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長岡市が送った錦鯉を上海万博側が毒殺 [2010年12月22日(Wed)]
筆者 事務局

なにげなく、新潟県立長岡高校出身の櫻井よしこさんのブログを読んでいて驚いた。

日本人の愛する錦鯉を毒殺した中国
http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2010/11/25/%E3%80%8C%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%84%9B%E3%81%99%E3%82%8B%E9%8C%A6%E9%AF%89%E3%82%92%E6%AF%92%E6%AE%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%80%80%E3%80%8D/

毒殺された錦鯉は、山古志のもの。

長岡市は、契約上は万博終了後処分することになっていると説明しているらしいが
錦鯉を展示した山古志の燒国利さんには、事前にその連絡がなかったそうだ。

中国も酷いが、長岡市の方も、あまりにも酷いではないか。

処分が前提なら、イの一番に、高野さんたちに連絡しておくべきじゃないか。


錦鯉は、燒さんたちの目の前で、毒殺されたとのこと。

どんなにつらかっただろう。



ネイティブは強し [2010年12月19日(Sun)]
トヨタ パッソの津軽弁のCM 



津軽弁ネイティブによる模範演技


さすがネイティブ、年季はいってるわ。



非常に恥ずかしい日本政府の対応 ノーベル平和賞授賞式典出欠保留 [2010年11月17日(Wed)]
こうした道義的な賞のイベントに関し、配慮する必要は全く無いのではないでしょうか?

大変、おめでたいイベントなのですから。

受賞者を出した国が、受賞の事実をどのように受け取ろうが、日本には知ったことじゃない。

このように前にでるべきところでしっかりと前に出ず、尖閣問題のように引くべきではない所で引くという政府の対応は、承知できません。

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日本大使、出欠保留…ノーベル平和賞授賞式典
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101117-00000193-yom-pol

12月10日にオスロで開かれる中国民主活動家・劉暁波(りゅうぎょうは)氏(54)のノーベル平和賞授賞式典に招待された駐オスロ日本大使が、回答期限の15日を過ぎても出欠を「保留」していることがわかった



人のために生きれば孤独から解放されるのか? [2010年11月15日(Mon)]
筆者 事務局

ある有名な人の言葉。

「自分のためにでなく人のために生きようとするとき、その人は、もはや孤独ではない」

を見て思ったこと。


この「孤独ではない」が、宗教的・抽象的な他者との一体感を意味するのだとしたら、それはそうなのかもしれないが、私はそれで満足できるほど人間ができていない。

この言葉、このままでは個人的には受け入れられない。


実際「人のために生きる」という事は、誰かと出会って、その人のために何かを為すこと。

そして自分の行為によって、相手がどうなったのかを知ることになる。

「相手のためにしたこと」が「相手のためになる」場合もあるが、必ずしも「相手のためになっていない」こともある。

むなしい結果、マイナスの結果に終わることもある。

それでも相手とのつながり・絆が残ればいい。

しかし反対に、その相手からムゲに扱われ孤独を味わうことになる、という事も現実としてある。

人のために生きた結果、逆に人とのつながりを失うということが現にある。

恋愛においてしかり、結婚生活しかり、仕事しかり。

孤独な人生から逃れられた筈なのに、孤独に陥ると、多くの人はそこで相手を恨むことになる。

「人のために生きる」ことは、必ずしも「孤独からの解放」を意味しないのだと思う。

「自己の孤独からの解放」のために「人のために生きる」人は、もし周囲から疎外され孤独になるる可能性がでてきたならば、だれか人を犠牲にしてでも、自分を孤独から守ろうとするのだろうと思う。



「人のために生きる」というのは、たとえ孤独になっても、『自分が”価値がある”と信じる事』を大切にするという事なのではないか、と思っている。

自分の信じるところに従って生きて

その結果、人の役に立てば、それで幸い。

たとえ人の役に立たなくても、自分の信条を守ることができれば、それで幸い。

それでいいのではないか。


この名言を私なりに言い換えると

「孤独もまた楽しからずや。人事を尽くし天命を待つのみ」

というところか。





【歴史】西郷隆盛(南州)は”征韓論”に敗れて下野したのではない? [2010年10月22日(Fri)]
筆者 事務局

先日、国会答弁で仙谷官房長官が、尖閣問題の対応に関する答弁の中で、西郷南州のことについて触れていた。

仙谷さんが、「西郷南州は”征韓論”に敗れて下野した」と発言されていた。

中学校のとき私もそのように教わったような記憶がある。

この夏、鹿児島に行ったとき、西郷さんゆかりのところを回った。

南州神社のそばにある顕彰館の展示物の中だったと思うが、「西郷南州は”征韓論”に敗れて下野したのではない」ことを説明するものがあった。

「征韓論に敗れて下野した」というと、「西郷さんは、朝鮮を武力で征伐しようとしたが政府の中で賛同が得られず敗れて、鹿児島に帰ってしまった」というように受け止められてしまう。

