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新老人の会・北竜町(北海道)

2011年2月から、82歳でブログに初挑戦。日々の新老人生活をつづっていきます。


プロフィール

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親鸞聖人750回御遠忌法要 [2011年03月31日(Thu)]
宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要参拝旅行に参加しましたが、去る3月11日の東日本大震災の発生に伴い、この震災を共に悼む法要として厳修することに変更されました。

3月24日に出発し関西空港に到着後京都市美術館で開催中の親鸞聖人展を見学。親鸞の生涯と、ゆかりの名宝を見て感激致しました。
その後宿の琵琶湖温泉「紅葉ホテル」に入り.夕事勤行の後夕食をして一泊目を迎える。







3月25日は真宗大谷派東本願寺本廟で門徒3000人が集まっての会場で、親鸞聖人750回御遠忌法要を、震災を悼む法要として厳修されました。



御遠忌弁当の昼食を終えて研修旅行に。

平等院で永承7年開創された鳳翔堂での阿弥陀如来にお詣り。鳳翔館では、雲中供養菩薩像26体の、外様々な宝物を見学致しました。

その後奈良公園に移動し、東大寺の大仏殿(東大寺金堂及び蘆舎那大仏本尊}、八角灯篭を見学し、二泊目の多武峰温泉ホテルに入る。



3月26日8時40分ホテルを出発し明日香めぐりに・・・・

飛鳥寺の本尊飛鳥大仏(釈迦如来坐像)日本最古の仏像にお詣りして。石舞台古墳を見学、横穴式石室を持つ方形墳でした。

次に聖徳太子様のお生まれになった所、天台宗の寺仏頭山上宮皇院、橘寺でお詣りして法隆寺に向かう。

法隆寺前の食堂で昼食後法隆寺見学、

南大門を通って金堂(聖徳太子のために造られた金銅阿弥陀如来座像)及び四天王像がある。  五重塔は高さ32・5メートルで我が国最古の五重塔、です.。夢殿(八角円堂)は聖徳太子等身の秘仏救世観音像が安置されている。

次に唐招堤寺は律宗総本山唐招堤寺としてはじまり金堂には僧高3メートルの蘆舎那仏を中央に巨大な三尊が居並ぶ,は外講堂,鼓楼,礼堂、宝蔵,経蔵,、御影堂を見学、参拝いたしました。

その後神戸ディナークルーズに乗船し、中華料理のバイキングでの夕食は第11組からの参加者123名の交流会となり楽しい一時を過ごして最後の宿シーサイドホテル舞子ビラ神戸に午後9時50分に到着。



3月27日午前8時30分ホテルを出発し、白鶴酒造会社の見学、試飲を終えて、六甲山、山頂展望台に登り横浜市街を一望し感嘆しながら横浜市内に戻り、ホテルで昼食をして一路関西空港に向かい4時10分発千歳空港便で6時30分に到着しそれぞれのお寺に向かう。
私の生涯 [2011年03月20日(Sun)]
私は世界大戦を節目として、戦前・戦中・戦後と時代の大きな変化を経験致しました。 

戦前 
 
朝には星を見て野良仕事に出て、夕べに月を仰ぎ乍ら家路についた。
勿論私達がその経験者、正に精耕雨読の時代をえ径てきました。
北海道の開発が進み、日常生活がやっと落ち着いた頃から軍国時代の到来があり、軍の拡大と共に軍需産業の振興と相俟って、人間の生産が必要条件となり 「生めよ殖やせ」、同時に食糧増産が至上命令として、国民が一生県命に精進させられた時代であった。

満州事変・支那事変の歴史もこんな中で生まれたものであった、現代日本が浸略者として、指摘されることになってしまった根源であると思われます。

戦中

そんな中で第2次世界大戦が真珠湾攻撃を口火に戦火の真只中に巻きこまれ、国内は老人、と病人と婦人で、健康な男子は総べて軍隊に召集され人手不足の生活に学生動員によって、工場え、干拓工事現場や農業生産のため援農に出役しました。

