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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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モンゴルに関するメモ [2018年03月16日(Fri)]
モンゴルにご縁が出来そうな予感。

モンゴルの市民の政治参加やコミュニティづくりの話を聞きました。
首都、ウランバートル市には、区にあたるバク、その下にホロという自治体があるらしい。
ホロも選挙が実施されるらしい。

モンゴルは伝統的には遊牧民なのですが、都市に出てきて定住する人が増えているらしい。
仕事を求めて、ゴミの集積所の近くに居住する事が多かったそうですが。
今は、そのゴミの山は、町中から郊外に移されたらしい。

社会主義が終わり、どんな地方でも何でも政府が買ってくれるという事が無くなり、遊牧民の生活を維持するためには、相当のスキルが必要となり。それに対応できない人が首都近辺に集まるらしい。

元々が遊牧民なので、家族親戚のつながりはあるのですが、いわゆるコミュニティを維持するのが不得意らしい。
8月頃に、元の遊牧民の地域に戻る帰省があるらしい。
地方ではゲルという建物に使う大きなフェルトを作るらしい。

定住化が進む中で、どのようにモンゴル人にあったコミュニティを作るか課題。

移住者の住む町の小さなブロックごとのエコグループで野菜を作る取り組みがあり一定の成果。
羊毛を使ったプロジェクトで出来た人形を使って、子供たちによる環境をテーマにした人形劇を行いそれが好評だそうな。

いまのうちは、元遊牧民の文化を知っている都市住民がいるが、今後は減っていくであろう。

羊毛は価格が低下。
モンゴルで加工かることが少なく。
羊毛を中国に輸出して、製品となったものを輸入していることが多いらしい。
都市化したモンゴル人は中国に行って、商品を買い付け、モンゴル国内で販売する事で生活している人がわりといるらしい。

できれば、地域のコミュニティで仕事が作れるようにしたいとのこと。
浄土ヶ浜deクリスマス [2011年12月19日(Mon)]
岩手県宮古市の浄土ヶ浜ビジターセンターで「浄土ヶ浜deクリスマス」というイベントを実施しました。さをり織りの体験会と環境朗読劇エシカルシアター/エコロジーシアターの上演の二本立てです。


小さなお子さんやお母さんもさをり織り体験。


田老や八木沢の作業所から織機を集めてきての体験会。
出来上がった作品も集めてきて展示したのでちょっとした「三陸さをりプロジェクト(仮称)」の作品展示会になりました。

後半は環境朗読劇エシカルシアター/エコロジーシアターです。
地球環境財団の助成で実現しました。
演目は「星ふりくまのこ」と「世界からのメッセージ」
会場は巨大スクリーン。


待ちきれない子どもたちが、プロジェクターで映し出された波の映像で遊びます。


「星ふりくまのこ」は、手入れのなされない森林による生態系破壊の問題をクマの親子の視線で伝えるお話です。
中山由佳さんの迫真の演技を交えた朗読で少し大人向きの内容でも小さな子どもさんも最後まで見てくれました。


最後は「世界からのメッセージ」の上映です。
震災直後、被災地では家財道具が流され、電気もなく、もちろんインターネットが接続できない状況がありました。
その一方で、世界の国からは日本の被災地を応援するメッセージがインターネットを通して届きました。
それは、欧米のような豊かな国だけでなく、昨年地震にあったハイチ、未だに紛争から抜けられないハイチ、七年前に津波にあったインドネシア、タイ・・・・。スラム・・・。
いろんな国の様々な事情のある地域から、心温まるものでした。
しかし、インフラの揃わない日本の被災地では受け取ることが出来ませんでした。
今回の上映をして、初めて、このようなメッセージが届いていたと驚いている方ばかりでした。

映写が終わり。
ひとつの国際小包を開けました。
その中には、タイの津波孤児施設「バーンターンナムチャイ」から届いた、津波にあった子どもたちが手描きをしたクリスマスカードが入っています。
今日来てくれた方達と、その方の大切な人の分を持って帰っていただきました。

本日来場していただいたみなさんありがとうございました。

ちなみに、クリスマスカードに書かれている住所に手紙を送ると、タイの津波のあった子どもたちに手紙が書けます。

いっそのこと自販機を屋台に変えてみては [2011年03月27日(Sun)]
地震と津波による6か所の火力発電所と2か所の原発が止まって首都圏は電力不足になっています。
そこで、提案なのですが。自販機を屋台にすればいいんじゃないかと思うんです。

理由1 消費電力を抑えられる

飲料水の自販機の消費電力は、一般家庭の1軒分と言われています。
6000台減らせば、東京ドームひとつぶんの消費電力を抑える事が出来るわけです。
それだけ減らせば、東京ドームでナイターの野球の試合が開催できるわけです。

理由2 雇用対策

タイの津波被災地にコカコーラが提供した屋台が写った写真です。



これの写真の左側に写っている赤い屋台は、スマトラ島沖地震の津波で流されて仕事を失った被災者のためにとコカコーラによって提供された屋台です。

自動販売機には、人が必要ではありませんが、屋台には人が必要です。
つまり、雇用が生まれるのです。

震災をきっかけに、非正規雇用者を中心に大量に首切りが発生しています。また、原発事故のあった付近の人は、日本全国に疎開をしています。その方の雇用先が必要です。
自動販売機をやめて、屋台にするだけで、数万単位の雇用が生まれます。

今回の津波では、おそらくコカコーラを飲んで救援が来るまでの長期間生き延びた老人と少年が保護されるという事が起きました。コカコーラは、この際ですから、日本の被災地に、コーラの屋台を提供してはどうかと思うわけです。
イメージアップ確実です。


理由3 町に会話を取り戻します

屋台というのは、商品を買う時に会話をします。
一方、自販機に向かって話しかける人を見かけたら、ちょっとびっくりしてしまいます。
屋台をつかって、町に会話を取り戻す事ができるのではないでしょうか。


