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2019年09月25日

2019飯綱高原健康ウオーキングフェスティバル

「2019飯綱高原健康ウオーキングフェスティバル」(飯網高原ウオーキングフェスティバル実行委員会主催)が10月26日(土)に開催されます。さわやかな高原でLET'sウオーキング。今年は、長野ご縁スポーツ大使で、元スピードスケート選手長野オリンピック銅メダリストの岡崎朋美さんも参加します。

■日時 2019年10月26日(土)【雨天決行】
■場所 飯網高原芝生広場(大座法師池隣)
■参加人数 1,000名(予定)
■イベント内容・ウオーキング講座 チラシ参照
■参加料 高校生以上500円
■参加方法 事前申込は、TELまたはFAX。申込期限は10月23日(水)まで。
TEL026-224-5083(長野市文化スポーツ振興部スポーツ課)
FAX026-228-2461(一般社団法人長野市開発公社)
※当日申込もあります。

2019健康ウオーキング (1).pdf
(チラシ表)

2019健康ウオーキング (2).pdf
(チラシ裏)

※この実行委員会構成団体の一つに、天空の里 いもい農場の活動の後援でお世話になっている芋井地区住民自治協議会が加わっています。芋井地区の観光振興の一助になればと、紹介させていただきました。

2019年08月15日

【開催報告】「1945年の夏、和田少年が見たこと〜芋井発、未来へつなぐ平和〜」

8月11日(土)天気:晴れ 参加人数:大人38人、子ども8人(合計46人)
内容:平和学習会、昼食交流会(すいとん他)

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長野市芋井地区で食農体験の場をつくる、非営利ボランティア団体「天空の里 いもい農場」は11日、活動でお世話になっている和田蔵次さんを講師にお迎えして、初の平和学習会を開催し、長野市内外から大人子ども合わせて46人が集まりました。学習会の様子をお届けします。

▽開催のきっかけ〜未来につながる学びの場を作りたい!
私たちは、いもい農場からほど近い松参寺の境内にある、学童疎開記念の石碑とその碑文に思いを寄せ、背景をたどることで、『戦争のない世の中へ続く「未来」を考えることへつながる』と考えました。また、当時、学童疎開の子どもたちと交流のあった和田蔵次さんから、生のお話を聞くことで『山村の戦争の実相を知り、平和と未来を考える場を作りたい』と考え、学習会を設けました。

▽フィールドワーク〜当時の子どもたちが暮らした場を見学
芋井社会会館で受付を済ませたあと、参加者は松参寺へ移動し、住職の山口様に松参寺の歴史について伺い、続いて和田さんから、学童疎開の話がありました。
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(冒頭に五味代表から開会挨拶をしました)
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(山口住職からご挨拶を頂戴しました)
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(松参寺本堂。たたみは入れ替えたものの、柱、床は、当時のまま)

▽座学〜「学童疎開」足立区立梅島第一国民学校生徒について
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●全国一、疎開を受け入れた長野県
芋井社会会館に会場を移し、和田さんからのお話は、学童疎開から始まりました。疎開は、足立区の梅島第一国民学校の小学1年から6年の生徒で、芋井には約120人。長野県全体では36,976人で全国一多く受け入れました。

●長野駅から芋井まで徒歩で移動
一行は1945年4月28日、長野駅に到着。徒歩で芋井へ向かい、芋井村にある「法学寺、松参寺、観音寺」の3ケ所に分かれて疎開生活にはいりました。本堂での共同生活や食糧事情は厳しく、空腹のあまりに渋柿を食べて体調を崩し亡くなったり、親に会いたいと、
脱走する生徒もいたそうです。

●親元を離れた約5ヶ月間、子どもたちの楽しみ
子どもたちにとって、何よりの楽しみは、毎月1日と15日に近隣農家へのお手伝いと称した訪問。訪問した農家宅では、おすそわけや差し入れがあり、「お米や野菜をお腹いっぱい食べられた」とのこと。その当時の様子を語る疎開生徒は「芋井村から寄せていただいた厚情は、一生忘れられない」と語られています。

