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Hansen's disease - Rehabilitation/Normalization 「社会復帰」 [2012年04月28日(Sat)]
東村山の国立ハンセン病資料館の2012春季企画展
青年たちの「社会復帰」 ー 1950-1970 ー
が、今日から始まった。
日本のハンセン病問題のなかで、社会復帰が取り上げられることは少なかった。それだけに、期待される。
早速、毎日新聞の記事が英訳され、グーグルで世界に配信された。短い記事ながら、社会復帰の表と裏を指摘している。日本は、ハンセン病自体は過去の病気となった国の一つだけれど、世界でも例外的にハンセン病がメディアで取り上げられることが多い国。しかし、全て国内報道にとどまり、海外に発信されることは極めてまれであるだけに、英文毎日の報道は意味がある。

同展示は、2012年4月28日(土)〜7月29日(日)まで。
(下記、英文毎日の企画展に関する報道を紹介する)
Tokyo exhibition shows Hansen's disease patients' struggle for normal life
A rare exhibition depicting leprosy patients' struggle for normalcy in the face of prejudice is on at the National Hansen's Disease Museum in Higashimurayama, western Tokyo.
The exhibition, called "Seinen tachi no 'shakai fukki'" (Young men's reintegration into society), traces the lives of 11 Hansen's disease patients, who in their youth chose to leave the sanatoriums where they were being treated to pursue a normal life, despite strong prejudice against the disease in Japanese society.
The 11 people, most of whom are now in their 70s or 80s, were treated for Hansen's disease in the 1950s, when chemotherapy began to spread as a common treatment for the disease, resulting in significant improvements in patients' conditions or even full recovery.
The exhibition is based on interviews, photographs and other resources that depict the lives of the 11 people and their struggle to fit into society after leaving the sanatoriums in their 20s or 30s. The exhibition material was collected by the museum's curator Naoko Nishiura, 40, starting in the summer of 2011. She interviewed a total of 20 people across Japan, and the 11 agreed to be featured in the exhibition.
Among the 11 people is an 83-year-old man from Kagoshima Prefecture who left a sanatorium to follow his dream of having a family of his own, and later opened a Chinese restaurant in Osaka Prefecture.
"The more popular the restaurant became, the more tense I got," he recalls, reflecting on the torment of spending a life of hiding his illness. "I used to worry about what would happen if people learned of my disease. I used to worry about my children, too."
Another man, 76, conveys a profound sense of isolation, saying, "Even if standing amid the hustle and bustle, amid crowds of people, now if I had to say what I am, I'd say I am lonely."
According to museum officials, from the 1950s to the '70s, a number of young men and women suffering from the disease increasingly left sanatoriums after their conditions had improved, and rejoined society. The peak was in 1960, when some 230 people left the facilities.
However, many of them who had grown tired of hiding their illnesses amid people's prejudice against it, or who had feared a potential relapse, later returned to the sanatoriums.
"I hope that by learning about those who have taken the challenge of returning to society, people will take the opportunity to notice the prejudice and discrimination that may be hiding inside them," says Nishiura.
The exhibition runs through July 29. Admission is free.
April 28, 2012(Mainichi Japan)
Posted by Blue Sky at 23:16
鈴木重雄の遺稿『失われた歳月』の再刊への動きが始まった [2012年04月27日(Fri)]

『失われた歳月』上下巻の再刊を願う思いは、すでにこのブログにも書いた。

出版元である皓星社の再刊に弾みをつけるために、有志による支援活動が、関西FIWCの「むすびの家」を中心に始まった。鈴木重雄の故郷、宮城県気仙沼の唐桑は、昨年3月11日の大震災と津波で大きな被害を受け、その復旧に震災直後から、FIWCの「むすびの家」に連なる人々が入っている。まさに「むすび」の歴史が再現している。
鈴木重雄は1912年生まれ。生誕100年にあたる今年に是非とも再刊が果たせるようにと願って、支援要請の趣意書の概要を紹介しておこう。

