乳幼児事件[2010年06月08日(Tue)]
最近、乳幼児被害の事件がやたらとニュースになっています。
生後まもない乳児の死体がロッカーやトイレ、河川などで発見されています。
また、ある程度成長した児童に対する虐待もとても多いようです。
こうしたニュースを見聞きするたびにいたたまれない気持ちになると同時に、保護者としての責任を軽視している大人がとても多いのだろうとも感じます。
ある意味では、自立できない大人が増えているということなのかもしれません。
誰かに頼らなければ、誰かに導いてもらわなければ、自分で行動を起こせない人が増えているということなのかもしれません。
人は生きていくうえで、絶対に誰かの助けや応援が必要です。
どんなに強い人も一人では生きていけません。
辛い時、悲しい時、淋しい時に、自分を否定し、孤立するのではなく、ちょっとだけ勇気を出して、一番近くの人にそのことを話してみて。
もしも、辛い人、悲しい人、淋しい人に相談をされた方、決して一人で抱え込んで解決しようとしないで、そのことをまた一番近い人に話してみて。
そして、その相談された人は、また一番近くの人に相談してみて…。
どんな人も決して一人ではありません。
みんな結構おんなじことで悩んでいることに気付くはずです。
なくなった子どもさんたちはもう帰ってきません。
可哀想という言葉だけで終わらせず、地域や社会のこうした課題をみんなで支えあえる世の中にしなければと思います。
夜叉となる前に、少し思い止まり、我が子の可愛い寝顔や笑顔を見てあげて下さい。
そうした自分の姿を思い浮かべてみて下さい。
それこそがまさに幸せなのではないのでしょうか?
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へんこつ侍
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宮崎口蹄疫被害義援金[2010年05月19日(Wed)]

私は農学部出身なのです。
今は造園や緑化が専門ですが、学生時代は蔬菜、園芸、気象、昆虫、農業経営、区画整理など、農業に関して結構幅広く勉強する機会がありました。
つまり、機会はあったのですが、歩留まりの良いものとそうでないものがあったことは間違いありません。
その中でも、今でも何かと基礎知識が役に立っているのが、畜産学です。
公園と畜産とはあまり関係がありませんが、以前は動物園がありましたし、今でも白鳥などの水鳥を飼育しています。
自然的な公園には野生動物もいるので、時々怪我や病気の野鳥など(傷病鳥獣)の保護をしたりすることがあるのです。
学生時代にこの畜産学で勉強した『口蹄疫』で、いつもお世話になっているNPOの皆様がたくさんいる宮崎県が大変なことになっています。
学生時代の印象でも、『口蹄疫』は非常に恐ろしい病気であるものの、飼育管理環境が向上し、発症、発病の可能性は低いものという認識がありました。
なので、当初の報道を見ても、恐らく違う別のものと間違えたのだろうとくらいにしか思えませんでした。
ところが、昨日の東国原知事の会見のとおり、「非常事態」に陥っています。
5月22日に宮崎のおいちゃん
http://blog.canpan.info/oichan/
からお誘いを頂いていた「綾町の国際照葉樹林サミット」も急遽無期限の延期となってしまったようです。
主催者の皆様は本当に大変だろうと思いますが、それ以上に、畜産に関わる皆様のご心痛を察しますと、何か自分達にできることはないかと思います。
ブロガー仲間のこがちゃん
https://blog.canpan.info/tyuuouoyako/
のブログにもあったとおり、報道の自由があるとはいえ、沈静化するまでは外部からの取材は控えて頂くことをお願いしたいです。
私達県外者は、宮崎県の状況を必要以上に知りたがり、情報を煽るのではなく、今現地から求められる情報を正しく受け止める必要があると思います。
被害拡大を最小限に抑えること、そして、義援金の募集も始まっています。
宮崎県のホームページより
口蹄疫被害に対する義援金を募集します
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/fukushi/fukushi/shakai_fukushi/html00165.html
へんこつ侍からの提案です。
食肉業の仕組みは分かりませんが、スーパーなど店頭販売されている食肉100gあたり5円分とか10円分とかが自動的に宮崎県の共同募金へ募金できるような取り組みはできないものでしょうか?
大手スーパーさんからでも、オートマチックな募金システムに取り組んでもらえないものでしょうか?
今回の被害で、宮崎県の畜産が日本の畜産にとても大きな影響力があると改めて感じています。
宮崎県だけの問題ではなく、日本の食生活の根幹部に関わることだろうと思いますので、こういう時こそ、公益ブログがお役に立てるのではないかと思います。
公益ブロガーの皆様、ツィッターでも結構です。
宮崎口蹄疫被害支援の募金拡大のための取り組みをみんなで広めていこうではありませんか!!
