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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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夕張からタイへ タイから大阪へ [2007年09月30日(Sun)]
タイフェスティバル大阪に、タイ・パンガー県から津波のさをり織りの販売におやってきた。さをり織りプロジェクトのプロダクトマネージャーのシラットさんに、夕張の手織り工房レラのリストバンドをお渡しました。



夕張のリストバンドをつけるシラットさん。


4月に私がタイに行った時に、さをり織りの魅力をみせつつ、日本で売れるパッケージのバックの提案をしてきたのですが。
彼女たちの努力で、私の想像を超える素晴らしい製品になって、今回のタイフェスティバルに日本に初めてやってきました。
私の提案したアイデア段階では、ストラップの部分が間延びしてしまうという欠点がありましたが。それが、見事に解決されていました。



小柄な女性に似合うタイプの新型バック SHB600。
アンダマン海に沈む夕日をイメージする織りが見事です。

ちなみにこんな海です。


パンガー県・バンニャン・ビーチにて



もうひとつの新型。



男性も楽しめるタイプ SHB700。
美しい海岸線をイメージさせる織りがすばらしい。


ラノーン県タレノーク村にて


日本にどの程度持ってくるか、検討しています。

また、シラットさんは、もう少し、日本に滞在して。日本でデザインやマーケティングを学び取る予定になっています。
皆様の応援コメントや、どんなアイテムが欲しいなど皆様のご要望がありましたら、コメントカキコミありがとうございます。

タイフェスティバルで会いましょう [2007年09月30日(Sun)]
タイフェスティバル大阪2007一日目。天気は昨日と違って肌寒い。
しかし、会場は熱気に包まれていました。
それと同時にたくさんの再会と出会いが待っていました。
まず、パンガー県でお会いした面々
以前、タイフェスティバル京都でご一緒した、キャベツアンドコンドームさんとも再会。
このブログで知り合った夕張繋がりの仲間
津波被災地でのコンサート体験ツアーに関係している方。
そして、おもいがけない繋がりが発覚した驚き・・・・

繋がりがネットワーク化していくんですよね。
面白いです。

ちなみに私のいるブースはこんなかんじです。


タイパンツ売り場


すさまじい勢いで売っているので、明日の午後3時か4時には売り切れると思います。

こちらは、さをり売りブース。



キーボードスタンドに商品を陳列して売っています。

奥にちらっと、アーチャン・光男・カヴェ・サコー師がいらっしゃいます。
朝から、タイの要人たちがつぎつぎに挨拶に来たりして、あわただしかったのですが。
普通の人のことも、やさしく話を聞いてくれます。

こちらは、もうひとつのブースです。
タイ人女性スタッフ中心に女の園を形成しています。



こちらには、かわいいTシャツも販売されています。

天候はあやしいですが、ぜひお近くの方はいらしてください。
大正時代の町屋が甦る [2007年09月29日(Sat)]
大阪市の大正という町は、字のごとく、大正時代に作られた町なのですが。大正の町が出来た当時の長屋を改造してお店がプレオープンしました。



この店は、「アバロンスパイラル」という、オーストラリアの民族楽器やアボリジニアートを扱うお店です。
オーナーは、元天空オーケストラのディジュリドゥ奏者の三上さん。
今年の年初まで、アメリカ村の中に店を構えていたのですが。諸事情で閉店し。
大正に移転をした。

町屋の改造は、多くの工程を自らで行ったということで、つい最近プレオープンにこぎつけました。



店内はディジュリドゥでいっぱいなのですが、町を行き来する人は、料理屋だと思い込んでいるようで。地元の女性たちはどうも気になって仕方がないそうです。
つぎに、このお店が気になってしかだがないのは、子どもたちです。
オーナーさんにちいさなお子さんがいるということで、近所の子どもたちが、その子と遊ぼうとやってきます。日本ではもう20年ぐらい見てなかった風景です。
ここんところ、子どもが友達と遊ぼうとすると、事前に電話などでアポイントをとって、スケジュールを確認し、親の送迎つきであそぶということが行われているわけですが。
駅から3分というところで、子どもたちの集団がいて、小さな子どもと遊ぼうと、家にノンアポでやってくる姿に驚いてしまった。

