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古代学講座(3回目) [2011年10月12日(Wed)]


 「古代学講座 − 東アジアの中の倭国を考える」の3回目は、「新羅と倭 - 古代韓日交渉史研究の新たな展望」と題して、朴天秀先生(慶北大学考古人類学科教授)が講演されました。
 三国時代(高句麗・百済・新羅)は三国が対立関係にあった分、倭国は新羅に対して有利な立場で武力衝突もあったようですが、朴先生によると、考古学的に見て倭国が新羅を武力で制圧したような形跡は認められないとのことでした。倭国が新羅と交渉を持った理由は、当時新羅は韓半島では鉄器を生産できる唯一の国であり、ここから先進技術を導入するためと見られています。5世紀前半の日本の遺跡から、新羅産の鐵鋌が出土しています((愛媛県出作遺跡、岡山県窪木薬師遺跡、大阪府野中古墳、奈良県大和6号墳など)。一方、新羅王陵から金冠が多く出土しており(皇南大塚ほか)、その飾りに翡翠の勾玉が付けられているものもあり、翡翠の勾玉は全体では5000点以上も出土しているとのことです。朴先生によると、これらは日本の糸魚川産の翡翠とのことでした。朴先生は、鉄鋌を得る見返りに翡翠が贈られたのではないかと考えられています(倭国は新羅王権との交渉により先進技術の導入を図った)。
 また、5世紀前半の日本の古墳から新羅産の金工品が出土しており、6世紀後半の奈良県藤ノ木古墳からは、新羅に特有の3本足の鞍金具も出土しています。


 百済の役後の天智七年(668)以降、両国から相互に使いが派遣されるようになります。『万葉集』にも、天平八年(736)に派遣された遣新羅使人の歌が145首載せられています(巻15)。


 今月23日より、4泊5日の旅程で、「飛鳥を愛する会」主催の韓国歴史の旅(金海・慶州・公州・扶余・益山)に出かける予定です。現地での遺跡見学を楽しみにしています。
Posted by katakago at 17:54
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