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北竜町の雪景色
紹介ビデオ(3分)2011年3月

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有機トマトの栽培がスタート@ファーム トゥモロウ [2011年04月14日(Thu)]
2011年4月11日(月)。

春のあたたかな風が吹き抜けていく今日この頃、ふきのとうがあちこちで芽吹きはじめました。

私達は今年1年、(有)ファームトゥモロウ(代表取締役社長・土居健一)の有機栽培トマトの成長を取材させていただくことになりました。まだ雪深い2月から準備されていた「ファームトゥモロウ」では、3月に入り、トマトの育苗(いくびょう)がスタートしました。


雪がまだ残る3月下旬の畑
雪がまだ残るファームトゥモロウの畑 (2011年3月下旬)



20棟のハウスでは、雪解けを待ちわびて、床土が整備され、育苗の準備が着々と進められています。

トマトの苗およそ15,000鉢、6種類。

 大: 桃太郎、
 中: ティーティー ・ ドルチェ ・ CFドルチェ
 ミニ: ティンカーベル ・ ピンキー

可愛い名前のトマトちゃんたちです。


トマトの苗床ハウス(3月下旬) トマトの苗床(3月下旬)

トマトの苗・側枝(そくし)の2本仕立て
トマトの苗・側枝(そくし)の2本仕立て(撮影:2011年3月28日)

平成23年度計画 2011年度(平成23年度)トマト栽培履歴管理表
2011年度(平成23年度)の計画&トマト栽培履歴管理表



ファームトゥモロウのトマト栽培の特徴は、「断根(だんこん)」と「苗の側枝(そくし)の2本仕立て」です。

断根とは、一度根を切断し、新しい元気な根を発生させること。根の量が多くなると、苗自体が若返り、力強くなり活力が漲ります。

さらに苗の側枝(そくし)を2本仕立てにすることにより、収穫できるトマトの数を倍近くにすることができます。育苗場所、定植や収穫にかかる労力も減らす事ができるのです。


◆鉢上げ

3月25日、苗を鉢上げ用ポットに植える鉢上げが行われました。鉢上げ用ポットの中の土は、地温を保つためにビニールで覆われています。
鉢上げから2週間後に、鉢ずらし。そして、1か月後には、定植が行われるそうです。

◆温度調整

育苗中は、ハウス内の温度が25℃〜30℃に保たれるように、温度調整されます。


トマトの苗床ハウスの準備(3月下旬) トマトの苗床

トマトの苗床 トマトの苗・側枝の2本仕立ても成長
トマトの苗・側枝の2本仕立ても成長 (撮影:2011年4月4日)



◆鉢ずらし

苗の葉が成長し、隣同志の苗の葉が重なり合うようになってきたら、鉢ずらしが行われます。

◆かん水

苗の鉢の表面の乾燥、ハウス内の温度、湿度に注意しながら、水やりをしていきます。

◆苗の成長

苗には、花芽もつきはじめ、茎の根元には、ねずみの尻尾のようなうぶ毛もしっかり生えてきています。

育苗の栽培過程は、トマトの成長を大きく左右する重要なポイント。苗作りにおける、温度管理、水やりの量、肥料調整などなど、毎日が変化の連続であり、自然との対話は新鮮そのものです。
それだけに、難しく、試行錯誤・困難の連続でもあります。

土居さんのお話のひとつひとつから、苦労の大きさが感じられました。


トマトの定植を待つハウス 畑の準備

トラクターも一休み トマトの苗・鉢ずらし前と後
トマトの葉も成長し、鉢ずらしが行われていました (撮影:2011年4月11日)



◆太陽の味・トマト

トマトは、私達の大好きな野菜。真っ赤なトマトはまさに太陽そのもの。

中南米のアンデス高地が原産地のトマト。アンデス高地で生まれ、メキシコで育てられ、地中海沿岸へ渡りました。コロンブス時代は、観賞用として栽培され、その後アメリカへ渡り、食用となったのは18世紀。

トマトは、スイカやメロンと同様、果実的野菜として分類されるほど、フルーティーな野菜です。


真っ赤な果実に秘められてパワーは、100万馬力の抗酸化作用をもつリコピン。

グルタミン酸豊富なトマトは、うまみ成分の王様。

色や形もさまざま。。。その輝きはまるで宝石のよう。。。


イタリアでは「黄金のりんご」、フランスでは「愛のりんご」と呼ばれ、世界中で愛されているトマトさんです。


トマトの苗・側枝の2本仕立ても成長 トマトの苗・花芽
左:成長した側枝の2本仕立て  右:トマトの花芽

トマトの苗・側枝が1本仕立て トマトの苗・ねずみのしっぽのような産毛
  左:1本仕立てのトマト   右:ねずみのしっぽのような産毛
(撮影:2011年4月11日)


太陽の光をたっぷり浴びて、栄養豊かなトマトさん、

その真っ赤な情熱的パワーが、

すべての命に降り注がれますように。。。

大いなる愛と感謝と笑顔をこめて。。。


フキノトウも芽を出していました
フキノトウも芽を出していました (撮影:2011年4月11日)