さてさて、お店の話に戻ります。



この店は、アボリジニアートやアボリジニの楽器を扱うわけですが。
近い将来、ツナミクラフトもおいてくれることになりました。
(実は、ツナミクラフトを最初においてもらったのが、アメリカ村のこの店だったんです)

なぜ、アボリジニとツナミクラフトが日本人が販売するのかというと。
太平洋を囲んで住んでいる土着の人は、もともと近い民族で、日本人が戦争の後に食生活が変わったりして短期間に大型化したように、ものすごい速さで人間は進化し、まったく見た目が違うようになってしまった。
見た目は違っても近い存在なのだそうです。だから、民族の文化を守ったり、食べていけるように助け合うのべきでは・・・という発想があるのだそうです。

だから、アボリジニの作品を扱う店ですが、アイヌアートとかも扱ってゆければと思っているそうです。

あと、1ヶ月ぐらいで、グランドオープンする日が楽しみです。
ミャンマー情勢が気になる [2007年09月28日(Fri)]
日本人カメラマンが亡くなり、日本も他人事ではなくなったミャンマー情勢ですが。
気になりますねぇ。
亡くなった方がカメラマンということで、職業柄、他人事ではないという部分もありますが。
お坊さんたちは、毎日、托鉢をして歩くので、庶民の暮らしがわかるんですよね。
一般の人が反政府的な動きをすると、兵隊がその気になったら、一気にとっつかまえてしまうんですが。お坊さんならそうはいかないということで、民衆に代わってお坊さんがデモをしたわけですが。大きな事になってきました。
事が大きくなったのは、お坊さんたちがアウンサンスーチーさんに会った事が、引き金になっています。
アウンサンスーチーさんのお父さんは、ビルマ建国の父といわれています。建国の父といっても、建国の前に31歳の若さで亡くなっています。
日本で言えば、ちょうど幕末の吉田松陰、高杉晋作、坂本竜馬のような感じです。
幕末に夜明けを見ることなく、若くして亡くなった英雄たちは、日本で人気を誇っているわけですが。それと同じようにアウンサンスーチーさんのお父さんもミャンマー人にとって絶大な人気があり。娘もその人気を継承しているわけです。

#アウンサンスーチーさんのお父さんは、当時イギリス領インドの一部にされていたビルマから、日本軍と組んでイギリスを追い出し。しばらくして、日本がビルマのためによくないと気づいたら、今度はイギリスを味方につけて、日本軍を追い出し。結果としてビルマの独立にもっていったわけですから。そうとうしたたかです。

ただでさえ、庶民に尊敬されているお坊さんと、アウンサンスーチーさんがタッグを組んだということとなると、そりゃ盛り上がっちゃいますよね。しかも、人気タレントまで、お坊さんに協力したのですから大変です。10万人もあつまってしまいます。
ただ、気になるのは、民主化をしようとする人たちと、国民の生活というレベルから政府のやり方に異を唱えているお坊さんとは、反政府活動の目的がちがうんですよね。
もし、このデモがきっかけに、いまの政権が追い出されたとしても。新しい政府はどうなるんでしょうね。

とにかく、かなりの流血事件になっているので、どうにか人の命を奪わない解決をしてほしいものです。

亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
続きを読む...
津波のさをり織り発案者が来日 [2007年09月24日(Mon)]
9月29日30日の両日、大阪の天王寺公園で開かれる「タイフェスティバル大阪2007」に、津波のさをり織りプロジェクトの発案者である、タイで出家した日本人僧侶、アーチャン・光男・カヴェ・サコー師が来ます。
あ、わたしもツナミクラフトの販売要員として行くんですけどね。



