• もっと見る

STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
<< 2007年06月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイブ
タグクラウド
「本八戸駅通りまちづくり促進協」が発足 [2007年06月30日(Sat)]
先日お伝えした「通りを明るくする運動」に関連してですが。
「本八戸駅通りまちづくり促進協」が発足しました。

「本八戸駅通りまちづくり促進協」が発足(2007/06/30)
 青森県八戸市中心市街地の玄関口である本八戸駅通りの周辺住民らで組織する「本八戸駅通りまちづくり促進協議会」が二十九日、発足した。都市計画道路3・5・1号沼館三日町線と街並みの一体的整備に向け、地元の機運を醸成。二〇一〇年度の工事着手を目指す。
 促進協には、本八戸駅通りや都市計画道路沿線の権利者をはじめ、内丸地区の住民ら約三十人が加わった。本年度内にまちづくり基本計画を策定する市への協力を最大の目標に掲げ、月一回の定例会を開催し、意見交換や勉強会などを行う。四十人をめどに会員の増強も図る。
 市中央児童会館で開かれた設立総会には、市や県の担当者、内丸地区の町内会長らを含め三十人余りが出席。会長に稲田充広氏、副会長に石橋久氏、事務局長に三浦康昌氏を選出した後、本年度の事業計画や予算を決めた。
 総会で、稲田会長は「促進協の設置は一〇年度着工に向けた第一段階。都市計画街路で県予算を引き出すためにも、街づくりの機運を盛り上げたい」と決意を述べた。

デーリー東北新聞社 サイトより
二つのリストバンド [2007年06月29日(Fri)]
夕張の仲間からリストバンドが届いた。
詳しいいきさつは別のページに紹介しますが。
日本とタイの二つの国にのビッグアーティストが、それぞれの国の支援を必要とする方を、自分たちならではできる支援をした結果。ふたつのさをり織りのリストバンドが出来上がった。
それが、今、二つ揃った。




常夏のタイ南部と日本の北海道とではまるで気候が違うのがリストバンドに現れているのが面白い。
お国柄というか、住んでいる人の気質だったり。民族が違うための体格の差だったり。
そういうところで差が出てくるのでしょうか。

ほらほら、よく見ると。
夕張で作られたリストバンドには毛糸が織り込まれています。

夕張とタイ南部パンガー県のバンムアンは、全く違う気候だけど、共通点もあることがわかってきた。
バンムアンは、近くのナムケン村で津波にあった方のうち約4000人が避難してきたところなのだが。このもともと住んでいたナムケン村を訪ねたとき、漁村としてはかなり不自然だった事に気がついた。
その理由がやっとわかってきた。
どういう所が不自然だと思ったかというと。津波で破壊されたとはいえ、港湾施設が充実しすぎているということと、不自然に海岸沿いに大きな町が形成されていたということである。
最初は軍事面で利用したのではと思っていたが、確かに第二次大戦中に日本軍が補給基地として利用していたようだが。パンガー県の主立ったタイの海軍施設は別の所にあり。戦後60年以上経った今も日本軍だけに作られた施設がいまだに使われていたとは考えにくい。
港を見ると、沿岸漁業用の船だけでなく、沖合漁業用の船があるとはいえ、津波で破壊されたとはいえ、漁村としてのたたずまいとしてどこか少し違っている。
実は、この土地に錫鉱山があったのです。それで、錫鉱石の積み出しのための港町として発展したのがナムケンだったのです。
日本軍はその港湾施設を少し利用しただけだったようです。
20世紀頭までは、家が4.5軒だったのだそうだが。労働者が移住し町が出来上がったのだ。
そして、1980年代あたりから、錫鉱山が閉鎖され、移住した人は取り残され、観光業や漁業にシフトしひっそりと生活をしていた。
この漁業というのも、伝統的な沿岸漁業というものだけではなく、港湾施設を利用して沖合漁業も行われていたのが津波で流された船の形でわかる。
その後、大津波に遭いピンチに。



町中に取り残された「オレンジの悪魔」と呼ばれる船

ちなみに・・・
もう一つの民家の軒先で止まったもう一隻のブルーの船「青い天使」とは対照的に、津波に流されたとき人通りの多い道を流されたため、百人は人を巻き込んだのではないかということで「オレンジの悪魔」と呼ばれている。

さらについでに・・・
沖合漁業はインド洋にマグロなどの漁業資源があるにも関わらず。日本に輸出するためには、マラッカ海峡を通らなければならず輸出するのには不向きで。しかも、沿岸に缶詰工場を立地させようとしても、バンコクから遠く材料が調達しにくいという問題から、めざましくは発展していない。
もし、沖合漁業が今以上に発展していたとしたら、タイ国内の津波による被害者がかなり増大していたに違いない。

一方、夕張はというと。石炭という鉱工業で栄え、同じく1980年代に衰退。観光と夕張メロンを代表する農業にシフト。
そして、財政破綻というピンチに。

この二つの町は、鉱山によって発展し、移住してきた人たちによって成り立ち、鉱業が衰退したにもかかわらず、移住した人が残されたかたちになった町。
そして、ピンチが訪れ、注目され、いま多くの知恵が集まろうとしている場所である。

そんな二つの町で、さをり織りのリストバンドが作られたというのは、なんとも趣深いものがある。



P.S.夕張の皆さんありがとう。遠くから、うまくいくことを願っています。
津波と中越のコラボレーション商品制作中 [2007年06月28日(Thu)]
ただいま、タイ南部の津波被災地で作っている草木染めを使ったベビースリングを商品化しようとしているのですが。その材料となるベビースリング用のリングが届きました。



ベビースリング用のリングは安全性が問題となるので選定作業が難航しました。
その結果選ばれたのが、



新潟の三条市にある鍛冶屋さんの手作りのステンレス製リングです。

特に意識して選定作業をしてなかったのですが。津波があった年に発生した中越地震の被災地域にある会社でした。
このリングは、サビに強く、美しい表面処理が施されているだけでなく、職人さんが丁寧に手作りをしたうえで、破断による事故についてPL保障がつくというものです。

こちらは試作品のベビースリングですが、完成するとこのような感じになります。



リングは、これから草木染めを行っている津波復興住宅街パックトリアム村に送られベビースリングになります。

できあがり次第、石川県のコミュニティートレードalをはじめ、全国のツナミクラフト販売店を中心に取扱を開始する予定です。
日本国内での販売価格は5250円税込みを予定しています。

お楽しみに。
来年には世界の人口の半数以上が都市部に [2007年06月27日(Wed)]
来年には世界の人口の過半数が都市に住むことになるそうだ。
そして、23年後の2030年には50億人が都市生活をすると予測。

これって、恐ろしいことですよ。
ますますインフラやエネルギーが必要になるし、お金も必要になる。
そして、インフラ、エネルギー、食料、お金が末端まで廻らないと、都市型の貧困が発生する。
しかも世界レベルで考えると、何億人もの人が土地に食料の生産性のない都市部で貧困に陥る可能性が出てくる。
また、都市で暮らす人口が増えると言うことは、エネルギー問題の深刻化が加速すると思います。


世界の人口66億突破、08年には半数以上が都市部に
 【ニューヨーク=佐々木良寿】国連人口基金(UNFPA)は27日、2007年版の「世界人口白書」を発表した。それによると、世界の人口は、7560万人増え、66億1590万人となった。

 上位3か国は、昨年同様、中国、インド、米国。日本は、10万人増えて1億2830万人で、3年連続の10位となっている。

 同白書は、2008年に初めて世界人口の半数以上の約33億人が都市部で暮らすようになり、30年にはその数は約50億人になるとの見通しを提示し、「この前例のない変動は、発展を拡大し持続性を促進する可能性と、貧困の深刻化と環境の悪化をもたらす可能性がある」と、都市部での人口拡大が秘める正と負の可能性を指摘している。

(2007年6月27日21時20分 読売新聞)


授乳服でキャンドルナイトライブ [2007年06月22日(Fri)]
授乳服のモーハウス青山店で、キャンドルナイトのイベントが行われた。
今回のキャンドルナイトのライブは、ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」の声をつとめてくれた星野ゆかさんの歌声が聞けるのだ。それだけでなく「天鼓(てんくう)」という素敵な民族楽器グループと、ギターのタクちゃんというすばらしいプレーヤーとの共演が実現した。

このイベントは、赤ちゃんも妊婦さんも来れるイベントとして企画されたもので、既に数回の実績があります。第一回目は私がDJしてました。
今回はキャンドルナイトということなのでアンプラグドです。

