋島に向かう船中で)
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 呉市倉橋島(かつては長門の浦と呼ばれていた)にある万葉歌碑を見学
桂浜の巨大な万葉歌碑
遣新羅使人歌8首(N-3617〜24)が刻まれている
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倉橋島の万葉植物公園内の万葉歌碑(揮毫は犬養先生)
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【原文】 和我伊能知乎 奈我刀能之麻能 小松原 伊久与乎倍弖加 可武佐備和多流 (N-3621)
【読み下し文】 我が命を 長門の島の 小松原 幾代を経てか 神さび渡る
【口語訳】 (我が命を) 長門の島の 小松原は 幾年を経て こうも神々しいのだろうか 

 風早の浦の万葉歌碑と陶板画(東広島市安芸津町風早、祝詞山八幡神社境内)
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【歌】 我が故に 妹嘆くらし 風速の 浦の沖辺に 霧たなびけり (N-3615)
【口語訳】 わたしのことで 妻は嘆いているらしい 風速の 浦の沖辺に 霧がかかっている
【歌】 沖つ風 いたく吹きせば 我妹子が 嘆きの霧に 飽かましものを (N-3616)
【口語訳】 沖からの風が ひどく吹いて来でもしたら いとしい妻の 嘆きの息の霧を 存分に吸い込めるだろうに
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Posted by katakago at 17:11
いちょう祭(大阪大学) [2016年05月01日(Sun)]
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 早朝の草取りと日課の尺八練習を終えて、阪大豊中地区のいちょう祭に出かけて来ました。多くの若者でごった返している脇をすり抜けて、各部局(文・法・経)の展示コーナーのあるA棟図書館に向かいました。
 昨年末刊行の自費出版本(『木田家のルーツを尋ねるー石碑の銘文に導かれてー』)では、両替商に関する調査も行っていたので、今回展示の経済学研究科・経済学部所蔵の資料には興味がありました。一つは、大坂両替商 冨子助右衛門(米屋助右衛門)家の「勘定帳」で、嘉永二年(1849)から安政三年(1856)までの毎年の経営全体の決算書です。この時期は、上記の本で取り上げた鉄屋庄左衛門や川崎屋三右衛門が十人両替などとして活躍した時期に当たります。この史料から読みとれるのは、本両替の経営は、本来の両替業務である金銀銭の交換よりも、貸し付けや蔵元業務が中心だったようです(会場で配布された展示解説資料より)。
 もう一つは「久留米藩蔵屋敷米切手」で、久留米藩蔵屋敷の掛屋(会計担当商人)を勤めていた両替商 助松屋に所蔵されていた史料です。蔵屋敷は米を入札制で販売し、落札者には米切手(米の保管証券)が交付される。これを蔵屋敷に持参して提示すれば1枚で米百石を受け取れた。米切手は他人に譲渡することが出来、その売買取引が行われていたのが堂島米市場(展示解説資料より)。
 残念ながら、いずれも写真撮影は禁止となっていました。

 このほか、文学研究科・文学部関係では、考古学研究室が発掘調査を行った京都府鳥居前古墳(四世紀末の築造)出土の円筒埴輪や、大阪府新堂廃寺の軒丸瓦(その特徴により七世紀前半の創建と判明)の展示コーナーでは担当者が説明してくれました。
 
 模擬店が並ぶ通りには大勢の来場者で賑わっていました(このすぐ傍ではステージ演奏が行われていました)。
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Posted by katakago at 21:37
犬養万葉記念館 春の行事(万葉植物野外講座) [2016年04月03日(Sun)]
 昨日、南都明日香ふれあいセンター犬養万葉記念館の春の行事があり参加しました。今回は、講師の馬場吉久氏(全国万葉協会役員、万葉植物研究家)の案内で、飛鳥西側の「越」周辺(午前中のコース)の万葉歌碑や古墳を見学しながら、散策ルートで見られた春の万葉植物の観察と万葉歌を味わいました。
 近鉄岡寺駅集合(10:10) →牟佐坐神社・人麻呂挽歌歌碑 → 白橿近隣公園・三山万葉歌碑・沼山古墳 → 牽牛子塚古墳・越塚御門古墳 → 許世都比古命神社 → 岩屋山古墳 → 飛鳥駅(昼食)→ 吉備姫王墓・猿石 → 欽明天皇陵 → 檜隈川万葉歌碑 → 鬼の雪隠・展望台・鬼の俎 → 天武持統合葬陵 → 大鳥羽易山万葉歌碑 → 川原寺万葉歌碑 → 飛鳥川玉藻万葉歌碑 → 犬養万葉記念館(15:30位に到着)

 牟佐坐(むさにいます)神社傍の歌碑
柿本人麻呂の泣血哀慟歌の長歌の後半(A-207)
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 散策コースのあちこちでソメイヨシノが満開でした
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 沼山古墳脇の大和三山万葉歌碑(久松潜一揮毫) 右クヌギの木の後方には畝傍山
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中大兄の三山(みつやま)の歌(長歌と反歌)
【長歌】 香具山は 畝傍雄雄しと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も 然にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき (@-13)
【反歌】 香具山と 耳梨山と あひし時 立ちて見に来し 印南国原 (@-14) 

 沼山古墳(渡来系の人の墓か)
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 沼山古墳の石室(片袖の横穴式石室)
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 牽牛子塚(けんごしづか)古墳
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 石室内部
墓室は巨大な凝灰岩をくり抜いた横口式石槨で、中央部に間仕切部を削りだす二室の構造 
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 説明パネル
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 現地説明会当時(2010年9月)のパンフレット(明日香村教育委員会)より
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 牽牛子塚古墳は斉明天皇と間人(はしひと)皇女の合葬墓と考えられており、この古墳の南東部で新たに発掘された越塚御門古墳は、斉明天皇の孫大田皇女の墓とみられている。関連記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/239
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/534

 岩屋山古墳
改葬前の斉明天皇陵とする説(白石太一郎先生)もある
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 展望台から鬼の雪隠(写真左下)を望む
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 羽易(はがひ)の山の万葉歌碑(坂本信幸先生揮毫)の前で解説を聴く
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 羽易の山(写真左から龍王山、三輪山、巻向山)遠望
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歌碑の解説記事は次の記事を参照
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/259

 桜の花が咲く橘寺遠望
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Posted by katakago at 18:24
NHK朝ドラ「あさが来た」のセット公開 [2016年03月30日(Wed)]
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 昨年秋に始まったNHK朝ドラ「あさが来た」のセットがNHK大阪放送局で公開されています(来月10日まで)。カルチャーセンターの講座で梅田に出たついでに見学してきました。
 このドラマは大坂の両替商の加島屋(ドラでは加野屋)が舞台になっていました。自費出版本『木田家のルーツを尋ねるー石碑の銘文に導かれてー』では、十人両替にもなった鉄屋庄左衛門や川崎屋三右衛門に関する史料を集めていたのですが、本の最終校正の段階で、このドラマの原案本『小説 土佐堀川ー広岡浅子の生涯』(古川智映子著)の存在を知り、興味深く読みました。それで、ドラマも毎日視聴してきました(今週末で終了)。
 加島屋はその後加島銀行(ドラマでは加野銀行)、大同生命(同 淀川生命)に至っていますが、その経営・家政資料が研究されています(「大同生命文書」解題、大同生命のホームページより)。これらの資料は大阪大学経済史・経営史資料室で閲覧可能とのことです。また、神戸大学経済経営研究所の高槻泰郎准教授が、昨年新たに奈良県の岡橋家から見つかった資料について研究を進められており、その進展に注目して行きたいと思っています。

 1階アトリウムのセットコーナー入り口
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 セットの全景
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 小道具の看板類(両替商の看板も)
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 両替商の店頭(パネルの写真より)
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 小道具の銀手形通 
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 江戸時代の貨幣は、金・銀・銭の三貨制(これらは変動相場で取引)で、江戸は金目(両・分・朱の定位貨幣)で、大坂・京都など上方では銀目(丁銀・豆板銀を主とする秤量貨幣)で、こちらは秤にかけて取引決済が行われ、幕末の頃には、銀貨幣の預り証書としての銀目手形を両替商が発行し広く流通していた。ところが明治元年(1868)、新政府による幣制改革で「銀目廃止」となり、大坂の両替商は大きな影響を受けることになった(加島屋はこの危機を乗り切った数少ない例)。

 中庭のセット
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 銀行正面入り口
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 銀行店内
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これまでの関連記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1046
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1060
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1073
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1079



Posted by katakago at 11:46
全国万葉協会の花見 [2016年03月27日(Sun)]
 今日は、全国万葉協会のお花見の行事があり、平城宮跡から佐保川沿いを散策してきました(桜の見ごろはもう一週間先のようです)。
 出発地点の平城宮広場で(写真後方中央に大極殿) 
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 平城宮跡マップ
平城宮跡資料館、大極殿正殿、遺構展示館、東院庭園などを見学
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 平城宮跡の桜は大部分は未だ蕾でした
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 東院庭園ではシダレヤナギの芽吹きが見られました
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 佐保川沿いの万葉歌碑
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【歌】 佐保川の 清き川原に 鳴く千鳥 かはづと二つ 忘れかねつも (F-1123)
【口語訳】 佐保川の 清い川原に 鳴いている千鳥と 蛙の二つは いつまでも忘れられない

 佐保川の川路桜(咲いている株は未だ少なかった)
幕末の奈良奉行 川路聖謨(としあきら)が植えたと言われる老木も今に残る(佐保川の川路桜祭は4月2日とのこと)
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 佐保川緑地公園の万葉歌碑(揮毫は犬養孝先生、昭和46年)
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【歌】 打上 佐保能河原之 青柳者 今者春部登 成尓鶏類鴨 (大伴坂上郎女 G-1433)
【読み下し文】 うち上る 佐保の川原の 青柳は 今は春へと なりにけるかも
【口語訳】 上って行く 佐保の川原の 青柳は もう春の装いに なってしまったことだなあ 

 春日野荘敷地内の万葉歌碑(揮毫は坂本信幸先生、平成18年)
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【歌】 我が背子が 見らむ佐保道の 青柳を 手折りてだにも 見むよしもがも(大伴坂上郎女
 G-1432)
【口語訳】 あなたが ご覧になっていることであろうあの佐保道の 青柳を 手折った枝でも 見られたらよいのに
Posted by katakago at 21:45
奈良学文化講座ー春日大社の”はじまり”と式年造替 [2016年03月07日(Mon)]
 先日(3/5)、久しぶりに「JR東海奈良学文化講座」に参加しました。今回のテーマは、『春日大社の”はじまり”と式年造替ー北・山の辺の道に「春日移し」の社殿を訪ねて』です。春日大社では現在、第60次の式年造替(20年に一度執り行われる社殿の修築大事業、神殿や神宝を造り替え神威を新たにする)が進められており、今回はこれに関連して企画されました。
 午前中は、「春日の神と御蓋山」と題して、櫻井治男氏(皇学館大学特別教授)が講演されました。
 午後は、講師の今西良男氏(東大寺技監)の案内で、下記のルートを巡りました。
JR帯解駅 → 八阪神社(帯解) 〜(北・山の辺の道)〜 祟道天皇陵 → 嶋田神社 → 白山比(しらやまひめ)神社 → 横井廃寺跡 → 八阪神社(鹿野園町)→(岩井川)→ 東山緑地(白毫寺町) → 赤乳(あかち)神社 →(能登川)→ 鏡神社(高畑町)
 「春日移し」とは造替後の旧本殿などを他の神社に移築することで、それにより春日大社とその地域との絆を強めたといわれており、今回のコースでは、それを今に伝える嶋田神社と鏡神社を訪ねました。
 嶋田神社
宝永6年(1709)造替時に建立された本社本殿の第三殿で、享保13年(1728)に八島村・祟道天皇神社本殿として移築されたもの(一間社春日造、銅板葺の大型社殿)。
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 北・山の辺の道を歩いて
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 鏡神社(祭神は天照大神、藤原広嗣、地主神)
享保13年(1728)造替時に建立された社殿で、延享3年(1746)に譲渡・移築された(一間社春日造、檜皮葺)。
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 鏡神社境内で講師の今西良男氏より説明を聴く
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 今回のコースでは、ただ一ヶ所万葉歌碑が見られた。
新薬師寺東南角 比賣神社(ひめがみしゃ)の鳥居下
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【歌】 河上の ゆつ岩群に 草生さず 常にもがもな 常娘子にて (@-22 吹芡刀自)
【口語訳】 川べりの 巌々に 草が生えないで若々しいように いつまでも変わらずにわたしもありたい 永遠の乙女で
 題詞に、十市皇女が伊勢神宮に参拝された時に、波多の横山の巌を見て、吹芡刀自(ふふきのとじ)が作った歌とある。比賣神社の由緒によれば、祭神は十市皇女(とをちのひめみこ)。
Posted by katakago at 20:04
能勢妙見山のお火焚祭り [2016年02月11日(Thu)]
 能勢妙見山にお参りして来ました。日蓮宗のお寺で正式には、無漏山眞如寺境外仏堂能勢妙見山といわれ、開基は清和源氏の流れをくむ能勢頼次といわれています。
 午前10時から妙見山本殿で、世界平和と日本の安泰、人類全ての幸福を祈願する「建国祭国祷会」の法要が行われた後に、駐車場の特設祭壇前で「お火焚祭り大法要」が行われました。
 本殿での法要を終えて移動の準備(写真左が本殿) 
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 本殿を出発して、お火焚き祭りが行われる駐車場の特設祭壇前に移動
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 祈願矢(火に投げ入れて除災開運を祈る)
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 法要中に火が入れられる
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 この火にあたれば無病息災の効験があると言われている 
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 古いお札やお守りに感謝の意を込めて読経のなか焚きあげられる 
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 この後、参拝者が一人ひとり願い事と名前を記入した「祈願矢」を投げ入れ祈りました。
Posted by katakago at 16:14
大神神社の観月祭(9/27) [2015年09月28日(Mon)]
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 昨日(9/27)は中秋の名月で、奈良の寺社でも観月の行事があちらこちらで行われました。今回は桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)の観月祭に初めて出かけました。この神社には、山の辺の道散策でこれまで何度も訪れていますが、夜は初めてです。上の写真は、観月祭が行われる祈祷殿の前に供えられた花(ススキやハギなど)と神饌(月見団子も)。ちなみに月見団子は終了後参拝者に振舞われました。
 名月を称える宮司の祝詞奏上に続いて、神楽と舞楽の奉納が行われました。月を仰ぎ見ながら、雅楽の演奏と神楽や舞楽を観賞し、雅なひと時を過ごせました。
   
 神楽の奉納が始まる頃には、祈祷殿の右後方から月が登り始めました。
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 神楽 磯城(しき)の舞
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きみがよの ながつきこそは うれしけれ けふすめがみを まつりはじめて

 神楽 奇魂(くしみたま)の舞
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杉が枝(え)に 霞こむれど 三輪の山 神のしるしは 隠れざりけり

 舞楽 蘭陵王(らんりょうおう)
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 唐楽、獰猛な仮面をかぶってまわれる一人舞
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 雅楽の演奏 
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 中秋の名月の観月会には、唐招提寺の観月讃仏会(さんぶつえ)に二度出かけています。金堂内はライトアップされ荘厳な雰囲気を味わいました。その時の記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/167
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/894


Posted by katakago at 11:25
講話と万葉集に親しむコンサート(いながわセミナー) [2015年09月07日(Mon)]
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 猪名川万葉の会(代表 野々村さん)では、毎月一回(第二水曜日)岡本三千代さんを講師に講座が開催されています。昨日は一般の方も対象に、猪名川町中央公民館(視聴覚ホール)で、岡本さんの講話と万葉うたがたり会(主宰 岡本さん)によるコンサートが開催され、野々村さんからもお誘いを受けていたので出かけて来ました。
 はじめに岡本さんから全国各地の万葉故地についての話があり(地元関係では猪名川が詠まれた歌が一首ある)、次いで歌がたり会の皆さんによる演奏が行われました。
 岡本さんが万葉歌に曲をつけたものや、オリジナルに作詩・作曲された歌「高岡旅情」が披露されました。
 次の写真は、越中の万葉故地の映像を背景に「高岡旅情」が演奏されている様子(左から、山寺さん、山口さん、園田さん、岡本さん)。
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 なお、万葉うたがたり会の活動は今年で35周年を迎え、これから三井楽(11/14)、橿原(11/29)、高岡(12/12)、西宮(2/28)でサンクスコンサートが予定されています。

 昨年も、猪名川町の静思館でコンサートが開催され、その時の記事は次のURLに載せています。
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/904

 猪名川が詠まれた万葉歌は次のURLの記事の中で紹介しています。
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/258
Posted by katakago at 16:28
犬養万葉記念館故地交流展 ― 万葉歌碑の原書・拓本 [2015年08月05日(Wed)]
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 音楽サロンTSUBAICHI(大阪市福島区)で、「故犬養孝軸装展」が今日まで開催中です。昨日午後、夕方の尺八の講座(芦屋教室)の前に立ち寄りました。
 犬養先生が揮毫された万葉歌碑は全国に141基建立されているそうです。明日香村が所有し犬養万葉記念館で保管されている先生揮毫の原書と拓本の中から、今回12軸が展示されていました。上の写真は、大伴家持が”かたかご”(カタクリ)を詠んだ歌の碑の拓本(歌碑は高岡市伏木古国府の勝興寺北西裏にある)。
 参考までに、カタクリの写真と歌の解説は次のURLに載せています。
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/288

 甘樫丘にある犬養先生の第一号歌碑の拓本の前で(居合わせた毛利さんに撮ってもらいました) IMG_1807m.jpg

 昨年、桜井市が所蔵している記紀万葉歌碑原書(多くの著名人が揮毫)の展示会に出かけました(記事は下記URL)。そのおり、展示物の写真と歌の解説などを掲載した図録が作成されていました。犬養万葉記念館でも収蔵軸の図録を考えていただければと思います。
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/935
Posted by katakago at 11:05
万葉関連行事が二つ [2015年05月11日(Mon)]
 連休明けは、万葉関連行事が二つ続きました。
一つは、講演会「万葉の道を歩く」の第13回目(5/7)で、村田右富実先生が、人麻呂と赤人の吉野讃歌について話されました。
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 持統天皇は在位中に吉野に31回行幸していますが、人麻呂の歌(@-36〜39)はそのいずれかの行幸時の作(左注には『日本書紀』より持統三年(689)、四年、五年の行幸が引かれている)。赤人の歌(E-923〜927)は、神亀二年(725)夏5月の聖武天皇の吉野行幸時の作とみられています。
 赤人の二首の長歌のはじまりは、「やすみしし わご大君の」(E-923)、「やすみしし わご大君は」(E-926)であり、人麻呂の長歌の伝統を継いでいるとみられています。一方反歌では、次の歌のように、人麻呂とは違って独自の宮廷讃美表現がみられます。
【歌】 み吉野の 象山のまの 木末には ここだも騒く 鳥の声かも (E-924)
【歌】 ぬばたまの 夜のふけ行けば 久木生ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く (E-925)

 もう一つは、毎日文化センターの学外講座(5/9)で、近江の万葉故地を訪ねました(講師は市瀬雅之先生)。この方面は先月も「飛鳥を愛する会」の現地講座で訪れましたが、ここでは前回の記事で触れなかった場所の写真を掲載しておきます。
 逢坂山関跡の碑(京阪大谷駅より) ここを越えると畿外
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 大津市役所前にある珍しい球形の万葉歌碑
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【歌】 楽浪(さざなみ)の 志賀の大わだ 淀むとも 昔の人に またも逢はめやも (@-31)

 唐崎(唐崎神社)で
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【歌】 楽浪の 志賀の唐崎 幸くあれど 大宮人の 船待ちかねつ (@-30)
 歌はいずれも柿本朝臣人麻呂の「近江荒都歌」の反歌
Posted by katakago at 22:39
全国万葉協会のお花見(大宇陀の又兵衛桜) [2015年04月13日(Mon)]
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 全国万葉協会の定例行事で、総会は毎年5月下旬に開催されるため、地元生産組合の共同作業(溜池堰堤の草刈り)と重なってしまい、今年もまた出席できません。
 ただ昨日(4/12)のお花見の行事には都合をつけて参加できました。この日は天候にも恵まれ万葉故地での花見を愉しむことが出来ました。
 今回は大宇陀を訪れ、阿紀神社(万葉歌碑)−又兵衛桜(食事会)−かぎろひの丘(万葉歌碑)−中央公民館(壁画見学、万葉歌碑)−宇陀の街並み散策−神楽岡神社(万葉歌碑)−森野旧薬園(カタクリほか薬草)を巡りました。協会事務局長で地元大宇陀在住の裏 宗久さんに、宇陀の街並みを詳しい解説付きで案内していただきました。
 なお、万葉歌碑は昨年秋にも訪れています。その時の記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/925  

 又兵衛桜(写真一枚目)は樹齢300年ともいわれ(樹高13m、幹周り3mを越える巨木)、品種はエドヒガンだそうです。満開の時期を少し過ぎていたので近くでよりも遠望する方がきれいに見えました。今日はまた朝から雨が降っており散ってしまいそうです。万葉歌にも次のような歌があります。
 あしひきの 山の間照らす 桜花 この春雨に 散り行かむかも (I‐1864) 

 又兵衛桜を眺めながらの食事会(花見酒も用意されていました)
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 かぎろひの丘(佐佐木信綱揮毫の歌碑を囲んで)
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 東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ (柿本人麻呂 @-48)

 中央公民館では、柿本人麻呂の阿騎野の万葉歌を題材にした中山正實画伯の壁画「阿騎野の朝」(横幅約4.5m、高さ約2.3m)を見学することが出来ました(残念ながら撮影は遠慮するようにとのことでした)。
関連記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/927



