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芽生えた気持ちの再強化[2006年10月19日(木)]


前回のブログ

山口県に県費留学(2003年)で来た際、「日系アイデンティティ」「日系社会に対する気持ち」を再び、強く再認識する機会がありました。

当時、財団法人海外日系人協会が主催していた「県費留学生夏期研修会」というのがあり、全国の県費留学・研修生が東京で集まる(100人前後)、大きなイベントがありました。研修会では、日本の文化、リーダシップ、日系社会などの講演会を聞くとともに、「日本の日常生活」、「日本に来て感じたこと」、「日本のここが理解できない」などについてのディスカッションを行われていました。

ディスカッションは15人前後のグループで行われ、国籍がバラバラでした(ブラジル、アルゼンチン、ペルー、ウルグアイ、パラグアイ、カナダ、アメリカ、ボリビア、コロンビア、エクアドル、メキシコなど)。同じ日系人でも、これだけのメンバーが集まると、様々な視点、意見が聞け、気づくことがたくさんありました。





夏に行われた研修により、留学生同士の横の繋がりが強くなり、友情が芽生えたことによって、その後の活動でも、活発な参加がありました。「富士山登山、「岐阜のキャンプ交流会」、「地方の集まり」、「県費留学生冬期研修会」、「クリスマス交流会」など。非常に充実した留学生活を送ることが出来ました。

現在、残念ながら「夏期研修会」はなくなり、「冬期研修会」だけとなりました。

個人的には夏期研修会に参加をしたからこそ、その後の活動に参加する意思が芽生えたと思っています。実際にあって、時間を共用し、意見交換をすることによって、強い絆が結ばれ、自然と「気持ち」が芽生えてきます。一度も会ったことがないグループの誘いがあっても、中々踏み出せない人が多いです。

当時の「夏の研修」で良かったのは、受動的に講演を聴くだけではなく、積極的に話し合えるディスカッションタイムがあったことだと思っています。前回のブログでも書きましたが、自分の経験、自分のこと、自分の国について、他者に話すことによって「アイデンティティ」について考えさせられると思っています。

日本に留学・研修で来る目的は勿論「勉強、知識・技術の増加」です。でも、勉強をしながらも上手い具合に交流活動、研修会、パネルディスカッションなどに参加できます。問題は「気持ち・やる気」だけです。交流を通じて、教科書などでは絶対身につけられない、非常に大切な「もの」が得られると思っています。

自分に芽生えた日系人の心[2006年10月18日(水)]
前回のブログ



続き。。。


末永さんの話の通り、日系青年たちには「日系社会に対する気持ち」が薄れてきています。僕も正直に言うと、二十歳を超えても、「気持ち」がなく、県人会の集まりに参加をするのもイヤでした。あの頃「おじさん、おばさんばっかりの集まりで、面白くない」と思っていました。

そんな僕に日系社会に対する気持ちが芽生えたのは「第12回世界青年の船」に参加をしてからでした。船に乗る前に、ペルー日系人協会の施設を借りて、様々な準備活動を行いました(スポンサー探し、踊りの練習、勉強会、小道具作りなどなど)。





今までの受動的な参加ではなく、初めて能動的なことをやっていたから、面白く感じたのだと思います。

船の上では、17カ国(約300人)の参加者と、いろいろな話し、分け合いを通して、自分のアイデンティティを見つけることが出来ました。ペルー人でも日本人でもない「日系人」という、二つの文化・言葉を持ち合わせた人。ディスカッションの中でも、「日系人」とは何かというテーマがあって、そのために、それまで興味が全くなかった日系社会の歴史・現状について勉強をしました。

自分のルーツについて聞かれて「知らない」と答えるのが恥ずかしかったのです。だから、学ぼうというモチベーションが生まれました。そして、少しずつ、自然に末永さんのいう「気持ち」が芽生えるようになりました。

