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10/1(土)・2(日) グローバルフェスタJAPAN2005@日比谷公園[2005年09月30日(金)]
明日から、10/1(土)・2(日) グローバルフェスタJAPAN2005@日比谷公園が開催されます。今回は、サブタイトルを"「知る」から「行動する」へ☆〜ミレニアム開発目標への挑戦〜"とすることで、知識から、具体的なアクションへとのシフトを即するテーマとなるそうだ。

「ギターエイド」のオープニング1日(土)にグローバルフェスタ親善大使の牧瀬里穂さん登場!!
フェスティバル中に、地球サポーターブースに仲村トオルさんがやってくる!
「ODAタウンミーティング」ではUNDP親善大使の紺野美沙子さんが参加します!

ということで、有名人起用で引っ張るつもりのようだが。
やはり、見所は、それぞれの展示だろう。
PR重視のところもあるだろうが、現場に近い人が、会場に来ているケースも多いので、いろいろブースを回って、現場の人と会ってみることをオススメします。
展示会訪問のコツなんですが、初日の朝から行くと、その業界の要人(代表や著名人ではなく、現場の要の人)に会える確率は高いです。
今回は、先日記事にしたピピ島の子供の描いた絵が絵本「みんなのピピ島」を日本で販売している方も、いらっしやいます。そして、その場で、絵本が買えます。
販売を担当している方から、ピピ島の話・ダイビングの話・そして津波当日の話……貴重なお話が聞けるチャンスです!

この絵本も、ここ数日、1日100冊以上売れているそうで、2000部中、昨日現在で、1300冊ぐらいが売れてしまい。この2日間が、今の在庫分を買う最後のチャンスとなるかも知れません。これを逃すと、次は、タイでの増刷を待つしかありません。
販売は「フリー・ザ・チルドレン・ジャパン」ブースです。
私も、この本を出した方に会いに行きます。
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背景にあるものを見る力 [2005年09月30日(金)]
ルネッサンス絵画の再現を試みている人に会った。
彼は、精密画を得意としたイラストレーター(本当はマルチなのだが、一番収入が多いのがイラストだからイラストレーターと言うことにしている)だ。
ルネッサンス絵画は、木の上に、石膏を塗ったり、削ったり、卵の卵黄と顔料を混ぜたテンペラ絵具を塗り。石膏とテンペラ絵具がひび割れないように、何回も何回も時間をかけて、重ね塗りしてゆくことで描けるそうだ。
作成中の作品を見せてもらったのだが、なんとなく、全体的に薄い黄土色で、ハイライトの白っぽい部分と影の部分が、少しだけトーンが違うという感じだった。そして、何層も何層も画材を何層も重ねていくことで、複雑に光が反射し、奥の深い作品が出来上がるというのだ。作品が出来るのは、まだまだ先のことになるのだが、完成が楽しみだ。
古い絵画は、作品が完成するまでに、何層も重ねてあるものが多いのだが、時には、失敗したのか修正した跡があったりすることが、いろんな機器を使った解析の中でわかってくるのだが。
彼の言うには、見る人が、機械を使わなくても、作品の背景にある何かを感じていて、それが作品の深みとしい感じるのではないかと主張していた。
彼も、イラストレーターとして、パッケージデザインとしての果物の絵や、図鑑の精密画を提供してきたのだが、原画と印刷されたものとの違いとを、常に感じていたことからの言葉のような気がする。
印刷物も、カラーの場合、通常、シアン(水色っぽいいろ)、マゼンダ(ピンクっぽい色)、イエローと、ブラックの4色で表現する。また、たとえば地図などは、グレーや緑などの特色と言われる別の色のインクを重ねるなど、何層も重ねては印刷しているのだが。インクが速乾性なこともあり。原画のような深みが伝わらないという。
彼は、人間は、動物的なカンで、ものごとの背景にあるものを見る力があるのだという。だから、ESPカードのテストのように、紙の裏側の図形が読み取れる人もいてもおかしくないという。
ここんところのアートと言われる作品には、うすっぺらさを感じてしまう。なんて嘆いている人も多いと思いますが。おそらくこれも「背景にあるものを見る力」によってなされていると考えられます。
それは、うすっぺらさを感じさせる作品を「よし」とする風潮があるからこそ、そういうアート作品が増えていると考えることも出来る。
あくまでも推測だが、その背景には、「背景にあるものを見る力」が失われている部分があるのかも知れない。
いや、失われているのではなく、シフトしたのではないかという気もする。 「背景にあるものを見る力」は、ものの背後にあるものを感じ取る能力から、「人が求めているものを感じる力」にシフトしたのだ。
その事により、直接会ってもいない人に対し「どうやったらウケる」かという事に重点が置かれるのだろう。
もっと恐ろしのは、どうやったら「相手の求めている解答」を言い当てるかという事に、かなりの労力が使われているという事だろう。そのことが「背景にあるものを見る力」に掛けるパワーを奪い、背景にあるものが見えないため、それが描けなくなる、それが、作品の浅さに繋がっているのかも知れない。
今の時代、とてつもない時間がかかる絵画法である、ルネッサンス絵画の技法を用いることは、もしかすると、「背景にあるものを見る力」を研ぎ澄ますことに繋がるのかも知れない。 そして「背景にあるものを見る力」を取り戻したとき、野生に近い人間性の回復が現代において行われるのかも知れない。
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自殺とビジネス特許[2005年09月27日(火)]
ここ数年、自殺者数が3万人をずっと超えているのだが。自殺者数の推移の警察庁の資料(PDFファイル)を見ると、1998年(平成10年)に、前年の24391人から、32863人という風に、約35%増という具合に、急激に増えている。それから、ずっと、自殺者は、3万人以上で現在まで横ばい状態となっているのである。