実は今回歌う星野ゆかさんには地上に降りて6ヶ月のお姫様がいらっしゃって。このライブにも見に来ています。そんなことで授乳服がステージ衣装です。
ライブが始まった瞬間、いきなりお姫様が泣き出したことで、この会場は赤ちゃんが泣いても許される場になりました。
おかげで、子どもも親も安心してライブを楽しめました。
途中、ある子どもが、ギターを弾きたくなって、ギターのタクちゃんに近づいたので、一緒に弾くという場面もあり。終始和やかなライブでした。



じつは、このライブの裏にはもう一つ面白いストーリーがあったのです。
今回ボーカルを務める星野ゆかさんが使っている授乳服は、授乳服のモーハウスが授乳服を作り出した10年前に作られたビンテージのオーガニックコットンの授乳服だったのです。
これが、どういう経緯で手に入ったのかというと、自然育児を推進している団体のイベントに授乳服を売り出したばかりのモーハウスが出店していたのですが。まだまだ市民権がなく全然売れなかったのだそうです。そこで、それを見かねた主催者の一人が、その授乳服を1着買ったのだそうです。最初はちょっと高かったのでどうしようと思っていたみたいですが。使ってみると便利で、子どもを、ひとり、ふたり、三人とこの授乳服を使って育てたのだそうです。そして、もういらないと思ったとき、星野ゆかさんの元にお姫様が地上に降りてきたということを知り譲ったのだそうです。
そして、10年経って現役の状態でモーハウスに戻ってきたのです。
この授乳服は貸し出されて7/8から筑波西武百貨店で行われるイベントに展示されることになるようです。

さてさて、会場内では他にもイベントが・・・
といっても、天鼓(tenkuu)の暁天さんの作った民族楽器なども販売されました。
その中で気に入ったのがこれ。



とっても小さな鳥笛です。

首からぶら下げられるし、かわいいビーズもついてます。

普通の鳥笛はもう少し大きくてウグイスの鳴き声などを再現するのですが。
この鳥笛はかなり小さいのでウグイスとは違う種類の鳥の鳴き声の再現が出来ます。
私はヒバリ系の鳴き声の再現がうまくいったのですが、もっと他の種類の鳥の鳴き声も再現できそうです。そのためには修行として鳥の鳴き声を観察する必要があります。

また、歯で軽く噛み、吹く強さや下唇をうまくコントロールをすると、手を使わないでも音程を細かく調整できます。器用な人ならば、他の楽器を演奏しながら吹くことも可能です。

鳥笛って構造が簡単なので、手作り楽器のワークショップの候補として挙げられるのですが。実は調整がとても難しく、短時間で終わるワークショップにしようとすれば、インストラクターの事前の準備が無茶苦茶大変なんです。また、調整をその場でやれば、インストラクターが無茶苦茶大変だし。なかなか結果が出ないため、途中で投げ出してしまう人が出てくるというぐらい難しいんです。
しかも、この小ささで作るのは、相当大変です。いい音を出そうとすると、寸分の狂いも許されません。

暁天さんに聞いてみると、今までに800個ぐらい作ったのだそうですが、思うような音が出るようになるまでに300個は作ったのだそうです。
本当に根気の要る仕事です。

これが1個1000円は絶対お買い得です。

思わず買って、吹いていると。私が吹いているのを見て他の人も欲しくなったようで。
みんな買って吹いているので、店の中は鳥だらけです。

また、暁天さんのカリンバですが、緻密に、ほんと良くできています。
先日紹介したムビラジャンクションのジンバブエの伝統的な音階のものとは対照的なアプローチで。こちらは日本人に親しみやすい音階がかなり正確につけられています。
だから誰でも簡単にカリンバに親しめます。
沖縄音階系のペンタトニックとかいろんな音階のモデルがあるので、好みに合わせて買うことが出来ますし。音程が正確なので他の楽器とのセッションも可能です。
カリンバ初心者から、他の楽器とのセッションに使うためのものまで、幅広いユーザーに受け入れられるものです。そして、やはり、デザインがいいので、最後はインテリアにもなる。
機会があったら手に取ってみて下さい。


☆関連サイト☆

モーハウス http://www.mo-house.net/

星野ゆか http://www.yukahoshino.jp/

STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか http://www.ideaeast.net/stillalive/

天鼓/tenkuu  http://tenkuu99.blog70.fc2.com/

「暁天」の花鈴葉(カリンバ) http://www.gyouten007.com/ 鳥笛も売ってます!!

札幌のフェアトレードが面白い [2007年06月20日(Wed)]
夕張を後にし、ツナミクラフトの販売店を開拓に札幌に来た。

まず、一軒目はEarth Coverという店に行く。店一杯にフェアトレード品やいろんなやさしい商品が置かれている。都内のフェアトレードショップで手に入る定番商品はほぼ手に入るというぐらいの品揃え。札幌に転勤になっても、通販ではなくお店で手にはいるのがうれしい。
たまたまお店に行ったときはオーナーの方がいらっしゃらなかったので、資料を渡し雑談していると面白い情報が入ってきた。
どうも、6/30〜7/1にかけて、大通公園西1丁目付近で大きなフェアトレードのお祭りをやるらしい。そして連動して6/25〜7/1まで地下街オーロラタウンでパネル展が行われるという。
これは、フェアトレードのイベントとしては、とても画期的なアクションです。
普通、フェアトレードのイベントは、意識の高い人や関心の高い人を集めて行うケースが多いのですが。今回のイベントは、街の中心部でしかも一般人の方が通るところで実施される。
フェアトレードは、多くの方を巻き込んで、広がりを出す必要があるのだが、なかなか出来ていないのが現状である。そこの問題に切り込もうとしているのだ。
そして、もうひとつ個人的に面白い情報として「みんたる」というフェアトレードショップのランチが美味しいという。

早速移動。



ここ「みんたる」は、フェアトレードとレストランとの組み合わせの店だ。
そして、いろんな、イベントが行わる。昨日は、ジンバブエの民族楽器「ムビラ」のライブがあり、今夜は「ムビラ」のワークショップを行うという。
気さくなオーナーさんと、おしゃべりをしながらランチを食べてると。
「ムビラ」奏者の熊さんがやってきた。話していると、どうも私の知り合いの大阪の民族楽器屋さんに「ムビラ」を卸しているとのこと。
この民族楽器屋さん、ショップリストには載せてませんが、津波の民芸品を一番最初に取り扱ってくれた店なんです。そして、ツナミクラフトで楽器のケースが出来たらねぇ。なんて話をしていたら。
「あ、このさをり織りのバックムビラケースにぴったりだ。計ったみたい。」
ってことに。

びっくり。

そんなことで、ムビラジャンクションさんでの取扱決定。
全国縦断のムビラ演奏・ワークショップツアーで販売されることに。

で、そんなことで盛り上がっていると。あー「さをりだぁ」という女性が現れた。

実は、昨年11月の新宿御苑のライフスタイルフォーラムにて、フェアトレードのチョコレートをバレンタインであげようという「チョコレボ」というプロジェクトの最初のイベントがあったわけですが。その時に出会った方だったんです。 関連記事

二度目の びっくり。

どうも、その後、札幌に引っ越してきて、フェアトレードチョコを求めて、この「みんたる」に辿りついてから居着いている?とのこと。

じつは、これからここで6/30〜7/1のフェアトレードのイベントの準備をするのだそうです。

用事があったので、荷物を置かせてもらって、外に出て帰ってくると。5.6人のボランティアスタッフが作業をしています。
丁度「フェアトレード」横断幕の「フェ」の部分を製作しています。
なんか、こういう手作りのイベントっていいですよね。

それにしても、ここにいると、繋がる感じがして、とても楽しいんですよね。

ちなみに店名の「みんたる」とは、アイヌ語で「広場」を意味するミンタルから取ったのだそうな。見事に、いろんな人が出会う広場となっている。

妙に納得。

聞くところによると、ここに限らず、札幌のフェアトレード業界はとても仲が良いのだそうです。
今回は、飛行機の時間が迫ってきたので、これ以上回れなかったのですが、札幌周辺だけで15軒以上あるそうな。
北海道に行く機会があったら、ちょっと寄ってみるのも楽しいかも。


☆参考サイト☆

アースカバー http://www.earthcover.com/
札幌最大規模と言われるフェアトレードショップ


フェアトレードフェスタ2007 in さっぽろ

http://fairtrade2007.10.dtiblog.com/
開催日:2007年6月30日(土)〜7月1日(日)
開催場所:札幌市大通公園1丁目

地下街パネル展
開催日:2007年6月25日(月)〜7月1日(日)
開催場所:札幌市大通地下街オーロラスクエア


ムビラジャンクション
http://www.mbirajunction.com/
ジンバブエの民族楽器屋さん
年の半分はアフリカに居ます。
現地の教え方でムビラが弾けるようになるワークショップ全国ツアーを行っています。


チョコレボ http://choco-revo.net/
バレンタインデーが終わっても続きます!!