5月のタイフェスティバル東京2007では、Canpanブログを通して、新しい絆が生まれたのですが、今度はなにが起こるのか・・・

ちなみに、タイフェスティバルのほうでは、タイの人気歌手などが来ます。
実は、「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」の中に、ちらっと出てくるのですが、LANNAという人気歌手が来ます。
撮影当時、特に学生に人気があって、タイ人の女の子は、みんな歌詞を丸暗記して、ライブ中ずっと、一緒になって歌っていました。
スーチーさんや民主化に対する期待と不安 [2007年09月24日(Mon)]
ここんところ、ミャンマーの僧侶による、燃料代の高騰に対するデモが報じられているが。
そんな僧侶によるデモ隊が、スー・チーさんを訪ねたそうだ。
国民の信望のあつい僧侶なら、軍や警察に暴力をふるわれにくいということもあって、軍事政権下で国民に変わって僧侶がデモをしているのですが。効果がいまひとつなので、次の行動に出たという感じなのでしょうか。
今までは、スー・チーさんをイメージリーダーとしている民主化の動きと、僧侶によるデモは連動していなかったのだが、ここで連動する可能性も出てきたともいえます。

ミャンマーは軍事政権ということで、各国から批判を浴びているのですが。その軍事政権に対抗する勢力と言われるのがスーチーさんをイメージリーダーとする民主化勢力です。
さて、とあるミャンマー関係者に聞いた話ですが、ミャンマーの国民が軍事政権をゆるしている理由の一つは、イギリスによる植民地の歴史があるそうなんです。スーチーさんのお父さんは、ミャンマーがビルマだったころ、イギリスから独立させた立役者だったわけですが。スーチーさん本人は、イギリスに留学したり、イギリス人と結婚したりして、イギリス人に近いので、そんな人が国のトップになってしまったら、またイギリス支配になってしまうのではないかという心配をしている人たちがいるようなんです。
この考えが正しいかどうかはわからないが、ある面では的を得ているような気がするんです。
民主化とか自由化とかいいながら、実際は内政干渉をして、いわゆる西欧化させようという動きってのがいろんな国であるんです。
なぜ、そういうことをするかというと、ものを取引をするにあたって、社会のルールを統一しておいた方が有利なんです。その統一された範囲が大きい方が、たくさんのお金やモノが動いて、富を得やすくなるわけです。
いろんな貿易協定なんてのも、取引をするための社会のルールを統一する方法の一つです。
ここんところ、話題になっている宗教戦争的な世の中の動きですが、私は、これも、経済戦争なのではないかと考えています。
かつて、シルクロードが栄え出したころ、ユダヤ教がシルクロードを制していました。ユダヤ教徒は、トーラーという巻物(虎の巻の語源と言われる)を持っていて、その巻物のルールに従って取引をしていたそうです。おそらく、いまの民法だとか商法のようなものだったんでしょうね。
その後、海のシルクロードが栄えるようになった頃。アラビアの商人たちが、イスラム教とともに勢力をのばしてゆきます。いまでは、世界一イスラム教徒のいるインドネシアも、もともとは、インド商人などによってもたらされた、ヒンドゥー教や地元の土着宗教だったのですが、お金持ちになった商人からイスラム教徒になってゆきました。
これは、タイ南部やマレーシアもそうです。
その後、西洋史で言う大航海時代が訪れると、キリスト教の宣教師をつれて世界を回り出します。
江戸時代、日本がキリスト教を排除したのは、キリスト教のルールで商売をされると、日本にとって不利だということに気がついていたという要素もあったのではないかと考えています。
20世紀になって、共産主義国が出てきて、いわゆる西側の資本主義国と冷戦というか勢力争いをするわけですが。これも、共産主義という、宗教を否定した思想で、そこで、様々なとり引きをして、ひとつの経済圏を作っていた。
冷戦時代が終わって、グローバル経済と言われるようになって、世界中どこでも商売が出来る状態になったと思っていたら。考え方というか社会のルールが違う国とかが、目についてきたんですよね。
それが、アメリカの言う、悪の枢軸国です。
ミャンマーは、その悪の枢軸国に入っているわけで。民主化してもらって、商売の範囲を大きくしたいというのが、民主化運動とも言えるわけです。
あるミャンマー関係者によると、ミャンマーの国民の一部は、それに気がついていて、民主化すると、またイギリスの植民地みたいになってしまうのではないかと恐れているそうです。そのおかげもあって、必ずしも軍事政権が武力で押さえつけていたことで、今の政権が維持されていたわけではないということです。
どのようにすれば、国民の暮らしが良くなっていくのかはわかりませんが。
ミャンマー国民は、スーチーさんや民主化に対する期待と不安とを持っているようです。

