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北竜町の雪景色
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北海道北竜町の
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ミスタードーナッツ@マッススバリュー(北海道深川市) [2010年10月31日(Sun)]
 

ミスタードーナッツ♪
@マッススバリュー(北海道深川市)

甘〜いドーナッツに乗って、空を飛ぶ夢を見ました
久しぶりのミスタードーナッツ♪;
@マッススバリュー(北海道深川市)



 いくこ&のぼる


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朝靄煙る太陽@町営アパートの窓から(北海道北竜町) [2010年10月30日(Sat)]
 

朝靄煙る陽を拝む@町営アパートの窓から(北海道北竜町)

雪解けの 朝靄煙る 陽を拝む
@町営アパートの窓から(北海道北竜町)撮影:10月29日



 いくこ&のぼる


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「北海道の地域社会再生と活性化」シンポジウム(札幌学院大学)で北竜町について発表されました(前編) [2010年10月30日(Sat)]
2010年10月22日(金)前編。

10月4日(月)、突然かかってきた一本の電話。「札幌学院大学人文学部の学生ですが、北竜町について研究をしているので、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」。

次の日、町役場の事務所で、内田司先生(札幌学院大学人文学部人間科教授)とともに6人の学生さんとお話することができました。テーマは「地域におけるまちづくりの取り組み」です。


今回は、その研究報告が、札幌学院大学で開催されたシンポジウム「北海道の地域社会再生と活性化―地域社会再生とは何かについて考える―」で発表されると伺い、聴講させていただきました。

空にそびえるG館を臨む@札幌学院大学(北海道江別市)
空にそびえるG館を臨む
@札幌学院大学(北海道江別市)


札幌学院大学は江別市に所在し、近くには野幌森林公園や北海道立図書館もあり、大自然に囲まれ学術施設が充実。5学部9学科文化系の総合大学で、緑多い恵まれた環境の中、およそ4,500人もの学生が学んでいます。

訪れた日、キャンバス中庭では、50年記念館が真っ青に澄み渡る秋空にそびえ立っていました。芝生の上で語らう学生たちの姿が、懐かしく感じられます。

シンポジウム会場は、3号館第二会議室。松岡昌則先生(北海道大学院文学研究科教授)のコーディネーター・司会、クリス・ヒギンズ氏の基調講演に続き、地域社会再生に関する3人の方々の発表・報告が行われました。


◆「スコットランド高地・島嶼部開発公社のコミュニティ再生政策と活動」 クリス・ヒギンズ氏(スコットランドHIE文化・第3セクター部・部長)


クリス・ヒギンズ氏(Mr. Chris Higgins)(スコットランド高地・島嶼部開発公社(HIE)文化・第3セクター部長)
クリス・ヒギンズ氏(スコットランドHIE文化・第3セクター部・部長)


クリス・ヒギンズ氏(Mr. Chris Higgins)は、英国ロンドン生まれの60歳。現在、スコットランド高地・島嶼部開発公社(Highlands and Islands Enterprise:以下、HIE)の文化・第3セクター部・部長であり、スコットランド高地・島嶼地域の地域おこしのスペシャリストでいらっしゃいます。

HIEは、1991年創設。スコットランド政府の運輸・生涯学習省から財政援助をうける政府機関です。団体としては、旧スコットランド開発機関と旧スコットランド職業訓練機関を統合したものであり、40年以上もの活動歴を持っています。政府の一機関が、同じ仕事を40年以上継続することはとても珍しく、世界でもHIEだけとおっしゃっていました。

HIEは、スコットランド北部のハイランド地方および島嶼部に活動範囲を絞り、過疎地域における新規ビジネスの奨励・援助、そして軌道にのせることを目的に活動しています。

HIEの特徴として、経済的開発、社会的開発の二つの側面を取り扱っていることを挙げられました。一般的には経済的開発のみを目指すことが多いからです。何故なら、HIEでは地域住民の社会構造の変化は、経済的変化を伴うものだと定義しているからです。

年間予算は、5,500万ポンド(約71億5,000万円)、住民一人当たりに換算すると、約1,300ポンド(169,000円)、300人の職員で運営されている組織です。