フェアトレード雑貨&レストラン
みんたる
http://mintaru.com/
店の構造も含め奥が深い店です。
とにかくイベント満載です。
北海道第一号のツナミクラフト販売店となりました。
フェアトレードフェスタ2007 in さっぽろの「みんたる」ブースでもツナミクラフトが手に入るかも。

夕張土産 [2007年06月19日(Tue)]
夕張土産といえば、夕張メロンということなのだが。
ちょほいと値が張るし、重い。
そんなことで、手頃なお土産物をあさる。
最近は財政破綻をしたということで、夕張市が全国的に有名になったということで、あやかり商品も登場している。
東京や大阪が本社の会社や外資系の会社までが「がんばろう夕張」というパッケージの御当地バージョンの御菓子などが出ていている。
これが売れたとしても、商品を売ったその店はいいとして、本当に財政破綻をした夕張市のためになるのだろうかと疑問に感じてしまう。
仮に、夕張市がライセンス料を取っていたとしても、それでも、なんだか腑に落ちない。もし、ライセンスをとっていたのであれば、借金を減らすことは大切なのだが、福祉など市民のためにお金を使わずに、あやかり商法を財源とするのは、ちょっと町としてのプライドに欠けているように感じざるを得ないだろう。

そんなことで、いろいろ探していたら、いいものがありました。



ばばーん。

北沢食品の豆の缶詰です。

もちろん夕張で作られています。
清水沢学園から本町に向けて走ると左側に工場が見えます。
車で走っていて、気になっていたんですよね。

大衆的な価格も魅力のこの缶詰。ごはんといっしょに、そのまま食べます。
けっこう甘いとので、口に合わない方もいますが。
甘党の人は、この豆をつまみにお酒を飲むことが出来るのとのこと。

一つや二つぐらい買うと、けっこうお安く手に入れることが出来ますが、12個詰めなどの化粧箱入りにすると、けっこうな値段になるのでご注意。

北沢食品はこの他に夕張メロンの漬け物の下ごしらえとか、地道に農産物の加工をしているのだそうな。

そして「きのこの森」へ [2007年06月19日(Tue)]
夕張の地を訪ねると、朽ちていくものが数多くある。
その一方で、観光開発など以外に、新しく創造的なものを作ろうという動きもある。
しかもそれは、自治体や政府や企業に頼るものではなく、自分たちの身の丈で、自分たちの理想を実現しようとするものだ。

それが「きのこの森」構想だ。

夕張に残された最大の財産といえる自然と親しみながら、支援が必要な仲間と支援をする仲間とがいきいきと創造的な生活を過ごせる場所にしたいのだそうです。

「きのこの森」の予定地に連れて行ってもらった。
ここは、かつて炭住街だったが、炭鉱を撤退するときは更地にして返すという企業と自治体との間の取り決めなどがあり、現在、わずかな民家を除いて更地になっている。

そのおかげもあってか、自然が戻ってきている。
そこには、水芭蕉の群生地があったり、かつて誰かが植えたルピナスが野生化し一面に生えている。



タイの津波の被災地に行った時にも感じたのだが、自然のパワーはすごい。
ここ、夕張の自然もパワフルである。

しかし、人間だけを見ると、人が豊かになる仕組みの副作用なのか、復活がしにくい仕組みがなんとなく出来上がってしまっている。

その一方で、大変なことが起きているにしても、そこに住んでいる人は、必ずしも不幸ではない。そんな姿を目にする。
ありのままを受け入れ、自分で出来る事をすると、小さな結果として、おのずと小さな幸せが訪れる。そんなことがそうさせているのかも知れない。

大きな夢を持つことは、決して悪いことではない。
豊かになることも、決して悪いことではない。

しかし、その夢の持ち方や豊かさによっては、多くの人を不幸にさせる事もあるし、夢が実現出来ないことにより自らも不幸になることもある。



この場所でカヌーを漕ぎ出せるようになるという夢は、決して誰もが不幸になる事のない夢のような気がしてならない。
それは、この夢は、地に着き、人として、生命として、本当の豊かさがあるように思えるからだ。


関連ブログ
『夕張の知的な支援を必要とする仲間たち』
『きのこの森へようこそ』
シューパロ湖に沈む [2007年06月19日(Tue)]
夕張の仲間「手織り工房レラ」の石田さんの案内で、清水沢からシューパロ湖のある大夕張に向かう。

実はここ夕張に向かう途中、八戸から苫小牧までフェリーに乗ったのだが。そこで偶然隣り合わせた方が夕張で生まれ育った方だった。その方が生まれ育った所がダムに沈んでしまうのだそうだ。彼は今、札幌に住んでいるが、そんなに遠くはないにしても、なかなか夕張まで行けないのだそうで。私が夕張に行くと聞いて、是非見てきて欲しいと言われた。
その町がシューパロ湖のあたりにある大夕張こと夕張市鹿島地区だ。

この町には、私のちょっとした思い出がある。私が子どもの頃、スーパーカーブームの前の、ブルートレインブームの時に買い、すり切れるまで読んだ全国の私鉄の本に「三菱大夕張鉄道」が書かれていた。この鉄道は、蒸気機関車で乗客を乗せて走る最後の鉄道会社として紹介されており。しかも重量級の客車に使われているため、三軸ボギー車が走っていた。普通は電車の車輪は2軸がついた台車が二組ついているが、三軸ボギー車は一つの台車に3つの軸がついているのだ。だから線路の継ぎ目を通過するとき、普通の「ガタン、ゴトン」とはまた違う音がする。しかも石炭ストーブ付の客車だった。雪の降らない地域からするとあこがれの鉄道だった。
いつか、北海道を旅することがあれば乗ってみたいと思っていたが。私が北海道の地を踏む前の1987年に廃止された。

国道を走っていると、スリーダイヤモンドのマークのついた6両の車両が置いてあるのが見えた。ここが南大夕張駅跡地だ。工事事務所がすぐ横にあり車を止めづらい雰囲気があったので横を通過する。
ちなみに、この工事事務所、国道の工事をするためのものだ。どのような工事かというと、大夕張ダム(シューパロ湖)の水面を25メートル嵩上げすることにより、国道が水没するため、国道の付け替え工事とその関連工事をするためにあるのだ。

このシューパロ湖自体も人造湖として作られ、水没予定地区にあった森林鉄道のために三弦橋という橋を建設したにもかかわらず、伐採による木材の輸送が鉄道からトラックに移行し、1963年にわずか5年しか使用せずに森林鉄道は廃止されてしまった。

夕張新鉱にしろ、三弦橋にしろ、大規模な開発にもかかわらず、短期間しか使用せずに廃止してしまう。リスクが増大する前に廃止するのは、経営判断としては正しいと思うが。今となってはいくらでも言える話だとはいえ、時代の先を読み、使用する前に止めるという判断ができなかったのだろうか。大規模開発においてあまりにも多額の税金などが投入されたため判断が鈍ってしまったのであろうか。
このことに関わらず、この嵩上げ工事やその他公共事業も含め多くの大規模事業は、進み出すと冷静に判断出来ない状況になってしまう危険性をもっている。

さてシューパロ湖に掛かる三弦橋。構造がとても珍しく産業遺産として非常に価値の高い橋梁と言われているが。
嵩上げ工事が完成するとここも水没してしまう。
シューパロ湖に線路が水没するということで作ったにも関わらず、今度はシューパロ湖に水没してしまうのだ。
そして、土木工事により沈むというのに、土木工事により作られた産業遺産だから保存しようという動きがある。なんという皮肉だろう。



シューパロ湖とともに夕張岳が美しく見えるポイントにつく。
遠くに望む夕張岳は、大自然そのものである。
だが、我々のいる隣には、巨大な橋脚が立っている。
ここも、シューパロ湖に沈むのだ。

上を見上げてみる。



空高く工事中の橋梁部分が見える。

おそらく、ここから将来の水面まで15メートルから20メートルはあるのでしょうか。

すでに、大夕張こと鹿島地区はシューパロ湖が出来たときに沈んだ部分もあるのだろうが、今度は本当に沈んでしまうと実感した一瞬だった。
1960年代当初は2万人を越える人が住んでいた石炭で栄えた町がこれで完全に沈んでしまう。
そして、地図から消える。





炭住街に行く [2007年06月19日(Tue)]
夕張の最終日。手織り工房レラの石田さんに市内を案内してもらった。
そこには、町中にある観光施設などからは見えない夕張の姿があった。

まず、町の方は団地につれていってくれた。
実はこの団地、昨日、宿に戻るときに、遠くになんとなく気にる団地があったのだか。その団地である。わたしは、何かを感じて、道を引き返し、車を止め、高台からその団地に向けてビデオを回した。
そんな団地に連れて行ってくれるというのだ。