●涙で見送る、戦地へ赴く先生たち・・・
敗色濃厚となった7月下旬、松参寺と観音寺にいた引率の先生にも赤紙が届き、応召されました。戦地に赴く先生たちを、子どもたちは、泣きながら見送ったといいます。当時の悲しさがこみ上げて、涙をこらえる和田さんの姿もありました。

▽座学〜学童疎開記念碑の建立
8月15日の敗戦で、疎開生活は9月に終わりました。戦後50年を経た1995年、幅2m、高さ1.5mの「学童疎開記念碑」が松参寺の境内に建立され、芋井村における恒久平和記念碑となりました。
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(写真上:記念碑正面、写真下:記念碑裏面の碑文)

▽座学〜芋井村と戦争
●小さな山村から500名が戦場へ
芋井村は、日露戦争後、赤紙による応召兵士、義勇軍、志願兵士など全体で、約500名、戦死者は114名に及びます。その大半は、太平洋戦争末期の昭和19〜20年に集中しています。

●大黒柱を失う、過酷な暮らし
多くの家で若者や一家の大黒柱を失いました。残された老人と主婦と子どもたち。その暮らしは過酷だったとのことです。

●暮らしに戦争の影
戦争末期には、鉄の供出が強制され、芋井村を走っていた善白鉄道のレールも供出。開業以来わずか7年で鉄道は姿を消しました。善白鉄道で掘られた第三トンネルは、本土決戦に備えた皇族・皇后の避難用の住居とするため、工事の準備で資材などは善光寺温泉に置かれていたとのことです。これは秘密に工事が進められた松代大本営地下壕と関連施設の建設と並行して行われていました。

●戦死した兵士の日章旗
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(日章旗について説明をする和田さん)
会場には、フィリピンのレイテ島で戦死した兵士の日章旗が展示され、赤紙や当時の手紙が回覧されました。記憶は風化し、亡くなってしまう可能性があります。散逸を防ぐためにも、和田さんは、それらを保管する「芋井村・平和の館・資料館」の建設が必要だと語りました。

●和田家の戦争体験
和田さんは、ご自身の和田家の戦争体験について語られました。和田家には、応召男子がいないため、姉が女子挺身隊に応召され、東洋最大で日本軍の弾丸8割を製造していた豊川工廠で働きにでていたとのこと。8月7日のB29の爆撃で多数の死者を出し、お姉さんは九死に一生を得て、帰還。

和田さんは、8月13日の長野空襲を広瀬から見ていた記憶も語られました。座学の最後に、フランスの格言「文明が行き詰った時、農村・田舎に帰れ」を引用し、「学童疎開は日本の農山村があったからこそ受け入れられた」と言い、地域からの平和の発信が必要と締めくくられました。

▽昼食交流会
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(昼食交流会の様子)
お話の後は、会場レイアウトを教室型からアイランド型に変更して、昼食交流を行いました。いもい農場からは、当時の食生活に思いを馳せようと、すいとんと前日の活動で収穫した枝豆を準備。和田きぬ子さん(蔵次さんの妻)から、お手製のニラせんべいときゅうりの浅漬けの差し入れをいただき、メニュー豊かな食卓となりました。昼食がひと段落したタイミングで、参加者の観想を事務局がインタビューを行い、会場全体で交流を深めました。

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(前日の活動で収穫した枝豆、試食中。)
すいとんや枝豆の準備は、日頃、いもい農場の活動で鍛えた段取りで、いもい農場にかかわる子どもたちで作りました。

▽おわりに
いもい農場初の平和学習会。この学習会を通じて、参加者の身近な暮らしから、平和を考えるきっかけとなった様子が伺えました。参加者から寄せられた声にある、第2弾開催も視野に入れ、平和な世の中だからこそ成立する食農体験活動の充実を図って参ります。
最後に、今企画は、スムースな運営のために「2019年度ボランティア活動振興事業助成金」を活用して開催しました。後援を頂いた各団体、寛松寺、松参寺のご協力に深く感謝いたします。(鋤柄)

