バイオグラフィ
| 1966年 | 兵庫県西宮市生まれ
生まれも育ちも甲子園。気がついたら・・・・。 技術屋の祖父、造形教育の専門家の両親の元で育つ。 |
| 1982年 | YMOブームに乗り、シンセサイザーを手にする。
以降、音楽から、コンピュータや音響機器、映像機器の操作を覚える。 |
| 1990年 | 追手門学院大学 文学部 社会学科 家族社会学専攻 (善積京子ゼミ)
卒論は「フェミニズムの観点から考察した男性学」 学生時代より、音楽、映像、舞台などの各種創作活動の傍ら、サークル活動、自主制作活動の支援を行う。大学在学中からアルバイトとして働いていたイベント会社に就職の後、出版社、広告代理店と勤める。 |
| 1993年 | 第32回日本SF大会のオープニング映像の監督を務める。 |
| 1995年 | 阪神大震災に遭う。震災ボランティアバンド活動や、オペレッタの音効として参加。 |
| 1997年 | インターネットブームに乗り独立。フリーランスに。
クライアントに、コンピュータ会社やメーカーが多いこともあり、IT系や技術系に強く、テレビ会議システム、インターネットビジネスについて先進的な試みも数々経験。 しかし、ホリエモンになりそこなう。 |
| 2001年 | IT業界に見切りをつける。
今後、この10年で、人間性の再生、コミュニティの再生などの流れが進むとの予想の元に、人脈の再構築から、少しずつ活動を始める。 |
| 2003年 | 国際ファシリテーション協会のファシリテーションベーシックコース修了。 |
| 2004年 | JICAのマルチメディア教材のディレクターとして、遠隔教育や開発教材に関わり。タイやラオスに行く。 |
| 2005年 | パンコクでのサッカー日本代表戦のビデオ取材のついでに、津波の観光風評被害についてプーケットに調査にいった事をきっかけに。ドキュメンタリー「STILL ALIVE」の製作に取りかかる。 |
| 2006年 | 息子誕生。
「ツナミクラフト」タイ・カオラックの津波復興住宅の民芸品販売開始。 市民映像ディレクター育成。 |











