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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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神戸新聞さんにいろいろ載せていただきました [2012年01月15日(Sun)]
ただいま神戸駅前のHDC神戸で実施している「1.17 とっておきのさをり展in神戸」に関して神戸新聞さんにいろいろと取り上げていただきました。

展示会の方については・・・・
電子版の方に掲載されています。

シンプルな手法が生み出す、無限大の「さをり織り」の魅力

宮古市の田老地区のお母さんのコメントが紹介されていたり。
仮設住宅を巡回して織り繋いだ布と「シンサイミライノハナ」のコラボの写真が掲載されています。

その他に「阪神版」にも記事が載ってました。
どうも「神戸版」にも載っているらしいです。

こちらは、神戸元町駅の近く、トアウエストにあるフェアトレードショップ「One Village One Earth」でのトークイベントの記事なのですが。掲載していただきました。

「One Village One Earth」では、いま、東北の授産施設で作られた製品をセレクトして展示販売しています。
今回は、HDC神戸のさをり神戸と「One Village One Earth」とがゆるく連動して企画が動いています。

記事はこれです。



教えずに引き出す、学び合う・・・・などなど、さをり織りの教室がワークショップの技法そのもののであるというポイントをつかんで記事を書いていただいてます。

よく、さをり織りが心の癒しに役立つというとき、どうしても「無心に織る」という部分がフォーカスされるのですが。
「無心に織る」以外にも、心を癒したり、創造性を高める仕組みがいっぱいあるんです。

そのあたりが、紙面の都合で割愛されてしまう事が多いのですが。
今回は限られた紙面の中に納めていただました。
「こんぴらさん」でツナミクラフト販売開始 [2012年01月04日(Wed)]
三が日が終わりましたが。
去年の大晦日より香川県の琴平の「こんぴらさん」こと金刀比羅宮の参道にてツナミクラフトの販売を開始しました。
「こんぴらさん」は江戸時代に、お伊勢参りに次いで人気のあった神社(当時は神仏習合だったのでお寺でもあった)で、全国から水運や漁を生業にする人が訪れるようになりました。
○に「金」と書いた団扇が大ヒットしてブレイクしたそうです。
「こんぴらさん」は水運の神様ということで、海の安全とかを祈願した以外に、参拝者に大きなメリットがあったと言われています。
それは、全国から漁師や船員など海に関係する人が集まることで「こんぴらさん」が、水運の最先端の情報を交換する場所になっていたそうなんです。
これと同じ事は「お伊勢さん」こと伊勢神宮にも言えていて、天照大神に五穀豊穣を祈願する一法で、お伊勢参りを通じて、全国から農業関係者が集まることで、最新の農業技術を共有する場になっていたそうです。江戸時代に日本が全国的に農業技術が発展した要因の一つと言われています。
「こんぴらさん」は「お伊勢参り」の水運バージョンといえるでしょう。
そういう「こんぴらさん」の歴史に基づいて、参道にあるたくさんのお土産物屋さんの一軒が「単にお土産物を売るのではなく、この場所から情報発信を」ということで、アンテナショップを開店し、そこにツナミクラフトを置いていただけることになりました。
ツナミクラフトは、津波という海の災害の復興から生まれました。だからこそ、海と関わる商売をしている方に知ってもらいたいという事で採用してもらいました。もちろん、かわいいからなんですけど。
そんなことで、是非「こんぴらさん」お参りの際にお立ち寄りください。

店名 紀の国屋 縁(えにし)店

場所 金刀比羅宮の参道 26段目
 (←この地域は、下から数えて何段目かで場所が分かるシステム。一番上までは1368段あるので、かなり下の方です)

ちなみに・・・・
金比羅と言えば、仏陀の弟子の名前でもあるんですね。
長い歴史の中で、古いインドの神様が仏教に混じってチベットや中国を通じて伝わり。似た名前が重なったり。大物主大神という日本の神様や日本の偉人があわさって、今の信仰になっているようです。
故人の遺志では? [2011年10月27日(Thu)]
ある方から被災地の仕事に役立ててほしいとお金を預かりました。
よくよく聞くと、どうも御香典として集められたお金の一部らしい。
たぶん、故人の遺志なんだと思うのですが、ご遺族の関係者から私の所に届く事に・・・。

