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人類は病気としてのハンセン病をほぼ克服した。しかしハンセン病について我々一人一人が自分の心の中に植え付けてしまった偏見は消えない。ハンセン病のことを知ることは、自分の心の中にある偏見や差別感と向き合うことになる。こんな思いで書いています。
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最新記事
『第2世代』 インド [2011年08月18日(木)]
ハンセン病のスティグマは、世代を超える。

親がハンセン病を病んだ、ということだけで、子ども世代があらゆる重荷を負うことになる。

近年、ハンセン病は薬剤で治る病気となり、この様相は変わった。しかし、薬のなかった時代に病んだ親を持った人々の人生は、洋の東西を問わず、幼い時から、あらゆる『壁』とのたたかいだった。『壁』をのりこえ続けないと、自らの人生が拓けない。

日本の第2世代として勇気ある発言を自伝という形で著した人(宮里良子さん)のことは、紹介した。
https://blog.canpan.info/sec/EntryEdit.blog?entryId=398

今月初め、南インドのチェンナイ市で会った40代の男性も、強烈なメッセージを持っていた。
マンジュール・アラム氏。その名刺には、BABL MBA 法廷弁護士、宣誓管理官 とある。
活躍の場をもつ、若い法律家、という印象であった。

そのアラム氏が語った人生は次のようなものだった。
アラム氏は、インド北部ビハール州の北部チャンパランにある、リトル・フラワーハンセン病コロニーで、本病の両親から生まれた。リトル・フラワーという名前から推測されるように、ここはキリスト教ミッションが開設したコロニー。伝説的なクリスト・ダス神父が運営するコロニーだ。

アラム氏はコロニーの外の小学校に入学して、生徒たちからひどくいじめられたという。のちにリトル・フラワーは、コロニー内に独自の学校を解説して、子どもたちを守ることになった。
9年の小・中学校を卒業する時に、運命が彼に微笑んだ、とでもいおうか。全世界の高校入学年齢の『貧しい』子どもを対象に、英国で高校に進学する奨学金があることを知らされた。成績の良かったアラム氏は挑戦の機会を得たが、運よく奨学金を得られるのは、世界全体で5人。なんと、その一人に選ばれて、イギリスの名門高校イートンに進学した。イートンと言えば、イギリスは言うに及ばず全世界の指導者を生み出してきた名門中の名門。事実、英国の現首相キャメロン氏やネパールの皇太子などの姿もあったという。

イートンでの2年を終えたアラム氏は、英国ではなく、インドに戻り、南のチェンナイで奨学金を得て法律を学び、修士、弁護士とキャリアを築いた。

アラム氏の特異な点は、個人的な成功の一方で、出身地(父母と兄弟姉妹は今もコロニーや近隣の村に住んでいる)との絆を断たなかったということだ。現に、コロニーの最高指導者クリストダス神父が危篤に陥った時には、病床に駆け付け、首都のデリーから医師を送り、あらゆる手を尽くし、神父の死に際しては葬儀に力を尽くしたという。

今回の出会いも、丁度チェンナイでの会合に出席していた、若い快復者のラムバライ氏(やはりビハール州のリトル・フラワー コロニー出身)の紹介によるもの。

アラム氏曰く「私は自分自身の体験は言うまでもないが、両親やコロニーの人々の苦難をこの目に見ている。その人たちが今も耐えて生きている社会の無理解と差別も、知っている。私の同胞のために、自分にできることはなんでもしたい。」

一瞬耳を疑うような明確な言葉の数々だった。どうして、これまで、インドの快復者組織はアラム氏とつながらなかったのだろうか。その機会があったと思われるにもかかわらず。

インドは広い。もっと他の地域にも、まだまだ隠れた「アラム氏」がいるのではないか。

少しの疑問と大いなる期待を持って、マンジュール・アラム氏に象徴される第2世代が、インドの快復者運動の中核に参加する日が来ることを待っている心情だ。



















アンナ-・ハザレの大衆行動 [2011年08月17日(水)]
白いガンディ帽に、白いカディーをまとった74才のアンナ-・ハザレ氏が、インドの話題をさらっている。
今まで、政治的な話を正面切って話題にしたこともなかった超インテリのある女性から、突如「アンナ-・ハザレを支持しよう」という呼びかけメールがきて驚いた。いよいよインテリも行動を起こす事態になったのか。