Posted by katakago at 13:51
玉列(たまつら)神社の椿まつり [2015年03月29日(Sun)]
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 今日は、大神(おおみわ)神社の境外摂社である玉列(たまつら)神社(桜井市慈恩寺)で、椿まつりが開催されました。植物に由来するお祭りということで出かけて来ました。この神社は延喜式内社(初瀬谷でも最古の神社)で、境内には古くから椿が植えられていたと伝えられ、「玉列のつらつら椿」とも呼ばれているそうです。
 あいにくの雨天でしたが、境内にはテントが張られ、参拝者には三輪そうめんのにゅうめんがふるまわれました。11時から行われた神事は拝殿内で見学することが出来ました。
 神前には椿の鉢植えが供えられる
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 椿のかんざしをつけた巫女による「浦安舞」の奉納
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浦安舞は皇紀2600年祝典の際に作られたもので、龍笛、鳳笙、篳篥による演奏が行われました。

 ちなみに、植物に由来するお祭りとしては、同じ大神(おおみわ)神社の摂社の率川神社でササユリを用いた三枝祭(さいくさのまつり)が行われています(6/17)。関連記事は、
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/372

Posted by katakago at 20:55
奈良学文化講座「北・山の辺の道」 [2015年03月08日(Sun)]
 昨日(3/7)、久しぶりに奈良学文化講座(第141回)に参加しました。午前中は「影媛あはれー石上の歴史と文学」と題する講演(乾善彦関西大学教授)を聴講し、午後は小田木治太郎天理大学准教授の案内で北・山の辺の道を巡りました。

 午後の散策では途中から雨が降り出したため、当初のコースを一部スキップして、JR桜井線の櫟本駅から、
柿本寺(しほんじ)跡 → 和爾下(わにした)神社 → 赤土山古墳 → 櫟本高塚遺跡(高塚公園) → 白川溜池 → 石上神宮 → 天理駅までを歩きました。

 日本書紀歌謡の碑(櫟本 和爾下神社参道途中)
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 『日本書紀』武列天皇即位前紀の歌謡九十四(午前中の講演で解説された)。
 皇太子(後の武列天皇)は物部麁鹿火(あらかひ)大連の娘 影媛と結婚しようとしたが、影媛の思い人は平群真鳥大臣の子 鮪(しび)であることが分かり、大伴連金村に命じて鮪を乃楽山(ならやま)で殺させた。影媛は悲しみ道行の葬送歌を作る(葬送の列は、石上から山の辺の道を通って乃楽山の麓の佐保へ)。
【歌】 石上(いすのかみ) 布留(ふる)を過ぎて 薦枕(こもまくら) 高橋過ぎ 物多(ものさは)に 大宅(おほやけ)過ぎ 春日(はるひ)の 春日(かすが)を過ぎ 妻隠る 小佐保を過ぎ 玉笥には 飯さへ盛り 玉盌(たまもひ)に 水さへ盛り 泣き沾(そほ)ち行くも 影媛あはれ
【口語訳】 (石上) 布留を過ぎて、(薦枕) 高橋を過ぎ、(物多に) 大宅を過ぎ、(春日の) 春日を過ぎ、(妻隠る) 佐保を過ぎて、美しい器には飯まで盛り、美しい椀には水まで盛って、泣き濡れて行くよ、影媛我は、ああ)

 赤土山古墳での説明の様子
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 櫟本町には、この赤土山古墳の他、東大寺山古墳(全長140m)、和爾下神社古墳(全長110m)など古墳時代前期の大型前方後円墳が存在(東大寺山古墳群)し、古代の有力者「和爾氏」の祖先にあたる人物の墓とみられています。
 赤土山古墳は、古墳時代前期(4世紀)後葉と推定される前方後円墳(全長106.5m)で、後円部後方に造り出しがつき、その南には家形埴輪を並べた祭祀遺構が出土している(次の写真はレプリカで復元されたもの)。国史跡に指定されている。
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 石上神宮境内の万葉歌碑
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【歌】 未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者 (柿本朝臣人麻呂 C-501)
【読み下し文】 娘子(をとめ)らが 袖布留山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき我は
【口語訳】 乙女が 袖を振るという名の布留山の 年を経た神垣のように 久しい前から 思っていたのだよわたしは


 

Posted by katakago at 21:34
平城京天平祭ー大伴家持上京の旅到着セレモニー [2014年11月11日(Tue)]
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 奈良市平城宮跡では、今月1日から9日まで「平城京天平祭 秋2014」が開催されました。最終日の9日には、第一次大極殿前の特設ステージで「大伴家持上京の旅到着セレモニー」が行われ、出かけて来ました。この日は朝からあいにくの雨で、ステージには透明のビニールテントが張られていました。
 今回のイベントは、高岡万葉まつりで「万葉集全20巻朗唱の会」が25回を迎える記念事業として、家持の上京の旅を再現するもので、高岡から平城宮跡大極殿を目指して、10月5日を初日に9区間をリレー方式で行われ、11月8日に奈良に到着してこの日のセレモニーとなりました。

 到着セレモニーに先立ち、高岡市万葉歴史館館長の坂本信幸先生が「大伴家持と越中万葉」について話されました。
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 【当日配布の坂本先生の資料より】
『万葉集』の編簒に大きく関わった大伴家持は、天平十年(738)にはじめて内舎人(うどねり)として朝廷に出仕。その後、従五位下に叙せられ、天平十八年(746)三月に宮内少輔(くないしょうふ)となり、同年六月、越中守に任じられ、八月に着任してから、天平勝宝三年(751)七月に少納言に任じられ、八月に帰京するまでの五年間、越中国に在任していた(この間に223首の歌を詠んでいる)。

 到着セレモニーの出演者と万葉うたがたり会の皆さん  
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 家持が越中で詠んだ次の歌を犬養節(故犬養孝先生は独特の節回しで万葉歌を朗唱された)で朗唱されました。
【歌】 もののふの 八十娘子(やそをとめ)らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子(かたかご)の花 (R-4143)
【歌】 春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子 (R-4139)
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 大極殿をバックに出演者の集合写真(傍らから撮らせてもらいました)
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 平城京天平祭についてはこれまで2回記事を載せています。
     ↓
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/438
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/502
Posted by katakago at 10:36
昭和流行歌ショー(北海道歌旅座公演) [2014年10月11日(Sat)]
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 昨夕(10/10)、近くの岡本寺(川西市平野)で「北海道歌旅座」のコンサートがあり、妻と出かけました。会場となった本堂は150名で満席でした。
 このグループは、チラシの紹介によれば、「北海道すべての市町村に音楽の喜びと感動を”手渡し”することを志して2009年に札幌で旗揚げした」とあります。この日の公演では、「懐かしの昭和流行歌ショー」と銘打って、学生時代・銀色の道・上を向いて歩こう・虹と雪のバラード・いちご白書をもう一度・青春時代ほか30曲以上が歌われ、後半の歌声喫茶の部では、懐かしい歌々を参加者も一緒になって合唱し、久しぶりに楽しいひと時を過ごせました。

 コンサートの様子
曲は学生時代で、ステージ両サイドのスクリーンには歌詞が表示されていた。 
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 アンコールに応えて熱唱
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 会場となった岡本寺(こうほんじ)は曹洞宗の寺院で、住職の平田信活師はお寺の宗教行事の他幅広い活動を行っておられる。地域の人々との交流を目的に、昼食を共にしながら情報交換・憩いの場としての”ごはんの日”(毎金曜日)、子どもたちを対象に春・夏の寺子屋、定例の座禅会や写経会・住職の講話(修証義の会)のほか外部講師による講演会も適宜開催されています。妻は、6月に開催されたインド仏教講座(講師は花園大学の佐々木閑教授)やいくつかの行事に参加してきましたが、その過程で今回の企画を知りました。

岡本寺の紹介記事は
     ↓
http://www.soto-kinki.net/teranavi/pickup_kouhonji.php

 檀家制度に安住することなく、檀信徒以外にも開かれた幅広い活動を行っておられる寺院・住職の存在を知り、改めて私の属する檀家寺の現状を憂えずにはおれません。


 
Posted by katakago at 10:11
万葉うたがたりコンサート in 静思館 [2014年09月28日(Sun)]
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 今日の午後、私が住んでいる隣町の猪名川町で岡本三千代さんの「万葉うたがたりコンサート」がありました。主催者の「猪名川万葉の会」からご招待をいただき参加しました。場所は、猪名川町立静思館で開催されました。この建物は古美術商であった冨田熊作が昭和7年から3年がかりで建てた旧冨田邸(当時として大変珍しい水洗式トイレや書斎蔵にはオンドル式床暖房も)で、国登録有形文化財となっています。コンサートはその台所の土間を舞台にして行われました。
 客席から見た舞台の様子
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 コンサートでは、山上憶良の秋の七種(ななくさ)の歌をはじめ、恋歌を中心に月や時雨を題材にした歌も取り上げられ、最後に、集中一首のみ「猪名川」が詠まれた歌に、5首の万葉歌を加えて「沫雪の恋」と題する新しい曲が披露されました。
 猪名川が詠まれた歌を載せておきます。
【歌】 かくのみに ありけるものを 猪名川の 奥を深めて 我が思へりける (O-3804)
ちなみに、私どもの万葉植物園の命名もこの歌によっています。 

 昨日、「猪名川万葉の会」の役員の方から依頼を受け、会場に飾る秋の万葉植物を私どもの植物園で準備しました。ハギ・クリ・ナツメ・オミナエシ・フジバカマ・キキョウ・ケイトウ・シロバナサクラタデ・アワ・ススキ・ヒオウギ(ぬばたま)などを玄関や舞台に飾っていただきました。
 玄関の生け花
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 舞台に飾られた万葉の花
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 なお、今回主催された「猪名川万葉の会」では、毎月一回、日生公民館で、岡本三千代さんを講師に万葉講座が開催されています。
Posted by katakago at 18:56
中秋の名月 ー 唐招提寺観月讃仏会(9/8) [2014年09月09日(Tue)]
 昨日(9/8)は中秋の名月にあたり、いくつかの寺社で観月の行事がありましたが、私は3年前に続き唐招提寺に出かけました。前回は残念ながら月を見ることが出来なかったのですが、今年は金堂前で読経が行われる中、境内で見事な月の出を見ることが出来ました。
 以下、当日の金堂前で撮影した写真を載せておきます。

 夕方一旦閉じられた門が開かれると大勢の人々がお参りに訪れました(写真中央が金堂) 
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 午後6時、鐘の音を合図に9人の僧侶が金堂前で読経を開始(中央に盧舎那仏座像、左に千手観音立像、右に薬師如来立像)
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 読経の途中で東の空に月がのぼって来ました
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 境内にある会津八一の歌碑
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【歌】 おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ

 周囲が暗くなった金堂内
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 3年前に参加した時の記事は次のURLを
       ↓
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/167
Posted by katakago at 07:20
交野が原の七夕まつりと万葉歌碑めぐり(7/7) [2014年07月09日(Wed)]
 さる7月7日(七夕の日)に、「交野が原の七夕まつりと歌碑めぐり」のイベントがあり参加しました。実施は、万葉でお世話になっている岡本三千代さんが主宰されている「つらつら椿(株)」で、案内役は、こちらも万葉や拓本採りでお世話になった地元(交野市)在住の毛利信二さんで、交野市内(一部枚方市を含む)の関連場所を丁寧な説明で案内していただきました。実はこの日は、カルチャーの講座(坂本先生)の日でしたが、年に一度の行事で、今まで訪れたことの無かった場所でもありこちらを優先することにしました(これまでめったに休んだことが無かったのですが)。

 交野市には星に因んだ地名や伝説が多く残り、生駒山系を水源とする天野川が市内を流れています。平安時代に都の貴族からこの一帯の”交野が原”に七夕文化が持ち込まれたそうです。市内には天野川流域や七夕ゆかりの場所に、七夕を詠んだ万葉歌や平安・鎌倉時代の歌の碑が建立されています(次の写真は私市水辺プラザ付近の天野川、このそばには大阪市立大学付属植物園がある)。
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 以下訪れた中で万葉歌碑関連の写真を載せておきます。
@ 観音山公園(枚方市香里ケ丘)
 歌碑の前で毛利さん(写真中央)の説明を聴く
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 万葉歌碑 
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【歌】 牽牛之 迎嬬船 己芸出良之 天漢原尓 霧之立波 (山上憶良 G-1527)
【読み下し文】 彦星し 妻迎へ舟 漕ぎ出らし 天の川原に 霧の立てるは
【口語訳】 彦星が 妻迎え舟を 漕ぎ出したらしい 天の川原に 霧が立ったのを見ると

A 逢合橋(交野市私部西)
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 万葉歌碑(岡本三千代さん揮毫)写真の橋に向かって左脇に建てられている
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 同歌碑の拓本写真(提供毛利氏)
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【歌】 彦星と 織女と 今夜逢ふ 天の川門に 波立つなゆめ (I-2040)
【口語訳】 彦星と 織女星とが 今夜逢う 天の川の渡り場に 波よ荒く立つな 

B 機物神社(交野市倉治)
 境内に立てられた七夕飾り 
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 万葉歌碑(参道右脇)
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【歌】 棚機之 五百機立而 織布之 秋去衣 孰取見 (I-2034)
【読み下し文】 棚機の 五百機立てて 織る布の 秋さり衣 誰か取り見む
【口語訳】 織機(たなばた)を いっぱい並べて 織る布の 秋の衣は 誰が世話をするのだろうか

C 天野川緑地の万葉歌碑(交野市星田西)
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【歌】 天の川 梶の音聞こゆ 彦星と 織女と 今夜逢ふらしも (柿本人麻呂歌集出 I-2029)
【口語訳】 天の川で 梶の音がしている 彦星と 織女星とが 今夜逢っているらしい

D 星田妙見宮(交野市星田) 
 七夕まつり
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 境内では、湯立て神事(お釜の熱湯を笹の葉で廻りに振りまいて穢れを払う)が行われていました。
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 万葉歌碑
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【歌】 多奈波多之 船乗須良之 麻蘇鏡 吉欲伎月夜尓 雲起和多流 (大伴家持 P-3900)
【読み下し文】 織女し 舟乗りすらし まそ鏡 清き月夜に 雲立ち渡る
【口語訳】 織女(たなばた)が 舟をこぎ出したらしい (まそ鏡) 清い月夜に 雲が立ち渡っている
 中国での七夕伝説は、織女が牽牛を訪う形式であるのに対し、万葉歌ではほとんどすべてがその逆になっており、古代の日本の妻問い婚の影響によるとみられています。この歌は数少ない例外の一つ。

 なお、「万葉の七夕歌」に関しては、昨年夏にシンポジウムがありその記事を下記のURLに掲載しています。
     ↓
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/673


 今回の七夕関連ではありませんが、枚方市内にある犬養孝先生揮毫の歌碑も訪れました。
 枚方のさわらび万葉歌碑の前で(毛利さんに撮ってもらいました)
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【歌】 石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨 (志貴皇子 G-1418)
【読み下し文】 石(いは)走る 垂水(たるみ)の上の さわらびの 萌え出(い)づる春に なりにけるかも


今回お世話になった毛利さんは、地元で幅広い活動をされており参考までにそのホームページのアドレスを載せておきます。
URL http://www.eonet.ne.jp/~s-mouri/









Posted by katakago at 11:55
住吉大社の御田植神事(6/14)を見学 [2014年06月15日(Sun)]
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 6月も半ばとなり、地元の水田も既に田植えが終わっています。現在は代掻きはトラクターで、田植えも田植え機で行われるので、それほど時間もかからずに終わってしまいます。私の子供の頃(60年以上も前)は、家には農耕用の牛が飼われており、代掻きの畜力に牛が使われ、田植えは人力によるため何日もかかっていたようです。当時兼業農家であった両親は大変な苦労をしたことと改めてふり返っています。

 昨日(6/14)、住吉大社の御田植神事で、懐かしい光景を目にすることが出来ました(上の写真はその時の一枚)。

 伝承によれば、神功皇后(第四本宮の祭神)が鎮座の際、住吉大神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)の御供田として神田を定められ、長門国(現在の山口県)から植女(うえめ)を召したことに始まるといわれています。この神事は昭和54年に国の重要無形民俗文化財に指定されています。住吉大社のホームページによれば、「母なる大地に植え付けされる苗には、強力な穀霊が宿るものと考えられ、田植えに際して音楽を奏で、歌をうたい踊りや舞を演じるのは、田や植付する苗に宿る穀物の力を増やすためで、穀物が豊かに育ち稲穂が十分に実る秋を迎えるための儀式」とあります。

 13時から第一本宮で行われた神事(奉告祭)の間、御田式場(約2反の広さ)では、神田の代掻きが斎牛(さいぎゅう)を使って博労(ばくろう)により行われました。

 斎牛による代掻きの様子 
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 修祓(御田を祓い清め御神水を田に注ぐ)
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 早苗授受(植女が替植女に早苗を授け田植えが開始される)
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 住吉大社の神楽女8人(八乙女)が奉仕する田舞(八乙女舞)
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 田んぼでは替植女(かえうえめ)による田植えが男性の奉耕者と共に行われます。
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 中央舞台では田舞に続き、御稔女(みとしめ)により、豊穣祈願の神楽(神田代舞)が舞われます。
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 早乙女姿の童女が踊る田植踊
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 住吉踊
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 約200人の子供達による住吉踊の全景
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 この2時間ほどの間に、2反の神田の田植えは終了し神事が終わりました。


 なお、3月15日の行われた春日大社の御田植神事を見学した時の記事は次のURLに載せています。
      ↓
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/785
Posted by katakago at 12:10
飛鳥を愛する会 総会・春季現地講座 [2014年04月21日(Mon)]
 この19・20日は、飛鳥を愛する会の総会と春季現地講座が開催され参加しました。1日目は午後から明日香村中央公民館で総会に引き続き講演会が行われました。
 長谷川透氏(明日香村教育委員会)の講演では、飛鳥寺西方遺跡(『日本書紀』に出てくる”飛鳥寺の西の槻の木の下”の遺構である可能性を示唆)や、飛鳥京苑池など最近の飛鳥の発掘成果について話されました。
 坂本信幸先生(高岡市万葉歴史館館長)は、『万葉集』巻一冒頭と二番目に置かれているそれぞれ雄略天皇御製歌と舒明天皇御製歌(国見歌)について、天皇の国土支配儀礼(「告る」・「見る」・「聞く」)を踏まえ、「記紀」や関連文献を引用しながら解説されました。関連記事は次のURLに載せています。
        ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/687
 講演される坂本先生
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 2日目の現地講座では、泊瀬から伊賀の万葉故地や遺跡をバスで巡りました。

 最初に桜井市阿倍の安倍寺跡と文殊院にある東西の古墳(大字阿倍字寺谷)や近くの谷首古墳(大字阿倍字谷汲)を見学しました。案内と解説は岡崎晋明先生(龍谷大学名誉教授)と会長の木下正史先生。
 安倍寺跡(大化改新のあと左大臣となった阿倍倉橋麻呂が発願した可能性の高い寺院)
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 文殊院西古墳  石室内で岡崎先生による説明の様子
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 花崗岩の切石で築かれた石室(玄室の天井石は大きな1石)で、切石に似せて線を人為的に入れる擬似線の技法も施されている。築造時期は7世紀後半(第3四半期)で、阿倍倉橋麻呂の墓である可能性も(岡崎先生)

 谷首古墳
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 自然石巨石積みの石舞台古墳と同形式の古墳(規模は小さいが)で、築造時期は7世紀前半と考えられ、阿倍倉橋麻呂より一代ほど前の阿倍氏の族長墓とみられています。

 桜井市忍坂(おっさか)の地では、舒明天皇陵(最初の八角形天皇陵)や鏡王女墓、万葉歌碑を見学しました。今回のコースでこの地区だけは以前にも訪れたことがある場所です。
 鏡王女墓
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 万葉歌碑(揮毫は犬養先生)
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【歌】 秋山之 樹下隠 逝水乃 吾許曾益目 御念従者 (鏡王女 A-92)
【読み下し文】 秋山の 木の下隠り 行く水の 我こそまさめ 思ほすよりは
【口語訳】 秋山の 木陰をひそかに 流れてゆく水のように わたくしの方こそ深く思っているでしょう あなたが思ってくださる以上に
 題詞には、天智天皇が鏡王女に賜った御歌に唱和した歌とあります。

 桜井市脇本の脇本遺跡は弥生時代から飛鳥時代にかけての複合遺跡で、雄略天皇の泊瀬朝倉宮跡の推定地でもある。
 脇本遺跡近くの春日神社境内で、木下先生や影山尚之先生(武庫川女子大学教授)から考古学と万葉の解説を聴きました。
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 白山神社境内(桜井市黒崎)で保田與重郎揮毫の雄略天皇御製歌(巻一の冒頭歌)の歌碑と記念碑を見学
 万葉集發耀讃仰碑
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 雄略天皇御製歌の歌碑
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【歌】 籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそいませ 我こそば 告らめ 家をも名をも (@-1)

 桜井市吉隠(公民館入り口)にある穂積皇子の歌碑(揮毫は今 日出海)
ここでは大島信生先生(皇学館大学教授)が解説されました。
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【歌】 降る雪は あはにな降りそ 吉隠の 猪養の岡の 寒からまくに (穂積皇子 A-203)
【口語訳】 降る雪よ どっと降るでないぞ 吉隠(よなばり)の 猪養の岡が 寒かろうから
 題詞には、但馬皇女が亡くなった後、穂積皇子が、雪の降る冬の日、皇女の御墓を遙かに見やって悲しみ、涙を流して作られた歌、とあります。
 ところで、但馬皇女については、題詞に、高市皇子の宮に在った時に、ひそかに穂積皇子と関係を結び、そのことがすっかり顕れたので、作られた、とある次の歌が残されています。
【歌】 人言を 繁み言痛み 己が世に いまだ渡らぬ 朝川渡る (A-116)

 墨坂神社境内(宇陀市榛原区)の万葉歌碑(題詞には柿本朝臣人麻呂の妻の歌とある)
墨坂は大和中央部と伊勢とを結ぶ道の大和側の境の要地
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【歌】 君家尓 吾住坂乃 家道乎毛 吾者不忘 命不死者 (C-504)
【読み下し文】 君が家に 我が住坂の 家道をも 我は忘れじ 命死なずは
【口語訳】 あなたの家に わたしが住むというその住坂の峠の 通い道までも わたしは忘れないでしょう 命のある限り

