CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

湘南せかい江の島藤沢

 湘南地域 および、その周辺の生活・観光などの情報を掲載致します。
 特に、私が活動しています江の島・藤沢の観光情報と 日頃,気にしています健康維持・促進についても掲載致します。
 なお、「せかい」の意味は生活・観光・インフォメーションの頭文字です。
 また、本ブログの内容の複写・使用は禁止とします。ご利用されたい方は私のプロフィールのメールに連絡をお願いします。


小田原城(小田原市) [2019年08月27日(Tue)]

 先日は小田原に行きました。小田原は北条氏の城下町として五代約100年間栄えたところです。

 東国の戦国時代の始まりは伊勢(そう)(ずい)(後の北条早雲大森氏の城(後の小田原城)攻めに始まり、豊臣秀吉により落城したのが終了と言われています。

 小田原城が難攻不落の城と言われるのは上杉謙信・武田信玄の攻撃にも耐えた城です。  

 最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために造られた広大な外郭である。八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9Kmの土塁と空堀で取り囲んだものであり、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいました。

 小田原城関連の写真を公開します。

DSC_5826小田原城R9C10A-8K-1.7トリ_1439.JPG

DSC_4265小田原城R5C56A-5トリ_1441.JPG

DSC_4264小田原城R5C6A-6K1.5トリ_1440.JPG

DSC_4308小田原城R5C5A-12K0.6トリ_1446.JPG

        小田原城

DSC_4296小田原評定R%C6A-6K1トリ_1445.JPG

        小田原評定

 小田原評定とは、戦国大名の後北条氏(小田原北条氏)における重臣会議のことで、この評定は「いつになっても結論の出ない会議や相談」という意味での比喩表現として使われるが、合議制による方法は現在に通じる方法ですが、北条氏が滅亡したため、江戸時代に上記のように言われたと考えられます。

 江戸時代は小田原藩で、箱根越えの宿場として栄えました。現在は観光地として知られています。昭和35年には小田原城(築城年は応永24年(1417))の天守が復元され、平成に入り馬出門・銅門(あかがねもん)などが整備され多くの観光客で賑わっています。

 小田原城址公園本丸広場でプロジェクションマッピングの世界大会が開かれる。開催は9月20〜23日で、天守閣に「夢」が投影されます。


トラックバック
※トラックバックの受付は終了しました
コメント
プロフィール

enoshimafaiさんの画像
リンク集
http://blog.canpan.info/hiaiha893/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/hiaiha893/index2_0.xml