当時、私は、インターネット関連の仕事でフリーになって、いろいろ面白い事をやっていたのだが、前途洋々だったインターネットの仕事が急に閉塞感に見舞われるように変化したのが、1998年だった。
この1998年に起こった出来事と言えば、ビジネス特許ブームの到来である。
米国で、1998 7月、連邦巡回裁判所(CAFC)、ステート・ストリート事件判決において、従来の「ビジネス方法除外原則」を覆し、ビジネス方法の特許性を認めたという判決があり、そのころからビジネス特許ブームが巻き起こった。
インターネット業界は、インターネットという世界に繋がれた自由でオルタナティブでもいられたり、デジタルピッピーがいたりと多様性の共存のベクトルがあったのだが。この判決の前後から、インターネットの世界は独占のベクトルに大きく変わった。
いかに速いスピードと、大きな声で、一番のアクセスを確保し、ビジネス特許など知的所有権を振りかざすことで、新しい者の参入を阻止するという傾向である。
その傾向おかげで、多くの創作活動が行き詰まってしまったと体感している。
たとえば、IT関連のビジネスのアイデアだが、音楽配信ビジネス、アフィリエイト、ネットオークション、電子商取引、映像配信、インターネットマーケティングリサーチ、電子メールマーケティング、懸賞、コミュニティサイト、JAVAを使ったゲーム、ネット対戦ゲーム、光ファイバー、無線LAN、xDSL、IP電話などなど、ほとんどのWebビジネス又はITビジネスのアイデアは、1998年までに出尽くし。それ以降、携帯電話のように端末を変えたり、通信技術の発展によって、1994年からのワクワクするようなインターネット黎明期に出てきたアイデアを、実現してきているだけなのだ。
もちろん、その技術開発においては、多くの技術の積み重ねがあってアイデアを実現してきたものなので、高く評価できるものだが。新たなアイデアを生み出して行っているわけではない。既に、出てきたアイデアを、利権にするために、強大な力をつかって、確固たるものにしたという感じだ。
また、1998年以降、いろんな企画を見てみると、いままでにあったものを、いかに違うものに見せるかに終始している事が多い。そして、似たようなものを、違うものに見せるために、以前を否定する事から始める傾向があり。そのため、以前に行われた事を、否定したところからスタートするため、以前チャレンジされたことのノウハウの蓄積が意外に少ない。
また、スピード勝負なので、精度が低くなり、とにかく解りやすいだけのものが好まれるようになった。
この傾向は、ITだけでなく、同時に、SOHOなど、新しく起業しようとする人たちも、自立ではなく、大きなパワーや組織の下で働くタイプにシフトしたり。なにか、わかりやすいキーワードに踊らされ、てっとり早く出来合いのものを組み立てるために、同業者が山のように出てくるという傾向が広まった。
人という生き物は、弱い生き物なので、認められないと生きてゆけない人が多いのだが。 自らのオリジナリティを形にしにくくなるという事は、大きなストレスとなる。
その上、ビジネス特許は、出願した時期の勝負になるし、似たような特許がないかと調べるのにお金がかかる。つまり、スピードとお金の勝負である。オリジナリティがいくらあっても、別の人が、似たようなもの(似たようなものであって、本当はそれぞれのオリジナリティのある別物)があれば、金銭や、余分に、重箱の隅をつつくような労力をかけないと、自分の考えた、オリジナリティのある新しいことが出来なくなる。それは、人の生き甲斐を損ないかねないのだ。
知的所有権は、私も必要だと思うのだが、あまりに過剰だと、硬直性が、創造性をスポイルしていまうことがある。そのため、知的財産が、創造性開発に対しマイナスに働くことになった場合、本来の目的と、現状が一致しないことが発生する。それが、どうも発生しているようなのだ。
そして、ビジネス特許取得に必要なスピードを出すためのエネルギーは、時には、人の限界を超える。人の限界を超えたとき、それは、人の死となる。そのかたちは、事故死、過労死、自殺など、様々な形で現れる。
ビジネス特許に関する裁判と同時期である、1998年(平成10年)7月は、故小渕恵三元総理大臣が就任した時期である。その小渕恵三元総理大臣が、就任してから2年足らずで、過労と思われる形で現職のまま亡くなったのは、人の限界を超えたスピードの影響もあったのかもしれない。
あくまでも、仮説ではあるが、ビジネス特許ブームによる、ビジネスの加速が、自殺者の増加に繋がった一因になっているように感じてならない。
どのようにして、硬直性を減らし、シェア分配し共生してゆくことが、今の世の中の課題なのではないかと思う。