いま、三陸さをりプロジェクト(仮称)では、体験織りを通じて、さをり織りに真剣に取り組みたい方をリクルーティングしています。田老、宮古、山田の各地域に縦糸作りができる方を最低2名を育成できないかと考えています。
できれば、11月いっぱいで・・・。

何故かというと、冬が厳しくなると講師が派遣しにくくなるからです。
盛岡から岩手県沿岸部に行くためには北上山地を超えないといけません。
その道路が凍結や積雪の危険性があるんです。

だから、今が勝負なんです。

預かったお金は、毎週、盛岡から2時間以上山道を越えて通うさをり織りの講師の皆さま方のガソリン代に有り難く使わせていただきます。

一人でも多く縦糸をマスターして早く独り立ちすることを願って。

感謝とともに、故人のご冥福をお祈りいたします。
新聞、ラジオ、テレビで紹介されました [2011年10月25日(Tue)]
先週の宮古での三陸さをりプロジェクト(仮)のさをり織り体験会の様子が、新聞、ラジオ、テレビで紹介されました。
メディアに紹介される効果は、当事者が評価されたと感じやる気が増すことと、話を理解してもらいやすすくなるということです。

体験会の最中に早速、NHKニュースで放送されたので、がぜんやる気になった方も。

話を理解してもらいやすくなるというのは、新規に話を持っていったら、その周りの誰かが「テレビでやってた」「新聞に載ってた」と言いだしたら、信用してもらえて話がトントンと進むという事があります。
人間は、複数のソースから情報が入ると信用するという特性を持っているので。単独でプレゼンをする前に、別のルートから情報が入っていると信用されるようです。

そんなことで、急激に動き出しました。

その動きに対応できるように、毎週月曜日に盛岡から講師がきてくれるようになりました。
現地化できれば、ぐっと前に進めます。


岩手日報 2011年10月19日



グリーンピア三陸宮古で突然青空さをり織り体験会 [2011年10月20日(Thu)]
宮古市八木沢での体験会の反響を受け、縫製チームの早期立ち上げの課題が出てきました。どうしようと思い宿のグリーンピア三陸宮古に戻ると、近くの仮設住宅の方が布の小物作りを始、サンプル品の販売をしているじゃありませんか。
そこで、制作者に連絡をとってもらい、19日朝8時にフロントで合うことに。

話の流れで、どんな織物ってことになり。

国立女性教育会館や代々木公園で体験織りをするために車に積んでいた織機を思い出し。
見てもらうことに。

駐車場で織機を広げると、バスに乗ろうとやってきた、お姉様方が集まってきて。
突然青空さをり織り体験会に・・・・。



バスが来るまで、交代しながら織る。織る。織る。

昔、機織りや、養蚕の仕事をしていた事を思い出しておばあちゃんが元気に。
仮設住宅の狭い場所でも折りたたみできる機織り機ならできると大喜び。

「じゃあ、こっちの仮設は織る人、こっちの仮設は縫う人、で、あなたは売る人」とチームと守備位置が完成しちゃいました。

すごい展開。
さて、どうなることやら。
三陸さをりP(仮)の第一回体験会終了 [2011年10月20日(Thu)]
宮古市八木沢にある「サポセン」にて17日18日に開催した体験会は無事終了しました。
無事じゃなくて、サプライズの連続でした。

サプライズ1 予定を変更して、急遽、大阪のさをりひろばの城英二代表が宮古まで来てくれました。

サプライズ2 NHKや災害FM、新聞社の取材がありました。ニュースを見て大槌町から「織物をしたい」と車を飛ばして参加してくれた方もいてびっくり。

サプライズ3 たまたま来ていた若い女性が、織りだしたら表情が大変化。最初は織らないといっていたけど、織物の経験がないのにみるみる上達。三時間後には先生となり、複雑な3つの横糸をあやつるテクニックをマスター。普通なら何ヶ月後に教えることなのにと、指導者もびっくり。
さらに、その女性が新しい方に対して指導するように・・・。
さをり織りの面白さ、教え合いが発生。
大化けした人は、この女性だけではないというのもびっくり。