鈴木重雄生誕100周年/社会福祉法人洗心会35周年
『失われた歳月』再刊を願って

■3・11東日本大震災が発生したとき、唐桑町(気仙沼市)はどういう状況にあるのかをいちばん心配しました。唐桑は、鈴木重雄さんの故郷で、最後に命をかけて設立した社会福祉法人洗心会の関連の方たちが住む町だったからです。やっと連絡がつき無事が確認できて、ただちにフレンズ国際労働キャンプ(FIWC)は復旧支援のワークキャンプに駆けつけました。若い人たちがつけたキャンプのスローガンは「鈴木重雄の唐桑を元気にしよう」でした。
■鈴木重雄さんは1912年4月に生まれ、今年は生誕100周年の年にあたります。大学在学中にハンセン病にかかり国立療養所長島愛生園で28年の闘病生活を送った鈴木さんは、FIWCの「交流(むすび)の家」建設運動に全面的な協力をされて、後に、ハンセン病の歴史で有り得べからざる故郷での町長選挙に立候補するという奇跡を起こしました。僅差で敗れたあと、社会福祉法人洗心会の設立に邁進し、知的障害者施設高松園の開所の直前に他界されました。
■かつて、鈴木さんとともに活動したFIWCのメンバー、およびたくさんの後輩たちが、津波で壊滅的被害をうけた唐桑にかけつけた昨年は、出会いから50年近い歳月が流れていたのでした。この稀有な絆の出発点となった鈴木重雄を最もよく語るのは彼自身の自伝をおいて他にありません。
■鈴木重雄さんの自伝『失われた歳月』(著者名・田中文雄=園内名、皓星社)は、ある医師があずかっていた自伝原稿に加えて、あらたに唐桑の自宅で発見された原稿をあわせて、2500枚にもおよぶ原稿を2005年に発行したものです。1部から5部までが自伝、6部が愛生園の機関誌「愛生」等に発表した原稿で構成されていて、上下2巻あわせて1100頁の大著です。
■鈴木重雄を知る、日本のハンセン病の歴史を知る、たいへん貴重な記録であります。大著ではありますが、読み始めると、数奇なる人生を歩んだ鈴木さんの生き方に時を忘れて引き込まれていきます。
■ご承知のように、この手の本はそんなに売れるわけではありません。たくさんの出版社が出版を断ってきたなかで、最後に引き受けたのが皓星社で、歴史的社会的意義を評価し出版を決断したことに頭が下がります。申し添えれば、皓星社は『ハンセン病文学全集全10巻』(昨年完結)刊行(出版梓会新聞社学芸文化賞受賞)という偉業をなしとげた出版社です。
■鈴木さんの本は現在絶版状態で、再刊を望む声があちこちから聞こえてきますが、出版社としては、ある程度の販売の見通しがたたないことには第二刷はむつかしいとのことです。
■この機会に再刊を実現いたしたく、みなさまに呼びかけをいたします。この本をぜひ購入していただきたく、カンパを募ります。ある程度の見通しをたてて出版社に刊行を依頼したいと考えていますので、カンパ予約をお願いいたします。目標は150口(一口8000円)です。すでに第一刷を購入されている方は知人友人にお薦めください。目標数に達して刊行が決まり次第お知らせしますので、その時にお送りする振込用紙で再刊支援カンパをお支払いください。
■同封のハガキにて予約申込みをいただきますようお願いいたします。

『失われた歳月』上巻・下巻 田中文雄(鈴木重雄の園内名)著、皓星社発行
  A5判 上巻508頁 下巻626頁 上巻3500円+税175円、下巻3500円+税175円

●カンパ予約申込ハガキの送付先:〒614-8375八幡市男山弓岡1-B18-105 湯浅方
(*同封のハガキにてお送りください)      NPO法人むすびの家「失われた歳月」係
   ●ハガキ締め切り:2012年5月末日
●カンパ振込先:後日、振り込み用紙をお送りします。刊行決定後お支払いください。
●カンパ:1口8000円(『失われた歳月』上巻下巻1セットをお送りします。含送料)
(2口以上の方は、口数以下の希望セット数を記入ください)
●お問合せ先:NPO法人むすびの家/フレンズ国際労働キャンプ(FIWC)関西
                 〒631-0042奈良市大倭町2-33 0742-44-0776
                     あるいは 湯浅 進 090-3862-6369
<交流(むすび)の家HP http://musubi.news.coocan.jp

