支援のTANE(4)〜「障害」をそれぞれがどう捉えているか? [2018年11月29日(Thu)]
「障害」という話を聞いて思うことは,みなさんでも異なると思います。どんな風に聞こえる言葉でしょうか。
「障害」という書き言葉も,「障がい」とか「障碍」という表記でその伝わり方を変えていこうという動きもあります。自分自身をふりかえって,やはりその言葉の持つ力や意味,どう感じるかをじっくりと向き合っていくことが重要だろうと思うのです。 見た目で分かる障害もあれば,分からない障害もあります。知的障害と発達障害というものも非常に分かりにくい概念でもあります。さらには精神障害,愛着障害という概念も最近では多く耳にすることが増えました。 障害がある=何かができない,何かが困っている,というのは確かなことです。もしそれさえもなかったら,障害があるとは言わなくても良いのですから。何かができない=障害がある,であれば世の中の人の多くがいろいろな場面で障害者になりうるということでもあります。 しかし,世の中は「障害者」ということばが先行するので,困っていることは何かを考える前に「大変な人たち」とか「かわいそう」と(いまだに!!)言われるのです。先に困ったことありき,解決しなければならないことありき,で考えていけば実は問題解決したら障害ではない,という方向になるはずなのです。 「障害があるからねえ」と何でもできない認定証のように,使うことはやはり違う。これからの子どもたちには「障害がある」ということばよりも「○○ができない,苦手」という具体的にできない部分や苦手な部分を伝えていけるような,そういう社会にしたいものです。 「たくさんのことをいっぺんに言わないでよ!」 「もうぼくを巻き込まないで!」 と,現在5歳の,来年から小学生になるある男の子が言ったのを聞いて,なんか納得しました。いま就学指導であっちこっちと母親がぱたぱたしているのです。本人たちにとっては障害とか学校とか区分とかどうでもいいこと。しあわせに楽しめて学習できればそれでよいのです。 彼のように,自分の苦手と得意がはっきりしていればこそですが,にこまるさんの困り感も最終的には自分の困り感を,自分で認識して,どうしてほしいかを伝えられるようになればいいですね! (生涯発達支援塾TANE 櫻井育子) 【かなみのブログは毎週木曜日更新!】 |