清陵町と呼ばれる団地の中に入る。この団地の建物には建物の名前と建物を建てた組織名の他に建てた年号が記されている。
1975年、1976年と書かれている。
石炭の産業が終焉を終えるのが1980年台頭と考えると意外に新しい。
夕張がロケ地として有名な映画「幸せの黄色いハンカチ」が撮影された頃は全くの新築だったということになる。
実はこの団地、北炭夕張新鉱と呼ばれる炭鉱で働く人のために作られた、炭坑の入り口の間近にある団地なのだ。

今日は天気がいいこともあり、初夏の太陽を浴びに出ていたのか、人通りがけっこうあったのだが。建物の窓を見ると、住んでいると思われる部屋は本当に少ない。
今ではお年寄りを中心に本当にわずかだが入居者がいる状態だ。
聞くところによると、届け出がなされている入居者数より、入居の実態が少ないのではという疑いがあるそうだ。それは、お年寄りが多く、届け出上は入居はしているものの札幌などの子どもの住んでいる所で暮らしている場合が多かったり、入院・退院を繰り返していたりしている方が多く、実態とはかけ離れているのではないかと考えられている。
かつては山間の町にもかかわらず十万人以上も住んでいた夕張市民は現在1万3千人弱ということになっているが。あくまでも書面上であり、実際は1万人ぐらいしか住んでいない可能性もある。
そしてその建物があるが実際には人が住んでいない状況が一番ひどいと思われる所がこの団地なのだそうだ。
この団地は、建物に「改良」と書かれているにもかかわらず、各戸にお風呂が無く、団地の中央にある銭湯に行かないとお風呂に入れない。団地は5階建て未満でエレベーターは設置されていない。しかも団地の端から銭湯まで、普通の大人でも5分以上かかる。冬場、足の悪い時期にお年寄りが銭湯に行こうとすると10分、20分とかかってしまう。せっかく暖まった身体もこれでは冷えてしまう。
そんなことで、冬場に出歩かなくなり、いつしか孤独死が発生しているのではないのかという疑いや、空き家が多くなることで不審者が居着く可能性もあることなどもあり、お巡りさんも一軒一軒訪ねて廻っているのだそうな。
団地の中央部に戻ってくる。団地内の道路が集まるところから、坂を登ったところに柵のついたトンネルがあった。その前には美しい花がいっぱい咲いていた。
あまりにも美しいので、ふらふらと炭坑の入り口に近づきシャッターを切る。
同行した石田さんは「私はこれ以上近づくことが出来ない」と言った。
ここは、北炭夕張新炭鉱と呼ばれる炭坑の入り口の跡なのだ。



この花はここに眠る魂のために咲いているのであろうか


しかし、これ以上近づけなかった。

ここ北炭夕張新炭鉱は、機械掘削、換気システム等で 世界最先端の「ハイテク炭坑」として開坑したにもかかわらず、「北炭夕張新炭鉱ガス突出事故」と呼ばれる93人が亡くなる大惨事が発生した。
(ハイテク炭坑と言われながらも、設備が充実したことにより、より危険なタイプの石炭を採掘しようとしたり、生産性向上のために安全面を軽視したことにより日本の「ハイテク炭坑」と呼ばれる炭鉱では、三井三池炭鉱有明抗坑内火災(1984年、死者83人)、三菱南大夕張炭鉱ガス爆発(1985年、死者62人)という痛ましい事故が起きている。)

この大惨事は、遠く離れた所に住んでいた私も知っていた。
しかし、記憶の片隅に置かれていたため、思いがけず案内された時点では事の重大さには気づかなかった。だが、身体は何かを感じていたようだ。

「北炭夕張新炭鉱ガス突出事故」は、私が中学生だった頃にこの事故というか事件が起きた。確か朝のNHKニュースで見ていた記憶がある。

1981年10月16日夕張新炭鉱内にガスが出て、その後火災事故になった。

ちょうど私が夕張新炭鉱を訪れた日に、東京・渋谷の温泉施設でガス爆発事故が起きたのだが。温泉の掘削も含め、地下には様々なガスが出てくる危険が満ちている。

先ほど、事故というか事件が起きたと書いたのは、あまりにもショッキングな出来事が起きすぎたからである。
最初のガスの突出事故のあと、救護班も巻き添えにした二次災害のガス爆発による坑内火災が発生。この火災が止まらないため、坑内には59名の安否不明者が取り残されているにも関わらず、鎮火を目的に、空気を送らないように炭鉱を密閉し、さらに注水をしたのだ。
何日も注水の是非を巡る議論が白熱し全国のテレビニュースでもそのことが流されていました。
そんな中、生存者の有無を確認する為に捜索隊が坑内に入るが、爆発の衝撃で坑道の至る所で落盤が発生しており、救出活動を続行する事は危険と判断された。
(この捜索中、立ったまま死亡していた労働者の遺体も発見されたという。)
そして、ガス突出から1週間経った10月23日サイレンと共に59名の安否不明者がいる坑内に夕張川の水が注水された。
注水の賛否も含めあまりにもセンセーショナルなこの事故というか事件がきっかけで、オイルショックから石炭が見直されつつあったにもかかわらず、炭鉱労働者への補償や設備投資が増えるとのことから石炭の採掘が割に合わないビジネスだと言うこととなり、日本の石炭産業が急速に終焉に向かった。

痛ましい事件から1年後。夕張新炭鉱は開山から10年も満たないうちに閉山し、現場のすぐ近くに炭住街が残され25年が経過した。

大惨事から25年以上の時間が過ぎたことと、観光化や、夕張メロン、映画祭など、さまざまな炭鉱依存からの脱却への取組により。当時、あれだけ大きく騒がれたにもかかわらず、この記憶の片隅に追いやられていた。
そのわずかな記憶とは関係無しに、私は無意識に右手にある慰霊碑に足が向かい自然と手を合わせていた。



炭坑の入り口付近に、いまもスローガンの書かれた看板がそのまま残されている。


我が新鉱をがっちり守ろう
出稼保安生産


このスローガンのとおりに達成されたものはなに一つない。
夕張の仲間たちとやさしさパワーのリストバンド [2007年06月18日(Mon)]
夕張の中心部から少し南に行った、清水沢という所にある「手織り工房レラ」を伺った。
ここでは、15年前から、支援と必要とする仲間が、さをり織りや様々なアートワークをしている。現在8名の仲間がさをり織りを作っている。
いまここでは、6月30日から7月1日に行われる野外コンサート「キュー・ミュージック・ジャンボリー in 夕張」でイベントを盛り上げるためのグッズを手作りで製作しているのです。

それはなぜ、ここで、そのような事をしているのでしょうか。
まずは、今起きている出来事の前に、時代的な背景からお話しします。
みなさんも報道などを通じてご存じの通り、夕張市は財政破綻をし、只今、大リストラ中です。その大リストラの一環として福祉予算を削減も行うわけですが、その中でも真っ先に削減の対象として選ばれたのが、少数派である支援を必要とする知的障害者と呼ばれる方たちでした。おそらく、多くの人に影響が出るものより、少数派の人からリストラする方が反発が少ないという判断が少なからずあったのでしょう。
それだけではありません。障害者自立支援法という名前はいいけど実情にそぐわない法律が出来てしまったため、小さくてもちゃんとやっていこうという施設は「障害者自立支援法に基づく障害者支援施設の設備及び運営に関する基準」という細則の第九条に記された「施設入所支援は30名以上」という項目により、定員30名という清水沢学園は、一人でも欠けると施設として認められなくなってしまうという制度の狭間にはまってしまいました。
それ以前に、この法律だけではありませんが、自立という一見美しい言葉の裏に見え隠れする、(税金を払うため?)お金を稼ぐ人、お金を使える人でないと人でないというような価値観が、いろんなことで困っている人々の尊厳を損ないかねない危険性を秘めている。
そんなことで小規模な施設では、法律に基づくことにより、支援が必要な人に必要な支援を施しにくくなりました。
そんな厳しい社会状況の中、自らの考えを様々な政策に翻弄されることなく、夕張の本当の財産である自然を生かした自分たちの理想の仲間と過ごせる施設を創り上げていこうと「手織り工房レラ」のある清水沢学園では様々な模索をしていました。

そんなとき、北海道出身の人気グループGLAYのTERUさんが「手織り工房レラ」の存在を知り、自分だからこそ出来る何かがないかと思い、自ら現地に赴き様々なアクションをはじめました。
彼はその活動の一つとして、自らブログなどにさをり織りを作るための糸が足りないなどの情報をブログなどで発信しました。すると、たくさんの糸が全国から届きました。しかも、これらの糸は、温かいメッセージと共に送られてきたのです。中には10年ぐらい寝かせていた思い出のあるドイツ製の毛糸などもありました。
また、TERUさんは、この他に、自分ならではの出来ることとして、「手織り工房レラ」の看板を作りました。いままでは、「手織り工房レラ」には立派な看板が無かったのですが、素晴らしい看板が出来上がりました。