よろしくお願いいたします。
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へんこつ侍
at 22:56
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まつりのオリジナリティ[2010年05月03日(Mon)]
今日から、丸亀おしろまつりが始まりました。
市内のまつりとしては、最も大きいまつりなので、巷はゴールデンウィークなのですが、私は当然出勤なのです。
さて、今日は割りと早めに帰宅したので、子供たちと一緒に地元のケーブルテレビを見ていました。
もちろん、丸亀おしろまつりの様子をライブ放送しているのですが、フリースタイルの踊りの様子が映し出されていました。
そこで、ふと感じたのが、この丸亀おしろまつりには、オリジナリティがとても弱いということです。
フリースタイルだからなのかもしれませんが、「よさこい」、「ソーラン」、「阿波踊り」、「津軽三味線」、「ヒップホップ」などなど、私が知らないジャンルも恐らくあったのだろうと思います。
とても大きく、元気のよい音楽を鳴らし、それに合わせて踊っているのですが、「丸亀」らしさがまったくないのは残念でした。
まつりの起源というと、結構難しい話になるのかもしれませんが、直感的には、守られるべきコンセプトのようなものが必要なのではないかと思います。
よその流行や真似ではなく、本来持っていないといけない物があるはずなのですが…。
ただ単に人が集まり、賑やかだったらよいという考え方もあるのかもしれません。
むしろそれはそれで正しいだろうとは思います。
しかし、このままの状態では、夜店がたくさん集まることがまつりという概念になってしまわないか心配です。
夏には、婆娑羅まつりという踊りと花火のまつりがあります。
今のおしろまつりでも、昔ながらの丸亀おどりはありますが、踊り子連の出場数としては、婆娑羅まつりが圧倒的に多くなっています。
オリジナリティのない踊りが続くようだったら、いっそのこと踊りは、夏に集約してしまったほうがよいのではないかと感じました。
明日もまた、まつりのお手伝いです。
楽しんでやります。
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へんこつ侍
at 22:34
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レクザムスタジアム[2010年03月03日(Wed)]
香川県営野球場のネーミングライツ(命名権)を募集していたのですが、現在の「サーパススタジアム」から「レクザムスタジアム」に変更することが決まりました。
新しい名称は5月1日から使用されることになっています。
レクザムは、旧社名が隆祥産業という電子機械器具メーカーで、元々は香川県に本社を置く企業です。
香川県営野球場のネーミングライツは、これまでは穴吹工務店が保有していましたが、契約を更新しないことを受け、県教育委員会が募集していたところ、レクザムだけが応募したとのこと。
ネーミングライツ使用料は年額1千万円ということで、使用料は野球王国復興の費用として使われるということです。
新しい野球場の愛称はともかく、ネーミングライツ自体が地域にとって本当に望ましいことかどうかは、微妙です。
例えば、さぬき市志度にある「志度球場」も現在は「アークバリアベースボールパーク志度」となっていますが、「志度」という地名が入っていなかったら、どちらが県営野球場で、どちらが志度球場だかまったく分かりません。
元々、県営野球場には「オリーブスタジアム」という愛称がありました。
香川らしく、地元球団の香川オリーブガイナーズのイメージそのままの名前です。
地域固有の文化や資源が企業の営業活動により少なからず影響され、その代償が1千万円というのも何だか合理的でストレートすぎて、素直に受け入れられないのです。
むしろ、1千万円を出して「ガイナーズスタジアム」など、自社とは全く違う名称を付け、地域貢献する「美談」こそが、元来、日本人が望む企業姿勢であり、テレビ番組ではないけれど「深いいい話」として、語られ続けるのではないのだろうか?
