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シンポジウム「万葉の七夕歌」 [2013年07月28日(Sun)]
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 大阪府立大学では、これまでシリーズ「万葉の道を歩く」の講演会が開催されており何度か聴講してきました。今回は、「万葉の七夕歌」をテーマにシンポジウムが企画され参加しました(7/27、於 大阪府立大学 I-site なんば)。

 各講演のなかから、いくつかメモとして以下に記しておきます。
 牽牛星と織女星が年に一度7月7日の夜に天上の河で逢うという中国古来の伝説が日本にも伝えられ、それを題材にした漢詩や和歌が作られ『懐風藻』や『万葉集』に載せられています。
 牽牛・織女の伝説を詠んだ中国の漢詩(庾信『玉台新詠』巻八「七夕」ほか)や日本の漢詩(『懐風藻』)では、織女が乗り物(仙車や鳳駕)に乗って牽牛に逢いに来るのに対し、ほとんどの万葉歌では、牽牛が天の川を船に乗って織女の元を訪ねると詠まれています。これは当時の妻問い婚の風習が反映されているものとみられています。

 万葉集の七夕歌は132首(短歌127首、長歌5首)で、作者が限られています(柿本人麻呂・山上憶良・湯原王・市原王・大伴家持など)。特に巻十の秋の雑歌には、七夕98首が載せられています。うち柿本人麻呂歌集から38首で、その末尾の歌に詠まれた年代(庚辰年で天武9年に当たる)が記されています(年代の分かる一番早い七夕歌)。
 これらの七夕歌は、牽牛・織女への感情移入の著しいものから、天上の恋を地上から第三者の立場で歌うものが多くなる傾向があるようです。

 
 七夕詩宴が史書にあらわれるのは『続日本紀』天平6年条(聖武天皇)で、「秋七月丙寅(七日)、天皇、相撲の戯を観す。是の夕、南苑に徒り御しまして、文人に命せて、七夕の詩を賦せしめたまふ。禄賜ふこと差有り。」とあります。なお、『日本書紀』持統天皇五年条の7月7日に「公卿に宴したまふ。仍りて朝服賜ふ」とあるのも、初期の七夕の宴の記録とみられています。


Posted by katakago at 11:50
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