ヒギンズ氏のお話は、まず、スコットランドと北海道の地理的、社会的状況が似ていることを指摘されました。都心部からの距離、人口の少なさ、人口密度の低さ、寒暖の差が大きいなど、類似点が多いのです。

HIEの業務内容は次の4つ
 1.地域にビジネス(コミュニティ企業)を興すこと
 2.補助金とアドバイスで、地域のリーダーを育成すること
 3.市場をグローバルに拡大すること
 4.コミュニティ企業を活性化すること

HIEが、ビジネス分野として重視しているのは「環境」と「文化」です。映画、音楽、アーティストなど独創的な要素が盛り込まれていく分野です。

地域環境の中で現在もなお生き続けている文化が、その地域の環境と重なり、重なり合わさったところに新しいビジネスが生まれる。つまり、常に全体をひとつとして考えていく戦略を構築するのです。図にすると、文化の輪と環境の輪が重なり合った部分の新規事業が、卵のように見えることから「鳥の巣の卵作戦」と名付けていました。

ヒギンズさんの仕事は、こうした戦略に基づき、地域のリーダーに対して指導・アドバイスを行い、助成することです。
その地域の住民が、10年〜15年継続して発展できる事業の開発を行っていきます。それは、HIEならではの新規事業開発です。政治の影響を受け易い自治体(行政)では、継続してサポートすることが困難なことが多いのです。
HIEでは「コミュニティ企業経営指導システムアカウントマネジメント(和訳)」と呼んでいます。

HIEの成功例として、風力発電の起業があります。最悪の経済状況にあった地域の、島の半分の土地をHIEが買い上げ、地域のリーダーを育成・指導し、風力発電の起業を支援したのです。今では、数十万ポンド(数千万円)の利益を挙げ、地域の活性化に大きく貢献しているとのことです。

スコットランドが北海道と類似性をもち、そこの地域ならではの再生活動が継続されていることを初めて知り、驚きました。このような、地域ならではの活性化活動について、多くの事例を学び、情報発進していくことの重要性を深く感じました。


◆「グリーン・ツーリズムによる新たな経営戦略と地域農業の展開(長沼町)」 大野剛志先生(旭川大学保健福祉学部助教)

大野剛志氏(旭川大学保健福祉部)
大野剛志先生(旭川大学保健福祉学部助教)


続いて、大野剛志先生(旭川大学保健福祉学部助教)の「グリーンツーリズムによる新たな経営戦略と地域農業の展開」の報告発表がありました。

夕張郡長沼町の農村におけるグリーンツーリズム(幅広い都市と農山漁村との交流)による新規参入者3世帯の取り組みについての事例でした。

新規参入者とグリーンツーリズム(新たな農業)導入がもたらした、地域の変化及び活性化についてのお話です。

長沼町における新しくスタートした代表的な取り組みをあげられました。
 1.営農集団という組織の確立
 2.補助金をつかった新しい事業の展開
 3.グリーンツーリズムの導入

そして、グリーンツーリズムにおける新規参入者3世帯の取り組みについての紹介がありました。
 1.有機トマトの栽培(64歳、経営農家)
 2.ブルーベリー栽培(54歳、元コンピューター技師)
 3.農家レストラン経営(72歳 元札幌大手流通企業副社長。グリーンツーリズムのリーダー的存在)

こうした新規参入者の特徴的ポイントは、新規参入者ゆえのオリジナリティーが築かれたこと、さらに、地域に新しい農業に着手する契機が生まれたことです。

有機トマトなどの有機野菜の栽培・販売は、直売所の所得向上につながっていきました。そして、農業レストラン・直売所、さらには、女性グループによる新たな農産物加工品の製造販売へと発展したのです。