理由4 生きがいづくり

街にある自動販売機を観察すると、頑丈なかぎがかかった飲料水の自動販売機を見かけます。



これは、飲料水の販売会社が軒先を借りて直接管理している自動販売機についていたりするんです。
どういう所にあるかというと、ご高齢の方が経営している店、または店の跡にあります。
ご高齢で商売をする元気のない方は自分の店の自動販売機の管理ができなくなります。だから飲料水会社は、会社が管理するから、自動販売機を置かせてもらっている土地代というか、そういうお金を置かせてもらっている方に支払います。
お年寄りにとっては、これはとても楽だと最初は思うのですが。
自販機にトラブルがあったり、一部の商品が売り切れた場合、お店で対処できないんです。それが、引退なさった商売人の方にとっては、「お客さんに申し訳ない」と罪悪感にかられるわけです。
また、どの商品を入れるか、ホットにするか、アイスにするかの判断も、飲料水会社任せになって、自分の裁量権はありません。
言い方を変えれば、自販機が人としての生きがいを失っているとも言えます。

じゃあ、屋台にすれば、高齢者は働けないのという疑問がわくと思うのですが。
屋台のオーナーになってしまえばいいわけです。
つまり、屋台を貸して、若い人に働いてもらうってわけ。
手間はかかりますが、若い人とも話が出来るし、自分の知恵を若い人に伝授したりして、生きがいが出来ます。


理由5 町の治安維持効果

天才バカボンに「レレレのおじさん」っていますが。
通りがかりの人に必ず「お出かけですか」と聞きます。
時には、泥棒にも声をかけ、泥棒はビビるわけです。
つまり、通りがかりの人に声をかけるというのは、犯罪の抑止効果があるのです。

屋台での営業は、黙っていては売り上げが上がりません。
通りがかりの方に声をかけることで、その屋台で買う切っ掛けができます。
そのことによって町の治安を良くする事が出来ます。


いろいろメリットがありますよね。

しかし、自販機を減らすと公益事業にデメリットが生じる場合があります。
最近は自動販売機で商品を買うと、福祉施設や町内会、サッカークラブなどにお金が落ちるしくみが流行っています。
だから、自販機を減らすと、公益性のある事業の財源を減らす可能性があります。

じゃあ、それと同じ事、屋台でやれば、問題解決ではないでしょうか。
公益事業の資金になる屋台で買い物をするってことです。

お買い上げいただいた方に「ありがとうございます」と生身の人が言えるのがいいですよね。
そうすりゃ、もっと役に立つ屋台で買いたくなりますよね。
しかも、会話が生まれる事で、公益事業の説明をするチャンスもできます。


てなことで、この震災をきっかけに、自販機を屋台に変えると、いろいろ社会の問題が解決されるかも。
災害を音楽の力で乗り越える [2011年03月24日(Thu)]
災害で人が集められないということでイベントが自粛なり中止となっている事が多いのですが。こんな時こそ音楽だと思うんだよね。
阪神大震災の時の神戸市役所の南側にあったフラワーテントはもう伝説になってしまったけれど。被災者や被災してないけどテレビやネットニュース、恐ろしい噂などで漫然と恐怖を持った人が、音楽に取り組む事で癒されるし。聞いた人も癒される。
世界中、日本中から寄せられた、様々なスタイルの支援ソング。プロも素人もボーカロイドもいろんな人が歌う。その歌声を聞いて、思わずわらってしまってもいいし、涙を流してもいい。
でも、きっと、音楽の力で苦難を乗り越える事が出来ると思う。そう信じている。

残念ながら、こんなときに音楽をするのは難しい。
みんな気が立っているから、やかましく聞こえる人もいるかもしれないし。
だから、防音装置のある施設を使う事になるのだが、その施設は限られているし、災害で仕事を失った人はその施設を借りるお金もなくなる。
音楽仲間と死にわかれたり。避難したり、転勤になったりと、いつもの仲間で音楽が出来なくなることもある。
災害に乗じて、自らの権威を見せつけようとする人たちも、自粛という言葉を使って、苦難を乗り越える力を持つ音楽を拒む。恐怖は人をコントロールしやすいからだ。
そのために、音楽を続けるための仕組みが崩れる。すでにイベント会社が倒産した。
音楽には必ずメッセージがあるから、そのメッセージによっては、災害の混乱に乗じて命をも狙われることもある。
とにかく、いろいろあるけど。
災害を音楽の力で乗り越える事が出来る。


Prayers from kibara for Japan 〜祈り〜 キベラから日本へ

ケニアのスラムの子供たちが
日本のために歌っている。
日本のために泣いてくれている。
日本のために祈ってくれている。


東日本大地震 被災者応援歌 「みんな がんばれ」(オリジナル)

一人で多重録音して作ってくれています。


東北地方太平洋沖地震 チャリティーソング(3月11日)



「がんばれ東北」応援ソング。『この素晴らしき日本~What A Wonderful Japan~』

ギャンドルのもとで家族と一緒に、替え歌を歌う。


台湾チャリティー応援ソング「Believe(相信愛)」日本語字幕付

アーティストが力をあわせて日本のために。


【重音テト・和音マコ】いつでも【震災復興支援ソング】

PCを駆使して、人工音声とCGアニメで表現。


A Song for Japan...

まるで愛と感動の映画のエンディングのよう。


FOO "For You"

歌詞がわからなくても、世界に伝わる。
今をリアルに伝えている歌詞がいい。


world we have - a song (#prayforjapan)



地震の被害にあわれました皆様への支援ソング (姫菊版)

楽器が無くてもOK


"Phoenix" (The Rising) Jeff Mills for Japanese Relief Mission

テクノの大御所も。いつもと違う抒情的トラック。


R45から東北地方太平洋沖地震の被災地の皆様へ『R45 feat. RIDDIM HUNTER』

津波が襲った国道と同じ名のユニット。
地元ならではの今の気持ちが伝わる。

もっと強くなれ。人に愛されたぶんだけ。
もっと強くなれ。君の悲しんだぶんまで生きるのさ。


参考 mixiコミュ「災害を音楽の力で乗り越えよう!」
助け合い [2011年03月24日(Thu)]
震災が起きて10日以上が過ぎました。東京にいる自分は被災者でないのか被災者なのか、支援者なのか支援されている人なのか、全く分からなくなりました。ただ自分が助け合いの輪の中に居ることだけが事実。

今回、ブログに書いてませんでしたが。
2月下旬から3月上旬にかけてタイにおりました。

カンチャナブリのお寺に、仏舎利塔が出来るので、その法要のお手伝いです。
お寺には、いろいろと、お世話になっているので、仏教書、Tシャツ、さをり織りの販売を手伝ってきました。売れると、タイの津波被災者や、お金がないということだけで学校に行けない子どもたちの教育費用を賄えるので頑張りました。
日本でもびっくりというぐらい売りまくりました。日本でもこれだけ売れたらいいなと思いました。売れたら売れたで在庫のリスクを負いますが・・・