企業姿勢ということで、話題はガラリと変わるのですが、実のところ、高松市の栗林公園の周辺に林立して建設したマンション販売会社は経営不振で倒産した会社が多いということです。
偶然の一致といえばそれまでですが、栗林公園を目前にしたマンションの「売り」にして刹那的に利益を求めたことにより、高松市、香川県だけでなく国としての長い歴史に築かれた財産を蔑ろにした企業の姿勢には、それなりのリアクションがあるものだと改めて痛感しています。
地域の資源を大切にすることは、企業の社会的責任を果たすことでもあり、本業における社会貢献ができない企業は、後に大きな痛手が待ち受けていることを見逃してはならないのだと思います。
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へんこつ侍
at 00:11
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津波注意報発令中[2010年02月28日(Sun)]
とても珍しいことですが、現在、香川県内に津波注意報が発令中です。
海岸などにいらっしゃる皆様は、万が一に備えて避難してください。
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へんこつ侍
at 10:51
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服装問題[2010年02月15日(Mon)]
少々乗り遅れた感は否めませんが…。
オリンピック日本代表選手が選手団の正装である日の丸ジャケットを乱して着用し、メディアが大騒ぎしてます。
私も世間の大勢と同じく、この選手の服装や記者会見でのコメントはスポーツ選手にあるまじきものだと思います。
表現の自由とはいえ、国の代表としての規則は守られるべきであり、必要最小限以上のモラルは必要です。
しかし、彼の一連の服装や態度は、彼を知る人なら、恐らく事前から想像ができた出来事だっただろうと思います。
もしもの話ですが、もし、彼が日本を出発する前に、頭を丸め、背筋を伸ばし、日の丸ジャケットをピシッと着ていたとしたらどうでしょう?
彼を知る大半の人は、とても驚いたと思います。
そして、彼の偉大な行動を褒め称えることでしょう。
仮に試合に敗れたとしても、誰も彼を責めることはしないのだろうと思います。
むしろ、そうすることで彼にとって新しい応援者や理解者が増えるはずなのです。
競技までまだ時間があるようです。
彼が心を入れ替えて、丸坊主で試合に臨むようなことになると、ちょっと応援してみようと思います。
不快といえば、日本代表選手に限らず、あるスポーツ競技の選手達の髪型がとてもファッショナブルで、競技の邪魔になっている姿をよく見ます。
元来、頭を使うスポーツなので、髪はできるだけ短いほうが清潔だろうと思います。
私もこのスポーツを小学校の頃やっていたので、嫌いではないのですが、最近とくに長い髪を振り乱して、ことあるごとに髪をかき分けながらプレーする選手たちがテレビに映ると、すぐにチャンネルを変えますし、自分の子どもにも見せようと思いません。
代表監督を変えるや否やという前に、選手たちが自分たちの髪型を変えて、気合いを入れなおして、立て直す必要があるように感じます。
私が申し上げたいのは、髪型や服装などの外観の表現の自由ということではなく、心構えが大切だということです。
スポーツゲームの目的は、目前の相手に勝利することです。
自分の外観をどうのこうの考えているうちに、相手はきっちり策を講じているかもしれないのです。
そういう意味では、ボクシング3兄弟は、パフォーマンスはあくまでカムフラージュで、試合は試合とメリハリをつけているのかもしれませんね。
ちなみに私、小学校3年生から高校2年まで丸坊主でした。
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へんこつ侍
at 23:59
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宇高航路廃止[2010年02月14日(Sun)]
また一つ、このまちの特徴が失われることになりました。
瀬戸大橋が開通するまでは、四国と本州を結ぶ重要な航路だった宇高航路ですが、昨今の高速道路料金の引き下げの余波をうけ、来月で廃止されることになりました。
新聞各社の報道では、国策に翻弄されたとか国の失策などと取りざたされています。
確かに、土日のファミリーユースには、“1000円高速”はありがたいところですが、毎日フェリーを利用している方々にとってみると、いきなりの廃止は生活に大きな影響を与えるのではないかと思います。
また、高速道路の関連では、地方のローカル路線バスも撤退を余儀なくされているとのことです。