 いくこ&のぼる


◆ (有)ファームトゥモロウ(代表取締役社長・土居健一)
 〒078−2516
 北海道雨竜郡北竜町字西川31−3
 Tel: 0164−34−2618
苗床の準備・有機栽培米@ナチュラルファーム黄倉 [2011年04月13日(Wed)]
2011年4月11日(月)。

大地一面を覆いつくしていた真っ白な雪たちは、春の温かな太陽の光を浴びて、ゆっくりと溶け始めています。尊い雪溶けの水が、息づく大地に栄養と豊かな恵みを与えてくださっているのです。

今年1年間私達は、有機栽培法でお米を育てていらっしゃる「ナチュラルファーム黄倉(おうくら)」さんを、取材させていただくことになりました。

「ナチュラルファーム黄倉」さんの皆さんは、去年2010年10月に取材させていただいた、北竜町農業協同組合8代組合長、及びJAきたそらち・前代表理事組合長・黄倉良二(おうくらりょうじ)さんのご家族です。

農法は、息子さんの正泰さん、奥さん・桂子さんご夫婦が引き継がれた自然農法によるものです。

黄倉正泰さんは、北海道大学農学部を卒業され、お父様の黄倉良二さんが1983年(昭和48年)から始められた自然農法水田を引き継がれました。

北竜町で25年間、ご家族の皆さん協力し合い、一体となって、大切に心をこめて、有機栽培米を栽培されていらっしゃいます。



雪深い2月@ナチュラルファーム黄倉・おうくら
(北海道北竜町)撮影:2011年2月28日


特別栽培米「おぼろづき」

黄倉正泰の特別栽培米「おぼろづき」
農薬の使用は除草剤1回・殺菌剤1回だけに限り、殺虫剤は一切使用していません。
化学肥料の使用量を大幅に削減して、有機質肥料を使用して栽培しました。
─・─・─・─・─・─・─・─・─・─
お父様・黄倉良二さん、お母様・真佐子さん、
黄倉正泰さん、奥様・桂子さん、長男・大輔さん、長女・ゆきのさん
─・─・─・─・─・─・─・─・─・─



◆2010年10月・秋起こし

去年10月、稲刈りが終わった後、秋起こし作業から、母なる大地の手入れがはじめられました。
秋起こしをすることで、土に空気をいれて、土を柔らかくします。空気が入ることによって、水田の地中深くに発生するオモダカ等、雑草の腐敗を促進する役目を果たします。

荒く田起こしが行われた田んぼは、およそ3カ月の間、深い雪に覆われます。そして、真っ白な雪のお布団で長い間冬眠した大地は、春の太陽のあたたかさで目を覚します。

太陽の恵み豊かな大地は、栄養たっぷりの雪溶け水をいっぱいに吸い込みながら、体調を整えていきます。

秋起こし1 秋起こし2

秋起こし3 秋起こし4
秋起こし(2010年10月)


苗床の準備1 苗床の準備2

苗床の準備3 湯気が立つ苗床4
雪も溶けてきた3月下旬



◆2011年3月・堆肥・ボカシ肥料作り

今年3月に入り、雪溶けを待つ間、堆肥・ボカシ肥料作りが行われました。

ボカシ肥料とは、有機肥料を発酵させて肥効をボカシ(穏やかにした)たものをいいます。
ナチュラルファーム黄倉でのボカシの原料となる有機肥料は、大豆油かす、米ぬか、水を2:1:1の割合でブレンドしたものに、田んぼの土を少々混ぜ合わせてつくっていきます。

こうして作られたボカシは、ビニールハウスの中のあたたかい土の上で、1か月の間、じっくりと熟成していきます。

その間、肥料の温度調整をしながら、2週間置きに切り返し(混ぜ合わせる)作業を行っていきます。


ぼかし肥料づくり1 田んぼの土を少し混ぜて

ぼかし肥料づくり2 ぼかし肥料づくり3




 

 



◆2011年4月・苗床の土の準備

4月11日、農場を訪れた日、雪溶けも進み、大地から春の息づかいが聞こえてきそうな、あたたかな日和。

ビニールハウスの中では、こんもりと小山に積み上げられた「ボカシ肥料」はネットで覆われ、発酵が促進。
発酵が進み熱を持ち、ゆっくり、じっくりと熟成が進んでいました。

そして、7棟のハウス内では,育苗のための床土(とこつち)の耕起が着々と進められています。

ハウスのビニールがけ、床土の耕起、地温調整、肥料作りなどなど、春を迎えた農家の仕事は、尽きることがありません。

ひとりではできないことも、ご家族皆さんで協力し合い、役割分担された手際良さは感動的で、実に素晴らしいものです。

余すところなく、時間が有効に利用されて、沢山の農作業をこなされています。


まだ雪の残るハウス 苗床整備1

苗床整備2 苗床整備3


自然の恵み、大地の偉大なるパワーをしっかりと受けとり、

逞しく、元気に成長していく「ナチュラルファーム黄倉」のお米さんたちに

限りない感動と感謝と生命をこめて。。。


黄倉ファミリー
黄倉ファミリー
右:お父さん・正泰さん、中央:お母さん・桂子さん、左:長女・ゆきのさん
@ナチュラルファーム黄倉・おうくら(北海道北竜町)