そして、バンコクに戻って、タイフェスの準備。
久しぶりに、いきつけの日本料理屋に行って、バンコクの店の情報を得て、無事完了。

しかし、その夕方に、持病が発症。
薬局に駆け込む。

翌朝、パンガー県の津波被災地に移動。
バイクという車いすを得て、約80キロ圏内にある施設やプロジェクトを廻る。
これからのシーズンのための仕入れ。

さをり織り研修センターでは、新しい製品がいろいろ出来てる。
これは売れると確信するものもありました。

持病の事を気にしてくれた。ありがたい。
とはいえ、みんなに言いふらして散々笑い物にしてくれました。
おかげで、自虐ネタ完成。
辛い表情をするより、爆笑した方がなんぼかマシ。

児童養護施設もはしご。
これから、子どもたちが夏休みに入るので、その間にできる作業を発注。

ナムケムの村には、新しいホテルが完成間近。
プロモーションのために写真撮影。

そして、プーケット空港に向かう車の中で、ある津波被災者から「日本って、地震や津波が多いと聞いてるけど大丈夫か」と聞かれた。
私は「よく地震や津波が来る。しかし、しばらく特大が来ていない。歴史から紐解くと近い将来起きる可能性が高い」と答えた。
その1週間後に、東日本大震災が起きるとは全く予想もしていなかった。

持病の方は回復傾向にあったが、車いすで帰国。
タイ航空さんや成田空港さんにはお世話になりました。

そんなことがあり、地震が起きた後、家族の無事を確認した後に、タイの津波被災地で会った方などにメールを送った。

いろんな返事が来た。6年前の津波で繋がった世界各国から。

タイの津波被災者たちが、日本のために募金をしているとか。
原発事故が報じられると、国際電話で「バンコクに逃げてこい、家は確保するから」という輩まで現れる。海外ではどのように報じられているのか心配になる。
とはいえ、逃げられる場所があるというだけで安心できる。

日本国内でも同様の事が起きた。
ツナミクラフトは、東北地方に取扱店が多く、たくさん売って支援していただきました。しかし、今度は、こちらが支援する立場になりました。

その一方で、被災地とは言いにくい、被災地でもある東京に、「困ったら、諫早に来い」とか、西日本から次々と連絡が来る。
ありがたい。

タイから電話があり、岩手県の困っている地域のニーズにあった支援をしたいという連絡がある。毛布がたくさんあるという申し出だったが、カンが働いて、独断で断りをいれた。裏付けをとるために宮城に入り込んでいる知人と連絡を取ると案の定でした。

そんなことで、いろいろ絡まり過ぎて、支援をしているのか、されているのか全く分からなくなった。

でも、自分は助け合いの中に居る事は確かだ。

ありがたい。
みんなで分け合えば、できること。/イクラ [2011年03月22日(Tue)]
今度は日本から・・・
というか、被災地なのか被災地でないのかよくわかんない東京近郊からの発信。

みんなで分け合えば、できること。/イクラ
高齢者でない公営住宅に住む単身世帯は孤独死の確率が高いのでは? [2010年10月27日(Wed)]
公営団地での孤独死は65歳以上は7割超というニュースがあったのだが。ちょっと待て。
孤独死するには基本的に単身世帯ではないといけないわけですが。公営住宅に単身で住むというのは、高齢者以外では難しいはず。
長寿社会になり、7割強が65歳以上の高齢者の孤独死というのはしごくあたりまえで、下手すると65歳以下の単身世帯の孤独死の確率が高い疑いがある。

なぜ、公営住宅に単身の高齢者が多いかと言うと。
・入居条件を満たしているから。
・配偶者や家族を亡くして、そのまま住み続けているから。
である。

逆に高齢者でない人が公営住宅に住むことは難しい。
公営住宅法で規定では、
・50歳以上のかた
・身体障害者福祉法による身障者のかた
・戦傷病者特別援護法による戦傷病者のかた
などがあるんだけど。

戦傷病者なんて、いまどき元自衛官しかなれないでしょう。(いま武器三原則を変更しようとしている流れの中で、今後はわかりませんが)
海外で傭兵となった人が、戦傷病になった場合は、適用してくれない気がするんですよね。

それに、2009年に、当時の原口厚生労働大臣が、単身者でも入居できるように見直すような話をしているわけで。単身者は住めないと言っているようなものです。

しかも横浜市では60歳以上しか公営住宅での孤独死をカウントしていないわけですから、なおさらです。

てことで、
65歳以上で単身で公営住宅に住むのはよくある話で、しかも高齢だから天命が尽きる可能性が高い。だから、孤独死が多くて当たり前。
それに対し、65歳未満の公営住宅に住む単身者、障害者の孤独死の確率が高いのではないかと思うわけです。
むしろ、本当に困っている人はこちらではないかと思うわけです。


<孤独死>公営団地で1191人 65歳以上は7割超
(毎日新聞 - 10月27日 02:43)

 都道府県や政令市、県庁所在地の計98自治体が運営する公営団地で09年度に誰にもみとられることなく孤独死した人が少なくとも1191人で、このうち65歳以上の高齢者が879人と73.8%を占めていることが毎日新聞の全国調査で分かった。これとは別に、UR(都市再生機構)団地で起きた65歳以上の孤独死472人を合わせると、1日に4人弱の高齢者が孤独死していることになる。【三木陽介】

 厚生労働省や警察庁は孤独死の統計を取っていない。孤独死問題に詳しい北九州市立大の楢原真二教授によると、弱者救済の観点から「60歳以上の単身者」の入居を例外で認めているため高齢化しやすいといわれる公営団地の孤独死の実態が明らかになるのは初めて。

 調査によると、98自治体の公営団地の総入居戸数は約143万戸で、全国の公営団地の総入居戸数(約179万戸)の約8割にあたる。65歳以上の孤独死者879人の内訳で最も多かったのは、東京都営の約400人(正確な人数は非公表)。続いて、大阪府営130人▽神戸市営73人▽名古屋市営42人−−と大都市が上位を占めた。143万戸のうち、65歳以上の単身入居者は約25万8000戸で約18%。自治体別では、大津市(34.5%)▽岐阜市(34.4%)▽神戸市(31.7%)▽岡山市(30.7%)−−の順に高く、地方都市でも孤独死に直面している実情が浮き彫りになった。