▽開催フレーム
『長野市ボランティア活動振興事業助成金活用事業』
●主催 天空の里 いもい農場
●後援 芋井地区住民自治協議会、長野市教育委員会、週刊長野新聞
●協力 寛松寺・松参寺

▽学習会の様子はフェイスブックで公開中
「天空の里 いもい農場」のフェイスブックで、ライブ中継をした学習会の様子が見ることができます。

▽参加者アンケート※全文。ほぼ原文のまま。
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●Q1参加のきっかけについて教えてください
・日頃、蔵次さんにお世話になっているので
・週刊長野を見て、和田さんのお話をぜひ聞きたいと思い、参加しました
・週刊長野を見て。私の母の弟(和田さん)の講演。是非聞きたく、参加しました。
・母も来たかったのですが、足腰が悪く、とても残念がっていたので、帰って話して伝えたいと思います。
・お母さんに誘われてきました。
・いもい農場の活動に参加した折に紹介あり。友人からの誘い。
・週刊長野の記事及び、友人よりのパンフで参加。
・紹介、Facebook。
・丁度、都合よく夏休みになったため。
・週刊長野を見て。
・週刊長野に載っていたので。
・「週刊長野」を見て。
・私が子どもの頃、戦争当時小学生だった父母から戦時中の話を聞いたことはありましたが、老齢の父母が孫たちに話す機会もほぼなく、私の子どもたちに生の声を聞かせたいと強く思いました。
・平和について興味があった。
・チラシが飯綱地区にまわってきたため。
・自分の上司が勝手に応募した。週刊長野を見ながらの会話です⇒「ボランティアで農業?理解できないってばー」「農業は職業でしょ。どんな活動なの?」(青果卸売業です)。
・戸隠の滝沢さんからの情報。
・週刊
・ボランティアセンターで、今回の学習会を知り、ぜひ、参加したいと思いました。
・友人に誘われて参加しました。

●Q2今日の満足度とその理由を教えてください
【大満足/12  満足/7  やや不満/0  不満/0】
・もっとたくさん、お話を聞きたい
・松参寺での説明では石碑を見たりしながら、当時の生活がよく分かり、戦時中の子どもたちに思いを馳せることができました。お寺の内覧は貴重な体験でした。
・芋井地区から500人も召集され、100名以上亡くなっている事実は衝撃的でした。
・これだけの詳細資料を作って頂き、見やすく、大切に保管したいと思います。
・松参寺の檀家で、記念の碑も、初めて知ることができ、息子一家、娘親子と知ることができ、とても思い出に残る会になりました。本当にありがとうございました。
・ひいおばあちゃんのことが聞けてよかった。
・忘れかけていた反戦の気持ちを新たに。
・憲法改悪がされようとしている現在、戦争の歴史を知る機会を企画していただき、大変ありがとうございました。
・平和憲法を何としても守り抜かなければなりません。
・戦争を語ることができる貴重な方のお話を聞くことができたよかった。
・実際のお寺を見ることで、リアルな体験ができました。
・手紙や赤紙など普段見ることのできない資料を見ることができ、貴重な体験になった。
・当時の戦争の様子についてお聞きし、改めて戦争について考える機会となりました。
・時間がもう少しあれば・・・。
・普段聞かない話だったから。
・お話だけでなく、フィールドワーク、戦争の遺品etc.実物を見て戦争の実態に触れることができた。和田さんと芋井の方々の地域に根差した活動に敬意を表します。
・勉強になりました。後世につたえられるように興味をもっていきたい。
・戦争、疎開体験を実際に聞くことができ、手紙も実物を手にとって、読むことができ、とてもきちょうな体験でした。
・昼食交流でも、いもいに住む東京から疎開で来た方の話など聞けてよかったです。
・人類は80年ごとに同じミスを繰りかえすという。勉強になりました。
・戦争についてより深く知れた。
・お寺さんの見学もあったので、当時のことがより現実的に感じられ、子どもさん達の気持ちが想像できました。
・芋井の中を丹念に訪ねて、たくさんの記録や歴史を収集されたご努力を本当に素晴らしいな、と思いました。