さて、今回、僧侶たちがスーチーさんを訪ねたのは、国際的なインパクトを狙ったのだと思うんです。スーチーさんが軟禁されてけしからんと言っているのは、ミャンマーからすれば海外のメディアです。その多くは、ミャンマーに対して民主化してくれるように、言い換えれば、自分たちのルールで商売出来る状態になってほしいと思っているわけです。その人たちは、メディアの力も、お金ももっていますから。その人たちのメディアのネットワークを使って、世界中の多くの人を味方につけたいというのが、僧侶たちの目的だったのではないかと思うんです。
とはいえ、燃料代の高騰は、世界経済の問題でもあるので、ミャンマー政府だけでは解決しない。いくらお坊さんがデモをしても、ミャンマー政府が対応出来る内容ではない気がするんです。スーチーさんを使って、国際世論を巻き込んだとして、この問題は解決するのでしょうか。いまは、とにかく、問題を解決しようと動いているという感じがするんですよね。
僧侶たちは、国民のことを考えていない軍事政権に対して、国民のどうにかしてほしいと思っているだけで。欧米がかんがえていたり活動家が考えている民主化を望んでいるとは限らない。
燃料が買えなくて生活に困っているミャンマー国民は、どのようにしたら救われるのでしょうか。
プーケットの逆襲 [2007年09月23日(Sun)]
プーケット日本語補習校の校長先生が書いたエッセイ集第二弾「プーケットの逆襲」が発売されました。




実は、西岡さんは、STILL ALIVEの本編にも、校長でなかった時の姿がちらっと登場していたりします。
西岡さんは、現地でレストランとゲストハウス、土産物屋(こちらは正確に言うと奥さんが経営)を経営しながら、日本語補習校の校長をやっています。
プーケットの日本語補習校って、いわゆる駐在員の子どもや移住政策で移住した移民の子どもではない日本人の子どもが多いんです。国の立場で、口の悪い言い方をすると、勝手に行って勝手に産んだ子供たちが多いわけです。そうするとどうなるかというと、教育のための補助金をもらおうとしても、制度がなかったり、理由が見あたりにくいという事があったり。将来日本に戻って、帰国子女となるわけではないので教育のレベル(親の子どもへの教育の意識や日本語スキルも含めて)が低かったり。様々なことが、バンコクにあるような、駐在員の子どもが通うような日本人学校とどうしても差が出てしまう。
しかも、自分たちで始めたモノだから、苦労が絶えない。

そんな生活に至る過程で出会った出来事が、面白おかしく書かれているのが、この本です。
特に海外移住を考えている人は必読です。

実は、その一年前に、同様の本を出したのですが。出した出版社が問題のある出版社で、書店にはほぼ流通しませんでした。今度は、普通の出版社からの発売なので、出版社も売る気まんまんです。
プーケットの逆襲がはじまった。

プーケットの逆襲
著者: 西岡史雄
出版社: ゑゐ文社 /星雲社
サイズ: 全集・双書
ページ数: 206p
発行年月: 2007年08月

今年の旅行博の「タイ」ブースは、プーケットに関するコーナーは、リゾート会員権が1ブースのみというお寒い状況で。風評被害で日本人がプーケットに来ないし、来ても客単価が低いからと、プーケットの観光業界が日本マーケットを見捨てた結果が、このブースに現れていたような気がしました。

