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偏見の効能 その1 [2011年02月16日(Wed)]
筆者 事務局

「偏見」は「偏って見る」と書く。
物事を素直に見ないで、色眼鏡で見るというのは、確かによくない。

「偏見」を英語ではPrejudice(プレジュディス)という。
Preは「前もって」、judiceは「判断する」の意。
字義から言えば「対象をよく知る前に、前もって判断すること」という意味。

「偏って見る」ことはよくないが「前もって判断すること」は重要なことだと思う。


例えば、最近増えている子供を襲う変質者。

子供の通学路になっている道路には
「不審な人をみたら、交番に連絡をしてください」
という看板がいたるところにある。

「あやしいと感じたら、不審者と思って連絡しろ」と「人を外見で判断しろ」いうわけだから、これも「偏見」と言えば、偏見だといえないこともない。


しかし、これについて
「それはおかしい、人を外見で判断しちゃいけない」
「これは偏見だ」とは誰も言わない。

なぜなら「子供をまもる」という大義があるから。


世の中には、このように何かを守るために前もって判断しなくてはならない事が沢山ある。

「偏見」はよくないが、「前もって判断すること」は必要なことなのだ。


「前もって判断すること」を「偏見」というなら、それは必要な「偏見」。



心配するにも資格が必要 [2011年01月28日(Fri)]
筆者 事務局

他人様のことを心配するのにも資格があるように思う。


問題に対処する能力も、余裕もないのに、他人様のことを心配して

「○○のこと、困っていないか?」

などとふって、

それで、相手が漸く勇気を出して話をしたとしても

その事に対して、なにもできないのであれば

相手には「相談しても無駄だった」と、虚しさが残り

声を掛けた方には、罪悪感が残るだけ。


本当に困っている人にとっては

「同情するなら金をくれ」なのだ。

金もないのに、いたずらに心配するだけの輩には

「お前一体何なんだ?」と、いいたくもなる。


中には、相手の深刻な問題を、世間話のネタにする人間までいる。

ネタにする人間は、善意で話しているのかもしれないが
ネタにされる側にしてみれば、たまったものじゃない。

「本当に心配してくれるなら、黙ってくれ」が本音と思う。


「心配してくれる人がいるだけ、ありがたいと思え」

という人がいるが、「ありがたい」と思えるだけの余裕がないのだ。

相手の心遣いに気をつかうだけ、疲れが増すばかり。


「人に話すだけでも、楽になるものだ」

という人がいるが、話すだけで楽になる問題であればそれでいいが、それで済まないから問題なのだ。


まずは最低限、自分の生活・家族の生活を守れる人間でなければ

人様の問題について関心を持つ資格はないのだろう。




情報障害の意味するところ [2011年01月27日(Thu)]
筆者 事務局

「自分達が不利な状況に置かれていることさえも分からない、それが情報障害」

と、言われている。

これは、逆もまた真なりで

「自分達が、他の人よりも恵まれていることさえも分からない、それも情報障害」

ではないか。

恵まれていることをちゃんと伝えることも、情報支援と思う。




【ち】小さな禁止が大きな抑圧(牧衷著「運動論いろは」より) [2010年05月31日(Mon)]
筆者 事務局

「運動論いろは」(牧衷著 季節社)が面白くて、暇ある毎に読んでいます。

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この本に掲載されている、牧さんの「いろは歌」の1つを取り上げて、その感想を記します。


【ち】小さな禁止が大きな抑圧


人は「大きなことを禁止される」ことは、対して抑圧とは思わない。

例えば、殺人、盗み、暴力など。

でも、ささいな事、どうでもいい事を禁止されると、大きな抑圧に感じる。


「ささいな事なんだだから簡単だろ?だから言うこときいてくれよ」というのが言う側の論理。

でも、その些細なことほど禁止されると、言われた方は抑圧に感じる。


なるほどなぁ、その通りですね。


そうやって尾崎豊の「卒業」というような歌がでてきたんだろうなぁ。