●Q3感想などご自由にどうぞ
・リアルな体験をお話ししていただく機会は、とても貴重などおもいます。また、ぜひ企画してください。
・和田さんのお話を聞いて、戦争を知らない世代ですが、積極的に知ろうとし、次世代に語り継いでいかなければならないと思いました。
・天空の里 いもい農場の今後のご発展、ご活躍をお祈り申し上げます。
・反戦の活動をどう継続するか←戦争を知らない世代がほとんど。歴史教育の重要性。
・草の根から、この市民の学習の場をたくさんづくり、未来の子どもたちに継いでいきたいと思います。
・今後これを誰が語り継いでいけるのか、さらに調べていくのは誰が担うのか、大勢の人が興味を持ち、平和について考えていきたい。
・子どもにも聞いてほしいと思い、家族で参加させていただきました。それぞれに何か感じる事があったと思います。ありがとうございました。
・戦争の歴史を深く知れてよかった。
・初めて本物の日章旗や、戦地からの手紙を拝見しました。とても貴重な物を見させて頂きました。ありがとうございます。保存の良さに遺族の思いが伝わります。
・疎開の話を主にきけてよかった。
・今日の全体のスケジュールが事前の連絡文書にあったら良かったと思う。
・椅子の必要性がわかった(忘れない秘訣)。
・過疎地の田舎っぷりはすごい、実感した!!
・来たからには楽しんでできましたー。自分の職業柄、農業は第一次産業としてしかみてなかったのだが、人間関係を含めた交流があるのを知った。これからはいろいろな角度から見られる柔軟な考え方を持ちたい。
・豊川海軍工廠にも足を運びたいと思いました。すいとん、ニラせんべい、おいしかったです。
・若い方、子どもさんの参加がうれしいと思いました。今後もっとこのように子どもたちが、戦争を知る機会があるとよいと思います。
・少しでも、このような記録を活用して、戦争のない時代に戻してゆければ、と思いました。
(アンケート回収総数19枚)

2019年07月03日

1945年の夏、和田少年が見たこと。〜芋井発、未来へつなぐ平和〜

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天空の里 いもい農場の圃場の近くに位置する松参寺には、74年前に受け入れた学童疎開記念の碑があります。その石碑に刻まれた碑文に思いを寄せ、背景をたどることは、戦争のない世の中へ続く、「未来」を考えることにつながります。

今回、いもい農場の活動の一環で、当時の様子を語ることのできる和田蔵次氏(天空の里 いもい農場地主)から74年前にタイムスリップしたお話を聞く機会を設け、戦争の実相を知り、「平和」と「未来」を考える場を作ります。

▽開催目的
@芋井地区の戦争の実相を知り、参加者それぞれの平和と未来を考えるきっかけの場とすること。
A中山間地域と都市部の人々との交流を図ること。

▽企画概要
(1)企画名 「1945年の夏、和田少年が見たこと。〜芋井発、未来へつなぐ平和〜」
(2)フレーム 主催:いもい農場 後援:芋井地区住民自治協議会・週刊長野・長野市教育委員会 協力:寛松寺・松参寺
(3)日時 8月11日(日)10:00〜13:30
(4)内容 疎開児童受け入れ場となった松参寺と芋井小学校第2分校だった芋井社会会館を会場に、当時7歳だった和田蔵次氏から、当時の地域の様子や疎開した児童の様子、石碑建立に至る経過、石碑に込められた思いを聞きます。感想や参加者の声をもとに、和田氏と参加者双方向でコミュニケーションを図る場とします。お話を聞いた後は、すいとんを作って味わい、当時の食生活を感じる場とします。
(5)募集人数 40人(未就園児から参加可)
(6)参加費 無料(長野市ボランティア活動振興事業助成金を活用して開催します) 