 
 最後の見学場所は伊賀市比土字城之越の城之越(じょのこし)遺跡
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 古墳時代前期後半(4世紀後半)の水辺の祭祀遺構で、写真のように復元展示されています(祭祀の対象は井泉から湧き出る水であったと考えられています)。土師器高坏・小型丸底壺や木製の武器など祭祀色の強い遺物が多数出土している(城之越学習館に展示)。

 2日目は途中から雨が降り出し、見学場所毎で大部の資料を取り出して説明を聴くのが大変でしたが、今回初めて訪ねる場所がほとんどで、有意義な現地講座となりました。

 なお秋は、北関東方面の現地講座が計画されています(9/28〜9/30)。

Posted by katakago at 20:41
若菜祭に参加(4/6) [2014年04月07日(Mon)]
 昨日(4/6)は奈良県明日香村で「若菜祭」が開催され出かけて来ました。
 桜は満開を過ぎ散り始めていましたが、川原寺付近の明日香川沿い(1枚目の写真)や橘寺(2枚目の写真)の花はまだ十分楽しめました。
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 犬養万葉記念館は、万葉学者の故犬養孝先生の業績(学術分野では万葉風土学を確立、多くの人々に万葉の世界を広め、飛鳥の古都保存にも尽力)を顕彰するために2000年4月1日に開館され、明日香を訪れる万葉ファンの立ち寄り先となっています。4月1日は先生の誕生日にあたり、毎年4月の第一日曜日に若菜祭が行われています(午前中は記念館で神事、午後は明日香村中央公民館で講演会)。これまでは講演会のみの参加でしたが、今年は初めて神事にも参列しました(15回目)。

 神事は、記念館の活動の発展を祈念して飛鳥坐神社の飛鳥弘文宮司により執り行われました。
 神事の後お話をされる飛鳥宮司  
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 記念館の運営については、今年度から明日香村の方針で少し変わって行きそうなのが気がかりです。

 講演会では、大濱眞幸先生(元関西大学教授)が「天平二十年四月一日の大伴家持」と題して、四月一日に掾久米朝臣広繩の館の宴で詠まれた次の四首の歌群を取り上げられました。
 卯の花の 咲く月立ちぬ ほととぎす 来鳴きとよめよ 含みたりとも (Q-4066)
 二山の 山に隠れる ほととぎす 今も鳴かぬか 君に聞かせむ (Q-4067)
 居り明かしも 今夜は飲まむ ほととぎす 明けむ朝は 鳴き渡らむそ(Q-4068)
 明日よりは 継て聞こえむ ほととぎす 一夜のからに 恋ひ渡るかも (Q-4069)

 以下、当日の先生の資料より、「季節観から見た四首のまとめ」を載せておきます。
 この年の夏四月一日(太陽暦五月六日)が”立夏の前日”に当たり、それは十九年に一度しかない珍しい巡り合わせで、そのような日だからこそ宴が催され、これらの歌群が成立したとみられています(立夏前日の夏四月一日は、ほととぎすの初音を心待ちにする者にとって、その思いを詠むのに誠に相応しい日)。 

 講演される大濱眞幸先生
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 ところで、先生の父上(故大濱嚴比古氏)も万葉学者で、お名前の”眞幸”は、次の万葉歌に因んで付けられたそうです。
 岩代の 濱松が枝を 引き結び 眞幸くあらば また還り見む (有間皇子挽歌 A-141)
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Posted by katakago at 21:30
万葉集友の会のお花見(茨木市) [2014年04月04日(Fri)]
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 昨日は植物園のサクラを紹介しましたが、今日は「万葉集友の会」(有志)のお花見会があり参加しました。場所は茨木神社そばで、午後からの講座の前に各自弁当持参で集まり(12名)、桜吹雪の舞う中で食事をしながら話も弾みました。



Posted by katakago at 18:49
薬師寺花会式の結願法要に参列(3/31) [2014年04月01日(Tue)]
 薬師寺の花会式(修二会)は旧暦の2月末に行われていた事から、新暦に直して今年からは3月23〜31日にかけて行われるようになりました。昨日その結願法要に出かけて来ました(2年前にも参列しました)。
 お写経道場で村上太胤副住職の「花会式悔過(はなえしきけか)について」と題する法話を聴いた後、金堂で行われる初夜(午後7時から)の行法(ぎょうぼう)に参列するための整理券を入手しました(全て立ち席で前回より少なくなって300名程度)。
 薬師寺から案内をいただいたパンフレットによれば、花会式薬師悔過法要について、次のような由来が記されていました。およそ900年の昔、嘉承2年(1107)、堀河天皇の皇后の病気平癒を薬師如来に祈願したところ霊験を得て本復され、皇后は感謝の心を十種の造花(梅・桃・桜・山吹・椿・牡丹・藤・百合・杜若・菊)にこめて年ごとの薬師修二会に供えられ、これが発祥となり今日まで絶えることなく続く奈良を代表する伝統行事の一つになっています。薬師悔過法要では、出仕する練行衆(れんぎょうしゅう)が薬師如来の前で全ての罪過を悔い改め、心身ともに清浄の境地を得たのち、国家繁栄・万民豊楽・風雨順時・天下泰平・五穀豊穣・仏法興隆・除災與楽が祈願されます。

 村上太胤副住職の法話の様子
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 金堂で行われていた日中(午後1時から)の行法の様子
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 扉が開けられていたので外から見学できました。午後7時から始まる初夜の行法は、入堂後は扉を施錠して行われます。
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 夕方まで時間があったので、花会式に合わせて東院堂で開催されていた特別展(フラワーデザイナー長渕悦子さんによる「聖観世音菩薩に捧げる花展」)を見学することが出来ました。
 写真は外から撮影させていただきました。
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 初夜の行法の前に、大講堂前で神供(しんぐ)が行われました。咒師(しゅし)が神々を勧請してお供えをし、練行衆が読経を行った後、松明を放り上げて神々に献じられます。
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 午後7時から金堂内の薬師三尊像の前で初夜の行法が約1時間半行われました(入堂後は扉を施錠)。大きな声を張り上げる独特の読経(南都声明と呼ばれる)がなされ、堂内に法螺貝・鐘・太鼓が鳴り響くなか、咒師(しゅし)が真剣を持って内陣を走り回り堂内を清める作法も行われ、幻想的な雰囲気が醸し出されました。

 その後金堂前で「鬼追式」が行われました。薬師如来のお力を受けた毘沙門天が暴れまわる鬼を鎮めるというものです。
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2年前の記事は次のURL に載せています。
     ↓
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/300



Posted by katakago at 12:44
春日大社の御田植神事 [2014年03月15日(Sat)]
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 これまで奈良の寺社の伝統行事を見学して来ていますが、今日は春日大社の御田植神事が行われました。私も少しばかり農業をやっており興味があったので出かけて来ました。本社の林檎の庭・榎本神社階下・若宮神社の3ケ所で、八乙女が松苗を植える所作を行う田舞が奉納されました。
 春日大社のホームページから概要を載せておきます。御田植祭は、平安末期の長寛元年(1163)に始まる五穀豊穣を祈る祭典です。田主が鋤を使って耕す所作を行い、次いで牛面を着けた牛男が唐鋤や馬鍬を引いた後、神楽男の歌と楽器(笏拍子・銅拍子・神楽笛)に合わせて、八乙女が早苗に見立てた松苗を用いて田舞を奉納します。

最初の2枚と次の4枚の写真は、本社の林檎の庭での神事
 田主の鋤を使って耕す所作
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 牛男による馬鍬引き 
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 八乙女による田舞
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 松苗を植える所作
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 次の2枚の写真は榎本神社階下での神事の様子
 
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 若宮神社での神事に向かう行列
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Posted by katakago at 21:40
中山寺の節分会 [2014年02月03日(Mon)]
 午前中、中之島のカルチャーで万葉講座を受講した後、午後から阪急沿線の中山寺に立ち寄り、節分会の行事を見学しました(昨年は早朝より吉野の金峯山寺に出かけました)。中山寺はその縁起によると聖徳太子の創建と伝えられ、我が国最初の観音霊場で(本尊は十一面観世音菩薩)、西国二十四番札所になっています(紫雲山 中山寺の御詠歌は、のをもすぎ さとをもゆきて なかやまの てらへまゐるは のちのよのため)。幕末、明治天皇御平産祈願が行われたこともあって「安産の寺」としても知られています。
 午後3時からの2回目に間に合いました。本堂両サイドに仮設舞台がしつらえられ、追難式は右側で、豆まきは本堂と両サイドの舞台の3ケ所で行われました。中山寺の節分会にお参りして、今年も福を持ち帰れれば幸いです。 

 中山寺山門
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 追難式(ついなしき)の様子
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 1年の厄を払いその年の幸せを願う儀式で、宝塚歌劇団生徒が扮する観音様に、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の3匹の鬼が諭されて、福・禄・寿の善神に変わるさまが演じられました。昨年見学した金峯山寺蔵王堂内で行われた鬼の調伏式と比べ、ここでは現代風にアレンジされており、だいぶ趣が違っていました。

 除災招福豆まき式の様子
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 昨年お参りした金峯山寺の節分会の記事は次のURLに載せています。
       ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/530

Posted by katakago at 21:10
茨木市で万葉集友の会の新年会(1/31) [2014年02月02日(Sun)]
 万葉集友の会の新年会が開催され出席しました(1/31)。この会は、昨年三月まで梅花学園生涯学習センターで市瀬雅之先生の万葉講座の受講生有志の集まりで、半年ほど会員による自主的講座が行われた後、年10回程の頻度で市瀬先生の講座が始められています。20名の出席(先生を含む)があり、昼食をとりながら万葉について話が弾みました。

 昼食後は、近くの茨木神社の散策を楽しみました。神社の奥宮に、延喜式内社の天石門別神社があり、境内には茨木城の搦手門が移築されていました。
 天石門別神社
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 茨木神社(背面から)
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Posted by katakago at 17:19
「春日若宮おん祭」を見学 [2013年12月18日(Wed)]
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 昨日(12/17)奈良で「春日若宮おん祭」があり、「お渡り式」と「お旅所祭」を見学しました(一枚目の写真はお渡り式で行われた大名行列)。

 「おん祭」が行われる若宮は春日大社の摂社の一つで、本社の第三殿天児屋根命と第四殿比売神の御子神(名は天押雲根命)をおまつりしています(水徳の神と仰がれる)。
 平安時代に大雨洪水による飢饉が相次ぎ疫病が蔓延したので、時の関白藤原忠通が万民救済のため若宮の御霊威にすがり、現在地に神殿を造営した(保延元年、1135年)といわれています。若宮の御神助を願い、翌年(1136年)、春日野に御神霊をお迎えして祭礼を奉仕したのが、おん祭の始まりとされています。その御霊験はあらたかで、以後五穀豊穣、万民安楽を祈って途切れることなく執り行われ、今年で878回目だそうです。若宮神にお喜びいただくために大和の人々が一つになって行うお祭りで、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
 現在の若宮(17日は午前零時に若宮神を本殿よりお旅所に遷す遷幸の儀が行われた)
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 おん祭の「お渡り式」は、ご神霊の行列ではなく既に行宮(お旅所)に遷られた若宮神のもとへ、芸能集団や祭礼に加わる人々が参列する行列で、第一番(日使)、第二番(神子)・・・・第十二番(大名行列)からなります。今回は、お旅所の真向かいに設けられた特別桟敷(有料ですが)からお渡り式とお旅所祭を見学できました。以下にいくつかの写真を掲載します。
【お渡り式の様子】
 白の被衣(かずき)をかぶり騎馬で進む神子(第二番の行列) 
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 競馬(二騎ずつ参道を疾走、第七番)
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 大名行列(第十二番)
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【お旅所祭の様子】
 若宮神の行宮(お旅所)で宮司がご幣を奉げ祝詞を奏上 
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 神楽奉納
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 田楽奉納
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 細男(せいのお)
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 神功皇后の故事にちなむといわれ、白い浄衣を着けた六人の舞人が白い布を目の下に垂らし、うち二人が小鼓を胸から下げ、二人は素手で、あとの二人は笛を担当して舞うもので、我が国芸能史のうえでも他に例のないものだそうです。

 お旅所祭の行事はこの後も続き、若宮神は18日午前零時までにはご本殿戻られてこの日のお祭りが終了することになります。


 関西では、寺社の伝統行事が数多くありこれまでもいくつか見学して来ています。参考までに関係の記事を記載したURLを以下にあげておきます。

 唐招提寺観月讃仏会
    ↓
http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/167
 東大寺二月堂修二会(お水取り)
    ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/270
 薬師寺花会式
    ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/300
 率川神社の三枝祭(さいくさのまつり)
    ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/372
 金峯山寺の節分会(鬼火の祭典)
    ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/530
 大神神社の酒まつり
    ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/735
  
Posted by katakago at 18:01
大神神社の酒まつりと三輪山登拝(11/14) [2013年11月15日(Fri)]
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 昨日は大神神社で醸造安全祈願祭(酒まつり)が行われました。先月、橿原考古学研究所付属博物館の秋季特別展「美酒発掘」を見に行った折、この「酒まつり」の開催を知り出かけて来ました。新酒の仕込みを迎えるこの時期の恒例の行事だそうです。

 大神神社と酒造りの関係については、『日本書紀』崇神天皇八年条に次のような記事があります。「八年の夏四月の庚子の朔にして乙卯に、高橋邑の人活日(いくひ)を以ちて大神(おほみわ)の掌酒(さかびと)とす。冬十二月の丙申の朔にして乙卯に、天皇、大田田根子を以ちて大神を祭らしめたまふ。是の日に、活日自ら神酒(みき)を奉げ、天皇に献る。仍りて歌(うたよみ)して曰く、此の神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久 といふ。如此歌して神宮に宴す。」 

 拝殿には、新しい大きな「志るしの杉玉」(直径1.5m、重さ150kg)が飾られていました(前日に取り付けられたそうです)。
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 10時30分に始まる神事の前から境内では樽酒がふるまわれていました。
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 神事の様子は拝殿前から見学しました。宮司の祝詞奏上に続き神楽が奏されました。
 神楽に先立ち神酒が供えられます。
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 四人の巫女が杉の葉を持って「うま酒みわの舞」を奉納
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 『日本書紀』崇神天皇条に出てくる歌謡の歌碑(揮毫は故和田嘉寿男先生) 
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【歌】 此の神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久 (15)
【口語訳】 この神酒は私が醸造した神酒ではありません。倭国を造られた大物主の醸造された神酒です。幾世までも久しく栄えませ、栄えませ
「酒まつり」の神事で奏される神楽「うま酒みわの舞」は、この歌を神楽としたものと言われています。

 活日(いくひ)神社(大神神社の摂社)
大物主に奉げる酒造りを命じられた高橋邑の活日を祀る(杜氏の祖先神として酒造関係者の信仰が篤い)
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 神事が終わってから、大神神社の神体山である三輪山に登拝しました。山の辺の道にはこれまで何度か訪れ大神神社にも立ち寄っていましたが、三輪山にも一度登ってみたいと思っていました。狭井神社(大神の荒魂を祀る)で申し込み、三輪山参拝証の襷を掛けて登拝しました。標高467.1mの山で上り下り約4km、往復2時間程でした。途中(364.5m)に中津磐座と頂上に奥津磐座がありました(山中での写真撮影は禁止されています)。最近パワースポットとしても注目されているのか、若い女性の登拝者も目立ちました。
 なお、三輪山山麓の「山ノ神遺跡」からは、酒の神を祀る祭儀に用いられたと推定されるミニチュア土器も出土しています。関連記事は次のURLに掲載しています。
    ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/714


Posted by katakago at 13:14
第65回正倉院展 [2013年11月02日(Sat)]
 奈良国立博物館では先月26日から正倉院展が開催中です。会期は今月11日までと短く、また今月は行事も多く何時出かけようかと思っていましたが、昨日(11/1)夕方に奈良まで行って来ました。この日は午後から茨木市クリエイトセンターで市瀬先生(梅花女子大学教授)の講座(久邇京遷都と橘諸兄)があり、これが終わってからです。先月の奈良学文化講座(10/12)で橘諸兄の故地を巡るイベントに参加したので、この日の講座には関心がありました。

 正倉院展は会期が短いのですが会期中は無休で、金・土・日・祝日・振り替え休日は午後7時までやっています。午後5時半から入館のオータムレイト券は300円安くなっており、5時過ぎに到着したところ既に行列が出来ていました。
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 昼間の時間帯に比べ、団体客もなく比較的ゆったりと見ることが出来ましたが、ポスターにも掲載されている「漆金薄絵盤(香印坐)」をまじかに見るには20分ほど並ぶ必要がありました。
 今回出品されているなかで、楽器類(和琴・尺八・横笛)が目につきました。檜和琴(ひのきのわごん)は、長さ156cmで6絃の琴(和琴と呼ばれる)で、槽の形や絃数が中国の琴(きん)や新羅琴(しらぎごと)とは異なるものです。槽の頭部が玳瑁(たいまい)・螺鈿(らでん)等で華麗に装飾されたされた品です。尺八は長さ40.7cmで、マダケの三節ある材が用いられ、孔は6箇のものです(現在の尺八とは長さも指孔の数も異なる)。宝庫には、このほか玉製・石製・象牙製の尺八も伝わっています。横笛(おうてき)は長さ39.2cmでトウチク属の材が用いられています。奈良時代には尺八や横笛は唐楽(唐から伝来した舞踊を伴う音楽)の楽器として広まり、寺院音楽における主要な楽器であったようです。

なお、尺八の歴史に関する関連記事は次のURLに載せています。
      ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/713


Posted by katakago at 10:44
橘諸兄の故地をゆくー木津川東岸・井手町ー [2013年10月13日(Sun)]
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 昨日(10/12)JR東海「奈良学文化講座」の会員限定の特別講座があり参加しました(京都府綴喜郡井手町)。テーマは「奈良朝の左大臣橘諸兄の故地をゆくー木津川東岸・井手町ー」で、茨木敏仁氏(井手町教育委員会文化財技師・学芸員)が午前の解説と午後からの案内を担当されました。

 午後のコースは、井手町役場(12:05出発)→ 地福寺 → 橘諸兄旧跡 →(山背古道)→ 椿坂・大安寺旧境内附石橋瓦窯跡(国史跡) → 小町塚 → 地蔵禅院 → 玉津岡神社 → 井手町文化財展示室 → 井手(井堤)寺跡 → 玉水駅(15:15着)までの約6kmで、秋晴れの下ウォーキングも楽しみました。

 当時この地には、橘諸兄の別荘 ー 相楽別業(さがらかのべちごふ)があり、『続日本紀』聖武天皇天平十二年条には「天皇、右大臣の相楽別業に幸したまふ」とあります。また平成15年からの発掘調査により、橘氏の氏寺として創建されたと伝えられる井手(井堤)寺跡の遺構が見つかっています。なお、橘諸兄(臣籍に降りる前は葛城王)は『万葉集』に8首の歌を残しています。
 平安時代には、三十六歌仙の一人として知られる小野小町が「色も香も なつかしきかな 蛙鳴く 井手のわたりの 山吹の花」と詠い(小町集)、現在も町中を流れる玉川の堤には山吹が植えられています。各地に伝わる小町伝説の一つとして井手に住まいしたとの伝えもあり、この地に小町塚が建てられています。

 ウォーキングの様子
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 椿坂・大安寺旧境内附石橋瓦窯跡(国史跡)の説明板
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 石橋瓦窯跡から出土した軒瓦は大安寺(平城遷都で大官大寺が平城京に移されて造営)創建期の軒瓦と同笵と確認され、この窯跡は、天平十九年(747)の『大安寺伽藍縁起幷流記資財帳』にある大安寺所有の「棚倉瓦屋」であると推定されています(奈良時代初期の官寺の瓦生産地と供給地が文献史料と発掘調査両面から裏付けられた初めての例)。
 井手町文化財展示室での見学の様子(展示物の写真撮影も許可されました)
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 石橋瓦窯跡出土の軒平瓦(大安寺創建期のものと同笵)
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 ここで焼かれた瓦は、木津川を船で運ばれ、木津からは陸路で平城京まで運ばれたようです。

 今回最後に訪れたのが、橘氏の氏寺と考えられている井手(井堤)寺跡です。240m四方の広大な寺域が確定されているそうです(現在は水田・畑の下に遺跡が眠る)。出土瓦は平城京・恭仁京と共通するものが多いとのことです。棰先瓦は奈良三彩施釉線刻のものが出土していることからも、当時の権力者の関与が考えられています。 
 展示室で特別に見せていただいた奈良三彩施釉線刻棰先瓦(出土品)
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 井手(井堤)寺の柱跡の説明プレートに書かれた古絵図(「山城国井堤旧地全図」で原図は平安時代の1143年)の部分
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Posted by katakago at 17:10
美酒発掘(橿考研博物館秋季特別展) [2013年10月07日(Mon)]
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 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館では、秋季特別展「美酒発掘」が開催中です(10/5〜11/24)。昨日(10/6)は午後から県立万葉文化館(明日香村)で開催された「万葉古代学公開シンポジウム」に参加するついでに、博物館に立ち寄りました。10時半からは担当の学芸員が案内してくれました。
 文献史料としては、『三国志魏書』倭人条に「人性嗜酒(人の性、酒を嗜む)」とあり(次の写真)、日本人にとって酒とは古くから関わりあいがあります。考古資料からは縄文時代前期中ごろから中期(紀元前7900〜6000年ごろ)の青森県三内丸山遺跡などからヤマグワ・ヤマブドウ等の種子を主体とする廃棄物層で、果汁が搾り取られたとみなしうる状況が確認されているそうです(果汁を発酵させれば果実酒の存在が想定されるようです)。
 百衲本の影印より
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 『日本書紀』崇神天皇条に、大物主大神(大神神社の主祭神)へ奉げる酒造りを司る「掌酒(さかびと)」に高橋邑の活日(いくひ)が任じられたとの記載があります(三輪の地と酒の醸造との関連を記す文献史料の初出)。考古学的に注目されるのは、三輪山の山腹に所在する磐座(いわくら)の一つである山ノ神遺跡から、『延喜式』(巻40「酒造雑器」)に記された酒造道具に共通するとみられる土製模造品の出土です。これらの遺物の発見により、古墳時代(5世紀ごろ)に三輪山祭祀が本格化したと考えられています(以上展覧会図録より)。
 現在、大神神社は全国の醸造元の信仰を集めています(毎年11/14には醸造安全祈願祭(酒まつり)が斎行される)。
Posted by katakago at 14:43
犬養孝先生を偲ぶ会(十五年祭) [2013年09月29日(Sun)]
 学生時代に教養部で万葉集の講義を受けた犬養孝先生を偲ぶ会があり、出席しました。十五年命日祭が生前住んでおられた西宮市にある西宮神社会館で執り行われました。祝詞奏上では、犬養先生の業績があらためて述べられていました。学問的業績や古都保存活動はもちろん、中でも「講義や萬葉旅行をとおして四万有余の若人を万葉の世界へ誘った」と述べられていたのは、大変印象的でした。私も先生の講義に出会わなければ、退職後今のような生活を送っていたかは分かりません。あらためて先生と出会えたことに感謝しています。
 神事の後の直会の会場では、食事の後出席者(80名余り)が一人ひとり、先生との思い出話を紹介され楽しいひと時を過ごしました。先生は大阪大学を退官後、甲南女子大学で教鞭をとられ、それからの萬葉旅行は、阪大と甲南女子大学から委員が選ばれて実施されたとのことで、これが縁で結ばれたカップルもあったそうで、今日も何組か夫婦で出席されていました。