僕の場合は受動的なサポート役をいくらやっても、日系社会活動を面白いと思ったことがなく、イヤイヤ参加していました。「自分が主人公になり、積極的な活動に出会えて、初めて『気持ち』が芽生えました」。

続く。。。

「気持ち」で動いた日系社会[2006年10月17日(火)]




先週、ペルー日系人協会の国際部長、末永フェルナンドと彼の奥さんと一緒に食事をする機会がありました。末永夫婦とは山口県人会のつながりで、8年以上前から知っています。彼が県人会会長をやっていたときに、僕は青年部で活動をし、様々なことを協力しあいながらやりました。

末永さんは「青年部の積極的な参加」を促すため、様々な工夫をしていました。参加費がかかるとき、自分のお金を出して、青年部員の参加費の一部を負担することもありました。

個人的に、末永さんのいいところは、常に青年部に「モチベーション・きっかけ」を与え、「計画・進行」は全て任せていました。定期的な報告を要求し、余計な口を挟まずに、適切なアドバイスだけをしていました。

そんな末永さんと食事をしながら、日系社会の抱える問題について長く話すことが出来ました。いろいろ話した中で自分の心に残ったフレーズがあります。




「確かに日系社会をより魅力的にして、青年部の参加を促さなければならない。日系社会は青年にとっては、確かにおじさんたちの会議は魅力的ではないかもしれない。おじさんたちに耳を貸してもらえないという現実もある。そんな若者の気持ちは痛いほど理解できるよ。自分も今でも若いからね(笑)。

でもね、おじさんたちの気持ちも分かる。彼らが『閉鎖的な輪』を作っているのは、見掛けだけで、本当は1世たちが残した大切な『もの』を守ろうとしているのよ。昔、日系人協会の一員になるのは簡単なことではなく、商売に成功して、リーダーシップを持っていると、認められた人でなければ入れなかった。誇りに思えることだった。勿論全てボランティアで、時には会長が自分のお金を出さなければいけないことも多かった。それでも、『よりよい日系社会のために頑張る』という『気持ち』『心がけ』が1世たちにあった。みんな自分のやっていることに『誇り』を持っていた。

そんな『気持ち』が日系社会の原動力となり、今までの支えとなってきた。だから、おじさんたちは、誰にでもオープンになれないんだよ。ある程度、新部員(若者)の『気持ち』『力』を認めなければいけない。いくら優秀でも『気持ち』を持ち合わせていない人を入れてしまうと、日系人協会を商売のように動かし始めるだろう。そしたら、日系人協会の本当の目的も、意味もなくなるし、絆の力も薄れていくと思う。

日系社会はいろいろな面で変わらなければいけないのは確かだけど、一気に変わろうとすれば、沈んでしまう。少しずつ、両世代の相互理解を深め合いながら行わなければいけないと思う。若者の人材育成、教育が大切だけど、何よりも『薄れている気持ち』を芽生えさえる必要があると思うよ。自分の利益だけを考えるのではなく、目的のため、社会のため、ボランティア精神。。。それらを誇りに思える人を増やさなきゃいけない」


続く。。。

第47回海外日系人大会C[2006年09月29日(金)]


3日目の「オフィシャルツアー」では、NHKの視察研修とJICA横浜海外移住資料館視察見学がありました。







NHKでは「声優の体験」、「ニュース撮影体験」などをしました。海外移住資料館では日系社会歴史の歩みについて学ぶことが出来ました。





三日間を通じて、仲良くなったメンバーと本当に楽しい一時を過ごすことが出来ました。

個人的に、この様な体験を通じて心の絆が結べると思います。期間が短くとも、お互いに力を合わせて何かを成し遂げ、充実した時間を過ごすことにより、心の距離が縮められると思っています。

現在、日系人ユースが集まって、意見交換する場は非常に少ないです。海外日系人大会では去年から「ユース会議」が開催されることにより、我々に非常に良いチャンスが与えられたと思っています。今回結ばれた絆を維持し、将来のネットワークに応用できるかどうかは、自分ら次第です。