詳しくは、チラシをご覧ください。
2019.8.11平和学習会参加者募集(チラシ).pdf

▽参加申込
【申込方法】メール
「参加者の代表名」「参加人数(大人・子ども)」「住所」「連絡先携帯番号」を記入いただき、下記アドレスへ送信してください。後日、案内と会場地図を郵送します。
メールアドレス 「imoi.hirose@gmail.com」
※お預かりした個人情報は、企画運営の目的のみで使用します

【問い合わせ】
天空の里 いもい農場 運営事務局 TEL090-9358-3286(ニシザワ)

2018年10月01日

葛山植樹祭〜作ろう花回廊〜

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芋井地区住民自治協議会内の葛山ドリームプロジェクトでは、10月20日(土)に、葛山城址遊歩道へつつじを植える植樹祭を開催します。スコップ片手に、将来へ形の残る「つつじを植え」に参加しませんか?10月26日締め切りで、参加者先着100名に、記念品のプレゼントがあります。

お問い合わせは
芋井地区住民自治協議会 
TEL026-262-1583
FAX026-262-1584

※芋井地区住民自治協議会は、天空の里 いもい農場の活動の後援でお世話になっています。芋井地区の観光振興の一助になればと、紹介させていただきました。
タグ:葛山

2018 飯網高原健康ウオーキングフェスティバル

「2018 飯網高原健康ウオーキングフェスティバル」(飯網高原ウオーキングフェスティバル実行委員会主催)が10月14日(日)に開催されます。紅葉の始まる季節、飯綱高原大座法師池を中心とするウオーキングコースを使い、ノルディックウオーキングやポールウオーキング、オリエンテーリングといった、様々な歩き方を自由に楽しむことができます。ぜひ、参加してみてはいかがですか?それぞれのウオーキングには、より効果的にウオーキングができるよう、専門の講師が付きます。

■日時 平成30年10月14日(日)【雨天決行】
■場所 飯網高原芝生広場(大座法師池隣)
■参加人数 1,000名(予定)
■イベント内容・ウオーキング講座 チラシ参照
■参加料 高校生以上500円
■参加方法 事前申込は、TELまたはFAX。申込期限は10月12日(金)まで。
TEL026-224-5083(長野市文化スポーツ振興部スポーツ課)
FAX026-228-2461(一般社団法人長野市開発公社)
※当日申込もあります。

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(チラシ表)

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(チラシ裏)

※この実行委員会構成団体の一つに、天空の里 いもい農場の活動の後援でお世話になっている芋井地区住民自治協議会が加わっています。芋井地区の観光振興の一助になればと、紹介させていただきました。

2018年08月04日

昭和20年、芋井であったこと

▼芋井地区で実施した草刈りに参加しました。
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(5:00、夜明け前)
天空の里 いもい農場は4日、芋井地区一斉に実施された草刈りに参加をしました。今回は事務局の西沢が参加をして、日ごろ、活動で使っている農道を中心に草刈りを行いました。地主の和田蔵次さん(80)と一緒に作業に当たった中で、「年に数回、(草刈りを)実施しているが、人足の動員が限界。地域外の人にも応援を頼んで、やっとのことで地域の環境保全につなげている」と和田さん。天空の里 いもい農場へも、期待を寄せていただきました。今後の活動で地域にお役立ちできないか、検討してきたいと思います。

▼昭和20年、芋井で学童疎開を受け入れ
草刈りの中で、和田さんから「松参寺の学童疎開の碑」について教えていただきました。松参寺は、いもい農場からほど近くにあります。昭和20年、ここに、戦争の激化に伴い実施された学童疎開で、親元を離れた児童の暮らしがありました。
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(柴宮山 松参寺)

▼学童疎開 記念の碑
芋井村(当時)では、梅島第一国民学校(東京都足立区)の3〜6年生113人と教師の7人を受け入れました。集団生活をした児童たちが、平成7年、集団疎開50周年を迎えたことをきっかけに、お世話になった芋井村への感謝と、再び戦争の惨禍が起こることがないよう、平和を念願する内容が刻まれた石碑を建立しました。当時の様子を語り継ぐ大切な石碑です。
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(学童疎開記念の碑)