手織り工房レラの看板


看板が出来た頃からGLAYのファンの方がぽつりぽつりと夕張を訪れるようになりました。
ファンの方には工房を遠巻きに見て看板だけを撮影して帰っていく人もいるのですが、工房に入ってきて工房のことを聞くなど何らかの関わりを持とうとする人たちもいました。
そして、関わりを持とうとした方は、支援を必要とする仲間が一生懸命にさをり織りを作る姿を見て、不思議と癒されて帰って行くのだそうです。正確に言うと、支援が必要な仲間を支援をする仲間が共に作り出した創造的な空間に癒されているのでしょう。


手仕事をする手は美しく、それだけで芸術だ


癒された方の中には、自分の出来る範囲で自らも支援をする仲間になりたいと思う方も現れ出しました。

4月の終わり頃、そのGLAYが、キュー・ミュージック・ジャンボリー in 夕張に正式に出演する事が決まりました。「手織り工房レラ」では、自分たちが出来る方法でイベントを応援し、しかも、自らの夢を実現するためのアクションができないかと考えました。それから、いろんなアイデアを出し検討しました。

5月中旬。東京の代々木公園で行われたタイフェスティバル2007にゲスト出演していた、夕張から何千キロも離れた国、タイ王国の人気グループ「モダンドッグ」の応援グッズとして、津波により4000名以上が亡くなったタイ南部のパンガー県の復興住宅で作ったさをり織りのリストバンドを販売したとの情報を、このCanpanブログ内のブログ記事で知りました。
「手織り工房レラ」は、自分たちもコンサートを盛り上げるためのリストバンドを自分たちのさをり織りで作る事を決めました。

タイの津波被災地で考えられたアイデアと復活パワーが何千キロを越えて北海道の夕張に伝わったのです。

さをり織りは、もともと日本で生まれた織物でJICAの支援などもあり、タイの施設などでも少しずつ作り出していました。その技術を使い、2004年に襲った津波の心のケアのためにパンガー県でさをり織りを始めたのです。
さをり織りは手織りのため、30センチ織るのにも数時間という時間を要します。そのため、経済支援のために販売しようとした場合、単価が高くなり売れにくいという問題がありました。そこでお金持ちではなくできるだけ多くの人が買ってもらえるように、価格を抑えようと考えました。そのアイデアの一つとして、布を小さく切りリストバンドなどを作りました。価格戦略は成功しリストバンドが売れ始め、さをり織りが仕事をする事による心のケアだけでなく被災者の収入確保にも役立つようになりました。
そのころ、タイのミュージシャン「モダンドッグ」のボーカルPodは以前から津波の支援の活動をしていたのですが、そんなさをり織りのリストバンドの事を知りモダンドッグのロゴ入りリストバンドの製作を発注。コンサートなどでの販売を開始したのでした。
一度は財政難になり、継続が難しいと思われた、津波のさをり織りプロジェクトは、リストバンドなど低価格の商品が売れ始めた事で、経営が持ち直し継続的な津波被災者の支援が出来るようになりました。

今年修好120周年を迎える、日本とタイ王国という二つの国のトップミュージシャンの自発的な支援活動が「さをり織り」というキーワードで繋がった。
さをり織りを作る仲間と日本とタイのそれぞれのトップミュージシャンとの関わりの中、タイでの活動がさをり織りのふるさと日本に伝わり、ひとつのカタチになろうとしている。



出来上がってきたリストバンド


「手織り工房レラ」では、50名の方から贈られた糸を、8名の支援を必要とする仲間たちが丹念に手織りをし、支援が必要な仲間が出来ない製品加工の作業を「手織り工房レラ」を訪れた方を中心に、全国の支援をする仲間が手伝うなどをして、1000本のリストバンドが急ピッチで出来上がりつつあります。
もちろんTREUさんも離れていてもサポートしているとのこと。

私の訪れた時にも、なんと山口県でロックミシン掛けをしてくれた方から荷物が届きました。

このリストバンドは、キュー・ミュージック・ジャンボリー in 夕張の会場内で限定1000本販売されます。
タイの津波被災地のやさしさパワーを受け継ぎ、様々な人々のやさしさで織りなされた、夕張の「手織り工房レラ」のリストバンドを是非手にして下さい。
きっとあなたもやさしくなれます。



☆参考情報☆

「手織り工房レラ」について
こちらのブログに経緯や活動が書かれています是非ご覧下さい。

『夕張の知的な支援を必要とする仲間たち』

「Moderndog」について
タイの人気ロックグループ。インディーズ時代も含め結成15年目。
日本での津波の復興支援活動としては、2005年に横浜国際トリエンナーレの会場にてさをり織りの販売を行った。

Moderndog公式HP(タイ語&英語)
http://www.moderndog.biz/
Moderndogの試聴が出来るサイト(英語)
http://www.myspace.com/moderndogneverlie

バンコクから伝わってきた情報ですが。
モダンドッグのボーカルPodは、自らのアクションが「手織り工房レラ」の活動のヒントになった事を喜んでいるとのこと。今回、スケジュールが会わなかったので夕張のコンサートには行けないが、いずれ夕張に行きたいとのこと。

タイフェスティバルでのライブの様子 タイ大使館HPより
ふるさとを離れ日本という遠い国に住み働いているタイ人の方々がコンサートに熱狂する姿が撮されています。



ストーリーは、まだまだ続きます。




続きを読む...
夕張に入る [2007年06月17日(Sun)]
八戸から苫小牧まで夜行のフェリーに乗る。
苫小牧の港につく1時間ほど前、フェリーの近くをイルカが併走したそうで、ちょっとしたタイミングで見逃し残念。霧の中汽笛を鳴らしながらフェリーは苫小牧に着く。
そして苫小牧でレンタカーを借り夕張に向かう。
朝ご飯をたべようとしたが、なかなか空いている店がない。
北海道は土地が広いと言うこともあり、フェリー乗り場の食堂を逃せば、なかなか食べる場所がない。
朝食をとり、夕張に向かう。
夕張と言えば、幸せの黄色いハンカチということで、その記念の広場を目的地としてカーナビをセットする。
夕張市内に入り、踏切を渡るあたりから、映画のシーンと重なる道が目の前に現れる。
残念ながら赤いファミリアではなく、銀色のタイ製のホンダ・フィットアリアで、その坂道を登るあたりで、道は似ているのに映画とは全く違う風景に気がついた。それは、住宅が少ないのである。
専用駐車場に車を止め、案内に従って行くと。係員に呼び止められる。
どうも夕張市内の観光施設は大人で3000円以上するフリーパス制になっていて、かなりの施設に入れるし、移動はバスが乗り放題にもかかわらず、単館入場券の販売が廃止になったので単館入場が出来ない。
んー、多くの観光客からすれば、これってギャンブルですよね。たった一つの目的だけのために夕張に来た人に失礼である。しかも、温泉には入れるんだけど、温泉にはいるときは別途温泉税を払わないといけないということで、フリーパスにもかかわらずフリーパスではないという矛盾つき。(あとで調べたら、つい最近導入されたそうで、やはり、かなり不評らしい。最近、全国の役所が夕張に視察に行くのが流行っているらしいですが。フリーパスは視察なさる方に売りつけるのには適当なパッケージかも)
しかし、黄色いハンカチは屋外なので、タダで見ていいとのことなので黄色いハンカチに近づいていく。(長屋の中の資料館はフリーパスが必要)
行ってみると木造の長屋がほんの少しと、黄色いハンカチのはためく柱が立っていた。
確かにこの風景だけどなんか違う。
おそらく決定的に違うのは、炭坑の街だった頃の夕張の風景と、閉山し観光で売ろうとしたけど多くの人の雇用に繋がらず、人がいなくなってしまった街の姿だった。
とはいえ、この街がかつて栄えていたのは、様々な建物でわかる。
本町の方に移動する。このあたりは、街の到る処に古い映画の看板が掲げられている。
映画のロケ地として使われたり、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭が行われたりと、何かに映画に縁があるということで取り付けられたのだろうが。
市の財政が破綻し、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭が中止された現在空しいだけだ。
現在、商工会議所の中に2008年に映画祭を復活させようというNPOがあるそうですが。その建物に掲げられている「遠き落日」の「愛・とどきますか・・・」というコピーが妙に泣かせる。
映画への愛・とどきますか・・・



