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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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神戸新聞さんにいろいろ載せていただきました [2012年01月15日(日)]
ただいま神戸駅前のHDC神戸で実施している「1.17 とっておきのさをり展in神戸」に関して神戸新聞さんにいろいろと取り上げていただきました。

展示会の方については・・・・
電子版の方に掲載されています。

シンプルな手法が生み出す、無限大の「さをり織り」の魅力

宮古市の田老地区のお母さんのコメントが紹介されていたり。
仮設住宅を巡回して織り繋いだ布と「シンサイミライノハナ」のコラボの写真が掲載されています。

その他に「阪神版」にも記事が載ってました。
どうも「神戸版」にも載っているらしいです。

こちらは、神戸元町駅の近く、トアウエストにあるフェアトレードショップ「One Village One Earth」でのトークイベントの記事なのですが。掲載していただきました。

「One Village One Earth」では、いま、東北の授産施設で作られた製品をセレクトして展示販売しています。
今回は、HDC神戸のさをり神戸と「One Village One Earth」とがゆるく連動して企画が動いています。

記事はこれです。



教えずに引き出す、学び合う・・・・などなど、さをり織りの教室がワークショップの技法そのもののであるというポイントをつかんで記事を書いていただいてます。

よく、さをり織りが心の癒しに役立つというとき、どうしても「無心に織る」という部分がフォーカスされるのですが。
「無心に織る」以外にも、心を癒したり、創造性を高める仕組みがいっぱいあるんです。

そのあたりが、紙面の都合で割愛されてしまう事が多いのですが。
今回は限られた紙面の中に納めていただました。
「こんぴらさん」でツナミクラフト販売開始 [2012年01月04日(水)]
三が日が終わりましたが。
去年の大晦日より香川県の琴平の「こんぴらさん」こと金刀比羅宮の参道にてツナミクラフトの販売を開始しました。
「こんぴらさん」は江戸時代に、お伊勢参りに次いで人気のあった神社(当時は神仏習合だったのでお寺でもあった)で、全国から水運や漁を生業にする人が訪れるようになりました。
○に「金」と書いた団扇が大ヒットしてブレイクしたそうです。
「こんぴらさん」は水運の神様ということで、海の安全とかを祈願した以外に、参拝者に大きなメリットがあったと言われています。
それは、全国から漁師や船員など海に関係する人が集まることで「こんぴらさん」が、水運の最先端の情報を交換する場所になっていたそうなんです。
これと同じ事は「お伊勢さん」こと伊勢神宮にも言えていて、天照大神に五穀豊穣を祈願する一法で、お伊勢参りを通じて、全国から農業関係者が集まることで、最新の農業技術を共有する場になっていたそうです。江戸時代に日本が全国的に農業技術が発展した要因の一つと言われています。
「こんぴらさん」は「お伊勢参り」の水運バージョンといえるでしょう。
そういう「こんぴらさん」の歴史に基づいて、参道にあるたくさんのお土産物屋さんの一軒が「単にお土産物を売るのではなく、この場所から情報発信を」ということで、アンテナショップを開店し、そこにツナミクラフトを置いていただけることになりました。
ツナミクラフトは、津波という海の災害の復興から生まれました。だからこそ、海と関わる商売をしている方に知ってもらいたいという事で採用してもらいました。もちろん、かわいいからなんですけど。
そんなことで、是非「こんぴらさん」お参りの際にお立ち寄りください。

店名 紀の国屋 縁(えにし)店

場所 金刀比羅宮の参道 26段目
 (←この地域は、下から数えて何段目かで場所が分かるシステム。一番上までは1368段あるので、かなり下の方です)

ちなみに・・・・
金比羅と言えば、仏陀の弟子の名前でもあるんですね。
長い歴史の中で、古いインドの神様が仏教に混じってチベットや中国を通じて伝わり。似た名前が重なったり。大物主大神という日本の神様や日本の偉人があわさって、今の信仰になっているようです。
故人の遺志では? [2011年10月27日(木)]
ある方から被災地の仕事に役立ててほしいとお金を預かりました。
よくよく聞くと、どうも御香典として集められたお金の一部らしい。
たぶん、故人の遺志なんだと思うのですが、ご遺族の関係者から私の所に届く事に・・・。

いま、三陸さをりプロジェクト(仮称)では、体験織りを通じて、さをり織りに真剣に取り組みたい方をリクルーティングしています。田老、宮古、山田の各地域に縦糸作りができる方を最低2名を育成できないかと考えています。
できれば、11月いっぱいで・・・。

何故かというと、冬が厳しくなると講師が派遣しにくくなるからです。
盛岡から岩手県沿岸部に行くためには北上山地を超えないといけません。
その道路が凍結や積雪の危険性があるんです。

