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飛鳥を愛する会 春季現地講座(2日目) [2012年04月22日(Sun)]
 現地講座2日目は、「飛鳥から摂津・播磨を巡る」小旅行です。コースは、橿原神宮前駅を出発点とし、本住吉神社 → 処女塚古墳 → 西求女塚古墳 → 敏馬(みぬめ)神社 → 五色塚古墳・小壷古墳 明石の大門遠望 → 住吉神社(魚住) → 大中遺跡・兵庫県立考古博物館 → 西明石駅 → 橿原神宮前駅 です。
 阪神地区からの参加者は、本住吉神社で合流しました。前日の天気予報では風雨とも大荒れの天候になるとのことでしたが、幸いにも思ったほどひどい天候ではなく、雨傘なしで見学出来た場所もありました。

 六甲山山麓の前期古墳のうち、東側の群には海とのかかわり深い(海から見られることを重視した)古墳群があり、この群の左から、西求女塚古墳、処女塚古墳、東求女塚古墳が並んでいます。写真は、西求女塚古墳で木下先生の説明を聴いているところです。出土鏡の製作年代などから古墳の築造年代は、250〜260年代と推定され、山陰系土器が出土することより、被葬者も山陰出身者か山陰と関わる人物とみられています。

IMG_1773m.jpg

 ところで、『万葉集』には、二人の男(小竹田壮士と菟原壮士)に求婚された菟原処女が自殺した伝説を題材に、田辺福麻呂、高橋連虫麻呂、大伴家持が詠んだ歌が載せられています。いずれも長歌と反歌からなりますが、田辺福麻呂の反歌に、
【歌】 古の 小竹田壮士の 妻問ひし 菟原処女の 奥つ城ぞこれ (H-1802)
【口語訳】 古の 小竹田壮士(しのだおとこ)が 求婚した 菟原処女(うないおとめ)の 墓なのだこれは
 とあります。処女塚古墳をまんなかに、その両側に東西の求女塚古墳があることより、この伝説の菟原処女の墓が処女塚古墳(ここに上記の歌碑あり)、小竹田壮士と菟原壮士の墓が東西の求女塚古墳とみられてきたようです。あるいは、これらの古墳は山陽道や瀬戸内海を航行する船から見られることより、ここを行き来した律令官人によって形成されていった伝説との見方もあるようです。処女塚古墳では、影山尚之先生(武庫川女子大学教授)から万葉歌に関して解説して頂きました。。

 敏馬神社(みぬめじんじゃ)には、柿本朝臣人麻呂の次の歌の歌碑が建立されていました。
【歌】 玉藻刈る 敏馬を過ぎて 夏草の 野島の崎に 船近付きぬ (B-250)
【口語訳】 玉藻を刈る 敏馬を過ぎて 夏草の茂る 野島の崎に 船は近づいた

IMG_1777m.jpg

 車中で昼食をとりながら五色塚古墳に向かいました。
IMG_1806m.jpg
 五色塚古墳(神戸市垂水区)は、淡路島を望む台地の上に築かれた前方後円墳(全長194m)で、4世紀後半ごろの古墳時代前期後半に造営されたもので、現在写真のように築造された当時の姿に復元されています。古墳に葬られた人は、明石海峡とその周辺を支配した豪族と考えられています。
IMG_1797m.jpg
 後円部の墳頂で岡崎晋明先生(龍谷大学教授)より説明を聴きました。写真右上方に明石海峡大橋、その先に淡路島が写っています。

 魚住の住吉神社では、聖武天皇が神亀三年(726)に播磨国の印南野(いなみの)に行幸された時に、笠朝臣金村が詠んだ歌について、影山尚之先生より説明して頂きました。

IMG_1810m.jpg
 その反歌のうちの一首を次に載せておきます。
【歌】 行き廻り 見とも飽かめや 名寸隅の 船瀬の浜に しきる白波 (E-937)
【口語訳】 行きつ戻りつして 見ても飽きがこようか 名寸隅(なきすみ)の 船瀬の浜に しきりに寄せる白波は
 この歌の歌碑が浜を瀬に建立されていました。

IMG_1814m.jpg


 
Posted by katakago at 22:50
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