 会の終わりには、次の万葉歌二首
【歌】 采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く (@-51)
【歌】 信濃なる 千曲の川の 細石も 君し踏みてば 玉と拾はむ (M-3400)
を「犬養節」で朗誦し、次いで、島崎藤村の「初恋」の歌を合唱してお開きとなりました。

 次の2枚の写真は、直会の会場での様子です。
 生前の先生の映像(五高時代に阿蘇に登って噴煙を見た時の話をされていました) 
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 全員で献杯(清酒の街西宮市ではその条例により清酒で行うことになっています)
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 学生時代に最初に参加した萬葉旅行の集合写真が手元に残っていましたので、記念に掲載しておきます。第79回大阪大学萬葉旅行の会で吉野・宮滝方面に出かけた時のものです(昭和39年7月12日)。撮影場所は桜木神社の境内。
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Posted by katakago at 21:20
第46回万葉の明日香路に月を観る会 [2013年09月22日(Sun)]
 昨日(9/21)は午後行われた市 大樹氏の受賞記念講演(於 岸和田市)を聴講した後、明日香村に移動し午後5時からの観月会に参加しました。
 明日香村では彼岸花祭りが開催中(9/21・22)でした。
 写真は橘寺
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 観月会の行事は、橘寺と道路をはさんで向かい側の史跡川原寺跡の特設ステージで行われました。  
 恒例の八雲琴(二弦)の演奏(演奏は保存会と聖徳中学の皆さん)
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 講演は、長谷川透氏(明日香村教育委員会文化財課技師)と、坂本信幸先生(高岡市立万葉歴史館館長)が行われました。
 長谷川氏は、現在氏が担当で発掘調査中の飛鳥寺西方遺跡について話されました。『日本書紀』には、皇極三年(644)条に、「中臣鎌子連、(中略) 偶に中大兄に、法興寺の槻樹の下に、打毬の侶に預りて、・・・」をはじめ、大化の改新直後(孝徳即位前紀645年)の「大槻樹の下に群臣を召集めて盟はしめたまふ」、天武元年(672年、壬申の乱)の「飛鳥寺の西の槻の下に據りて営を為す」など、飛鳥寺西には神聖な槻の木があり人々が集う空間があったと考えられています。今回の発掘調査で、入鹿の首塚から西へ120m、南北200mの石敷広場(砂利敷・石敷、石組溝・土管暗渠)が見つかったとのことです(7世紀半ばから後半の土器と瓦も出土)。今後は、槻(ケヤキ)の根の跡の発見が待たれます。

 坂本信幸先生の講演
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 坂本先生の講演は、「大伴坂上郎女と月の歌」と題して、ちょうど日も落ちて暗くなり始めた頃から行われました(途中で月の出が期待されましたが、あいにく講演中には見れませんでした)。
 平安朝には中国思想の影響で月を見ることは忌む風習があったのに対し、万葉時代は、月を見ることについての禁忌はなく見るべきもので、月を詠む多くの歌が多く残されています。
 大伴坂上郎女は、甥の大伴家持の歌の手ほどきをしていた例として、初月(みかづき)を詠む次の歌が紹介されました(初月を題に歌の指導)。
【歌】 月立ちて ただ三日月の 眉根掻き 日長く恋ひし 君に逢へるかも (大伴坂上郎女 E-993)
【歌】 振り放けて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも (大伴家持 E-994)
 坂上郎女の歌の「眉根掻き」は、当時、眉がかゆいのは恋人に逢える前兆と信じられ、また、かゆくなくても自分から眉を掻けば、恋人が逢いに来てくれると考えて掻くこともあったようです(この歌の「掻き」には黛で描く「描き」が掛けられている)。家持の歌は、歌の配列順から天平五年(733)の年代が記された最も早い作とみられています(15, 6歳の頃)。


 昨年は台風のため中止になりましたが、一昨年の様子は下記のURLで
         ↓
 http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/166
Posted by katakago at 17:31
奈良学文化講座 ー 葛城氏揺籃の地を歩く [2013年06月30日(Sun)]
 昨日(6/29)は、JR東海の奈良学文化講座(第131回)があり参加しました。今回のテーマは、「古代豪族葛城氏”揺籃”の地、秋津島を歩く」で、午前中は、水谷千秋さん(堺女子短期大学准教授)が「葛城氏とヤマト政権の謎」と題して講演され(於 葛公民館)、午後からは、藤田和尊さん(御所市教育委員会文化財課長)の案内で、葛城氏ゆかりの地を歩きました。

 水谷さんの講演では、葛城氏や葛城襲津彦が登場する『日本書紀』の関連個所(神功皇后摂政五年条、同六十二年条、允恭天皇五年条)を引いて話されました。
 葛城氏は五世紀最大の豪族で、「記紀」に登場する人物で実在の確かめられるのは葛城襲津彦が始めとみられている(井上光貞、『日本書紀』の他外国の『百済記』にも記述あり)。
 葛城襲津彦は、神功皇后摂政五年条に、新羅各地を攻撃し俘虜を倭国に連行した記事があり、同六十二年条には、襲津彦が新羅攻撃の将軍として派遣されるが、『百済記』を引用して、新羅が送った美女二人に籠絡され、反対に加羅国を攻撃した、との記事が載せられています。なお『百済記』では沙至比跪(さちひく)となっています。
 
 五世紀代の「記紀」系譜は、『宋書』倭国伝にみえる倭王の系譜(倭の五王)とほぼ一致しているので、おおよそ史実を伝えているとみられています(井上光貞)。
 当日配布資料の下図では、五世紀に葛城氏が大王家と姻戚関係を結んでいることが分かります。五世紀は大王と葛城氏の「両頭政権」とみる説(直木孝次郎)があります。
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 午後の出発式(中央が藤田さん)
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 葛公民館(12:35出発)→ 安楽寺塔婆 → 條ウル神古墳 → 桜田公園 → 八幡神社・室宮山古墳 →(中西遺跡・秋津遺跡)→ 掖上鑵子塚古墳 → 孝安天皇陵 → JR玉手駅(16:10頃着)で、約8.7kmのコース。参加者は約百数十名ほど。

 安楽寺塔婆(葛城寺の伽藍の一つで元は三重塔) 
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 室宮山古墳(大きな古墳は地上から全体像を見るのが困難)
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 墳丘に登り藤田さんから説明を聴きました。
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 5世紀初めごろ築造の大型前方後円墳(墳長238m)で、後円部には中軸をはさんで南北それぞれに竪穴式石室があり、共に「王の柩」とも称される竜山石(兵庫県産)製の長持形石棺が安置されていた。竪穴式石室内に安置された状態で長持形石棺を現地で見れるのはここだけとのことでした。
 被葬者としては、葛城襲津彦とする説が有力で、朝鮮半島式の船形陶質土器も出土している。葛城襲津彦は、午前の講演にもあったようにたびたび朝鮮半島に渡って戦争を仕掛けたことが『日本書紀』にも記されています。

 竪穴式石室の入り口  
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 竪穴式石室と長持形石棺の説明プレート
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 長持形石棺の前面
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 なお、「葛城氏とヤマト政権」に関しては、昨年のカルチャーセンターの報告で触れています。
         ↓
  URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/273

Posted by katakago at 16:16
新 兵庫史を歩く(5/25)のTV放送 [2013年06月16日(Sun)]
 先月25に開催されたNHK神戸放送局のイベント「新 兵庫史を歩く(播磨路)」のTV放映が今日の午後あり、その映像を見ながら当日の出来事をふり返りました。なにぶんその日は炎天下での説明で、充分聞き取れていなかった個所もあったのですが、今回の番組ではあらためてポイント毎に田辺先生の解説を聞きなおすことができてよかったです。
 写真は番組の最終で映された玉丘古墳前での参加者全員の記念写真です(TV画面より)。

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 当日の模様は先の記事で紹介しています。
            ↓
 URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/615

また、NHK神戸放送局のホームページにも紹介されています。
            ↓
 URL http://www.nhk.or.jp/kobe/hyogoshi/kasai/index.html





Posted by katakago at 16:50
新 兵庫史を歩く(播磨路) [2013年05月27日(Mon)]
 この週末は行事が続いてブログの更新が遅れました。土曜日は今回報告するイベント(加西市で開催)に参加し、昨日は朝から生産組合(水利組合でもある)の共同作業として溜池堰堤の草刈りに出て、午後からは水路に水が引かれたのでビオトープ池へ水を補給する作業などに追われました。2日間とも五月とは思えない炎天下での行動で、このためだいぶ体力を消費してしまいました。


 土曜日(5/25)のイベント(新 兵庫史を歩く)は、NHK神戸放送局・加西市などが主催で、今回は、「優しき仏たちの播磨路〜加西市〜」と題して行われました。なお、このシリーズは平成15年から続いており、3回目(平成15年11月22日)の「清和源氏のふるさと(川西市)」に参加したことがあります。

 今回のコースは、北条鉄道北条町駅(9:45)→ 大年神社 → 商家の町並み → 酒見(さがみ)寺 → 住吉神社 → 五百羅漢石仏 → 酒見寺境内(昼食)→ 寺町通り → 大信寺 → 旧家の町並み → 道標 → 玉丘史跡公園 → 加西市埋蔵文化財整理室 → 加西市役所(16:00)

 参加者は約150名(7班で行動)で、各見学場所では講師の田辺眞人さん(園田学園女子大学名誉教授)から説明を聴きました。
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 大年神社で田辺講師の解説を聴く(写真右端は進行役の内藤雄介アナウンサー)
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 五百羅漢石仏(北条小学校の児童から各班毎に説明を聞きました)
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 玉丘史跡公園に到着
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 玉丘古墳の前で田辺講師の説明
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 墳丘には登ることができます(石棺が直葬されてあった場所)
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 玉丘古墳の説明パネル(全長109mの前方後円墳、五世紀前半)
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 『播磨国風土記』(現存する五つの風土記のうちの一つ)には、玉丘古墳のいわれとして根日女(ねひめ)伝説が記されています。賀毛の郡(かものこほり)に書かれた関連個所を、『新編古典文学全集 風土記』の口語訳より、以下に載せておきます。
 玉野の村がある。(名づけた)わけは、 意奚(おけ)・袁奚(をけ)二はしらの皇子(*)が、美囊(みなぎ)の郡の志深(しじみ)の里の高野の宮においでになって、山部の小楯(おたて)を遣わして、国の造(みやつこ)許麻(こま)の娘の根日女の命(ねひめのみこと)に求婚なさった。こういう次第で、根日女が、全く仰せに従う決心をし終わっていた。その時、二はしらの皇子は、お互いに譲り合って結婚なさらなかった。日が経つうちに、根日女が、年老いて世を去った。その時に、皇子たちが、ひどく悲しみ、すぐに小楯を遣わして、おっしゃったことには、「朝日夕日が隠れることなく照らし続ける地に、墓を造ってその骨を納め、玉で墓を飾ろう」とおっしゃった。だから、それによって、この墓を玉丘と名づけ、その村を玉野と名づけた。
 (*)「記紀」によれば、この二はしらの皇子は、後の仁賢天皇(24代)と顕宗天皇(23代)

 このような伝説がある加西市では、『播磨国風土記』関連の事業を2015年にかけて実施するとのことです。またNHKでは、今回のイベントの模様を来月16日(日)13:05から放送される予定です(詳細はNH神戸放送局のホームページで)。



Posted by katakago at 09:37
飛鳥を愛する会(現地講座二日目)ー 飛鳥から巨勢路・葛城古道を巡る [2013年04月22日(Mon)]
 2日目は二台のバスで葛城山麓の史跡と万葉の舞台を巡りました。コースは、近鉄橿原神宮前駅(出発8:30)→ 磐余池推定地 → 巨勢寺跡 → 阿吽寺 → 水泥古墳 → 栄山寺 → 一言主神社 → 鳥谷口古墳 → 近鉄橿原神宮前駅(17:20頃帰着)
 集合時間が早く6時前に家を出なければなりませんでした。朝方まで降っていた雨も出発のころにはやんでくれました。盛りだくさんな見学場所で同行の講師の先生方から、詳細な資料とともに詳しく解説していただきました。以下訪問場所のいくつかを載せておきます。

 磐余池推定地(発掘現場は埋め戻されていました)での坂本先生による万葉歌の解説
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 昨日の和田先生の講演にもありましたが、大津皇子関連の万葉歌を『日本書紀』・『懐風藻』等の関連記事を交えながら解説していただきました。
 一昨年の現地見学会の記事に堤跡の写真を掲載しています。
        ↓
  URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/daily/201112/17

 巨勢寺塔跡で岡崎先生による解説
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 創建時期は遺跡出土の古瓦より白鳳期頃のようで、この地の豪族巨勢臣が造った寺とみられています。塔の心礎の中央には円柱孔があり、その中に同心円の三重の溝が穿たれ、それを連結させる溝によって水を心礎外に排出する構造になっている。中心には舎利を納める孔があいている。

 阿吽寺での大島先生による万葉歌の解説
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 阿吽寺の万葉歌碑(揮毫は犬養先生)
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【歌碑の文字】 巨勢山乃 列列椿 都良都良尓 見乍思奈 許湍乃春野乎
【読み下し文】 巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を (坂門人足 @‐54)
【口語訳】 巨勢山の つらつら椿を つらつらと 見ながら偲ぼうよ 巨勢の春野を
 大宝元年(701)9月に太上天皇(持統天皇)が紀伊国に行幸された時の歌で、椿の花のない晩秋ではあるが、花咲く春のさまを思い遣ろう、と詠われています。

巨勢寺跡西南1.7kmの所にある横穴式石室を伴う円墳の見学(解説は岡崎先生)
 水泥南古墳
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 石室内には、玄室と羨道にそれぞれ一基ずつの家形石棺がおかれ(玄室の石棺は二上山の凝灰岩、羨道の石棺は竜山石)、羨道の石棺の蓋の縄掛け突起には蓮華文があり、古墳文化と仏教文化の統合の一例として注目されています。
 水泥塚穴古墳(西尾氏邸内にある)
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 石室内に入って見学できました。民家の敷地内にこんなに大きな石室をもつ古墳があるのは驚きです。
 出土品の展示(西尾氏邸内)
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 須恵器や金銅製の耳環等が展示されていました。

 一言主神社では影山先生による解説
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 『記紀』に記された雄略天皇と一言神主神の説話と、葛城地方の万葉歌について解説していただきました。
境内にある万葉歌碑
【歌碑の文字】 葛木之 其津彦真弓 荒木尓毛 憑也君之 吾之名告兼
【読み下し文】 葛城の 襲津彦真弓 荒木にも 頼めや君が 我が名告りけむ (J‐2639)
【口語訳】 葛城の 襲津彦の弓の 荒木のようにしっかりと 頼りにする気であなたは わたしの名を人に話したのでしょうか
   葛城古道と一言主神社および万葉歌碑の関連記事は
           ↓
    URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/daily/201204/27

 鳥谷口古墳(当麻町染野字鳥谷口)
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 築造時期は7世紀末と考えられ、石槨の石材は石棺蓋の未製品が転用されている。大津皇子の再葬場所とする説(和田先生)があります。

 
Posted by katakago at 21:58
飛鳥を愛する会 春季総会・講座(4/20) [2013年04月21日(Sun)]
 昨日(4/20)から2日間にわたって、飛鳥を愛する会の春季総会と現地講座があり参加しました。ここでは一日目の様子をお知らせします。
 午前中は総会に引き続き、木下正史先生による「最近の飛鳥の発掘成果から」と和田萃先生による「大津皇子事件の背景ー磐余池跡と鳥谷口古墳」の二題の講演が行われました(明日香村中央公民館にて)。午後からは明日香村の周辺遺跡を先生方の解説を聴きながら見学しました。

 講演される和田先生
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 『万葉集』には、大津皇子が謀反の罪で処刑される時に磐余の池の堤で涙を流して作られた歌が載せられています。その「磐余の池」に関して、和田先生は40年ほど前に地勢(周辺の畔の続き具合など)や小字名(嶋井など池に関連した)の調査などより磐余の池の推定地に関する論文を書かれていたそうですが、一昨年の発掘調査ではその推定場所から池の堤跡が発見され、ご自分のお考えが考古学からも実証され大いに祝杯をあげられたとのことでした(この場所は2日目に訪ねることになります)。

 揮毫された人麻呂の泣血哀慟歌の歌碑の前で坂本先生の解説を聴きました。
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 この歌の関連記事は
      ↓
 URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/daily/201202/05

 昨年末に橘寺境内に新しく建立された歌碑の前で(坂本先生の解説)
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この歌碑の除幕式の記事は
       ↓
 URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/daily/201211/26

 橘寺塔跡の心礎の前で(木下先生の解説)
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 稲淵宮殿跡で坂本先生による万葉歌の解説
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 犬養先生揮毫の万葉歌碑(稲淵宮殿跡)
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【原文】 明日香川 七瀬之不行尓 住鳥毛 意有社 波不立目 (F-1366)
【読み下し文】 明日香川 七瀬の淀に 住む鳥も 心あれこそ 波立てざらめ
【口語訳】 明日香川の 七瀬の淀に すむ鳥さえも 深い心があるからこそ 波を立てないのだろう
  
Posted by katakago at 22:08
若菜祭 [2013年04月08日(Mon)]
 昨日(4/7)、明日香村中央公民館で若菜祭が開催されました。今年は、講演会のほか、人丸信仰の調査報告と参加者による明日香の万葉歌の朗唱が行われました。
 講演会では、村田右富実先生(大阪府立大教授)が、「入江泰吉と明日香皇女挽歌を読む」と題して話されました。
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 村田先生の講演を聴講するのは、今年になって3度目です(1回目は大津皇子関連、2回目は人麻呂の泣血哀慟歌)。今回は、文武四年(700)に薨去された明日香皇女の殯宮の時に人麻呂が作った挽歌が取り上げられました。この歌は制作年次の分かる人麻呂最後の作とされ、長歌と反歌二首です(巻二の196,197,198)。パワーポイントで入江泰吉撮影の明日香の風景写真を映し出しながら歌の解説を進められました。
 時間には毎年繰り返される永遠回帰の時間(自然の時間)と、一方向にしか流れない不可逆の時間(人間の時間)があり、この長歌では、明日香皇女は永遠の命をもっていた(自然の時間)はずであるのに今は死んでしまった(人間の時間)と詠われ、再び生前回顧で夫君との永遠の愛情の時間が続く(自然の時間)と思われたが二度目の死去(人間の時間)が表現されている、との解説は興味深かいものでした。


Posted by katakago at 22:32
薬師寺参拝ー東西両塔内陣の見学 [2013年03月20日(Wed)]
 薬師寺では現在東塔の大修理中ですが、今月初めから東西両塔の初層が公開されており、今日が最終日だったので出かけて来ました。
 写真は復興された西塔
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内陣では修復された四天王像(重要文化財)が初公開されていました。

 東塔初層の内陣では、解体修理中に心柱最上部から発見された「仏舎利」を間近に参拝できました。また心柱をはじめ内部の様子も見ることができました。

 復興された金堂
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 金堂内には、薬師三尊像(国宝・白鳳時代)が安置されています。次の写真は外から撮影した堂内の様子(右に薬師如来、左が月光菩薩、写真には写っていませんが薬師如来の右側には日光菩薩)。堂内での講話によると、薬師如来は東方浄瑠璃浄土の教主でまたの名を医王如来とも言い、我々の身と心の病気を救ってくださる仏さまだそうです。家族の「健体康心」を念じました。
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 なお金堂では今月末より「修二会薬師悔過法要(花会式)」が行われます(3/30〜4/5)。
 昨年見学した時の様子は
     ↓
  URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/daily/201204/06




Posted by katakago at 18:47
早春の大和国中を歩く(第129回奈良学文化講座) [2013年03月03日(Sun)]
 昨日(3/2)第129回奈良学文化講座が開催され参加しました。今回は「早春の大和国中を歩くー纒向遺跡”卑弥呼の居館跡”から壬申の乱の故地・村屋神社へ」と題して開催されました。午前は平林章仁氏(龍谷大学教授)による講演(演題:壬申の乱と中ツ道の古戦場・村屋神社)が行われ(於 奈良市中部公民館)、午後はJR桜井線で巻向駅まで移動し、纒向遺跡や、講演で触れられた壬申の乱の中ツ道の古戦場・村屋神社などを巡りました。