『失われた歳月』再刊 呼びかけ人:NPO法人むすびの家(理事長・湯浅 進)
賛同人:上田政子(島根県藤楓協会理事・元愛生園看護婦長・松江市)、小野寺 学(社会福祉法人洗心会理事長・気仙沼市)、門屋和子(ハンセン病問題に関わる長野県民の会代表・上田市)、亀谷壽一(社会福祉法人洗心会元理事長・気仙沼市)、木村聖哉(『むすびの家物語』著者・東京都)、佐渡裟智子(ハンセン病詩歌音読ボランティア・生駒郡)、佐藤祐子(横浜市健康福祉局・横浜市)、高山和彦(社会福祉法人同愛会理事長・横浜市)、鶴見俊輔(哲学者・京都市)、徳永 進(野の花診療所・医師エッセイスト・鳥取市)、中島 健(大倭紫陽花邑・奈良市)、馬場康彦(社会福祉法人洗心会専務理事・気仙沼市)、原田僚太郎(NGO「家=JIA」代表・中華人民共和国)、虫賀宗博(論楽社主宰・京都市)、森元美代治(NPO法人IDEA JAPAN理事長・清瀬市)、矢野 清(NPO法人りんご会地域活動センター「りんごの木」施設長・横浜市)、薮本雅子(元日本テレビアナウンサー・ハンセン病国賠訴訟裁判取材記者・東京都)、山口和子(笹川記念保健協力財団理事・川崎市)、湯浅 洋(元国際らい学会会長・京都市)、<五十音順>
今村忠生(NPO法人むすびの家名誉理事)、長澤俊夫(交流[むすび]の家建築総監督・唐桑町長選挙応援隊)、青谷善雄・柳川義雄・矢部 顕(NPO法人むすびの家理事・唐桑町長選挙応援隊)
2012年3月18日

          *          *          *

――人生には偶然のことがあります。私が小学生のおそらく4年生の頃だったと思う。同級生の豊田くんの郊外の家に遊びに行ったとき、商大予科生だった鈴木さんと会いました。その後、彼はハンセン病にかかり、自分の名を消して一個のハンセン病患者として長島愛生園に身をよせました。私はそこを訪れるなかで、20年ぶりに鈴木さんと会いました。こうして付き合いが生まれ、やがて彼は社会復帰して、故郷で選挙に立ち会う巡りあわせとなりました。私の家に、彼の関係していた水産会社のマグロをもってきてくれたこともあり、家族とも会いました。ハンセン病患者の快復と社会復帰にたちあうことができたのは、私にとって光のある人生の部分です。その時間を鈴木重雄さんと共有したことは、いま振り返ってみてうれしい記憶として残っています。――鶴見俊輔(社会福祉法人洗心会30周年記念メッセージより)

「エリート学生から一転発病。苦悩を抱いての放浪から、長島愛生園での再生までの数奇な青春の記録」。――『失われた歳月』上巻表紙帯より――

「長島愛生園の療友たちのリーダーとして第二の人生。完治し、社会復帰しての活躍。人間の可能性を示す人生の記録」――『失われた歳月』下巻表紙帯より――


Posted by Blue Sky at 00:23
『砂の器』 2011テレビ朝日版 [2011年09月11日(Sun)]

10日(土)、11日(日)二晩連続の『砂の器』 2011板が終わった。

5回目の映像化といわれる『砂の器』が今日放映された。
松本清張の代表作。1961年に発行された小説は、今でも文庫本が、駅前書店にも並べられているほどの広く根強い人気がある。すでに数カ国ごに訳されている。英語版は探偵小説であることが分かるような、「今西刑事の事件簿」と言った題で、シャーロックホームズやアガサクリスティのポワロ刑事と比較するようなコメントがインターネットで見られる。


