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どこまでも続く人の大行列[2008年05月09日(金)]






人 人 人 
で埋め尽くされた
この道に入ると
人と人の距離が
あっという間に
なくなってしまう



前の人
後ろの人
横の人の
ペースに合わせながら
歩かないと
ぶつかってしまうほど
体と体の距離が近い



でも
そこには
人としての
暖かさを感じられないのが
悲しい。。。
物質的な距離が近いけれども
心と心の距離は信じられないほど
大きな溝によって
離されているように
感じる

みんな何を考えて歩いているのだろう
みんな何を感じて歩いているのだろう



美味しそうな缶詰[2008年05月08日(木)]
実際に会った話しです



初めて日本に来たのは「南米日系人出稼ぎブーム」が始まった88年の終わりでした。この頃、日本には外国人が少なかったためローマ字の看板はほとんどなく、スーパーの商品は漢字ばかりでした。今の様に教えてくれる外国人の先輩もいなかったため戸惑いの連続と失敗を繰り返しながら生活を送っていました。

今となって笑い話ですが、日本に来て間もないとき、神奈川県に住んでいた出稼ぎの叔母さんの家に遊びに行きました。みんな日本に来たばかりで、電車に乗るのも一苦労でした。普段なら1時間で行ける距離を3〜4時間かけて移動をしていました(笑)。この日も思った以上に時間がかかってしまい、昼食の時間が過ぎていましたので、お腹を空かしながら叔母さんの家に着きました。

「叔母さん、お腹空いたよ〜、何か食べるものない?」と聞くと、嬉しそうに「昨日、やっと魚の缶詰がどきにあるのか発見したよ〜、それに何故か知らないけど、50%オフになっていて安かったよ〜」と述べました。「上の棚にあるから出して、何か美味しいものを作ってあげるよ」と付け加えました。棚を空けてみるとそこには魚の缶詰は見つからず、日本語と漢字ばかりが載せられている缶詰数個ありました。カタカナとひらがなしか読めなかった僕は注意深く書かれている文字を見たら「キャットフード」の部分だけ理解できました。

叔母さんに缶詰を見せながら「これ〜?」って聞いたら、「そうそう、それ美味しいよ、昨日サラダにして食べたよ」と嬉しそうに返事をしてくれました。

この日みんなで大笑いをしました


春の研修会[2008年05月01日(木)]


4月25日〜29日の間、横浜JICAセンターで「2008年日本財団留学生の研修会」が行われました。我々日本財団留学生は日本全国に散らばっていて、全員で会えるのは年に三回です。春の研修は現役留学生と新期生が初めて顔を見合わせる大切な意味も持っています。

私は1期生ですが、時間が経つのが本当に早く、今年で5期生を迎えることになりました。希望、期待、そして不安に満ちた新期生の顔を見ると4年の前の自分の心境が蘇りました〜。




日本財団留学生の人数が毎年増えてきています。自分が新期生だった頃は9人しかいなかったのが、今では30人近くに昇ります。人数が多くなればいいことも沢山ありますが、その中で中々グループに溶け込むことが出来ない人も出てきます。そのために、今回の研修会で出来るだけアイスブレーキングが出来るよう工夫されました。



アイスブレーキングのためのコスチュームパーティー




今回の研修会では「アイスブレーキング」や「スポーツ&リクリエーション」以外に、「日本財団の事業紹介」、「日本財団伝統医療事業」、「個人研究・勉強の紹介」、「グループの活動」などについて、幅広く話し合うことが出来ました。いろいろな意味でバランスの取れた研修会になったと思います。



海外日系社会ボランティアとの交流




これだけの人が集まると、専門分野の違いは勿論、考え方、仕事の仕方の違いが目立つ様になります。そのため様々な摩擦が生じてきます。これは個人的にマイナスなことではなく、逆にポジティブなことだと思っています。考え方の違いが多ければ多いほど、グループとしての視野と柔軟性が広がり、より多くのネットワークを得ることが出来ます。

個性豊かなグループの「違い」を「原動力」に変えるためには、一人一人の「受け入れる姿勢・心」が大切になってきます。

今回の研修会は自分の心のあり方を見つめ直すための重要なきっかけになったと思っています。

みんなこれからも頑張って行こうね〜!!!