以前から汚職の蔓延に強い対応を求めてハンストを行い、成功してきたアンナ-・ハザレ氏。今回は、政府が提案している首相や司法長官をオンブズマンの監視から除外するという特例に異議を申し立て無期限ハンストを宣言した。警察はハンストの中止を命じ、中止命令に従わない同氏を逮捕した。これがきっかけだった。

昨年から今年にかけて、相次いでインド全国で暴露されてきた巨額な汚職の数々を腹にすえかねていた人々の堪忍袋の緒が切れた。実際、インドの汚職はけた外れの金が絡んでいる上に、限りない、と言われている。例に挙がっているのは、2010年英連邦競技会の建築汚職、通信事業の許可に関わる巨額汚職、戦争未亡人のための住宅建設の予定がいつの間にか公務員宿舎の建設に化けていた話とか、一般市民には腹にすえかねることばかりであったことも事実。

アンナ-・ハザレ氏の抵抗を支持する多数の市民の行動は、独立運動を指導したマハトマ・ガンジーのような、正義の大運動となるのだろうか。映像で見る限り、街頭に出ている人々はインド国旗を掲げていて、政治色は前面に出ていないように見えるが、現政権を窮地に陥れたい主要野党の思惑が見えないこともない。BBCにインタビューで最初に熱く支持を語ったのは野党の広報担当の女性だった。
しかし、今までは行動に移すことのなかった、一般市民も巻き込み、市民社会団体との統一戦線が出来つつあるらしい。これは持続的な社会を変える組織的行動につながるのだろうか?それとも、メディアの「拡大鏡」的な報道のもたらす幻想なのだろうか。


インドのハンセン病に何が [2011年08月12日(金)]
インドのハンセン病について、近々、動きがあるかもしれない。

「インドではまだまだハンセン病の患者さんが多いのでしょう」と聞かれることは少なくない。「患者さん」が何を意味するのかによって、数は違ってくるが、近年、新しく発病する人の数は年間13万人前後、人口11億を超えるこの国での数としては、毎日平均1000人が結核に命を奪われているという統計を前にして、ハンセン病は保健省の優先課題とはならない。

にもかかわらず、ハンセン病を病む人々への差別、その悲惨は、マハトマガンジーをはじめとして、近代インドが克服するべき問題と認識されてきた。1955年には「全国ハンセン病対策」がスタートし、1983年にはインディラガンディ首相のもとで、新しい複合化学療法による「インドハンセン病根絶計画」が発足した。当時、インドだけで400万人とされていた患者数は、政府主導で、世銀の借款をも含むみ、民間の組織も巻き込んで精力的に展開された活動の中で、次第に減って行った。その結果、登録患者数は2005年末の時点で、国際的基準とされていた「人口1万人あたり患者一人以下」のレベルに達した。『インドはハンセン病を制圧した』と保健大臣は誇り高く宣言し、インドと言えば路上にハンセン病の患者が物乞いをしている、というようなイメージを一掃することに成功した。慢性疾患で、ただちに命を脅かすことのないハンセン病対策に、政府当局がこれだけのエネルギーを集中させて取り組んだこの結果は、公衆保健対策のなかでも成功例とされている。

『ハンセン病を制圧した』ということは、ハンセン病を発病する人がいなくなった、というわけだろうか。一般の人々はそう理解した。あたかも患者が0になったかのように。しかし、ハンセン病は感染と発病のメカニズムがいまだに明らかにされていないように、潜伏期間も長く、感染していても臨床的な症状がない人は多いし、発症しない人も多いとされている。つまり、患者を0にする、ということは現状では不可能に近いこととされている。今も年間13万人が新たに発症している。30年前に比べると大きな減少ではあるが、急激に0に近づくことは疫学的にあり得ない。

しかし、『インドはハンセン病を制圧した』というメッセージの持つ威力は大きかった。ハンセン病は保健医療の中で「過去」のテーマとなり、保健所でも民間団体の診療所でも、「忘れられつつある」。

インド政府は、昨年来、ハンセン病の現状を把握するために、全国でサンプル調査をしている。その結果が、近々公表される。噂では、患者が増えている地域、減らない地域が見つかっているという。いわゆる『ホットスポット』が各地に見つかったらしい。ホットスポットの存在は、ハンセン病の広がり方の特徴として専門家の間では広く知られていることだが、どの程度「ホット」なのか、によっては、大きな物議をかもすかもしれない。

世界のハンセン病対策は診断技術も治療薬も揃っており、ホットスポットの発見自体は、当局にとって十分に対応可能な問題であるはずだが、メディアや当局の対応を糾弾したい向きには格好の題材を提供する結果になるかもしれない。『ハンセン病の爆発的流行再来』とか『政府の対策の失敗』などという見出しがメディアにおどるのが見えるようだ。