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便利さとともになくしたもの [2005年09月27日(火)]
去年、ビデオ教材の撮影でラオスに行ったとき、気を遣った事がある。それは、仕事の時間である。ラオスでは、日本より、生活にかかる手間がかかるので、生活の時間を大切にする配慮をしないといけないのだ。
それは、とにかく、日本より、生活にかかる労力が大きいからだ。
だからこそ、撮影の都合で、拘束時間が長くなり、仕事の時間が遅くなりそうな時は、相手の事情を聞き、その事情に合わせて、仕事の組み立てをしないといけない。
確かに、仕事の区切りがつかったり、やむない事情で、約束の時間より長く拘束してしまった時、少しでも、余分に払うと、貴重な現金収入なので喜んでくれるが、それはあくまでも、非常事態と捉えないといけない。相手が喜んでいるのを見て、そのまま、続けると、自分の信用を失い、そのうち協力して働いてくれなくなる。
優秀な自動制御つきの家電製品、便利な交通機関、24時間あいている、お店や、飲食店、早くてどこでも繋がる通信網など、日本の社会は利便性を追求してきた。
これは、本来、生活を楽にしようという目的で発展したものだが、どうも、その目的とは違う方向に進んでいるようだ。
それは、生活を豊かにするのではなく、生活を軽んじる傾向に繋がっているように思う。
便利だからこそ、便利なサービスを利用することで、問題が解決できるし、その選択肢が増えた。その事によって、その人が本当に大切なことの優先順位づけに混乱が起こってきているように思う。
たとえば、会社で家族の誰かが怪我をした事を知ったとしよう。でも、同時に重要な仕事があったとします。
このときのアクションとしては、
・仕事をおいて、家に帰る。
・家に帰るけど、家で携帯や通信機器をつかって仕事をする。
・家族か親戚の誰かに、任せて仕事をする。
・これはあまりありえないが、家族以外の専門サービスに任せて、仕事をする。
・ほったらかす。
などが考える。
この選択肢の中には、利便性が増すことで、増えた選択肢がいくつかある。
その、増えた選択肢は、怪我をして不安になっている家族を、安心させる事のできるものは少数派だ。
ラオスなど、生活にかかる手間がかかる地域では、その選択肢が少ないがゆえに、いま、自分がどうするべきかについての優先順位が明確なように思う。
その一方で、便利な社会で選択肢が多いと、他の人と違う判断をした時、説得するのが大変だ。
人、それぞれ、考え方が違う。感じ方が違う。それは当たり前だが。自分の思うようにいかないと、腹が立つ、いらいらするのも、人情だ。
家族が、怪我をした時「私ならこうする」と、一言言う人もいるだろう。新しいモノ好きな人は、相手の事情を考えずに、ついつい興味本位で「こんなサービスがあるよ」とか、勧めてしまう。 選択肢が多いから、それぞれ言うことが出来るし、人によっては、相手の立場を考えずに、こうすれば、もっと効率的だったのに、なぜそうしなかったのかと、責め立てる。
そして、そのときに「このサービスを利用すれば良かったのに」と言われる。確かにそれは、それで、正論かもしれない。
だが、それを、自らが行ったとして、自分の本当の目的を達成できたのかはわからない。
その、相手が出してきた、正論より、正当性を立証しない限り、相手が、自分のとった行動を認めない事がありうる。これが、会社など、仕事を評価し、報酬なり、地位なりを決定する人間に対して行わないといけない。みのみとは、こじれた場合、働いている人にとって、相当な労力が必要だし、下手に逆らうと、より不利な状態になる場合があるので、相手の意見を受け入れるという形で、自分の正当性を曲げてしまうことも多いと思う。
情報化や機械化などで得た便利さとともに、自らの行動の正当性を立証するのが難しくなったと言える。
そのことにより、周りに合わせることに終始し、自分の生活を軽んじる事となり、さらには、自分の人格や、他人の人格なりをも軽んじる事に繋がっているのではないかと思う。
ちょっと、違う例を出してみよう。
洗濯がきらいな、主婦がいたとしよう。
洗濯がきらいだと、洗濯機に洗濯物を入れ、それを出す事も嫌いという事もありえる。
しかし、夫は、洗濯機に入れれば済むじゃないと一蹴してしまう事ができる。
本当は、その夫が、結婚前に、会社の借り上げマンションで、一人暮らしをしていた時のように、洗濯機に洗濯物を入れて、ボタンを押せば解決するのに、自らは行わない。
夫は遅くまで仕事をしているのだから、主婦である妻が、洗濯をしてもらいたいと思っている。 だから、夫は、ついつい「せっかく、乾燥機つきの全自動洗濯機を買ったのだから、洗濯機に入れてスイッチ一つで済むじゃない」なんて言ってしまう。
これを言われてしまえば、時間もある主婦の妻も言い訳できない。主婦である妻は、人格を否定された気がしてしまう。
洗濯機がなければ、洗濯は重労働だから、洗濯が嫌いだという事が正当化されたのだが、乾燥機つき全自動洗濯機が導入されたところでは、その洗濯が嫌いだという、ある種の個性は、否定されてしまう。
確かに、便利になった。
しかし、それによって、人格を否定する事が増えているように感じる。今の日本では、その傾向が顕著で、その感覚を、他の国の人に押しつけてはいけない。もちろん、日本人にもだけどね。
また、不便だからそ、仕事の価値を認めることができるというのも不思議な事だ。