だから、今が勝負なんです。

預かったお金は、毎週、盛岡から2時間以上山道を越えて通うさをり織りの講師の皆さま方のガソリン代に有り難く使わせていただきます。

一人でも多く縦糸をマスターして早く独り立ちすることを願って。

感謝とともに、故人のご冥福をお祈りいたします。
新聞、ラジオ、テレビで紹介されました [2011年10月25日(火)]
先週の宮古での三陸さをりプロジェクト(仮)のさをり織り体験会の様子が、新聞、ラジオ、テレビで紹介されました。
メディアに紹介される効果は、当事者が評価されたと感じやる気が増すことと、話を理解してもらいやすすくなるということです。

体験会の最中に早速、NHKニュースで放送されたので、がぜんやる気になった方も。

話を理解してもらいやすくなるというのは、新規に話を持っていったら、その周りの誰かが「テレビでやってた」「新聞に載ってた」と言いだしたら、信用してもらえて話がトントンと進むという事があります。
人間は、複数のソースから情報が入ると信用するという特性を持っているので。単独でプレゼンをする前に、別のルートから情報が入っていると信用されるようです。

そんなことで、急激に動き出しました。

その動きに対応できるように、毎週月曜日に盛岡から講師がきてくれるようになりました。
現地化できれば、ぐっと前に進めます。


岩手日報 2011年10月19日



グリーンピア三陸宮古で突然青空さをり織り体験会 [2011年10月20日(木)]
宮古市八木沢での体験会の反響を受け、縫製チームの早期立ち上げの課題が出てきました。どうしようと思い宿のグリーンピア三陸宮古に戻ると、近くの仮設住宅の方が布の小物作りを始、サンプル品の販売をしているじゃありませんか。
そこで、制作者に連絡をとってもらい、19日朝8時にフロントで合うことに。

話の流れで、どんな織物ってことになり。

国立女性教育会館や代々木公園で体験織りをするために車に積んでいた織機を思い出し。
見てもらうことに。

駐車場で織機を広げると、バスに乗ろうとやってきた、お姉様方が集まってきて。
突然青空さをり織り体験会に・・・・。



バスが来るまで、交代しながら織る。織る。織る。

昔、機織りや、養蚕の仕事をしていた事を思い出しておばあちゃんが元気に。
仮設住宅の狭い場所でも折りたたみできる機織り機ならできると大喜び。

「じゃあ、こっちの仮設は織る人、こっちの仮設は縫う人、で、あなたは売る人」とチームと守備位置が完成しちゃいました。

すごい展開。
さて、どうなることやら。
三陸さをりP(仮)の第一回体験会終了 [2011年10月20日(木)]
宮古市八木沢にある「サポセン」にて17日18日に開催した体験会は無事終了しました。
無事じゃなくて、サプライズの連続でした。

サプライズ1 予定を変更して、急遽、大阪のさをりひろばの城英二代表が宮古まで来てくれました。

サプライズ2 NHKや災害FM、新聞社の取材がありました。ニュースを見て大槌町から「織物をしたい」と車を飛ばして参加してくれた方もいてびっくり。

サプライズ3 たまたま来ていた若い女性が、織りだしたら表情が大変化。最初は織らないといっていたけど、織物の経験がないのにみるみる上達。三時間後には先生となり、複雑な3つの横糸をあやつるテクニックをマスター。普通なら何ヶ月後に教えることなのにと、指導者もびっくり。
さらに、その女性が新しい方に対して指導するように・・・。
さをり織りの面白さ、教え合いが発生。
大化けした人は、この女性だけではないというのもびっくり。

サプライズ4 市役所の産業振興課の方が視察に来てくれました。新しい産業の種を小手いただきました。

サプライズ5 とにかく熱心。さをり織りの城代表曰く「この興奮は30年ぶりだ!」とのこと。






男性もチャレンジ




織り上がった布を広げてみました。
こういう布が5本ほど織り上がりました。

ということで、第一回体験会を開催して、あまりの反響で、かなりの誤算も。
織機の増強。
縫製チームをいかに早く立ち上げないといけないかなど新たな問題も。
さをり織り PRAY FOR JAPAN のニューバリエーション [2011年10月08日(土)]
本日入荷。すでに3000本出荷した人気のリストバンドに続き、タイの津波被災者たちが作った PRAY FOR JAPAN のさをり織りのバリエーションが増えます。