そして、さらにぶらぶらと歩くと、先日の夕張市長選挙の跡が残っていました。



「大企業の誘致、雇用拡大」と書かれている。
夕張は、炭坑で元気な時は、大企業にべったりで、仕事は危険だが仕事はあった。
そして、炭坑が閉鎖され、観光にシフトしたが失敗。
大企業の元で働いていたり、大企業との取引や、大企業がいて町に人がいたから儲かったという歴史があるだけに、この言葉は多くの人の共感を呼び、落選はしたものかなり善戦した第二位だった。
だが、今の夕張市の状況は大企業に翻弄された結果とも言えるだけに、そのことが解っている人にとっては空しいスローガンに聞こえたに違いない。
私の考えるに、多くの方に支持を受けたにもかかわらず負けてしまった、敗因の一つはここにあったのではないかと感じた。

さて、歩き疲れたので、ちいさな喫茶店に入る。
通りは人通りが少ないのに、この店はお客さんがいっぱい。
そんなことで、おばあさんと相席になる。
このおばあさんは東京出身で、私の今住んでいた近くに住んでいたらしい。
第二次大戦末期、東京に空襲があり、「住むところと仕事がある」という理由で疎開先として夕張を選び引越したのだそうでそれ以来夕張に住んでいるのだそうな。
旦那さんは東京では製本の仕事をしていたそうですが、夕張では同じような仕事はなく、とても苦労したのだそうな。
それから、炭坑が元気な時代は羽振りも良かったようで、飛行機を使い月に何度か東京に出て、息子の家に通っていた事もあったそうな。
妙なところで、東京と夕張が繋がる。

東京って、このおばあさんが夕張に行った当時の「住むところと仕事がある」というキーワードを持っている街ですよね。
大企業があり、そこに住むところと仕事がある。
しかし、実際はそうはいかない。それは甘い言葉の裏に何かがあるからだ。
確かに物質的に豊かになる人も多いが、本当の豊かさを得たのかはわからないし、豊かさのおかげもあり気がつかぬうちに人として何かが失われる大切なものがあったりする。

このあたりが、夕張そして、東京やプーケットも含めに移住労働について考える鍵のひとつのように感じた。



通りを明るくする運動 [2007年06月16日(Sat)]
青森県八戸市にやってきた。
東京駅から八戸駅までは東北新幹線でなんと3時間10分。とても便利である。
とはいえ、八戸駅はあくまでも通過地点でしかない。八戸市の中心はそこから二駅ローカル線に乗ったところにある本八戸駅付近である。

実はこの本八戸駅の近くに新しい店がプレオープンとなり、そこにツナミクラフトを置いてもらえることになったので八戸に来たのだ。

本八戸駅から市役所との間のあたりは本八戸駅通りと呼ばれているが、大規模店の影響などもあり、開いているお店が少なくなっている。
ちなみにこのあたりは、「内丸」という地名で、お城の中という意味の地名である。現在は市街地化していてほとんどその姿は見えない。
そこで、本八戸駅通りでは、通りを明るくする運動が市民の手で行われつつあるようなのです。
まず、料理屋さんが改装をし、その回りの空いている店舗に地域の店を開きたい人が借りて店を開こうという動きになっているという。

その動きの一つで出来た店が、今回プレオープンした「Angel」という店だ。
この店の特徴は、特殊な形態である。パステル画などの様々なスクールとフェアトレードも扱うセレクトショップが合体したもので、近い将来カフェも併設し、ちょっとした地域の方がコミュニケーション出来る場となるやさしい店です。



さて、この店にツナミクラフトを納品し、近所の料理屋で食事を頂いた。
この店が、なかなかポイントが高い。
この店のウリは、新鮮な海の幸、山の幸など、身体にやさしい料理であるということである。
近海で採れた鯖と古代米を使った鯖寿司はもう絶品です。
もちろん、近海で採れた新鮮な魚は、食べるだけで癒されてくる。



古代米鯖寿司

それだけじゃありません、メニューに載っていない裏メニューも存在しているようで、おやじさんの心意気で出てくることも。
今回は、山芋を擦ったものが出てきたのですが、私は聞き取れませんでしたが、地元ならではの料理名があるようでした。


南部ゆば・創作料理・古代米 
うぉんさい http://www.wonsai.com/
〒031−0075
青森県八戸市内丸2-1-3(本八戸駅通り)
TEL:0178−44−4690
営業時間 17:00〜22:00(日曜休み)

じつは、この店が、通りを明るくする運動の一号店だったりします。
どのような取組か、是非覗きに行って感じてみてください。

この店に行きたいがためだけに八戸に行く価値ありです。


京都で見つけた「地せっけん」 [2007年06月13日(Wed)]
先日、花巻の地せっけんの話を書きましたが、京都でまた素晴らしい地せっけんを見つけたのでご紹介します。


SPOON 小豆と黒みつソープ

いかにも入っている素材が和風というのが京都を感じるせっけんです。
前回の花巻の縄文を感じさせる古代米せっけんとの対照的です。
そして、美味しそうというのは、タイ南部のタレノーのハーブ石けんも同様です。

じつは小豆と黒みつソープ、原材料にフェアトレード品が使われているんです。
小豆と黒砂糖がフェアトレード品で、作り手とコミュニティカフェの方とのコラボレーションで出来上がりました。

今回取り上げたのは、小豆と黒みつソープですが、SPOON のシリーズは、他にも注目すべき商品があります。
それは、頭髪用のシャンプーソープが二種類用意されているということです。

一般の小売店で販売されている、シャンプーには、みなさんが気持ちよく使って(消費して)もらえるように工夫して様々なものが入っている。その中には、下水処理に困ってしまうような環境によくない成分も含まれていたりするわけです。しかも、酷い場合は、使いすぎると人体に影響が出る恐れのあるものまで入っていたりします。
そのうえ、企業の方が一生懸命開発してくれたおかげもあって、シャンプー生活に慣れてしまうと、抜けられなくなってしまい。気持ちよさと引き替えに、気がついたら無意識に地球に優しくないことをしてしまっていたりします。
だから、環境にやさしい生活にシフトするのはけっこう大変です。

そんなこともあるので、このような、自然素材のシャンプーソープがあると、シャンプーからせっけんに気持ちよくシフトしやすいんですよね。
しかも、ココナツミルクと卵のタイプと、椿オイルとハーブという2つのタイプがあるから、間口が広く多くの人に受け入れられやすい。



SPOONの手作り石鹸 各500円 http://spn.269g.net/ ※一部、材料の都合等で価格の違う商品もあります。

地けっせんの常ですが、材料の都合で時期により生産量が違ったり、季節限定商品があるので、常に要チェックです。


現物を見たい方は、キッチンハリーナまで。




食事を楽しんでエイズと貧困の対策 [2007年06月12日(Tue)]
京都・四条河原町を上がって二筋目(サンマルクカフェのある角)を入った所にあるタイ料理店に行ってきました。
店の名前は「キャベツ・アンド・コンドーム」。タイらしいウィットの効いたユーモアを感じる濃い名前です。



店にはいると、バーカウンターにテーブルという落ち着いた店内に驚く。
そして、奥にはスペシャルテーブルと呼ばれるテーブルがあった。
どこか、どうスペシャルかといえば、ご覧の通りです。



女子高生には大ウケで、ケータイで記念写真なんか撮っているそうですが
中高年には不評みたいです。

日本のエイズに対する意識改革はまだまだです。

なぜ、コンドームがテーブルに飾られているのかというと、このお店は30年の歴史を持つタイのNGO「Population Development Association」が運営していて、このお店の収益金が、エイズ対策、人口抑制などの農村開発に充てられるからです。もちろん、貧困対策、奨学金などにも使われます。
そして、この店名は、タイ人が幸せになるようなプログラムとして、日常に食べるキャベツを市場で買うように、コンドームを手に入れやすいものであるようにするという思いが込められているんです。
タイ国内には数店のお店とリゾートホテルを持っているとのことですが、京都のお店は日本での一号店となります。

支援の内容は、コンドームの普及もですが、エイズになる危険性のある職業に就かなくてもいいように職業の選択肢を増やすような活動も行っているそうで。町に出なくても現金収入が得られるように、たとえば、牛の飼い方を教えるなど、様々な取組をしているそうです。

お店の方の話に戻り・・・
素敵な階段を登り、2階に行くとここもまた落ち着いた雰囲気です。しかも、ちょっとしたパーティースペースとしても使えます。
なんか、イベントしたくなっちゃいます。

また、2階の奥には、VIPルームが隠れていて、三角まくらでくつろぎながらグループで落ち着いてお食事も出来ます。

さて、肝心のお食事の方ですが、タイ国内のお店とリゾートホテルのクオリティをそのまま日本に持って来たということで本格的です。
おかげで、お腹がいっぱいというぐらい出てきます。今回は一人で行ったのですが、このボリュームはグループで食事した方がいいかも。
このお腹がいっぱいの料理というのは、タイでのおもてなしの習慣の一つだと聞いたことがあります。このあたりも、タイ国内のお店とリゾートホテルのクオリティの現れです。