▼今の平和を考える上で、過去の惨禍を忘れない。
今の平和を考える上で、この地で戦争があった事実、当時、あったことを忘れてはいけないと思います。なぜなら、今、平和な世の中だからこそ、普段のくらしがあり、天空の里 いもい農場の活動ができると感じています。

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(8月4日(土)週刊長野1面記事)
「戦争は、皆が悲しい思いをするばかり。戦争は、あってはならない」和田さんからの言葉は、芋井で活動を行う中で、大切にしていきたいと思います。(西沢)
タグ:平和

2018年05月03日

「広瀬神社拝殿再建」と「芋井の棚田発刊」の紹介

5月3日(木)の信濃毎日新聞と長野市民新聞の2紙で、天空の里 いもい農場の地元の情報が掲載されました。

●芋井広瀬神社拝殿再建に力を貸して
広瀬芋井神社拝殿は、昨年の台風で全壊しましたが、「神社の1000年近い歴史を通じて、住民は祭りに携わりながらつながりを得てきた。過疎に悩む今だからこそ、価値を次の時代に伝えたい」と、再建に向けたいもい農場地主の和田さんの談話が掲載されています。天空の里 いもい農場では、微力ながら広瀬神社拝殿再建協力の検討をしていきます。
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(5月3日(木)信濃毎日新聞掲載)

●芋井の棚田が本に
いつもお世話になっている芋井地区住民自治協議会が中心になって、芋井地区にある棚田について、歴史、地理、地質の面から考察する本が出版されました。と言っても非売品の本の紹介です。著者は、地主さんを含めて大学や博物館、地質研究など様々な分野で活躍している12人。公共テレビ局の人気番組ブラ○モ○のように、テンポの良い考察で、自然と向き合って開発されてきた棚田、開発有史以来、高齢化で維持できない状況、土砂崩れの災害が恵みをもたらしてきた背景など、芋井の棚田で稲作を営む本質がまとめられています。棚田100選に選ばれない無名な棚田ではありますが、農村維持への危機感も綴られています。天空の里 いもい農場、活動拠点の背景を知ることで、地域に寄り添った活動にしていきたいなあ、と感じた本です。(3/8Facebook掲載内容を転載)
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(5月3日(木)長野市民新聞掲載)

2018年04月16日

芋井地区シンボルの「神代桜」、満開となりました。

今年度の活動が4月21日に迫る中、開講式の準備で、芋井地区をあちこち回りました。

長野市芋井支所・芋井地区住民自治協議会の訪問に合わせて、近くにある神代桜を立ち寄りました。夕暮れの中のエドヒガン桜、1200年前の風景はどうだったのかな、と思いを馳せずにはいられません。
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(樹齢約1200年、神代桜)

開講式の調整で、支所・住民自治協議会を訪問。6月30日に予定している「葛山ハイキング」の打ち合わせも行いました。支所入口には、いもい農場のポスターを掲示いただき、活動周知へのご協力、ありがたいです。
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(長野市芋井支所入口の掲示板)

いもい農場の山反対側から眺めた、いもい農場周辺の集落と棚田。一番左の谷底が裾花川。裾花川から飯縄山に向かって田畑が広がっています。写真中央右の桜がたくさん写っているところが芋井社会会館。その近くにいもい農場の圃場があります。斜面だらけの中にある圃場です。
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(いもい農場周辺の集落、棚田)

この間、元・遊休農地のおにぎり畑の整備を進めてきたことから、まだ草に覆われず、畑らしい様子を見せています。引き続き、活用を通じて、有効活用をしていく予定です。
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(写真中央:社会会館から眺めるいもい農場の田んぼとおにぎり畑)

開講式の調整で、地主さん宅を訪問。ちょうど、お米作りの準備をされていました。今年は、あきたこまちを栽培するとのことです。どのようにご飯になるのか、田植え、お米作りの苦労を共有して、田んぼの生態系を知りつつ、お米の成長過程を観察していきたいと思います。(西沢)
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(あきたこまちを播種。明日、苗床に移して育苗を開始するそうです。)