サプライズ4 市役所の産業振興課の方が視察に来てくれました。新しい産業の種を小手いただきました。

サプライズ5 とにかく熱心。さをり織りの城代表曰く「この興奮は30年ぶりだ!」とのこと。






男性もチャレンジ




織り上がった布を広げてみました。
こういう布が5本ほど織り上がりました。

ということで、第一回体験会を開催して、あまりの反響で、かなりの誤算も。
織機の増強。
縫製チームをいかに早く立ち上げないといけないかなど新たな問題も。
さをり織り PRAY FOR JAPAN のニューバリエーション [2011年10月08日(Sat)]
本日入荷。すでに3000本出荷した人気のリストバンドに続き、タイの津波被災者たちが作った PRAY FOR JAPAN のさをり織りのバリエーションが増えます。



人気ですぐに完売になるあの「双子ポーチ」に"PRAY FOR JAPAN"のロゴが入りました。

10月9日10日、大崎駅のイベントにて発売開始します。
大崎駅の南口の歩道橋の上の「手づくり市」にて。

 
茨城県大洗のアウトレットモールでさをり織りリストバンド絶賛販売中 [2011年10月04日(Tue)]
大洗リゾートアウトレットで、さをり織りのリストバンドを販売開始したとのことです。
茨城県沿岸部は東北三県に比べて報道が少ないのですが東日本大震災の津波の被害を受けました。今は原発事故の話題の方が先行していて。いち早く復興に向かっている情報が伝わってきていません。
そんな中、7月16日に営業再開した大洗リゾートアウトレットで、がんばっぺ!茨城、がんばっぺ!東日本というキャンペーンを打ち、その流れでタイの津波被災者が作ったリストバンドの販売が開始されたと言うのです。

嬉しいです。

なんでかと言うと、このタイの津波復興のさをり織りと茨城県とは切っても切れない関係があるんです。
そんな、茨城県で販売し、茨城が元気になるのなら、もう言う事なしです。

関係1 タイにさをり織りを伝えた人は、茨城県立医療大学でさをり織りを教えている。

茨城県立医療大学でさをり織りを教えているチームに、タイの北部の街、チェンマイにさをり織りを教えた方がいるんです。チェンマイに伝わらなかったら、タイ南部の津波被災地にはさをり織りが伝わらなかった。
また、創療祭という大学祭で毎年さをり織りの体験会をやっているそうです。

関係2 タイの津波被災地でのさをり織りを支えた日本人ボランティアは、茨城の大学関係者のカンパで派遣されていた。

ここまで来ると。トリビア的ですが。
津波被災地のさをり織りの初期を支えた日本人ボランティアの福田さんは、茨城キリスト教大学文化交流学科の先生方が呼びかけて始まったアジアンボランティア・サポート基金によって派遣されたんです。
最初は、現在のバーンターンナムチャイ財団の原型となる、ドゥアンプラティープ財団の津波サポートチームに入り。お話キャラバン等の子供のケアに従事するのですが。子どもが学校に行っている間は仕事が少なく。すぐ近くのテントで実施していたさをり織りと出会う。
その後、復興のために作ったクラフトを販売するアンテナショップ「Tsunami Craft Centre」で働くようになります。
津波復興のためのものづくりは、心のケアとか、ストレス解消、短期的な収入源になるとのことでたくさん立ち上がるのですが。販売ルートなど流通面を軽視する傾向があり。不良在庫の山となり継続が困難になるケースが多いのです。
そこで、タイの南部ではイギリス人のカレンさんがポケットマネーで店を借り。近隣の津波復興の製品作りのプロジェクトの商品を販売し。それぞれのプロジェクトの代表が参加する運営会議により合議制で運営されました。

私がツナミクラフトの活動を始めたのは、この「Tsunami Craft Centre」の在り方に共感したからです。
最初は「Tsunami Craft Centre」をサポートするイメージで、福田さんとやりとりをしながら、日本に最新の製品を輸入し。日本のお客さんの声をタイに届けました。
その後、「Tsunami Craft Centre」は閉鎖されるわけですが。
「Tsunami Craft Centre」に尊敬の念を込めて、いままでの屋号「アイデアイースト」から「ツナミクラフト」ブランドに変更しました。

ですので、茨城県の大洗リゾートアウトレットという津波の被災エリアの「流通」で扱っていただけるというのは、感慨深いものがあるんです。

流通がしっかりしないと、津波復興の産業が復活出来ないんです。

さて、福田さんはというと。
タイでさをり織りの魅力に取りつかれ。仙台でさをり織りを学び。青年海外協力隊に応募し。
旧ソ連の中央アジアの国「キルギス」に行き、さをり織りを伝えます。