また、中学生に対する農業体験の実施は、農業の学びを進めました。また、市民への農園提供と相まって、労働力の不足を新たな形で補うことができるようになりました。

こうして、新しい農業の形が提案され、長沼町の農業は、都会的で美しくおしゃれなイメージへと変化していきました。

結論として、新規参入者とグリーンツーリズムが地域発展に与えた影響とは、

1.新規参入者が地域にアドバイスをすることで、直売所における生産・加工・流通・販売などの全行程を住民が自らできるようになった

2.新規参入者の活動が地域農民に刺激を与え、地域住民が自らアクションを起こす切っ掛けとなった

3.定年退職者(新規参入者)の技術・アイデアなどの蓄積された能力は、地域の新しい力になり得る

新しい風が流れ込むことによって、今までになかった新たな動きが始まる実証例として、学ぶところが多い研究報告でした。

後編へ続く ▶


 いくこ&のぼる

「北海道の地域社会再生と活性化」シンポジウム(札幌学院大学)で北竜町について発表されました(後編) [2010年10月30日(Sat)]
10月22日(金)後編。

◀ 前編はこちら


◆「景観形成による地域活性化―北竜町のひまわりの里づくり―」 木戸功先生(札幌学院大学人文学部准教授)・畠山千広さん(学生)


木戸功先生(札幌学院大学人文学部准教授)、学生
木戸功先生(札幌学院大学人文学部准教授)と学生


次は「景観形成による地域活性化―北竜町のひまわりの里づくり―」と題して、木戸功先生(札幌学院大学人文学部人間科学科准教授)と学生代表・畠山千広さんによる発表です。

木戸先生は、大学で「社会調査法」の講義を担当され、地域調査(フィールド・ワーク)を行っていらっしゃいます。今回、「地域におけるまちづくりの取り組み」の地域調査対象として、北竜町を選ばれました。

まず、北竜町の地理・人口・産業「ひまわりの里」づくりの概況について説明されました。
「北竜町における今回の研究は、あくまでも研究途中のものです。そのことを踏まえたうえで、生徒の報告をお聞きください」というお話の後、人文学部人間科学科フィールドワークの受講生を代表して、畠山千広さんから発表がありました。

◆学生が感じたことの発表(要旨):

「1.町民の結びつきが強いと感じました。そこには、ひまわりで地域を活性化しようとする目的があります。そして、『ひまわりまつり』における、地域の連携が強いと思います。 各種団体の準備、ボランタリー協会の活躍、町民の手によるひまわりの里の草刈りなど、これらは、町民の方々の北竜町に対する愛着が強いからだと感じました。

2.近年『ひまわりまつり』の観光客数が減少しているとのことです。私達は3班に分かれ、関係機関の方にお話を伺いました。その結果、行政・各団体・町民が、ひまわりに対する将来のあり方・考え方において、それぞれ異なる考えをもっているように思います。

3.農協婦人部の活躍があります。婦人部の方々は「家族の健康を守る」という目的が一貫してはっきりしているので、ひまわりを広めることができたと感じました。現在の活動では、味噌や豆腐の大豆加工品の製造を行っています。農作業の仕事との兼ね合いもあり、加工製造は冬の間と限定される、人手が不足している、などの問題をかかえているとのことです」

◆学生からの提案(要旨):

「1.行政と団体それぞれの役割がとてもはっきりしています。役割に囚われすぎず、柔軟性をもって、連携体制をとっていくことが必要だと感じました。

2.農協婦人部の意見を積極的に取り入れることが大切であり、女性の力の大きさを強く感じました。

3.若い人を町に呼びたいという竜トピア青年部の意見もあり、町全体で、若い人達の意見に耳を傾け、支えていくことが大切だと思いました。行政・団体・町民など町全体で、意見交換を活発にしていくことで、お互いが思っていること、感じていること、望んでいることをお互いにとことん話し合っていくことが必要だと思います」


私達は、こうした学生さんたちの素直な視点から、多くのことを学ぶことができました。北竜町は100年以上の歴史の中、様々な難題に取り組み乗り越えてきました。この先人達の偉業の中に、現在の北竜町が存在します。町は今、さらなる成長の契機を迎えているのかもしれません。



◆地域福祉の充実と住民活動の活性化(東川町)
鶴岡恒男氏(東川町ぼだい樹の会設立者)


鶴岡恒男氏(ぼだい樹の会設立者)
鶴岡恒男氏(ぼだい樹の会設立者)