利益率の高い長距離バスの運行黒字により、ローカル路線の赤字補填できていたとのことですが、こちらも長距離バス利用者が減少し、補填ができなくなったということです。
民間が手を離してしまった路線は、これからは自治体のコミュニティバスが代替して運行することもあるようですが、いずれにしても、多数決の論理でサービスの大勢を決定されてしまうと、1日に数本しか運行しない“過疎路線”は従来並みの生活が送れなくことは必至です。
言い方は乱暴ですが、人は街に住むものだという概念しかない大都会のお役人や政治家が、地方のことを一律に裁いてよいものなのだろうかという気がしなくもありません。
やはり、地方には地方のオリジナリティーが必要で、そのために地方自治体が地域の現状に相応しい行政が求められるのだと思います。
香川には路面電車がありません。航路も年々減少しています。
香川の公共交通機関はいよいよ脆弱なものになるのではと、少し不安に感じます。
このままの道路行政が続くのかどうかが微妙なだけに、今回の航路廃止は、香川県民にとって失策とならなければと祈ります。
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へんこつ侍
at 22:32
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子どものスポーツ環境[2010年02月10日(Wed)]
「子どものスポーツ環境」ですが、以前から気になっていたことなのですが、今日、友人から相談を受けたので書いてみます。
最近の子供達は、友達同士で遊ぶ機会が減り、放課後やお休みの日のスポーツ少年団やクラブに入会し、そこでスポーツや友人との交流を深めることが多いようです。
私が子どもの頃は、スポーツ少年団の創生期でもあり、友達同士が『遊ぶ』目的でよく遊んだものですが、最近は、我々保護者の意向なのかもしれませんが、遊ぶことにも明確な目的や意義を求めているのか、スポーツ少年団やクラブに所属することが当たり前のようになっています。
今日相談を受けた友人の子どもも、我が家と同じく市内の小学校に通っていて、小学校区内で活動するスポーツ少年団に所属しています。
このスポーツ少年団の指導者が、熱心さのあまり、練習時間を勝手に延長したり、時には1日中練習させるようになり、子ども達の日常生活や学校生活にも支障が出始めているということなのです。
練習が厳しいので、退団する子ども達がいても、「辞める子どもの根性がない」とか「自分の指導についてこれていない」とかで、特に慰留もふりかえりもせず、試合の結果が出ないと、一層練習が厳しくなり、子ども達が萎縮しているのだそうです。
そこで、こういう状況をどうにかよくしたい、子ども達がもっと楽しくスポーツに取り組めるためにどうしたらいいだろうか?という相談でした。
保護者、指導者ともにスポーツに対する目的が異なります。スポーツを目的とする場合と、スポーツを手段とする場合と。
もちろん、保護者も指導者もその両面を持ち合わせているのでしょうが、両者の目的と手段の比率が理解されていないと、上のような問題が発生します。
また、保護者同士でもこのようなギャップが後に様々な問題を引き起こし、スポーツや子どもに関係のない事柄まで巻き込んだ地域のトラブルにつながることもあるようです。
少年団やクラブの目的を一つにすることは、とても難しいことだろうと思います。
特に、地域色の強い地方都市の場合ですと、目的のレベル毎にクラブチームが選択できる状態ではなく、同一チームに多様な目的が混在しているのが実情です。
簡単に言うと、プロを目指す子ども、体力向上のために運動する機会を求めて参加している子ども、友達と『遊ぶ』時間を共有するために参加している子どもが一緒にいるし、スポーツの技術を習得させたい保護者と、スポーツを通して社会活動や団体生活の訓練にさせたい保護者、アスリートを育成したい指導者と子どもの健全な成長を求める指導者が混在する現状があるということです。
しかし、こういう状況にあるといっても、大人の思惑を子どもに強要し、『子ども達のため』と称して死に物狂いの練習を課すことが、本当に子ども達のためなのでしょうか?
保護者、指導者ともに、大人の満足や達成感を得るために、子ども達を道具にしていることはないでしょうか?
最近、自分の子どもがスポーツに関わるまたは関わろうとしている状況にあって、大人たちの異常で行き過ぎた言動、行動には、とても違和感があります。
子ども達には無限の可能性があるとはいえ、みんながイチローやオグシオのようになれるはずもなく、また、スーパースターを育てた指導者がそのあたりにゴロゴロ転がっているはずもありません。
子ども達を一体何にしたいのか?どこで子供たちを伸ばせたいと思っているのでしょうか?