人気ですぐに完売になるあの「双子ポーチ」に"PRAY FOR JAPAN"のロゴが入りました。

10月9日10日、大崎駅のイベントにて発売開始します。
大崎駅の南口の歩道橋の上の「手づくり市」にて。

 
茨城県大洗のアウトレットモールでさをり織りリストバンド絶賛販売中 [2011年10月04日(火)]
大洗リゾートアウトレットで、さをり織りのリストバンドを販売開始したとのことです。
茨城県沿岸部は東北三県に比べて報道が少ないのですが東日本大震災の津波の被害を受けました。今は原発事故の話題の方が先行していて。いち早く復興に向かっている情報が伝わってきていません。
そんな中、7月16日に営業再開した大洗リゾートアウトレットで、がんばっぺ!茨城、がんばっぺ!東日本というキャンペーンを打ち、その流れでタイの津波被災者が作ったリストバンドの販売が開始されたと言うのです。

嬉しいです。

なんでかと言うと、このタイの津波復興のさをり織りと茨城県とは切っても切れない関係があるんです。
そんな、茨城県で販売し、茨城が元気になるのなら、もう言う事なしです。

関係1 タイにさをり織りを伝えた人は、茨城県立医療大学でさをり織りを教えている。

茨城県立医療大学でさをり織りを教えているチームに、タイの北部の街、チェンマイにさをり織りを教えた方がいるんです。チェンマイに伝わらなかったら、タイ南部の津波被災地にはさをり織りが伝わらなかった。
また、創療祭という大学祭で毎年さをり織りの体験会をやっているそうです。

関係2 タイの津波被災地でのさをり織りを支えた日本人ボランティアは、茨城の大学関係者のカンパで派遣されていた。

ここまで来ると。トリビア的ですが。
津波被災地のさをり織りの初期を支えた日本人ボランティアの福田さんは、茨城キリスト教大学文化交流学科の先生方が呼びかけて始まったアジアンボランティア・サポート基金によって派遣されたんです。
最初は、現在のバーンターンナムチャイ財団の原型となる、ドゥアンプラティープ財団の津波サポートチームに入り。お話キャラバン等の子供のケアに従事するのですが。子どもが学校に行っている間は仕事が少なく。すぐ近くのテントで実施していたさをり織りと出会う。
その後、復興のために作ったクラフトを販売するアンテナショップ「Tsunami Craft Centre」で働くようになります。
津波復興のためのものづくりは、心のケアとか、ストレス解消、短期的な収入源になるとのことでたくさん立ち上がるのですが。販売ルートなど流通面を軽視する傾向があり。不良在庫の山となり継続が困難になるケースが多いのです。
そこで、タイの南部ではイギリス人のカレンさんがポケットマネーで店を借り。近隣の津波復興の製品作りのプロジェクトの商品を販売し。それぞれのプロジェクトの代表が参加する運営会議により合議制で運営されました。

私がツナミクラフトの活動を始めたのは、この「Tsunami Craft Centre」の在り方に共感したからです。
最初は「Tsunami Craft Centre」をサポートするイメージで、福田さんとやりとりをしながら、日本に最新の製品を輸入し。日本のお客さんの声をタイに届けました。
その後、「Tsunami Craft Centre」は閉鎖されるわけですが。
「Tsunami Craft Centre」に尊敬の念を込めて、いままでの屋号「アイデアイースト」から「ツナミクラフト」ブランドに変更しました。

ですので、茨城県の大洗リゾートアウトレットという津波の被災エリアの「流通」で扱っていただけるというのは、感慨深いものがあるんです。

流通がしっかりしないと、津波復興の産業が復活出来ないんです。

さて、福田さんはというと。
タイでさをり織りの魅力に取りつかれ。仙台でさをり織りを学び。青年海外協力隊に応募し。
旧ソ連の中央アジアの国「キルギス」に行き、さをり織りを伝えます。

ゴルバチョフ氏曰く、ソ連崩壊の原因はチェルノブイリ原発事故だったといいます。
その後、旧ソ連の諸国では、社会体制の大きな変化と、一部の資源が豊かな地域以外は経済的にもうまくいかず。自殺率の高い国だらけになります。(日本もそれらの国に匹敵する自殺率がありますが)
そのような国の一つが中央アジアの国「キルギス」です。
さをり織りを通して、生きがいづくりに取り組んだのです。
青年海外協力隊の任期は短く、福田さんが立ちあげたさをり織りは、次の担当に引き継がれたとのことです。

残念な話ですが、日本でもレベル7の原発事故が起き、ただでさえ財政が良くないと言われているのに、長期間にわたり多額の税金を使わなくなっています。
そうなっては欲しくはないのですが、チェルノブイリ以降のソ連と似たシナリオになる可能性があります。