 孤独死対策としては、自治会、民生委員らによる単身高齢者訪問や電話での安否確認、緊急通報装置の設置などの回答が目立った。「特に対策はない」と答えた新潟、山口、徳島の3県と大阪、松江の2市は孤独死の数だけでなく、65歳以上の単身世帯数も把握していなかった。

 楢原教授は「団地に住む高齢者は家族らが遠方にいるケースも多く、町内会など地縁組織の役割が重要。行政はきちんと実態を把握し、情報提供や助言などの支援が求められる」と指摘した。

 孤独死の数には、60歳以上の統計しかない横浜市(12人)、静岡県(9人)、北海道(6人)も含まれる。孤独死の定義は「自殺、事件を除き自室でだれにもみとられずに死亡」とした。


公営住宅、単身者でも入居 国の義務付け62項目見直し

 原口一博総務相は5日、国が法令で地方自治体の仕事を全国一律に縛る「義務付け」の見直しで、全国知事会など地方側が要望していた104項目のうち、62項目の見直しに関係府省が応じると回答したと発表した。に単身者でも入居できるようにすることや、保育所の面積基準の一部緩和が含まれている。

 義務付けの見直しは、国の権限を緩和し自治体の自由度を高めるのが狙い。結果について原口氏は「地域主権改革の大きな第一歩」と強調したが、公立小中学校の一学級の児童生徒数など住民生活に身近な基準は現状維持とする回答も目立ち、地方側からの反発も予想される。

 原口氏は、政府が年内に作成する地方分権改革推進計画に62項目を含む見直しの工程表を盛り込み、計画実行のための「新分権一括法案」を年明けの通常国会に提出する方針だ。

 104項目は政府の地方分権改革推進委員会が見直しを勧告した892項目の一部で、原口氏が見直しの可否を4日までに回答するよう求めていた。国土交通省など7府省が応じた合計62項目のうち28項目は勧告通り廃止するなどし、残り34項目は勧告の一部実施など勧告とは異なる見直し内容となった。

 この34項目の主な内容では、国交省が、原則として同居する親族がいないと入居できないへの入居者資格について単身者でも入居できるように見直すが、入居者の収入は月15万8千円以下と定めている収入基準は維持すると回答。厚生労働省は、保育所の面積基準について、東京などの大都市部だけ待機児童問題が解決するまでの一定期間に限り緩和する。

 自治体が特定重要港湾の入港料を設定する際に必要とされる国との協議は「国民経済に影響の大きい港湾」に限定する。

 一方、勧告を完全実施する28項目は、自治体が地元漁港の区域を指定、変更する際の農相の認可権限の廃止(農林水産省)や、公営住宅の最低床面積などの基準を自治体が条例で独自に制定(国交省)、市町村が公立幼稚園を設置する際の都道府県教委の認可手続き廃止(文部科学省)など。

 地方要望の104項目以外でも、総務や経済産業など4府省が計30項目を見直すと回答した。

2009/11/05 22:52 【共同通信】

もっと知りたい ニュースの「言葉」
公営住宅(2008年12月18日)公営住宅法に基づき、都道府県と市区町村が国から補助を受けて建設したり、民間から借り上げたりする住宅。低所得者に安い家賃で賃貸する制度として1951年に始まり、2007年3月末で全国に219万438戸ある。全国平均の家賃は2万円程度。都市部を中心に入居待ちの人が多いことが課題となっており、入居できる収入基準が09年4月以降、現在の月収20万円以下から15万8千円以下に引き下げられる。
議会は何を話し合うべきなのか? [2010年10月19日(Tue)]
武蔵小金井駅前にクラッシック音楽に適したホールがURが建設して来年にも出来るのだが。その件で、小金井市の議会が紛糾している。
そして、国会の方も、なんか揚げ足取りのような状態が続いている。
議会の目的が不明確になっているから、このように状態になっているのではないだろうか?


武蔵小金井駅前の仮称)市民交流センターと呼ばれている建設中の建物


施設が完成すると、市は何十億円の建設費用をURに支払い、しかも、毎年2億円以上の運営費用負担が必要になるということで、疑問の声を持つ市民がいる、いわくつきのたてもの。
小金井市の文化の発信に役立つ効果もあるが、キャパシティが中途半端で、私のような舞台屋さん、イベント屋さんとしては、使いにくいホールで、しかも学校行事でも使いにくいとの指摘もあります。
最近、越してきた私にとっては、完成間近のホールは、すでに市議会の合意の上で進められていたのかと思っていたのですが。どうも、そうでないらしい。
まだ、小金井市とURとの間で契約も済ませていなかったのだそうです。
見切り発車で作って、既成事実を作り、売りつけると言われても仕方がない状態です。
そんなことで、建物が完成間際の状態で、市議会で契約をするか、どうかで、紛糾しているわけです。

ところが、その紛糾している内容がお粗末。
荷さばき用の駐車スペースが、小金井市、住民、企業の複数の所有者にまたがっていて、自分の土地なのになぜホール用に使わせなければいけないのかで、もめている。
本当に多くの人が困る可能性のある事は、将来の利用者であり、同時に将来多額の借金返済や補てんにあたる人の事。
そんなことなど頭にない状態で話が進んでいるらしい。(本日、議会や総務委員会の傍聴している方のツイッターの情報)

よくステークホルダー(利害関係者)と言うけど。
このステークホルダーは、直接の利害関係者だけでなく、将来発生するステークホルダーが存在するはずであるが。現状のステークホルダーだけで話し合いが進められる傾向がある。
今の小金井市のホールに関する話し合いは、地権者というごく一部のステークホルダーだけの話し合いになっているような気がする。
ほんの一部のステークホルダー間の調整は、極端な話、わざわざ議会の中で調整すべきではない内容ではないかと思う。
議会で話されるのは、利害関係者の代表の議員や役人が、今の自分たちの利害やプライドのためだけで話し合うのではなく。将来のステークホルダーの事を踏まえて話し合うのが、未来を見据えた話し合いであり、議会であり議決というものではないだろうか?

