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古代学講座(2回目) [2011年10月05日(Wed)]


 川西市中央公民館主催の「古代学講座 - 東アジアの中の倭国を考える」の2回目の講演会に参加しました。演題は「三角縁神獣鏡をめぐって」で、講師は玉城一枝先生(奈良芸術短期大学講師)です。
 「魏志倭人伝」に、卑弥呼が銅鏡百枚を貰ったとありますが、三角縁神獣鏡がその銅鏡に当たるかについては、これまでいくつかの説が出されています。

 今年4月に開催された歴史講演会で福永伸哉先生(阪大教授)が示された資料より、これまでの説の概要を以下に整理しますと、
・富岡謙蔵説(1920)では、「銅出徐州 師出洛陽」とあり、この字が用いられるのは魏の時代であり、魏代の鏡であり、卑弥呼の鏡と推定。
・森浩一説(1962)では、中国大陸からの出土例は無く、国内産と見る。
・王仲殊説(1980年代)では、3世紀の神獣鏡は華北(魏)に少なく、華南(呉)に多い。「用青銅至海東」とあるのは、銅の原料を持って海東(倭)へやってきたことを示す銘文であり、呉の亡命工人が倭国内で製作した。
・福永伸哉説(1991)では、鈕孔の形状から魏の工人が作ったと見られている。景初三年(239)より前の太和元年(227)以前の神獣鏡の鈕孔は全て円か半円で、これは南の呉の領域で作られ、景初三年以降は、鈕孔は長方形で魏の工人(珍しいクセを持つある特定の工人群)が作った。甘露四年(259)以降の鏡(鈕孔は長方形)には、魏の官営工房である「右尚方」の銘文があり、長方形の鈕孔の手法が、魏の官営工房の技術につながっていったとみられている。

 これらも踏まえ、玉城先生のお考えが示されました。
・「魏志倭人伝」によれば、卑弥呼が景初三年に使いを出して、半年ぐらいの間で倭国への特注の鏡を作る時間があっただろうか?
・景初四年銘の三角縁神獣鏡も出土しているが、魏ではこの年皇帝が変わり正始元年と改元されている。改元後に、魏で改元前の年号の銘の鏡が作られたとは考えられない(現皇帝に対し礼を失する)。
・景初三年銘の鏡と、景初四年銘の鏡の銘文には、「陳是作鏡」とあり、同じ工房で同じ人が作っている可能性がある。
・銅に含まれる鉛の同位体比の分析結果では、中国製が確実な鉛と三角縁神獣鏡の鉛の比較では、明らかなずれがある(新井宏 2007)。
 以上の点より、三角縁神獣鏡は卑弥呼が貰った銅鏡(魏鏡)には当たらないとの説でした。
 それでは、卑弥呼が貰ったとされる銅鏡は既に出土している鏡の中にあるかとの筆者の質問に対し、画紋帯神獣鏡がその可能性があるとのことでした。

 参考として、以下の写真を掲載しておきます。まず、「魏志倭人伝」の中の銅鏡百枚に関する記事の部分です


 次の写真は、筆者が7年ほど前に東大阪市にある銅合金鋳造「上田合金」で、銅鏡作りを体験した時に作製した鏡(三角縁三神五獣鏡)です。
Posted by katakago at 19:34
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