戦争体験、海外生活の苦労については体験記や新聞による「戦禍の記憶」等で紹介されている通りでありました。
昭和20年8月15日終戦を迎えて戦中が終了しました。

戦後

大きな犠牲を払ったけれども敗戦と言う区切りによって戦争放棄を世界に宣言をし、平和と自由を信条に憲法改正がなされたました。
学制改革(6・3.・3制)、農地改革(農地法・農協法・自作農創設)と併せて,自冶法の改訂をして民生国家再建を目指して出発いたしました。

経過の中では安保闘争等で同朋が血を流した事件もありましたが、軍需産業から平和産業への転換で日本のライフスタイル(生活様式)が大きく変わる事になりました。

工業部門で人工衛星、スペースシャトル、原子力、電子でのコンピューター、テクノポリスの発展   化学部門ではビニール、発砲スチロール、タッパー等の開発。テレビ・洗濯機・冷蔵庫の現代三種の神器が生産され所得倍増計画の中でカラーテレビ、クーラー、車(カー)の三℃時代へと移った。

昭和31年の岩戸景気・昭和42年の神武景気・昭和57年のいざなぎ景気と57ヶ月(約8年)の上昇景気が続き平成元年の平成景気を最後にバブルがハジけて現在の不景気時代に入った。

我々の日常生活で衣・食・住の進化が進み耐寒性住宅に電化。マイクロエレクトニクス革命は情報化社会でラジオ・テレビ・新聞等で世界の出来事が即刻知ることが出来る
パソコン・インターネットの発展と携帯電話の普及で出先から暖房、風呂のスイッチオンは勿論、生活用品の注文、配達の依頼と支払いまで出来るじだいとなりました。

今これからの生活を考え中です。         はじめ
認知症について考える講演会 [2011年03月13日(Sun)]
3月12日(土)

奈井江町文化ホール・コンチェルトホールで、新老人のか北海道支部他6団体の共催により、「いのちを支える医療と音楽と詩のコラボレーションの集いが開かれ250人の来場者が
新老人の会北海道支部世話人副代表高橋 宏氏の開会あいさつに続いて、山本 麻衣さん、石塚 じゅんさんの詩の朗読がありました。



つぎに第1部地域医療講座、「新老人って、どんな人類・・・・」と題して、新老人の会北海道支部世話人代表、方波見 康雄氏が百歳の日野原会長が企画した新老人の会の目的や活動について紹介され音楽は命を支える。専門的医学的知識だけで医療を進める時代ではないと、話をされました。

次に「知っておこう身近な認知症」と題して、砂川市立病院精神内科部長、内海 久美子より、認知症は介護される人も介護する人も大変な事。。認知症の現状、認知症の仕組み、や認知症の中でのアルツハイマーについて話し、最後に認知症の人との接し方について講義がありました。

第2部で「音楽療法って・・・・」と題して札幌大谷大学短期大学部、中山 ヒサ子教授より、人間と音楽、音楽の力が認知症患者の感情ケアにも、ぴったりと音楽の効能を紹介した後、日野原会長作詞の詩の朗読があり、続いて来場者の中から指名された人によるハンドベル演奏がピアノに合わせて披露され癒し効果を実感しました。



最後に空知医師会会長、小泉 医師より有意義だった講演会と主催者の皆さんに感謝の言葉があり終了いたしました。

■はじめ
ブログに挑戦 [2011年03月09日(Wed)]
北竜町、地域づくり協力隊として東京都から移住してまちのP・Rと間内での行事やできごとをブログの中で全国紹介をされている、寺内 昇さん、郁子さん夫婦のかつやくと、併せて町内有志が集まって行っている若年認知症家族会空知ひまわりの、事務局長中村 道人さんが会の活動をブログを通じて全国の家族会との交流をしている活動に接し、ぜひブログを始めて仲間入りをしたいと思い八十路の手習いで挑戦して見る事を決心し、平成23年2月1日、インターネットの接続を申請して「ひまわりの町北竜」と「若年認知症家族会ひまわり」のブログに接する事が出来ました。

早速自分のブログを始めたいと、寺内さんの設定の操作について指導を受けて2月23日に「初めまして」の記事を打ち込むことが出来ました。
当面、「日々の雑感」を主に私の考え方や私の意見等をきじにして行きたいと思いますので皆さんの御協力をおねがい致します。

                                   干場  一