議員や首長は、選挙に落ちると、おまんま食い上げなので、現状の利害関係者に訴えかけて選挙に勝ちぬく。
しかし、未来をどのようにするのかを決めるのが、立法の仕事だとしたら、まだ生まれていない人を含む、将来の子どもたちや、転居してくる人など、これからのステークホルダー存在に留意して議決をするべきでしょう。

そんなことで、国会で敵対する政治家の過去をひっかきまわし糾弾することに終始するのは、立法としての仕事をさぼっていると言っていいと思う。
もちろん、なぜ、そんな悪いことが起きたのかを知り、再発防止をするために、問題行動を起こした政治家に事情を聴くのはいいと思う。
それを、人気を取るための吊るし上げの道具にのみ使うのなら、税金泥棒である。

議会の目的は「議決をすることで将来を決めて行く」という事。
「議決をすることで将来を決めて行く」という意識のない出席者ばかりの話し合いは、明るい将来を生み出せないに違いない。
議会を始める前に、議会の目的は「議決をすることで将来を決めて行く」という事を是非共有してもらいたいと思う。

そうするだけで、国会運営なり議会運営がスムーズに行くと思う。

そのうえで、将来のステークホルダーを見据えた会議をひらいてほしい。
それが、未来をつくる話し合いというものだと思う。
ふと子どもの権利を考えてしまった [2010年09月16日(Thu)]
最近、カートゥーンネットワークの「KND ハチャメチャ大作戦」(Kids Next Door)という番組にはまっています。
大人の子どもに対する圧力を、KNDという人種や出身国がばらばらの子どもたちでつくられた秘密組織が子どもたちを開放するために、ガラクタテクノロジーを使って戦う話なのですが。
これが、子どもの行動や思考をよく観察した鋭い脚本、そして、どこか懐かしい世界観で描かれている。
昨日見た話では、校庭からサラダ油が湧き出したことをいいことに、校庭を工場にし、休み時間を利用して子どもたちに労働をさせるという設定。
大人の考えに迎合し休み時間がないことを支持する子どもに対し、主人公のナイジェル・ウノは「僕は、休み時間があるから学校に通っている。休み時間に、無心に遊ぶことで、輝ける。その短い時間が大切なんだ」というような事を言っていました。
「KND ハチャメチャ大作戦」は、子どもが子供らしく生きる時間をもつという、そんな子どもの権利関係の法律で定義しない子どもの権利ってのもあるんじゃないかって考えさせられてしまう。

んなことで、子どもの権利ってものを改めて調べてみたのですが。
国連の子どもの権利条約ってのは、今から20年前の1989年に採択されたのですが、子どもの権利という言葉が出てきたのは、なんと18世紀の終わり1796年にトーマス・スペンスという人が、子どもの自然権に関した『子どもの権利』という本で登場し。その後19世紀のアメリカで子どもの権利運動がおこったそうで、意外と歴史がある。
1923年に「子どもの権利宣言」があり翌年に国際連盟が採択し、1959年に「児童の権利に関する宣言」が国連で採択されたそうな。
しかし、今のアメリカの副大統領のヒラリークリントンが1973年に「定義が必要なスローガン」と指摘したそうですが、いまだに明確に定義できていないと指摘する学者さんたちも多いそうです。
そんな発展途上の状況ではあるのですが、目の前には待ったなしで困っている子どもたちがたくさんいるわけで、たくさんの人たちが子どもの権利をまもるために働いています。中には命がけの人もいます。

今月頭に、スウェーデンのシルヴィア王妃のもと、子どもの権利のための世界子ども賞(WCRRC:World's Children's Prize for the Rights of the Child)の授賞式があったそうで、10年目の今年は南アフリカのネルソン・マンデラさんとモザンビークのグラサ・マシェル夫人が受賞したそうです。過去にはカンボジアのソマリー・マムさんなどが受賞。
しかし、ある情報によると、式に参加した方の中に、自分の国に帰れなくなった方がいるようです。
「子どもの権利」は、人権運動のひとつですが。人権運動は、別の立場からすると不都合な事である場合もあり、時には活動家が迫害を受けてしまう事がある。
何があったかわかりませんが、子どもの権利のために活躍したヒーローが、自分の国に戻れなくなるのは悲しい出来事です。
子どもたちとともに、安心して暮らせることを願います。



子どもの権利のための世界子ども賞(WCRRC:World's Children's Prize for the Rights of the Child)のWebサイト
10か国語に対応してます。

プラートーン島の暮らし 小ネタ [2010年08月01日(Sun)]

プラートーン島は低湿地が多いので車は四駆が基本です。
タイでは信頼の高いブランドいすゞ自動車のエンジンを積んだ特殊車両。
多少の水の中も走行できる。
シンプルな構造はメンテナンスしやすく、トラブルも解決しやすい。
実際、走行中になにかが引っかかり異音が発生するトラブルがあったが、比較的早く問題解決。
ただし、乗り心地は最悪。
スリルを味わうサファリが楽しめたという言い方も・・・



雨水利用。
強烈に雨の降る地域なので、その雨水を利用するわけですが。このタンクに4トンの水が入ります。葉っぱなどが入らないように、雨水が入る口にはネットが取り付けられている。

ちなみに、この地域は電気がきていないのですが、太陽電池と蓄電器を用いた2社の携帯電話中継基地がありました。インターネットも、iPhoneも使用可能。
ただし、電源は自家発電の必要が。
ちなみに、今回、大雨でスケジュールが無茶苦茶遅れたので、夜に船を走らせたのですが、内海は波が静かで、月明かりで十分船が航行できるんです。ちょっとびっくり。
だから、いつでも漁業ができるため、人が暮らしてゆける。



インド洋海岸にちょっと変わった岩があり、そこに祠が建っていました。
タイは仏教国として有名ですが、精霊信仰だったり、ヒンドゥーの神様がいたりします。また、日本のように実際にいた人が神のように扱われ祀られるケースもあります。日本で言う、菅原道真や明治以降の名将などのような感じでしょうか。海にまつわる場所に、海の安全を祈願して、海軍の父と呼ばれる方の像が建っています。
ちなみに、漁村はムスリムが多いのですが、ライオンズビレッジは仏教徒のようでした。


インド洋海岸はむっちゃきれいなビーチが拡がります。
花崗岩をベースとしたいわゆる白砂です。
タイの他の地域では、玄武岩系の湘南ビーチみたいな黒っぽい砂のビーチも多く。この白砂は重要な観光資源で、こんなところに・・・と思えるところにリゾート施設が建っていたりします。



