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桑名ほんぱく「ハニーナローに乗って、きき蜜体験」 [2017年11月14日(Tue)]
 11月11日、桑名ほんぱくの「ハニーナローに乗って、九華はちみつのきき蜜体験」で、北勢線の星川駅から七和駅までの濃州道沿いにある寺や神社、養蜂場などをご案内しました。
(桑名ほんぱくの詳細は、公式webサイト http://kuwanahonpaku.net/ をご覧ください。)

 星川神社
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 9時30分、星川駅に集合して近藤代表の挨拶ののち、秋晴れの濃州道を西へ向かいました。星川は大和から移住した星川氏によって開発されたといわれ、星川神社はその祖神星川建彦命を祀った神社です。明治末、地区の御厨神明社などを合祀したため、現在は天照大神が主祭神となりました。
 平安時代、員弁川の水運を利用し、さらに多度と大矢知辺りを結ぶ流通路が交わるこの地は星川市庭(いちば)と呼ばれ、また、社殿東の丘には、中世、萱生城の春日部氏の一族が居城した星川城がありました。神社には城主、春日部若狭守が寄進したと伝える村正銘の刀が神宝として保存されています。

 安渡寺
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 街道沿いに立つ鳥居の前で拝礼して星川神社と別れてしばらく歩くと、街道筋に「子安観世音菩薩之霊所」の石碑が迎える安渡寺に着きました。
 安渡寺は富田の善教寺に安置されている阿弥陀如来の胎内に納められていた鎌倉時代の『藤原実重・作善日記』にも「星川の湯釜に銭百結縁す(嘉禄2年・1226)」、「星川の観音堂米一斗五升にて番匠飯餉にす(文暦2年・1235)」などと記されている古刹です。本尊の聖観音立像は平安時代中期の作とされる桑名市指定文化財で、33年に一度ご開帳され、最近は平成27年3月に開帳されました。古くは修験宗本山派に属し、のち天台宗となり、現在はどこの宗派にも属さない単立となっています。昭和48年(1973)に再建されたコンクリート造りの本堂の格天井には、四季とりどりの花が描かれています。

 森忠名神明神社
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 森忠は、中世、神宮領でその管理を任されていた久米守忠の名田であったことから地名となりました。森忠名神明(もりただなしんめい)神社は、江戸時代までは神明社といわれていましたが、明治31年(1898)に改名したもので、祭神は天照大神です。本殿東の御嶽神社には御嶽大神と火産霊神が祀られています。
 鳥居・灯籠・狛犬など境内の石造物のほとんどは大正13年(1924)10月に寄進、造立されています。そして社務所の前にある春日灯籠1対には、くじによって記名順を決めた寄進者の名が刻まれています。この神社も鳥居の前で拝礼のみ、車との遭遇を避けるため街道を離れて南の里道に入りました。

 教順寺
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 教順寺は真宗大谷派、本尊は阿弥陀如来です。本堂は桁行9間・梁間9間と大型で、正面に向唐破風を付け、屋根に千鳥破風を据えた造りで、真宗本堂としては珍しい建物です。また、太平洋戦争の供出を免れた天明6年(1786)銘の梵鐘は、三重郡河北村(現菰野町川北)の進士久右衛門が鐘楼と共に寄進したもので、音がよく反響するように鐘の真下に瓶が埋めてあります。本堂と鐘楼と同時期に河北村の檀家の寄進による建立と伝えられています。なお、明治8年(1875)11月、同寺の納屋を借り受けて七和小学校の前身、森忠学校が開設されました。
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 先住様のご厚意で、翌日催される報恩講のお荘厳を準備する作業で取り込み中にも関わらず本堂に上げて頂き、立花や餅を彩色する珍しいお華束(おけそく)を盛っているところを拝見することができました。

 クロガネモチ、天皇八幡社
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 芳ヶ崎のクロガネモチは桑名市指定天然記念物です。モチノキ科のクロガネモチは関東から四国九州の山地、沖縄・台湾・中国に分布する暖地性の常緑闊葉喬木で、雌株は秋に美しい実を付けます。ここのクロガネモチは雄株で多数の枝を四方に張り、見事な傘状をしています。
 クロガネモチ脇の道は天皇八幡社の参道です。神社の祭神は品陀和気命(応神天皇)・素戔嗚命(すさのおのみこと。午頭天王)・天児屋根命などです。応神天皇は八幡信仰と結びつき、宇佐八幡宮を本源として各地の八幡神社で祀られています。また、素戔嗚命は農神・疫神として信仰され、祇園祭など夏祭りが行われています。天児屋根命は天岩戸において太祝詞を奏した神で、神祇を奉祀する中臣氏・藤原氏の氏神です。
 社名の「天皇」について、今回、各所の由緒など克明な解説をして頂いた伊藤さんは「本来は天王とすべきを応神天皇に仮託して天皇となったものではないか」と推理されました。