より良い日系社会のために。。。
より良い世界のために。。。

第47回海外日系人大会B[2006年09月28日(木)]








二日目の「代表者会議」では次のテーマが議論されました:

1. 海外日系人社会の歴史に学ぶ
2. 海外日系社会の新たな発展のために
  − 日本語教育の充実
  − 在日日系就労者への支援
  − 若い世代を日系社会に
  − 国際日系ネットの樹立へ

議論の中で、印象に残ったのはメキシコ日系人の春日さんが述べた「これからの日系社会は、日本の支援に頼らず、自立する必要がある。そのために、若い世代にリーダーシップ、経営方法などを学ばせなければいけない。日系人は現地の文化と日本の文化両方持ち、比較が出来るため120%の人間になれる」と言う言葉でした。

まだ飛行機がない時代に、1世たちはよりよい未来のために、もう二度と戻れないかもしれないという不安を抱えながら未知世界に飛び立ちました。言葉、文化、差別、第2次世界大戦などの壁を乗り越えて、信頼される社会を築き上げました。それは、1世たちが持っていた「勤勉、正直、強い意志、能力とコンプライアンス精神」などがあげられます。

我々日系ユースは1世たちの頑張りのお陰で、平和で豊かな時代に生まることが出来ました。しかし、いつとなくこの豊かさになれてしまい、「どんな壁にぶつかっても、何とかする」という精神を失いかけています。

日系人だけではなく、現社会の多くの人間は「問題を見つけ出し、批判する」ことに対しては1流ですが、「自分で何とかする」人は本当に少ないです。いつか本で読みましたが「解決の一部でなければ、問題の一部であることを頭に入れておけ」という言葉が頭によみがえりました。

日系社会の問題を改善するためには「思考の変化」だと個人的に思っています。チャンス、支援を座って待つのではなく、自分たちでチャンスを作る必要があります。社会に押し付けられた限界は架空でしかない、1世たちは不可能を可能に変えました。





我々にもそれが出来ると信じています!!

続く:http://blog.canpan.info/heiji/archive/129

第47回海外日系人大会A[2006年09月27日(水)]


第47回海外日系人大会のアトラクションの部に、歌手の「井上祐見」さんが招かれました。







ステージに上がった瞬間から、美しく透き通る声に、感動を味わいました。
ボ〜ッと見とれていたボクを、後ろの友人たちがからかっていました。
コンサートの前半は明るい歌が多く、会場が盛り上がりました。でも後半からじっくりと歌い始め、それにじっと前列で聞き入る1世のおじいさん、おばあさんがいました。

いつとなく、後ろの友人たちの笑い声が聞こえなくなり、集中した表情が目立つ様になりました。「Eu sou Japonesa(私は日本人女性)」という曲は最後の方に流れ、本当に心に届く不思議な力を感じました。

 「En sou Japonesa」
  移住坂を登れば 神戸の街並み 海の向こうは 
  異国の空よ
  ドラが鳴る 別れの メリケン波止場は
  涙たそがれ いつか戻ると 心に誓う
  En sou Japonesa  いつまでも
  En sou Japonesa 忘れない
  いつも心に 抱いている 白地に赤く燃える想い


自分のお爺ちゃんやお婆ちゃんのことを思い出し、目が潤うのを感じました。
会場に目を向けたら、涙を流しているヒトが大勢いて、自分も隠れながら、涙を拭いていました。

コンサート中に、井上さんは南米に興味を持った理由として「ブラジルでの『のど自慢大会』を見て、現地では歌で日本語を継承していることを知り、ここだったら自分の歌を必要としてくれるのかな、私が日本語の歌を届けたら喜んでもらえるのかな、と思い、公演を企画しました」と説明しました。



人を感動させる美しい声を持っていますので、これからも頑張ってください!!