花崗岩系のビーチは、南のプーケット島まで続いており。プーケットのカロンビーチでは鳴き砂が見られます。
数年前に亡くなられたのですが、鳴き砂の専門の先生によると、花崗岩と微少貝の存在が、鳴き砂が発生しやすい条件とおっしゃっていました。
しかも、雨期は波に洗われることが多いので、この地域のどこかに、もしかするともっと鳴き砂があるかもしれませんね。


この日はあいにくの天気で、風が強かったため。
雨合羽はこのとおり・・・・



天気のいい日に行ってみたいです。
かわいいクッキー発見 [2010年07月20日(Tue)]
東京ウイメンズプラザにあるパッチワークというお店で、かわいいクッキーを発見しました。



お団子状のいろんな味のクッキーが7つひっついてお花の形になっています。同じ組み合わせというのがほとんどありません。
そして、パッケージもひとつひとつ模様が違います。

そして、どこから食べるかによって、違った風味になるのがおもしろく、はまっちゃいそうな予感。是非、発見したら手に取ってみてください。

カプカプというところが作っています。作っている工程を紹介しているページもあります。ここで注文もできるようです。
「該当なし」が投票できたら選挙が変わるかも [2010年07月20日(Tue)]
少し時間がたちましたが、参議院選の沖縄選挙区の投票率が全国最低だったそうです。琉球新報の社説に「民主主義が機能不全に陥ってはいないか」と書かれていたそうです。
これは、沖縄県に限った話ではないように思います。
そこでふと思ったのですが、有権者に新しい選択肢として「該当なし」を加えるのはどうでしょう。
そして「該当なし」が有権者の半数または有効投票数の三分の二を超えたら、その選挙区は再選挙となる「サドンレス選挙」ってのはどうでしょう。
サドンレスになると、再選挙のために疲弊するわ、その間は議席はないわで、大変なことになりますが、緊迫感のある選挙になるかと思います。
しかも「白票」も「該当なし」とカウントするとしたら、すごいことになりますよ。


参院選投票率 機能不全に陥ってないか 2010年7月13日 琉球新報社説
第22回参院選沖縄選挙区は投票率が52・4%と全国最低となった。過去の全県選挙と比べても補選を除けば最低の記録だ。民主主義が機能不全に陥ってはいないか。
 最大の要因は、全国で唯一、政権政党が候補者を立てられなかったことだろう。政権へ審判を下す機会が失われれば、有権者の関心がそがれるのは必然だ。
 民主党は米軍普天間飛行場の県内移設を決めたが、それが正しいと思うのなら県民の審判を仰ぐべきだ。それを回避したのは政権政党としてあまりに無責任であり、投票率低下の責めはまず民主党が負うべきだ。
 他党や候補者自身にも責任はある。争点とすべきことが争点とならなかったからだ。第一には言うまでもなく普天間問題だ。主要な3候補がいずれも辺野古移設に反対し、争点がぼやけてしまった。
 消費税増税も関心が極めて高かったが、3候補とも増税反対で一致し、議論が深まらなかった。主要な争点で同じなら、有権者には選びようがなかったと言える。
 だが、子細に見れば違いはあったはずだ。例えば島尻安伊子氏の場合、党本部が「県内移設」、「増税」と二つの争点で本人と異なる政策を打ち出していた。それに反対なら、党中央をどのように動かすのか。
 山城博治候補も伊集唯行候補も、例えば辺野古移設を強引に進めようとする政府をどのように翻意させるのか、断念させるのか。
 いずれも具体策が見えにくかった。低投票率克服へ向け、候補者側にも争点をより浮き彫りにする努力が求められる。
 同時に、それはそのまま、われわれ報道機関にも求められることだ。重い課題と受け止めたい。
 投票率は全国平均も57・9%と前回を0・7ポイント下回った。1980年代まではおおむね60〜70%台だ。長期低落傾向は否めない。
 政権を交代させても、行政の無駄が削減された実感はない。それなのに、4年間は封印するはずの消費税増税を軽々に言い始める。外交を見ても官僚主導は相変わらずだ。これでは政治を信用せよと言っても無理な話だ。
 こうした政治不信が積み重なっての低投票率であろう。民主主義の機能を信頼できない社会とも言える。そんな社会にしてしまった責任を、各政党は正面から受け止めてほしい。
エコビレッジデザインエデュケーションのビデオ掲載 [2010年07月15日(Thu)]
未来TVに、エコビレッジ・デザイン・エデュケーションのプロモーションビデオの日本語版を掲載しました。
エコビレッジ・デザイン・エデュケーションは、持続可能な社会に向けての教育のひとつで、日本やタイなどのアジアの国でも開催されています。



今回、未来TVが日本語化の編集に関わりました。
「法的にちゃんとやってください」の解釈 [2010年07月15日(Thu)]
紛争って、言葉の解釈から起こることが多い。
同じ言葉でも立場が違えばとらえ方が違ってくる。そのために無意味と思える訴訟が起きているようです。
監督官庁の役人に「法的にちゃんとやってください」と言われたもんだから、本当は法に則って手続きを済ませばいいのに、法的に訴えちゃったという事が起きたのだそうです。
共同体としての生活の中では、自分たちで決まりをつくり実践していくことになるわけですが。昭和33年には自活できるようになって以来エコビレッジ的な生活を続けていて、いきなり監督官庁に「法的なこと」と言われ、びびってしまって過剰反応してしまったんでしょうね。
小さなコミュニティでは客観的に判断できずに突っ走ってしまう傾向があり、しかも高齢化していることも思い込みから脱することが難い。しかも生真面目。今回の訴訟に至った、不運な要因ってところでしょうか。
また、訴える前に一言相談してほしかったと職員の方は言ってますが、それは難しいことだと思います。一度、思い込んでしまったら、そういう発想わかないと思います。
役所というか、お店なんかもそうですが、職員たちにとっては日常のことなのですが、利用者にとっては非日常で、一生に一回しか縁のないことも多々あるわけです。だからこそ、話せないこと、相談できないことがある。
しかも監督官庁ということでは、下手な話をすると困ったことになるのではというようなことで相談に行くのに抵抗感を感じるのが人情だと思います。
この記事ではわかりませんが、職員の方が、ちゃんとコミュニケーションを取れるようにしていたのかが気になるところです。

さて、昔、勤めていた会社で「情報発信者が責任を持ちなさい」という社内キャンペーンがあったのですが。これは、指示をきちんと伝える事で、トラブルを減らすことに使われていたのですが。
この数年、実は、もっと奥が深いのではと思うようになってきました。
だから、指示をきちんと伝えるだけでなく、指示以前に言葉の定義が共有されているのか、その言葉が相手にとってどのように受け止められるのか、などを考慮していくことが、情報発信者の責任の一つなのかと思うようになりました。