しかし、実のところこれ自体は決してマイナスではない。保健省は一時的に面目を失うことになるかもしれないが、新規の患者が早く診断され治療につながるならば、むしろ朗報だ。早期に治療を受ければ、後遺症も防げるし、何より、自分自身が感染源になることはなくなるわけだから。治療は最長でも12カ月。治療薬を服用して数日以内に、患者の体内の「らい菌」は死滅する、と言われているのだから。

サンプル調査の結果の公表は、8月18日。





ディペックス ジャパン [2011年07月21日(木)]
健康と病の語りのデータベース。
「当事者の語り」が伝えうる情報の豊かさ、深さ、真実、強さ、、、、に注目して、それらをデータベース化し、病む人、ケアする人、治療に当たる人々に、科学的・医学的情報には捉えきれない、伝えきれないものを提供しようという試み。


DIPEx (Database of Individual Patients Experiences ) のHPから:

「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」(通称:ディペックス・ジャパン)は、英国オックスフォード大学で作られているDIPEx (現在は Healthtalkonline  http://www.healthtalkonline.org/ をモデルに、日本版の「健康と病いの語り」のデータベースを構築し、それを社会資源として活用していくことを目的として作られた特定非営利活動法人(NPO法人)です。

「健康」や「病い」は、医学・生物学的な問題であると同時に、当事者(患者・家族)にとっては、心理的・社会的・経済的な問題とも深く関わる事柄です。従って、その解決には多様なアプローチが必要になります。ディペックス・ジャパンの活動が、患者やその家族の協力はもとより、医療専門家や医学研究者だけでなく、多彩な職業背景をもつ、さまざまな世代の人々により支えられ、発展してきたのは当然のことです。患者・家族が語る病いの体験を収集し、科学的・学術的な方法と理論を基盤に、市民の感覚と価値観を大切にしながら分析し、その成果を広く社会に還元することが、より良い医療を実現する近道であると、私たちは考えています。
ディペックス・ジャパンは特定の製薬会社からの資金提供は受けていません。


ハンセン病の世界では、語りのパワーに注目してきた。とくに1990年代半ばからは、当事者性、当事者の声に注目して、「語り」を集めて来た。
当事者による「語り」は、読む人をTransformする。それはまた「語る」本人をTransformする。そして、Transformされた両者は、次に第3者を Transform する。

日本語あるいは英語を通して触れた「語り」のパワーと読み手をTransformする体験・現実を見て、言語メディアを拡げる必要性を痛感し、「現地語による語り−Dignity Regained−尊厳の確立」を実現して来た。
中国語・ヒンディ語・ベンガル語・クメール語・ビルマ語・バハサインドネシア、、で、「当事者が語るハンセン病を生きた人生」の数々。そのいずれもから、読んだ人たちの共感の思いが伝えられてくる。

ディペックスは、ヴィデオ映像を含むウェブ上での公開という、先進国型「語り」のデータベースであるが、「現地語による語り」は当然、紙媒体。現状はそれで良い。

しかし、ディペックスの優れているところは、「当時者の語り」をキーワード化、コード化、特定の分析ソフトで解析し、再構成、再加工など、膨大な時間と労力と多少の資金をかけて、「語り」を効果的なツール化しているところ。

ハンセン病の語りの力は世界中で認識され、声の収集が続いている。ハンセン病が治らない病であった時代、Stigmaの対象となり、人生破壊の中を生きて来た人々は、今急速にこの世を去りつつある。語りの収集に一刻の猶予も許されない。

その反面、集積された語りをデータとして保存し、そのデータに再び物語らせて、社会をTransformしていくツールとするには、まだまだ課題が山積み。
DIPExは、一つの方向を示してくれていることは間違いない。


笑顔を作る災害ボランティアも [2011年07月12日(火)]
3.11の東北大災害で深刻な被害を受けた、気仙沼市の社会福祉法人「洗心会」。その活動の一環をになう、ワークショップひまわり(指定就労移行事業所)。

そこに通って仕事をする人たちと、気仙沼市に本拠地を置いて長期に復興にかかわっている、関東(ばかりではないかも)の学生を中心とするボランティアグループ FIWCが、つながった。