 いくこ&のぼる

◆ ナチュラルファーム黄倉(おうくら)
 〒078-2512
 北海道雨竜郡北竜町字和32−1
 Tel・Fax: 0164−34−3552
「食べものはいのち(生命)」黄倉良二さん 農業の心を語る(前編) [2010年10月26日(Tue)]
2010年10月11日(月)前編。

( 前編 )
◆ 農協は「いのち(生命)・食糧・環境・暮らし」を守り育む組織
◆ 青年時代の貧困を支えた町の人々の温かい思いやり

後編
◆ 農業とは、安全な食べものを生産すること
―食べものはいのち(生命)―
◆ 組合員のための農協
◆ 低農薬栽培に全町挙げて取り組む
―日本初「生産情報表示農産物JAS規格」をお米で取得―
◆ 百姓をしてきて、本当によかった


私達は、今年の3月末、ここ北竜町に居を移しました。自然の素晴らしさ、清らかな美味しい水、町民の皆さんの温かな真心に触れ、感動の日々を過ごしています。

そして、何より「ひまわりライス」「ひまわりすいか」「ひまわりメロン」「ひまわりの花」「黒千石大豆」など、北竜町の肥沃な大地で命が芽生え、いのち(生命)が育み成長していく様子を6か月もの間、見ることができたのは幸せでした。そのひとつひとつが感動の連続です。

ここ北竜町では、そこに息づく様々ないのち(生命)が大切に守られ育まれている、力強いパワーを感じます。町民全体が手をつなぎ合い、協力しあう大きなエネルギーの源になっているように思います。

なぜ、この町に、このようなパワーが生みだされているのでしょうか? こうして、「いのち(生命)を守り育む魂のルーツ」を探す私達の旅は始まりました。


「天と地と水 そして農民のこころ」
「天と地と水 そして農民のこころ」書道の大家・島田無響氏の書
写真の左から:後藤三男八氏(5代組合長)、北政清氏(初代組合長)、
加地彦太郎氏の胸像


◆ 農協は『いのち(生命)・食糧・環境・暮らし』を守り育む組織

今回、北竜町農業協同組合8代組合長、及び前JAきたそらち(きたそらち農業協同組合)代表理事組合長・黄倉良二(おうくらりょうじ)さんのお話をお伺いする機会が、幸いにも与えられました。

お話をお伺いした場所は、JAきたそらち北竜支所事務所。事務所2階の階段を登った正面には「天と地と水  そして農民の心」と記される、北海道を代表する書道の大家でもある島田無響(しまだむきょう)氏の書。そこに描かれた文字に魂が存在するような躍動感を感じさせる素晴らしい書です。

北政清氏(初代組合長)、後藤三男八氏(5代組合長)、加地彦太郎氏の胸像。それら三氏の胸像は、農業の昭和史を飾るに相応しい先駆者たちの輝きを放っています。

黄倉さんは、1991年(平成3年)から農協代表理事組合長を3期9年間勤められました。毎朝、初代組合長・北政清氏を先頭に並べられた写真に手を合わせ、感謝しあいさつすることから、組合長の一日がはじまります。

北竜町農業協同組合、歴代組合長の写真
北竜町農業協同組合、歴代組合長の写真


組合長でありながら「良ちゃん」と呼ばれ親しまれた黄倉組合長。農作業の迷惑にならないようにと、早朝5時前から農家を回り、組合員に声をかけ、耳を傾ける毎日でした。

まず「組織、団体を理解する上で大切なことは、社訓、組織訓を知ることである」と力強く、黄倉さんは語られました。

「農協訓は『いのち(生命)・食糧・環境・暮らし』を守り育むことです。農協は、先人が脈々と築き上げてきたものを受け継ぎ、この4つのことに取り組み、ずっと守り続けてきました。

人間にとって一番大切なものは、いのち(生命)。

いのち(生命)は食べもので育まれます。食べものは、ものであってはいけない。食べものは、いのち(生命)なのです。どんなに背景が変化しようと守り抜いてきたもの。

そして、先人が厳冬に耐え開墾し、耕し、守り抜いてきた大地。

さらに、地域社会の環境を守っているもの、それは水。

木が朽ちて、葉が落ち、岩や土の肥やしとなる。暑寒別連峰に降り積もった雪が、ひと雫ひと雫流れ込んでできる、生きたミネラルを含んだ水。その水が、岩や土を通ってダムに流れ込み、田んぼを潤す。その素晴らしい水がこの町には存在します。

土を汚染させ、劣化させては、いい食べものはつくれない。工場もスキー場もゴルフ場もないこの土地で、先人たちは親子伝来、いい土・いい水を、子孫に残す為守り抜いてきたのです。

110年以上、農業を営む先人たちが、築き上げ守り続けてきたこの偉業を、次の世代へと伝えていくことが、私達の役目です」

◆ 貧困を支えた町の人々の温かい思いやり

黄倉良二さんは、1939年(昭和14年)6月1日生まれ。数えで72才です。

中学生時代から農業の手伝いをし、11人家族で過ごした青年時代。3つ上のお兄様は、札幌へ大工・建築の奉公。病弱なお母様を抱え、農協からの大きな借金を背負いながらの、農業一筋の壮絶な農家の暮らし。そこには、町の人々の温かい思いやりがありました。