情報の発信の仕方で、無益な紛争は減らせると思います。


<新しき村>寄付金3500万円返還めぐり無用の訴訟
(毎日新聞 - 07月14日 02:53)

武者小路実篤の「この道より我を生かす道なしこの道を歩く」の言葉が記された門柱がある「新しき村」の入り口=埼玉県毛呂山町で2010年7月9日、大谷津統一撮影
 作家の武者小路実篤が創設した生活共同体「新しき村」(埼玉県毛呂山町)で、住民の親睦(しんぼく)団体「新しき村村友会」が、村を運営する財団法人「新しき村」に寄付した約3534万円の返還を求め、さいたま地裁川越支部に提訴したことが分かった。寄付金の使い道に注文を付けた県教育委員会が「法的にちゃんとやってください」などと舌足らずな“指導”をしたため。財団が返還を議決すれば済んだのだが、返してほしい会と返すつもりの財団の間で無用の訴訟を招いた形だ。

 5月22日付の訴状などによると寄付金は、村友会(寺島洋会長、65年設立)の住民が毎月4000〜1万円を積み立てたお金で、経理担当者が亡くなったことから06〜07年に財団(石川清明理事長)へ寄付。高齢者の生活費や子どもの進学費用などに充てていた。しかし08年10月、財団を所管する県教委から「公益目的の事業だけに使用しなければならない」と指導を受けた。

 元・現村民や支援者らがメンバーの財団は09年11月、寄付金の返還方法を県教委に相談。「法的にちゃんとやってください」などと説明され、それを伝え聞いた会は提訴した。県教委の担当者は「財団が評議会で議決を得れば返還は可能という意味だった。提訴前にもう一度相談してほしかった」と釈明する。

 寺島会長は提訴について「気持ちよくはないが、県も仕事がいっぱいあって大変だったんだと思う。双方納得してお金を戻したい」。元村民でもある石川理事長は「自分たちの蓄えを使えなくなるとは」と県教委の指導に戸惑ったといい、訴訟について「会とのしこりはない。県を責めるつもりもない」と話す。【大谷津統一】

 ◇新しき村◇

 白樺派の作家・武者小路実篤(1885〜1976)が「人間らしく生きる」との理想を実現しようと1918(大正7)年に宮崎県木城町に設立。ダム工事のため住民の大半は39(昭和14)年、毛呂山町へ移った。住民は一緒に農作業や食事の準備をし、余暇は自由に過ごす。最盛期の約4分の1の17人が今も共同生活している。
北の街で野菜を届けること [2010年06月30日(Wed)]
札幌のフェアトレードショップ「これからや」さんにいたら、無農薬野菜の移動販売車が来た。
使い込んだハイエースにたくさんの野菜と食品が積まれている。
この後、北大の方に向かって走り約40軒に野菜を届けるという。
お客さんの多くはお年寄り。安くて安全な野菜とともに、短い時間だけどお店の方との語らいの時を届けているとのこと。



北海道は今の季節はいいが、お年寄りに限らず、冬となるとどうしても家に閉じこもりがちになる。だからこそ、こういうコミュニケーションが人々の生き甲斐や励ましとなる。



今シーズン最後のいちごをいただきました。
ちいさいということと、車で揺られたとのことで、少しお安くしてくれました。



いちごは、本来初夏の果物。
しかし、クリスマスケーキに使用されるとのことで、ハウス栽培が中心となり、いまや冬の食べ物になってしまいました。

また、来年も初夏の旬いちごが食べられますように。
開かれた場所ですから [2010年06月29日(Tue)]
旭川の郊外にある当麻町の「かたるべの森美術館」に行ってきました。



ここは、閉校された学校の施設を利用して作られた知的な障がいと共に生きる仲間たちの作品が展示されているところです。
前日間違えて、閉館日でしかも、同じ団体の別の施設を訪ねてしまって、その時に教えてもらった通りに行くと、一発で行けました。わかりやすい案内ありがとう。

さて、美術館に入ると「こんにちわ」と仲間たちから声をかけられた。
そして「どこから来たの」と聞かれたので「東京」と答えると、遠くから来てくれたととても喜んでくれました。

一階のカフェで拝観料を払うと「今日はワークショップの日なので、よろしければ見てください」と声をかけられた。



二階に上がると、ワークショップを実施しているところが活気に溢れてるのが見えた。

それにしても見応えのある作品です。
アンディー・ウォーホールを思わせるポップアートの作品が壁一面に並ぶと壮観です。
以前は天気図の模写をされていたそうですが、ある時、パッケージデザインの模写をするようになり、描き続けているのだそうです。

そして、B6版のノートを円筒状につなげたオブジェもすごい。
ノートにはなぜか同じ単語が繰り返し繰り返し隙間無くびっしりと書き続けられている。
しかも、食べ物の名前が多い。
この作品は、仲間とアーティストのコラボレーション作品なんだそうです。
書き続けられた膨大なノートを並べ方を変えるだけで、感動が増す。

お昼時が近づいているせいもあり、そわそわしたオーラが漂ってきました。
ふと見ると、作家さんの顔が見えます。
それが、なんとも楽しい。

せっかくだからということで、一階のカフェで昼食をいただいていると、なんとなく職員の方とお話しすることになりました。

お話ししていて、何回も職員さんの口から出てきた印象的な言葉がありました。

それは「開かれた場所ですから」という言葉です。

気持ちよく、かたるべの森美術館で過ごしていたわけですが。
実は、これは、当たり前のようでいて、どうも当たり前ではないことのようなのです。

その日の夜に、別の施設の職員の方に聞いたのですが、このような場作りは相当な努力のたまものなのだそうです。

昨年から、一年掛けて、全国のさをり織りの拠点を回って、障がいと共に暮らす仲間とそのご家族とお話しする機会があったのですが。
さをり織りがこの仲間の唯一の社会との接点だというお話を聞いたことがありました。
障がいの度合いにもよりますが、社会との接点が少ないのだそうです。そのような状態で、なかなか開かれた場所に馴染むのはなかなか難しいようです。