秀夫の父、千代吉(山本学)は一家惨殺犯の濡れ衣を着せられ、当時3歳の秀夫を連れて追い出されるように村を後にしていた。以来、父子の消息を知る者は村にはいないという。
清張が「悲劇」の根底に流し込んだハンセン病が、殺人の濡れ衣と替えられた結果、人生の「業」といった拭うに拭えない底なしの悲しさが消えうせてしまった。

当然ながら1961年という時点のハンセン病は、「業」であってはならなかった。アメリカでは新薬で、菌陰性をまって退院というケースが出ていたし、晴れて社会復帰した女性(ベティ・マーティン 彼女は偽名で社会復帰した)が闘いと勝利の自伝を出してベストセラーとなっていたし、日本国内でもすでに1949年には、新薬が広く使われ始めていた。

しかし、隔離の政策は変わることなく、新薬で治るという広報活動もなされなかった我が国では、一般に「業病」として根強く生きていたことは事実。山梨県で、ハンセン病発病の家族を苦にして一家9人心中という痛ましい事件が起こったのは1951年だったと記憶する。松本清張が、ハンセン病を小説の根幹にすえて人間の「業」を描ききったことを非難は出来ない、と知りつつ、矢張り『砂の器』の果たしたマイナスの役割は否定できない。あまりにも効果的に書ききられているが故に。

2007年のヴィクトリア ヒスロップのThe Island (封印の島)も同じ【あやまった利用】で成功している例だ。




Posted by Blue Sky at 23:08
回家 The Way Home [2011年09月08日(Thu)]

マレーシアの若いジャーナリスト Joshua Wong さんとEan Nee Tan さんが、首都クアラルンプールから一時間足らずのスンガイブロー地区に1931年に開設されたハンセン病療養所―National Sanatorium Sungai Buloh ―に生きる高齢の人々(ハンセン病の回復者たち)のインタビューを通して、隔離・家族・病気・そして、今はあらたな「ふるさと」となったスンゲイブローとそこで築き上げた人生・家族を描いたノンフィクションを出版した。

著者はともに中国系マレーシア人であることもあり、スンゲイブローに今も残る200人余りの入所者の大半が中国系である、ということもあり、本書は中国語で出版。ただちに英訳を手掛け、近いうちに英語版が追いかける予定。

世界の各地で、ハンセン病とそれを生きた人々を記録する作業が進んでいるのはすばらしい。なによりも、その国のハンセン病の歴史は、その国の人々の将来に向けての「財産」だと思う。
Posted by Blue Sky at 18:40
『第2世代』 インド [2011年08月18日(Thu)]
ハンセン病のスティグマは、世代を超える

親がハンセン病を病んだ、ということだけで、子ども世代があらゆる重荷を負うことになる。

近年、ハンセン病は薬剤で治る病気となり、この様相は変わった。しかし、薬のなかった時代に病んだ親を持った人々の人生は、洋の東西を問わず、幼い時から、あらゆる『壁』とのたたかいだった。『壁』をのりこえ続けないと、自らの人生が拓けない。

日本の第2世代として勇気ある発言を自伝という形で著した人(宮里良子さん)のことは、紹介した。
<リンク:>https://blog.canpan.info/sec/EntryEdit.blog?entryId=398

今月初め、南インドのチェンナイ市で会った40代の男性も、強烈なメッセージを持っていた。
マンジュール・アラム氏。その名刺には、BABL MBA 法廷弁護士、宣誓管理官 とある。
活躍の場をもつ、若い法律家、という印象であった。

そのアラム氏が語った人生は次のようなものだった。
アラム氏は、インド北部ビハール州の北部チャンパランにある、リトル・フラワーハンセン病コロニーで、本病の両親から生まれた。リトル・フラワーという名前から推測されるように、ここはキリスト教ミッションが開設したコロニー。伝説的なクリスト・ダス神父が運営するコロニーだ。