当時の農業は、馬そりの時代。冬の間、馬にとって、脚気にならないための大切な食べ物が燕麦(えんばく)。
「燕麦3俵買ってこい」と父親に言付かり、お金を持たずに農協へ向かう中学生の良ちゃん。農協職員は荷車に燕麦を積んでくれたものの、現金を持っていないことを知ると、荷車の燕麦を下して「お金がないなら売れないよ」。馬に燕麦を食べさせないと、馬は脚気になって、春からの農業ができなくなってしまう。

隣に住み、そんな様子を見守っていた、正当派の馬喰(ばくろう)さんの杉本清松さんが、石灰(カーバイト)の一斗缶(18リットル缶)を持ってきてくれました。

納屋で、ドラム缶2こほどが埋められる大きさの穴を掘り、藁を詰めて、よく足で踏む。その藁を、カーバイトを溶かしたお湯で浸し、丸一日置いてから馬に食べさせるのです。

こうして作る石灰藁を馬に食べさせると、太らないし、脚気にもならない。馬喰ならではの優れた技。馬喰さんとは、馬の力を最大限に発揮できる人、馬の病を治せる人。この馬喰さんのお陰で、馬に力が与えられ、春には田んぼを耕すことができました。


また、近所に住んでいた盲目のおばあちゃん。このおばあちゃんは、家にいながら、道行く人の足音だけで誰だか解ります。

ある日、おばあちゃんが「良ちゃん、良ちゃん、ちょっとよってけ」と声をかけてくださいました。行ってみるとそこには、当時食べたことのない、お砂糖がまぶされたきな粉餅。遠慮しながら食べると「良ちゃん、うまいか。食べてけ。遠慮せんで、いっぱい食べてや」。。。

生涯忘れる事のできない、おばあちゃんの温かい言葉と甘いきな粉餅の美味しさが、貧しい生活の苦しさを乗り越えていくことのできる大きな力となりました。

可憐な花@道の駅「花夢」(北海道西興部村)


青年時代は、毎日、朝は5時から夜8時まで農作業。その後、走ることが好きな仲間とともに、真っ暗な砂利道10kmをマラソンをして過ごしました。

25歳(1964年・昭和39年)から49歳(1988年・昭和63年)までの24年間、深川地区消防組合北竜消防団第一分団に所属。北竜町体育指導員としてスポーツの指導に貢献。1967年に、町は道内二番目の「スポーツの町」宣言をし、また、自ら「北空知駅伝大会」に連続40回出場。この記録は、黄倉さんお一人が保持していらっしゃいます。

青年時代の苦しい生活を見守り、走ることを応援してくださった北竜高校時代の上田孝先生のお言葉。
「良ちゃんは、貧しいけれど、食べものがあるでしょう。都会では、赤貧の生活で、食べものがなくて苦労している若い人がいっぱいいるよ」
この先生のお言葉は、農業の苦しい生活のなかで、一筋の光となりました。

後編へ続く ▶

農業に勤しむ、若き日の黄倉良二さんの写真
農業に勤しむ、若き日の黄倉良二さんの写真"


 いくこ&のぼる


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「食べものはいのち(生命)」黄倉良二さん 農業の心を語る(後編) [2010年10月26日(Tue)]
2010年10月11日(月)後編。

前編
◆ 農協は「いのち(生命)・食糧・環境・暮らし」を守り育む組織
◆ 青年時代の貧困を支えた町の人々の温かい思いやり

( 後編 )
◆ 農業とは、安全な食べものを生産すること
―食べものはいのち(生命)―
◆ 組合員のための農協
◆ 低農薬栽培に全町挙げて取り組む
―日本初「生産情報表示農産物JAS規格」をお米で取得―
◆ 百姓をしてきて、本当によかった


◆ 農業とは、安全な食べものを生産すること
 ―食べものはいのち(生命)―


農協活動は1965年(昭和40年)から北竜町農協青年部理事、監事、副部長、部長と就任し積極的な青年部活動を展開していきました。
1973年(昭和48年)、34歳で農協理事に就任して以来、2000年(平成12年)2月の広域合併に至るまでの27年間、北竜町農協の仕事に心血を注ぐ人生を過ごされたのです。

黄倉さんは、偉大な人々との出会いによって、農業に対する想いを確立されていきました。

当時、北海道の自然農法の先達・佐藤晃明さんの田んぼ(当別町)に勉強に行ったとき、畦を歩きながら問われた御言葉です。

「黄倉さん、農業って何だかわかりますか?」

中学生のときから20年間、ただひたすら一生懸命、借金を返すためにやってきた農業を、言葉に表すことができず、答えることができなかった黄倉さん。

「農業って、安全な食べものを生産することなんですよ」

佐藤晃明さんのこの言葉は、黄倉さんにとって、青天霹靂であり、農業に対する考え方を根本から変えました。




さらに、黄倉良二さんの人生に大きな影響を与えた人物である、5代目組合長・後藤三男八(ごうとうみおはち)氏。1955年(昭和30年)から、6期18年間、組合長を務められました。