 壬申の乱については、昨年末の講演会の記事(11/24)にも載せています。
                   ↓
  URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/508?1353754827

 壬申の乱は、天智天皇の弟である大海人皇子と天智の長子である大友皇子(近江朝廷側)とが天智の死後皇位継承をめぐって争われた古代史上最大の戦乱で、その戦闘地域は伊賀・大倭(やまと)・近江方面に及んだ。『日本書紀』巻二十八の天武天皇 上に詳しく記されています。 
 今回の講演では、主に大倭国内での戦闘について話されました。倭京守衛は大伴連吹負(ふけい)で、勇士の奮戦や”神助”のおかげで防衛に成功します(天武天皇 上 第九段)。東国からの軍兵を上ツ道・中ツ道・下ツ道の守りに駐屯させ、大伴吹負は自ら中ツ道に布陣して近江軍と戦った記事の中に、”神助”について次のようなくだりがあります(配布資料にもありましたが、以下は『新編日本古典文学全集 日本書紀』の口語訳より)。高市郡の大領高市県主許梅に高市社の神(事代主神)、身狭社(むさのやしろ)の神(生霊神)が依り憑いて託宣した話に続いて、 「また村屋神が神官に依り憑いて、『今、我が社の中道から軍衆が攻めて来よう。それゆえ社の中道を塞ぎ守れ』と言った。すると幾日も経たないうちに、廬井造鯨の軍衆が中道から来襲した。時の人は、『神のご託宣はこの事であったのだ』と言った。軍事に関する政務がすっかり終わると、将軍たちはこの三神のご託宣を天皇に奏上した。天皇は勅して、三神の品を上げて祭祀を行われた」とあります。
 講演ではこの神が味方したということは、「その神を奉斎する集団が味方した」ということであると解説されていました。
 ここに出てくる「村屋神社」を午後のウォーキングで訪れました。
 

 午後のウォーキングのコースは、
巻向駅 → 珠城山古墳群 → 纒向遺跡・太田北微高地“居館跡” → 纒向石塚古墳〜[纒向古墳群] → 素戔鳴神社(雄綱・雌綱)〜[大和川(初瀬川)]〜[さくら広場] → 村屋神社・中ツ道 → 岐多志神社 → 森市神社〜[青垣生涯学習センター(唐古・鍵考古ミュージアム)] → 近鉄田原本駅

 案内の講師は、北井利幸氏(橿原考古学研究所付属博物館)と藤田三郎氏(田原本町教育委員会)のお二人で、人数が多いためFMラジオで解説を聴きながら見学しました。

 スタート地点のJR巻向駅に掲げられた看板
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 珠城山古墳群(築造は6世紀)の見学(狭い道を上って行きます)
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 一号墳の横穴式石室
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 墳頂から眺めた箸墓古墳の後円部(写真中央)
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 箸墓古墳は宮内庁が陵墓として管理していますが、先月(2/20)日本考古学協会など15の研究団体による立ち入り調査が行われました。

 纒向遺跡の発掘現場の見学(写真左後方の山は三輪山) 
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 この近くでは、方位をそろえて建てられた3世紀前半頃の3棟の掘立柱建物跡が見つかっています。

 素戔鳴神社の雄綱・雌綱
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 初瀬川の南北の江包と大西地区の間で行われている「お綱はんの結婚式(国指定重要無形民俗文化財)」。上流から流れてきた二人の神様を、江包は素戔鳴尊、大西は稲田姫を助け二人が正月に結婚式を挙げたことに由来するという(古くからの田遊び祭りの一種で、豊作を予祝する儀式)。

 
 村屋神社(午前の講演で話された壬申の乱の故地)
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 田原本駅に至る途中に唐古・鍵考古ミュージアムがあり、施設の見学は今回のコースに入っていませんでしたが、折角の機会でもあり立ち寄りました。
 唐古・鍵遺跡は日本を代表する弥生時代の環濠集落で、その出土品が展示されています。
 写真は入口正面の模型 
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Posted by katakago at 17:06
古市古墳めぐり [2013年02月24日(Sun)]
 藤井寺市から羽曳野市にわたる古市古墳群をめぐるウォーキングに参加してきました(2/23、主催:南大阪歩け歩け協会、後援:朝日新聞社)。
 コースは、近鉄藤井寺駅近くの仏供田公園(9:45集合) → 辛国神社 → 葛井寺 → 仲津姫陵 → 道明寺天満宮 → 石川河川公園・星の広場 → 誉田八幡宮 → 応神陵古墳 → 峯ケ塚古墳・峰塚公園(昼食)→ 清寧天皇陵 → 白鳥陵 → 安閑天皇陵 → 白鳥神社 → 近鉄古市駅(ゴール、14:30)までの約13km(次の地図は今回のコースを示す)。
 主催団体が“歩く会”でもあり歩き始める前に全員(参加者は160名位)でストレッチを行い、出発してからは皆ひたすらハイペースで歩いていました。古墳めぐりとなっていましたが、今回は歩くのが目的で途中での説明もなく通り過ぎたのが心残りでした。
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 昼食場所の峰塚公園にある展望広場から撮影したものです。峯ケ塚古墳(写真左手前)、中央に白鳥陵、右後方には二上山が写っています。
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 白鳥陵
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 『日本書紀』には、日本武尊(景行天皇の皇子)は東征からの帰途病に倒れ、伊勢の能褒野(のぼの、三重県亀山市)で崩じ、その後白鳥と化(な)って能褒野から飛び立ち大和の琴弾原(ことひきはら、奈良県御所市)へ、次いで河内の旧市邑(ふるいちのむら、羽曳野市)に留まり、この3か所に陵墓が造られ(号けて白鳥陵)、ついには天高く飛び去ったと記されています。


 今回のウォーキングでは、遺跡の解説などがなかったので、古市駅からの帰途、再び藤井寺駅で下車して展示施設のある藤井寺市生涯学習センターを訪ねました。
 
 藤井寺市立生涯学習センター(アイセルシュラホール)
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 古墳時代の巨石運搬機とみられる修羅(しゅら)と船形埴輪をモチーフにしたユニークな建物です。展示物の写真撮影は許可されていました。以下主なものを載せておきます。

 修羅(しゅら)、巨石運搬機
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 土師の里遺跡内の三ツ塚古墳の濠の中から掘り出された二股の木ゾリ(大と小の2点が出土)で、大修羅(アカガシで出来ており全長約8.8m)は以前に大阪府立近つ飛鳥博物館で見たことがあります。

 船形埴輪(岡古墳出土)
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 外洋航海に用いられた最も進んだ船をモデルにしたもので、船形埴輪としては日本最大のもの。

 西墓山古墳の鉄器出土状況の展示(写真右側に鉄製武器、左側に鉄製農工具)
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 鉄製武器は刀・剣・矛・槍先など200点以上、鉄製の農具や工具は2000点以上 

 野中古墳出土の武器(11組の甲と冑が見つかっている)
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 広瀬和雄氏(国立歴史民族博物館教授)は、『古市古墳群とその時代』(藤井寺市教育委員会)や『前方後円墳の世界』(岩波新書)の中で、古市古墳群の特徴について、以下のように考えられています。
@大量の鉄製武器・武具の副葬
 大和政権の政治的基盤は、膨大な武器の保有にあった(畿内以外の地域ではみられない)。初期大和政権は、古墳に副葬しても代替できるだけの鉄製武器再生産システムを構築していた。
A階層構成型古墳群
 前方後円墳同士でも大きさのばらつきがあり(方墳・円墳でも二重三重の格差)、主墳のまわりに陪冢とよばれる小さな古墳が多数随伴している(大和政権の地域首長の支配方式が変わったとの見方)。
B巨大古墳の環大阪湾シフト
 大阪湾北方からの進路(明石海峡)に五色塚古墳、大阪湾南方からの進路(紀淡海峡)に西陵古墳・宇度墓古墳、住吉津からの進路に百舌鳥古墳群、大和への進入口に古市古墳群を配置し、大和政権が西方の勢力(吉備や北部九州)や朝鮮半島の勢力に対し、自らの勢威を示すために造られた(これらの巨大古墳はその地域の勢力が造ったものではない)との見方。「荘厳性、威圧性、隔絶性にすぐれた巨大前方後円墳は、相互に連携しながら<可視的な前方後円墳国家>としての威力を存分なく発揮」と述べられています。

 Bの見解は大変興味深く思われます。
なお、広瀬氏については昨年の朝日カルチャー(中之島教室)で、「壱岐島の巨石墳と新羅外交」と題した講座でも話されています。その時の記事は
                  ↓
  URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/daily/201202/10

五色塚古墳の写真は次の記事の中に載せています
                   ↓
  URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/daily/201204/22
Posted by katakago at 21:55
第23回にしのみや万葉セミナー [2013年02月19日(Tue)]
 2/17に夙川公民館で「にしのみや万葉セミナー」が開催され、山内英正氏の講演と岡本三千代さんの「万葉うたがたりコンサート」があり出かけて来ました。
 西宮市には西田公園万葉植物苑(1988年開設)があり、生前西宮市に住んでおられた犬養孝先生の選ばれた歌と植物の説明板も添えられ、大伴家持の「春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子」の歌碑(犬養先生45番目の揮毫)があります。この開設を記念して1990年から「にしのみや万葉セミナー」が毎年開催されて当初は犬養先生が講演を行われ、第8回目からは山内氏が担当されるようになったとのことです。私は今回初めて参加しました。

 山内氏の講演は、「歌聖・柿本人麻呂ー伝説と信仰ー」と題して行われました。
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 講演の前半では、人麻呂が石見国で死に臨む時に詠んだとされる歌とその関連歌および石見相聞歌について解説されました。後半では人麻呂が後の世になって信仰の対象になっていった話をされました。山内氏も関わられて、『神になった柿本人麻呂ー人丸信仰の調査と報告書』が刊行されています(発行は犬養万葉記念館に協力する会)。人丸信仰の神社・寺・塚などは全国に400ほど知られているようですが、山内氏ら(全国万葉協会の富田さん荒川さんほか)はそのうち121ケ所を調査されたそうです。歌聖として歌・芸事の上達やさらには学問・受験の神としても祀られ、火気の元、火止まる→火伏・防火の神、人生まる→安産の神としてや、産業興隆(紙漉き・鍛冶)などの神として祀られているところもあるそうです。  

 岡本さんのコンサートでは、西宮の万葉歌10首のうち3首に曲をつけて「西宮慕情」、人麻呂の羈旅歌4首を取り上げた「大和島見ゆ」、軽皇子が安騎野に宿られた時に人麻呂が詠んだ歌から「阿騎野寒暁」などが歌われました。
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ちなみに後ろの映像に使用していただいたワラビの写真は私が撮影したものです。

 帰りには、参加者全員にお土産として草花の鉢植えが配られました。西宮市のオリジナル植物である「エンジェルス・イヤリング」と命名されたフクシア(アカバナ科フクシア属)も入っていました。花が咲くのが楽しみです。なお、これらは西宮市植物生産研究センターで育成されたものです。




Posted by katakago at 14:45
記紀・万葉リレートーク8(万葉集に詠われる遙か紀伊国へ至る道〜紀路) [2013年02月10日(Sun)]
 奈良県では平成24年の古事記撰上1300年を記念して、「記紀・万葉プロジェクト」が立ちあげられ、さまざまな関連行事が企画実施されています。このプロジェクトは、日本書紀完成1300年に当たる平成32に年に向けた9年間にわたる事業とのことです。この一環の行事として昨年10月から県内各地で「記紀・万葉リレートーク」が開催されています。昨日(2/9)第8回目が高取町で開催され出かけて来ました。

 今回は地元高取町在住の和田萃先生(京都教育大学名誉教授)が、「万葉集に詠われる遙か紀伊国へ至る道〜紀路」と題して講演されました。
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 講演では和田先生が『古代の地方史III』で作成された地図をもとに7世紀の紀路について話されました(時代によってルートは少し異なるようですが)。
 神亀元年(724)十月に聖武天皇が紀伊国に行幸された時に、お供の人に贈るために、笠朝臣金村がある婦人に頼まれて作ったと題詞に書かれている次の歌に、紀路の地名が詠まれています。長歌の初めの部分を載せておきます(下線は地名)
【歌】 大君の 行幸のまにま もののふの 八十伴の男と 出でて行きし 愛し夫は 天飛ぶや の道より 玉だすき 畝傍を見つつ あさもよし 紀伊道に入り立ち 真土山 越ゆらむ君は もみち葉の 散り飛ぶ見つつ むつましみ 我は思はず 草枕 旅を宜しと 思ひつつ 君はあるらむと ・・・・・(C-543)
 この歌にあるように、当時の紀路の出発点は軽(現在の近鉄橿原神宮前駅近く)であったと考えられています(古くから軽の市があった所)。


 講演終了後、午後から高取町観光ボランティアガイドの会主催の「記紀・万葉ウォーク」が予定されておりこれにも参加しました。
 今回のウォーキングは次のルートです(約4.5km)。会場の高取町リベルテホール → 森カシ谷遺跡 → 束明神古墳 → 岡宮天皇陵 → 紀の辻 → 薩摩遺跡 → 市尾墓山古墳 → 市尾宮塚古墳 → 近鉄市尾駅

 束明神古墳でボランティアガイドさんから説明していただきました。
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 ガイドさんが手にした石槨の写真(橿原考古学研究所付属博物館の前庭に実物大の展示があるとのこと)。
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 墳丘は八角形墳、石室は横口式石槨、棺は漆塗木棺で、石槨の変遷・棺の構造・須恵器などから築造年代は7世紀後半と考えられています。被葬者は草壁皇子(天武天皇の皇子)である可能性が大きいと言われています。近くの岡宮天皇陵(今回も立ち寄った)は宮内庁指定の陵墓でこれが草壁皇子の眞弓丘陵とされていますが(草壁皇子は即位することなく亡くなったが岡宮天皇と追尊された)。

 市尾墓山古墳(国指定史跡)
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 墳丘の長さ約70m、高さ10mの前方後円墳で、周濠と外堤をあわせると全長100mの規模。後円部から横穴式石室が検出され、家形石棺が確認されています。出土遺物(武器・馬具・玉類・土器など)などから築造年代は6世紀初めごろと考えられています(当時この地域で権力をもっていた豪族の墓とみられている)。
 石室と石棺の解説プレート(高取町教育委員会)
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 市尾宮塚古墳(国指定史跡)
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 墳丘は全長44m、後円部の直径は23m、高さは7mの前方後円墳で、後円部に横穴式石室があり、外から中の石棺(凝灰岩製のくりぬきの家形石棺)を見ることができました。6世紀中ごろの築造と見られています。
 写真は石室内の家形石棺
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Posted by katakago at 10:29
金峯山寺の節分会(鬼火の祭典) [2013年02月03日(Sun)]
 今日は節分。早朝より吉野の金峯山寺に出かけて来ました。昨年から東大寺二月堂の修二会(お水取り)や薬師寺の花会式など古寺の伝統行事に出かけていますが、今回は金峯山寺の節分会を見学するのが目的です。こちらの節分会は「鬼火の祭典」として注目されているようです。

 蔵王堂内では、打ち鳴らす太鼓の音とともに般若心経を読誦する「日数心経」に始まり、続いて仏・菩薩の化現であり、我々の運命に影響を与える星を供養する「星供」が修法され、次いで鬼の調伏式(これが鬼火の祭典といわれる)が営まれました。堂内での撮影は不可のため、入口越しに何枚か撮影しました。
次の3枚の写真は鬼の調伏式の様子を外から写したものです。
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 カメラを高く掲げて一斉にシャッターがきられます。
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 参拝者も鬼に向かって豆を投げつけます。
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 他の寺社とは異なり「福は内、鬼も内」と唱え、全国から追われてきた鬼を迎え入れてやるというもので、その荒れ狂う鬼たちを経典の功徳や法力、信徒の撒く豆で平伏させ仏道に入らせるという儀式です。

 蔵王堂内での行事が終わった後、境内では採灯大護摩供と豆撒きが行われました。
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 採灯大護摩で罪や穢れを焼き清める。
天下泰平、万民安楽、五穀豊穣、東日本大震災からの復興などの祈願が行われました。
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 豆撒きの様子
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 この節分会にお参りして、小さな福でもひき寄せられれば幸いです。


参考までに 二月堂のお水取り
         ↓
     URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/270?1330898792
      
      薬師寺の花会式
         ↓
     URL http://blog.canpan.info/inagawamanyo/daily/201204/06



Posted by katakago at 19:49
橘寺で万葉歌碑の除幕式 [2012年11月26日(Mon)]
 昨日(11/25)明日香村の橘寺で万葉歌碑の除幕式があり出かけて来ました。主催は「飛鳥古京を守る会 事後処理委員会」で今回が最後の行事となりました。なお、この会は40年に渡る役割を終え、昨年より「飛鳥を愛する会」として再出発しています。

 この橘の地は聖徳太子の誕生地とされ、橘寺は聖徳太子建立の七ケ大寺の一つとされています。
 川原寺前から撮った橘寺 
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 境内のイチョウが鮮やかに紅葉していました。万葉歌では”黄葉・黄変”(もみつ)と表記されますが(11/22の記事参照)。
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 山崎馨会長の挨拶の後、橘寺住職・明日香村村長ほか来賓らにより歌碑の序幕が行われました。(歌碑の製作は石工の左野勝司さん)
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 『万葉集』に一首だけ「橘の寺」が出て来ます(巻十六)。その歌が選ばれました。
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【歌】 橘 寺之長屋尓 吾率宿之 童女波奈理波 髪上都良武可 (O-3822)
【読み下し】 橘の 寺の長屋に 我が率寝し 童女放りは 髪上げつらむか
【口語訳】 橘寺の長屋に私が連れて行って共寝をした放り髪の少女は、もう髪を結い上げたであろうかなあ。 (『萬葉集全歌講義』より)
 この歌の「童女放(うなゐはな)り」については、当時女子は14,5歳頃まで頭髪を伸びるままにしており、ここはその髪型でその年齢の少女を呼んだもので、今の時代なら犯罪に当たるかもしれませんが、当時も、「俗人が寺の僧坊で女と共寝をするなどあり得ない」と考えた人物がいました。『万葉集』では、この歌の後に次のような左注と歌が続いています(以下、『萬葉集全歌講義』より)。
 右の歌について、椎野連長年が診断して言うには、そもそも寺院は、俗人の寝る所ではない。 また若い女性を、「童女放り」という。第四句に「童女放り」と言っているから、第五句に重ねて「髪を結いあげただろうか」などと言うべきではないのではないか、と言う。修正して言うには、
【歌】 橘之 光有長屋尓 吾率宿之 宇奈為放尓 髪挙都良武香 (O‐3823)
【読み下し】 橘の 照れる長屋に 我が率寝し 童女放りに 髪上げつらむか
【口語訳】 橘の実の照っている長屋に、私が連れて行って共寝をした少女は、今は放り髪に結い上げたであろうかなあ。

 前の歌(3822)について『万葉集全釈』では、「全く民謡風の作品である。野趣横溢。寺の神聖を冒涜するなどと、憤慨するのは野暮である。こんなことは随分あったであらう。純粋な直情径行的作品」と評されています。
 なお、これらの歌が収められた巻十六は、歌の背景となる物語が題詞や左注に詳しく書かれたものや、笑いと機知の強調された宴席歌、物の名が詠み込まれた技巧的な歌等が集められた異色の巻です。

 この日は同時に会津八一の歌碑の序幕も行われました(橘寺境内)。
 くろごま の あさ の あがき に ふませ たる
 をか の くさね と なづさひ ぞ こし
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Posted by katakago at 11:13
平城京天平祭 秋2012 [2012年11月11日(Sun)]
 奈良市の平城宮跡では、昨日(11/10)から今月18日まで「平城京天平祭 秋2012」が開催されています(夏のイベントは8/24の記事に掲載)。
 今日はいくつかの興味あるイベントが開催されるので早朝から出かけて来ました。会場に着いた時にはあいにく雨が降り出していました。開始まで充分時間があったので、遺構展示館・東院庭園・第一次大極殿・朱雀門を見て回りました。
 第一次大極殿(9年の歳月をかけ平成22年に復元)
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 東院庭園(平城宮の東の張り出し部分で発見された庭園の遺構を復元)
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 朱雀門(平城宮の正門、平成10年に復元)
ここでは祭の期間中、朝(10:00)と夕方(15:30)に衛士隊による朱雀門の開閉が再現されています。
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 第一次大極殿前でのイベント(平成の歌垣)
雨天のため予定されていたミュージカルの一部のみ上演されました。万葉歌の歌唱と紹介のコーナーでは「万葉うたがたり会」の岡本さん・大岡さんも出演されていました。
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 天平の歌垣(写真は朱雀門傍の説明版にある絵)
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 『続日本紀』の聖武天皇天平六年二月一日の条に、朱雀門の広場で歌垣が行われた記事が載っています。宇治谷孟著『続日本紀(上)全現代語訳』より引用しておきます。「二月一日 天皇は朱雀門に出御して歌垣をご覧になった。参加者は男女二百四十余人で、五品(五位)以上の風流心のある者は、皆その中に入りまじった。正四位下の長田王・従四位下の栗栖王・門部王・従五位下の野中王らを頭として、本末を以て(首部と末尾に分けて)唱和した。難波曲(難波津に咲くやこの花冬ごもり・・・・といったような歌に節をつけたものか)・倭部曲・浅茅原曲・広瀬曲・八裳刺曲の音楽を奏し、都中の人々に自由に見させた。歓楽を極めて終わった。歌垣に参加した男女らに物を賜った。」

 なお、歌垣については、岩波書店の『新日本古典文学大系 続日本紀二』の注を載せておきます。「男女が集まり、相互に掛合歌を歌って求愛する習俗から発した行事。その習俗は現代、中国貴州省のミャオ族など、中国南部からインドシナ半島北部の諸民族の間にみえる。日本古代では、武列即位前紀にみえる大和の海柘榴市、万葉・常陸国風土記にみえる筑波山、肥前国風土記にみえる杵島岳の例などがある。」