最後に、鶴岡恒男氏から「地域福祉の充実と住民活動の活性化」と題する介護支援活動についてのお話がありました。鶴岡さんは、神奈川県鎌倉市から両親とともに東川町に移住され「ぼだい樹の会」という男性介護の会を設立されました。

鶴岡さんは「ぼだい樹の会」の活動についてのお話をされました。

「両親の介護の折に感じた、町民の方々の温かい人間関係が心に深く残っています。

男性介護の難しさや大変さを実感し、介護者同士が話しを聞き、助け合っていく支援活動を開始しました。料理教室、ブーケづくり、講演活動、主に訪問活動を中心に続けてきました。

『鶴岡さんが来るのが、とても楽しみだよ』と言われることが、大変嬉しいことです。

会の活動は、支援される人々と支援する人々の輪がどんどん広がっていきました。こうした支援活動の中で、歴史ある北海道人の支え合いの精神が、現代にも受け継がれているのではないかと感じました。

北海道に来て良かったです。北海道の人々に『ありがとう!』と言いたいです」


*─*─*─*─*─*─*─*


今回、素晴らしい方々の貴重なお話を拝聴することができたことを心から感謝いたします。地域の活性化、発展のための活動の意味深さを改めて感じました。

世界中どんな地域においても、良いところ不便なところの両方が存在すると思います。今まで見ていた視点をちょっと変化させることによって、あたりまえと思っていたものが、素晴らしい宝もののように感じられることもあります。

楽しいと感じ、感動し、そして感謝する心を抱いて行動することで、留まる事の無い新しい流れが生まれてくるのではないでしょうか。。。


地域を愛し、地域の発展を願う人々の

  温かい思いやりの心が
   大きな輪(和)となって光輝くことに

     無限の愛と感謝と笑顔をこめて。。。


◀ 前編はこちら

「地域社会再生とは何かについて考える」北海道の地域再生と活性化に関するシンポジウム 会場@札幌学院大学(北海道江別市)
「地域社会再生とは何かについて考える」
北海道の地域再生と活性化に関するシンポジウム会場
@札幌学院大学(北海道江別市)


 いくこ&のぼる
かに汁最高!@海鮮割烹みどり(北海道小平町) [2010年10月29日(Fri)]
 

かに汁最高!@海鮮割烹みどり(北海道小平町)

みどりママさんのかに汁最高の味!
美味しさと楽しさで心もお腹もぽっかぽか♫
@海鮮割烹みどり(北海道小平町)



 いくこ&のぼる


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新鮮野菜@パン・野菜レストラン「食菜」風の村(北海道江別市) [2010年10月28日(Thu)]
 

◆大2写真の説明文

隣の畑で採れた、色とりどりの新鮮野菜がい〜っぱい
素敵な陶器で、野菜も手作りパンも美味しかったです♫
パン・野菜レストラン「食菜」
風の村(北海道江別市)撮影:10月22日



 いくこ&のぼる


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初雪@公営住宅の窓から(北海道北竜町) [2010年10月27日(Wed)]
 

初雪@町営アパート(北海道北竜町)

初雪です。朝の窓の外は真っ白
@町営アパートの窓から(北海道北竜町)



 いくこ&のぼる


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一瞬のダブルレインボー@北海道滝川市 [2010年10月26日(Tue)]
 

一瞬のダブルレインボー@北海道滝川市

グレイな雲の中、不思議に輝く一瞬のダブルレインボー
@北海道滝川市



 いくこ&のぼる


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「食べものはいのち(生命)」黄倉良二さん 農業の心を語る(前編) [2010年10月26日(Tue)]
2010年10月11日(月)前編。

( 前編 )
◆ 農協は「いのち(生命)・食糧・環境・暮らし」を守り育む組織
◆ 青年時代の貧困を支えた町の人々の温かい思いやり

後編
◆ 農業とは、安全な食べものを生産すること
―食べものはいのち(生命)―
◆ 組合員のための農協
◆ 低農薬栽培に全町挙げて取り組む
―日本初「生産情報表示農産物JAS規格」をお米で取得―
◆ 百姓をしてきて、本当によかった