こちらでも「プーケットの逆襲」ですね。


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※ちなみに、本の印税は、プーケット補修校の校舎建設の資金に充てるとのことです。
Tsunami Craft Centre 閉鎖に [2007年09月22日(Sat)]
さきほど情報が入ってきたのですが。
雨期に入り閉店していた、タイ南部パンガー県にある、ツナミクラフトセンターが今月いっぱいで閉鎖となる事がわかった。


ツナミクラフトセンターにて


ツナミクラフトセンターは、心のケアなどで作られた製品を、売っていくことで、支援する仕組みとして設立された。
多くの支援事業は、ものを作るということに対しては支援はするが。実際の商売となる、販売には、公的機関やNGOがなかなか支援するわけに行かず。在庫が増えていった。
その様子を見ていた、イギリス人のカレンさんが、流通を支援する仕組みとして設立した。

また、津波被災地の各地でバラバラに行われている心のケアなどの民芸品作りのプロジェクトが、横の連携をするためのコアとなる施設として始まったお店です。
この横のつながりがあってこそ、情報やノウハウがシェアされ、出来上がる製品の品質が良くなっていくんです。

設立当初は、まったく販売手数料をとらず、全て、各プロジェクトに還元していました。
そのうち、維持するために、売上の15パーセントを維持費として経営していました。

4月に最後に行ったとき、お客さんの入りが少なくて、これではやばいのかと思って「招き猫」を置いたのですが。家賃には勝てなかったようです。

わたしの取り扱っているツナミクラフトは、このセンターとの取引から始まったんですが。
この店を応援したいと思ったということもあったんです。

わたしにとって困ったことは、急激なバーツ高に対し、去年の12月にタイ中央銀行は、外貨規制引き、日本からツナミクラフトセンターに送金出来なくなりました。
順調に進み掛けていた頃に、そうなったんですよね。
送金したとしても、30パーセントを、跡で返してくれるとはいえ、1年間タイ中央銀行にとられてしまうのです。

15パーセントの販売手数料しかとっていないのに、30パーセントを塩漬けにされたら、たまったものではないです。これは、募金もしかりです。

本当は、この店が輸出業として登録してしまえば、貿易として認められ、送金出来たのですが。ボランティアで始めた手作りのお店だけに、輸出業の申請手続きがわからなくて、手続きが出来なかったのです。お金が在れば、日本で言う行政書士みたいな人に手続きをさせることが出来るのですが、そうはいきませんでした。
それ以前に、田舎暮らしをしていると、世界情勢やタイ政府の動きが今ひとつ理解出来ていないようで、金融政策のために、中央銀行が規制をかけたという事を理解してもらうのにも時間が掛かりました。それだけ、現地の人には事の重大さが理解されていませんでした。

私は仕方がないので、銀行を使っての送金が使えないので、何度か現地に行き、直接キャッシュで支払ったりしました。しかし、タイを往復するのはこちらとしても大変です。

そんなこともあって、製造現場との直接取引を始めました。あるプロジェクトは、外国に口座を持っていたので、そこに入金する方法で解決しました。また、あるプロジェクトは、日本と往き来している人がいたので、連携をとりました。
しかし、最後に残ったのが、ツナミクラフトセンターだったんです。

自分だけが原因ではないとは思いますし。送金出来ていたら家賃が払えたかはわかりませんが。
思うように送金出来なかったのはほんとに悔しいです。

どこから入るかで印象が違ってくる [2007年09月22日(Sat)]
ニューヨーク在住のカメラマン&ライターの友人が帰国し我が家に荷物を置きに来た。
そのついでに、いろいろと世間話をしていたのですが。
彼が、リストバンドをみつけたのと、昨年12月に夕張に取材に行ったとのことで、夕張市の話になった。
彼は、もともとミュージシャンで、音楽をするために北海道から東京に出てきたのだけど、いつしかライターになりカメラマンになった。
彼が子どもの頃の北海道に比べると、今の北海道のほとんどの町は元気がなく。北海道の中で一番元気というか、他に影響されずにマイペースでいられた町が「函館」だと言っていた。(この元気さがアーティストを生み出しているとも・・・。)