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FMラジオで鳴き砂が聞けます[2005年09月26日(月)]
プーケットの鳴き砂の音が、FMラジオで流れることになった。
番組は、FM東京(FM大阪でも聞けます)で、日曜日の朝に放送している、気になる未来のライフスタイル、地球にやさしい考え方を素敵な音楽とともに紹介している「GOOD ON EARTH」という番組だ。
今回採用された理由は、環境に関してあまり、明るい話題が少ない中。津波により、自然が戻ってきているという事実がとても新鮮だったということだそうです。自然は戻り、観光地としての付加価値は高くなったのですが、観光客のうち、とくに日本人観光客が激減し、地元の人の収入が減り、困った事態になっています。この鳴き砂の音を聞いて、一人でも多く、プーケットに興味をもって、実際に足をはこんでもらい。多くの人が、普通に暮らせるようになって欲しいところです。

私は、番組に登場というわけにはいかないのですが、私の録音した、プーケット・カロンビーチの鳴き砂の音が、ラジオにオンエアされます。今回のラジオ用に、いまWebに公開しているバージョンとは別の高音質バージョンを作りました。
FM東京って、もともとは、FMラジオ放送を開発した東海大学の実験プロジェクトの後を受けて出来た放送局なので、他のFM局より音質がいいのが特徴です。ほらほら、他のFM局の音って、けっこう潰れていたりするのに対して、FM東京の音って、どこか落ち着いているでしょ。そこが、音質の差だったりします。
録音したときは、雨期と言うこともあり、波が高く。波の音が大きくて、耳には聞こえていても、録音がなかなか出来ていなくて苦労しました。
人間の耳って、面白くて。多くの音の中で、必要な音を選んで、そこを強調して聞いて認識しているようで。マイクが拾っている音と、実際に聞こえている音が全く違うという事が発生します。だから、ビデオを撮影するときは、マイクに気を使います。
私の持論なんですが、プロの映像作品と、素人の映像作品との大きな違いは、音声だと信じています。特撮映画で有名な、ジョージ・ルーカス監督は、音声に特に気を使っている監督で、THXという、マルチスピーカーサウンドシステムをつくりだし。映画の音声のために、映画館の音響システムを全く新しいモノにしてしまいました。
ちなみに、THXというのは、ルーカスの最初の劇場作品であり、パイロット判のインディーズフイルムの「THX1138」から取られたという。
ほんと、音って、とっても重要なんですよね。
さて、インターネット経由でない、FMラジオから聞こえる「プーケットの鳴き砂」は、どのようなものだろうか。なんか、ちょっとワクワクします。


FM東京 GOOD ON EARTH

プーケットの鳴き砂の音のサイト


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ピピ島の子供の描いた絵が絵本になった[2005年09月25日(日)]
津波で大きな被害にあったピピ島の子供達が描いた絵が、一冊の絵本になりました。



