愛知県、終止符、そして今。[2012年05月26日(Sat)]
山田優さんが愛知県を去りました。
昨年度まで愛知県のスーパーバイザー、県自立支援協議会相談支援体制部会委員でした。
優さんは今から10年前、レインボーはうすの立ち上げの時、私たち新城人に向けて多くのことをレクチャーしてくれた恩人です。
その後長野へ移られましたが、5年ほど前、再び圏域アドバイザー事業でお会いでき、安心感を頂きました。
愛知県を去ったことを知り、何とも寂しい思いがこみ上げてきましたが、先月、福島で出会うことができました。
福島県被災地における障害福祉サービス基盤整備事業の統括コーディネーターとして、いわき市に拠点を置き、福島県の改革に乗り出してみえました。
またもや、壮絶な新たなミッションを引き受けて、活動してみえたのです。そこに呼ばれて行ってきました。
もう、先月末のことですが…。
南会津、桧枝岐村。人口600人の村。

まさに県境。福島、群馬、新潟、栃木。
愛知県の豊根村、と思いきや、否、さらに豊かな村でした。
さらなる豪雪地帯、只見町。

つい2週間前まで、雪は2m〜3m。
南会津圏域

日本で人口密度が最も小さな地域。
見せかけの豊かさの中で、消えて行く村、それを必死に支えようとする行政マン。悔しさを噛みしめながら…。そんな日本中のどこにでもある地方の姿を、あらためて外から見せていただきました。
で、私の任務は、東三河北部圏域での相談支援事業と自立支援協議会の実践を南会津圏域の人たちに伝えることでした。
優さんは私に「リアリティ」と求めた、言われました。
もちろん、初めての土地で旅情を感じながらも緊張感の連続でした。でも、そこを和ますことができるのが優さんなんだと、実感する密度の濃い時間でした。
優さんが見つけた「カタクリの花」

比べることのない生き方。
在りのままの命で互いに生きること。それを共生というならば、私はまだまだ自然の中から学ぶことがあまりにも多いことを教えられました。
昨年度まで愛知県のスーパーバイザー、県自立支援協議会相談支援体制部会委員でした。
優さんは今から10年前、レインボーはうすの立ち上げの時、私たち新城人に向けて多くのことをレクチャーしてくれた恩人です。
その後長野へ移られましたが、5年ほど前、再び圏域アドバイザー事業でお会いでき、安心感を頂きました。
愛知県を去ったことを知り、何とも寂しい思いがこみ上げてきましたが、先月、福島で出会うことができました。
福島県被災地における障害福祉サービス基盤整備事業の統括コーディネーターとして、いわき市に拠点を置き、福島県の改革に乗り出してみえました。
またもや、壮絶な新たなミッションを引き受けて、活動してみえたのです。そこに呼ばれて行ってきました。
もう、先月末のことですが…。
南会津、桧枝岐村。人口600人の村。
まさに県境。福島、群馬、新潟、栃木。
愛知県の豊根村、と思いきや、否、さらに豊かな村でした。
さらなる豪雪地帯、只見町。
つい2週間前まで、雪は2m〜3m。
南会津圏域
日本で人口密度が最も小さな地域。
見せかけの豊かさの中で、消えて行く村、それを必死に支えようとする行政マン。悔しさを噛みしめながら…。そんな日本中のどこにでもある地方の姿を、あらためて外から見せていただきました。
で、私の任務は、東三河北部圏域での相談支援事業と自立支援協議会の実践を南会津圏域の人たちに伝えることでした。
優さんは私に「リアリティ」と求めた、言われました。
もちろん、初めての土地で旅情を感じながらも緊張感の連続でした。でも、そこを和ますことができるのが優さんなんだと、実感する密度の濃い時間でした。
優さんが見つけた「カタクリの花」
比べることのない生き方。
在りのままの命で互いに生きること。それを共生というならば、私はまだまだ自然の中から学ぶことがあまりにも多いことを教えられました。