ゴルバチョフ氏曰く、ソ連崩壊の原因はチェルノブイリ原発事故だったといいます。
その後、旧ソ連の諸国では、社会体制の大きな変化と、一部の資源が豊かな地域以外は経済的にもうまくいかず。自殺率の高い国だらけになります。(日本もそれらの国に匹敵する自殺率がありますが)
そのような国の一つが中央アジアの国「キルギス」です。
さをり織りを通して、生きがいづくりに取り組んだのです。
青年海外協力隊の任期は短く、福田さんが立ちあげたさをり織りは、次の担当に引き継がれたとのことです。

残念な話ですが、日本でもレベル7の原発事故が起き、ただでさえ財政が良くないと言われているのに、長期間にわたり多額の税金を使わなくなっています。
そうなっては欲しくはないのですが、チェルノブイリ以降のソ連と似たシナリオになる可能性があります。

そうなっても、「生きがい」と「流通」がしっかりしていれば、どうにかなるのではと思うわけです。

話はずいぶん逸れてしまいましたが。とにかく、大洗リゾートアウトレットに行ってみてください。

是非、大洗から発する、復興の光を感じてください。
「三陸さをり(仮)」織り始めました [2011年10月02日(Sun)]
震災から半年たち、構想から6カ月でようやく、岩手県沿岸部でさをり織りを織り始めました。
9月30日午後1時に、山田町のやまだ共生作業所にて、さをり仙台から届いた織り機と糸とさをり織りセットの検品に行ったところ。織り機が届いたとのことで、織り物をしたい、織り物に興味のある4人の女性がいらっしゃり。検品もしないまま、いきなり織り始める事になりました。


記念すべき、第一歩の瞬間。



織り機はなんと、タイの津波被災地で使っているものと同じ型。


4人のうち2人は、初心者。あと2人は、裂き織りや大島紬の織り物の経験者。
織り機を流されてしまって、久しぶりの織り機の感触に大喜び。
さをり織りは、自由に織る織物とのことで、きっちりやらなければならないという事がなく、織りが楽しめるとおっしゃってました。
この地域には、織り物をやっていた人が多かったのですが、津波で織り機を流されたり。ながらく倉庫で眠っていてもう動かないものもあるのだとか。
だから、血が騒ぐんでしょうね。
早く縦糸を作れるようになりたいとの積極的。

それと、織り機のコンパクトさにもびっくりしてました。
これなら、狭い仮設住宅や、仮設住宅の集会所でも出来ると、希望がわいてきます。




打ち込みの強弱で模様が出来る事にも感動してました。
いままで強く打ちこまなければならないと教えられてきたのだそうで、打ち込みの強さでいろいろ風合いが変わる事が新鮮だったようです。

また、耳を揃えなければならないと教えられてきたのですが。
わざと耳を出してみると。これがなかなか面白い。


「三陸さをり(仮)」プロジェクトでは。冬が本格化する前に。
まずは基礎固めということで、宮古市を中心に、田老、宮古、山田の三地区で体験織りからスタートし。縦糸作りのできる人を各地区にできることを目指します。


てなことで、「三陸さをり(仮)」が始まりました。
まずは人からということで、地元のネットワークを使って奔走して下さった宮古のOさん。きっかけをつくってくれたNさん。
そして、沿岸部の津波被災地の一番の問題は土地が無いという中で、快く場所を提供してくださったやまだ共生作業所のみなさん。地域の皆さん。
カンパを下さった兵庫県のYさん。
さをり仙台をはじめとするさをり織りの皆さん。
ほんと、いろんな人の力でスタートをきることができました。
感謝。

さて、これからどんな話が織りなされていくのか。
楽しみ楽しみ。

さをり織りは、なんでも織りこんでいくことが出来ます。
この記事を読んだみなさまも、いろんな形で噛んでいただくと、また新しい織りができます。
ぜひご協力お願いいたします。
宮古のTシャツを着て海の民を訪ねる [2011年09月02日(Fri)]
タイの津波被災地には、モーケン、モクレンやその他マレー系など様々な海の民が住んでいます。

今回の調査旅行では、そのうちいくつかの海の民を訪ねました。


パクトリアム村の女性たち。


草木染めを行っているパクトリアム村は、津波の前まで島に住んでいたのですが。津波のために島の形が変わってしまい。今までの場所に住めなくなってしまいました。
そこで、内陸部に作った新しい村に、コミュニティ毎引っ越してきました。



