もうひとつのインターハイ[2007年07月04日(Wed)]
今日の四国新聞のスポーツ欄タウンスポーツ面に
「県高校定時制通信制総合体育大会」
の結果が掲載されていました。
6月24日(日)に行われたものです。
私のバイオグラフティにもご紹介させて頂いてますが、私は県立高校の受験に失敗し、すべり止めといわれる私立高校には受験すらしていなかったため、不合格となった高校の定時制に1年間通ったのです。
ふりかえれば、この15〜16歳の1年間が私を変えた年であったと思うのです。
当時、定時制には1〜4年生まで1クラスは昼間はそれぞれ違う職場、もう1クラスはある大手企業勤務の各2クラスずつの約80人が学んでいました。
年齢は私のような中学を卒業したばかりの者から年配の方と様々でした。
私は、自営業の父の仕事を手伝いながら、もう一度全日制に行くための受験勉強をしていました。
授業は4時限あり午後9時前に終了します。途中にパンと牛乳の給食時間が入ります。
音楽や体育、クラブ活動もあります。全日制と全く変わりはありません。
放課後は部活動もあります。私は、野球部と陸上部を掛け持ちしていました。
当時、「もうひとつの甲子園」という言葉が使われ、この定時制通信制高校や養護学校などの野球大会のことをこのように呼んでいました。
私も、この「もうひとつの甲子園」を目指し、入学後先輩たちと一緒に練習しました。
結果は1回戦で敗れましたが、とてもよい思い出になりました。
私は、この「もうひとつの甲子園」という言葉に馴染めませんでした。もし、県大会に優勝しても、次の四国大会で勝たなければ全国大会には出場できません。
また、この全国大会も本当の甲子園球場で開催されるわけではありません。
「もうひとつの甲子園」という言葉が流行ることがとても嫌でした。
何だか特別扱いされているような感じがしていました。悲哀が漂っているのです。
もう一方の陸上部では、県大会に優勝し、タイムに問題がなければ全国大会に出場できるのです。その全国大会は本物の「国立競技場」で開催されるのです。
私は、中学の頃、「高校サッカーで国立」を夢見ていました。
私に近い方にとっては、今の私からは「野球」の印象の方が強いのだろうと思うのですが、
当時、私の通う中学校にはサッカー部がなかったのです。
私の父が高校時代にサッカーをやっていて、四国代表イレブンにまで選ばれたのです。
父は県大会は優勝しましたが、次の四国大会で全国大会を逃しました。
私も物心がついた頃にはすでにサッカーボールを蹴っていました。
小学校の頃もサッカーに明け暮れました。
そして、父の念願でもあった全国大会の夢を自分が叶えたいという期待を胸に高校受験に臨んだのです。
が、不合格となり、「サッカーで国立」の夢は潰えました。
ところが、この定時制高校に通うことになり、再び「陸上で国立」のチャンスが巡ってきたのです。
今日はこのあたりにしておきます。
「県高校定時制通信制総合体育大会」
の結果が掲載されていました。
6月24日(日)に行われたものです。
私のバイオグラフティにもご紹介させて頂いてますが、私は県立高校の受験に失敗し、すべり止めといわれる私立高校には受験すらしていなかったため、不合格となった高校の定時制に1年間通ったのです。
ふりかえれば、この15〜16歳の1年間が私を変えた年であったと思うのです。
当時、定時制には1〜4年生まで1クラスは昼間はそれぞれ違う職場、もう1クラスはある大手企業勤務の各2クラスずつの約80人が学んでいました。
年齢は私のような中学を卒業したばかりの者から年配の方と様々でした。
私は、自営業の父の仕事を手伝いながら、もう一度全日制に行くための受験勉強をしていました。
授業は4時限あり午後9時前に終了します。途中にパンと牛乳の給食時間が入ります。
音楽や体育、クラブ活動もあります。全日制と全く変わりはありません。
放課後は部活動もあります。私は、野球部と陸上部を掛け持ちしていました。
当時、「もうひとつの甲子園」という言葉が使われ、この定時制通信制高校や養護学校などの野球大会のことをこのように呼んでいました。
私も、この「もうひとつの甲子園」を目指し、入学後先輩たちと一緒に練習しました。
結果は1回戦で敗れましたが、とてもよい思い出になりました。
私は、この「もうひとつの甲子園」という言葉に馴染めませんでした。もし、県大会に優勝しても、次の四国大会で勝たなければ全国大会には出場できません。
また、この全国大会も本当の甲子園球場で開催されるわけではありません。
「もうひとつの甲子園」という言葉が流行ることがとても嫌でした。
何だか特別扱いされているような感じがしていました。悲哀が漂っているのです。
もう一方の陸上部では、県大会に優勝し、タイムに問題がなければ全国大会に出場できるのです。その全国大会は本物の「国立競技場」で開催されるのです。
私は、中学の頃、「高校サッカーで国立」を夢見ていました。
私に近い方にとっては、今の私からは「野球」の印象の方が強いのだろうと思うのですが、
当時、私の通う中学校にはサッカー部がなかったのです。
私の父が高校時代にサッカーをやっていて、四国代表イレブンにまで選ばれたのです。
父は県大会は優勝しましたが、次の四国大会で全国大会を逃しました。
私も物心がついた頃にはすでにサッカーボールを蹴っていました。
小学校の頃もサッカーに明け暮れました。
そして、父の念願でもあった全国大会の夢を自分が叶えたいという期待を胸に高校受験に臨んだのです。
が、不合格となり、「サッカーで国立」の夢は潰えました。
ところが、この定時制高校に通うことになり、再び「陸上で国立」のチャンスが巡ってきたのです。
今日はこのあたりにしておきます。
Posted by へんこつ侍 at 22:58 | へんこつ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)