アラム氏はコロニーの外の小学校に入学して、生徒たちからひどくいじめられたという。のちにリトル・フラワーは、コロニー内に独自の学校を解説して、子どもたちを守ることになった。
9年の小・中学校を卒業する時に、運命が彼に微笑んだ、とでもいおうか。全世界の高校入学年齢の『貧しい』子どもを対象に、英国で高校に進学する奨学金があることを知らされた。成績の良かったアラム氏は挑戦の機会を得たが、運よく奨学金を得られるのは、世界全体で5人。なんと、その一人に選ばれて、イギリスの名門高校イートンに進学した。イートンと言えば、イギリスは言うに及ばず全世界の指導者を生み出してきた名門中の名門。事実、英国の現首相キャメロン氏やネパールの皇太子などの姿もあったという。

イートンでの2年を終えたアラム氏は、英国ではなく、インドに戻り、南のチェンナイで奨学金を得て法律を学び、修士、弁護士とキャリアを築いた。

アラム氏の特異な点は、個人的な成功の一方で、出身地(父母と兄弟姉妹は今もコロニーや近隣の村に住んでいる)との絆を断たなかったということだ。現に、コロニーの最高指導者クリストダス神父が危篤に陥った時には、病床に駆け付け、首都のデリーから医師を送り、あらゆる手を尽くし、神父の死に際しては葬儀に力を尽くしたという。

今回の出会いも、丁度チェンナイでの会合に出席していた、若い快復者のラムバライ氏(やはりビハール州のリトル・フラワー コロニー出身)の紹介によるもの。

アラム氏曰く「私は自分自身の体験は言うまでもないが、両親やコロニーの人々の苦難をこの目に見ている。その人たちが今も耐えて生きている社会の無理解と差別も、知っている。私の同胞のために、自分にできることはなんでもしたい。」

一瞬耳を疑うような明確な言葉の数々だった。どうして、これまで、インドの快復者組織はアラム氏とつながらなかったのだろうか。その機会があったと思われるにもかかわらず。

インドは広い。もっと他の地域にも、まだまだ隠れた「アラム氏」がいるのではないか。

少しの疑問と大いなる期待を持って、マンジュール・アラム氏に象徴される第2世代が、インドの快復者運動の中核に参加する日が来ることを待っている心情だ。


















Posted by Blue Sky at 23:30
アンナ-・ハザレの大衆行動 [2011年08月17日(Wed)]
白いガンディ帽に、白いカディーをまとった74才のアンナ-・ハザレ氏が、インドの話題をさらっている。

今まで、政治的な話を正面切って話題にしたこともなかった超インテリのある女性から、突如「アンナ-・ハザレを支持しよう」という呼びかけメールがきて驚いた。いよいよインテリも行動を起こす事態になったのか。

以前から汚職の蔓延に強い対応を求めてハンストを行い、成功してきたアンナ-・ハザレ氏。今回は、政府が提案している首相や司法長官をオンブズマンの監視から除外するという特例に異議を申し立て無期限ハンストを宣言した。警察はハンストの中止を命じ、中止命令に従わない同氏を逮捕した。これがきっかけだった。

昨年から今年にかけて、相次いでインド全国で暴露されてきた巨額な汚職の数々を腹にすえかねていた人々の堪忍袋の緒が切れた。実際、インドの汚職はけた外れの金が絡んでいる上に、限りない、と言われている。例に挙がっているのは、2010年英連邦競技会の建築汚職、通信事業の許可に関わる巨額汚職、戦争未亡人のための住宅建設の予定がいつの間にか公務員宿舎の建設に化けていた話とか、一般市民には腹にすえかねることばかりであったことも事実。

アンナ-・ハザレ氏の抵抗を支持する多数の市民の行動は、独立運動を指導したマハトマ・ガンジーのような、正義の大運動となるのだろうか。映像で見る限り、街頭に出ている人々はインド国旗を掲げていて、政治色は前面に出ていないように見えるが、現政権を窮地に陥れたい主要野党の思惑が見えないこともない。BBCにインタビューで最初に熱く支持を語ったのは野党の広報担当の女性だった。
しかし、今までは行動に移すことのなかった、一般市民も巻き込み、市民社会団体との統一戦線が出来つつあるらしい。これは持続的な社会を変える組織的行動につながるのだろうか?それとも、メディアの「拡大鏡」的な報道のもたらす幻想なのだろうか。