 館養蜂場本店
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 大正元年(1912)創業の館養蜂場本店は、同10年移動養蜂を開始し、昭和10年(1935)から北海道に入地しました。昭和23年に設立された「日本はちみつ協会」の創立メンバーで、昭和40年、ミツバチによる花粉交配を目的としたミツバチを貸し出す事業も開始しました。平成25年から国産の無添加・無加工でかつ品質の良いはちみつを「九華はちみつ」ブランドとして販売しています。 
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 到着した私たちをお待ちになっていた館ときこさんから「自社で採ったはちみつしか販売しないというポリシーを堅持し、アカシヤ・みかん・クローバー・福来華・百花蜜の5種類しか販売していないこと」、「主に採蜜する花は多度のミカン、地元や近県の住宅に植えられたお金持ちになる3種の木、クロガネモチ(金持ち)・カリン(借りん)・シラカシ(貸し)の花と北海道のアカシヤ・クローバーです」などお話しして頂きました。続いて5種類のはちみつを賞味しながら、それぞれの特徴を教えて頂く「きき蜜」を体験した参加者は、お好みのはちみつをお土産にして次の目的地、薬師堂へ向かいました。

 薬師堂
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 薬師堂の本尊薬師如来坐像は、室町時代の作といわれています。旧三重郡楠村の僧道後の開基と伝え、浄土宗知恩院派に属していました。のち桑名市新町の曹洞宗楊柳寺の末寺になりましたが、明治22年(1889)浄土宗鎮西派に属して瑠璃光寺として再興されました。現在は地元自治会によってお守りされていて、今回も芳ヶ崎の自治会長の城田さんが本堂の表戸を開けて、私たちの到着をお待ちでした。
 ところで七和小学校は明治8年(1875)11月、森忠教願寺において森忠学校として創立されました。翌9年2月、当庵に移転し、芳ヶ崎学校と改称されました。その後、校舎を新築、増築して、明治30年(1897)8月、現JAの場所に七和尋常小学校が新築されるまでこの地にありました。
 薬師堂の参詣を終えて解散、歩いて5分足らずの七和駅から11時41分発の北勢線に乗って帰路につきました。
Posted by カァーくん at 18:08
第29回報告書 [2017年11月14日(Tue)]
2017年10月9日(月。祝)第29回北勢線の魅力を探る「ぶらくわな 町屋御用水を巡る」を行いました。その報告書が出来上がりました。
第29回報告書.pdf
Posted by 近藤 at 10:31
北勢線と花 [2017年09月15日(Fri)]
員弁町上笠田の休耕電にひまわり我慢かです。
い〜な いなべ!高校生アイデアコンテストで最優秀賞を取った
い〜なひまわりプロジェクト「笑顔があふれるいなべ市」のひまわり畑です。
ひまわり色の北勢線とパチリ
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めがね橋の南阿、明智川の西岸に語り部の山田さんが植えた白い彼岸花が満開です。
東岸の赤い彼岸花はまだまばらでした。
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Posted by 近藤 at 22:39
北勢線の魅力を探る会リーフレット [2017年09月06日(Wed)]
北勢線の魅力を探る会リーフレット
170924掲示用 編集版.pdf
Posted by 近藤 at 23:08
第29回地図 [2017年09月06日(Wed)]
第29回 ぶらくわな町屋御用水を巡る
地図
本番マップ2.pdf
説明文
ぶらくわな町屋御用水を巡るA3.pdf

タイムスケジュールタイムスケジュール.xlsx
Posted by 近藤 at 23:04
全国近代化遺産活用連絡活用協議会桑名大会開催報告 [2017年07月28日(Fri)]
7月26〜27日、全国近代化遺産活用連絡協議会桑名大会開催されました。
1日目は、近代建築の保存と活用がテーマで、六華苑と諸戸住宅についての基調講演とパネルディスカッションがありました。
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基調講演「日本の近代化と西洋建築」加藤耕一さん(東京大学)
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パネルディスカッション
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笠原一人さん(京都工芸繊維大学)と水谷芳春さん(桑名市)