味は、とても上品な味がします。
先日のタイフェスティバル京都にもこのお店が出店していたのですが、その時に食べたときはおそらく屋台用にメニューを工夫したりアレンジしていたんでしょうね。

屋台風もいいけど、ちょっとオシャレに高級タイ料理を頂きながら、貧困対策に役に立つ。そんなお店にもたまに寄ってみてはいかかでしょうか。

それに、この落ち着いた感じは、ちょっとした接待にもオススメできます。
昨今、企業の社会的責任とか言われているだけに、こういう店を使うことで、企業の姿勢を見せるというのもいいかもしれません。
京都での接待というと、どうしても京都らしさを求める傾向があり、ある程度までいくと飽きてくるのですが。そんなときのためにもキープしておきたいお店です。

まずは、みなさんお誘いの上で食べに行って確認してみて下さい。

それと、こういうコンセプトのお店増えて欲しいですね。
大阪には、学校の支援になる料理屋さんもあったりするので、これから増えるかもね。


キャベツアンドコンドーム. Cabbages&Condoms
http://www.cabbagesandcondoms.jp

TEL:075-212-5665
京都市中京区河原町通四条上ル二筋目東入ル

アクセス:
阪急河原町駅より徒歩3分/京阪四条駅より徒歩5分

営業時間:ランチ/11:00〜14:00
    ディナー/17:00〜23:30
定休日:火曜日
カード:VISA,MASTER,JCB,AMEX,Diners



ちなみに、キャベツアンドコンドームでは、いろいろ楽しいグッズが販売されています。
やはり、タイらしい、ユーモアとポップなセンスが光ります。
こちらの方もチェック。

京都でのタイフェスティバル [2007年06月12日(Tue)]
タイフェスティバル京都2007でツナミクラフトを販売してきました。



タイフェスティバル京都2007への出店は、タイ王国大阪総領事館ブースという事を事前に聞いていたのですが、やはり、本番前となると緊張します。
それは、タイ王国大阪総領事館ブースに出すということは、タイ王国を代表するという意味でもあるからです。
まず、昨日の大阪・弁天町でのラブアースでのラフな格好ではまずいと、スラックス、革靴、ネクタイこそしていないが襟付きシャツを着てという服装にチェンジ。昨夜は宿でズボンプレッサーを借りてきてプレスをする。そして、靴を磨く。実は、ここ数日、通風で足が腫れ上がっているので、片足は靴下をはいていないってこともあって。靴下をは履いていないことがばれないように足下に気に掛けなければならない。
タイの社会は、急速に俺様化が進み敬意を示すという文化を失いつつある日本とは違い、階級社会が生きている。格差は格差社会と言われるようになった日本以上といっていい。
だからこそ、総領事館ブースでは格好の悪い事はできない。

朝一番に会場に行くと、以前電話で打ち合わせをした方がちょうどいて、ブースを案内された。やはり看板には「タイ王国大阪総領事館」と書かれている。
しばらくして展示内容のあらかたがわかるようになった頃に領事が現れる。展示内容、展示までの経緯の説明をした。領事は、遠くの方に私の目線を注目させ、あの方がタイ王国大阪総領事だと教えてくれた。
そして、いろいろお話をしていると、タイ王国大阪総領事がやってきた。そして、領事から総領事に事の経緯の説明をし、総領事は私と軽く話をししたらどこかに行ってしまった。
なるほど、領事は総領事が来ても私がちゃんと挨拶が出来しかもきっちり紹介ができるように、あらかじめ情報を収集した上で、私に総領事の顔を認識させていたのである。
目下の者が、無礼をしないように、うまく誘導した瞬間だった。

いやあ、緊張しました。

ちなみに、大阪総領事は津波に対しての思慮が深いようで、大阪総領事館のホームページには津波の支援についての記述がある。
今回のブース出店に至った経緯の一つがここにあるような気がします。


それにしても「タイ王国大阪総領事館」と書かれているブースにいるといろんな事が起こる。

まず、イベントの最初のセレモニーの出席者が、胸につけているリボンの返却にやってきた。
急いでそうだったので、私は違うと言って追い払う事もできずに、リボンを預かることに。

「あなた、見たこと無いね。新人?」(なんとなく「私への挨拶はまだなの」というオーラを発信)という様な事を言って身なりのいい方がやってきたり。

「日本語話せますか」と言ってくる方がいたり。

何十年か前にタイで働いていた時のタイの話をしにくるお年寄り。

ロングステイビザの取り方を質問しに来る方。

いろいろです。

全て無碍には出来ません。
私の立場を説明し、失礼の無いように丁寧に対応。

神経使います。

いやあ領事館っていろいろ大変なのね。


そして、京都のタイフェスティバルということだけに、タイ関係の日本人も集まります。

びっくりしたのは私の撮ったドキュメンタリー「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」に映っているかもしれない方のお母さんが現れた事です。
「私の娘はプーケットに住んでいて。津波以前はMというダイビングショップに勤めていて・・・」
で、映画のチラシの写真を見て「あ、Yさん。いまバンコクに住んではるんですよね」

あはははは・・・・

まあ、タイフェスティバルですから、タイ関係者が集まるイベントだから当然そうなんですけど、ちょっと笑ってしまいました。

あと、やはり北部にはまる日本人多いですね。
南部に行ったことがない人がほんとうに多いです。

プーケット、特にバトンビーチは、六本木みたいな所ですから、六本木にいても日本の文化がほんの少ししかわからないように、タイ南部の文化を知るのは難しい場所ではあるのですが。
ビーチリゾートの発展は、南部の文化を旅人になかなか伝えられない環境を作っているのか。それとも、旅人がそう信じ込んでいるからか。南部の文化に惹かれる人は少ないように思われる。


今回は、朝から晩まで一人で切り盛りしていたので、周りのお店を見る間もなかったのですが。隣のブースや裏のブースから食料を調達してどうにかやりくりしました。

最後に、東京のタイフェスティバルと比較して良かったことは、会場が小さいこともあって、ステージとお店との一体感が強ヵったという事でした。
お店の人もステージを楽しめるしね。
このぐらいの規模の方が交流イベントとしてもいい気がします。

もちろん、東京のあの熱気も面白いんだけどね。

また、商業施設なので、一般客もいっぱい来て、たまたま来た人にタイの魅力を伝えることが出来たように思います。
こちらも、ポイントが高いかも。


最後に・・・
今回出店したことで、売上よりも人間関係が出来たことが一番大きかったように思いました。

ラブアースとオーガニックコットンのさをり織り [2007年06月10日(Sun)]
大阪の弁天町のARC200で京阪神を中心にやさしい人たちが集まってラブアースというイベントが開かれました。
あいにくの激しい雷雨がきたり、いつも環状線から見えているビルの下なのですが入ったことがないという人の多い大阪市の再開発系の商業施設で行われ、しかも今回が初めてということでしたが、けっこうお客さんが来ていました。



とはいえ、お客さんの中心は出演者、出展者関係がどうしても多い気がしたのですが。意外と地元の方も来ていらっしゃいました。
特に、野菜が人気という雰囲気だったので、定期的に行えば、それなりに地元の口コミで定着する可能性があるような気がしました。

さて、わたしのブースはというと、ステージが見える所にあって、特等席とはいかないけれど、楽しみながら出店できました。
最初から、ミナルさんや神人さんなど、なじみの深い方が立て続けに出演したりしていたので、出店よりも演奏が見たいという気持ちで来たという要素もあったので、いきなり満足。
その後も、楽しいグループの演奏やダンスがあってステージは最後まで盛り上がっていました。



これだけのメンツが無料で見れるというのは、なかなか無いです。

東京の一極集中型のドカーンとどでかいアースデイがあるのに対して、関西はアースデイがバラバラと行われる傾向があるので、アースデイ前後とは違う時期に、こういうまとまったイベントを組むのもいいかも。

さてさて、今回、お友達になったブースは、オーガニックコットンでさをり織りを作るアトリエSUYOさんです。



さをり織りは、自由に作っていくのがいいと言われているのですが、アトリエSUYOでは、敢えて素材を限定するという「縛り」を設けることで、やさしく且つ新しいさをり織りの世界を作ろうとしているのが面白いんです。

企画などを立てるとき、自由に発想していくというのもいいのですが。意外と何か「縛り」がある方が新しいものが生まれる事ってあるんですよね。
それは、困難を解決しようという気持ちがあるからなんですよね。だから知恵を絞るんです。

しかも、さをり織りとオーガニックコットンという組み合わせは、やさしい人にピンとくるキーワードが二つあるので、付加価値が大きいんです。
うちの扱っている、津波のさをり織りは、フェアトレードとさをり織りという二つのキーワードがあることで付加価値をつけているんです。
もちろん最終的には作品の持っている力が購入につながるわけですが。付加価値があるとスタート地点が違うので、評価を受けるチャンスが増える。