Posted by Blue Sky at 19:38
インドのハンセン病に何が [2011年08月12日(Fri)]
インドのハンセン病について、近々、動きがあるかもしれない。

「インドではまだまだハンセン病の患者さんが多いのでしょう」と聞かれることは少なくない。「患者さん」が何を意味するのかによって、数は違ってくるが、近年、新しく発病する人の数は年間13万人前後、人口11億を超えるこの国での数としては、毎日平均1000人が結核に命を奪われているという統計を前にして、ハンセン病は保健省の優先課題とはならない。

にもかかわらず、ハンセン病を病む人々への差別、その悲惨は、マハトマガンジーをはじめとして、近代インドが克服するべき問題と認識されてきた。1955年には「全国ハンセン病対策」がスタートし、1983年にはインディラガンディ首相のもとで、新しい複合化学療法による「インドハンセン病根絶計画」が発足した。当時、インドだけで400万人とされていた患者数は、政府主導で、世銀の借款をも含むみ、民間の組織も巻き込んで精力的に展開された活動の中で、次第に減って行った。その結果、登録患者数は2005年末の時点で、国際的基準とされていた「人口1万人あたり患者一人以下」のレベルに達した。『インドはハンセン病を制圧した』と保健大臣は誇り高く宣言し、インドと言えば路上にハンセン病の患者が物乞いをしている、というようなイメージを一掃することに成功した。慢性疾患で、ただちに命を脅かすことのないハンセン病対策に、政府当局がこれだけのエネルギーを集中させて取り組んだこの結果は、公衆保健対策のなかでも成功例とされている。

『ハンセン病を制圧した』ということは、ハンセン病を発病する人がいなくなった、というわけだろうか。一般の人々はそう理解した。あたかも患者が0になったかのように。しかし、ハンセン病は感染と発病のメカニズムがいまだに明らかにされていないように、潜伏期間も長く、感染していても臨床的な症状がない人は多いし、発症しない人も多いとされている。つまり、患者を0にする、ということは現状では不可能に近いこととされている。今も年間13万人が新たに発症している。30年前に比べると大きな減少ではあるが、急激に0に近づくことは疫学的にあり得ない。

しかし、『インドはハンセン病を制圧した』というメッセージの持つ威力は大きかった。ハンセン病は保健医療の中で「過去」のテーマとなり、保健所でも民間団体の診療所でも、「忘れられつつある」。

インド政府は、昨年来、ハンセン病の現状を把握するために、全国でサンプル調査をしている。その結果が、近々公表される。噂では、患者が増えている地域、減らない地域が見つかっているという。いわゆる『ホットスポット』が各地に見つかったらしい。ホットスポットの存在は、ハンセン病の広がり方の特徴として専門家の間では広く知られていることだが、どの程度「ホット」なのか、によっては、大きな物議をかもすかもしれない。

世界のハンセン病対策は診断技術も治療薬も揃っており、ホットスポットの発見自体は、当局にとって十分に対応可能な問題であるはずだが、メディアや当局の対応を糾弾したい向きには格好の題材を提供する結果になるかもしれない。『ハンセン病の爆発的流行再来』とか『政府の対策の失敗』などという見出しがメディアにおどるのが見えるようだ。

しかし、実のところこれ自体は決してマイナスではない。保健省は一時的に面目を失うことになるかもしれないが、新規の患者が早く診断され治療につながるならば、むしろ朗報だ。早期に治療を受ければ、後遺症も防げるし、何より、自分自身が感染源になることはなくなるわけだから。治療は最長でも12カ月。治療薬を服用して数日以内に、患者の体内の「らい菌」は死滅する、と言われているのだから。