私達は、今年の3月末、ここ北竜町に居を移しました。自然の素晴らしさ、清らかな美味しい水、町民の皆さんの温かな真心に触れ、感動の日々を過ごしています。

そして、何より「ひまわりライス」「ひまわりすいか」「ひまわりメロン」「ひまわりの花」「黒千石大豆」など、北竜町の肥沃な大地で命が芽生え、いのち(生命)が育み成長していく様子を6か月もの間、見ることができたのは幸せでした。そのひとつひとつが感動の連続です。

ここ北竜町では、そこに息づく様々ないのち(生命)が大切に守られ育まれている、力強いパワーを感じます。町民全体が手をつなぎ合い、協力しあう大きなエネルギーの源になっているように思います。

なぜ、この町に、このようなパワーが生みだされているのでしょうか? こうして、「いのち(生命)を守り育む魂のルーツ」を探す私達の旅は始まりました。


「天と地と水 そして農民のこころ」
「天と地と水 そして農民のこころ」書道の大家・島田無響氏の書
写真の左から:後藤三男八氏(5代組合長)、北政清氏(初代組合長)、
加地彦太郎氏の胸像


◆ 農協は『いのち(生命)・食糧・環境・暮らし』を守り育む組織

今回、北竜町農業協同組合8代組合長、及び前JAきたそらち(きたそらち農業協同組合)代表理事組合長・黄倉良二(おうくらりょうじ)さんのお話をお伺いする機会が、幸いにも与えられました。

お話をお伺いした場所は、JAきたそらち北竜支所事務所。事務所2階の階段を登った正面には「天と地と水  そして農民の心」と記される、北海道を代表する書道の大家でもある島田無響(しまだむきょう)氏の書。そこに描かれた文字に魂が存在するような躍動感を感じさせる素晴らしい書です。

北政清氏(初代組合長)、後藤三男八氏(5代組合長)、加地彦太郎氏の胸像。それら三氏の胸像は、農業の昭和史を飾るに相応しい先駆者たちの輝きを放っています。

黄倉さんは、1991年(平成3年)から農協代表理事組合長を3期9年間勤められました。毎朝、初代組合長・北政清氏を先頭に並べられた写真に手を合わせ、感謝しあいさつすることから、組合長の一日がはじまります。

北竜町農業協同組合、歴代組合長の写真
北竜町農業協同組合、歴代組合長の写真


組合長でありながら「良ちゃん」と呼ばれ親しまれた黄倉組合長。農作業の迷惑にならないようにと、早朝5時前から農家を回り、組合員に声をかけ、耳を傾ける毎日でした。

まず「組織、団体を理解する上で大切なことは、社訓、組織訓を知ることである」と力強く、黄倉さんは語られました。

「農協訓は『いのち(生命)・食糧・環境・暮らし』を守り育むことです。農協は、先人が脈々と築き上げてきたものを受け継ぎ、この4つのことに取り組み、ずっと守り続けてきました。

人間にとって一番大切なものは、いのち(生命)。

いのち(生命)は食べもので育まれます。食べものは、ものであってはいけない。食べものは、いのち(生命)なのです。どんなに背景が変化しようと守り抜いてきたもの。

そして、先人が厳冬に耐え開墾し、耕し、守り抜いてきた大地。

さらに、地域社会の環境を守っているもの、それは水。

木が朽ちて、葉が落ち、岩や土の肥やしとなる。暑寒別連峰に降り積もった雪が、ひと雫ひと雫流れ込んでできる、生きたミネラルを含んだ水。その水が、岩や土を通ってダムに流れ込み、田んぼを潤す。その素晴らしい水がこの町には存在します。

土を汚染させ、劣化させては、いい食べものはつくれない。工場もスキー場もゴルフ場もないこの土地で、先人たちは親子伝来、いい土・いい水を、子孫に残す為守り抜いてきたのです。