大災害から4カ月、復興ボランティアも、地域の生活の多様な日常を復活させるのに協力しても当然。

ワークショップひまわりで、通所してくる人々が焼いたパンが、カップラーメンとレトルト食品一色のボランティアの食生活に新しく加わったとも聞く。

ひまわりの職員 伊藤純子さんの手紙から、、


   震災から4カ月 「自立して生活する」が問題となり、与えられ寄り添う現実から、
   自分で「生きて活動する」ことへと変わりつつあります。







『第2世代』 日本 [2011年06月19日(日)]
『生まれてはならない子として』


ハンセン病「第2世代」が著した自伝が出版された。
隠すこと以外に生きる環境がなかったハンセン病「第2世代」。60才を超えて初めて過去をのりこえ新しい人生を見出された著者に深い敬意を表する。

日本の外の「第2世代」はどうなのだろうか?
「第2世代」よりもはるかに後の世代が、ハンセン病であった「先祖」をどのようにとらえているのだろうか?

ブラジル、アメリカ、中国、マレーシア、エチオピア、そしてインド。
第2世代はすでに語り始めている。世の中を変えるため、というよりも、自分自身を発見し肯定するために。過去の被害と闘っている第2世代もある。




生まれてはならない子として
ISBN:978-4-620-32059-5
宮里 良子:著
1,785円

「強制収容中」のハンセン病療養所を脱走して、自分を生んでくれた両親。
両親とのつながりを隠し続け、良子と実子の2重の人生を生きた自分。実名でを語るまでに67年の歳月を要した著者の感動的な手記。
(以下に西日本新聞の紹介記事を使わせていただく。)

 
■執筆は自分の使命 「偏見の解消を」  
 両親がハンセン病患者で、自身も差別や偏見に苦しみ続けた女性の手記「生まれてはならない子として」が出版された。著者の宮里良子さん(67)は「両親を人に語れなかった自分の心を自由にしたくて書いた。たくさんの人が元患者の家族だと名乗れないでいる。読んでほしい」と話す。

 両親は鹿児島県鹿屋市の国立ハンセン病療養所「星塚敬愛園」の入所者だったが、母親が妊娠。両親そろって園を抜け出して母の実家に身を寄せ、良子さんを出産した。

 両親は良子さんが4歳の時に再入園。良子さんは祖母と叔父に育てられ、中学生時代は敬愛園で過ごした。卒業後は知人の勧めで、別の療養所にあった看護学校に進み、卒業後は園外の病院で働いた。

 父は1978年、母は2000年に死亡。母の死の目前、差別を恐れ宮里さんの戸籍に名前を載せなかった父の本当の名前を偶然に知った。園では別名で暮らし、宮里さんは知らなかった。

 そして、父の名と同じ字が自分に与えられていたと知り、両親と自分の苦しみを世に訴えようと決心。ハンセン病をめぐる国の隔離政策を「違憲」と断罪した01年のハンセン病国賠訴訟・熊本地裁判決には、患者遺族として原告団に参加した。

 それまでの半生は、ハンセン病の影におびえ続けた。看護学生時代は先輩に「もう感染してるよ」「20歳までに死ぬよ」と言われた。就職後も親に会いに行くときは行き先を隠した。結婚したが、療養所にいたことを知ったしゅうとめに「こんなところにいたのか」と言われて離婚した。

 手記の出版に当たっては「自分なりの使命がある」と奮い立った。書き終えた今は「親や人を恨む気持ちがなくなった。支えてくれた人もいたと振り返れた」という。

 偏見が消え去ったわけではないことも身に染みて感じる。とりわけ気になるのは医療関係者。国賠訴訟の勝訴後も「隔離政策は良かった」と語る同僚がいた。宮里さんは「医療に携わる人こそ、偏見の恐ろしさを知らないでは済まされない」と力を込める。

 宮里さんは21日、沖縄県名護市である第7回ハンセン病市民学会の全体会にパネリストの一人として登壇し、患者の家族の視点から偏見の解消を訴える。同書は毎日新聞社刊で1785円。

=2011/05/21付 西日本新聞朝刊=
『失われた歳月』の増刷を [2011年06月13日(月)]

『失われた歳月』上下 各500ページ 2008年 皓星社発行が現在手に入らない。

3月11日の北関東大震災で大きな被害を受けた気仙沼市に「唐桑」という町がある。
3月末から、ボランティアが継続的に訪れ、定着して地域の手伝いをしている。

そのグループはFIWC関東委員会の人たち。

今から40年以上前から、ワークキャンプ活動を息長く続けているグループ。

この、FIWC 関東委員会と唐桑を強く長く結び付けているのは、鈴木重雄(別名   田中文雄)。大学在学中に発病し、50年以上を、瀬戸内海の島の療養所に過ごす。後に社会復帰して、唐桑町(当時)の町長選挙戦を戦い、社会福祉法人 洗心会を創設した伝説的人物。


