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はばたくクリオン笹川奨学生[2014年01月23日(Thu)]
笹川記念保健協力財団は1985年から回復者やその子どもたちの教育支援を行ってきましたが、近年は特に高等教育に力を入れています。
フィリピンで高等教育支援を開始したのは2008年。
クリオンにも、大学入学から卒業までの教育支援をした学生、そして
政府機関から認定された職業訓練を受けた学生がいます。

マニラの大学で看護学を学んだクリスティ・レーン・イバルダローサは、現在、地方の病院で勤務中ですが、クリオン療養所ならび総合病院の看護師のポストに空きが出た時点でクリオンに戻ってくる予定だそうです。
恥ずかしがり屋で、すぐに赤面していたクリスティ・レーンは、大きく成長しました。

理学療法を学んだドナ・ギャカソンは、資格を取得し次第、同じくクリオン療養所ならび総合病院に就職をする予定で、早く戻って働き始めたいと高い意欲を見せていました。
頑張り屋のドナは、マニラの大学でも常に上位の成績を収めました。

Donna.jpg

高等職業訓練は、就職につながりやすいコースに優先順位を置いています。
近年急速に観光化が進みつつあるパラワンでは、これからは観光業がのびると思われるため、クリオンではホテルやレストランなどの就職につながる職業訓練にも力を入れています。

この卒業生たちが何人か働くのが、眼下に海を見渡すホテル マヤです。

Hotel Maya.jpg

ホテル マヤは、長い歴史のある建物です。1933年にクリオンで患者やその家族のために尽くしていたシスターたちが、主にハンセン病にかかった女児のための寮を作りました。150人ほどが暮らしていたこともある由緒ある建物です。1963年には2階部分に、ここで暮らす女児のための学校が併設されました。その後、男児の受け入れに伴い、この建物から他の建物に、学校施設も移され、1998年には閉鎖。
この歴史的な建物を保存しながら、かつ活かすために、ホテルとしてオープン。
観光関連の高等職業訓練を受けた学生たちが勤めるようになったのです。

さて、ホテル マヤのサービスはどうかというと、さすが高等職業訓練を受けただけあります。
ご飯もおいしく、部屋も清潔で快適。
毎日部屋に戻ると、タオルが鶴になっていたり、犬になっていたり、象になっていたり。

IMG_0233.JPG

療養所だから、ハンセン病の隔離島だから、何もないからクリオンには行かない、という時代は
変わりつつあります。
現在では地域の総合病院として、近隣の島からクリオンに治療を受けに来ます。
同様に、クリオンの若者たちが、身に付けた知識や技術を使って、外の社会でも活躍できるようになってきました。


(星野)
台風ヨランダから2か月 クリオンはいま[2014年01月20日(Mon)]
2013年11月7日夜から8日朝にかけ、瞬間最大風速90メートルにも達したという超大型台風ヨランダがフィリピンのクリオンを直撃しました。
クリオンは台風の通り道から外れることが多く、ヨランダの前にある程度の被害が出た台風は
約25年前。
その25年前の台風も、ヨランダと比較することはできない規模でした。

台風一過の8日には、クリオン療養所ならびに総合病院に多くの人がやってきました。
屋根が飛んだ、家が倒壊した、魚釣りのボートが壊れた・・・
多くの人の訴えを聞き、クナナン院長は、病院として被害状況の把握をすることとしました。
自身も被災している職員が、がれきや倒木で道がふさがれているなか、被害実態調査を始めました。

同時に療養所に家屋修繕を求めてやってくる人たちのもとに、別途ソーシャルワーカーを派遣し、
修理の必要状況を確認し、優先順位をつけていきました。回復者、そして特に被害の程度が大きい人に優先順位を置き、これまでに20家屋の簡易修繕が完了しています。