 奈良国立博物館では今、第64回正倉院展が開催中で、聖武天皇・光明皇后ゆかりの宝物が多数出陳されています。私は5日に出かけましたが、螺鈿紫檀琵琶や瑠璃坏(るりのつき)を間近で見るには20〜30分ほど並ぶ必要がありました。
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 会期は明日(11/12)までです。
Posted by katakago at 18:41
ナント萬葉チャリティーウォーク [2012年11月10日(Sat)]
 南都銀行主催の「ナント萬葉チャリティーウォーク」が開催され参加してきました。ナント萬葉ウォークは昭和63年11月に始まり春秋二回開催されて今回は54回目です。平成16年秋からは「チャリティーウォーク」として、南都銀行が参加人数に応じた寄付金を奈良県社会福祉協議会に贈呈しています。
 今日のコースは、日本最古の道「山の辺の道」南コース(天理 ー 柳本間)で、約9km・約6時間の行程です。講師は坂本信幸先生(奈良女子大学名誉教授・高岡市万葉歴史館館長)で、各所で詳しい説明をしていただきました(参加者は270名ほど)。
 南都銀行天理支店駐車場に集合(9:00) → 石上神宮 → 夜都岐神社 → 大和神社(ここで昼食) → 大和神社御旅所 → 長岳寺 → 黒塚古墳(15過ぎに解散)

 石上神宮では、坂本先生から『記紀』の関連記事の紹介と、境内の万葉歌碑の解説をして頂きました。
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 境内にある柿本朝臣人麻呂の歌の歌碑です。
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【原文】 未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者
【読み下し文】 娘子らが 袖布留山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき我は (C-501)
【口語訳】 乙女が 袖を振るという名の布留山の 年を経た神垣のように 久しい前から 思っていたのだよわたしは

 写真は境内にある杉の神木で、次のような歌が詠まれています。
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【読み下し文】 石上 布留の神杉 神びにし 我やさらさら 恋にあひにける (J-1927)
【口語訳】 石上の 布留の神杉ではないが 年古りた わたしがこの年になって あなたに恋をしてしまったよ

 次の写真は夜都岐(やつぎ)神社の境内で説明を聴いている様子です。 
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 大和神社(おおやまとじんじゃ)での講話では、この神社が、山上憶良の好去好来歌に詠まれているのを紹介して頂きました。
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 遣唐大使に任命された多治比真人広成に、山上憶良が天平5年(733)に贈った歌の中に次のように詠まれています(長歌の一部を掲載)。
【歌】 ・・・・ 唐の 遠き境に 遣はされ 罷りいませ 海原の 辺にも沖にも 神留まり うしはきいます 諸の 大御神たち 船舳に 導きまをし 天地の 大御神たち 大和の 大国御魂 ひさかたの 天のみ空ゆ 天翔り 見渡したまひ 事終はり 帰らむ日には また更に 大御神たち 船舳に 御手うち掛けて 墨縄を 延へたるごとく あぢかをし 値嘉の岫より 大伴の 三津の浜辺に 直泊てに 御船は泊てむ つつみなく 幸くいまして はや帰りませ (5-894)
【口語訳】 ・・・ 唐国の 遠い境に 遣わされ お出かけになるので 海原の 岸にも沖にも どっかりと 鎮座まします もろもろの 海神たちは 遣唐船の船舳で 大使卿らをご案内し 天地の 大御神たち 中でも大和の 大国御魂の神は (ひさかたの) 天のみ空を 飛び翔り 見渡して加護したまい 務めを終え 帰朝される日には また更に 海原の神々は 船のへさきに 御手を掛けてご先導し 墨縄を 張ったように (あぢかをし) 値嘉の崎を経て 大伴の 三津の浜辺に 寄り道もせず お船は着くでしょう つつがなく お元気にいらして 早くお帰りなさいませ

 ところで戦艦大和にはこの御分霊が祀られていたそうです。

 衾道の万葉歌碑
柿本朝臣人麻呂が、妻の死んだ後に泣き悲しんで作った歌(泣血哀慟歌)の反歌
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【歌】 衾道を 引手の山に 妹を置きて 山道を行けば 生けりともなし (A-212)
【口語訳】 (衾道を) 引手の山に 妻を置いて 山路を帰って行くと もう生きている甲斐がない

 長岳寺の鐘桜門(重要文化財)
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 ここでは住職からお寺の説明を聴きました。本堂では大地獄絵(狩野山楽筆)の解説もしていただきました。

 今日のゴールの黒塚古墳
大和古墳群に属する前期古墳(3世紀後半から4世紀初め)で、33面の三角縁神獣鏡と1面の画文帯神獣鏡が、副葬当時に近い状態で発見されました。
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 隣接した黒塚古墳展示館では、竪穴式石室と副葬品の配列の様子が展示してあります。
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Posted by katakago at 23:00
JR東海奈良学文化講座―金峯山寺から古代寺院比曽寺跡へ― [2012年11月04日(Sun)]
 この週末は行事が重なっておりあわただしく過ごしました。昨日(11/3)は、吉野山で第127回JR東海奈良学文化講座が開催され参加しました(定員300名)。今回のテーマは、「吉野山・金峯山寺蔵王堂から吉野川畔、古代寺院・比曽寺跡(世尊寺)へ」で、講演と講師の案内による現地散策が行われました。

 近鉄吉野線の終点吉野駅で下車してロープウェーで吉野山駅まで登り、ここから講演会場の吉野山ビジターセンター(金峯山寺蔵王堂の近く)に向かいました。
 吉野駅前には、犬養先生揮毫の万葉歌碑が建てられています。天武天皇の吉野行幸時の御製歌です(『日本書紀』には、天武天皇8年5月5日に吉野離宮への行幸記事がある)。
【原文】 淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見与 良人四来三 (@-27)
【読み下し文】 よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見
【口語訳】 昔の良き人が よい所だとよく見て よいと言った この吉野をよく見よ 今の良き人よよく見るがよい
 第一句のよき人は昔の君子、第五句のよき人は今の世の君子をさし、天武天皇の周囲にある諸皇子への呼びかけとみられています(『新編日本古典文学全集 萬葉集』)。
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 午前の講演では、高橋平明氏(元興寺文化財研究所)が「幻の古刹・比曽寺の縁起と信仰」と題して話されました。比曽寺は吉野寺とも称され、『今昔物語集』では現光寺とされ、現在は世尊寺として続いています。
 江戸時代前期に作られた『現光寺縁起絵巻』(伽藍再興を期して勧進・寄付を募るために制作されたか)の内容を紹介しながら話されました。
 絵巻上巻では次のように語られます。。欽明天皇14年(539)に茅渟海で漂流する光を放つ樟木発見の報告が天皇になされ、天皇は五十太神(石上神宮)と三輪太神(大神神社)から仏像を造ることを託宣されます。こうして造られた仏像は大和国豊浦堂(後の豊浦寺)に安置されますが、敏達天皇14年に仏教排斥として物部守屋らにより豊浦堂が放火されます。この時消失を免れた仏像は、用明天皇2年(597)の物部守屋誅滅の後、比曽寺に安置したとあります(比曽寺は吉野寺のことであり、今の現光寺)。

 なお、『日本書紀』欽明天皇十四年条には次のような記事が載せられています。夏五月戊辰朔(一日)に、河内国が、「泉郡の茅渟海の中から梵音が聞こえます。その音の響きは雷音のようであり、その美しい光は明るく輝いて日の光のようです」と申しあげた。天皇は不思議に思われて、溝辺直を遣わして、海に入って捜させた。この時、海に入った溝辺直は、はたして樟木が海に浮かんで輝いているのを見つけた。ついに取って天皇に献上した。天皇は画工に命じて、仏像二軀を造らせられた。今、吉野寺にあって、光を放つ樟の仏像がこれである(『新編日本古典文学全集 日本書紀』の口語訳より)。

 午後は、池田淳氏(吉野歴史資料館)の案内で、金峯山寺蔵王堂から比曽寺跡(世尊寺)を巡りました。
 蔵王堂では、秘仏本尊の金剛蔵王大権現が特別ご開帳中(12/9まで)で、今回初めて拝観できました。
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 世尊寺(比曽寺跡)では、住職から説明の後堂内の仏像を見学しました。
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『現光寺縁起絵巻』や『日本書紀』には放光樟像と記されていますが、現在の本尊は平安時代作の阿弥陀如来座像です。絵巻の現物は文化財指定のため見れませんでしたが、模写されたものを見せていただきました。次の写真は住職の許可を得たもので、放光樟木を引き上げている場面です。
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 これまで吉野は万葉ゆかりの地として何度か訪れて来ましたが、今回の講座を通して吉野の別の一面にふれることができました。 


Posted by katakago at 19:33
西国街道から「いましろ大王の杜」を巡る [2012年09月23日(Sun)]
 大阪モノレールハイキング ー 西国街道から「いましろ大王の杜」を巡る ー に参加してきました。朝方まで雨が降っており開催が危ぶまれましたが、電話で確認したところ実施するとのことで、集合場所(豊川駅)に到着の頃には幸い雨も上がっていました。このところ天気には恵まれています。
 今日のコースは、モノレール豊川駅 → 椿の本陣 → 太田茶臼山古墳 → 闘鶏野(つげの)神社 → ハニワ工場公園 → 上の池公園 → 今城塚古墳(今城塚古代歴史館)までの約10kmです。受付でコースの地図をもらってそれぞれのペースで歩きました(今日の参加者は196名だったそうです)。なお、今城塚古墳は昨年5/28にも訪れ記事にしています。 

 郡山宿本陣跡(正門脇に五色の椿の大樹があったことから椿の本陣と呼ばれた)
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 京都と西宮を結ぶ西国街道沿いには、かつて山崎・芥川・郡山・瀬川・昆陽の五つの宿駅があり、郡山本陣は、その中央にあって重要な役割を果たしたそうです。現在の建物は享保6年(1721)に再建され、国の史跡に指定されています。宿帳からは、摂津・備前・備中・美作・讃岐などの大名が宿泊したことが分かっています。

 太田茶臼山古墳(宮内庁により継体天皇陵に指定、継体天皇三島藍野陵)
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 ただし、この古墳は墳丘の形状や、円筒埴輪の年代測定から5世紀の中頃に築造されたものと考えられており、『日本書紀』に記された継体天皇の没年(西暦531年)よりも一世紀ほど古いものとみられています。
 考古学界では、今回最後に訪れた今城塚古墳(6世紀築造)が継体天皇陵であると考えられています。

 ハニワ工場公園(18号ハニワ窯)
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 継体天皇陵と考えられている、史跡今城塚古墳の埴輪を焼いた窯の一つとされています。全国には300以上のハニワ窯が見つかっているなかで、大王の古墳の埴輪を焼いたことが分かっているのは唯一こことされています。

 今城塚古墳(手前に復元された埴輪祭祀場)
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 ここは、大王墓で唯一墳丘内に立ち入ることができるところです(宮内庁の陵墓指定を受けていないため)。
 埴輪祭祀場では、復元埴輪で古代王権の儀礼の場が再現されています。
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 隣接の今城塚古代歴史館には、出土した形象埴輪(高床の家・門・巫女・武人・水鳥・鶏・雄牛等)が展示されています(撮影はOKでした)。
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 後円部の発掘調査で、3種類の石棺材の破片が見つかっており(3基の家型石棺が存在した可能性)、それらは熊本の阿蘇ピンク石(馬門石)、兵庫の竜山石、二上山白石(いずれも凝灰岩)です。阿蘇ピンク石は海路を850km以上も運ばれて来た。
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Posted by katakago at 17:18
石見万葉旅行(9/1全国万葉フェスティバルinしまね・交流会) [2012年09月03日(Mon)]
 2日目(9/1)の午後から、江津市総合市民センターで、「全国万葉フェスティバルinしまね」が開催され、これに出席しました。

 先ず、オープニングでは江津市民混声合唱団の合唱と、「ごうつ万葉大使」(人麻呂と依羅娘子)による万葉歌朗唱(写真)が行われました。
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 引き続き、坂本信幸先生による基調講演(演題:柿本人麻呂の恋の歌)が行われました。
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 『万葉集』には、柿本人麻呂作歌は85首(長歌18首、短歌67首)、柿本人麻呂歌集歌は約365首採られています。
 人麻呂作歌の相聞歌は全五群で、うち三群が石見での歌であり、しかも長歌は人麻呂が石見国から妻(依羅娘子)と別れて上京する時に詠んだ「石見相聞歌」です。これらを含め石見の万葉歌のほとんどが人麻呂関係歌です(人麻呂の恋の歌と死の歌も石見に残されている)。
 石見相聞歌を中心に、人麻呂の複数の妻(石見の妻が依羅娘子、軽の妻)・恋人に関わる歌(挽歌を含む)も解説されました。

 その後のトークショーでは、コーディネーターには富田敏子さん(全国万葉協会会長)、パネラーには坂本先生の他、川島芙美子さん(郷土作家)・山口千代子さん(天平衣装制作・服飾家)が加わり、「人麻呂さんと石見」と題して行われました。

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 夕方、パレス和光で開催された「全国万葉ネットワーク交流会」に参加し、地元(江津市)の方によって準備された御馳走と飲み物をいただきながら、全国各地から集まった万葉ファンと交流を深めました。万葉の大和路を歩く会(64名)、高岡市万葉歴史館万葉を愛する会(34名)、太宰府万葉会(12名)、三豊万葉の会(香川県、6名)、坂出市万葉を歩く会(5名)、因幡万葉歴史館(4名)のほか地元の方々も含め168名の参加者がありました。
 次の写真は、万葉の大和路を歩く会の紹介の様子です。
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 最後に石見神楽(演目:大蛇緒)が上演され、その力強い舞を間近に見ることができました。
『古事記』のなかの出雲神話で有名な、須佐之男命(すさのおのみこと)が出雲の国で八俣のおろちを退治する舞です(写真はその一場面)
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 なお、「第17回全国万葉フォーラムin太宰府」は、平成25年2月16日〜18日の間、太宰府市中央公民館で開催される予定です。


Posted by katakago at 16:14
平城京天平祭☆夏2012 [2012年08月24日(Fri)]
 今日(8/24)から26日まで、平城宮跡で「平城京天平祭☆夏2012」が開催されています。午前中に、カルチャーセンター(中之島)で、毛利先生の講座(『古事記』にみる天孫降臨)を受講した後、午後から平城宮跡に出かけました。

 平城遷都1300年にあたる平成22年(2010)に復元完成した大極殿前の広場で燈花会が行われました(6時半から、広場に並べられたろうそくに一斉に火が点されました)。

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 手前のステージでは二胡の演奏も行われました。
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 7時半ごろから、天平衣装をまとって幻想的な「光の天平行列」が行われました(24,26日のみ)。
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 元明天皇が和銅3年(710)に藤原京から平城京に遷都し、桓武天皇が延暦3年(784)に長岡京に遷都するまで74年間ここに都がありました(但し、聖武天皇が一時期恭仁京や難波宮、紫香楽宮に移り、平城京を離れていた時期があった)。
 
 ところで、平城宮跡の保存に関わったある人物の話が、日経新聞(8/1夕刊)に紹介されていました。宮跡が田畑になっているのを嘆いて、有志を募って保存運動に取り組み私財と寄付金で一部を買い取り、この運動が実って1922年に国の史跡に指定され、現在は世界遺産にも登録されています。この人物は地元の植木職人であった棚田嘉十郎で、その功績を顕彰して朱雀門傍に像が建てられています。
 世界遺産の碑と朱雀門

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 棚田嘉十郎の像
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Posted by katakago at 23:50
なら燈花会 [2012年08月14日(Tue)]
 古都奈良では、8/5〜8/14まで、「なら燈花会」が行われています。1999年に始まり、奈良公園に約2万個のろうそくが点されます。今日はその最後の日で、今回初めて出かけました。九つの会場で実施されており、まず浮雲園地会場(新公会堂前)に行きました。
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 次に訪れた春日大社では、毎年8/14、8/15の中元の夜は万灯籠神事が行われます。三千余基の灯籠(境内の石灯籠約2000基、回廊に並ぶ釣灯籠約1000基)に灯が点されます。古来より神仏に灯明を捧げることは、御供を供えて祈ることと同じ意味があり、燈火に真心を移して神仏に捧げることだと伝えられています(春日大社のパンフレットより)。
 次の写真は春日大社と

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 点灯された回廊の釣灯籠
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 最後に大仏殿に参拝しました。
東大寺鏡池会場からライトアップされた大仏殿を遠望

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 次の2枚は境内参道からライトアップされた大仏殿を撮影
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 大仏殿正面の観相窓から光に照らされた大仏様のお顔を参道から拝むことができます。
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 内部の大仏様の写真
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Posted by katakago at 23:55
率川神社の三枝祭(さいくさのまつり) [2012年06月17日(Sun)]
 奈良市の率川(いさがわ)神社で、毎年6月17日に執り行われる例祭は、三枝祭(さいくさのまつり)として知られています。神社の縁起によれば、その起源は古く文武天皇の大宝元年(701)制定の『大宝令』には、既に国家の祭祀として規定されており、本社の大神神社(桜井市)で行われる鎮花祭(はなしずめのまつり)と共に、疫病を鎮めることを祈る祭りとのことです。
 御祭神の媛蹈鞴(ひめたたら)五十鈴姫命(神武天皇の皇后)は、三輪山の麓を流れる狭井川のほとりに住まわれ、そこにはたくさんのササユリが咲いていたと伝えられ、その縁故により、後世になって御祭神をお慰めするために、酒樽にササユリの花を飾ってお祭りするようになったとのことです。

 ユリは万葉歌にも詠まれ、植物園ではササユリも栽培し、今月は何度かその写真も掲載していますが、以前から一度この「三枝祭」を見てみたいと思っていました。昨日の雨も上がったので引き続き今日(6/17)も奈良に出かけてきました。

 神事は10:30開始でしたが、見学場所を確保するため少し早めに出かけました。但し、一般人はロープで仕切られた社殿後方から見学することになっていました(中へ入れるのは神社の氏子や「ささゆりの会」の会員)。
 今日の神事に使用されるササユリは、大神神社から昨日(宵宮祭)こちらに運ばれたそうです。巫女がササユリを手に舞を奉納するシーンを撮影しようとしましたが、後方からでは内部の様子を見るのが困難でした。次の写真はかろうじて撮れた一枚です。

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 内部の様子を知らせるモニターが各所に設置されていました(次の写真の右上)。
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 次の2枚はモニターの画面を撮ったものです。
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 南都銀行のショーケースにはこの神事で供えられる品々のセットが飾られていました(造花と模型)。
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Posted by katakago at 16:59
飛鳥を愛する会 春季現地講座(2日目) [2012年04月22日(Sun)]
 現地講座2日目は、「飛鳥から摂津・播磨を巡る」小旅行です。コースは、橿原神宮前駅を出発点とし、本住吉神社 → 処女塚古墳 → 西求女塚古墳 → 敏馬(みぬめ)神社 → 五色塚古墳・小壷古墳 明石の大門遠望 → 住吉神社(魚住) → 大中遺跡・兵庫県立考古博物館 → 西明石駅 → 橿原神宮前駅 です。
 阪神地区からの参加者は、本住吉神社で合流しました。前日の天気予報では風雨とも大荒れの天候になるとのことでしたが、幸いにも思ったほどひどい天候ではなく、雨傘なしで見学出来た場所もありました。

 六甲山山麓の前期古墳のうち、東側の群には海とのかかわり深い(海から見られることを重視した)古墳群があり、この群の左から、西求女塚古墳、処女塚古墳、東求女塚古墳が並んでいます。写真は、西求女塚古墳で木下先生の説明を聴いているところです。出土鏡の製作年代などから古墳の築造年代は、250〜260年代と推定され、山陰系土器が出土することより、被葬者も山陰出身者か山陰と関わる人物とみられています。

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 ところで、『万葉集』には、二人の男(小竹田壮士と菟原壮士)に求婚された菟原処女が自殺した伝説を題材に、田辺福麻呂、高橋連虫麻呂、大伴家持が詠んだ歌が載せられています。いずれも長歌と反歌からなりますが、田辺福麻呂の反歌に、
【歌】 古の 小竹田壮士の 妻問ひし 菟原処女の 奥つ城ぞこれ (H-1802)
【口語訳】 古の 小竹田壮士(しのだおとこ)が 求婚した 菟原処女(うないおとめ)の 墓なのだこれは
 とあります。処女塚古墳をまんなかに、その両側に東西の求女塚古墳があることより、この伝説の菟原処女の墓が処女塚古墳(ここに上記の歌碑あり)、小竹田壮士と菟原壮士の墓が東西の求女塚古墳とみられてきたようです。あるいは、これらの古墳は山陽道や瀬戸内海を航行する船から見られることより、ここを行き来した律令官人によって形成されていった伝説との見方もあるようです。処女塚古墳では、影山尚之先生(武庫川女子大学教授)から万葉歌に関して解説して頂きました。。

 敏馬神社(みぬめじんじゃ)には、柿本朝臣人麻呂の次の歌の歌碑が建立されていました。
【歌】 玉藻刈る 敏馬を過ぎて 夏草の 野島の崎に 船近付きぬ (B-250)
【口語訳】 玉藻を刈る 敏馬を過ぎて 夏草の茂る 野島の崎に 船は近づいた

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 車中で昼食をとりながら五色塚古墳に向かいました。
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 五色塚古墳(神戸市垂水区)は、淡路島を望む台地の上に築かれた前方後円墳(全長194m)で、4世紀後半ごろの古墳時代前期後半に造営されたもので、現在写真のように築造された当時の姿に復元されています。古墳に葬られた人は、明石海峡とその周辺を支配した豪族と考えられています。
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 後円部の墳頂で岡崎晋明先生(龍谷大学教授)より説明を聴きました。写真右上方に明石海峡大橋、その先に淡路島が写っています。