そんな彼が、夕張に行って感じたことは、とにかく寂れていくばかりで希望のない夕張の姿だった。
雪の降り出す寸前の季節と、雪が解ける季節に、大量に転出者が出るのじゃないかとか、そういう話ばかり聞かされたのだそうです。(たしかに、そうなんだろうけど)
そして、いろいろ回って、元気というか、普通なのは、南部の新夕張駅とかに近い地域だと感じていたようなんです。

私は、たまたま、このブログでの出会いがあって、現状に向かい合いつつも前向きになっている方に会うために、夕張に行ったので。彼と私は同じ町でも違った印象を受けていたのに気がついた。

よくよく聞くと、彼は市役所から順番に取材したようなのです。
これは、正攻法で、正しい取材の仕方です。
しかし、役所によるバイアスが掛かりやすい取材方法でもあるんです。そこで、違いが出てきたのではないかと思ったのです。
役所の人からしてみれば、いろんな予算や自分の給料が減らされるわけです。これは、ネガティブになります。ですが、「夕張問題」という本に書かれていた論調で言うと。いままでが潤沢なだけであって、同じ人口規模の北海道の他の地方自治体と同じレベルになると考えると。ネガティブに考える必要が減ってしまうんです。(ただ、北海道全体の経済が冷え込んでいるだけに、同じレベルになったからといって必ずしもいいわけではない)
このあたりに、町の印象の違いが生まれたのではないかと感じたんです。
また、役場の近くは、かつての華やかさから一転して、華やかさを失って、抜け殻のようになりつつあるのですが。そこから取材するから、落ちぶれた町という印象が、無意識についてしまっているのではないかと感じました。
彼も、夕張市の南部の新夕張駅とかに近い地域にも取材に行っているのですが。そこでは、普通の北海道の町の姿を見ているようでした。(あそこは「夕張メロンは採れる地域だけど、夕張とは違う」とも言ってました)
また、予算を獲得する広報戦略として、「あまりにも可哀想だと思わせている」可能性がある。家無き子の「同情するなら金払え」ではないですが、世論として可哀想だと思われると、いいかげんな審議であっても議決がとおりやすいんだそうです。(某国会議員が言ってました。)だから、可哀想だと思われるようにと、数字の見せ方を工夫したり、取材先を紹介したりしているのではないかという、疑いを持っています。まあ、予算を獲得するというのが、役人の大きな仕事の一つですから。国とかから予算を引き出してくるためにも可哀想に見せるということは、考えていると思われますし、身についている可能性もあります。(炭鉱を閉鎖するので失業者が出て可哀想だから金をくれなど・・・)
そんなことで、正攻法に取材をして、最初に役場を訪ねると、可哀想に、可哀想に誘導されていくという、バイアスの掛かる危険性がある。
正攻法に取材をしているにもかかわらず、無意識に、そのバイアスに流されてしまうからやっかいだ。メディアの人は、そこを感じ取って、流されないようにするのも商売なのですが。
無意識に流されたものは、意識をして流されないようにするのは困難だ。
そういう状態で、多くの人に影響を与えるポジションにいる、メディアの人がバイアスに流されたら。集団心理も働いて、多くの人が、夕張の人たちに対して可哀想と思う目で、見てしまいかねない状態になってしまう。

確かに前向きな出来事もいろいろと報道されていますが。残念ながら、多くの報道は、何が何%減らされただとか。何人辞めただとか。財政再建団体なのに、2億円もらおうとしていて、けしからんとは言ってはいないが、けしからんことだと言いたげな書き方をしている。ネガティブなオーラを持った記事が多い。
そして、それを読者も望んでいたりする。読者からすると、可哀想で、役所はけしからん存在でなくてはいけないんです。だから、それに合わせた内容にすることで、売上や視聴率を稼ぐことが出来る。
これが、続くと、下手すると、夕張の町は可哀想でなければならない状況が生まれるだけでなく。抜け出せなくなるのではないかという気がしてならない。
こんな状態では、自尊心が育ちにくいし、若者も出て行ってしまいます。
私はこれを、一番恐れて居るんです。
予算をとってきても、募金があつまっても、可哀想だと言われ続けていては、住民は生きるのに息苦しくなってくるんです。