その展示物では「遣韓論」という言葉で説明をしていた。

明治になり、明治政府が朝鮮に日本が王政復古した事を知らせる特使を幾度か送るが、相手にされずなしのつぶてだった。

”武力で朝鮮を征伐すべき”という機運が高まる中、西郷さんは、「位の低い者ではなく参議である自分が行って礼を尽せば、対応してくれるのではないか、そこでまず自分が全権大使になって朝鮮に行く」といった。

しかし閣議で認められたのにも関わらず、岩倉具視の工作によって、なしになったことを西郷さんが不服として下野した。

という説明があった。

これによれば西郷さんは危険を承知で「朝鮮に自ら話しに行く」と、自分から買って出たのだった。

「西郷隆盛は”遣韓論”に敗れて下野した」という方が史実にちかいのではないだろうか?

このあたりは意見が分かれるところだが、近代日本の礎を築いた大人物である西郷さんファンの私としては、「西郷隆盛は”遣韓論”に敗れて下野した」を支持したい。




ドイツ・メルケル首相の「多文化主義は失敗した」の発言について感じたこと [2010年10月22日(Fri)]
筆者 事務局

日本にはまだしっかりとした移民政策がない。

政府は、介護などの分野で場当たり的に労働力不足を外国から補うということをしているが、あのような、日本側の都合でいつでも雇用契約を切ってしまうよな、使い捨て的なやり方では、相手の国に対して失礼であるし、せっかく来てくれた方々が持つ日本に対するイメージも悪くなるばかりではないだろうか?

私個人は、日本人は、まだまだ移民を受け入れる用意ができていないと考えている。

それは日本人自身が、日本人とは何なのか、そのアイデンティティが熔解してしまっているからだ。

自国に誇りを持てない国民が、言葉も文化も違う人たちを受け入れることなど出来るのだろうか?



例えば日本の聴覚障害の世界では、こういうことがある。

「自分達は、手話という言語を話し、独自の文化を持つ民族だ」というような主張をする人たちがいる。多くはろう学校卒の障害者手帳2級以上の聴覚障害者。

彼らは、行政に対しては、聴覚障害ゆえに不便を被っていると主張して充実した福祉サービスと不労所得を享受し、その一方、支援者に対しては「独自の文化・言語、民族性」を主張して、支援者に対し自文化への同化、さらに従属的支援を要求する。

彼らは、障害者ゆえの十二分なサービスを享受しながら、一方では「我々は障害者ではない、言語的・文化的マイノリティだ」と主張する。日本の聴覚障害認定の基準は厳しく、軽・中度の聴覚障害者には何の福祉サービスもないが、こういう他の聴覚障害者のことはほったらかし。自分達が、行政や多くの支援者から支援を受けているにも関わらず。

また彼らの多くは、マジョリティの文化や言語を知る努力をしようとしない。

そのような行為は「自文化に対する誇りを持っていない証拠だ」というような見方を仲間からされてしまうから。「マジョリティの中においても自文化を貫き通すことが誇りだ」というような価値観がある。

こういう人たちに対して、これまで聴覚障害者を支援してきたボランティアの多くは何もいえない。言えば「差別だ」「理解がない」と言われ、障害者の理解者・支援者としての自分を失ってしまうため。

すべて、おいしいとこどりなのだ。

「低きところに流れる」のは皆同じ。

おそらく、日本が今のままでドイツのように移民を受け入れたら、これと似たような事が大規模に起こるのではないかと思う。

そしてそういう人たちに意見する日本人は、彼らに「マイノリティを差別するな。俺達の文化や言語を尊重しろ」と反発を食らう。多様性を認めない非寛容な人間だというレッテルを貼られる。