この本の日本語版を担当している方と先ほど電話で確認したところた、2000部ほど日本に持ってきたのですが、現在1000部ほどが販売されたようです。それでも、まだまだ、いろんな人に伝わっているわけではないし、学校を再興する資金としては不十分なように感じます。
それと、ここんところの、カトリーナそしてリタと続いた、アメリカのハリケーン騒ぎの影響もあり。(インドのベンガル湾近くのタイフーン被害も相当酷いのですが話題になってません) タイ・ピピ島を襲ったインド洋津波の記憶も、風化するというか、薄れてしまっていて、興味が他に行ってしまったりして、根強く支援する必要があるところへの支援がうまくいかなくなりつつあるようです。
壊れたり亡くなった人のことも大切ですが、今生きている人、これから生まれ育つ人の方がもっと大切なので、この本を通じて、ピピ島の学校が立ち直れたらいいですね。

内容については、私が解説するより、下記のサイトで見て頂いた方が良いと思います。

この絵本の公式サイト
The Children Of Phi Phi Island

購入方法は、こちらに掲載されています




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マニュアル依存症[2005年09月25日(日)]
とある展示会での話しである。
この展示会は、その業界の人と、そうでない一般客とで入場システムが違い。その業界の人は、登録すれば無料になるのだが、一般客は有料となる。(後で知った)
私は、その業界のひとではないので、一般客として入場するため、入り口近くのチケット販売所でチケットを購入し、会場に入ろうとした時、係員にチケットを丸ごと取り上げられたのだ。
私は、こういう展示会を見に行くのが仕事なので、そこで入場料を払ったという証明として、半券を保管しておき、それを領収書代わりとしていただけに、それを取り上げられると会計処理に困ってしまう。そこで、半券をもらえるか、領収書が欲しいと係員に言うと、出来ないと言う。このチケットは、半券をお客さんに渡す仕組みになっていないため、券の一部を返却できないそうで。また、領収書の発行は、離れた所にある、事務局にチケットを持っていく事ででしか行わないという。しかし、回収したチケットは返却出来ないと言い張るのだ。
それでは困るので、どうにかならないのかと言っている矢先に、同じ入り口の別の係員でも同様のことで揉めだした。
私の前の係員は、上司に確認するので待ってくれと言ったのはいいのだが。この入り口は、混乱し、係員が右往左往するばかり。会社名の書いた名札をつけ、トランシーバーを持った人もいたが、彼もどうしていいのかわからず。オロオロとしているばかりだ。
同じトラブルで困っているお客さんは、時間がないし、埒があかないというので、自分の携帯電話を書いたメモを係員に渡し、返事をそこにしてくれと言って、走り去っていった。
それにしても、この日は、この展示会の2日目だし、朝一番に言ったわけではないのに、この有様はなんだろう。
トランシーバーを持っている彼も、状況が解らずに、未だに、右往左往としてる。
チケットを受け取った係員は「すみません、お待ち下さい」と言うだけで、思考停止している。 おそらく、マニュアルには、マニュアルに書かれている事以外が発生したら、そこのトランシーバーを持ったチーフの係員に聞けとということになっているのだろう。だから、機械的に「すみません、お待ち下さい」と言うだけで問題解決の行動をしないのだろう。
この混乱が10分ほど続いた時、ある係員が、今のトラブルの状況を聞き直した。すると、「チケットは回収したものと全く同じである必要はないのですね」と聞いてきた。私は「番号が何番が書かれていたかわからないので、どのチケットを渡したのかは、私には解りかねるので、とにかく領収書の代わりになるものを」と言うと。ごそごそと、回収したチケットを取り出して、目の前に置いている「済」のゴム判を押して、返してくれた。これで、解決?
それにしても、この展示会のチケットは、いろんな所から発行されているわけで、その発売場所をチケットの種類やチケットに書かれた番号で分類し、後で、どこで売ったチケットが、動員に繋がったのかの調査に使うのに、適当に取り出したチケットを返してくれるというのは、ちと変だ。しかも、番号を何かの用紙に記録していない様子だ。どうするんだろうねぇ。
要は、今回の事件の発端は、マニュアル不徹底なのだが。自分が覚えていないマニュアルの内容の出来事が起きた場合、急に不安になってしまい、思考も行動も停止し、何も出来なくなってしまうのだ。
仕事が出来るのは、マニュアルに書かれている事で、しかも、そのマニュアルに書かれている事を覚えている場合のみである。マニュアルに書かれている事以外は、思考停止なのだ。 後で出来た係員は、マニュアル以外の応対をし、相手の目的を聞き出し、そして、ゴム判が置いてあったことを見ると、マニュアルに書かれていた内容に従って処理をしたということになるのだろう。
最初の係員は、機械的にマニュアルに書かれたとおりでしか応対をしていなかったことで、相手の目的を聞くチャンスを失ってしまったのだ。そして、わからないから、そこのチーフに聞きに行ったのはいいが、相手の目的を聞いていないわけだから、チーフに説明出来るわけがない。そのチーフも、何か起きたから、対応しなければならないという事は認識していても、どうもイレギュラーだという雰囲気に飲まれ、パニックになってしまったようだ。
だからといって、トランシーバーで何か話していたとしても、5分ぐらいたっても他の社員らしき人もヘルプに来ないというのは、組織的に崩壊しているとしか思えない。私が主催者なら、このイベント会社とは、今後、契約しないだろう。
一通り、展示を見て、再入場も可能なので、昼ご飯を食べた後、15時からの哲Jさんのディジリドゥを聞こうと思ったのだが。再び、この入り口を入るのがめんどくさくなったので、そのまま帰ることにした。