また、障がいと共に暮らす仲間が社会との接点が少ないということは、いわゆる健常者と言われる方もこのような開かれた場所に馴染むのには経験が必要となります。

かたるべの森美術館は、すばらしいだけに、メディアに取り上げられることがるそうです。
しかし、うれしい反面、少し気を遣うことがあるとのことです。

急がずにゆっくりと広げるというのがひらかれた場所を維持するのにいいようです。


ちなみに、昨日間違って行ったところです。



すぐ近くに屯田兵の石碑がありました。
この施設は、大地を切り開くのではなく、共生しながら社会を切り開く、そんな開拓者なのかなって感じました。


参考サイト かたるべの森 http://www.katarube.ne.jp/
  ふらっとかたるべ https://blog.canpan.info/katarubenomori
環境gooに掲載されました [2010年06月24日(Thu)]
ツナミクラフトとギリシャのさをり織りが環境gooに掲載されました。
ギリシャのさをり織りのウミガメは、ギリシャの障がい者が自分で作った作品を売ることで地中海のウミガメの保護を進めようと販売しています。
どこかの団体がコーディネイトして、障がい者の作った商品を買ってきて販売した利益の一部を環境保護に充てるというケースが散見されるのですが、これは珍しいケースです。



環境goo 「おりがみプロジェクト」のページより

10月に名古屋で環境問題のうち生物多様性に関する大きな会議「COP10」が開催されます。それにあわせたキャンペーンとして、〜10年後の未来を描こう〜というテーマで折り紙にメッセージを書くというアクションが行われています。

おりがみプロジェクトについてはこちら。 

COP10おりがみプロジェクト http://www.cop10-origami.com/
名古屋のまんなかでアースデイ [2010年05月02日(Sun)]
アースデイ愛知in久屋も二日目です。

代々木公園のアースデイ東京とアースデイ愛知と参加してみて気がついたの大きな違いは、同じ街の真ん中といえども、高級市場の消費社会の象徴である百貨店のお客さんがアースデイの会場に立ち寄っているか否かってとこです。



名古屋の場合は、道路を挟んでいるとはいえ、百貨店の目の前で実施しているので、松坂屋とか、その他の百貨店の紙袋を持った方が会場に来て、興味さえ引けば来店してくれます。

渋谷の代々木公園の場合は、ショッピングゾーンと公園が明らかに分離されているので、大きなイベントをやっても、そのテーマにあった人は来てくれますが、そうでない方は来てくれません。
まあ、アースデイマーケットを地道に回数をこなしていることもあり、地元の方の評判も上がってきているようですが、まだまだ一般の方の巻き込みが足りない気がします。

名古屋のアースデイの方は、少し辛口な言い方をすれば、活動は頑張っているのでしょうが、一般の方へのアピールに慣れていないような気がしました。

おそらく、回を重ねていけば、もっと面白くなると思います。

いい芽がたくさん出ています。

たたとえば、玄米と物々交換のできる地域通貨の「おむすび通貨」も、改良してゆけばけっこうおもしろいことになるかもと感じました。



子どもに噛まれた、おむすび通貨の着ぐるみ


注目したプロジェクトもいくつもあったので、そのうち紹介します。
玉川上水を遡る トランジションタウンへ [2010年04月06日(Tue)]
四谷の大木戸門の近くから、小金井公園の近くに引っ越してきました。

ちょうど玉川上水を20キロほど遡ってきたという感じです。

新宿御苑も桜の名所でしたが、こちら小金井公園も桜の名所。
先週末は、花見渋滞が発生。
コミュニティーバスも、増便して二台連続で走っていました。

王子もどうにか、新宿区の保育園から、小金井市の保育園に無事転園できました。
新宿区から小金井市に引っ越してきて気がついたことは、保育園が日本人ばかりだということです。

新宿では日本人と外国人との間に生まれた子供や、外国人が両親のステップファミリー、在日韓国人朝鮮人の方など、すっごく多様な方が保育園に来ていて、おもしろかったのですが。小金井の保育園に来ると日本人だらけでびっくりしてしまいました。

新宿もそうなのですが、小金井は別の意味で弱肉強食の世界があり、おどろいています。
新宿も多いのですが、それ以上に無言でぶつかる人が多い。スーパーマーケットのエレベーター、自転車置き場など、全て早い者勝ち。などなど。

とにかく、日本の閉塞感の原因の一つ「内向き」の傾向が強いようなんです。
これは、小金井市以外でもその傾向はあるのだと思いますが。
ちょいと、びっくりしてしまいました。

そうそう、なぜ小金井市に引っ越してきたかというと・・・
小金井をエコビレッジに転換していく街「トランジションタウン」にしていこうというまちづくりの動きがあるからです。
引っ越し先も、トランジションタウンのプロジェクトに関わっている方から不動産屋を紹介してもらって見つけました。

一見、進学校などもあり教育熱心な街、子育てにいい街に見える街なだけに、もしかすると典型的な内向きな日本社会かもしれない街を、どのようにトランジションしていくのか。ちょいと楽しみです。

白い絵本 [2010年03月28日(Sun)]
下関でのイベントを終えて東京に戻るため、海峡を渡って小倉に寄ることにしました。

小倉駅の南側に、京町銀天街というアーケード街があり、いってみました。
今日は、『第3回さんぽサンデー とほほん市』という古本市が開かれていて、いろんな本が売られています。



この古本市は、古本屋がどどーんと本を売るというのではなく、個人が持っているこだわりのセレクションの自慢の一冊を売るというのが特徴で、昆虫にこだわった本屋とか、宇宙にこだわった本屋など、かなり個性的な本を見栄え良く並べて売るというオシャレな古本市です。

そのなかでも、最もユニークな本を見つけて買っちゃいました。
それは・・・・




白い本です。

表紙も白ければ、中身も真っ白。
製本は上製本なのでかなりしっかりしています。

この白い本をどのようにして使うかというのは、使う人が考えるわけですが・・・

私なら・・・

アイデア1 オリジナル絵本

絵に自信のない人は、直に描かずに、自分で描いた絵をパソコンなどで編集して白い本に張り付けると簡単です。
また、デジカメで撮った写真を活用して、絵本仕立てにするのもいいかも。

アイデア2 リレー絵本

何人かの友達で、リレー式で絵本を作り上げます。

アイデア3 記念品用

送った方が、最初の部分だけ書いておいて、続きをもらった方が作っていくというもの。
学年が上がったりとか、そんなときの記念になります。

みなさんは、白い本をどのように使いますか?

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ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」
まいける東山監督作品 ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」