サンプル調査の結果の公表は、8月18日。





Posted by Blue Sky at 23:15
ディペックス ジャパン [2011年07月21日(Thu)]
健康と病の語りのデータベース。
「当事者の語り」が伝えうる情報の豊かさ、深さ、真実、強さ、、、、に注目して、それらをデータベース化し、病む人、ケアする人、治療に当たる人々に、科学的・医学的情報には捉えきれない、伝えきれないものを提供しようという試み。


DIPEx (Database of Individual Patients Experiences ) のHPから:

「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」(通称:ディペックス・ジャパン)は、英国オックスフォード大学で作られているDIPEx (現在は Healthtalkonline <リンク:> http://www.healthtalkonline.org/ をモデルに、日本版の「健康と病いの語り」のデータベースを構築し、それを社会資源として活用していくことを目的として作られた特定非営利活動法人(NPO法人)です。

「健康」や「病い」は、医学・生物学的な問題であると同時に、当事者(患者・家族)にとっては、心理的・社会的・経済的な問題とも深く関わる事柄です。従って、その解決には多様なアプローチが必要になります。ディペックス・ジャパンの活動が、患者やその家族の協力はもとより、医療専門家や医学研究者だけでなく、多彩な職業背景をもつ、さまざまな世代の人々により支えられ、発展してきたのは当然のことです。患者・家族が語る病いの体験を収集し、科学的・学術的な方法と理論を基盤に、市民の感覚と価値観を大切にしながら分析し、その成果を広く社会に還元することが、より良い医療を実現する近道であると、私たちは考えています。
ディペックス・ジャパンは特定の製薬会社からの資金提供は受けていません。


ハンセン病の世界では、語りのパワーに注目してきた。とくに1990年代半ばからは、当事者性、当事者の声に注目して、「語り」を集めて来た。
当事者による「語り」は、読む人をTransformする。それはまた「語る」本人をTransformする。そして、Transformされた両者は、次に第3者を Transform する。

日本語あるいは英語を通して触れた「語り」のパワーと読み手をTransformする体験・現実を見て、言語メディアを拡げる必要性を痛感し、「現地語による語り−Dignity Regained−尊厳の確立」を実現して来た。
中国語・ヒンディ語・ベンガル語・クメール語・ビルマ語・バハサインドネシア、、で、「当事者が語るハンセン病を生きた人生」の数々。そのいずれもから、読んだ人たちの共感の思いが伝えられてくる。

ディペックスは、ヴィデオ映像を含むウェブ上での公開という、先進国型「語り」のデータベースであるが、「現地語による語り」は当然、紙媒体。現状はそれで良い。

しかし、ディペックスの優れているところは、「当時者の語り」をキーワード化、コード化、特定の分析ソフトで解析し、再構成、再加工など、膨大な時間と労力と多少の資金をかけて、「語り」を効果的なツール化しているところ。

ハンセン病の語りの力は世界中で認識され、声の収集が続いている。ハンセン病が治らない病であった時代、Stigmaの対象となり、人生破壊の中を生きて来た人々は、今急速にこの世を去りつつある。語りの収集に一刻の猶予も許されない。

その反面、集積された語りをデータとして保存し、そのデータに再び物語らせて、社会をTransformしていくツールとするには、まだまだ課題が山積み。
DIPExは、一つの方向を示してくれていることは間違いない。


Posted by Blue Sky at 23:16
笑顔を作る災害ボランティアも [2011年07月12日(Tue)]
3.11の東北大災害で深刻な被害を受けた、気仙沼市の社会福祉法人「洗心会」。その活動の一環をになう、ワークショップひまわり(指定就労移行事業所)。

そこに通って仕事をする人たちと、気仙沼市に本拠地を置いて長期に復興にかかわっている、関東(ばかりではないかも)の学生を中心とするボランティアグループ FIWCが、つながった。