後藤三男八さんが退任される前年の1972年(昭和47年)11月2日。当時34歳の黄倉さんは、農協の理事に推されていました。後藤さんから、部屋に呼ばれて、伝えられたことは、

「私は来年辞める。まだ若いおまえは、農協理事の器とはいえない。不満だが、なることに反対はしない。後を頼む。ただし、言っておく事がある。」

「お金が貯まったら、まず本を買え」

「これからの時代、やがて食べ物がなくなる。そのことを考えて、自らの農業で実践し、農協の事業計画を作れ」

「『地位と名誉と金』を求めるな。農協の役員をやっていると、やがてこのことに遭遇する時が訪れる。その時に毅然と対処できるようにしておけ」


「自分に対する世の中の評価は、組合長を辞めてから10年後に表れる。農協とは、役員のものではない、職員のものでもない、それは組合員のものである。必ずそこに立ち返れ。何か問題が起きて迷った時、どうすることが組合員の為になるかを考えよ。そこで出た答えに従え」

まさに、こうした後藤三男八さんの想いが、黄倉さんのその後の人生を方向づける礎となりました。


天と地と水 そして農民の心
天と地と水 そして農民の心


◆ 組合員のための農協

黄倉さんは、1973年(昭和48年)、後藤亨氏(後藤三男八氏御子息)とともに「自然農法米(化学肥料や農業防除をしない米づくり)」に取り組み始めます。

この米づくりは、公害問題が厳しくなってきた15年後の1988年(昭和63年)6月に開催された農民集会で、農協青年部の「国民の命と健康を守る食糧生産」の宣言として認められ、北竜町に着実に浸透していきました。こうして、町をあげての安全・安心な食糧生産であるクリーン農業への取り組みがスタートしていったのです。

1993年(平成5年)戦後最悪の大冷害。1995年(平成7年)食糧管理法が53年ぶりに廃止。水田面積増加、栽培技術の向上による米出荷量の増加等に合わせ、保管米の良質な味を維持するための農業倉庫の新築が求められるようになりました。

将来に向けての農協広域合併をも考慮に入れ、米を保管・管理する低温倉庫建設への取り組みもすすめられていきました。一番の課題は、合併までに米が15万俵入る低温倉庫2棟の建設でした。

当時、農協の資金繰りは苦しく、倉庫建設のために、組合員にさらなる負担を強いることはできません。「しかし、どうしても合併に向けて、低温倉庫の建築は必要である」と黄倉組合長は悩みました。

そこで、建設費を今までの半額にする方針で、従来とは異なる方法で、競走入札を実施したのです。半額で落札できる訳がない、などの非難を受けながら、最終的に、いままでの半分近い建設費用で、低温倉庫を建設することができました。組合員のために何ができるか、その想いが建設を可能にしたといえます。

また、農協職員の意識改革にも取り組みました。当時の農協の貯貸率(※)は高く、組合員からの返済利息が、収入の一定部分を構成していました。(※ ちょたいりつ:貯金残高に対する貸出金の割合を表した数値のこと)

黄倉組合長は、職員に「皆さんの給料の原資は、組合員の利息で成り立っているという現状を認識してください」と説いたのです。「食べものはいのち(生命)」「農協とは『いのち(生命)・食糧・環境・暮らし』を守り育む組織」、そして「農協は、組合員のためにある」ことを毎日繰り返し、職員に伝え続けました。さらに、貯貸率60%を目指して、事業利益が上がる組織形態・事業に取り組んだのです。

2000年(平成12年)、北竜町農協は、8つの農業協同組合の広域合併によって、北竜町農業協同組合から、きたそらち農業協同組合(JAきたそらち)北竜支所へと変わりました。対等合併でした。
黄倉さんは、合併時にJAきたそらち代表理事専務に就任。2002年(平成14年)から2007年まで、代表理事組合長に就任されました。

◆ 低農薬栽培に全町挙げて取り組む。―日本初「生産情報表示農産物JAS規格」をお米で取得―

1997年(平成9年)に、有機JAS法の有機農産物及び特別栽培農産物に関わる表示ガイドラインに「麦」「米」が追加されました。こうした時代の変化に合わせ、北竜町全戸による、低農薬栽培米への取り組みも大きく進歩していきました。

2005年(平成17年)6月、生産情報表示JAS規格が、すべての農産物に適用拡大されました。

北竜町は、全町あげて栽培協定を策定。これに基づき、ひまわりライス生産組合では使用農薬を統一し、低農薬栽培(※)への取り組みを開始。(※ 慣行栽培基準の5割減:北海道の農家が使用している農薬成分の平均22成分を11成分に半減)

さらに、2007年(平成19年)に、トレーサビリティー(生産・流通履歴を追跡する仕組み)を認証する「生産情報公表農産物JAS規格」を取得し、WEB上での情報公開を開始しました。

米の栽培で、200戸近い農家が所属する生産組合が「生産情報公表農産物JAS規格」を取得したのは、日本で初めてのことです。また、現時点でも同条件で取得している組織は、北竜町ひまわり生産組合、唯ひとつです。

北竜町では、生産者のひとりひとりが「食べものはいのち(生命)」の心を、消費者へ伝える農業がずっと続けられています。これは、たくさんの先人方の魂が、今に伝えられ、守られているからこそ成し得ることだと感じます。