 魚住の住吉神社では、聖武天皇が神亀三年(726)に播磨国の印南野(いなみの)に行幸された時に、笠朝臣金村が詠んだ歌について、影山尚之先生より説明して頂きました。

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 その反歌のうちの一首を次に載せておきます。
【歌】 行き廻り 見とも飽かめや 名寸隅の 船瀬の浜に しきる白波 (E-937)
【口語訳】 行きつ戻りつして 見ても飽きがこようか 名寸隅(なきすみ)の 船瀬の浜に しきりに寄せる白波は
 この歌の歌碑が浜を瀬に建立されていました。

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Posted by katakago at 22:50
飛鳥を愛する会 春季総会・講座 [2012年04月21日(Sat)]
  「飛鳥を愛する会」は、昭和45年設立の「飛鳥古京を守る会」が40年にわたる活動を通じ当初の役割を終えた後、装いを新たに昨年設立された組織です。会趣意書の目的には、「飛鳥の文化遺産と歴史的風土を愛し、守り、文化・歴史を学び、思いを未来に馳せ、会員自らの心を養う」とあります。昨年秋の現地講座は「韓国歴史の旅」でこれにに参加しました。

 今年の春の行事は今日から2日間で、1日目は、総会と記念講演(於明日香村中央公民館)および周辺遺跡の見学、2日目は、飛鳥から摂津・播磨を巡る小旅行です。今日は、会長の木下正史先生(東京学芸大学名誉教授)から「天武・持統天皇合葬陵と八角形墳」と題する講演を聴講しました。
 八角形墳については、一昨年、牽牛子塚古墳が八角形で斉明(皇極)天皇陵の可能性が高まったと話題になりました。木下先生によれば、八角形墳の思想的背景は、中国の道教的な政治・祭儀にあり(古代中国では八角形は天子の象徴)、日本で道教的なまつりごとを最初に行ったのは皇極(斉明)天皇とみられ、その夫の舒明天皇陵を八角形墳としたのが最初とのことでした。この八角形墳は、大王権力強化の目的で新たに創出された墳形と考えられています。現在知られている八角形墳は、舒明陵のほか、天智陵、岩屋山古墳、牽牛子塚古墳、天武・持統合葬陵(野口王墓古墳)、中尾山古墳(文武陵、八角形墳としてはこれが一番新しい)です。
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 講演の後、天武・持統天皇陵の前で木下先生から説明を聴いているところです。

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 周辺遺跡では、鬼の雪隠・俎古墳と菖蒲池古墳も見学しました。菖蒲池古墳では、実際に発掘調査を担当された橿原市教育委員会の調査員(木下先生の教え子)からも説明をしていただけました。この古墳は、藤原宮の朱雀大路の線上(聖なるライン上)の古墳で、この線上には、天武・持統陵、中尾山古墳、高松塚古墳などがあります
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 家形石棺が二つあり(次の写真)被葬者が誰であるか注目されるところです。
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Posted by katakago at 22:40
結婚式 [2012年04月14日(Sat)]
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 今日は、親戚(妻の妹の二男)の結婚式に名古屋まで出かけてきました。雨上がりの新緑に映える熱田神宮での式に参列し、引き続きJR名古屋駅直近のホテルでの披露宴に出席しました。このようなお目出度い場に参加するのは久しぶりのことで、晴れやかな雰囲気の中、我々も楽しいひと時を過ごさせてもらいました。

 お互い思いやりの心を大切に、新しい家庭を築かれることを願っています。
Posted by katakago at 22:30
サロンTSUBAICHI3周年を祝って [2012年04月07日(Sat)]
 退職して実家のある関西に戻って以来、「万葉」をとおして多くの方々と知り合いになれました。そのお一人、岡本三千代さんは、長らく「万葉うたガたり会」(万葉歌に作曲しコンサートを開催)の活動を続けてこられ、今は解散となりましたが「犬養万葉顕彰会」の会長のお仕事もされてきました。更に、音楽サロンTSUBAICHIを主宰され、コンサート、定期講座、特別講座、特別企画など幅広い活動をされています。万葉植物のカレンダー制作では写真を提供させてもらっています。この4月で3周年を迎えられ、今日はそのお祝いの記念パーティーが開催され、出席させていただきました。

 3周年のお祝いの特製ケーキ(音楽記号が飾られています)が参会者に披露されました。

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 城山さんの発声でシャンパンで乾杯です。
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 サロンの特別講座「思い出のアルバム」の講師でもある、大岡美佐さんとともに、「花」と「朧月夜」を歌い楽しいひと時を過ごさせていただきました。
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Posted by katakago at 23:07
薬師寺花会式(4/5) [2012年04月06日(Fri)]
 薬師寺は天武天皇の発願(680年)により、持統天皇によって本尊開眼(697年)、文武天皇の時代に飛鳥の地に堂宇が完成しましたが、その後平城遷都(710年)に伴い現在の西の京に移されました。兵火で失われた堂塔の復興は、お写経勧進によって進められ、現在、金堂・西塔・中門・回廊・大講堂が再建されています。写真は復興された西塔です(現存する東塔は修理中)。
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 昨日(4/5)は薬師寺花会式の結願(けちがん)法要の見学に出かけました。正確には修二会といい、薬師悔過法要です。修二会は、奈良の大寺が国家の繁栄と五穀豊穣、万民豊楽などを祈る行事で、先月は、東大寺二月堂で執り行われました(関連記事3/4、3/12)。薬師寺では新暦の3月30日から4月5日にかけて行われます。10種の造花が本尊に供えられるところから「花会式」と呼ばれています。花の種類は、梅・桃・桜・山吹・椿・牡丹・百合・杜若・菊・藤です。

 花会式の法要は、初夜(しょや)・半夜(はんや)・後夜(ごや)・晨朝(じんちょう)・日中・日没(にちもつ)の6回の法要が毎日行われます。最終日の5日は、金堂内で参詣することができました。午後に写経道場で行われる執事長法話を聴いた者には、金堂内へ入堂できる整理券が配布される(400名くらい)とのことで、途中からではありましたがこれに参加しました。

 初夜の行の前に、大講堂前で神供が行われました(二月堂の場合とは異なるようです)。呪師が神々を勧請してお供えを行い、練行衆(修二会に参籠する僧)が読経の後、持っている松明を放り投げます(次の写真)。

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 神供の後、初夜の行は、金堂で午後7時から1時間半に渡って執り行われました(次の図は修二会が執り行われる金堂内の見取り図)。金堂内の薬師三尊像(薬師如来を中央に、向かって右が日光菩薩、左が月光菩薩)の前で薬師悔過の読経がなされました(独特の節回しで、普段聴くお経とはずいぶん違う)。最後に牛玉(ごおう)宝印が練行衆の額に押されて金堂内でのお勤めが終わりました。
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 この後、金堂前で「鬼追式」が行われました。この鬼追式は、薬師如来のお力を受けた毘沙門天が、松明を持って暴れる5匹の鬼を鎮めるという行事です。このころ雨が降り始めていましたが、大勢の方が見学に見えていました。
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 東大寺の場合もそうでしたが、薬師寺でも東日本大震災犠牲者に対する独自の取り組みがなされています。薬師寺では、二万余名の犠牲者のご供養として、2万巻の写経が進められています。納経供養料は一巻2,000円で、賛同者が写経して薬師寺に納めてももよいし、薬師寺に預けて被災地での供養法要、写経会で、あるいは全国各地の中高生に写経してもらうのに活用しようとするものです。この写経での浄財(4,000万円)を、震災で親を亡くした子供たちのために活用したいとのことでした。筆者も花会式の参詣を機会に協力させていただきました。
Posted by katakago at 07:12
若菜祭(明日香村) [2012年04月01日(Sun)]
 今日は明日香村で催された「若菜祭」に出かけてきました。南都ふれあいセンター犬養万葉記念館主催で、犬養先生の生誕日(4/1)にあわせて、毎年4月の第一日曜日に開催されます。

 プログラムの第一部は講演会、第二部は明日香の万葉歌の朗唱会で、第一部に参加しました。今回、演者は大村一郎氏(国立病院機構呉医療センター名誉院長)と坂本信幸先生(高岡市万葉歴史館館長)のお二方で、犬養先生に関係した内容のお話をされました。

 大村氏は、戦前、神奈川県立横浜第一中学校(神中)で、戦後は阪大で犬養先生の教えを受けられた方で、「犬養先生、神中(じんちゅう)一年生への教え」と題してお話されました。3冊の大辞典で徹底した予習・出典を明記、助動詞活用表の暗記・暗唱など、厳しい国語の授業について紹介されました。当時暗記した活用表は今でも覚えていて役立っているとのことでした。

 坂本先生の演題は、「高市黒人の歌」で、犬養先生の著書『萬葉の風土』の中の「高市黒人 ー 特に第三句目の地名表現について ー」の論文を紹介しながら、この論を踏まえ黒人の歌の抒情の本質に迫ろうとするものでした。高市黒人は、持統・文武両天皇の頃の歌人で、旅の歌を多く詠んでいます(短歌のみ18首)。紹介された犬養論文では、地名が読み込まれた万葉歌(短歌)全体では、一首に占める位置は第一句が最も多く(670首)、以下第二句(530首)、第三句(287首)、第四句(256首)、第五句(67首)の順であるのに対し、高市黒人の短歌では、第三句が最も多く(11首)、以下第四句(8首)、第一句(6首)、第二句(4首)、第五句(0)の順で、地名は第三句が顕著に多くなっているのに注目されました(一首中に複数の地名が詠まれた歌もあります)。更に黒人の短歌の大部分は第二句切れで、二句までに、黒人独特の主観または行動が述べられ、次いで第三句目に地名が詠まれているとのことでした。ただ、黒人の抒情の本質についてまでは、残念ながら理解不十分です(申し訳ありません)。
 写真は講演される坂本信幸先生です。

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 講演会は午後からで、その前後に明日香村に建立された犬養先生の歌碑を訪ねて回りました。最初の写真は、明日香村岡(橘寺近くの川戸橋東詰)の歌碑です。
【歌】 明日香川 瀬々の玉藻の うちなびく 心は妹に 寄りにけるかも (L-3267)
【口語訳】 明日香川の 瀬々の玉藻のように ひたむきに 心はあなたに なびき寄ってしまった

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 橘寺付近より少し下流の明日香川です。
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 次の写真は、平田休憩園地内(欽明陵南側の周遊歩道沿い)の歌碑です。この歌は学生時代に先生の講義で聴いて、今も覚えている歌の一つです。
【歌】 さ檜隈 檜隈川の 瀬を速み 君が手取らば 言寄せむかも (F-1109)
【口語訳】 (さ檜隈) 檜隈川の 瀬が速さに ついあなたの手を取ったら 噂をされるでしょうか

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 明日香川にも流れの速い場所がありました(上の写真より少し上流)。
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Posted by katakago at 21:07
紀伊万葉ウォーク(糸我・白神) [2012年03月24日(Sat)]
 第6回紀伊万葉ウォークの1日目(糸我・白神)に参加してきました。今回のコースは以前から機会があればぜひ出かけたいと考えていた所です。JR紀勢本線紀伊宮原駅で受付後(11:30)、得生寺まで移動し、ここで主催者を代表して村瀬憲夫氏(近畿大学教授)のお話と出発式が行われました(12:05)。
 得生寺境内には、故犬養孝先生揮毫の万葉歌碑が建立されています。
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【歌】 足代過ぎて 糸鹿の山の 桜花 散らずもあらなむ 帰り来るまで (F-1212)
【口語訳】 足代(あて)を過ぎて 糸鹿(いとが)の山の 桜花よ 散らずにあってくれ 帰ってくる時まで
 犬養先生は、その著書『万葉の旅 中』で、「熊野街道は、海南から藤白坂や蕪坂峠を越え有田市宮原町道にでて、有田川を渡り糸我峠を越えて湯浅にむかっている。・・・(中略)・・・ 暖かい気温の紀路の桜はいちはやく峠道に咲いている。歩をはこんでゆく旅人にとっては、異郷の峠に見出した桜はあざやかな心ひかれであったろう」と述べられています。

 糸我王子社横からは、両側が蜜柑畑の峠路をひたすら登って、やっとたどり着いた糸我峠でひと休みです。次の写真は、講師の一人である馬場吉久氏の発声で、先ほどの万葉歌を全員で犬養節で朗唱している様子です。

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 峠付近では、まだ咲いている桜を見かけませんでしたが、峠から施無畏寺(せむいじ、明恵上人創建)付近まで下ってきた辺りで、ヤマザクラが咲いているのを見つけました。赤みがかった若葉とともに白い花をつけていました。

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 施無畏寺から栖原(すはら)海岸に降りてきたところに、次の歌碑が建てられていました。
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【歌】 湯羅の崎 潮干にけらし 白神の 磯の浦廻を あへて漕ぐなり (H-1671)
【口語訳】 湯羅の崎辺も 潮が引いているだろう この白神の 磯の浦辺を 苦労して漕いでいる

 日帰り参加者は湯浅駅で解散しました(15:30くらい)。宿泊すれば、夜の交流会にも出れたのですが、明日は自治会期末総会に出席のためやむなく帰途に着きました。
Posted by katakago at 20:02
ラジオウォーク(奈良公園・高畑の道) [2012年03月20日(Tue)]
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 毎日放送・毎日新聞主催のラジオウォーク(奈良公園・高畑の道)に参加してきました。これまでは毎年2月11日に開催され、昨年は雪の降りしきる中、明日香路を歩きましたが、今回は歩くには気候も良い時期で、多くの参加者があったようです(今年で31回目)。

 コースは午前の部(東大寺・手向山八幡宮・春日野園地を中心に)と午後の部(興福寺・浅茅ケ原・飛火野・新薬師寺・春日大社など)の二つが設定されており、MBSラジオで放送される上野誠先生(奈良大学教授)などの解説を聴きながら自由に散策を愉しみました。写真は午後の部の出発の様子です(中央手前が上野先生)。

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 これまではグループで参加することが多かったのですが、今年は一人で参加したので、コースも自分で予定したところを訪れることにしました。先に、「お水取り」を見学した際に、「奈良の三名椿」の話を聞いていたので、この時期だと花が咲いているものと思われ、三か所のお寺をまわりました。
 まず最初に訪ねたのが、伝香寺(奈良市小川町24)の「散り椿」です。こちらの椿は桜の花びらのように一枚一枚はらはらと散るのが特徴です。この散りぎわの潔さから、「武士椿(もののふつばき)」とも呼ばれているそうです。

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 二か所目は、東大寺開山堂(二月堂の近く)の「のりこぼし」と名付けられた椿がお目当てです。紅色の花びらに糊をこぼしたような白い模様のあることからその名があります。しかし今年はまだ蕾でその特徴のある花びらは見れませんでした。ただ、若草山近くの売店で苗木が売られていたので購入しました。

 三か所目は、白毫寺(奈良市白毫寺町392)の「五色椿」です。樹齢約400年といわれ、紅・白・桃色の三色を基本に、変化に富む斑入りの花が咲くのが特徴です。こちらも残念ながら未だ一部の枝にしか花が見れませんでした。ここでも、近くの店で苗木を見つけ一株買ってしまいました。植物園に移植する予定です。

 今回のウォーキングでは、歌碑もいくつか見ることができました。
次の写真は、手向山八幡宮境内南出口付近にある、湯原王の「鳴く鹿の歌」の碑です。ここは今回はじめて訪れました。
【歌】 秋萩の 散りのまがひに 呼び立てて 鳴くなる鹿の 声の遥けさ (G-1550)
【口語訳】 秋萩の 散り乱れている辺りで 妻を呼び誘って 鳴いている鹿の 声の遠くまで聞こえることよ

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 春日大社の境内には、故犬養孝先生揮毫の『古事記』歌謡(倭建命の望郷の歌30)の碑が昨年末に建立されていました。
【歌】 倭は 国の真秀(まほ)ろば たたなづく 青垣 山籠れる 倭し麗し
【口語訳】 大和は国の中でも最も良いところだ。重なりあった青い垣根の山、その中に籠っている大和は、美しい

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 白毫寺の境内にある歌碑は、笠金村の志貴皇子挽歌のうちの短歌です(揮毫は犬養先生)。こちらは今まで何度か訪れたことがあります。
【歌】 高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに (A-231)
【口語訳】 高円(たかまど)の 野辺の秋萩は むなしく 咲いては散っていることだろうか 見る人もないままに

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Posted by katakago at 17:22
JR東海奈良学文化講座 [2012年03月04日(Sun)]
 JR東海奈良学文化講座に初めて参加しました。この講座は東京と奈良で開催されていますが、今回(3/3)は、奈良(桜井市「あるぼ〜る」ホール)で、「天香具山の東、古代磐余の地をゆく ー 茶臼山古墳から等彌神社、安倍文殊院へ」と題して開催されました。参加者は約300名(関東からも)。

 午前の部は、井上さやか氏(万葉古代学研究所主任研究員)が、「万葉の磐余 ー ”心の系譜”で読み解く」のタイトルで講演されました。昨年末、磐余の池跡の推定地で堤跡が発掘され話題になりましたが、考古学の立場からではなく文学の立場から、まず、『万葉集』に載せられている、大津皇子が処刑される時に、磐余の池の堤で涙を流して作られた歌(*)をとりあげ、磐余の地について解説され、次いで『古事記』、『日本書紀』で「いはれ」の地に宮を置いた天皇の記事にもふれられました(「いはれ」は、記では伊波禮、紀では磐余と表記)。
(*)【歌】百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ (B-416)
   【口語訳】(百伝ふ)磐余の池に 泣いている鴨を 今日だけ見て 死んで行くのか
  (この歌の関連ブログは昨年12/17に掲載)

 午後は、齊藤純氏(天理大学文学部教授)の案内で、次のコースを巡りました(約4時間)。
会場→等彌神社→上之宮遺跡→談山神社一の鳥居→上宮寺・春日神社→メスリ山古墳→安倍寺跡→安倍文殊院→石寸(いわれ)山口神社→若櫻神社→桜井駅
 各所での説明は人数が多いためFMラジオで聴きました。写真は、桜井茶臼山古墳(4世紀初頭の大型前方後円墳)で説明を聴いている様子です。

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 上宮寺は、聖徳太子が斑鳩宮に移る前に居られた上宮(かみつみや/じょうぐう)とする説があるようです(本居宣長ほか)。その後上宮寺は、神仏分離以前は隣接する春日神社の神宮寺であったようです。春日神社の境内には、『万葉集』に載せられている、聖徳太子が竜田山の死人を見て悲しんで作られた歌の歌碑が建てられています。
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【歌】家ならば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ (B-415)
【口語訳】家にいたら 妻の手を枕とするだろうに (草枕) 旅に出て倒れている この旅人は哀れだ
Posted by katakago at 19:40
二月堂修二会(お水取り) [2012年03月04日(Sun)]
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 東大寺二月堂のお水取りは、春を告げる行事として有名です。一度出かけてみたいと思っていましたが、朝日カルチャーセンター中之島教室で、「お水取り」に関する講座(東大寺修二会を学ぶ 声明を聴く)のあることを知り参加しました。二回の講座で一回目(2/27)は、橋本聖圓さん(東大寺長老)から、実際の見学に先立ち、修二会についての解説をしていただき、二回目(3/2)は、奈良国立博物館で「お水取り展」を見学した後東大寺二月堂に出かけ、講師の岸根一正さん(元朝日新聞編集委員)に案内して頂きながら、修二会の行事を見学しました(写真はいずれも3/2に写したものです)。

 東大寺の修二会は毎年3月(旧暦2月)に二月堂で営まれる法要で、別火(前行、2/20〜2月末)、本行(3/1〜3/14)の日程で行われます。行法は、11人の練行衆(籠りの僧)が本尊の十一面観音(二月堂には大観音、小観音の二体の本尊)に、日頃の過ちを懺悔して菩薩の法力を讃え、万民快楽(けらく)、五穀豊穣、天下泰平などを祈って菩薩の功徳を授かる、「十一面観音悔過法」と言われるものです。この修二会は、東大寺の開山良弁(ろうべん)僧正の高弟であった実忠和尚(かしょう)が、天平勝宝四年(752、大仏開眼の年))に始めたもので、戦火の中でも休むことなく続けられ今年で1261回目を迎えました(不退の行法)。

 「おたいまつ」は、初夜の行(最初の夜の行)に登廊する練行衆の道明りで、1日10本が点火されます(12日は籠たいまつが11本)。僧を送った後は、舞台に出て炎の舞が観衆に披露されます。次の写真は、2日に準備されたたいまつです。

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 12日に使用される籠たいまつには、次の写真のように根付きの竹(8m)が使用されます。先端には杉の葉が、内側には檜の葉がフジ蔓で取り付けられます(80kgの重さ)。
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 おたいまつの後、二月堂内陣で行われる行法を局(東西南北4か所)で2枚の格子越しに見学できます。男性はさらに外陣(内陣の外)まで入ることが許されており、格子越しではありますが、局からははっきり見えなかった内陣での行法の様子を間近に見、声明を聴くことができました。堂内の明かりはすべて灯明で、油煙対策用にマスクを着用しました。
 この日は読まれませんでしたが、5日と12日に読みあげられる「東大寺上院修中過去帳」は、大伽藍本願聖武皇帝から始まり、聖母皇太后宮、光明皇后、行基菩薩、本願孝謙天皇、不比等右大臣、諸兄左大臣と東大寺に縁の深い故人の名が読みあげられます。鎌倉期には、源頼朝らの後、謎の女性「青衣女人」の名が続きます(2/27の講座では、一部テープで聞きました)。