2016年08月12日

芋井 戦争と平和資料展 見学報告

今回は、天空の里いもい農場が位置する長野市芋井地区で開催されている「芋井 戦争と平和資料展」に、今年、家庭の事情で活動をお休みしている広報担当のクロこと、鋤柄が見学してきたので、その報告をさせて頂きます。

「芋井 戦争と平和資料展」は、天空の里いもい農場の地主である和田さんが中心となり、戦後71年目にして初めて開催されました。内容は、芋井地区の戦争に関わった歴史について振りかえり、平和について考える場です。芋井地区に在住で戦没遺族の方々に資料提供を呼びかけ、、「戦没者の遺影」「名簿」「手紙」「日章旗への寄せ書き」「海軍服」「戦前運行していた善白(ぜんぱく)鉄道に関する資料」などが展示されています。



今回、和田さんから、貴重な歴史のお話をたくさん伺うことができましたので、その内容について報告します。

★和田さんの戦争体験と芋井の歴史
和田さんが鮮明に覚えているのは、終戦の2日前(8月13日)に起きた長野空襲。和田さん在住の芋井広瀬地区は、長野市の市街地をV字に見下ろす景観の良い場所であるが故、米軍の空襲と燃える長野市の光景は忘れられないものだそうです。

日露戦争と十五年戦争(満州事変からポツダム宣言受諾まで)で志願兵と応召(召集に応じて軍務につくこと)で約500人が戦争に行き、112人が戦死。会場にはその全員の名簿に犠牲となった場所、年齢などが、記載されています。年齢は16歳から38歳まで、日露戦争の激戦地となった二百三高地、満州、中国、東南アジアなど、かなり広域です。



戦後、シベリア抑留となった人も7、8人いて、全員が帰国。芋井広瀬地区からも1人いたそうですが、死ぬまで、抑留されたことについて、家族にも一言も喋らなかったと和田さんは話していました。

「口にしたくないほど過酷な体験だったんだろう」と和田さん。

「資料提供の呼びかけでたくさんの資料が集まった。手紙なども記録として残していきたい。そのままにしておくと散逸してしまう」と、記録として残していくことの大切さを語っていました。



★わずか7年の営業だった善白鉄道

資料の中に、長野盆地(別名:善光寺平)と白馬村を結ぼうとした善白鉄道について、当時の写真が展示されています。昭和11年に南長野(長野市中御所)と善光寺温泉東口が開業し、17年に裾花口まで延長したものの、昭和19年1月に、国の事業整理で休業。レール等の資材は鉄の供出でオランダ領インドシナのセレベス島に送られたとされています。

大本営は、敗戦濃厚な中で戦争目的を国体護持に変更しました。その関連で天皇や国の重要機関を、海から遠く、爆撃対して攻めずらいと考えられた長野に移す計画が密かに進められました。天皇やNHK、電電公社(NTT)、軍司令部は、長野市松代にある松代大本営地下壕を中心に移転準備がすすみ、皇太子(現:今上天皇)、皇太后(大正天皇の貞明皇后)を疎開させる施設として、旧・善白鉄道第3トンネルに建設する計画があって、終戦間際、資材は善光寺温泉まで運び込まれていたそうです。

「V字型の狭隘な地形で爆撃も難しかったから、疎開先として選ばれたのだろう」という和田さんの話に、うんうんと納得。

和田さんの話によれば、戦後も駅は残っていたそうで、長野市、白馬村が善白鉄道を復活させる運動を行ったものの、昭和45年に裾花ダムが完成し、路線が水没することになってしまい、善白鉄道復活は幻となってしまいました。

それにしても、長野から、芋井、戸隠、鬼無里を抜けて白馬まで行くという鉄路計画が戦前にあったことには驚きです。 



★65年ぶりにアメリカから帰還した日章旗

出生時の寄せ書きが書きこまれた2つの日章旗。左側のものは、戦後、無事に帰国して持ち帰ったものだけれども、右側のものは、昭和20年4月にレイテ島の激戦で亡くなった方のもので、この日章旗をアメリカ兵が本国に持ち帰って保管していました。