◆ 百姓をしてきて、本当によかった

現在、黄倉良二さんは「北海道の有機農業をすすめる会(麻田信二代表)」の顧問を勤められています。
「食べものはいのち(生命)」の魂を伝えるために、自ら農業を続けながら、日本中を駆け巡っていらっしゃいます。


「日本の農業は、水を守り、誇りうる土を伝承しながら安心・安全なたべものをつくっていく。いのち(生命)を守り、世代を超えて農民の魂を磨き、伝えていく。いままでずっとやってきた農業。そしてこれからもやり続ける農業。

この農業を続けられるのは、妻がいつも一緒にやってきてくれたお陰です。そして、今は、息子夫婦が有機農業をやり続けています。ありがたいことです。

百姓をしてきて、本当によかった。

いのちを守っていける農業ほど幸せな仕事はないよね


菩薩様のように穏やかな笑顔で語る黄倉良二さんは、高貴な光で輝いていました。


黄倉良二さん(72歳)
「百姓をして、本当に良かった」と語る
黄倉良二さん(72歳)


「天と地と水 そして農民の心」

  天の恵み、誇れる大地、清らかな水、

    いのちを育み、守り続ける農民の魂。。。


生命あるすべてのものが、

  結びつきひとつとなって繋がっていくことのできる幸せに

    無償の愛と感謝と笑顔をこめて。。。


◀ 前編はこちら


 いくこ&のぼる


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大江正章先生・第46回北商ロードレース記念講演会「地域の再生と農の力」 [2010年09月04日(Sat)]
2010年8月22日(日)

JAきたそらち北竜支所で、大江正章(おおえただあき)さん(53歳、コモンズ代表・ジャーナリスト)の講演会が開催されました。

この日は、ひまわりの里の道路規制最後の日。午前中、第46回北商ロードレース・マラソン大会が開催。この大会に参加された大江正章さんは、20kmマラソンで80人中8位入賞という素晴らしい成果を納められました。

北竜町体育協会会長・澤田正人さんのご挨拶で開会。
マラソンの熱気も冷め止まぬまま、流れる汗を拭いながら、大江正章さんのご講演がスタートです。


「地域の再生と農の力」
ー 自給を高め、循環型の農を再構築しよう ー


活気ある地域づくりをしている農山村や集団の実践例をいくつか紹介してくださいました。

大江さんのお話は、「いのち」や「自然の豊さ」を守りながら、その地域にもともとある生業を生かしたさまざまな活動の紹介。柔軟性のある新たな発想に満ちあふれていました。

大江正章さん
大江正章さん(コモンズ代表・ジャーナリスト)

1. おばあちゃんの葉っぱビジネス(徳島県上勝町)

人口2,000人の町で、農家の半分が参加。平均年齢70歳のおばあちゃんたちが、いままで落ち葉となっていた南天やもみじの葉っぱを、日本料理を飾る「つまもの」へと商品化するビジネスです。

このビジネスは、農業改良普及員の横石知二さんの凄まじい努力により、1987年にスタート。現在は(株)いろどりが運営、年商約3億円です。

木に登り葉っぱをとり、パソコンに向かって出荷する元気なおばあちゃん達。おばあちゃんの3Kビジネス(軽い、綺麗、根気)によって、綺麗で元気な素晴らしい環境循環が成立。

綺麗な洋服でおしゃれをして、つまものが使われている料亭でお食事会を開催。おしゃれによって、いっそう元気になっていくおばあちゃん達。

町内の高齢者は誰も入らなくなった町営老人ホームは廃止となり、要介護率や一人あたりの医療費が減少しました。まさに、綺麗で元気な環境循環が成立しているのです。

いままで日陰で枯れていた葉っぱが、太陽の光を浴びて輝いているように、おばあちゃんたちが、バリバリと働きはじめ、元気に綺麗になっています。

その活動から、私は、考え方ひとつで人間は何でもできることを、改めて感じました。


2. 自治体主導の資源循環とアンテナショップ(福井県池田町)

1999年7月に、福井市内のビルの一角に、池田町の野菜を販売する「こっぽい屋」がオープン。「こっぽい」とは方言でありがたいという意味。池田町の真心と感謝を伝えるお店です。

メンバーは兼業農家のおばちゃんを中心とした100人以上で構成されている「101匠の会」。地元のおばちゃんたちが家庭用に育てた、安心安全な朝どり新鮮野菜たちが並ぶアンテナショップ。こっぽい屋では、月一回、おばんざい隊が派遣され、池田町の食文化や郷土料理が伝えられています。

2000年度から「ゆうき・げんき農業」がスタート。

野菜を対象にした町独自の認証制度で、栽培方法により色別のシールを発行。黄色は、農薬は1回まで(各作物ごとに交付されるので、畝別に管理が可能)、赤は、農薬化学肥料を全く使わない(畑ごと)、金色は、3年連続して赤色の交付を受けた圃場で作られた作物。

2003年度、この環境向上運動のーひとつとして、食Uターン事業を推進。

これは、家庭での生ゴミや水切りや分別を徹底し、町民ボランティア・環境Uフレンズが回収。さらに「あぐりパワーアップセンター」で品質の良い堆肥「土魂壌(どこんじょう)」に甦らせる取り組みです。