タイ南部には、イスラム教徒の漁村がたくさんあります。
いくつかの村を訪ねるとわかるのですが、村ごとに顔が違うんです。
いまではタイ人として同化して暮らしていますが。このあたりは、海のシルクロードの一部ですから。いろんな民族がこの地に移住して暮らしているのでしょう。


モーケン族の方たちと宮古の「浜守人」Tシャツを着て


文字を持たずに、200年以上前の津波について、口頭伝承で伝え被害を最小限に抑えたモーケン族の方たちです。
この部落では、津波の兆候が見えると、ヤシの木に登るように伝わっていたとのことです。ちなみに1本のヤシの木の定員は3名だそうです。
残念ながら、1歳の子供1名が行方不明になりましたが。それ以外は無事だったそうです。
こちらも、島の形が変わり住めなくなったため移住を余儀なくされたわけですが。モダンな家に住む事になり、伝統的な生活ではなくなりました。
かつての生活は懐かしいけど、今の生活も悪くなく、時代の流れだと悟っているようでした。

そうそう。モーケン族の方が、津波のあとにボランティアに来てくれた日本人が、いまどうしているのか気にしていました。スズキ・ユウキという方だそうです。



ご存知の方がいらっしゃれば連絡ください。
東日本大震災があったのでとても心配なさっています。
タレノーク村の学校を訪ねる [2011年09月02日(Fri)]
2004年12月26日に多くの児童が津波に呑まれた小学校を訪ねました。



海の脇にあった小学校は山に移転し、そこで起こった悲劇の記憶を残すための施設になっています。



移転した学校には、多くの子供たちが通っています。



でも、校舎の片隅に、犠牲になった子どもたちの事が書かれています。

当時の様子はこちらのタイの子供たちが日本に向けたビデオに証言が収録されています。
大きな波が迫り、逃げようとした先に養殖池があり。もうだめだと、子ども同士で抱き合ったが。波にのまれ散り散りになり。山の方で救助されるまで意識を失っていたとのこと。



子どもたちは、日本での震災を受けて、絵手紙を書いてくれています。





下の方の絵には「私たちは頑張ろうと言わなくても良くなりました」との文章が書いてあるそうです。

「がんばろう!」と言わなくなった時、始めて復興したと言えるのかもしれませんね。
さをり織りがもてなすリゾートホテル [2011年08月31日(Wed)]
カオラックにはさをり織りがもてなしてくれるホテルがあります。それは、カオラック ラグーナ リゾートという四つ星ホテルです。



このホテルも10メートルの津波が押し寄せた地域でダメージを受けましたが。今では何事もなかったようになっています。

このホテルのラウンジやロビーの一角に津波被災者たちがつくったさをり織りのクッションがあるんです。





自らのホテルだけでなく地域の復興を願うホテルの支配人の気持ちがリゾートのインテリアとなり。地元の布を使う事により、世界のどこにでもないカオラックオリジナルのリゾートを表現しています。



そして、このホテルというか、この地域のビーチリゾートのウリは。
インド洋に沈む夕日。

何度見ても美しい。
国分寺カフェスローで展示・販売 [2011年08月14日(Sun)]
国分寺のカフェスローで展示販売してきました。



たった一日でしたが、カフェに来てくれた方に体験織りもしてもらいました。



織りものがあるスローライフいいですよね。

そうそう、カフェスローには縄文時代の織り機が置いてあります。



縄文時代の織り機で裂き織りをしているところです。

織り機としては原始的な縦型の織り機。
もしもとは木の枝を利用していたようで、紀元前8000年にはあったそうです。
つまり、織物の歴史は1万年あるのです。

プルトニウム239の半減期が2万4000年以上って事考えると。半分になるまで織物の歴史の2倍かかると思うと。将来の放射性物質の管理はほぼ絶望的な気がしてしまいます。

古い織り機というと・・・・



宮古市の津波に遭った古民家の蔵の中から出てきた「糸繰り」も展示しました。
何十年も使われてないもので、巻かれた布は100年ものの可能性も。
この民家には、南部藩の紋章の入った釘が使われていました。
いやいやびっくり。

以前は、宮古でも絹織物が盛んで、一度、遠野に出荷して遠野ブランドで全国に売られることがあったそうです。
いわゆるOEMですね。
但馬牛を神戸で捌く事で神戸ビーフになると似たパターンとも言えるかも。