その中の1人、ヘルミディア・コンセプションさんの話です。

 両親も回復者で、私はこの島で生まれました。私もハンセン病を発症しましたが、子供に恵まれ、いまは穏やかな老後を過ごしています。子供はいま、クリオンを離れて家族と暮らしています。実は私の家は25年前の台風の際にも被害を受けたのですが、子供たちが少しずつためたお金を送ってくれたおかげで、空洞コンクリートブロックの壁を作ることができました。
 でも子供たちも、自分の子供の教育にお金がかかるので、これ以上は無理を言えません。
 11月7日、7時ごろから風が強くなってきました。私の家はコンクリートの壁なので安心だと、友達が1人避難しに来ていました。彼女は義足なので、安全な場所で台風が通り過ぎるのを待ちたいと言っていました。
 8時ごろにはものすごい風になっていました。外で木の倒れる音や、いろんなものが飛んでいく音が聞こえました。すさまじい風でした。早々に電気も通らなくなり、真っ暗な中、ただ台風が通り過ぎるのを待っていました。
 風は弱まることを知らず、吹き荒れていました。すると何時頃でしょうか。メリメリっと音がして屋根が飛ばされていったのです。恐ろしさで声も出ませんでした。すさまじい風に加え、降り注ぐ雨。雨粒が体に叩きつけますが、それから身を隠すこともできません。
 外ではいまだにいろんなものが飛ばされていますから、逃げることもできず、友達と2人
抱き合って泣きながら祈り、数時間を過ごしました。
 台風が去っていったのは、次の日の朝、7時ごろだったでしょうか。風がおさまっても
私たちは震えを抑えることができませんでした。
 台風が過ぎ去り、太陽が昇り、ようやく震えが止まったあと、クナナン院長のところに
助けを求めに行ったのです。
 療養所のソーシャルワーカーがやってきて、家の状況を見て、家屋の修繕はできる限り早くに始めたいと考えていること、修繕が可能となった場合には、私の家は早い段階で修繕を行ってくれることを聞き、どれほど安心したことか。
 それからしばらくして、笹川記念保健協力財団が緊急支援をしてくれること、その中に家屋修繕も含まれていること、私の家の屋根の修繕も行えることを聞きました。感謝しても感謝してもしつくせません。本当にありがとうございました。

IMG_2934.JPG
新しいトタン屋根がついた

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まだ家屋修繕を必要としている人が、多く残っています。
これからも温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。


(星野)
フィリピン クリオン島の復興活動状況〜家屋修繕計画[2013年12月26日(Thu)]
クリオンには現在600名のハンセン病の回復者とハンセン病患者の方がいますが、中でも、現在も治療中、または、補助を受けている方々は160名です。台風で家屋に被害を受けた72家族の内、21戸が特に深刻な被害を受けており、まずは、この21戸の修繕から、修繕用の資材の確保を始めています。
ただし、この21戸の住民のうち、たとえ資材があっても、障がいがあったり、修繕をしてくれる家族がいなかったりと、自力での修繕が難しい方々もおり、そのための人力の確保も必要となっています。

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被災した家屋
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屋根が吹き飛ばされてしまった

一戸の家屋の修繕にかかる費用は、その家屋によって大体5万円〜15万円です。
年内にも、まずはこの21戸の家屋の修繕を完成させられればというところです。

ある女性はこう語りました。"The moon is now our light. Having no roof over our heads, we see the moon and stars when we go to sleep, and the sun when we wake up." 〜今は月が私たちの電燈の代わり。屋根がないので、夜、休む時には月と星を見て、朝、目覚めると太陽が見える〜

"Many stories, many tears but big hope." 〜それぞれの物語り、たくさんの涙、でも希望がある〜

雨が降らないことを祈りつつ生活する人々の姿があります。
フィリピン クリオン島の復興活動状況〜沿岸部への支援[2013年12月16日(Mon)]
12月8日のクリオン総合病院での救援物資に続き、遠隔地での緊急支援物資の配布作業と医療巡回が行われ、沿岸部にある4つの村で260家族へ支援活動を行うことが出来ました。地理的に距離があるにもかかわらず支援の手が差し伸べられたということに村人は非常に喜び、復興への励みとなったとのことです。

沿岸部への支援はボートで行われました。浅瀬への移動にはさらにバンカ(banca)と呼ばれるフィリピンの伝統的な舟に乗り換えなければなりません。

沿岸部の多くの住民は漁業で生計を立てていますが、今回の台風で家屋のみではなく、生計を立てるためのボートも失ってしまいました。
救援物資の配布にあたっては、沿岸部の住民自ら、数少ないボートを提供してくれたり、積み荷を降ろしたりと、進んで協力してくれました。
banca.png

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下の文章はクナナン先生から頂いた報告書の抜粋です。
"At the end of the day, as the sunset set in, the team and the people visited were all happy, that we have provided them a little help and comfort and they have given us profound spirit of humanity." ~一日が終わって日が暮れる頃、支援チームも支援を受けた村人も皆とても幸せな気持ちでした。我々は少しの物資と癒しを提供し、彼らから深い思いやりや助け合う精神をもらったんです〜

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フィリピン クリオン島の復興活動状況[2013年12月09日(Mon)]
フィリピンを襲った巨大台風から約1ヶ月が経ちました。
クリオン島では依然困難な状況が続いています。
通信環境があまり良くないため、思うようにクリオンとの連絡が取れないのですが、クナナン先生の尽力のおかげで、現地の状況を知ることが出来ています。非常に弱い電波を拾うため、比較的通信量の少ない夜間に、なるべく高い場所に登って、手作りの電波増強器を使いメールの送受信を行ってくれています。
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     手作りの電波増強器