詳しいことは分からないが、メルケル首相の「多文化主義は失敗した」発言も、このマジョリティの言語・文化をないがしろにし、ドイツ国内に次々と異文化社会をつくる人たちに手を焼いてしまったということではないか、と想像する。

不用意に移民を受け入れれば、アイデンティティの熔解している今の日本は、これよりも酷いことになるのではないかと思う。

国が健全に存続するには、多様性の中においても、みなが1つになれる「何か」がなくてはいけないと思う。

日本が移民を受け入れるとしたら、その条件は何なのかを考えてきた。

今の私の考えは

1「日本の皇室を尊重すること」を誓約する
2「日本の風土、言語、文化を尊重する事」を誓約する
3日本が脅威に晒されたときには、共に戦うことを誓約する。

なのではないかと思っている。

1については、日本は歴史的に「天皇陛下の御前では、どんな人もみな対等」とすることで、異なる思想を持つ国民をまとめ、平和を保ってきた。異なる言語や文化を持っていても、皇室を尊重することで、同胞になることができる。

2については、まだ整理できていない。

3については、日本には徴兵制度がないので何とも言えないが、この3を設けることは、かなり有効だと思う。


しかし、一番の問題は、今の日本人自身が、これらができていないことだ。

まずは日本人が、日本人の誇りを彼らに示すことができなければ、移民を受け入れてはいけないのではないだろうか。

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移民政策 独首相発言 「多文化主義は失敗」波紋

【ロンドン=木村正人】ドイツのメルケル首相が最近、「多文化主義は失敗した」と述べ、波紋を広げている。各民族の文化を尊重する多文化主義は移民政策の理想モデルとされてきたが、移民を受け入れてきた国々で1990年代から文化摩擦が相次いで表面化。ドイツでも米中枢同時テロ後、イスラム原理主義への警戒心が強まり、金融危機やその後の財政危機で仕事や年金が移民に奪われるとの懸念が高まっていることが背景にある。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101020-00000118-san-int



一体どうなっているのか? 「大麻手に入る」6割超 [2010年10月21日(Thu)]
筆者 事務局

私が学生のときには、考えられなかったことが今おきている。

一体誰から買うのか?誰が売ってるのか?

関関同立の私立4大学とは、関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学の4つ。
大麻を国内で栽培するリスクがあることを考えると、おそらく国外から持ち込まれているのだろう。

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「大麻手に入る」6割超 関関同立、新入生意識調査

 関関同立の私立4大学は21日、今春入学した新入生に実施した薬物に関する意識調査の結果を発表した。「大麻が手に入る」と答えた学生の割合は3分の2で、昨年の新入生の3分の1から倍増しており、薬物の誘惑が年々身近に迫っている実態を浮き彫りにした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101021-00000015-kyt-l26



うちの畑と国防 〜国防を他国に委ねる事の代償を考察〜 [2010年10月19日(Tue)]
筆者 事務局

すべてのことは繋がっているんだな、としみじみ思う今日このごろ。

この夏はとても暑かった。畑作業も大変だった。1時間も作業すれば暑さで頭クラクラになった。

いまの時期は大根の間引き作業が中心。これから大豆の収穫作業が待っている。

今年の大豆はわりと出来がいい感じ。

たわわに実った大豆を見ていて、思ったこと。

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尖閣問題がおこった後、外務大臣の前原さんが米国国務長官さんのヒラリーさんに、尖閣諸島も日米安保の対象地域であることを確認した、という報道があった。

日本の国防は、とことん「アメリカ頼り」なんだなと改めて思った。

そこで、あらためて日米安保について、調べてみた。

日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/jyoyaku.html

決まっていることは、つまるところ

「日本が脅威に晒された時には、日米が話し合う」

これしかきまっていないのだ。

もし脅威に晒されても「いつから守るか」という時期については何も決まっていない。

例えば、中国が米国本土と日本を同時に攻めに来た場合。
米国は当然、米国本土の防衛を優先するだろう。

日本に駐留する米軍をハワイや本土に引き上げさせることも十分に考えられる。
そうなれば米国は日本を守るどころではない。

軍事行動を開始する時期についての約束がないということは、日本が中国に占領されてしまっても「安保条約違反」にはならない。

「今米国本土が大変だから、ちょっと待ってくれ。落ち着いたら行く。」と言えばいいのだから。

また、たとえ米軍が日本を守ってくれた場合でも「日本人の生活を脅かすことなく、軍事行動を取ってくれる」
という保証もどこにもない。

最短距離で目的地へ向かうために、米軍の戦車が高速道路を利用して道路がガタガタにされても、日本は何もいえないだろう。

田畑を踏み潰されても何もいえない。

「助けにきてくれた」わけだから。

でももし日本に正式な軍隊があって、自主的に国を守るのであれば、日本人の生活への影響を最小限に抑える形で軍事活動を行ってくれるのではないだろうか?