日章旗は本人が帰国したものが残されているのが殆ど。戦死した兵士のものが遺族のもとにあるというのはどういうわけでしょうか。その理由はこういうものでした。

たまたま東京在住の方が、アメリカにホームステイした際、偶然、ホームステイ先に、この日章旗があったことに驚き、存在を確認。ホームステイ先から遺族に返したいとの意向を受け、65年ぶりに返還されることになったそうです。

資料展初日に取材に来た信濃毎日新聞の記者も「これは珍しい」と言っていたそうです。



和田さん曰く、「芋井村と書かれてあったからだよ。名前だけだったら、分からなかっただろう」とも。

貴重な資料が展示されている「芋井 戦争と平和資料展」。今は平和な芋井も、かつては多くの若者が出征し、多くの若者が帰らぬ人となった負の歴史があります。無言で語りかけてくる貴重な資料を前に、平和について考える機会となりました。この場を借りて、取材にお応えいただいた和田さんに御礼を申し上げます。

展示は、8/10〜20の9:00〜17:00まで。芋井公民館の場所は?(リンク先)。ナビをお持ちの方は、026−235−5778で検索して頂ければ。

貴重な資料が展示されていますので、是非、お越しください。


最後に、今企画開催趣旨全文を転載します。


「芋井の戦争の遺品、戦没者の遺影から学ぶ」

 戦後70年となる2015年(平成27)、芋井住民自治協議会・地域振興部会は、地域の戦争の記憶を整理し、その記録を後世に残すべく、関連資料を発掘、提供を区民に呼びかけてきました。戦後70年という長い時間の経過と平和が当たり前という社会環境の中で、当時の根本資料は散逸したり無用として処分されたりして、ほとんど収集出来ませんでした。しかし、数は少ないものの、寄せ書きされた日章旗や軍服、満蒙の地からの手紙など遺品などは残されていることが判明しました。これらの遺品は、保持者個人はもとより、地域共有の歴史資産としての価値を内包しています。
 戦没者全員の遺影は揃えられませんでしたが、協力いただきたご遺族の皆さんに心より感謝と御礼を申し上げます。また法学寺様のご協力をえて会場でささやかな法要を営ませていただきました。
 本資料点が、ふるさとへのおもいと地域建設にいささかの寄与ができれば幸いです。

2016年04月16日

いもいの桜は今が満開です:観光案内も兼ねて

 こんばんわ、ブログ担当のクロです。一昨日からの熊本を中心とした地震、大変なことになっていますね。当初の局地的な大きな被害ではなく、余震も続き、先が見通せない状況になっています。

 現地の方に心からのお見舞いを申し上げるとともに、これ以上被害が広がらないことを願っています。各地で募金等の取り組みも始まるようですが、出来るところで支援の輪を広げていきましょう。

 さて、前回の活動日に、今年は季節が進むのが早くて、「23日には葉桜になっちゃうなぁ」とみんなで話してて、事務局がリンゴの下の草刈りをしてきたついでに桜の写真を撮ってきたので、さっそくご紹介。まずは社会会館の桜です。



 その周辺の風景も一枚。



 そしていもいで有名なのが神代桜(じんだいざくら)。こういう写真は僕には撮れません(苦笑)。









 そして看板もパチリ。



 いもい住民自治協議会の紹介している文章をそのまま引用します(リンク先)。

 その昔、スサノオノ尊がこの地で休んだとき手に持っていた桜の杖を池辺にさしたものが大きくなったと伝えられている。根回り約9m目通り周囲11.3m樹齢1200年の巨木。国の天然記念物。

 桜の名所は数あれど(僕は高田公園のある上越市:高田の出身)、本当に見事な桜だと思います。しばしご堪能いただければ。

 さて、23日に話を戻します。9日に調味料関係の棚卸しをし、生協の稲里店で新しい商品を買い揃えてきました。



 これで今年の食育企画の準備はバッチリです。歴史のあるいもいの地で汗をかき、交流を深め、楽しい思い出作りをしましょう。
 
 スタッフ一同、皆さんの参加をお待ちしています。