久しぶりの小学校[2008年04月07日(月)]


日本に来てあ〜っと言う間に4年近く経ちましたが、一度も自分が子供の頃住んでいた「小田原市久野」に行くことが出来ませんでした。いつも「行こう行こう」と思いながらも、中々時間を見つけることが出来ませんでした。今回は元クラスメートにお願いして、思い出深い場所の数々に連れて行ってもらいました

まず行ったのは小学校でした。今振り返ってみると、小学校に戻ったのは15〜16年ぶりでした。「時間過ぎるのが本当に早いな〜」とつくづく思いました



学校の玄関に子供ころ毎日読んだ詩を見つけたときは胸が和みました。正直なところ詩の内容は今まで忘れていましたが、読んだとたんにいろんな思い出がよみがえりました(初めて学校を見たとき、日本語が話せなかったころの苦労、支えてくれた友達・先生たち・・・)。





学校そのものは何も変わっていませんでしたが、一つだけ寂しい発見がありました。学校の周り全てが金網に囲まれていて、授業外時間、子供たちも入れないようになっていました。自分が通っていたころは放課後、殆ど毎日学校に残って日が暮れるまで遊んでいました。週末や休み期間も学校のグラウンドが遊び場となっていました。ペルーではありえないことでしたので、強く印象に残っていることでした。学校に自由に出入りできたお陰で、心に余裕を持ちながら伸び伸びと育つことが出来たと思っています。日本の田舎の特権だとずっと思っていましたので、金網と門を見たら何となく寂しさがこみ上げてきました

今の子供たちは「どこで遊んでいるんだろうか〜」、「家でテレビゲームばかりやっているのかな〜」と思いながら学校を見回しました。


学校の近くにあった駄菓子屋も昔のまま残っていました



放課後学校で遊んだ後、必ず何かしら買いに
行ったところでした
嬉しかったのはおばあちゃんが僕のことを
覚えてくれてたことでした

「おばあちゃんこれからも元気で頑張ってください!!」





自分の夢への第1歩[2008年04月01日(火)]

去年からいろいろなことに追われる毎日を送っていたら、いつの間にか最後のブログ更新から4ヶ月近く経ってしまいました。この間、一番大変だったのは鍼灸師国家試験のための勉強でした。

国家試験の問題を一つ一つ冷静に分析したら、それ程難しくはないのですが、13科目の中から浅く広く問われるので、暗記しなければいけない情報が多いです。個人的に「何故を問わずにただ暗記をする」のが苦手なほうですので、思った以上に苦労しました。ま〜でも何とか無事合格と卒業することが出来たので今ホ〜ッとしています



思い返せば6年前、鍼灸の世界と出会い、勉強を深めようと思っていました。。。でもペルーに正式な学校がないため、「どうしょう〜かな〜」といろいろ迷っていました。ペルーに学校がなければ、外国に出るしかないのですが、そのためのお金がありませんでした。物価の違いもあって、ペルーでいくら頑張っても海外自費留学は夢のまた夢でした。当時の奨学金制度もたくさん調べましたが「専門学校」で勉強するための奨学金はなく、お手上げ状態でした。

1年近くいろいろ探したが、明るい道が見つかりませんでした。そんな中、2003年の終わりに夢の様な記事を「ペルー新報(日系社会の新聞)」で見つけました。日本財団の新しい「日系人スカラーシップ」でした。。

新聞記事を見つけてから4年近く経ちましたが、日系人スカラーシップのお陰で、不可能に近かった夢が現実になりつつあります。スカラーシップを運営している日本財団と海外日系人協会には心から感謝しています。

これから始まる大学院も一所懸命頑張りたいと思います



パナマ運河[2007年11月13日(火)]



今回ピースボートに乗って、初めてパナマ運河を
見ることが出来ました


パナマ運河は太平洋とカリブ海を結んでおり、全長約80km、最小幅192mです。

大西洋に比べ、太平洋側の海面は24cm高く、豊富な降水量(人造湖)を利用して、標高の高い部分を船の水位を上げて通過させるために閘門(こうもん)を採用しています。水位が上昇するスピードは想像していたより早く、普通のエレベータと変わらないぐらいの早さでした




運河通過するのは初めての人が多くて、
船の前後に集まっていました。
僕たちCC(翻訳・通訳スタッフ)にとって
久しぶりのフリーデイでした!!!
忙しい毎日の中のオアシスに
感じました




パナマ運河には一部幅の狭い区間があり、船が自力で航行できないため、専用の電気機関車を用いて船を牽引します。運河の両側にラック式の線路が敷設され、両側の機関車からそれぞれワイヤーで引っ張って船を水路の中央になるように保ちながら牽引します。

運河の簡単な歴史:



スエズ運河を拓いたフェルディナン・ド・レセップスの手で建設開始されましたがいろいろな事情により放棄されました。その後パナマ運河地帯としてアメリカ合衆国によって建設が進められ、10年かけて1914年に開通されました。長い間、アメリカによる管理が続いたが、1999年12月31日にパナマに完全返還されました。現在はパナマ運河庁(ACP)が管理しています。

これからの運河:
船の大型化が進むにつれて、パナマ運河を通れなくなる船が多くなっています。そこで、2006年に「運河拡張計画」がパナマ運河庁より提案され、国民投票により実施されることが決定されました。