自分の国を荒らしたくないという気持ちが働くであろうから。

国防を他国に委ねているということは

「日本人の生活を脅かしてもいいから、家族が数人死んでもいいから、どうぞ軍事行動を優先しちゃってください。」

ということなのではないだろうか?


もし今戦争が起こったら、いま畑で収穫を待つ大豆ちゃんが米軍の戦車に踏み潰されても、文句は言えないんだろうなぁ。


冷戦が終結し、米国は共産主義伝播の防波堤でとみなしてきた日本を守る必要がなくなった。

そして米国はテロの脅威から本土を守るために、世界各地に展開していた軍を本土に戻している。

東アジアにおいても、フィリピンから米軍が撤退してしまったのは最近なこと。

米軍駐留のおかげで安定していた東アジアの軍事パワーバランスが崩れ始めている。

中国のヘンな行動はその表れなのだろう。


社会福祉は、国が健全であって初めて成立するもの。国家が不安定なれば社会福祉もなにもあったものじゃない。


戦後、日本がこれまで平和を維持できたのは憲法9条のおかげではなく、冷戦のおかげ、そしてアメリカの核のおかげであることは、明らかなこと。

『軍隊を持たないでも国を守れる方策』があってはじめて「軍隊をもたない」という選択をすることができる。

日本は、国防を他国に依存し『軍隊を持たないでも国を守れる方策』を持たないまま「軍隊をもたないこと」を憲法で決めてしまっている。

他国から攻められやすい状況を自分で作っている。かなりやばい。

「交戦権を放棄している国からの軍事的な脅威はないのだから、日本を攻める国はない」という人がいるが、本当にそうなのだろうか?

なにも相手に脅威を感じるから、侵略をするわけではないだろう。

侵略することで利益があると判断した時点で、侵略の動機は成立する。

侵略する理由も捏造しようと思えば、いくらだって捏造できる。
例えば日本国内で、わざと自国国民を暴殺する、それを日本人のせいにして。
そして自国国民を保護する名目で日本に軍隊を派遣し、そのまま居座る。

素人の私でも、こんなことくらいは想像できる。



尖閣問題をみて 新潟市の中国総領事館は本当に大丈夫なのか? [2010年10月05日(Tue)]
筆者 事務局

尖閣問題に関して。

日本の領海を侵犯し、侵犯するどころか

意図的に巡視船に体当たりするという犯罪を犯していながら

国際問題に発展するのを危惧した日本側の配慮につけこんで

謝罪どころか賠償請求をし

報復として、何の罪を犯したのかもはっきりしないまま日本国民を拘束し

尖閣問題に関して一般市民が起こしたデモを「一部の過激右翼の活動」として

歪曲した情報を流す国。


「よき隣人」になる事を最初から放棄しているとしか思えない。


そういう国に日本が総領事館の領地を与えたということは

それだけ日本国内での内部工作がやりやすくなったということ。

日本国民保護のための当然の処置として

国内の中国総領事館の活動にも制限を加えることが妥当ではないだろうか。





携帯の緊急地震速報、ちゃんと機能してんじゃん! [2010年09月30日(Thu)]
筆者 事務局

「いきなり携帯が」 緊急地震速報にネットもびっくり
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100930-00000008-zdn_n-inet

 「いきなり、一斉に携帯が鳴り響いた」「マジびびった」――9月29日午後5時ごろ、Twitterにこんなツイートが続々と投稿された。福島県を震源とする震度4の地震があり、気象庁が都内を含む広い地域に緊急地震速報を配信。対応する携帯電話が一斉に速報アラームを鳴らした。

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速報があって、しばらくしてから揺れがきました。

正直「優秀なシステムじゃん、ちゃんと機能してるんだな」だなと思った。

エリアメールってのがあるんだなと改めて知った。

今後とも気象庁さん、ドコモさん、よろしく!