 東大寺修二会は「お水取り」の通称で親しまれていますが、「お水取り」の行事は、行中の3/12(13日午前2時前)に、境内の若狭井で行われます。

 写真は、午後8時半頃いったん堂から出て、二月堂の舞台から奈良の夜景を眺めたものです(左の黒い屋根が大仏殿)。

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 なお、本行中に本尊に供える二月堂椿は、白と赤の花弁に黄色い蕊(しべ)を持つ紙製の造花で、2/23別火坊でつくられ、2/27に椿の枝に挿して準備されます。この時使用される赤の紙はベニバナで、黄色の紙はクチナシで染色されたものだそうです(京都の染織家の吉岡幸雄氏が染色)。
Posted by katakago at 13:09
出版祝賀会(山内英正氏)) [2011年12月19日(Mon)]
 山内英正氏(甲陽学院高等学校教諭)の『万葉 こころの風景』(和泉書院)の出版を記念して、昨日(12/18)、講演会と祝賀会が開催され出席しました。
 山内氏は阪大文学部入学以来、犬養孝先生が亡くなられるまでの三十余年の間、お傍近くで先生のお仕事(文筆活動など)を支えられながら、ご自身の万葉講座での講義や万葉ウォークの講師など幅広く活動されてきました。先生が亡くなられてからも、先生の『万葉集』の普及啓蒙活動や万葉故地保存運動、万葉歌碑情報などを、先生のお傍近くにおられた山内氏ならではのエピソードもまじえ、『産経新聞』(奈良版)の「こころの万葉風景」に連載されてきました。この度これらの記事を単行本にまとめられました。

 今回の催しは、「犬養万葉顕彰会」(会は解散しましたが)を、山内氏と共に長年お世話されてきた岡本三千代さん(万葉うたがたり会主宰、音楽サロンTSUBAICHI代表)の呼びかけで、サロンTSUBAICHI(福島区)で開かれました。大勢の関係者が参集し、講演の後は参加者一人ひとりが御祝いの言葉を述べ、犬養先生との思い出話にも花が咲きました(サロンの壁には犬養先生のお顔が映されていました)。

 写真は、岡本さんからお祝いの目録をお渡ししているところです。。


 御祝いには、先生揮毫のミニ万葉歌碑(写真手前右下テーブルの上)が贈られました。犬養先生揮毫の万葉歌碑は現在141基だそうですが、山内氏は先に『犬養孝揮毫の万葉歌碑探訪』(和泉書院)という本を先生と共著で出版されており、ミニ万葉歌碑はそのような経緯もあって岡本さんが記念の品にと考えられたようです。贈呈に際し参加者有志により歌碑の序幕も行われました。



 この日集まったのは学生時代に犬養先生の講義を聴いた者や、お元気だった頃の講演会などで先生の話に魅せられた方々(犬養万葉のファン)で、高齢者が目立ちました。
 山内氏は高校で教鞭をとられているので(専門は日本近現代史だそうですが)、若い生徒さんの間にも『万葉集』に関心を持つ層が広がって行くような活動も是非行っていただければと思いました。

Posted by katakago at 20:30
ホームカミングデイ(11/6) [2011年11月07日(Mon)]
 同窓会の連合会が出来て6回目のホームカミングデイ(11/6)に出かけました(例年5月のところ東日本大震災により秋に延期)。今年は大学創立80周年で、旧制浪速高等学校の建物(在学中は教養部イ号館)が大学会館として改装された会場で式典が行われました。
 はじめに、大学応援団による歓迎の演舞が披露されました。今年で50年目となる七大学戦(かっては七帝戦といわれていた)では、昨年に続き2連覇であったそうです。なお、写真には写っていませんが、応援団長は女子学生でした。
 新しく総長(第17代)に就任された平野俊夫先生から大学の近況報告がなされ、熊谷信昭連合会会長の挨拶の後、多田羅浩三先生(阪大名誉教授)による基調講演(「わが母校の伝統と教え」)が行われました。


 多田羅先生の講演は、大学の源流は、江戸時代に大坂の町人が町人の為につくった「懐徳堂」や緒方洪庵が設立した「適塾」にまでさかのぼり、その伝統や学燈が今に引き継がれているとのお話でした。

 式典の後、付属図書館下の生協食堂で懇談会が開かれました(西川善文さんが乾杯の音頭)。

 キャンパス内では「まちかね祭」最終日で賑わっていました。

人ごみに押されながら両側に模擬店のテントが並ぶ通りを歩いていると、邦楽喫茶の案内ビラを手渡され、箏と尺八の演奏をやっているとのことでのぞいてみました。曲目の中には、三段の調べ・六段の調べ・春の海など馴染みの曲の他、新曲もあり、女子学生が尺八を演奏しているのには驚きました。若い人が伝統音楽に取り組んでいるのに心強く思った次第です。
Posted by katakago at 07:10
国際なら・文化交流FESTA(11/3) [2011年11月06日(Sun)]

 11/3に、奈良県の大安寺で「奈良の源流に触れ、未来につなぐ国際交流フェスタ」と題して、講演会とコンサートおよび奈良県内の大学に通う留学生を中心とした「国際交流イベント」が開催され、これに出かけて来ました。
 まず、大安寺の河野良文貫主から挨拶がありました。大安寺は平城遷都にともない大官大寺が移された「天下泰平、万民安楽」護国の寺で、入唐僧道慈の活躍により奈良時代の仏教界に指導的役割を果たしてきました。また、インド、中国、韓国、ベトナム等からの来朝者もここに滞在した進歩的なお寺であったようです。現在も本堂や境内でこのような一般にも開かれた行事が行われるのは、そのような伝統を今も引き継ぐお寺だからでしょうか。


 
 講演は、上野誠先生(奈良大学教授)による「遣唐使群像」と題して行われました。『万葉集』に採録されている遣唐使(天平五年出発)の母の歌と、天平四年(732)に遣唐使に任命され翌年唐に渡り、苦難の末6年後に日本に帰り着いた平群広成の話(『続日本紀』聖武天皇条に記されている)をされました。
 万葉歌は、題詞には、天平五年癸酉、遣唐使の船難波を発ちて海に入る時に、親母の子に贈る歌一首併せて短歌とあり、先ず長歌は、
【歌】 秋萩を 妻問ふ鹿こそ 独り子に 子持てりといへ 鹿子じもの 我が独り子の 草枕 旅にし行けば 竹玉を しじに貫き垂れ 斎瓮に 木綿取り垂でて 斎ひつつ 我が思ふ我が子 ま幸くありこそ (H-1790)
【口語訳】 秋萩を 妻問う鹿こそ 一人子に 子を持つというが その鹿の子のように 一人子の我が子が (草枕) 旅に出かけて行くので 竹玉をいっぱい緒に通して掛け 斎瓮に 木綿を取り付けて下げ 慎み続けて わたしが大切に思う我が子よ 無事でいておくれ
 次にその反歌は、
【歌】 旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群 (H-1791)
【口語訳】 旅人が 仮寝する野に 霜が降ったら 我が子を羽でかばってやっておくれ 天翔る蔓の群よ
 この歌は、遣唐使の一員の母とだけで作者は不明であるが、長歌では、一年に一頭しか子を産まない鹿を引き合いに出し、遣唐使として旅立たせる一人子の為に、神祭りに精魂を傾けることにより、旅の安全を願う親の気持ちが詠われ、反歌では、天の鶴群れに呼び掛けて我が子を護って欲しいと歌われています。


 平群広成は、遣唐使(判官)として天平五年に唐に渡りましたが、翌年帰国に際しては、広成の乗船した船は崑崙国(ベトナム)に流され、広成ら4人のみが生き残り、その後かろうじて唐に戻ることが出来ました。唐に帰り着いて、阿倍仲麻呂の尽力により玄宗皇帝の許しと援助を得て、渤海国を経由して日本に帰国することが出来ました(天平十一年に帰国し聖武天皇に帰朝報告)。この帰朝報告の内容が、『続日本紀』聖武天皇天平十一年の条に記されています。

 コンサートでは、万葉うたがたり会(主催岡本三千代)による「海を越えて」をテーマに歌と演奏が披露されました。

Posted by katakago at 19:56
京都御所と正倉院展(11/2) [2011年11月04日(Fri)]
 この時期関西では、京都御所一般公開と正倉院展が開催されています。退職後こちらに戻ってからは、毎年正倉院展には出かけています。一昨年は、万葉歌にも関係のある「子日目利箒」が「子日手辛鋤」と共に展示され(関連記事は10/20)、昨年は、「螺鈿紫檀五絃琵琶」が出品され長い行列の末に、1200年以上も前のものとは思われない素晴らしさに感動しました。今年もその機会を探っていましたが、ちょうど読売旅行のバスツアーで、京都御所と正倉院展を見学する企画(11/2)がありそれに申し込んでいました。

 午前中は、京都御所の見学です。今回初めて訪れました。宜秋門 → 御車寄 → 諸大夫の間 → 新御車寄 → 紫宸殿 → 清涼殿 → 小御所 → 御学問所 → 御池庭 → 御常御殿 → 御三間 →清涼門 のルートで廻りました。次の写真は、新御車寄に飾られた五節舞姫(ごせちのまいひめ)の人形です。説明パネルによると、五節舞は天武天皇が創設した舞とされ、天皇が吉野宮で琴を弾かれた時に、天女が舞い降りて袖を五回翻して舞ったことを起源とするとあります(3日や6日には舞の実演があるようです)。

 各建物内の襖絵も見ることが出来ました。次の写真は、諸大夫の間(正式参殿の時の控えの間)の虎の絵(ここは公卿の間)です。

 次の写真は紫宸殿で、即位礼など重要な儀式が執り行われる最も格式が高い正殿です。向かって右側に「左近の桜」(写真には写っていない)、左側に「右近の橘」が植えられており(写真左)、前面の白砂の庭は「南庭(だんてい)」と呼ばれ儀式の場所としても使われたようです。紫宸殿の奥には、天皇の御座である「高御座(たかみくら)」と皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」が置かれている。
 なお、橘は、万葉歌にも詠まれ(5/24の記事参照)、『日本書紀』垂仁天皇条にも、非時香菓(ときじくのかくのみ)として出てきます。


 楽器を演奏している人形も飾られていました。パネルには、「管弦(かんげん)」について次のように説明がなされていました。管弦とは雅楽の一つで、楽器による奏楽で、「三管・両絃・三鼓」の楽器編成で演奏される。三管とは笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)の三種の管楽器(吹き物)を、両絃とは琵琶・楽筝(こと)の二種の絃楽器(弾き物)を、三鼓とは鞨鼓(かっこ)・太鼓・鉦鼓(しょうこ)の三種の打楽器(打ち物)のこと。代表的な曲に「越天楽(越殿楽)」があります。


 午後は奈良国立博物館で開催中の正倉院展を見学しました。

 今年は「金銀鈿荘唐大刀」が人気の出品物の為か、このコーナーだけは近くで観るには長い行列で何十分も待たねばなりません。ここは時間の制約もあり図録で観ることにして、比較的見やすいコーナーを観て回りました。上野誠先生(奈良大学教授)によると、聖武天皇が出家後に使用されたと考えられている袈裟「七条織成樹皮色袈裟」が一番のお勧めとの事でした(宝物の献納目録である『国家珍宝帳』の筆頭に掲げられている品)。この他興味を魅かれたのは「紅布」で、蛍光分光分析の結果、赤色色素はベニバナであることが判明しているとの事でした。通常、ベニバナで染められた赤色は、茜とは異なり、光や空気中の酸素の作用により速やかに退色し、その彩りを失ってしまうそうですが、この「紅布」(南倉)は深い赤色をとどめており、正倉院での管理状態が良かったものと考えられています(図録より)。
 その他、今回は「黄熟香」(「蘭奢待」(らんじゃたい)ともいわれる」も出品されていました。図録には、足利義政や織田信長が一部切り取った有名な香木で、ジンチョウゲ科ジンコウジュ属植物の樹幹に、樹脂が沈着して出来た沈香の一種とありました。
Posted by katakago at 09:04
秋の待兼山を訪ねて(10/16) [2011年10月17日(Mon)]

 大阪大学21世紀懐徳堂主催の、秋の里山散策(第6回植物探検隊@秋の待兼山を訪ねて)に出かけて来ました。阪大豊中キャンパスの待兼山(豊中市、池田市、箕面市に広がる)は、普段は一般に開放されておらず、里山の自然がそのままの状態で残されているとのことです。講師の栗原佐智子さん(『キャンパスに咲く花』の編著者)の案内で、あらかじめ講師が下見をしておいた見どころを中心に説明を聴きながら、約一時間半にわたって散策しました。筆者が万葉植物園で栽培管理している植物では、クヌギ、エゴノキ、ツガ、アラカシ、イヌビワ、エノキ、マユミ、テイカカズラ、アカマツ、モチツツジ、コウヤボウキ、ヤマハギ、クズ、ススキ、ヨメナ、ヤブラン等を見ることが出来ました。植物園では実際の植生とは関係なく植えているものもあるので(自生のものもありますが)、本当はこのような里山で実際に自生している様子を見ながら万葉歌を鑑賞するのが良いかと思いました。

 草を押し分け、待兼山の中へ入って行きます。


 
 ゲンノショウコの花が咲いていました。

 
 ここは待兼山の三角点(77.3m)です。


 アオギリの実が生っていました。『万葉集』では巻五の大伴旅人の歌(D-810、811)の題詞に、「梧桐(ごとう)の日本琴(やまとごと)一面」として出てきます。アオギリは未だ植物園には植えていません。種を少し貰って来ましたので、発芽するか試みて見ようと思っています。
Posted by katakago at 06:00
孫の運動会 [2011年10月01日(Sat)]

 今日は二人の孫(4年と2年)が通う奈良市立青和小学校の運動会で、朝から出かけて来ました。大勢の中で二人の姿を見つけるのは大変で、娘に教えてもらいながら写真を撮りました。娘は、予行演習の時にどのあたりに出るか場所をあらかじめチェックしておいたそうです。
 1枚目の写真は、1、2年生による玉入れの競技。次は3、4年生による綱引きです。それぞれどこに写っているのか見分けるのが大変ですが。


 
 競技の他には二人とも踊りに出ていました。2年生の踊りと、

 4年生の「青和よさこい」です。


 お昼は家族と一緒にお弁当です。7時前から並んで場所取りをしたそうです。


 二人にとっては、この運動会が青和小学校での最後の行事となりました。一週間後には父親の転勤のため、札幌に移ることになっています。
Posted by katakago at 19:47
唐招提寺観月讃仏会(9/12) [2011年09月13日(Tue)]

 昨日(9/12)は中秋の名月。11日の明日香に続き奈良西の京の唐招提寺に出かけました。この日に観月讃仏会(さんぶつえ)が行われます。御影堂の鑑真和上の像に献茶がなされ、外に設けられた祭壇にも茶が供えられます(これは月にたいするものでしょうか)。金堂内はライトアップされ、昼間見るのとは違った荘厳な雰囲気が醸し出されます。夜間のこのような行事に参加するのは初めてで、人の群れに押されながらではありましたが、夢中でシャッターを押していました。但し、三脚がないのでまともな写真は撮れていませんでしたが。月明かりに照らされる金堂をイメージして出かけましたが、この日は残念ながら月は観れませんでした。
 金堂前に集まった人々でごった返してます。三脚を用意したカメラマンも多く見かけました。


 金堂内部の写真で、左から千手観音立像、盧舎那仏座像です(金堂の柱にデジカメを押しつけてブレを抑えたつもりですが)。ここには写っていませんが、右には薬師如来立像があります(いずれも国宝)。


 御影堂内(東山魁夷の障壁画がある)の撮影は禁止されていましたが、次の写真は庭に設けられた祭壇に献茶される様子です。


 唐招提寺と鑑真については、井上靖の小説『天平の甍』が有名ですが、遣唐留学僧栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)が聖武天皇の願いとして伝戒のため来日を要請し、何度もの渡航を試みた後6度目に、遣唐副使大伴古麻呂の船で薩摩国に到着できた(天平勝宝5年、753)。翌天平勝宝6年には、東大寺大仏殿前で聖武上皇、孝謙天皇、光明皇太后ら(440余人)に戒を授け、天平宝字3年(759)に唐招提寺を開創。天平宝字7年(763)に76歳で入寂。

 今回の観月讃仏会に参加しようと思ったきっかけは、2年ほど前に手に入れた岩波昭彦の日本画「唐招提寺金堂」(次の写真)で、是非ともこのような場面に出会いたいと思っていました。


Posted by katakago at 08:40
明日香路の観月会(9/11) [2011年09月12日(Mon)]

 昨日(9/11)は、「万葉の明日香路に月を観る会」に参加しました(明日香へ出かけるのは今年になってから4度目)。今年は44回目だそうですが、今回初めて参加しました。石舞台古墳の前に設けられたステージで、後方から登る月を背に、「八雲琴」の演奏と考古学者の講演を愉しみました。八雲琴は二弦からなり、演奏は「飛鳥の響き保存会」と聖徳中学校の生徒さんによるもので、次の万葉歌をもとに作曲された「飛鳥川」も演奏されました。
【歌】 明日香川 瀬々の玉藻の うちなびく 心は妹に 寄りにけるかも (L-3267)
【口語訳】 明日香川の 瀬々の玉藻のように ひたむきに 心はあなたに なびき寄ってしまった
 次の写真は、まだ暗くなる前の石舞台前の様子です。



 
 この日は、石舞台古墳内での行事に先立ち、午後2時から「飛鳥の遺跡巡り」も実施されました。明日香村教育委員会の相原さんの案内で、梅山古墳(欽明天皇陵)→カナヅカ古墳→鬼の俎・雪隠古墳→野口王墓古墳(天武・持統天皇陵)→亀石→川原寺→伝飛鳥板蓋宮→石舞台古墳のルートを巡りました。これまで何度も歩いている場所ですが、専門家の案内で回るのは初めてであり、飛鳥時代の古墳の移り変わり(6世紀後半の横穴式石室と推定される梅山古墳から7世紀後半の横口式石槨の野口王墓古墳まで)を現地で説明していただきました。
 梅山古墳の前で説明を聞きました(欽明天皇陵については見瀬丸山古墳とする説もある)。


 伝飛鳥板蓋宮跡の再現された大井戸の前での説明の様子(本当の遺構はこれより1m下にあるそうです)。

 コース最終地点の飛鳥歴史公園石舞台地区に到着し、芝生広場で夕食をいただきました。日中は炎天下を歩くことになりましたが、この頃になると大分過ごし良くなりました。
Posted by katakago at 09:31
乞巧奠(きっこうてん) [2011年08月11日(Thu)]

 今日は、冷泉家に古くから伝わる、陰暦七月七日の星祭(乞巧奠)の行事を見る機会を得ました。今回は、京都府民ホールでの公開で、知人から入場券を頂き参加できました。牽牛・織女の二星に、種々のお供えをし、蹴鞠、雅楽、和歌などを手向けて、技が巧みになるようにと祈る七夕の儀式(公演パンフレットより)だそうです。写真は、舞台に設えられた「星の座」と称される祭壇で、開演前に撮影したものです。中央には四脚の机の周囲に九本の灯台をめぐらし、後ろに二本のササを立て、ササの間には梶の葉と糸をつるした緒が張られています。机上には、二星に貸すため(二星のデートのバックグラウンドミュージックのために)、琴・琵琶等の楽器が置かれ、二組の食物(海の幸、山の幸)が供えられます。このお供えの種類や配列を覚えるために、冷泉家では、次のような和歌が伝えられているそうです。
   瓜なすび 桃梨空の 杯に ささげ蘭花豆 蒸し鮑鯛
 舞台右には、五色の布・糸や、水を張り梶の葉を一葉浮かべた角盥が置かれ(この水に二星を映して見るそうです)、秋の七草も手向けられます(二枚目の写真)。


 舞台では、蹴鞠、雅楽の演奏に続き、「披講」、「流れの座」へと進行してゆきます。「披講」は、あらかじめ出題された兼題(今回は七夕灯)について、読師(どくじ)の指揮のもと、講師(こうじ)が歌をよみ上げ、発声の先導により、講頌(こうしょう)が独特の節回しで朗詠します(今回は7首が詠まれました)。
 「流れの座」では、男女の組(今回は5組)が参加した歌会が行われます。歌の題は組題(くみだい)で、「七夕」が頭につく各人別々の題を、その場で各々が取りに行きます。重硯や紙が回され準備が整うと、男女の間に、天の川に見立てた白布が敷かれ、牽牛と織女に擬された男女は、自作の歌を筆で紙に書き、それを扇に載せて互いに贈答しあいます。今回は時間の制約から1回でしたが、実際は、翌朝鶏の声を聞くまで歌会が行われるようです。


 冷泉家住宅(京都御苑の北)は現存する最古の公家住宅で、昭和57年に重要文化財に指定されています。写真は表門付近です。冷泉家は、その遠祖に平安時代末期の歌人藤原俊成とその子定家がおり、後の和歌に大きな影響を与えてきた家柄です。
Posted by katakago at 19:49
越中万葉の世界 [2011年07月30日(Sat)]

 今月26日から、高岡市万葉歴史館の「万葉故地交流展」が、大阪の音楽サロンTSUBAICHIで開催されています。今日の午後は、「万葉うたがたりミニコンサートと記念講演会」が開催され参加してきました。はじめにサロン代表の岡本三千代さんから挨拶があり(2枚目の写真)、

 続いて、岡本さんが作曲した越中ゆかりの万葉歌が、うたがたり会のメンバーにより歌われました(3枚目の写真)。


 4月から万葉歴史館の館長になられた坂本信幸先生が、「越中万葉の魅力」と題して講演されました。特に、大伴家持が越中赴任中に詠んだ歌の、「春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子 (R-4139)」の解釈で、これまで二句切れ(春の園が紅に輝いている)とみるか、三句切れ(春の園の紅色に咲いている桃の花)とみるかで説が分かれているなかで、二句切れとみる観点から、詳細な解説がなされました。三句切れ説の拠り所の一つとして挙げられている漢語の「紅桃」については、漢籍では、緑と紅の対で使用されているが、この歌ではそのような対句での表現ではなく、「紅にほふ」は連体格として「紅桃」と三句切れになるのではなく、二句切れで解するのが良いとの考えであったように思います(十分理解できたか?)。


 今回は、越中万葉を紹介するパネルと、万葉歴史館収蔵の故犬養孝名誉館長の書も2点(「立山の賦」と「かたかごの花」)が展示されていました。次の写真は、高岡市伏木の勝興寺北西隅にある「かたかご」万葉歌碑のもとになった書です。読み下し文は、「もののふの 八十娘子らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花」です。かたかご(カタクリ)は、高岡市の花となっています。
Posted by katakago at 19:54
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