このあたり、こういうクラフトの世界だけでなく、ビジネスにも同様のことが言えると思うんですよね。
もしかすると「縛り」の設定の仕方ってとても大切かも。
3万人越の自殺者内訳 [2007年06月08日(Fri)]
朝日の夕刊の一面に「学生・生徒の自殺 最悪」と書かれていた。
全体では9年連続で3万人を超え、昨年は学生・生徒の自殺者は886人で、中学生が急増したのだそうだ。
てなことで、記事を読み進めていて、恐ろしい事に気がついた。
それは、自殺者の7%が外国人だったということです。
厚生労働省の自殺者の数字は、外国人を含まないものなのだそうで。単純に、警察の発表の数字から、厚生労働省の数字を引くと、その数字が出てくる。

 警察庁   3万2155人
 厚生労働省 2万9887人
   差     2168人 = 外国人

日本に来ている外国人というのは、増加の傾向があるのだが。別の厚生労働省のデータでは2004年現在でも2%に満ちていなくて。ここ10年緩やかに増加をしているものの、ほぼ横ばいという状態である。
て、事を考えると、日本にいる外国人の自殺率は、単純計算で日本人の4−5倍あるってことになる。

日本人も住みにくい世の中ですが、外国人も日本は住みにくい国なんでしょうかね。
日本人でさえ、コミュニティが崩壊しているのですが、外国人はさらにコミュニティに溶け込めない状況があり、自殺という選択をしたのでしょうか。

とにかくなぜ日本人より外国人の自殺が極端に多いのか気になります。

また、外国人は、国籍も違えば立場や渡航目的も様々です。
もしかすると、自殺している層はどこかに集中している可能性もあります。

これを調べていくと、日本の一番弱い部分が浮き上がってくるかも知れません。

ちなみに、学生の自殺が増えた理由は、一つは、自殺予告が流行った影響もあると思うんですよね。それによって、いままで自殺を踏みとどまっていた人も自殺してしまったのも一因だと思います。

もちろん重大な事件なのですが、あまりに騒ぎすぎると、連鎖してしまうってことなんでしょうね。
伝説のスピーチ [2007年06月04日(Mon)]
セヴァン・スズキの地球環境サミットでの「伝説のスピーチ」を読みました。
これが、15年前に、12歳の少女がスピーチしたと思うと、鳥肌が立ちます。
なぜかって、未だに、この問題が全くと言っていいほど解決しているわけでもなく、問題が大きくなってきているということです。

まず「なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。」というくだりでは、ここんところ日本では、選挙で負けたり、株で損をするという事への執着が増えている気がするだけに痛いところです。
たとえば去年、ホリエモンの大騒ぎや、郵政で落下傘候補だなんとか言ってましたが。これって、選挙で勝つとか株で得するという、選挙で負けたり、株で損をするという事への執着そのものなんですよね。

昨今の環境ブームでさえ、選挙で勝つためであったり、株で得するために環境問題に取り組んでいると思われる政治家や企業がいる。
環境に取り組むことで、選挙に勝っても、株で得してもいいと思うんですが。環境対策において一部はというか大きなお金が動いている部分では、あくまでもブランド価値を高めて株価があがるようにしむけ投資を促すためであったり、環境対策に税金を使ったりして選挙対策にしようってので動いている。
まあ、ある程度は必要なんですが、あまりにもそっちに動きすぎな気がしてならない。

スピーチの最後の方に
「おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。」
ってのが出てきますが。
真面目に取り組んでいる方がいらっしゃるとは思いますが。環境に取り組んでいますって、喧伝しているところほど、本当に未来を考えていないのでは?って疑問に思えることって多い気がするんですよね。おそらく、事業規模が大きいから、いろんなことが報道されるから、疑問に思える出来事が表面化していることもあると思うのですが。そんなことを加味してみても、真剣に考えていると思えないことが多すぎるように思うんですよね。

このスピーチを読んでどう思うかは、各人に任せるとして。

このスピーチから15年経って、セヴァン・スズキは今、なにをしていて、なにを感じているのか、妙に気になります。


セヴァン・スズキの
地球環境サミットでの「伝説のスピーチ」

http://www.mable.ne.jp/~alfalfal/densetu.html


みずから学ぶ、地球の危機 [2007年06月02日(Sat)]
愛・地球博以来の約2年振りの名古屋公演が終了しました。
今回は、愛知県を中心に排水処理などのサービスを行っている株式会社エステムが毎年実施し今回で17回目となる「環境フォーラム」で環境朗読劇エコロジーシアター「月のダンス」を行いました。
毎年テーマが変わるのだそうですが、今年は「みずから学ぶ、地球の危機」〜負の遺産をのこさないために〜というテーマで実施されました。(「みずから」を"ひらがな"にしているのは、たぶん「水から」と「自ら」を掛けているんでしょうね)
さて、今回会場となる「日本ガイシフォーラム・レセプションホール」は、かつては「サン笠寺・サンホール」と呼ばれていたところですが、この4月から日本ガイシが命名権を得て名称が変わったばかりだ。新幹線の車窓から見えるこの施設の看板はけっこう目立ち。三河安城での車内アナウンスで叩き起こされたビジネス客がふと外を見るとドーム型の建物とともに目につくので、命名権を得たメリットは大きいかも知れない。
会場の近くは、いわゆる重厚長大型産業が多く、華やかさは全くと言ってないが、どこかなつかしいというか、短期的な利益を追い求める傾向の強い東京や大阪とは少し違った雰囲気がある。
朝、会場に集合すると、若いエステムの社員がいっぱい集まり、準備がはじまるとキビキビと動いているところを見ると、いかにも組織化された企業がやってるという感じで、妙に気持ちが良い。いや、企業というより、メーカー的というか、そういう感じですよね。
こういう動きって、意外とホワイトカラー系の人の方が不得意な事が多いんですよね。
やはり、様々な現場で働いている方が多いことも、要因のひとつなんでしょうね。
さて、本番となる。
私たちの前に、エステムの取組についての紹介があり、その後に、農政ジャーナリストの中村靖彦さんの基調講演がありました。「水の争奪戦が始まる」というタイトルだったのですが、一番面白いと思ったのは「仮想水(=バーチャルウォーター)で考える」という下りだった。
仮想水(=バーチャルウォーター)というのは、生産にかかる水を考慮して、生産物の消費地がどれだけ水を消費したのか計算するというようなことなのだが。この仮想水で考えると、先月の地球愛祭り2007のテーマである飢餓の問題と同じ構図が見えてくるんでよね。
具体的に言うと、牛丼並み盛り一杯で水2トン、ハンバーガー一個で水1トン、月見そば一杯で0.75トンの水が「海外で」消費されていることになる。
別の見方をすると、日本の豚肉の自給率は、30%ぐらいとかいう数字があるのですが、これを仮想水で考えると、日本の豚肉の自給率は5%未満になってしまうのだそうです。それだけ、海外からの飼料が使われているということなんですよね。
いま、麦が穂を垂れていますが、米作の減反の影響で麦を作る農家が増え、国産の生産高が増えてきているのですが、家畜の飼料用となると相変わらず海外の穀物を使って居るんですよね。その影響が大きいようです。
そのため、本来なら、その土地で住む者が消費するはずのものを奪ってしまい。その土地の人が困ってしまう事に繋がるんです。
そんなことで、興味津々のまま講演を聴き終わって、今度はこちらが本番です。
いままでは前座が多かったのですが、今回はトリです。
ちょっと緊張しました。
たいへん好評だったようです。
さて、このイベント、どうも来年も6月の第一金曜日に実施するらしいです。
企業として、社員が企画・運営し、環境問題に取り組むイベントをするというのは、昨今言われる企業の社会的責任において有効なアクションだと思うんですよね。
企業が儲けたお金をNGOに寄付するとか、活動資金を提供するとかそういうのもアリなんですが。やはり「みずから」学び、「みずから」のものとして、「みずから」動くという事が大切だと思うんですよね。
もちろん社員教育という面もおおきいとおもうんですけど。
企業のCSR担当の方、海外の受け売りの言葉を並べ、それに沿ってメニューを埋めるより、実際に行っている事例として、来年のこのイベントを見に行ってはいかがでしょうか。
そちらの方がより自分の会社らしく「みずから」のものとなったCSRを考えるきっかけになるように思いました。
プロフィール

まいける東山さんの画像
まいける東山
プロフィール
ブログ
https://blog.canpan.info/ideaeast/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/ideaeast/index2_0.xml

tsunamicraftをフォローしましょう

canpanブログ大賞
特報!
ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」
まいける東山監督作品 ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」