それはさておき、カフェスローにこんな三陸関連アイテムも。



10メートルの津波に遭ったにもかかわらず再開した釜石の工場で作ったペレットストーブ「クラフトマン」がありました。

電気を使わないペレットストーブです。
3.11の後、電気が復旧しない間、多くの人を温め続けたストーブです。

送風や排気、ペレットを供給するために、外部電源を必要とするペレットストーブってけっこう多いのだそうです。
例えが悪いですが、東京電力の福島第一原発もそうですが、外部電源に頼らないと動かないシステムって非常時に弱い。

特に寒冷地で電源喪失したら暖が取れなくなるというのは命に関わります。
便利さだけでなく、セキュリティも考えて、ストーブを選びたいですね。
売れるのはいいのですが複雑な気分 [2011年08月12日(Fri)]
東京おもちゃ美術館のミュージアムショップのフェアトレードコーナーに商品を納品しているのですが。震災直後の3月4月は悪かったのですが、5月以降、昨年比、1.2-1.5倍とか、そういう勢いで、第三世界ショップのアニマルコインパースなどが売れています。
油断していると、あっという間に棚が寂しくなってしまいます。



なぜ、東京おもちゃ美術館で売れているかと言うと。
子どもを安心して遊べる場所が限られているからです。

お客さんがたくさん来て、ものが売れるのはいいのですが。
原因が、放射性物質公害ですからね・・・・。

地震と津波をきっかけに起きた原発事故により、放射性物質が撒き散らされるという大規模な公害事件が起き。都内にも放射性物質が拡散し、公園の滑り台や砂場が放射性物質が溜まってしまったことで。公園が子どもが安全に遊べる場所でなくなってしまいました。

だからといって、家の中でじっとしていると子どもたちはストレスを溜めてしまいます。

だから、屋内で安心して遊べる屋内の施設の人気が出てしまったようです。
東京おもちゃ美術館だけでなく、消防博物館も例年より来場者が多いと感じました。

ちなみに、消防博物館では8月28日まで、地震に関しての展示を行っています。
私は、気仙沼の消防士さんたちが書いた、東京の消防隊への感謝の手紙が泣けました。

自らも被災者なのに消防活動を行い、特に工場の火災の現場は全く鎮火せず。20時間連続で消火活動を行っていたところ。3月12日の16時頃に、いつまでも続く、東京から来た消防車の列を見て、これはどうにかなると思ったとか。
自分の家は津波に流されたにもかかわらず、自分は他の人の捜索活動を行わないといけない立場。少し落ち着いたところで、自分の家に戻ったところ、東京消防庁の消防隊が捜索活動を完了させたとの表示がなされていて。ありがたいと思った・・・とか・・・。

大規模災害の恐ろしいところは。
支援したり救助する人が、被災してしまっているということ。

そういう時、遠くから駆け付けてきてくれた人って、ありがたいと思うんですよね。


余談ですが・・・

これは、原発事故の現場も、被災者が復旧作業の一線で働き続けている。
しかも、都合の悪い事に、他の地域の人にお願いしにくい面がある。
放射線量が高いので短時間で工事をしないといけないため、原発の構造とかをよく知っているということで、他の地域からの応援に頼れない部分があるらしい。

特殊であることは、ある程度以上大規模な被害を受けた場合。汎用性がないため、対応が困難になる。

もしかすると、原子力の平和利用を進めて行く時に、やり方を間違ったのかもしれませんね。
原発の現行システムは、原子力のパワーを最大限にということか、巨大なプラントを作ったりと、集中型のシステムになっているわけですが。
もし、鉄腕アトムのように、超小型の原子力システムとして進化し、分散型となった場合。
放射性物質の取り扱いが普通に行われるという事が起こっていたかもしれません。

多くの人が原子力の知識を持ち、リスクを理解しつつ利用していくということが出来たかもしれません。

原子力の平和利用は、巨大化させることで、平和利用出来ない環境を作ってしまったのかもしれませんね。
さをり織りリストバンド2000本販売しました [2011年08月12日(Fri)]
タイの津波被災者たちがつくった「PRAY FOR JAPAN」のさをり織りリストバンドが、出荷ベースですが、5月の世界フェアトレードデイから販売を開始して、本日2000本を突破しました。

