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第26回・北勢線の魅力を探るの見どころ [2016年03月08日(Tue)]
 4月30日(土)、第26回・北勢線の魅力を探る「ふじ香る東海道を朝日まで」を開催します。集合は北勢線の馬道駅8時50分、馬道・新地を経て大福から東海道を歩いて藤棚で有名な安永の「すし清」で藤を観賞、町屋橋を渡って朝日町の縄生・小向まで約6キロの街道歩きです。

〇有王塚・俊寛塚
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 京都鹿ヶ谷で行った平家討伐の謀議が平清盛に洩れて鬼界が島に流罪となり、島で没した俊寛僧都の遺骨を高野山に納めるために諸国を行脚していた侍童有王は、当時、走井山近くにあったリン(漢字は舟偏に侖)宗寺の前で落命したと伝えられ、ここに有王の供養塚があります。また、益生駅の南西に俊寛僧都の遺骨を埋めたと伝える塚が建てられています。

〇町屋御用水
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 古来、木曽三川の泥砂が堆積して発展した桑名は、水質が悪く飲み水に苦労しました。寛永3年(1626)町屋川から取水した上水道、町屋御用水が建設されました。水源から途中までは地上に水路を設け、町中では地中に埋めた水道管によって各所の水汲み井戸に貯められ、生活用水として提供されていました。現在も農業用水として活用されています。

〇了順寺
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 浄土真宗本願寺派。永禄10年(1567)織田信長の軍勢に敗れた桑部城主毛利秀重の孫秀元が出家、のち准如聖人に帰依し、法名恵秀と改めて開基しました。本堂は明治35年(1902)に再建されたもので、山門は桑名城の遺物と伝えられ、また、重層袴腰付の立派な鐘楼があります。

〇城南神社
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 古くは神明宮と称されていましたが、明治41年(1908)旧城南村各大字にあった神社を合祀して城南神社と改称しました。伊勢神宮の遷宮の時、内宮の一の鳥居、古殿社の一部を下賜されています。昭和30年(1955)合祀された各社は旧社地に分祀されました。

〇桑名まちかど博物館
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・久波奈新撰館:館長作の現在アートの他、古今東西の古美術、鋳物工芸品が展示されています。
・ろっ石陶芸館:館長が蒐集された古萬古・有節萬古・有田焼・常滑焼をはじめ、館長ご自身の作品が展示されています。

〇晴雲寺
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 真宗大谷派。大永2年(1522)桑名東城主伊藤武左衛門の一族、明西が出家して開基しました。江戸時代、関東へ向かう大名はここで衣服を改めて桑名城下に入ったといわれています。本堂は明治27年(1894)、経蔵は大正7年(1918)、鐘楼は昭和9年(1934)に建立されました。

〇すし清
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 東海道に面した安永は町屋川の舟運の船着場でもあり、多くの茶店もありました。料理旅館「すし清」は安政3年(1856)に茶店として創業しました。樹齢250年以上といわれる藤のの木は、現在も美しい花を咲かせています。
 向かいの伊勢両宮常夜燈は、文政元年(1818)桑名や岐阜の材木屋の寄進によって建立されました。

〇金光寺
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 もと天台宗、その後真言宗になりました。延宝元年(1672)公民館縄生分館辺りに十一面観音像を祀った小堂が建てられ、寛政年間(1789〜1800)現在地に移転しました。明治3年(1870)住職浄海が亡くなってのちは無住になりました。

〇真光寺
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 浄土真宗本願寺派。大同2年(807)最澄が天神山の西北、お坊ヶ谷に天台精舎を建立したのが始まりと伝えられ、のち興国元年(1340)本願寺覚如上人の教化を受けて浄土真宗に改宗しました。明暦3年(1657)有馬温泉からの帰途に病死し、町屋川の洪水で足止めとなった桑名藩主松平定良の遺体を3日間安置しました。本堂前の手水鉢は松平定重から、鐘楼堂は松平定賢から返礼として拝領したものです。

〇朝日町まちかど博物館
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・安達微笑仏館:館長自作の円空仏・木喰彫を中心とした仏像を展示しています。2年間をかけて制作された十一面千手観音像は必見です。
・若松園:「汐見」が名物の和菓子屋さんで、和菓子作りに使用された道具が展示されています。

〇朝日町資料館
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 大正5年(1916)朝日町役場として建設され、昭和39年(1964)新庁舎が完成後、朝日町公民館に転用、昭和53年(1978)に朝日町資料館として開館しました。寄せ棟造瓦葺木造二階建、1階に事務関係の諸室を、2階に議場を設ける地方の役場建築がよく残り、平成12年3月に国の登録文化財に登録されました。

〇朝日小学校の円形校舎
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 日本各地で円形校舎を設計した坂本鹿名夫の設計で、昭和37年(1962)に建設された鉄筋コンクリート造り四階建ての校舎です。1階から3階が円形ホールと職員室・特別教室、4階が講堂兼体育館となっています。普通教室は矩形型の校舎を設けて、児童数の増減に対応しています。

〇西光寺
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 真宗大谷派。寺に残る絵像本尊の裏書きから明応5年(1496)をもって開基とし、その後、貞享2年(1685)大谷派に転じました。本堂軒下の半鐘は、安永6年(1777)桑名広瀬九郎兵衛道次の作です。

〇朝日町歴史博物館
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 昭和61年(1986)に発掘調査され、唐三彩椀を伴う舎利容器が出土した縄生廃寺の三重塔模型や倒壊した屋根瓦がレプリカで展示されています。江戸時代の国学者橘守部、萬古焼中興の祖森有節や明治〜大正時代の日本画家栗田真秀・水谷立仙、俳人中村古松など朝日町にゆかりのある歴史・文化を一堂に集めて展示・解説しています。
Posted by at 09:53
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