110年以上、農業を営む先人たちが、築き上げ守り続けてきたこの偉業を、次の世代へと伝えていくことが、私達の役目です」

◆ 貧困を支えた町の人々の温かい思いやり

黄倉良二さんは、1939年(昭和14年)6月1日生まれ。数えで72才です。

中学生時代から農業の手伝いをし、11人家族で過ごした青年時代。3つ上のお兄様は、札幌へ大工・建築の奉公。病弱なお母様を抱え、農協からの大きな借金を背負いながらの、農業一筋の壮絶な農家の暮らし。そこには、町の人々の温かい思いやりがありました。

当時の農業は、馬そりの時代。冬の間、馬にとって、脚気にならないための大切な食べ物が燕麦(えんばく)。
「燕麦3俵買ってこい」と父親に言付かり、お金を持たずに農協へ向かう中学生の良ちゃん。農協職員は荷車に燕麦を積んでくれたものの、現金を持っていないことを知ると、荷車の燕麦を下して「お金がないなら売れないよ」。馬に燕麦を食べさせないと、馬は脚気になって、春からの農業ができなくなってしまう。

隣に住み、そんな様子を見守っていた、正当派の馬喰(ばくろう)さんの杉本清松さんが、石灰(カーバイト)の一斗缶(18リットル缶)を持ってきてくれました。

納屋で、ドラム缶2こほどが埋められる大きさの穴を掘り、藁を詰めて、よく足で踏む。その藁を、カーバイトを溶かしたお湯で浸し、丸一日置いてから馬に食べさせるのです。

こうして作る石灰藁を馬に食べさせると、太らないし、脚気にもならない。馬喰ならではの優れた技。馬喰さんとは、馬の力を最大限に発揮できる人、馬の病を治せる人。この馬喰さんのお陰で、馬に力が与えられ、春には田んぼを耕すことができました。


また、近所に住んでいた盲目のおばあちゃん。このおばあちゃんは、家にいながら、道行く人の足音だけで誰だか解ります。

ある日、おばあちゃんが「良ちゃん、良ちゃん、ちょっとよってけ」と声をかけてくださいました。行ってみるとそこには、当時食べたことのない、お砂糖がまぶされたきな粉餅。遠慮しながら食べると「良ちゃん、うまいか。食べてけ。遠慮せんで、いっぱい食べてや」。。。

生涯忘れる事のできない、おばあちゃんの温かい言葉と甘いきな粉餅の美味しさが、貧しい生活の苦しさを乗り越えていくことのできる大きな力となりました。

可憐な花@道の駅「花夢」(北海道西興部村)


青年時代は、毎日、朝は5時から夜8時まで農作業。その後、走ることが好きな仲間とともに、真っ暗な砂利道10kmをマラソンをして過ごしました。

25歳(1964年・昭和39年)から49歳(1988年・昭和63年)までの24年間、深川地区消防組合北竜消防団第一分団に所属。北竜町体育指導員としてスポーツの指導に貢献。1967年に、町は道内二番目の「スポーツの町」宣言をし、また、自ら「北空知駅伝大会」に連続40回出場。この記録は、黄倉さんお一人が保持していらっしゃいます。

青年時代の苦しい生活を見守り、走ることを応援してくださった北竜高校時代の上田孝先生のお言葉。
「良ちゃんは、貧しいけれど、食べものがあるでしょう。都会では、赤貧の生活で、食べものがなくて苦労している若い人がいっぱいいるよ」
この先生のお言葉は、農業の苦しい生活のなかで、一筋の光となりました。

後編へ続く ▶

農業に勤しむ、若き日の黄倉良二さんの写真
農業に勤しむ、若き日の黄倉良二さんの写真"


 いくこ&のぼる


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「食べものはいのち(生命)」黄倉良二さん 農業の心を語る(後編) [2010年10月26日(Tue)]
2010年10月11日(月)後編。

前編
◆ 農協は「いのち(生命)・食糧・環境・暮らし」を守り育む組織
◆ 青年時代の貧困を支えた町の人々の温かい思いやり

( 後編 )
◆ 農業とは、安全な食べものを生産すること
―食べものはいのち(生命)―
◆ 組合員のための農協
◆ 低農薬栽培に全町挙げて取り組む
―日本初「生産情報表示農産物JAS規格」をお米で取得―
◆ 百姓をしてきて、本当によかった


