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ハーモニーライフ
NPO法人ハーモニーライフは、100歳まで健康に生きることを目標に、自然療法を主体にして、アロマテラピー・エネルギーヒーリングの普及と、プロの癒し手(ヒーラー・療術師)の支援をおこなう団体です。現代医学と東洋(漢方)医学を併せて「健康を維持して長生きする」研究会と講習会を開催しています。
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田中利典師の名著『吉野薫風抄 修験道に想う』は、こんなにすごい![2019年03月03日(Sun)]
※ 以下は”NPO法人奈良まほろばソムリエの会専務理事"さんのblogから引用しました。電子書籍版はNPO法人ハーモニーライフ出版部が出版します。


---------------以下引用

金峯山寺長臈(ちょうろう)で種智院大学客員教授の田中利典師の『吉野薫風抄 修験道に想う』が近々電子書籍になるという。師によれば「処女作にして最高傑作」とのこと。


田中師の宗教人生そのものが、『吉野薫風抄』に書かれた主題を、まさに身をもって実践することになるにちがいない。それほど、ここに書かれた主題は重い。いつの日か実践されたとき、日本の宗教界を一変させるほどの力を秘めている。なぜかといえば、ここには日本における伝統仏教の真の姿が語られているからだ。


では問おう。日本における伝統仏教の真の姿とは、いったい何か。それは、神も仏もわけへだてなく崇め、しかもその神や仏を自然の中に見出すという信仰のあり方だった。再び問おう。神も仏もわけへだてなく崇め、しかもその神や仏を自然の中に見出すという信仰のあり方とは、具体的には何を指しているのか。その答えは、修験道である。すなわち、修験道こそ、伝統仏教の真の姿にほかならないのだ。


本書は、利典師が「金峯山時報」の「蔵王清風」欄に書かれた文章(昭和57年〜平成3年)をまとめたもので、利典師がわずか27歳〜36歳のときの文章なのだ。私は今、タイトルを見ながらランダムに読み進めている。「人間は何のために生まれて来たか?」(昭和62年2〜6月)には、

今、1つの答えを見つめつつある。それは、人間は修行をするために生まれて来たのであると―。修行、では一体何の修行であろうか。それは心の修行、魂の修行である。

物・心というが、人間は物欲を源として高度な文明を生んだ。しかし、それは所詮第二義的なことに過ぎなかったのである。残るはもう1つの方、すなわち心である。この心の充実の方にこそ、人間は第一義を見出すべき時を迎えているのである。

善なる修行とは心を高めることである。心のあり方を高めることである。人間は心を高めるため、魂の修行のためにこの世に生まれてきたことを自覚せねばならない。自分の心の中に、際限なく湧き起こってくる欲望を満たさんがため、それだけのために生きているのではないのである。心そのものを満たさなければならない。心そのものを高めねばならない。


書き写していて、難しい漢字や言い回しが多くて閉口した。中国・シルクロードの旅をした利典師は、「宗教は国を救うか」(昭和63年11月)と自らに問うた。

宗教の面目は、個々人の生き方への救済であって、そこの所から始まらなければ宗教はないのである。少なくとも仏教はそう教えているのではないだろうか。個々人の救済が引いては国の盛衰に繋がる場合もあるけれど、あくまでも個々人の救済が第一義なのである。


シルクロードに消えていった民族も、1人1人の祈りは1人1人の救済に繋がってはいたのであり、死して民族が滅び去り、子孫が絶えようとも、それぞれの生命の救済は果たされていたのではないだろうか。宗教は国を救わない、これが私の中国旅行での感想であり、荒漠たる大地の中でそんな想いに立ちつくした今回のシルクロード紀行であった。







末尾の「仏教を現代に問う」(平成3年11〜12月)が圧巻だ。抜粋すると、

人間にとって宗教はいつの世でも希求され続けて来たが、現代ほど心の問題として渇望されている時代は少なかったのかもしれない。そして今私は、この宗教に求められているものに二面性を見るのである。1つは宗教的回心(えしん)、宗教的な安心(あんじん)である。宗教を持つことによって強く生き直す力が与えられる。あるいは死に臨んでは安らかな境涯を得る力を持つことが出来よう。いわゆる安心立命(あんじんりつめい)である。


さてもう1つとは今挙げた宗教本来が目指すものではなくて、所謂、神秘的な世界への憧れとか、霊的な世界への恐怖とかいう、様々な超自然現象への畏怖(いふ)と憧憬(どうけい)である。現世利益的な欲求とも言えようか。今日の宗教ブームを生んだ源はどちらかといえば後者に対する希求のなせる業(わざ)であり、百花繚乱(ひゃっかりょうらん)の如く流行する新興宗教のほとんどがそれらの要求に対して即物的な救済を謳(うた)っているのが何よりの証拠であろう。


世間一般の人々が僧侶や行者に対して、霊的なことや、超自然的な世界への道先案内人として多くを期待しているにもかかわらず、個々の坊さんを含めた伝統仏教があまりまともに取り組んでいるようには見えない。


この文章が、いわゆる「オウム真理教事件」が勃発する平成6年(1994年)〜平成7年(1995年)より前に書かれていることに注目しなければならない。利典師は、伝統宗教が人々の欲求に応えていないことに、早くから警鐘を鳴らしていたのである。引用を続ける。


檀家寺の総代としてかなり功を積んできたような人でさえ仏教のことや、自分のお宗旨(しゅうし)の教えについて全然理解していないことに度々驚かされている。お寺で今まで何を聞かされてきたのかと、疑いたくなってしまう。


自らが希求する宗教的な欲求―それは安心の問題にしろ、現世利益的なものにしろ―を、伝統仏教のお坊さんに求めるのではなく、新新宗教などともてはやされる今どき流行(はやり)の宗教に求め、心身ともに傾倒(けいとう)させているのではないか。


[お坊さんにとって]最も大切なのはなんといってもまさに各人の信仰の実践、信心決定(けつじょう)に尽きる。もちろん、自分の信仰が不退位(もう後戻りしない位)にまで到達していたら、それが理想であるのだけれど、そうでなくてもいつも菩提を目指す者(つまり菩薩)であらねばならない。正しき法に生きている者なれば、必ずや求法の人々の光明となり得るに違いないと私は確信する。ともかくも、焦らず、日々怠らず、歩むべし。


立派なお坊さんもいれば、週刊誌のネタにされるような不心得なお坊さんもいる。それはともかくとしても、そもそもお坊さんは「自分のお宗旨の教え」について、何も教えてくれない。なので私は仕方なく、仏教本を乱読して理解に努めている。それでも安心立命(すべてを絶対のものにまかせて心が動揺しないこと)の境地には、ほど遠いが。


重いテーマの文章ばかりを紹介したが、気楽に読めるものもある。それにしても、師がこのような名著をわずか37歳のときに刊行されていたことに驚かされる。「作家は処女作に向かって成熟する」とは亀井勝一郎の名言であるが、『吉野薫風抄』には利典師のすべての萌芽が著されている。皆さん、電子版が出ましたら、ぜひ熟読玩味を!
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