住人のプライド(自尊心)を大切にするならば、小手先かも知れないけど、取材窓口とか、視察の窓口を、急激に寂れた地域の役場ではなく、普通に暮らしている地域や、前向きに取り組んでいる様子がすぐに取材出来る場所に設置してしまって。日々の営みが行われているとか、再建していく町という印象づけができるような情報戦略が必要ではないかという気がしました。
どこから入るかで印象が違ってくるのです。
そして、役場は、可哀想と思われない方法で、予算が拡大出来る方法を、体得する必要があると思います。
そうすることで、ネガティブイメージによる、人口流出も減ると思う。

そして、住民は、他人が創り出す可哀想に利用されないようにする必要があると思う。
可哀想に利用されない生き方って、それなりに辛いこともあると思いますが。自尊心を持てないための苦痛よりいいと思います。



(当事者じゃないのに、生意気言ってすいません。)
現場の感覚 [2007年09月20日(Thu)]

中越沖地震に携わっている国土交通省の幹部が、報道により復興が中断されているということを、業界誌に寄稿したそうです。
現場の感覚なんでしょう。

マスコミというメディアは、マスが興味を持つ情報を流すわけですが。
被災者という少数派より、そうでない人にどのようにアピールするかという報道をするわけです。
地震が起きると、どこで、どれだけの地震があったのかを知りたくなるというのが、テレビというか地震情報に慣れた人の行動パターンなのですが。だいたいは、震度が大きいところをみつけては、「大変そうに・・・」と「思うだけ」なんですよね。
多くの人は、それで、満足なんです。
そして、町の名前が並んでいくのを見ると、時間が潰れるのです。
そこからは、何も生まれません。

人は、エッチなシーン、残酷なシーンを見ると、そのまま、画面を見るという特性があるということを実験で証明し、学説として発表されています。これが、本当かどうかはわかりませんが。実体験をてらしあわせると、なるほどなぁと思います。
ホラー映画やアクション映画や、ひどいいじめのドラマや、人をいじりまくるバラエティ番組、エッチな番組が流行るのはそのせいだ。
かつてのNHKの人気番組「プロジェクトX」も、途中で必ず「打ちひしがれた」というエピソードが出てくる。災難がふりかかるからこそエンターテイメントとして成立し、人気番組となる。
人が、余震の震度とかをやたら気にする一因は、もしかすると、残酷なシーンへの期待なのかもしれません。

無意識を含め、残酷なシーンを期待している人からすれば、被災地は、悲惨でなければならないわけです。
余震の報道が在れば、被災地は悲惨であることを再確認もするし。
災難は、高みの見物が一番なので、そんな人からすると観光に行くのは御法度なのである。

人々は、余震の数字を見て、災難を期待しているからこそ、そのネガティブパワーが、なんとなく復興の現場の士気を低下させるのではないかと思うのは、現場の感覚なのではないかと思います。


震災報道で「復興が中断」=機械的な伝え方と問題提起−国交省幹部が機関誌に寄稿
(時事通信社 - 09月20日 15:11)

 新潟県中越沖地震などの震災報道をめぐり、須野原豊・国土交通省北陸地方整備局長が建設業界の機関誌に「(余震に関し)機械的な報道がなされ、復興の努力がそのたびに中断される」などと寄稿していたことが20日、分かった。

 同局長が寄稿したのは、主にゼネコンで構成する社団法人日本土木工業協会が発行する「CE建設業界9月号」。「災害とその復旧・復興について」と題し、1ページ余が掲載された。

 寄稿の中で同局長は、「小規模な地震が発生するたびに震度何々と機械的な報道がなされ、せっかく復興に向けて取り組まれている方々の努力がそのたびに中断される」などと指摘。観光の客足が戻らないのは、余震を報じる記事が一因との見方を示した。 

[時事通信社]

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