今日は嬉しいお知らせがクリオンから届きました。
支援物資が10日に一度のマニラからの船にのったクリオンに届き、ボランティアの手によって配布用にパックされ、12/8(日)、病院のロビーにて計1310家族の手に配られました。
パックには、お米、麺、砂糖、ミルク、コーヒー、イワシ、水、パン、ビスケット、毛布が入っていて、あらかじめ被災者のリストを作り、クーポンを配布していたので、当日は混乱もなくスムースな配布が行われました。
勿論、当日、遠方から支援物資を受け取りに来た被災者もありましたが、そちらもソーシャルワーカーが対応し、物資を渡すことができました。
フィリピン物資配布.png
        支援物資配布の様子

物資配布の様子を知らせてくれたレポートにあったクナナン先生の言葉です。
"we have nothing before the typhoon, now we have less than nothing after the typhoon, we are homeless, roofless but not hopeless, thanks to the Sasakawa foundation"
~台風に合う前から何もなかったけれど、台風が来て何もない以下になってしまった。
家もなく、屋根もない。でも笹川記念保健協力財団のおかけで我々には希望がある〜
支援して下さる方々のおかげで、クリオンの人々にとっての「希望」となることが出来ました。
皆様に深く感謝申し上げます。

引き続き、12/10(火)には小型の舟をチャーターしてクリオンの小さな島々の海岸部に物資を届け、同時に巡回診療を行う予定です。

今後、クナナン先生は家屋修繕物資の配布の手配に移ります。
フィリピン クリオン島の台風被害[2013年11月18日(Mon)]
フィリピンを襲った巨大台風ハイエン(現地名ヨランダ)の被害状況が、日本でも連日ニュースで流されます。
レイテ島のタクロバンを中心とした、ヨランダのすさまじい爪痕に心が痛みます。

フィリピンと長いつながりを持つ笹川記念保健協力財団は、フィリピンの各地の
友人たちの安否を心配していました。

特に、被害があったと聞きながら、連絡がなかなかつかなかったクリオン島。
ようやく連絡が取れたのが、先週の木曜日の夕方でした。

<財団とフィリピン>
笹川記念保健財団は、設立の1974年にフィリピンに対するハンセン病対策活動への協力が開始し、化学療法の研究、薬品・機材の供与、人材育成、専門家派遣などを行ってきました。
2003年以降は、フィリピンでのハンセン病活動支援は、回復者や家族の経済的・社会的自立をめざした諸活動へと変わっていきます。
その中心となり、財団が継続的な支援を行ってきているのが、世界最大のハンセン病隔離施設として、多くの国のハンセン病政策に大きな影響を与えた、クリオン療養所でした。
これまでの支援は、子どもたちの教育支援や職業訓練、経済自立を目指した少額融資や養豚から、コミュニケーション手段の整備、住環境整備や歴史保存まで、多岐にわたっています。

財団の対フィリピン支援についてはこちらからどうぞ
http://www.smhf.or.jp/support/asia/as12_philippines/

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朝焼けのクリオン

<クリオン療養所ならびに総合病院の院長であるクナナン先生より>
台風が過ぎ去った翌朝、クリオンの姿はまったく変わっていました。特に影響を受けたのは
海岸近く。家屋が倒壊し、病院も45%の建物が壊滅状態です。
入院病院も倒壊し、医療機器も使えなくなってしまいました。

今でも(14日夕方)、水、電気は通っておらず、輸血用の血液など、必要最低限の機材を動かすために必要な電気は、自家発電でかろうじて対応しています。

水も電気も通らず、食料も少なくなっていく中、電話もインターネットもつながらず
島の外では何が起こっているのか分からないという状況でしたので、非常に不安でした。

早くから警戒態勢に入っていたために、死者が出なかったことだけが救いです。
水、電気、シェルター、薬品、衣服。足りないものをあげればきりがありません。
どこから手をつければいいのか。
政府をはじめとする緊急援助は被害が最も大きかったレイテやセブ、サマールに集中しており
ここまでは手が届いていません。それでも被害を考えれば、私たちは幸運だったのでしょう。

何とか生活を立て直していかなくてはなりません。


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倒壊した家屋

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病院の被害も大きい

台風で亡くなった皆さまのご冥福を祈ると共に、被災された皆さまにお見舞いを申し上げます。

全国の8国立ハンセン病療養所のうち、最も被害が大きかったのがクリオン療養所だそうです。
笹川記念保健協力財団は現地とのコミュニケーションを取りながら、緊急支援・復興支援を行っていきたいと思います。


(星野)
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