そうなっても、「生きがい」と「流通」がしっかりしていれば、どうにかなるのではと思うわけです。

話はずいぶん逸れてしまいましたが。とにかく、大洗リゾートアウトレットに行ってみてください。

是非、大洗から発する、復興の光を感じてください。
「三陸さをり(仮)」織り始めました [2011年10月02日(日)]
震災から半年たち、構想から6カ月でようやく、岩手県沿岸部でさをり織りを織り始めました。
9月30日午後1時に、山田町のやまだ共生作業所にて、さをり仙台から届いた織り機と糸とさをり織りセットの検品に行ったところ。織り機が届いたとのことで、織り物をしたい、織り物に興味のある4人の女性がいらっしゃり。検品もしないまま、いきなり織り始める事になりました。


記念すべき、第一歩の瞬間。



織り機はなんと、タイの津波被災地で使っているものと同じ型。


4人のうち2人は、初心者。あと2人は、裂き織りや大島紬の織り物の経験者。
織り機を流されてしまって、久しぶりの織り機の感触に大喜び。
さをり織りは、自由に織る織物とのことで、きっちりやらなければならないという事がなく、織りが楽しめるとおっしゃってました。
この地域には、織り物をやっていた人が多かったのですが、津波で織り機を流されたり。ながらく倉庫で眠っていてもう動かないものもあるのだとか。
だから、血が騒ぐんでしょうね。
早く縦糸を作れるようになりたいとの積極的。

それと、織り機のコンパクトさにもびっくりしてました。
これなら、狭い仮設住宅や、仮設住宅の集会所でも出来ると、希望がわいてきます。




打ち込みの強弱で模様が出来る事にも感動してました。
いままで強く打ちこまなければならないと教えられてきたのだそうで、打ち込みの強さでいろいろ風合いが変わる事が新鮮だったようです。

また、耳を揃えなければならないと教えられてきたのですが。
わざと耳を出してみると。これがなかなか面白い。


「三陸さをり(仮)」プロジェクトでは。冬が本格化する前に。
まずは基礎固めということで、宮古市を中心に、田老、宮古、山田の三地区で体験織りからスタートし。縦糸作りのできる人を各地区にできることを目指します。


てなことで、「三陸さをり(仮)」が始まりました。
まずは人からということで、地元のネットワークを使って奔走して下さった宮古のOさん。きっかけをつくってくれたNさん。
そして、沿岸部の津波被災地の一番の問題は土地が無いという中で、快く場所を提供してくださったやまだ共生作業所のみなさん。地域の皆さん。
カンパを下さった兵庫県のYさん。
さをり仙台をはじめとするさをり織りの皆さん。
ほんと、いろんな人の力でスタートをきることができました。
感謝。

さて、これからどんな話が織りなされていくのか。
楽しみ楽しみ。

さをり織りは、なんでも織りこんでいくことが出来ます。
この記事を読んだみなさまも、いろんな形で噛んでいただくと、また新しい織りができます。
ぜひご協力お願いいたします。
宮古のTシャツを着て海の民を訪ねる [2011年09月02日(金)]
タイの津波被災地には、モーケン、モクレンやその他マレー系など様々な海の民が住んでいます。

今回の調査旅行では、そのうちいくつかの海の民を訪ねました。


パクトリアム村の女性たち。


草木染めを行っているパクトリアム村は、津波の前まで島に住んでいたのですが。津波のために島の形が変わってしまい。今までの場所に住めなくなってしまいました。
そこで、内陸部に作った新しい村に、コミュニティ毎引っ越してきました。



タイ南部には、イスラム教徒の漁村がたくさんあります。
いくつかの村を訪ねるとわかるのですが、村ごとに顔が違うんです。
いまではタイ人として同化して暮らしていますが。このあたりは、海のシルクロードの一部ですから。いろんな民族がこの地に移住して暮らしているのでしょう。


モーケン族の方たちと宮古の「浜守人」Tシャツを着て


文字を持たずに、200年以上前の津波について、口頭伝承で伝え被害を最小限に抑えたモーケン族の方たちです。
この部落では、津波の兆候が見えると、ヤシの木に登るように伝わっていたとのことです。ちなみに1本のヤシの木の定員は3名だそうです。
残念ながら、1歳の子供1名が行方不明になりましたが。それ以外は無事だったそうです。
こちらも、島の形が変わり住めなくなったため移住を余儀なくされたわけですが。モダンな家に住む事になり、伝統的な生活ではなくなりました。
かつての生活は懐かしいけど、今の生活も悪くなく、時代の流れだと悟っているようでした。

そうそう。モーケン族の方が、津波のあとにボランティアに来てくれた日本人が、いまどうしているのか気にしていました。スズキ・ユウキという方だそうです。



ご存知の方がいらっしゃれば連絡ください。
東日本大震災があったのでとても心配なさっています。
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