今回の件だけでなく。マニュアルが無くなったり、マニュアルから外れると行動出来なくなる、マニュアルがないと行動出来ないという「マニュアル依存症」が増えている。

こういう人の中には、研修中は、分厚いマニュアルを、次々記憶してくれ、成績がいいので、実戦に送り込むのだが、マニュアルの文章は覚えていても、対応が出来ない人がいる。この場合は、マニュアルに書かれている事の目的と意味を理解せずに、文章を覚えているだけのために、ちょっとイレギュラーがくるとパニックが起きて、思考と行動が停止してしまうのだ。 面白いのは、このような事件が起きた後、今後事件が起きないようにするにあたって、どのような行動に出るのかというと、さらにマニュアルを読んで覚えようとするのだ。そうすることで、さらにマニュアル人間になっていく。
マニュアル作成者は、なにかイレギュラーな事が起きると、それに対応した内容を、マニュアルに書き加えていくので、マニュアルは分厚く複雑になるばかり。こう分厚くなると、覚える方も大変である。
人によっては、マニュアルを覚えられない事増えた事で、不安要素が増え、イレギュラーが来たときのフリーズしやすくなる。

なんか、こういう人が増えると、そのうち、ロボットかなんかに、置き換えられてしまうような気がします。
なんで、こうなってしまったのでしょうかね。

あるNPOの方が言っていたのだが、NPOにボランティアに来ている人にも「マニュアル依存症」が蔓延しているそうだ。
現場は、マニュアルに書かれていないことが日常茶飯事に起こる。そんなとき、マニュアル依存症の人は、NGOの中心人物に、指示を仰ぎにやってくる。
そうすることで、せっかく人手を増やしたから楽になるかと思えば大間違いで、指示を仰ぎに来るボランティアの対応が集中して、以前より増して仕事が忙しくなったそうだ。
これじゃあ、本末転倒ですね。

今の日本では、「自分の力で、物事の本質を見つけ出し、自分で考え、行動する。」そんなことが出来る人が貴重な世の中になってきているようです。
どのようにしたら、「自分の力で、物事の本質を見つけ出し、自分で考え、行動する。」そんな人が育つんでしょうかね。
残念ながら、どうも今は、そんな人が育ちにくい状況であることには違いないようです。
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ミャンマーのNGOへ[2005年09月23日(金)]
取引先から連絡があり、何だと思ったら。いろいろ、手伝ってくれた、ラオス人の彼が東京に来ているということで、そのついでに歓送迎会を行うとのことだった。で、行ってみると、歓送迎会に、ラオス人の彼も参加するという感じでした。
ラオス人の彼は、半年ぶりだったのだけど、全然、以前と変わらない感じで、再会した。今は、関西にいるので、関西弁を覚えたのかと聞くと「勉強してーや」(神戸弁を中心に、値切るときに使う言葉「もっと安くして下さい」いう意味)という言葉を覚えたらしい。
さて、今回の主賓は、得意先を退職する方で、退職後は、NGOの一員としてミャンマーで働くという。
ミャンマーは、タイとインドの隣の国バングラディシュとの間にある国で、かつてはビルマと言われていた国である。(ちなみに、北側は、ラオスと中国と接している)
そして、ミャンマーというと、アウンサンスーチー女史が有名で。91年にノーベル平和賞を受賞したにも関わらず、長期間自宅軟禁を余儀なくされている。
政治囚だけでなく、麻薬、貧困問題があるなど、様々な問題を抱えている。
ここんところ、取材で通っている、タイ・プーケットにも、多くのミャンマー人が、正式な手続きかどうかわからないが働きにきている。
アムネスティによると「タイ国内で働くビルマ人移民労働者は、タイの最低賃金よりはるかに低い賃金で雇われ、不健康な状況下で長時間労働することが日常的になっており、しかも恣意的な逮捕や国外追放の危険に曝されている。」そうだが。タイ国内では、何十万人ものビルマ人移民労働者が漁業、衣料工場、メイド、建設業、ホテルやレストラン、農業など様々な産業で雇用されている。タイ経済が繁栄するにつれ、俗に「汚い、危ない、みっともない」と見られる業種に就く人々の数が減っている。ビルマ人労働者たちの流入により、この穴が埋められている。ただでさえ、あまり給料の高くないタイ人より、安く働いていて、それでも、自国で働くよりマシということで、タイ国内に来ているという事を考えると、相当深刻な状況なのであろう。(とはいえ、これって日本も状況があまり変わらないよね。飲食店で働いているのは外国人だらけだし・・・)
だからこそ、その問題の解決の一助に・・・NGOとして支援に行く事にしたのだろう。
また、ミャンマーでは、情報に対する規制がきついようで、見ることの出来ないサイトが多かったり、メールも監視されているとのことだ。それと、回線のスピードも関係しているのだと思うが、hotmailが使えないという話しも。
とはいえ、ミャンマーは悪い国ではない。行ったことのある人は、50年前の日本のようだという人もいて。日本が経済発展の中で忘れてしまった事が、そこに残っていることもあるそうだ。そして、そこにどうもはまってしまうらしい。
とにかく、ミャンマーで働いた経験は、おそらく、日本にも役立つのでないかと思うので、是非、無事に任務をこなしてほしいと思います。