小学校の時期に大人の想いを必死で詰め込んで、おなか一杯になって、燃え尽きてしまう子どもが多いように感じます。
大好きなスポーツが大人のエゴのせいで、楽しめない状況を作っている現状をもっと認識し、子どものスポーツ環境をよりよいものにしなければならないと感じています。
まずは、子ども達が夢を持ち、大人がその夢を受け止めてサポートできる楽しい“流れ”をつくることが大切で、そのために保護者も指導者にも必要な心構えやスキルを身に着ける機会が必要だと考えます。
そういう観点からも、地域密着型のプロスポーツの振興はとても意義深いものだろうと思うのです。
この話題については、少し掘り下げて今後も書いていきたいと思います。
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へんこつ侍
at 00:56
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震災から15年[2010年01月17日(Sun)]
今日1月17日で、阪神・淡路大震災から15年を迎えました。
震災で亡くなられた皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
昨夜も、神戸新聞社の記者の視点から見た震災の特別番組が放送されていました。
ドラマとして作られたものではあるけれど、被災された皆様の悲痛が様々にあったのだと改めて感じました。
私は15年前、まだ実家に住んでいました。
あの日の朝は、地震の前兆となる地鳴りのような鈍い音と、小さい小刻みな振動で目が覚め、その後激しい揺れでどうすることもできず、床に這いつくばっているだけでした。
15年が経過し、震災の記憶が薄れていくにつれ、発生確率が高いとされる東南海・南海地震対策についても、様々な取り組みが広がっています。
しかし、幸運にも大きな災害に遭遇していない我々の地域では、どこか他所事のような感覚があり、今まで起きていないのだから、まだ当面は起こらないだろうという、根拠もなく危機意識を回避する人達が多いことも現実です。
一方で、自主防災組織を結成し、防災訓練や災害対策備品を整備するなど、対策に積極的な地域団体も増えています。
地域団体での取り組みからは、防災意識がかなり高まっているようにも思えますが、地域住民の全員が参加しているものではありません。
自治会加入率が50%程度の地域において、旧部落と新興住宅地の住民のつながりは、必ずしも親密な関係とはいえず、生活のあらゆる場面で対立、とまではいかなくとも、合い受け入れないシーンが多く見受けられます。
また、震災後、地域のためにと立ち上がった地域のリーダーさん達にも高齢化が進み、後継者がいないなどの新たな課題が起きています。
また、震災後、ボランティアやNPOが地域課題に取り組む主体として注目され、行政との協働という新しい公共を担う仕組みが求められていますが、全国的な地域格差、温度差があることは否めず、私達が住む四国内においても、水害や地震などの被災経験や全県的社会課題に直面した経験のある他県と平穏で安穏な香川県とでは、組織間のネットワークや活動の仕組みで格段の差があるように感じています。
どの地域にもある「中間支援」的な役割を担う組織もなく、協働もままならない状況下にあって、もし万が一のことがあった場合、自助で『何とかなる』という人達は、本当に数が限られているだろうと思います。
地縁も希薄、志縁も脆弱、企業の社会貢献活動も未熟なこの地域で、非常時に行政も機能が麻痺してしまったら、支援を必要としている人達は一体どうなるのでしょう?
アクセスが途絶え、ライフラインが壊滅的な状況になり、「誰かが助けに来てくれるはず」が通用しなくなったとしたら…。
そのためにもというわけではありませんが、もしも、支援を必要とする人達と普段の生活からのつながりがあり、小さくても誰かが誰かを支える仕組みが、日常の何気ない暮らしの中で成立しているとしたらどうでしょうか?
ネットがワークするスイッチがたくさん用意されている状態、公益につながる(公益を誘引する)活動がたくさん行われている状態を目指し、よりよい市民活動が進展するようにすることは、東南海・南海地震の危機に関わらず、少子高齢化が進むこの地域の課題解決に向けた大きなミッションであると思います。
私も、震災15年を節目に、行政マンとして、NPOの一員として、更にスキルアップしていきたいと思います。
手段を目的化しないよう改めて取り組んでいきたいと思うのです。
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へんこつ侍
at 22:59
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ホッキョクグマの共食い[2009年12月09日(Wed)]
インターネットのニュースを見てとても驚きました。
米国が率いる国際的な科学調査によると、気候変動の影響でホッキョクグマが狩りをする北極圏の氷原が溶け、共食いをするクマが現れたことなどにより、ホッキョクグマの生息数が減少しているということなのです。
11月20日には、カナダのマニトバ州チャーチルから300キロほど北で、オスのホッキョクグマが共食いした子グマの頭部を運ぶ写真も撮影されているとのこと。
動物の生態に詳しい方なら、ひょっとすると『そんなの動物界では普通だよ。』といわれるのかもしれないのですが、それにしてもショッキングな写真が掲載されていました。
これまでにも、地球温暖化とホッキョクグマは関連付けて報道されてきたのですが、わずか2〜3年で、このような報道がされるとは考えてもみませんでした。
地球温暖化防止はお題目ではすまない状況になってきているということを実感せずにはいられません。
個人的な活動の積み重ねはもちろんのこと、社会全体のしくみとして、地球温暖化防止対策に取り組まないと、動物はおろか、我々人間でさえも生命の危機にさらされるはずです。
私達の大切な子供達の将来のためにも、今やらなければいけないことにみんなが早く気付かなければいけません。
「また今度。」では、もう取り返しがつかない危機感をもって、普及啓発、実践行動に取り組まなければいけないことを改めて感じました。
12月22日のキャンドルナイトもより意義深いものにしなくては…。
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へんこつ侍
at 22:43
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