2月12日(月)朝日新聞の朝刊(生活面)に、ホスピスナースに関する記事が掲載されました!東海ホスピス・緩和ケアナース交流会の様子が大きく取り上げられています。
(以下、記事の転載です)
2007/02/12 朝日新聞 朝刊「緩和ケア支え合う」 悩み・体験、共有 広がる看護師の輪 がんの痛みや不安を和らげ、その人らしく生をまっとうしてほしい――。緩和ケア病棟(ホスピス)や訪問看護などの現場で働く看護師「ホスピスナース」の願いだ。一方で患者や家族の苦しみと向き合う機会が多く「亡くなるまでにもっといいケアができたのでは」と悩みを抱えがち。「一人で悩まず、支え合おう」と、交流会や研修が始まっている。(荒香帆里)
名古屋市内で1月中旬
、「東海ホスピス・緩和ケアナース交流会」が開かれた。
「在宅でのみとりをどうするかが課題。本当は家に帰りたいのに、家族に迷惑をかけたくないから、ためらう患者さんがいます」
「訪問看護と連携してできるだけ家で過ごし、いざとなったら緩和ケア病棟へという選択もありますよ」
「最近、認知症の患者さんが増えた。入院するとき、前にいた病院に詳しく症状を聞き、家族にできるだけ付き添ってもらったり、ベッドでなく畳を用意したりしています」
この日は東海や北陸の緩和ケア病棟の看護師長ら約20人が集まり、体験や悩みを話し合った。看護学生も参加し、ホスピスナースが何を学びたいかを調査した結果を発表した。
ホスピスナースは、死に向かう患者や家族と接する機会が多く、苦しみを目の当たりにする。医師との間に入り橋渡し役になることも。患者は「治るかもしれない。生きたい」とかっとうする。「なぜ死ぬんですか」と聞かれて悩んだり、痛みや不安を取り除くケアが十分にできず後悔したりする看護師は少なくない。
交流会は、00年に始まった。愛知県に初めてできた緩和ケア病棟の看護師長を務めた水野敏子さん(56)が、悩みを分かち合おうと近隣のホスピスナースに声をかけたのがきっかけだ。
水野さんは「初めは、患者さん一人ひとりにどう対応するか、教えてくれる人もいなくて、なすすべがなかった」という。痛みを訴える患者の背中に蒸しタオルをあてると、気持ちよさそうに「人の手がいい」と言われた。心の痛みをどう和らげるか模索した。
交流会の評判を聞いて静岡、富山、金沢などからもホスピスナースが集まり、いまは約20の病院が参加。グループごとの討論や互いの病院見学など、20回ほど会を開いた。
水野さんは「個々の病院のがんばりだけでは限界がある。様々な職種と協力して病院と在宅医療、患者を結ぶネットワークをつくりたい」と話す。
●職種超えネットワーク 日本財団(東京都港区)は、3月1、2日に
「ホスピスナース研修会」を開く。全国から約80人が集まる予定だ。
財団は02年に研修会を始め、今回が6回目。講演のほか、参加者を地域ごとにわけて話し合う。財団の担当者は「仕事をがんばりすぎて『燃え尽きる人』が多い。仲間をつくり、励まし合ってほしい」と話す。
日本看護協会(同渋谷区)が認定する
「ホスピスケア認定看護師」は、1月現在で全国に約300人いる。99年に8人からスタート。半年間の講義や実習は厳しいが、希望者は増えている。一般の病棟に勤める看護師が多く、訪問看護に取り組む人もいる。
講義では看護師自らの死別体験を話したり、病気が進んだら自分は何を失うか考えたりする機会もある。担当の教員は「自分なりの死生観を持ってほしい。知識や技術を持ち帰り、看護師の教育や相談にのる役割も期待している」という。
職種を超えた地域のネットワークも始まっている
。「山梨県緩和ケア研究会」は昨年11月、初の公開シンポジウムを開いた。医師や薬剤師、電話相談のボランティアらと一緒に、訪問看護師や緩和ケア病棟の看護師も体験を発表しあった。
日本ホスピス緩和ケア協会会長の山崎章郎さんは
「緩和ケアは実践して成長していくしかない。看護師によって、経験の差が大きい。経験を共有して学び合うことは大切」と語る。
◆キーワード <緩和ケア病棟>がん末期などの患者の体の痛みや精神的な苦しみを和らげるための施設。90年に人員配置などの基準を設け、制度化された。日本ホスピス緩和ケア協会によると、現在は163。最近は医師や看護師らからなる一般病棟の「緩和ケアチーム」や、在宅でのケアが注目されている。「終末期だけでなく早い段階からの緩和ケアが必要」という意見もある。