この取り組みによって、池田町での一人あたりのごみ排出量(2006年市町村別ごみ処理概要・参考)は、404gで県内最小となり、リサイクル率は、41.7%で県内トップです。

2006年、無農薬・無化学肥料米を目指した、生命にやさしい米づくり運動開始。

町民が郷土を愛し、地道な努力を積み重ねていくことによって、偉大な成果を成し遂げていくという池田町の見事な活動力です。


3. 日本を代表する有機農家・金子美登(かねこよしのり)さん(埼玉県小川町)

1971年に、金子美登さんは有機農業をスタート。会費制自給農業を基盤に活動を展開。

さらに、アジア、ヨーロッパの有機農場を視察するなど、海外交流にも活動を拡大。現在、消費者と提携する会費制農業を展開し、国内外の研修者を受け入れながら霜里農場を経営しています。

金子さんの農業の基本は、自然エネルギーの循環です。

落ち葉や枯れ木、家畜の糞で堆肥を作り、エネルギーにバイオガス、風力、ソーラー電池、ウッドボイラー等を利用する自給を目指す農業経営です。風・太陽・水・植物・動物など、自然界に尽きることのない自然エネルギーを循環させる生活を実行しています。

さらに地場産業との提携。地元の商店が、有機農業仲間と提携して有機生産物の製造に取り組みます。

1995年には、霜里農場の研修生で小川町で就農した仲間たちを中心に「小川町有機農業生産グループ」を結成。

1999年、夫婦で参画しているNPO生活工房「つばさ・游」が企画運営する「ベリカフェ・つばさ・游」がオープン。日替わりシェフのレストラン。小川町の霜里農場、風の丘ファームなどの有機野菜を使ったお料理が提供されます。

金子さんの自然エネルギーの循環を利用した取り組みへの限りない挑戦に、大きな驚きと感動を覚えます。


4. 農業体験農園(東京都練馬区)

練馬区 農業体験農園 園主会(代表・白石好孝氏)が1998年発足。農業体験農園とは、消費者に栽培技術を指導していく農業カルチャースクールです。農園経営の主体である農園主が、地域消費者とのコミュニケーションを促進していきます。

生徒は年間31,000円の会費を支払い、週1回受講。1区画30m、年間約25品目の露地野菜を栽培していきます。都市住民が農業体験交流によって農業を理解し興味を持つ事によって、強力なネットワークの構築が期待されます。現在、練馬区内では、15農園が開園し活動を行っています。

2009年、練馬区農業体験農園園主会は、第38回日本農業賞大賞を授賞。この賞は、日本の農業の確立を目指して意欲的に農業経営や技術改善に取り組む団体を表彰する名誉あるものです。

農村から都市へと人口が流れて行った以前とは違って、現在は都市から農村へと意識が向けられる時代となってきています。練馬区は画期的な都市農園のトップランナーとして走っています。

北商ロードレースコースの一部 JAきたそらち北竜支所

地域の再生と農の力 北竜町体育協会会長・澤田正人さん



大江正章さんは、茨城県八郷町で16〜17年間、有機農業を続けられていらっしゃいます。

36aの田んぼで「こしひかり」中心としたお米づくり。反収約7俵が収穫されます。以前は困難だった草取りも今では比較的楽な農作業。

大江さんは、ご自身で有機農業を体験されながらも、日本各地の活気あふれる地域をいくつも視察、研究されています。日本の魅力あふれた地域の素晴らしさを本や言葉を通して、日本中のたくさんの方々にお伝えしていらっしゃいます。

「魅力ある地域には人が集まってきます。その一つが北竜町です。『食はいのち』という考えを応援しています」大江さんの力強いお言葉が心を熱くしました。

日本で、こんなにも素晴らしい活動をしていらっしゃる方々や地域が息づいているを知り、驚きと感動と感謝の気持でいっぱいになりました。大江さん、素晴らしいお話をたくさんありがとうございました。

農業の原点に帰り、深く理解し考えて、しっかりと大地に根付いた行動をしていくことの大切さを実感しました。

日本の地域や無限にひろがる人々の魅力、豊な日本人の心を伝えてくださる大江正章さんに、心からの感謝と尊敬の意を表します。


「 天と地と水 そして農民の心 」


輝く太陽・肥沃な大地・清らかな水、そして魅力あふれる町民の心。。。

 これらのすべてが満たされ、すべてに守られている素晴らしい北竜町に

    永遠の愛と感謝と笑顔をこめて。。。


天と地と水 そして農民の心
JAきたそらち北竜支所内の記念碑
「天と地と水 そして農民の心」


 いくこ&のぼる


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有機栽培トマト@(有)ファームトゥモロウ(社長・土居健一) [2010年06月11日(Fri)]
2010年6月8日(火)・9日(木)。

(有)ファームトゥモロウのご主人・土居健一さん(58歳)、奥様・ひでさんご家族の農場を訪れました。土居ひでさんは、北竜町女性合唱グループ「ひまわりコーラス」全体の取りまとめをしていらっしゃいます。活動力溢れた、優しい笑顔がとても印象的です。

ビニールハウス内では、フレックスタイム制によって、アルバイトの方々が栽培をお手伝いしていらっしゃいます。お手伝いの方々の管理などもしていらっしゃるひでさんの面倒見の良さが感じられました。

ペンション風のログハウスが佇むお庭は、かわいいピンク色のお花でいっぱい!