◆ 農業とは、安全な食べものを生産すること
 ―食べものはいのち(生命)―


農協活動は1965年(昭和40年)から北竜町農協青年部理事、監事、副部長、部長と就任し積極的な青年部活動を展開していきました。
1973年(昭和48年)、34歳で農協理事に就任して以来、2000年(平成12年)2月の広域合併に至るまでの27年間、北竜町農協の仕事に心血を注ぐ人生を過ごされたのです。

黄倉さんは、偉大な人々との出会いによって、農業に対する想いを確立されていきました。

当時、北海道の自然農法の先達・佐藤晃明さんの田んぼ(当別町)に勉強に行ったとき、畦を歩きながら問われた御言葉です。

「黄倉さん、農業って何だかわかりますか?」

中学生のときから20年間、ただひたすら一生懸命、借金を返すためにやってきた農業を、言葉に表すことができず、答えることができなかった黄倉さん。

「農業って、安全な食べものを生産することなんですよ」

佐藤晃明さんのこの言葉は、黄倉さんにとって、青天霹靂であり、農業に対する考え方を根本から変えました。




さらに、黄倉良二さんの人生に大きな影響を与えた人物である、5代目組合長・後藤三男八(ごうとうみおはち)氏。1955年(昭和30年)から、6期18年間、組合長を務められました。

後藤三男八さんが退任される前年の1972年(昭和47年)11月2日。当時34歳の黄倉さんは、農協の理事に推されていました。後藤さんから、部屋に呼ばれて、伝えられたことは、

「私は来年辞める。まだ若いおまえは、農協理事の器とはいえない。不満だが、なることに反対はしない。後を頼む。ただし、言っておく事がある。」

「お金が貯まったら、まず本を買え」

「これからの時代、やがて食べ物がなくなる。そのことを考えて、自らの農業で実践し、農協の事業計画を作れ」

「『地位と名誉と金』を求めるな。農協の役員をやっていると、やがてこのことに遭遇する時が訪れる。その時に毅然と対処できるようにしておけ」


「自分に対する世の中の評価は、組合長を辞めてから10年後に表れる。農協とは、役員のものではない、職員のものでもない、それは組合員のものである。必ずそこに立ち返れ。何か問題が起きて迷った時、どうすることが組合員の為になるかを考えよ。そこで出た答えに従え」

まさに、こうした後藤三男八さんの想いが、黄倉さんのその後の人生を方向づける礎となりました。


天と地と水 そして農民の心
天と地と水 そして農民の心


◆ 組合員のための農協

黄倉さんは、1973年(昭和48年)、後藤亨氏(後藤三男八氏御子息)とともに「自然農法米(化学肥料や農業防除をしない米づくり)」に取り組み始めます。

この米づくりは、公害問題が厳しくなってきた15年後の1988年(昭和63年)6月に開催された農民集会で、農協青年部の「国民の命と健康を守る食糧生産」の宣言として認められ、北竜町に着実に浸透していきました。こうして、町をあげての安全・安心な食糧生産であるクリーン農業への取り組みがスタートしていったのです。

1993年(平成5年)戦後最悪の大冷害。1995年(平成7年)食糧管理法が53年ぶりに廃止。水田面積増加、栽培技術の向上による米出荷量の増加等に合わせ、保管米の良質な味を維持するための農業倉庫の新築が求められるようになりました。

将来に向けての農協広域合併をも考慮に入れ、米を保管・管理する低温倉庫建設への取り組みもすすめられていきました。一番の課題は、合併までに米が15万俵入る低温倉庫2棟の建設でした。

当時、農協の資金繰りは苦しく、倉庫建設のために、組合員にさらなる負担を強いることはできません。「しかし、どうしても合併に向けて、低温倉庫の建築は必要である」と黄倉組合長は悩みました。