その鈴木重雄の自伝(未完)『失われた歳月』上下2巻が、皓星社から2005年に出版されたが、在庫完売し、手に入らない。上下ともに500ページを超えるが、一旦読み始めると、時を忘れる。

今回の大災害は、鈴木氏が命をかけて世に出した美しい唐桑の自然と地域に支えられた社会福祉法人の活動拠点を大きく損傷した。これを知った、嘗て鈴木氏とともに活動した、首都圏や関西圏の人々が立ち上がり、その後輩たちがボランティアで駆けつけている。一人の人間が生んだ絆が、時間と場所を超えて続いている。
この希有な「絆」の出発点となった鈴木重雄を最もよく語るものは、彼自身の自伝をおいて他にない。若いボランティアや社会福祉法人洗心会を支える新しい人たちの中にも、鈴木重をを知りたい人が少なくないという。

『失われた歳月』上下2巻の増刷が、今強く望まれる。



リスク マネジメント [2011年06月11日(土)]

中国で、学生ボランティアに不幸な事件が起こってしまった。
ボランティアでワークキャンプのメンバーだった女子大学生が、以前ワークキャンプで親しんだハンセン病快復者村のお年寄りを、友達と一緒に訪ねた帰りの夜道で道路を踏み外して転落した。救急車で搬送され、病院でCT検査を受け、異常なしと診断され、本人も回復していたので帰宅したが、その翌日、急変して亡くなったという。ワークキャンプという活動を通して知った高齢で身寄りのない快復者村の村人のもとを、あたかも自分の身寄りを訪ねるように訪ねる。交通の便利な都会住まいというわけではなく、夜道に街灯もない、人里離れた村の老人を思い、学校の休暇や余暇に、友人を誘って訪ねる。暖かい思いやりの心が悲しい結果につながってしまって、胸がつぶれる思いだ。

一人娘を失われた中国のご両親の苦痛はいかばかりかと、お察しし、深い悲しみと哀悼の想いをお届けしたい。

中国の南部、中部の嘗てのハンセンの隔離村では、年老いて身寄りのない人々がひっそりと身を寄せて、医療の手の届かないところで生活全般の苦しみに耐えている。そのような人々のところに、地元の学生たちが、まるで自分の祖父や祖母を訪ねるような自然さで訪ね、身体の具合を聞き、思い出話に耳を傾け、一緒にお茶を飲んで、笑いあう。人のつながりの暖かさから久しく遠ざかっていた村の人々は、若者との飾らない関係に心を開き、社会の「外」から「中」へ、さらに若者と一緒に村の外へ買い物に。

そんな自然な心の交流。双方が双方を大切に思う時間。双方が必要としている、されている、という充実感。

これがボランティア ワークキャンプの大きな成果で、この「心地よさ」「悦び」を知り、自分の「居所」を見つけてしまったこの女子学生さんにとって、学業の合間にできた時間に、心を同じくする友人と「共通のおじいちゃん、おばあちゃん」に会いに行く、のは全く自然なことであった筈。

そんな暖かい時間が、突然の暗転を用意していたとは。

前途有為なお嬢さんを、突然、失われたご両親さまへ。
差し出す言葉もありません。でもお嬢様のことは沢山の人々が忘れません。
自分の時間に、村の高齢者たちを思い出して訪ねたお嬢様のことは、沢山の人々の心にしっかりと記憶されています。 心温かい村の人々、ワークキャンプで時間を共有した仲間たち、同じキャンプには参加しなかったかもしれないけれど、ハンセン病村々でのワークキャンプという体験の共有をしている年間2000人に上る学生たち、すでに社会人となって後輩のワークキャンプを支えている先輩キャンパーたち、そして、海を越えて、日本、韓国、ヨーロッパ、オーストラリアなどなどから、中国のワークキャンプに参加した人々、後方でいろいろな形で支援をしてきた人々。
「お嬢様は、いつまでもワークキャンプの仲間の心の中にいます。」

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安徽省の女子大学生。
中国のボランティア ワークキャンプ団体 『家』JIA のメンバーであった人。

彼女は、みんなの心に生きつづけるでしょう。

ボランティア活動とリスクマネジメントを考える。

スナーダイ クマエ [2011年06月06日(月)]