ありがとうございます。

夏フェスでも大好評のようで、今日もサマソニも販売しています。
また、時々、どの店で売っているかかという問合せの電話もいただいております。



これで、最初のロットは予備以外完売となりました。

現在、タイでゾウさん中。 今日はタイの母の日なのでお休みですが・・・。
東北から戻ってきました。 [2011年07月15日(Fri)]
いろんな人にあって、プロジェクトの事について話しましたが、岩手県内で活動を始められる見込みがつきました。
日はまた昇る。東の海から太陽が昇る、つまり希望の光が差し始める。そんなイメージです。
中長期的な活動になると思われるので、岩手の冬をどのように越す事が出来るかを前提に、テスト的な導入を繰り返しながら、プロジェクトを組み立てて行く予定です。
今後、1週間単位のボランティア、1カ月単位とかそれ以上の常駐スタッフがが必要になったり。機材関係は揃いつつあるのですが、運転していく資金をどうするかなど、問題は山積みなのですが。なんとなく、わくわくというか、おもしろい事になりそうな予感がしています。
現地レポートなどは追々・・・。
夏フェスでさをり織りのリストバンド販売 [2011年07月08日(Fri)]
東海・関西方面が梅雨明けしたとのことで。いよいよ夏本番です。
夏といえば、夏フェス。
今年の夏フェスにて、津波復興支援のさをり織りのリストバンドを販売します。


夕張のTシャツと
タイの津波被災者たちが作ったPRAY FOR JAPANさをり織りリストバンド


2007年5月に、代々木公園で開催されたタイフェスティバルで、タイの人気ロックバンド「モダンドッグ」の応援に使われたスマトラ島沖地震の支援のためのさをり織りのリストバンド。

その後、その年の6月末に、当時財政破たんした北海道の夕張を支援しようと開催されたキュー・ミュージック・ジャンボリー in 夕張で、GLAYが身に付けた夕張の施設「清水沢学園」が作ったさをり織りリストバンドに魂が引き継がれました。

そして、昨年はアメリカでハイチ支援のためにと、タイの津波被災者が作ったさをり織りのリストバンドが販売され。

今年、3.11を受け、東日本大震災の日本の津波被災者支援のために、タイの津波被災者の作ったさをり織りのリストバンドが作られました。

今回、ap bank fesとフジロックの二つのロックフェスティバルで販売されます。

「ぐらするーつ」ブースにて販売されます。本日、納品してまいりました。
フジロックの方では、民族楽器店の「アバロンスパイラル」でも販売予定です。

是非足を運んでください。
朝日新聞掲載の反響 [2011年07月08日(Fri)]
東京では読めなかったのですが。昨日朝日新聞関西版に記事掲載され、問合せの電話がかかってきています。
資材を提供したい、ボランティアをしたいという方です。
とてもありがたいです。
来週、岩手県に入り、現地調整してきます。
震災から4カ月、避難所解消の目標達成の一方で、実際は戻りづらい状況がある人も多いため、かなり混乱してますが。仮設住宅が安定してきたら、定期的なボランティアも入り易くなるかと思われます。



まだ、現物は手にしてませんが、記事が読めていないとのことで、記事をデジカメで撮って送っていただきました。みなさん、ありがとうございます。


と記事を書いたところ「ピンポーン」



さをり織りの織り機が届きました。

目が悪くなって、使わなくなり、押し入れに入っていたのだそうです。

ありがとうございます。
神戸→タイ→岩手 物資運びツアー 募集中 [2011年06月24日(Fri)]
ブログに掲載し忘れていたのですが、神戸→タイ→岩手 物資運びツアーを募集中です。
プーケットを楽しみながら。
神戸からタイのさをり織り製品の材料として長田の靴工場で余った合成皮革を運搬し、タイから岩手県で実施する災害復興のための心のケアと内職づくりの手作業のプロジェクトのための材料などを運びます。



今回の目玉は日本初企画。タイの津波避難所に宿泊できます。
避難所といっても、体育館に段ボールの仕切りという避難所じゃなくて。
12メートルの高さのところにダブルベッドの洋室があるという豪華仕様。窓からはマングローブが一望できる。
施設内には保育園があり、子どもたちと遊べます。
いわゆる避難施設は、単に高くて屋根があり、食料などが備蓄されているというものですが。
ここは、全く新しい発想で、普段から地域住民や旅人との繋がりを持ち、普段から利用してもらい。災害時に気軽に人が集まれるというもの。
確かに今回大活躍した日本の海岸地域の高台にある体育館やスポーツセンターも同様の発想でつくられたものですが。
平坦な土地には高台が無いのでこのような施設が便利です。