2日目は、鉄道部会の「現役鉄道遺産の保護と活用」をテーマに事例発表とパネルディスカッションが午前中に、午後からは地視察がありました。北勢線の魅力を探る会も事例の一つとして発表しました。
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「末広橋梁」葛山拓也さん(四日市市教育委員会)
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「関西鉄道の鉄道遺産」稲富正充さん(亀山市まちなみ文化財室)
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現地視察は、六華苑、諸戸庭園、諸戸水道遺構、北勢線。
水谷芳春さんの説明
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「六華苑新収蔵品展」桑名の鳥瞰図(吉田初三郎)
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給水塔
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諸戸水道貯水池の説明を聞く
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馬道駅から北勢線に乗車
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3日目は四日市の現地視察。午前は、潮吹き防波堤、末広橋梁、午後は、あすなろう鉄道。
潮吹き防波堤の模型の前で葛山さんの説明を聞く
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潮吹き防波堤
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末広橋梁を三岐の貨物が渡る
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末広橋梁が開く
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あすなろう鉄道日永駅、パステルカラーの車両は二年後には無くなる
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内部駅で「四日市の交通と街づくりを考える会」代表上野さんの説明を聞く
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Posted by 近藤 at 23:28
全国近代化遺産活用連絡協議会桑名大会 [2017年07月21日(Fri)]
7/27 全国近代化遺産活用連絡協議会桑名大会 2日目で活動発表します。
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Posted by 近藤 at 07:41
第29回北勢線の魅力を探る「ぶらくわな 町屋御用水を巡る」 [2017年07月20日(Thu)]
第29回 チラシです。これから各所に後援依頼をします。
第29回チラシ用.pdf

柿安感謝祭(一時掲載)
17.7.30感謝祭チラシ【表】OL.pdf
17.7.30感謝祭チラシ【裏】OL.pdf

Posted by 近藤 at 22:41
第29回 ぶらくわな 町屋御用水を巡る 下見 [2017年07月20日(Thu)]
7月4日(火)第29回の下見をした。
今回のテーマは「町屋御用水」
桑名歴史の案内人、伊藤通敏さんから見どころを説明していただく。
 町屋御用水は寛永3年(1626)桑名藩主松平定行によって作られた上水道です。繁松新田の町屋川(員弁川)から取水し、自然の勾配に従って桑名城下南西の吉津屋御門まで開渠で通され、ここから先へは地中の樋管で城下へ配水していました。
全長約2Kmあり、全国で6番目に出来た水道です。この水道は明治37年に諸戸水道が開通するまで約280年もの間、桑名の町の人々の生活を支えてきました。
 今回は町屋御用水の痕跡を訪ねて、町屋川に残る取水口から終端の七里の渡し場跡までを歩きます。
○西別所駅集合
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○矢田揚水場
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 町屋川下流部左岸地域の農業用水の取り入れ口。現在ではかなり市街化されている桑名市北部の平坦地ですが其処此処にはいまだ農地が残っています。それらを潤す貴重な農業用水です。
○桑名市水道、町屋水源地跡
 昭和3年それまで使用されてきた諸戸水道に替わる水道施設として新たな水道の水源地がここに設置されました。町屋川の伏流水を汲み上げてポンプで上野の浄水場へ送られ、桑名町内へ配水されました。この水源地は昭和42年頃まで使われました。
○町屋御用水取水口
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 町屋御用水の取水口は直接川の表面水を水を取り入れる構造で、取水量を調節するための水門が設けられています。ここからコンクリート製の導水路で堤防と国道258線の下をくぐって創建時の町屋川左岸であったと思われる川成町地内に入ります。
○サンジルシ醸造工場
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 サンジルシ醸造は文化元年(1804)桑名潘の命により「みそ・しょうゆ醸造業」として現在の船場町に創業され、桑名の地場産業として発展してきました。昭和47年現在地に移転、この工場は昭和11年(1936)に東洋紡の製絨工場として開設されました。構内には会社の沿革を記した説明板と会社と郷土の発展に寄与した佐藤信之助氏の銅像が建っています。
本番は、祝日のため休業。残念ながら門の中に入ることはできません。
○御用水親水広場
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 町屋御用水は近鉄とJRの線路を暗渠で抜けると新地地内へ入り、広い道路の真ん中を流れます。護岸は石張りで整備され、ここに水面へ降りられるように階段が設けられ、親水広場になっています。壁面に御用水についての説明板が設けられています。
○新福橋
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 新地は正徳年間(1711〜16)に足軽屋敷として開発された土地で、東海道沿いの福江町から新地への出入りのために町屋御用水に橋が架けられました。新地の「新」と福江町の「福」を採って「新福橋」と名付けられました。
○水車跡
 江戸時代にこの付近に江間四郎左衛門という人が御用水の余剰水を使って水車屋を営んでいたという話が伝わっています。そのため桑名の人はこの付近を水車(みずぐるま)と呼んでいました。
○掛樋跡
 御用水は桑名城の外郭堀に架橋された掛樋(水道橋)で渡って城下へ入り、願證寺の西側を外郭堀に沿って北進していました。ここの町名は現在でも「掛樋」です。
○伝馬公園
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 江戸時代中頃まではここから北側にかけて願證寺という大きなお寺がありました。願證寺は元は長島にあって長島一向一揆の中心となったお寺でしたが織田信長に攻められ廃寺。のちここに再興。しかし高田派への改派について内紛があり再び廃寺となりました。