(有)ファームトゥモロウ@北海道北竜町
有機栽培トマト(有)ファームトゥモロウ@北海道北竜町

整然と並ぶ23棟ものハウスの中では、トマトを中心に、カボチャ、ピュアホワイト(白いとうもろこし)、アスパラ等が栽培されています。

3種類のトマトたちは、大玉「桃太郎サニー、ファイト」、中玉「ラブリー40」、ミニトマト「ティンカーベル」と可愛い名前のトマトちゃん。

ファームトゥモロウ農場では、トマトの苗を断根(だんこん)して、枝を2本にしています。

断根とは、一度根を切断し、新しい元気な根を発生させることです。根の量が多くなると、苗自体が若返り、力強くなり活力が漲ります。さらに苗の側枝(そくし)を2本仕立てにすることにより、苗数の総数を半減できるとのこと。つまり、育苗場所やコスト、植える労力も減らす事ができるという方法です。

(有)ファームトゥモロウ@北海道北竜町 有機栽培トマト・(有)ファームトゥモロウ@北海道北竜町

有機栽培トマト・(有)ファームトゥモロウ@北海道北竜町 有機栽培トマト・(有)ファームトゥモロウ@北海道北竜町

栽培方法は、無農薬・無化学肥料の有機栽培。出荷先は、札幌「ラルズ」「大丸」、埼玉「ロビンソン」、東京「東急ストア」「小田急」、大阪「大丸」等等。ご主人の営業努力の賜物で、全国各地へと発送されています。

有機栽培トマト・(有)ファームトゥモロウ@北海道北竜町 有機栽培トマト・(有)ファームトゥモロウ@北海道北竜町

有機栽培トマト・(有)ファームトゥモロウ@北海道北竜町 有機栽培トマト・(有)ファームトゥモロウ@北海道北竜町

翌日、ご夫婦お二人にお話を伺うことができました。その奇想天外で、ユニークな人生観は圧巻!

ご主人は29歳のとき、10年間続けるつもりで、大阪に乳製品関係の卸・販売会社を創業。休暇は、家族で日本中、そして周遊航空券を使っての北米旅行など旅三昧。10年経過後、さて次に何をしようか?と思案。そこで、小学生の二人のお子さんの夏休みを利用し、家族で北海道中をあちこちと、45日間の計画なしの気まぐれ旅行。

旅行後、人生の次のチャレンジは農業に決定。選んだ地は、北海道。

40代を前にして、農業をビジネスとして捉えた事業計画を作成し、北海道の市町村の役場巡り。自分の事業計画に適した町探しで、最終的に決めた地は、ここ北竜町。何故なら、役場の担当の方が、説明を聞いてくださった後、駅まで送ってくれたから。。

そんな人々の温かな親切さに、ぐっと心動かされたそうです。

1993年、大阪から北竜町に移住。北竜町で2年間、農業修行。最初は水稲を栽培したものの、生来のチャレンジ心がむくむくと頭をもたげます。農業で、だれも取り組んでいないものはないかと思案した末、有機栽培の「トマト」を選択。当時は、北竜町では誰も、有機のトマト栽培をしていなかったそうです。

新しい農業への困難に、果敢に取り組んだ17年間。その間、竜巻、台風などの自然災害に見舞われ、壊れたハウスの損害や心痛は想像を絶するものだったに違いありません。どんな被害を被っても、あきらめる事も、くじける事もなかったという土居ファミリー。

常に変化を求め、チャレンジ精神旺盛のご主人・健一さん。そんな波瀾万丈の人生をしっかりと見守り支えていらっしゃる奥様・ひでさん。

あらゆる困難をものともせず、夫婦二人の協力が一つになってこそ、与えられるエンジョイライフ!奥様・ひでさんの寛大な心と確かな支えがあってのワンダフルライフ!本当に素晴らしい!!大いなる感動です!!!

「将来の夢は?」との問いかけに「今の事業を完結させ、息子たちに託すこと。そして、さらなる新しいチャレンジをしたい!もともと農業を選んだのは、冬の間、休んで遊べるからですよ!」と楽しそうに目を輝かせながら土居健一さんはお話くださいました。

(有)ファームトゥモロウ@北海道北竜町・ご主人 土居健一 さん、奥さん ひで さん
(有)ファームトゥモロウ@北海道北竜町 ご主人・土居健一 さん、奥様・ひで さん

農薬散布のないハウスの中では、まわりを見守っているかのように、小さなアオガエルが大きなフキの葉の上にちょこんと座っています。


 大いなるチャレンジ精神と

   人々との偉大なるご縁に

     愛と感謝と笑顔をこめて。。。

有機栽培トマト・(有)ファームトゥモロウ@北海道北竜町

 いくこ&のぼる


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(有)ファームトゥモロウ(代表取締役社長・土居健一)
 〒078-2516
 北海道雨竜郡北竜町字西川31の3
 Tel: 0164-34-2618

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