神戸→タイ→岩手 物資運びツアー チラシ


ちなみにタイの他の津波避難施設。

Tシャツを積んだトラックで成田空港から宮城へ [2011年05月10日(Tue)]
スマトラ島沖地震の復興にも尽力したタイの僧侶と慈善団体の一行が来日し津波被災地を回りタイで集まった募金を現地で活躍する団体などに寄付をしたり、支援物資を配布しました。私もそのサポートで被災地に入りました。

私はタイから大量の支援物資が届くので、その通関手続きと被災地への運搬が仕事です。
今回の主な支援物資は、タイのTシャツです。津波の時は雪が降っていましたが、夏になると暑くなるので、下着にもなるTシャツが役に立つだろうということで、何千枚ものTシャツをタイから空輸してきました。

タイのお坊さんと在東京タイ王国大使館に行き打ち合わせをした後、2トントラックを調達し、成田空港へ向かう。
タイ大使館から支援物資への免税の手続きをしてもらっているのですが、ゴールデンウィークのため外務省を通しての手続きが出来ず、免税になるか、ならないかわからない状態で、成田空港の貨物ターミナルに行く。

税関で通関手続きをしようとすると。免税の書類が足りないと職員に言われる。
ちょうどその瞬間に、荷物の依頼主であるタイの住職から電話がかかる。「もし、免税にならなかったら、そのまま支払ってください。今の日本にはお金が必要だから・・・・。」
電話を受けるために席をはずしていたので、受付に戻ってくるとなんか雰囲気が変わっている。どうも免税になったらしい。
私が電話を受けている間に、上のフロアから職員が下りてきて、連絡があったので書類が足りなくても免税の許可をしてもいいと言ったのだそうです。
数日間、免税になるか、ならないかハラハラしていたのですが、どうにかクリア。
2トントラックにTシャツを満載し、一部を宮古市など岩手県内に送り、宮城へ向かう。

高速道路は、那須高原を超えたあたりから路面が悪くなる。
石巻市内に入り津波のダメージを受けたエリアを走る。
地盤沈下して海抜以下になった所は砂利道だが、ほぼ車が走れる状態になっている。
津波のあとは腐敗臭が酷いわけですが、ほぼ気にならないレベルになっていたのに驚きました。しかも、大きな製紙工場がある石巻は相当ヘドロが臭いはずなのですが。それをあまり感じさせませんでした。
商店街も明らかに機械ではなく人の手で清掃したあとの状態でした。
津波から約2カ月で、多くの人が努力してよくここまでやったと感じました。
時期尚早の感想だと思うのですが、石巻はなんとか立ち上がれるという確信を持ちました。
これは、すごいことです。やってる当事者たちは、まだまだ不自由分だと思っているだろうし、被災者たちからすればまだまだやってほしいことが山のようにあると思いますが。いまここで行われていることは世界に誇れることだと感じました。

特に石巻災害復興支援協議会という組織は無茶苦茶すごいです。奇跡的といってもいいほど。


石巻市内にて


石巻専修大学に入りTシャツを納品。
万石浦方面に入り炊き出しチームと合流。



翌日、石巻専修大学に忘れ物を取りに行くと、Tシャツが飾ってありました。
せっかくだからと、トラックに張り付けたバナーの予備を、石巻災害復興支援協議会に渡したら、目の前で壁に貼ってくれました。ありがとうございます。

その後、女川、鮎川、東浦と廻る。
また、炊き出しチームと合流。

昼ごはんは、避難所でもらった期限切れのおにぎり。
避難所の食事は、お弁当も出るようになってはいるが、栄養のバランスは滅茶苦茶。野菜と肉(魚)を満載し味噌をふんだんに入れたスペシャル炊き出しは大人気。
少しよれよれとした、おばあさんが、あれだけ入れて食べられるのというぐらい、器におかずを入れたのにペロッと食べてしまったのにはびっくり。
たんぱく質、繊維質が足りていなかったようです。

今回は、トラックの運転に集中していたので写真はほぼ撮れていません。ごめんなさい。

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