当日は、時間がかかりすぎるためコースに組み込みませんが、願本寺、天武天皇足洗井、楊柳寺、法盛寺、光明寺も回りました。

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○新橋跡
 桑名城の外郭堀には防備の関係から当初は城下西北の美濃方面への出入り口である三崎門橋と東海道筋南端の七曲見附の2箇所しか橋は架けられていませんでした。しかし城外の矢田磧や新地にも武家屋敷が設けられると、登城の便のため正徳年間(1711〜16)にこの場所に新たに3番目の橋が架けられました。
○吉津屋御門跡
 東海道が枡形に屈曲しており番所がありました。町屋御用水はこの付近から暗渠となって道路の下に潜ります。

この日は、暑くお腹も空いてきたのでお寿司屋さんでちらしランチを食べて、終了となりました。

後日、春日大社から七里の渡しまでを、一人で歩きました。
○春日神社
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 正式には桑名宋社と呼び、桑名神社(三崎明神)と中臣神社(春日明神)の両式内社からなります。古来から桑名の総鎮守です。境内に神供用として用いられてきた御前水井があり、市の民俗文化財に指定されています。この井戸の水は水質が良いので明治元年明治天皇が桑名に宿泊の際、御膳水として供されました。
○通り井跡
 下水道工事により東海道の真ん中に井戸の跡が見つかりました。この井戸から道路の下を流れる御用水を汲み上げていたようです。この付近で2箇所見つかっており、目印に「井」と彫った石が填め込まれています。
○七里の渡し場跡
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 東海道の江戸からの玄関口です。江戸時代はここから熱田まで海上七里を渡る船が出ていました。鳥居は伊勢国に入って最初の鳥居であることから「伊勢一の鳥居」と呼ばれ、伊勢神宮の遷宮毎に建て替えられます。町屋御用水はここが終端で、余水はここで揖斐川へ排水されていたと思われます。
Posted by 近藤 at 21:56
匠の里で甦るナローゲージを訪ねて [2017年07月12日(Wed)]
 6月、桑員3市町の広報誌で北勢線が合同特集されました。
広報くわな6月号
広報とういん6月号
いなべ市情報誌LINK7月号

7月1日、「広報くわな」に応募された方たちと東員駅周辺の「くろがねもーち」、猪名部神社、北大社車庫を訪ねました。

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 「くろがねもーち」は社会福祉法人いずみが運営する喫茶・軽食の施設です。店で働く「なかま」も農作業に関わっている地元で生産する米や野菜で作ったモーニングやランチが好評で、この日も野菜一杯のモーニングで腹ごしらえをして出発しました。

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 猪名部神社では世話役の方たちが、「夏越」の神事の時に拝殿の前につり下げる茅の輪を作る作業の真っ最中で、また、境内の大楠に産卵、育児するアオバズクを撮影する人たちも集まっていました。宮司さんから毎年4月に渡来するアオバズクのことや、猪名部神社が旧員弁郡最大の岡古墳から明和町斎宮に至る東経136度57分の線上に当たることなど神社の珍しい話を聞かせて頂きました。

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 北勢線の車両を3ヶ月毎に点検・修理する北大社車庫では、ちょうど入庫していた車両のふだん目にする機会のない駆動部を見せて頂き、塗り替えの際に車体の傷を鉄板でカバーしたり、既製品がないために手造りの部品で補修していることなど、車両のメンテナンスの苦労話を聞かせて頂きました。
Posted by カァーくん at 09:33
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