参考ページ
BurmaInfo


■そのほかの貧困問題の話題を読む
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商店街ブログは手作り感覚[2005年09月21日(水)]
プーケット系ブログが面白い [2005年09月12日(月)]と以前書いたが、地域やコミュニティと密着した面白いブログがいろいろ登場している。
今日は、その一つを紹介します。
それは、福岡県筑後市の”玄関口”JR羽犬塚駅に隣接する中央商店街のブログ(http://plaza.rakuten.co.jp/fureai2010/)だ。
ど素人が集まって、一生懸命やっているというブログで。プロが関わらず、手探りで、やっているという感じで、他のブログに比べると、完成度は低い部類に入るのだが、熱意や努力については、他に負けないものがあると感じる。
まず、好感が持てるのは、人の顔が見えるということです。ここんところの、個人情報保護法とかいう、法律を拡大解釈してしまって、その人のパーソナリティが見えないブログが多い中。書いている人の写真が見ることが出来ます。まあ、もともと、お店の人だから、顔が看板なので、顔を今更隠す必要がないということもあるのですが。ブログの基本である、パーソナリティの表現をしています。
とはいえ、まだまだ手探りでやっているという感じですが。もともと商売人の方が作っているので、もとからあるコミュニケーション能力と、パソコンでの表現方法がバッチリ合えば、ブログが大化けする可能性を持っています。
特に、福岡の通勤圏では、インターネット対応マンションも増えているそうなで、マーケティング的にも、面白そうですね。
まだ、今のところ、ほとんどセール情報などが中心ですが。いろんな、イベントと連動したりと、実際に街に来てもらえる工夫をしているのも素晴らしい。

それと、このブログは、どこどこが指導して始まったというより、商店街の中から発生したという感じがするんです。その根拠は、サイト作成の教科書どおりじゃないんですよね。街のチラシ屋さんは噛んでいるかもしれませんが、Webプロダクションだとか、広告代理店はまず噛んでいないと思います。
このブログを作っている人からの情報によると、やはり、完全に、町の人の手作りなんだそうで、商店街にある空き店舗に、パソコンを置き、商店街で共用しているそうだ。同時に、パソコンの学習会を開き、お互いに技術を切磋琢磨しているのだそうだ。
個人でブログをやっていると、カンのいい人は、いろんな所から情報を集めてきて、様々なトライをして、ブログが上手になっていく訳ですが。目の前で、一緒にやりながら覚えていく方が、多くの人が同時に、ブログが上手になりやすいという利点がある。

それにしても、自分たちで始めたという部分は、かなりの強みだ。
かつて、商店街やショッピングセンターの販促の仕事をしていたのですが、別の所からお仕着せになってしまった状態でのプロジェクトって、オーラが悪いし、うまく行かないんですよね。で、失敗したら、提案した会社のせいにして終わりです。本当は、主役である、自分たちの熱意がなかったから、成功しなかっただけなんですけどね。
まだまだのよちよち歩きのブログですが、生きたプロジェクトになりやすい、ブログだと感じています。

ただ、残念なのは、全国の多くの商店街が展開した、バーチャル商店街と同じところで、引っかかっているという感じがする部分があります。これは、このブログが悪いのではないし。体験しないと解らないことがあるので、一様に悪いとは言えないのですが。バーチャルな商店街の振興や支援をしている所が、きっちりと、指導というか、良い例と、悪い例の情報の共有化をしていないことから出てきているのではないかと思います。
まだまだ、よちよち歩きのブログですが。ちょっとした、切っ掛けで、大きな成果を出しそうな予感がしています。
それまで、ちゃんとした、サポート体制を整え、無理せず、根気強く続けてもらいたいと思います。
今後も、注目してゆきます。