予定では、新たに第3レーンを設け、完成後は現在の2倍の約6億トン(船舶トン数換算)の航行量を見込んでいます。総事業費52億5千万ドルで、2014年に工事を終わらせる予定となっています。



光と影[2007年09月26日(水)]


光と影が生む
絶妙のバランスが
組み合わさると
目を疑う
美しさが
生まれる



影があって
初めて
光に輝きが
生まれる



自然の中でも
街の中でも
その美しさは
変わらない



そして
人の心も
人生も
同じだと思う

闇があって
初めて
幸せに
輝きが
吹き込まれる



大切なのは
闇を否定するのではなく
光だけを追い求めるのでもなく
両方とも
快く受け入れ
バランスを
保つことだと思う


世界無形遺産[2007年09月24日(月)]




コロンビアでは「世界無形遺産」に登録されている「パレンケ・デ・サン・バシリオ村」に行くことができました。「パレンケ・デ・サン・バシリオ」は人口約3,500人の村で、地方の中心地であるカルタヘナの南東に位置するモンテス・デ・マリアの丘陵地帯にあります。



パレンケ・デ・サン・バシリオはパレンケと呼ばれる、「塀で囲まれたコミュニティー」のひとつで、17世紀にこの地に逃れてきた奴隷たちの隠れ家として作られました。数多く存在したパレンケのうち、現在まで存続しているのは「サン・バシリオ」だけで、独自の社会、医療、宗教、習慣に加え、音楽や言語を保ち続けています。その多くの源はアフリカにあります。

このツアーで一番印象に残ったのは、パレンケ村のダンスでした。アフリカ由来の踊りだけあって、体の動きが非常に激しかったです〜。特に「La Pava(七面鳥)」という踊りが強く記憶に残っています。このダンスは七面鳥の「愛のダンス」を表現しているそうです。




「La pava(七面鳥)」ダンス



ピースボート側からは「なんちゅうそ〜らん」が披露されました。




Otton Solis[2007年09月21日(金)]


ピースボート第58回クルーズに、コスタリカから次期大統領とも言われている「Otton Solis(オットン・ソリス)」が水先案内人(講師)として乗船しました。大統領候補で、有名な人にも関わらず、ソリスさんは非常に暖かな心の持ち主でした。



ソリスさんはニューヨーク〜コスタリカまでの約2週間乗船していました。その間、「コスタリカの歴史と現在」、「CAFTA(中米自由貿易協定)」、「憲法12条(日本の憲法9条に相当する)」、「中米の統一化」などについてのレクチャーを行いました。



それまで中米のことについて殆ど興味がなかったボクはたくさんのことを学ぶことができました。レクチャー中にコスタリカの「GDP」、「識字率」、「平均寿命」が中米の中でトップだということを聞いて驚きました。それから、コスタリカが1948年に「平和憲法」を定め、軍を解体したことも驚きでした。ソリスさんの話では、軍事費用に当てていた予算を教育や地域発展に当て、国が大きく成長したそうです。

「軍を持たないことにより、他の国から攻められる恐れはないのか?」という質問がありましたが、これに対してソリスさんは「軍を持っていなければ、他の国は威嚇を感じないので、攻めてこない。それに軍がなければ、戦争が成り立たない」と返事をしていました。「日本も平和憲法を持っているので、姉妹国家と思っている。今の世界に平和を訴え続けるために協力しあわなければいけない。世界の軍事費用(約百六兆円)を地域発展に当てることができれば、素晴らしい世界に変えることが可能だ」と強く述べていました。



ソリスさんの話を聞いて、たくさんのことを考えさせられました。個人的に話しをしたときも、彼の愛で溢れた、暖かな心を感じることができました。政治に関わっている人が、ここまで自分の意思と暖かい心を保ち続けられることはすごいと思いました。

ソリスさんこれからも頑張ってください。
本当にありがとうございました。



台風が去ったあと[2007年09月20日(木)]


台風が去ったあと
嫌なイメージばかりが
頭に残るし
ニュースなどでは
破壊的な一面だけを
捕らえることが多い

この間
散歩していて
たまたま
台風の足跡の
違った一面を
発見した



雲と雲の間から
顔を出し始める
太陽の光りは
何ともいえない
美しいコントラストを
編み出し



芝生の上に残った
水溜りは
別世界を
映し出す



そして
雨にうたれ
風に吹き荒らされたあと
植物に残った
水滴は
いつにも増して
美しく輝きだす





台風の足跡を見て
自分の心の中で
吹き荒れていた
問題の数々は
吹き飛ばされたかの様に
和やかな
気持ちで満たされ
久しぶりに
胸の奥から
新鮮な笑顔が
こぼれていった


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