続く:http://blog.canpan.info/heiji/archive/128

第47回海外日系人大会@[2006年09月26日(火)]



今週の26〜28日の間、第47回海外日系人大会に参加をしました。この大会には世界の日系代表者が集まり、日系社会が抱えている問題について話し合うところであります。詳しくは海外日系人協会のホームページを覗いてみて下さい。

初日の26日は「運営会議」や「ユース会議」があり、我々日系留学・研修生はユース会議の方に参加をしました。ユース会議には48名の青年たちが参加し、積極的に「日系社会の抱える問題」の改善方法についてディスカッションをしました。










この三日間の間、心に残る出会いが山ほどあり、感じることがたくさんありました。

続く:http://blog.canpan.info/heiji/archive/127


日系人の教育問題[2006年06月19日(月)]



今日はネットで偶々「日系ペルー人の子供たちに対する教育とスペイン語継承」をテーマとした論文を見つけました。

論文の中では「出稼ぎ現象」、「教育問題」、「アイデンティティ」など様々なテーマを取り上げています。

日本で生活している「出稼ぎ」は様々な問題を乗り越えなければいけません。
−言葉の違い
−文化の違い
−考え方の違い
−食生活の違い
−仕事上、教育上での問題
などたくさんあります。

私も1988年の終わり〜1994年の始めまで、日本で生活をしました。
両親のセラミックの工場が、当時のインフラに耐えることが出来なく、倒産しました。抱えていた借金を返すために、日本に家族で出稼ぎで来ました。当時、私は11歳で、神奈川県小田原市久野小学校で5年〜6年生、それから白山中学で卒業まで勉強しました。

小田原市では「外人の子供」が初めて小学校に入学希望をし、市役所の役員たちも困った顔をしていたのを覚えています。「言葉が出来ないから小学校1年生からやり直す」案も出ていました。幸いなことに1年だけ落とされ、勉強することが出来ました。

最初の半年は「言葉」に困りましたが、友達と遊びながら、それから、担任の先生とのマンツーマン補講で日本語を覚えることが出来ました。私は本当に「心の優しい担任の先生と友達に出会ったと思っています。先生は自分から、昼休み、夏休み、春休みなどに、小学校1年生〜4年生までの国語を教えてくれました。先生のアイデアで、その日に行った勉強はテープに録音し、宿題として発音練習もやりました。

先生は「勉強」と「遊び」を上手く両立してくれて、本当に楽しかったです。1時間の勉強の後必ず、20分間卓球を一緒にやっていました。そのお陰で、大変さを感じることなく、1年間で1年生〜4年生までの国語を終えることが出来ました。その後は勉強に困った覚えがありません。先生には本当に感謝しています。友達にも恵まれ、カルチャーショックやイジメに会うことなく、日本の生活に馴染むことが出来ました。

これはあくまでも私の経験で、優しい先生・同級生に恵まれない子供たちがたくさんいます。論文では様々な視点から、この教育問題を取り上げていますので、是非一度読んでみて下さい。


日系社会の世代交代[2005年10月08日(土)]



現在、日系社会は大きな問題を抱えています、それは「世代交代」です。今までは、1世、2世により日系社会が築き上げられ、支えられてきました。「日本人・日系人」の誇りを大きく持って、異国で何とか前に進みたいと言う共同的な気持ちがエネルギー源となっていました。そのお陰で、団結力に溢れ、どの様な困難も乗り越えることが出来ました。

しかし、3世、4世、5世まで生まれた今では、「団結力」が薄れ、様々な問題が生じています。3世からは現地の友達を多くなり、日系社会活動での青年部の参加は非常に減っています。これが元になり、20代と50代の間に大きなギャップが生まれました。「50代が引退したら、誰が後を引き継ぐのでしょうか?」、現在大きな課題となっています。

「世代交代」は今年行われた第46回海外日系人大会でも取り扱われました。更に、初めて、ユース会議が開催され、留学・研修生(約80人)が活発に参加することが出来ました。






そのとき話し合われた内容のまとめ:
 


ユース会議後のまとめ




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