『第2世代』 インド [2011年08月18日(木)]
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ハンセン病のスティグマは、世代を超える。
親がハンセン病を病んだ、ということだけで、子ども世代があらゆる重荷を負うことになる。 近年、ハンセン病は薬剤で治る病気となり、この様相は変わった。しかし、薬のなかった時代に病んだ親を持った人々の人生は、洋の東西を問わず、幼い時から、あらゆる『壁』とのたたかいだった。『壁』をのりこえ続けないと、自らの人生が拓けない。 日本の第2世代として勇気ある発言を自伝という形で著した人(宮里良子さん)のことは、紹介した。 https://blog.canpan.info/sec/EntryEdit.blog?entryId=398 今月初め、南インドのチェンナイ市で会った40代の男性も、強烈なメッセージを持っていた。 マンジュール・アラム氏。その名刺には、BABL MBA 法廷弁護士、宣誓管理官 とある。 活躍の場をもつ、若い法律家、という印象であった。 そのアラム氏が語った人生は次のようなものだった。 アラム氏は、インド北部ビハール州の北部チャンパランにある、リトル・フラワーハンセン病コロニーで、本病の両親から生まれた。リトル・フラワーという名前から推測されるように、ここはキリスト教ミッションが開設したコロニー。伝説的なクリスト・ダス神父が運営するコロニーだ。 アラム氏はコロニーの外の小学校に入学して、生徒たちからひどくいじめられたという。のちにリトル・フラワーは、コロニー内に独自の学校を解説して、子どもたちを守ることになった。 9年の小・中学校を卒業する時に、運命が彼に微笑んだ、とでもいおうか。全世界の高校入学年齢の『貧しい』子どもを対象に、英国で高校に進学する奨学金があることを知らされた。成績の良かったアラム氏は挑戦の機会を得たが、運よく奨学金を得られるのは、世界全体で5人。なんと、その一人に選ばれて、イギリスの名門高校イートンに進学した。イートンと言えば、イギリスは言うに及ばず全世界の指導者を生み出してきた名門中の名門。事実、英国の現首相キャメロン氏やネパールの皇太子などの姿もあったという。 イートンでの2年を終えたアラム氏は、英国ではなく、インドに戻り、南のチェンナイで奨学金を得て法律を学び、修士、弁護士とキャリアを築いた。 アラム氏の特異な点は、個人的な成功の一方で、出身地(父母と兄弟姉妹は今もコロニーや近隣の村に住んでいる)との絆を断たなかったということだ。現に、コロニーの最高指導者クリストダス神父が危篤に陥った時には、病床に駆け付け、首都のデリーから医師を送り、あらゆる手を尽くし、神父の死に際しては葬儀に力を尽くしたという。 今回の出会いも、丁度チェンナイでの会合に出席していた、若い快復者のラムバライ氏(やはりビハール州のリトル・フラワー コロニー出身)の紹介によるもの。 アラム氏曰く「私は自分自身の体験は言うまでもないが、両親やコロニーの人々の苦難をこの目に見ている。その人たちが今も耐えて生きている社会の無理解と差別も、知っている。私の同胞のために、自分にできることはなんでもしたい。」 一瞬耳を疑うような明確な言葉の数々だった。どうして、これまで、インドの快復者組織はアラム氏とつながらなかったのだろうか。その機会があったと思われるにもかかわらず。 インドは広い。もっと他の地域にも、まだまだ隠れた「アラム氏」がいるのではないか。 少しの疑問と大いなる期待を持って、マンジュール・アラム氏に象徴される第2世代が、インドの快復者運動の中核に参加する日が来ることを待っている心情だ。 |










