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小さな頃に見た机の「落書き」
その時のわくわくする気持ちを
もう一度。。。

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再び南三陸町に。続き。[2011年10月02日(Sun)]
宮城県登米市にあるJDF(日本障害フォーラム)の
みやぎ北部支援センターは
昨日(10/1)その役割を終え、閉じました。


4月下旬から27クールでしょうか。

支援員が、事務局員が途切れることなく、
入り続けた足跡が事務所に
たくさんの写真として残されていました。

センターとして間借りさせていただいた(福)惠泉会若葉園。

お若いにもかかわらず、とても器の大きい、
人情味あふれる、イケメン赤松所長さん。
美味しい手づくりパンの差し入れ、ありがとうございました。


今後JDFは、女川町にあるみやぎ東部支援センターだけを残し、
北部も含めて支援活動を続けて行くとのことです。


ところで、南三陸町ではJDFも参加する
南三陸障害福祉関係懇談が、もう既に来年の3月まで
予定が入っています。

さすがに、驚きました。


そして、このお二人がそれを可能にしたと
言っても過言ありません。
後ろは北部支援センターとしての最後の支援会議が行われた気仙沼の「みのりの園」。

左が三浦薫センター長。右が大野事務局長。

新城で待っています。
再び南三陸町に[2011年10月02日(Sun)]
初めてのJDF被災地派遣から5ヶ月。
再び、南三陸町を訪れました。
もちろん、今も役場は仮庁舎のまま。災害対策本部も。



南三陸町には新城市からも職員を派遣してきたこともあり、
穂積市長さんにも特別の思い入れがあることがわかります。
山の舟歌(新城市長ブログ)
(南三陸町も過疎と高齢化の町。人口規模は旧鳳来町とほぼ同じ。)


奥に見えるのは避難所のあったベイサイドアリーナ。
その前にはプレハブの図書館がありました。



南三陸町志津川地区の瓦礫の山は随分撤去されましたが、
いくつもの重機が動いていました。
女性職員さんが自らの命と引き換えに、
町民に最後まで避難を呼びかけた
あの災害対策庁舎の建物も鉄骨だけが見えます。


でも、二つの季節を過ごしたことが草の緑からわかります。

仮設のガソリンスタンドやプレハブのコンビニが営業を再開。
また、先週初めには秋サケの初水揚げもありました。
少しずつですが、復興に向けて動き始めていることを
感じます。

しかし、その一方で高潮になると海岸近くの道は
冠水して通行できなくなってしまうなど、ライフラインは
ほぼ復旧したものの、大きな痛手も現存しています。


町のあちこちの高台に仮設住宅がつくられていました。
3ヶ所ほど、訪問させていただきましたが、
同じ仮設でも外観は随分異なっていました。



グループホーム「希望が丘」の精神障がいのある人たちが
避難所生活をしていた観光施設(コッテージ)「平成の森」。
まずはレストランとして営業再開していました。
とっても美味しいランチが出てきました。



ところで、私の今回の目的は(福)洗心会「風の里」の
三浦薫センター長さんとの話し合いでした。

被災地の支援者の方の壮絶な体験。
そして今日までの歩みと復興に向けた思い。

三浦センター長さんは普段講演活動を
している方ではありません。
にもかかわらず、私たちの学びと気づきのために
力を貸してくれることになりました。

何百キロも離れているけど、出会いを「絆」に変えてゆく。

私たちのような無名なローカルな法人、事業所でも、
強い意志を持てば、それが可能になることを知りました。

「相手を信じ、求め続けること」


またこれは、JDFみやぎ北部支援センターの大野事務局長に
間に入っていただき実現したことです。

この場を借りて、心から感謝します。

「ありがとうございます。」

そして、これからも微力ながら
一緒に南三陸を応援していきたいと思います。
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