近いうちに、現地に行って、どのように運営されているかの現場を見てみたいと思います。
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消費者の視点で選ぶ限界点[2005年09月20日(火)]
9/17に" 「木づかいのススメ」〜国産材利用で日本の森を育てよう"というシンポジウムに参加してきた。
これは、10月に行われる「モーニング娘。“熱っちい地球を冷ますんだっ。”文化祭2005 in 横浜」に出るにあたって、国産材のことについて、あらかじめ、いろんな話しを聞いておきたかったからである。
今回のシンポジウムの主催は、財団法人 日本木材総合情報センターとNPO法人 グリーンコンシューマー東京ネットが行い、
コーディネーター
川井秀一氏(京都大学教授 日本の森を育てる木づかい円卓会議議長)
パネリスト:
稲本正氏(オークヴィレッジ代表)
篠崎良夫氏   (株式会社ローソン 執行役員 CSR推進ステーションディレクター)
秋庭悦子氏(NPO法人グリーンコンシューマー東京ネット理事)
という、学術研究、商品開発、流通、消費者の代表が集まった形となった。
全体の概要を、川井さんが話し、それぞれの取り組みの発表があり、簡単なディスカッションと質疑応答をすると、あっという間に時間が過ぎました。
コンビニさんも、頑張ってはいるようですし。商品開発も進んでいて、見た目の良い製品や成果が出てきつつあるようです。そして、消費者の見る目も肥えていることもわかりました。
しかし、それと同時に、今行っていることの限界を感じたのです。
現在の取り組みの多くは、国産材の魅力を再発見してもらうためのカッコイイ商品づくりや、間伐材を利用した商品を造り間伐をする必要性を訴える商品、地球温暖化の対策をする意識を高めるディスプレイ、高級国産材を使った高品質なものなど、啓蒙することを目的にしたものか、いわゆる見た目のいい商品、高額商品が中心となっている。
これは、機能性やカッコイイという付加価値という価値観をもたせることで、消費者の選択に任せ、多少、高価でも購入に繋げ、その後、大量に生産することで、安くさせて普及させるという手法であるが。この方法が、本当に輸入材を国産材にシフトさせるのに役立つかは、いささか疑問点がある。
その理由は、川井さんのレポートの中にあった。住宅の建材などは、消費者の選択の余地があるのだが、こういう製品の国産材利用率は高いのだが。パルプや合板の材料のような、消費者からすれば、安いという理由で選択肢が減ってしまうし、国産材かどうかが目に見えない事により、知らない間に使っている製品に限って。ほぼ100%といっていいほど、輸入材が使われているという現状がある。
そこには、消費者の活動の限界があるような気がするのだ。消費者の目がいくら肥えていても、選択肢が無くなっていては、チョイスのしようがないのである。
消費者は目に見えたものでしか、情報が得らず、その中で、商品を選択しているのにもかかわらず。原型を留めない形のものは、消費者の見目も役に立ちにくい。これは、食品業界も同じで、たとえば、コーンスターチなども、遺伝子組み換えでない商品を選択出来ない状態になっているし、コーンスターチになっていると、これが、遺伝子組み換えか、どうなのか消費者には見分けがつかないのである。こういう状態になってしまっては、消費者の視点で選ぶ限界を超えてしまっているように思う。
また、毎朝配られる新聞とその折り込み広告や、レジメなどで配られる大切な情報が入った配布物において、情報が必要なわけであって、その紙が外材を使っているか即座に判断出来ないし、国産材以外を使っているからと言って、拒否することが難しい。
本気で、国産材の利用を促進し、国内で森をメンテナンスが出来る構造をつくるのであれば、別にカッコイイことではなく、ごく普通なことや、目に見えないところをシフトしないと、達成出来ないように思う。
とはいえ、現時点では、啓蒙するというミッションと捉えて、カッコイイ商品を作ったり、有名人に使わせて、カッコイイ商品を使っている事を見せることも大切だし、私のように、広報のお手伝いとしてイベントに出るのも同様の啓蒙行為なので、活動を否定するつもりはないが。根本的な問題を解決しないために、上滑りをして、結果が出ないという事になりかねない恐れがある。結果が出ないと言うことは、次の活動のモチベーションに関わるから、さらに恐ろしい。
消費者の視点で選ぶ限界を超えた部分をどのようにシフトしていくのかが、国産材利用促進だけでなく、多くの環境問題や消費者問題の根本的な問題点だと思う。


「木づかいのススメ」〜国産材利用で日本の森を育てよう! 開催概要  http://www.greenconsumer.jp/event/symposium2005.htm

※同様のイベントは、京都などでも行われるみたいです。
詳細は、NPO法人 グリーンコンシューマー東京ネットのWebページに掲載されていますので確認してみて下さい。


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