6月5日夜。テレビ東京の番組。

カンボジアのシェムレアップで、親のない子どもたち、親の養育を受けられない子供たち、28人の生活と教育と将来を支える組織が紹介された。

スナーダイクマエ Sunadaikhmer 「カンボジア人の手で」と言う意味。

その組織を中心となって支えているのは、日本人女性 メアス博子さん。

28人のお母さんとして、日々の生活を支えつづけるのは、気が遠くなるほどの重さ。
検討を祈らずにはいられない。

7月に予定されている来日報告会は下記の通り。

ASEANで交流&ボランティアセミナー
≪大阪会場≫ 
日時 : 6月27日(月) 14:00〜16:00 (主に社会人の方向け)
                18:00〜20:00 (主に学生さん向け)
場所 : ハービスPLAZA旅のセミナールーム 大阪府大阪市北区梅田2-5-25 ハービスOSAKA内
対象国 : カンボジア、タイ、フィリピン
≪東京会場≫
日時 : 7月5日(火) ・ 7月6日(水) 18:30〜20:30 (どなたでもご参加可能です)
場所 : 日本アセアンセンター・アセアンホール  東京都港区新橋6-17-19 新御成門ビル1F
対象国 : カンボジア、ベトナム、ミャンマーなど
≪主なイベントプログラム≫
カンボジアの「スナーダイ・クマエ孤児院」運営責任者メアス博子さんによる特別講演をはじめ、
政府観光局の担当者やASEAN諸国からの留学生、海外ボランティア体験者の発表など盛りだくさん!
講演者・発表者・参加者の皆さまでお菓子を囲んでの自由交流会も予定しています。
※メアス博子さん以外の方の発表内容は現在調整中となっており、内容は変更となる可能性があります
スナーダイ クマエのブログは
ブラジルの『無癩県運動』 [2011年06月05日(日)]
1980年代、伝説の活動家(アクティヴィスト)で当事者−つまりハンセン病の快復者−フランシスコ・ヌーネスこと「バクラウ」の突出したリーダーシップで発足したブラジルのハンセン病当事者組織の 『MORHAN』 (訳すと 「ハンセン病快復者の社会復帰運動」というようなことになるけれど、ハンセン病の世界では「モーハン」として知られている。丁度全療協が全国ハンセン病療養所入所者協議会なんていうながーい名前ではなく、Zen Ryo Kyo として世界に通用するように。)

バクラウの遺志を継ぐのは、クリスチアーノとアルトゥール。前者はやや足の不自由な闘士、後者は、子供の時から、敬虔なカトリック教徒であった母親に連れられてハンセン病の療養所に出入りし、バクラウに惹かれ、尊敬し、手足となって活動を助けること数十年、癌にむしばまれたバクラウにMORHANの将来をを託された男。MORHANの活動はボランティアを貫き、家族を顧みなかったために、妻から離婚された、とか告訴されたと聞いたが、その息子(やはりアルトゥールという名前でややこしい)が今や父親を助けてMORHANの渉外をこなしている、らしい。アルトゥール父は、ポルトガル語では強烈な演説をする(らしい)のに、英語はなかなか身に着かない。アルツール子は、英語でメールが出来る。

MORHANは、バクラウークリスチャーノ+アルトゥールで全国的にネットワークを広げた。
: ハンセン病は治る。
: ハンセン病の診断と治療を、草の根まで届けよ。
: 強制隔離の被害者には、公的賠償を。
など、ハンセン病対策の必要性を全国の自治体に認識させる強力な活動を展開すると同時に、偏見を恐れる患者や家族、差別を恐れ患者や家族を守る姿勢を明確にしている。
その一つに「テレハンセン」活動がある。
当事者組織によるハンセン病無料電話相談。全国どこからでも無料でかかる 800番台の番号を、リオの小さな事務所に待機するボランティアが受けて、あらゆる種類の「困った」に応えている。

設立から30年近く。大きな市民運動に発展しているらしいMORHAN。
近年は、製薬会社などとタイアップして、保健サービスのなかなか届かない地方の町や村に、「移動ハンセン病相談車」を走らせている。

トレーラーのような大型の車両は一部が「臨時の診療室」になり、訪れた地方の町や村で皮膚科医が相談に来た人を診察する。その独創性、行動力、組織力は世界のハンセン病当事者組織の活動の中で群を抜いている。

その「移動ハンセン病相談車」の側面には、「ハンセン病は治る」「ハンセン病のない○○○町を」と大きく書かれている。日本の「無癩県運動」とくらべて、複雑な気持ちを禁じ得ない。



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