そこで、建設費を今までの半額にする方針で、従来とは異なる方法で、競走入札を実施したのです。半額で落札できる訳がない、などの非難を受けながら、最終的に、いままでの半分近い建設費用で、低温倉庫を建設することができました。組合員のために何ができるか、その想いが建設を可能にしたといえます。

また、農協職員の意識改革にも取り組みました。当時の農協の貯貸率(※)は高く、組合員からの返済利息が、収入の一定部分を構成していました。(※ ちょたいりつ:貯金残高に対する貸出金の割合を表した数値のこと)

黄倉組合長は、職員に「皆さんの給料の原資は、組合員の利息で成り立っているという現状を認識してください」と説いたのです。「食べものはいのち(生命)」「農協とは『いのち(生命)・食糧・環境・暮らし』を守り育む組織」、そして「農協は、組合員のためにある」ことを毎日繰り返し、職員に伝え続けました。さらに、貯貸率60%を目指して、事業利益が上がる組織形態・事業に取り組んだのです。

2000年(平成12年)、北竜町農協は、8つの農業協同組合の広域合併によって、北竜町農業協同組合から、きたそらち農業協同組合(JAきたそらち)北竜支所へと変わりました。対等合併でした。
黄倉さんは、合併時にJAきたそらち代表理事専務に就任。2002年(平成14年)から2007年まで、代表理事組合長に就任されました。

◆ 低農薬栽培に全町挙げて取り組む。―日本初「生産情報表示農産物JAS規格」をお米で取得―

1997年(平成9年)に、有機JAS法の有機農産物及び特別栽培農産物に関わる表示ガイドラインに「麦」「米」が追加されました。こうした時代の変化に合わせ、北竜町全戸による、低農薬栽培米への取り組みも大きく進歩していきました。

2005年(平成17年)6月、生産情報表示JAS規格が、すべての農産物に適用拡大されました。

北竜町は、全町あげて栽培協定を策定。これに基づき、ひまわりライス生産組合では使用農薬を統一し、低農薬栽培(※)への取り組みを開始。(※ 慣行栽培基準の5割減:北海道の農家が使用している農薬成分の平均22成分を11成分に半減)

さらに、2007年(平成19年)に、トレーサビリティー(生産・流通履歴を追跡する仕組み)を認証する「生産情報公表農産物JAS規格」を取得し、WEB上での情報公開を開始しました。

米の栽培で、200戸近い農家が所属する生産組合が「生産情報公表農産物JAS規格」を取得したのは、日本で初めてのことです。また、現時点でも同条件で取得している組織は、北竜町ひまわり生産組合、唯ひとつです。

北竜町では、生産者のひとりひとりが「食べものはいのち(生命)」の心を、消費者へ伝える農業がずっと続けられています。これは、たくさんの先人方の魂が、今に伝えられ、守られているからこそ成し得ることだと感じます。

◆ 百姓をしてきて、本当によかった

現在、黄倉良二さんは「北海道の有機農業をすすめる会(麻田信二代表)」の顧問を勤められています。
「食べものはいのち(生命)」の魂を伝えるために、自ら農業を続けながら、日本中を駆け巡っていらっしゃいます。


「日本の農業は、水を守り、誇りうる土を伝承しながら安心・安全なたべものをつくっていく。いのち(生命)を守り、世代を超えて農民の魂を磨き、伝えていく。いままでずっとやってきた農業。そしてこれからもやり続ける農業。

この農業を続けられるのは、妻がいつも一緒にやってきてくれたお陰です。そして、今は、息子夫婦が有機農業をやり続けています。ありがたいことです。

百姓をしてきて、本当によかった。

いのちを守っていける農業ほど幸せな仕事はないよね


菩薩様のように穏やかな笑顔で語る黄倉良二さんは、高貴な光で輝いていました。


黄倉良二さん(72歳)
「百姓をして、本当に良かった」と語る
黄倉良二さん(72歳)


「天と地と水 そして農民の心」

  天の恵み、誇れる大地、清らかな水、

    いのちを育み、守り続ける農民の魂。。。


生命あるすべてのものが、

  結びつきひとつとなって繋がっていくことのできる幸せに

    無償の愛と感謝と笑顔をこめて。。。


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