大災害から4カ月、復興ボランティアも、地域の生活の多様な日常を復活させるのに協力しても当然。

ワークショップひまわりで、通所してくる人々が焼いたパンが、カップラーメンとレトルト食品一色のボランティアの食生活に新しく加わったとも聞く。

ひまわりの職員 伊藤純子さんの手紙から、、


   震災から4カ月 「自立して生活する」が問題となり、与えられ寄り添う現実から、
   自分で「生きて活動する」ことへと変わりつつあります。







Posted by Blue Sky at 21:52
『第2世代』 日本 [2011年06月19日(Sun)]
『生まれてはならない子として』


ハンセン病「第2世代」が著した自伝が出版された。
隠すこと以外に生きる環境がなかったハンセン病「第2世代」。60才を超えて初めて過去をのりこえ新しい人生を見出された著者に深い敬意を表する。

日本の外の「第2世代」はどうなのだろうか?
「第2世代」よりもはるかに後の世代が、ハンセン病であった「先祖」をどのようにとらえているのだろうか?

ブラジル、アメリカ、中国、マレーシア、エチオピア、そしてインド。
第2世代はすでに語り始めている。世の中を変えるため、というよりも、自分自身を発見し肯定するために。過去の被害と闘っている第2世代もある。




生まれてはならない子として
ISBN:978-4-620-32059-5
宮里 良子:著
1,785円

「強制収容中」のハンセン病療養所を脱走して、自分を生んでくれた両親。
両親とのつながりを隠し続け、良子と実子の2重の人生を生きた自分。実名でを語るまでに67年の歳月を要した著者の感動的な手記。
(以下に西日本新聞の紹介記事を使わせていただく。)

 
■執筆は自分の使命 「偏見の解消を」  
 両親がハンセン病患者で、自身も差別や偏見に苦しみ続けた女性の手記「生まれてはならない子として」が出版された。著者の宮里良子さん(67)は「両親を人に語れなかった自分の心を自由にしたくて書いた。たくさんの人が元患者の家族だと名乗れないでいる。読んでほしい」と話す。

 両親は鹿児島県鹿屋市の国立ハンセン病療養所「星塚敬愛園」の入所者だったが、母親が妊娠。両親そろって園を抜け出して母の実家に身を寄せ、良子さんを出産した。

 両親は良子さんが4歳の時に再入園。良子さんは祖母と叔父に育てられ、中学生時代は敬愛園で過ごした。卒業後は知人の勧めで、別の療養所にあった看護学校に進み、卒業後は園外の病院で働いた。

 父は1978年、母は2000年に死亡。母の死の目前、差別を恐れ宮里さんの戸籍に名前を載せなかった父の本当の名前を偶然に知った。園では別名で暮らし、宮里さんは知らなかった。

 そして、父の名と同じ字が自分に与えられていたと知り、両親と自分の苦しみを世に訴えようと決心。ハンセン病をめぐる国の隔離政策を「違憲」と断罪した01年のハンセン病国賠訴訟・熊本地裁判決には、患者遺族として原告団に参加した。

 それまでの半生は、ハンセン病の影におびえ続けた。看護学生時代は先輩に「もう感染してるよ」「20歳までに死ぬよ」と言われた。就職後も親に会いに行くときは行き先を隠した。結婚したが、療養所にいたことを知ったしゅうとめに「こんなところにいたのか」と言われて離婚した。

 手記の出版に当たっては「自分なりの使命がある」と奮い立った。書き終えた今は「親や人を恨む気持ちがなくなった。支えてくれた人もいたと振り返れた」という。

 偏見が消え去ったわけではないことも身に染みて感じる。とりわけ気になるのは医療関係者。国賠訴訟の勝訴後も「隔離政策は良かった」と語る同僚がいた。宮里さんは「医療に携わる人こそ、偏見の恐ろしさを知らないでは済まされない」と力を込める。

 宮里さんは21日、沖縄県名護市である第7回ハンセン病市民学会の全体会にパネリストの一人として登壇し、患者の家族の視点から偏見の解消を訴える。同書は毎日新聞社刊で1785円。

=2011/05/21付 西日本新聞朝刊=
Posted by Blue Sky at 23:15
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